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<東京怪談・PCゲームノベル>


■弛んだ水音〜応える声■



 朝も早くから鳴らされた携帯の向こうの声も、寝ぼけ眼の様がありありと浮かぶようであったけれど言葉は明瞭で、そして告げられた桐生暁はしばし瞑目するときりと意志の光を強めて身体を起こした。
 手入れを忘れたりはしない得物を手に取り、鞘を固定するようにして武器を収める。懐に、腰に。ポケットにごく自然に収まる大きさのそれは、けれど充分な硬さと厚み、鋭さを持つ刃物だ。一度抜き放ち具合を確かめて次に向かったのは箪笥。ごと、と引っ張り出して奥を探れば出てきたのは少しばかり古びた扇。だが神経質な程の丁寧さでもって納められていたそれは落ち着いた美しさを持っていた。
 両手で捧げ持ち、暁はそれを見る。どうするのかと己に問う。
 思い出す大きな掌。その手が握る扇は美しく鋭く、その端の刃の煌きがどれだけ眩しかったことか。
『父さんなんだ』
 記憶が川底を浚うように現れては零れ落ち消える、その切欠はあの少年の言葉。
 耳に響くあの槍の中の声。幾つもの影。
「ま、コレも持ってこうかな」
 指に力を込めて扇を握り羽織ったジャケットの下に潜ませた。
『壊していいよ』
 それは槍だけなのか、あるいは別のものも指していたのか。
 招かれた双子に付いて、そしてもう一度あの少年に会い、そして男とも会って。

「……父さん、か」

 寂しいばかりの部屋を出る。
 扉を開け、言葉はそこに残された。


** *** *


 確かに何かの色があるのに、少年は唇を引き結びただ剣を振るう。
 廃ビルで出会った時と同じように、互いの足が地を蹴り時に擦り上げる。それは音を紡ぐようであるのに少年の向こうでぎらぎらとこちらを見る男の姿が音ではないと教えるのだ。
 靄の向こうへと招かれて、双子と共に何処とも知れぬ場所に立った背後で道は閉ざされた。
 男の仕業であるのだろうか――いや、男自身が驚愕していた。であれば少年が招いたのかも知れない。
 その少年を背後から見る男は老人でさえこれほど肌が枯れては居ないだろうと思わせる様でただそこに立つばかり。落ち窪んだ眼の奥の昏い色に暁が奥歯を噛み締める、ジェラルドの言葉を聞きながら、少年の剣を捌きながら。
「あんなに痩せてなかったぞ」
 何を吸われてんだか、と言うその意味はなんだろう。問うエレナの言葉に「勘」だと答えるそれはあるいは当を得てはいないか。
「――っそ!」
 短刀だけでは少年の剣に対するには扱い辛い。
 蹴りを避けて相手が退がったところで素早くジャケットの中から扇を出す。金属の擦れる耳障りな音が小さく混ざるのは先端の刃の為。その微かな音に少年が目を眇めた。
「こういう武器見るの、初めて?」
 笑ってみせても答えは無く無言で剣を向けられる。
 けれど暁は構えこそすれ動きはしない。
「貰った物なんだけどさ……ね、俺はあんたに会った事あるんだけど?」
 じり、と少年の爪先が動く。見落とせば一瞬で潜り込まれる事は了解している。一挙一動を逃すまいと視線はけして他に向けられず、唇だけが戦闘中には不似合いな声音を零し続けていた。
「あの槍の、中で言ったろ。普通に表情有って、それで話しただろ」
 語尾に被さるように少年が迫る。扇を側面で踊らせて短刀が迫るのを避けて剣先がずれ、それを払ったところに翻った扇の煌きが円を描く腕の動きに沿って少年の前腕へ。切り落とす勢いで流されるのを後退して剣とぶつける。
「あの時みたいに、言えば?」
 独特の擦過音に思わず眉を顰めつつ、距離が開いたところに脚をしならせれば回し蹴りの要領で身体が回る。両の脚が交互に少年の肩を仕留めようとして損ねれば今度は暁が距離を取る番だ。地に付いた途端に忙しく走る足。
「壊していいよ、ってそんなんじゃなくてさ〜」
 たた、たたた、と一転小走りに忙しなく歌う土。時折荒々しく砂が叫ぶのは暁が跳んだ時が大半だ。
「そんなんじゃなくて、他に言いたい事あるんじゃないのか?」
 扇を少年が避け損ね、甲に赤い筋。血だ、と遠くで自分が言う。
 赤い血。人と変わらない色の、確かにこの少年は今も生きて動いていると示す鮮やかな。
 勢いが弱まった扇を無視する如くに少年の腕が暁の首を狙い、それは短刀を握る腕が許さない。
「何でもいい、何でもいいから俺に教えてよ!」
 膝が、少年の胸を打った。
 開かれる事の無かった唇がはく、と小さく空気を求める魚のように一度。その瞬間に合わせたように鈍った動きが暁の脚を避けられなかった。その体躯からすれば尋常でなく打たれ強い。骨が折れたかと思った程の感触だったのに少年は自らの足でまだ地を踏みしめている。
「言葉でも態度でも!言ってよ!」
 先程より開いた距離。その向こうで少年がまた唇を。
 とうさん、と言いたかったのだろうか。また空気を求めるだけの口。
 たすけて、と言いたかったのか。あの日と同じように壊していいよ、と言いたかったのか。開いては閉じる。
 何よりも雄弁に、その紫の瞳が訴えるのはなんなのか。
「ぼう!ぼう、どうしたんだ、ぼう!」
 気付けば痩せ細った男が立つのも辛いという様子で暁達を見ていた。
 その喚きを聞きながら、今更ではあったがふと脳裏に差した疑問。
「……名前、呼んでやれよ」
「ない」
 返答が、少年の最初の言葉。
 弾かれて見返した小柄な相手は剣を下げてこちらを見る。
「なまえ、ない。よ」
 そうして男の声に一時動きを止めた二人が、また慌しく近付き離れた。
 砂を削る音。刃をぶつける音。腕を脚を打ち合う音。風を裂き髪を散らせて、けれど今度は長くは続かない。
 少年の瞳が揺れる。暁は、それを見たけれど扇を止めない。ただ器用に持った手で閉じてその厚みを増したまま強く打った。首を打ち、身体を自然と丸めたところに前面から殴打する。聞く事さえ痛いのだと、暁こそが打たれているように顔を歪めて崩れ落ち膝をついた少年を、せめて地には優しく伏せるようにと腕を添えた。
 動く気配は無い。
 身体と、意思と、あるいは噛み合っていないのか。それとも男の望む通りに戦う事を、簡単には拒めない感情のせいなのか。その齟齬が有っては結局は暁に傷を入れる事も出来なかったけれど。
「あああ坊だめだ坊どうして」
「……頼んでも、いいかな?俺あっち行くよ」
「獣が!獣が坊に近付くな!坊を殺すな!」
 肩を竦めながらも少年に近付く双子が足を止めた。男の声のせいではない。ただ少年が力無い様子で暁と――その向こうで咽喉を痛めた人間の枯れて引き攣った悲鳴を上げる男を見ていたからだ。互いの視線を受け、暁を見る。
「抑えないでいるわ。それでいいでしょうし」
「……ガキを苛める趣味は無ぇしな」
「そっか」
「どうして坊を獣が坊を」
 ああ、と息を洩らしたのは誰だったのだろう。
 あまりに深いその吐息は一人のものではなかったのかも知れず、己の息であったから近く聞こえたのかも知れず。
『壊していいよ』
 その笑顔。その声音。その言葉。周囲にあった影と少年自身。
 槍は、男にも影響を与えていたのだろうか。少年だけでなく男にも力を与えていたのだろうか。いつの人間とも知れぬ彼らが目的の為に――獣、を狩りつくす為に生きるだけの力を与えていたのだろうか。男にこそ命を与えていたのだろうか。
 膝をついて呼吸さえ荒く浅く、修道士がまとっていそうな古い衣服から見える四肢のしなびた影。
 それでも瞳だけが感情をただひたすら煮立たせて近付く暁の、その向こうに佇む双子を射殺さんばかりに映し込んでいる。
 暁は、無言で男の前に立つと同じように膝をついて腕を伸ばした。そこでようやく気付いたと知れる不思議と色の無い、幼い瞳で男が暁を見る。父さん、と小さく零してその生者とは思えない身体を抱いた。
「もう止めよーよ、父さん」
 暁からは見えないが、微かに二人を見る少年の唇が揺れる。
「ぼくは、父さんと一緒にもう、眠りたい」
 懐に戻した扇と短刀。それを取り出すのは不可能な程に強く抱き締めて、少年の代わりに暁は男に呼びかけて。
 けれど少しずつ、その唇が抵抗を見せていく。声は出る、けれど音がまるで水中を歩くように重い。それでも「眠りたい」と絞り出すとそこで抵抗は突然に消えた。思わず舌を噛みそうになる。それに冷や汗を流す間もなく声が再び零れ落ちるが、今度は暁の意志だけでなく。
「とうさん」
 気付いた。
 背後で今まさに、あの伏した少年が唇を動かしている。
「とうさん、もうやめようよ」
 暁が告げた言葉を暁が少年と一緒に繰り返す。声は一つだけれど話すのは二人。
「とうさん、どうして忘れたの」
 ぼう、と頼りない声が暁の耳元でひとつ。
「ぼくは」
 槍の中で見た風景を思い出す。あの中の影達とそれを見ていた少年と。
 望む欠片はその時に暁は聞いていたのだろうか。少年の望みを、代わりに告げている。
「獣に殺されたんじゃない。襲われたけど生きていたのに誰が僕を殺したのか忘れたの」
 枯れ枝で代用出来そうな指がぎゅうと暁の衣服を掴み、強く強く握り締めた。
 息を呑む音。咽喉が裂けているのかと疑う程の強い風の音。
「僕の剣を僕に向けたのは誰だったのか忘れたの」
 縋る男の震える身体を強く折り砕く勢いで抱き締める。握り締める指は爪が背中に食い込む程深く強く、けれどその所為ではなく目の奥が沁みた。
(――父さん)
 甦る記憶は朧であったけれど、その情動に流されそうだ。
「とうさん」
 責める色の無い声。
 望むものが知れて暁は静かにポケットのナイフを取り出す。
 罪だろうか。罪だろう。自分の生きる世界で、この行いは確かに罪だ。
 けれど。けれど父さん。

「ねむろう?」

 枯れた身の内には何も無い。
 手応えも無く、砂を突く感触がおそらくは近く、そのまま崩れる抱き締めた相手。
 最後に微かに洩れた音が少年の名前であればいい。ただそう思い、男であった砂を見る。
「もう死んでいたのね」
「今、死んだんだろ……あの気の毒なツラ」
 双子の声を聞きながら、どちらでもいいとそう思った。
 どちらでもいい。男がこれで休めるのであればそれでいい。
 その気持ちは暁のものか、少年のものか。

「とうさん」

 耳に届いた再度の声。
 それは間違いなく少年ただ一人が紡いだ言葉。
 ゆるりと振り返る暁の目に、ああ、初めて表情を崩して泣き出しそうなくしゃりと歪んだ少年の顔。
 一滴の涙がその幼い頬を滑り、緩慢に、弛んだ音を立てて地に潜る。
 握り締めた剣が真白に光を照らしていた。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【4782/桐生暁/男性/17/高校生アルバイター、トランスのギター担当】

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■         ライター通信          ■
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・ラスト参加頂きありがとうございます。ライター珠洲です。
・多分プレイング凄く書き難いだろうなぁと思いつつなオープニングでした。男が最期にどんな顔をしていたかは想像にお任せします。
 ラスト話の締め方として今までと何が違う訳でもありません。ただこれでジェラルド串刺しからの男と少年のお話が終わったという事にはなりますけれど。薄暗い、救われない話にお付き合い頂き本当に感謝しております。