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■なつかしかかかさま■
「――気に入らねえ」
がらりと変わった声に電話の向こうで苦笑する気配があった。
加藤忍の嫌う種類の話だと、無論相手も理解している。その上で連絡して来たのであればあるいは忍に関わって欲しいと考えたのかも知れない。
草間武彦の事務所――要するに草間興信所であるが、そこに先日寄越された依頼。
『わたくしのお母様のお料理を用意して欲しいの』
それだけであれば忍とて喜んで協力しただろう。
だが、そのどこぞのお嬢様はあろうことか草間の目の前に札束を積み上げて無粋にも言い放ったという。
『お礼なら幾らでも』
金に糸目をつけない、それはどんなものでも金で手に入れる人間のする考え方。
人の情などまるで考えず、ただ金の力であれこれと手に入れて笑う輩のする事。
電話の向こうでされた説明からすれば、そのお嬢様は死んだ母親を懐かしんでそんな行動に出たのだとは思われるが、結果取った行動が忍の気に入らない。逆鱗に触れるとまでは言わないが、常の穏やかな声が慣れぬ者の背を震わせるものへと変わる程度には彼の怒りを買ったのだった。
「私が嘴を突っ込んで良いのなら、ケリをつけるまで口出しは無用」
どんな手段に出る気だといささか慌てる電話の相手――草間当人に緩やかながらも迫力に満ちた声で言い捨てると忍は電話を切る。
素直に断ればいいのに、うっかり貧乏してる目の前で札束詰まれてよろめいて、更にはお嬢様とやらの母を慕う声に流されて依頼承諾してしまうとは。その義理人情に厚い点は良いが、面倒な事を引き受ける奴だと。
そう思いながら抽斗から爪切りを出すと、ちょうど一仕事終えて数日経った為に伸びつつあった爪にあて。
ぱちん。
硬く軽い音が部屋に響く。それを押し潰すように低い声。
「――気に入らねえ」
ぱち、ぱち、と丁寧に爪を整えながらもう一度、忍は呟いた。
** *** *
料理人らしく、と言うのか。
もとから几帳面に整えられた忍の姿形。その切りそろえられた爪。指が老いた執事から札束を受け取るのはこれで一体何度目だろう。
『材料から吟味するのでどうしても時間も費用もかかります』
その言葉だけでぽんと金を放り出す少女に呆れ返るが、それにすらいい加減飽きてしまいそうな程繰り返している。
だがそれをおくびにも出さず今迄同様に深く頭を下げると忍は少女の家を辞した。
ある程度まで離れて振り返って見るのは、少女の父親が通学に不便だろうからと街中に用意した広い家。
用意するものが違うだろう、と見る度忍は思うが仕事仕事で娘に会う事自体が稀な男に会える筈も無い――忍が、その気になれば何処に男が居ようと容易く会えるがそういった意味では無いのだから。
金だけを与えられて育った娘。
母親が生きている間はその愛情が少女に人の絆を教えていたのだろう。血の繋がりの中でとしか理解は出来なかったようだけれど。
きっと少女の現状についても同情の余地はある。おそらくは。だがそれでも、金で全てを……母の思い出さえも手に入れる、そんな事が可能だと無意識の内に学んでしまっている姿は忍には許せなかった。それは人ではない。触れ合い、話し合い、関わり合ってその中で絆を作り上げていく、それこそが人である筈なのだ。
だから忍は金を奪う。口約束を繰り返して「お礼なら幾らでも」と、そう興信所で言い放った通りに幾らでも。
……あの少女が気付くまで。
例えばそれは常に控える老いた執事。例えばそれはせめて近い味をと苦心する料理人。例えばそれは穏やかに過ごせるようにと思い出のままに品を動かさず屋内を片付ける使用人達。
同じ家の中にいる者達との触れ合いに、彼らの優しさに気付くまで。
金を払い、払われる関係であっても、近い場所で長く付き合うその間柄。何某かの金銭の絡まぬ純粋な絆は確かにある。それに気付くまで。
懐に抱えて大事に運ぶ受け取った金。紙もこれだけあると重いばかりだ。
その札束の入った鞄を、しかし忍は帰宅するなり仕舞い込む。おそらくは忍の育ての親たる老盗賊以外には開くどころか見つけ出す事も叶わぬ隠し場所。その小ぶりな扉の奥。開けば今までに受け取った金が丁寧に積み上げられて。
腰を下ろしてそれを見遣りつつ、忍が思い返すのは今日の少女の表情だ。
その気になれば年端もいかぬ小娘の心の内なぞ容易く読み取れる。だが培った技術・能力であっても無闇と使うほど忍は無粋ではないし、下卑てもいない。人の心なぞ、軽々しく覗いていいものではないのだから。
その方針に従ってなお、忍は人の心・感情に聡い。それは彼の深い繊細な優しさによるものであるかもしれぬ。
「……次か、その次あたりか」
そうして見て取った少女の感情が、ここ最近の面会毎に揺れているのにぽつりと確かめるような言葉。
当初のただひたすらに高慢に、金を出せば母の思い出を得られるとばかりに良くも悪くも周囲を見ていなかった少女の気持ち。それなのに今は忍の言葉に頷き金こそ渡しながらも、時に執事を窺い、時に傍の使用人を窺い、そうして自分を疑うように瞳を瞬かせるのだ。
本当にいいのか。本当に正しいのか。本当にこれで思い出が得られるのか。金を騙し取られているのでは、金を無駄に使っているのでは、金を遣って正しいのか――金で、これは買えるものなのか。
小さな山を作る札束を眺めて忍が落とした言葉は、予測だ。
少女が金の化け物から、誰かとの絆を知る『人』に戻る時期。それはもうすぐだと。
「まずは人に。そうすれば温もりも絆も見出せる筈」
一見ただ開け閉めするだけの扉を複雑な手順で閉じていき、窓の外へ視線を投げる。
少女の家のある方角は日没の色を織り交ぜて美しくあった。
『母上が亡くなってから、ずっと一人でいたのですか』
初顔合わせの日、忍はそう問うて。
その時少女は何と答えたのだったか。記憶を探るまでもない。
『お父様はお忙しいし、ずっと一人で暮らしているの』
使用人達は数えるまでもないのだと、その様に怒りが過ぎてむしろ虚脱する程だった。
次に訪れたらもう一度、問うてみようか。
風呂上り、水気の残る髪を丁寧に乾かしながら眺めるのは札束の積もる場所。
気付いてくれるといい。
どれだけかかろうとも自分は付き合うから。
世を去った母の料理は母の温もりであると、本当に求めているのは母の料理に隠されたその絆、触れ合いであると。
誰かとの絆を求めてそれ程に母を求めるのだと。
それはけして金では買えない。
己の心一つ、その在り様によって様々に作り上げるもの。
それに気付くまで、幾らでも付き合おう。幾らでも少女を誤らせる金を奪い預かろう。
――けれどそれも、あと少し。
半ば確信、半ば希望、そしてあるいは控えめに主張する忍の力。少女の変化を自身の内側が訴えているのを忍は確かに感じ取っていた。
** *** *
『母上が亡くなってから、ずっと一人でいたのですか』
かつて少女から奪うばかりであった札束の山があった場所。そこに札束は無い。使い果たしたのではなく、返したのだ。少女が、人になったから。
元よりそのつもりで保管していた金だ。
ただ一度だけ、少女に料理を振る舞いそれに対する違約金あるいは遅滞金として支払った。
『ありがとう』
それだけを告げた少女。
同じ味であったかは明らかでないまま――忍の盗賊の技が職人の極みであるように、料理人達が同じ味に出来なかった料理を同一に出来たとは自分でも思わないが、少女はどちらとも判定を告げないままに皿を空けた。静かに皿を空け、そのまま静かに涙を零したので忍は何も言わずに家を出たのだ。声をかけようとは思わなかった。それは、少女の周囲にいる者達の役目。
(ただ通りがかっただけの人間がでしゃばるもんじゃねぇ)
報酬は、つまり皆無という形になったのだけれど金目当てに引き受けた訳ではなかったので問題無かった。
草間が嘆くだろうと少し頭の片隅で思っただけ。
忍はただ、少女に人の感情の温かさを、そこから培う絆の存在を教えたかった。それだけだったから。
満点という程の変化であったのか、見届けるべきだっただろうか。いや、少女の涙はきっと忍の望んだ変化の最初の欠片。それは断言出来る。心を読むまでもなく、その表情で解った事。
わざとそれまでよりも日数をあけて訪問した。
少女の変化があるだろうと期待、いや、信じたのだ。
そして訪ねたその家の応接間で少女に問うたのは、初めて会った日に聞いた事。
間に何を考えたのか、どんな風に思ったのか、心の変遷までは知る訳もないが返答は大きな進歩があった。
『……一人のつもりでいたの』
人になった、と。
金の化け物から人になった。
それを悟って忍はその日、初めて少女に料理を振舞った。心を込めて、母の温もりは無くとも、忍が少女を気遣うその温もりがきっと染み込んでいるだろう料理を。
『ありがとう』
その言葉を告げた時の少女の表情。
柔らかく、感受性豊かな様子が明らかなその年相応の顔。
「――いや、私は結構。草間さんも執事さんあたりからあれこれ聞かれただろうし、手間賃だと思って受け取って頂ければ」
謝礼が届いたと連絡を寄越した相手に返して忍は小さく肩を揺らした。
微かな微笑みは、相手の『いいのか?本当に貰うぞ……いやお前の性分は解ってるつもりだが』といった正直な言葉に対してではなく、思い返す少女の顔によるもので。
「うん。いいんです。私は」
窓の外を見る。
日は高く、いつだったかの夕焼けの幻想的な色は見えないけれど、その方角にある広い家に暮らす少女を思う。
「ちゃんと礼を受け取ったから」
おっとりと話すその脳裏にあるのはただ、少女の柔らかな感謝の声と涙を浮かべた笑顔。
それこそが金などよりも遥かに価値のある、報酬だった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【5745/加藤忍/男性/25/泥棒】
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■ ライター通信 ■
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・こんにちは。ライター珠洲です。何か古き良き時代なイメージのプレイングでちょっとうっとりしつつ。
・考えておられたお話と斜め方向にずれているかな、と思いつつ少女との直接の遣り取り、料理については描写を避けました。なんというのか、厳しいけれど生徒思いな先生ですとか、職人が弟子を鍛えるですとか、そういう奥底の優しさこそが加藤忍様かなぁ、とは思うのですがニュアンスは出ておりますでしょうか。なによりも触れ合いと絆、その形はライターもとても好きです。お金もまぁ、必要でしょうけれど気持ちはけしてそれだけで満ち足りるものではないと思ってますので。
ともあれ、再びの依頼参加ありがとうございました。
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