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<東京怪談・PCゲームノベル>


■弛んだ水音〜糸の端■



 朝稽古の終いにかかってきた電話は草間興信所からだった。
 連絡を受けて当然向かった先のマンションで出会った少年は、ぼんやりと不思議な煌きの瞳で紫桜を見上げるとひとつ頭を下げる。ああと吐息が洩れたのは少年が初めて会った時のような何も無い瞳ではなかったからだ。
「はじめまして、櫻紫桜です」
「……はじ、めまして」
 名前は失くしたみたいなの、とは仕事を切り上げてきたエレナの言葉。
 そうですかと返して改めて見る少年は幼く、金の髪も瞳も淡い気配の子供だった。


** *** *


「……なんていうか気になりますね」
「でしょう?だから居るのは判るんだけど」
 兄弟のように手を繋ぐ姿にエレナが笑う。
 けれどそれに同様に返すには棘を散らすような気配が紫桜の邪魔をする。
 きゅ、と握ってくる子供に「大丈夫だよ」と返しながらその様子が赤毛の幼い妖精と重なった。
「呼べそうなんだけど、私だけじゃ出てこないのよ」
「ジェラルドさんは」
「まだ動くとすぐ爛れたところから開くから寝てるけど、連れて来る?」
 あまりに気軽な言葉に慌てて首を振る。
 まだ試していないのに、と言う様子からすれば頷けばついでに餌になるか実行しただろう。餌。そう餌だ。ちらと横目で見た金の旋毛。その子供が父と呼ぶ男を引き摺り出すべく紫桜達は今動いている。とは言えただその細かな棘に似た気配の濃い場所を捜すのがせいぜいであるのだけれど。
 力場、であれば紫桜が見る事が出来るのだ。少年の剣に居たあの黒い影も力場に似ていた。霊にも似ていた。人の意識のようで、個人の意識ではなかったそれを思い出すと、今も紫桜の肌は粟立つ。自然と厳しい顔になった紫桜を少年が見上げているのに微笑んで返せばことりと首を頼りなく傾けて。
「逃げた、のが」
「――え?」
「逃げて、とうさん、食べる」
 ……ジェラルドが完治するよりも早く少年の父を、つまりはあの男だろうと住人達が言うジェラルドがそもそもの初めに遭遇した相手を引き摺り出そうとしたのは少年が言ったからだそうだ。
『とうさんをたすけて』
 そう、言ったのだと。
 足を止めた紫桜に一歩分だけ寄って少年がもう一度言う。
「とうさん、食べて、ぼく探してる、から……食べられる?」
 何を食べるのか。誰が何を食べるのか。
 剣から黒い気配が離れてそれを紫桜が斬った、その日から少しずつ柔らかさを取り戻したという幼い体躯が何故か気に掛かった。
 その見下ろす紫桜を少年の紫の瞳が映し込む。言い慣れない言葉を紡ぐ幼い声。
「影、逃げた」

 毛穴という毛穴が縮こまるような感覚だった。

 沈黙のままいつまでも立ち尽くす訳にもいかない。
 この少年が何度呼びかけても相手は現れなかった。その事を思えば、ただこうして歩き回っても実際には引き摺り出せない。何処か引き合わせたくない心理があったのだろうか。エレナにしろ紫桜にしろ他の手段を積極的には探さなかったけれど。
「たすけて」
 繋いだままの柔らかな手がまた紫桜のそれを強く握る。
 向かい合うまま伏せていた面を上げる、その紫桜の顔に傍らでエレナが瞳を一度細めるのが見えた。いつ見ても獰猛さの潜む仕草だと思う。けれど彼女もジェラルドも獣では無い筈で。
 少年の前、見上げる幼い顔を見詰める。その瞳が紫桜から逸らされないのに「ごめん」と小さく告げると小柄な身体の背後に腕を回してそこで――刀を抜いた。
 棟を外に、刃を内に。ほんの少し近付けて、そして引けば少年の背は柔らかい肌の下を容易く開く事になるだろう。そんな風に。
 人を斬れる筈が無くても、第三者からはそれを知る術も無い。脅しとしては充分な筈で。
「ごめん……他に思いつかない」
 もう一度、小さな声で少年に告げて見詰めた顔は変わらずただぼうと紫桜を見ていた。
 居た堪れず目蓋を伏せてまた開く。強い眼差しは何処かに居る男へ向けて。
「出て来たらどうですか。見えているんでしょう?」
 ざわ、と木々が震えるのが潜む男の感情のようで紫桜は己の行為に自嘲する。
 外道な真似だと自覚は有る。けれど他に思いつかなかった。
「出て下さい。俺は本気です」
「じゃあ、私も一緒にやろうかしら」
 手の骨を鳴らして手入れされた爪を少年の咽喉元に突きつけるエレナ。
 更にこちらが悪人のようだと、そう思う紫桜の耳に砂を踏む音が届いた。
「とうさん」
 振り返る。その先の影。薄汚れて痩せ細った一人の男。
 年齢も解らない。人である事さえ疑いそうな歪なその身体の、明らかに柔らかさに欠ける腕に気付く。打てば、そうあの廃ビルで少年の身体を打った時のような硬さを感じるかも知れない。そして少年には無かった気配。剣から滲んだ気配。あの時仕留めてはいなかったという事だろうか。あるいはあの気配が肌の硬さに関係があったのだろうか。考える間にもざわと何度目かの粟立つ肌。今日だけで体中変に総毛立っていると脈絡無く思う。
「ぼう、ぼうを返せ。悪人が」
「悪人はアンタ――紫桜?」
 少年が自分から動く様子が無い事を確認して紫桜はその身体をエレナに預けると男へ向かった。彼女の爪は少年の咽喉元から動いておらず、紫桜が刀を収めて男に向かっても相手は動かない。ただ落ち窪んだ眼球の丸みも明らかな眼を射殺さんばかりに紫桜へと向けるだけだ。
 近付けば、男にまとわりつく不快なあの黒い何かが強く感じ取れる。それは男の足元から細い糸のように男へと繋がって――硬く、人の肌には思えないその腕へと。僅かに瞳を見開いて、けれどすぐに顔を上げると予備動作無く紫桜は一息に腕を振るった。
 背後で鳴った息はきっと少年だ。
 拳が男の顔面を強く打ちそのまま飛ばす。打った己こそが打たれたような痛みを覚えながら地を踏みしめて紫桜は男を見下ろした。
「一発、入れようと思ってたんです。あなたに」
 獣だと貫かれたジェラルド。この少年。他にもあるいは誰かが関係無い筈であったのに巻き込まれたかもしれない。
 一連の出来事は紫桜の中で整理のつかないままに渦巻き酷く淀んだ何かを示していたのだ。それを、その気持ちを、どう表したいかと言えば男を殴り飛ばす事で。少年には悪いと思ったけれどやはり殴れるなら殴りたかった。
「……俺は、あなたとあの子に何が有ったのかなんて知らないけど、業を犯すのは無意味です」
「なにが、なにが解る。ぼうが獣に殺されたんだ坊は何もしていなかったのにけものに殺されたんだ」
「ええ。俺は何も知りません。今言った通りです。でもあえて言うんです。これ以上は、無意味です」
「意味はある、いみはあるんだ、坊がいれば獣は狩れるんだけもの全て」
「――あなたは」
「とうさん」
 言いかけて、唇を閉ざす。何と言えばいいのかと探す間にエレナの爪が咽喉元にあるまま少年が声を上げた。
 薄い、とても微かな感情の滲む言葉だ。慕っていると知れる言葉だ。
 その声に倒れたままの男が半身を起こしてそのまま立ち上がろうとするが叶わない。痛めた訳でもないのに足が自由にならず両手をついて離れた子供を見る。その瞳の色が少年と同じ紫だと紫桜からは知れた。
「とうさん。ぼく知ってる」
「ぼう!ぼう!」
「ぼく知ってる。とうさんは、ぼくがけがしてからおかしくなった」
「おかしいものか!当然のことだろう!自分の子供を殺されて復讐しない親がいないものか!」
 先程の繋がらない言葉とは違う、その時の想いそのままだろう声だ。
 今はすぐ傍らで叫ぶ男をただ紫桜は見る。その歪んで悲痛な顔。確かにこの男は少年の父だろう。
「だれにするの?」
「獣だ!獣に復讐するんだ坊!剣を抜け!剣でその獣を殺すんだ!」
「ぼくを殺してないよ」
「お前を殺したヤツらの仲間だ!同じだ!」
「ぼくを殺したのはけものじゃない」
 男の喚き声が止んだ。けれど少年の声を掻き消す程の声を上げて欲しいと紫桜は思う。エレナも同じだろうか。
 少年は、エレナの手をずっと幼い手で動かすと目を開いて動かない男の傍に寄る。唇が紡ぐのは何処かの国の言葉。紫桜は知らない言葉。ああ、けれどその言葉の意味が知れる。解らない方がきっと良いのに。

「ぼくにぼくの剣を向けたのはとうさんだった」

 はた、と地に潜る水滴。はたはたと幾筋も。
 枯れた身体の何処にそれだけの水分があったのか、男の見開いた瞳の端からこけた頬を滑り肉が削げて尖った顎へ、そして地に潜る。
「とうさん」
 動かない男の背を遣る瀬無く紫桜は見る。何と告げればいい。何を言える。
 何度も唇を開閉し、結局言葉になったのはただ一言。
「獣に復讐をするのはやめませんか」
 今言えば聞いてくれるかもしれないだとか、そんな計算は無くただ咽喉から唇へと抜けた。その声に男が害意の無い瞳で面を上げて。そしてまた少年を見る。更に向こうのエレナをも見て、首を振りまた見る。
「とうさん何を食べられたの」
 繰り返す我が子の声に父が背を揺らす。その時。ぽこりと男の影が泡立った。
 ぽこり、ぽこり、幾つもの気泡が連続し、空気すらも凝固したような空間で唯一動くものとして盛り上がり波立ち、男を呑んだ。
 その勢いのままに少年に向かう。違う、気がつけば少年が手にする茶々や少年自身の瞳と同じ不可思議な色に煌く剣に。
 すぐ隣を勢い良く奔る黒い波が紫桜の瞳に映る。動き損ねて男が呑まれた事実を認識する間に少年まで呑ませる訳にはいかない。一度収めた刀を再び抜き放ち、あの時と同じように後方から斬り払う。手応えは薄くまさに水を斬る如く。行儀の悪い事に、思わず舌打ちして更にもう一振り。少年をエレナが引き寄せて庇うのを見た。それから少年の、その顔。
 何もかもが震えているその面。瞳が濡れている、唇が揺れている、頬が引き攣って眉が寄せられて眦から一筋溢れてそれから。
 もう一度だ、と己に言い聞かせて息を整える。
 鋭く、一太刀で、刀が応えるかのように強く鍔を鳴らして止まり、少年の手にあった剣が影に呑まれかけてその瞬間。
 何が違うのか、後になれば自分でも説明し難いがそれでも何かが異なるままに紫桜は刀を影に滑らせた。

 ぱちゃり。

 静かな音は溜まった水に落ちた最後の一滴のようで。
 色を失いただの水になり、そして地に呑まれた影であったもの。男だけが残されたそこに少年が膝をつく。
「とうさん」
 声も無く男が少年に何事かを告げる。
 真上から見る形で紫桜はその時の男の顔を見た。
 小さく動いた唇が最後に紡いだのが子供の名前ならいいと、思わせるその表情。
 そうして一拍の間を置いて男も塵になり、消えた。

 何も遺さず。
 ただ少年だけを遺して。


** *** *


 きゅうと握り締める幼い手にエレナが笑う。
 懐かれているわねえと言うのに微笑み、傍らの少年の金色の旋毛を見下ろして。
 手を繋いで歩く紫桜と少年。一度だけ、二人立ち止まり振り返る。
 とうさん、と小さく落ちた言葉に静かに黙祷してそれを最後と歩き出した。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5453/櫻紫桜/男性/15/高校生】

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■         ライター通信          ■
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・ラスト参加ありがとうございます。ライター珠洲です。
・設定が暗くお話も暗く、それでもこれで終わりです。少年とマンションに戻ったら一緒にお茶を飲みながら目を覗き込んであげて下さい。そういう事を喜ぶNPCですので手を繋いで帰ってちょっと温まって下さいませ。
 男が何を最初に失くしたか、そして最期の表情はご想像にお任せします。薄暗いお話にお付き合い頂き感謝を。