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<東京怪談・PCゲームノベル>


■弛んだ水音〜溢れるもの■



 く、と己のものとも相手のものとも明らかでない調子外れの吐息が耳朶を打つ。
 最早どちらのものであっても関係は無いのだけれど、咄嗟にどちらのものであるかと出所を探るのはどうしたものか。己の呼吸さえ相手のそれと混ざり合って感じられる程には長く刃を交えている証ではあるとしてもだ。
 ぎしぎしと軋みあう得物を滑らせて押し合い、一瞬の間に距離を取る。
(――簡単には、斬れないか)
 櫻紫桜の身の内で、抜き放たれる時を待つ刀。
 それは確かに類稀な一振りだ。けれど類稀なそれはけして斬る為にはその価値を示さない。
 少なくとも、紫桜の手によって振るわれる限りは斬り払う力を周囲に知らしめる事はないのだ。
 で、ありながら敢えて斬るべく刃を向ける先にあるのは対峙する少年が提げる剣。白く不透明なそれが何を素としているのか、それは槍の中で見た。あれが過去の繰り返しであるならば、少年の剣は、欠けた腕は。そのあまりに痛ましい姿こそが答え。
(深い)
 半歩滑らせて距離を測った。
 そもそも紫桜は協力者であって当事者ではない。
 肝心の双子が同行こそしているものの、背後で傍観している事こそ実際には奇妙なの筈なのだけれど。
 一本芯を通すその姿勢を崩さず紫桜は向き合うその小柄な姿を見据え、揺るがぬ切っ先越しに思い返すのは槍の中のあの時間。
『お前がなぜこんな目に合うんだ!あいつらを狩ったのは私達じゃない!』
『やつらを、やつらを狩るんだよ』
『お前の剣がこれだ。獣を狩る為の銀も』
『復讐だ!お前を殺したやつら全て狩ってやろう!』
 嘆くばかりであった男が終にはその手に提げた白い剣。
 少年の為にと男が掲げた白い剣。
 目の前で佇む少年の腕は、廃ビルでまみえた折とは違い、槍の中のあの瞬間と同じく。
「……あなたは、あの時に何をしたのか解っているんですか」
 隻腕の少年の、更に向こう。
 槍の中の最期のあの場面でさえこれほど衰えてはいなかったと、そう思わせる姿で男が二人を見ている。時折、少年に獣――双子を狩れと声を上げてはそれを阻む紫桜に怒声を浴びせる男が。きっと彼には自分の声は届かない。暗く病んだ眼がそれを教えるけれど、それでも紫桜は問わずにはいられない。この薄靄の中へと訪れてから幾度も繰り返した言葉を投げずにはいられない。
 かち、と微かな音。
 反射的に刀を立てて阻んだ少年の不透明な白い剣。その向こうの何も無い瞳。あの廃ビルでまみえた時よりもずっと虚ろな瞳。槍の中であった己の最期を見るのにも倦んだ気配、それさえも無く。その身体にはもう。
(居ない――魂は此処には居ない)
 理不尽な死から少年を救えなかった。紫桜にはただ槍を壊す事しか出来なかった。けれど槍を壊したのは紫桜だった。
 だから。
 だから紫桜が刀を抜く。

『俺に相手をさせて貰えますか』

 招かれて歩く中で双子に頼んだのは自分だ。
 槍を壊した以上、少年とそして男を止めるのは己だと思い定めて協力を求める草間を経由しての連絡に応じた。関わった以上、最後まで、とは疑いなく紫桜の本心であったけれど更に加えてのその決意。
 呼吸音さえ今や失せた少年の幼さの残る顔を切っ先越しに見る。
 意志どころか魂そのものが不在だとしよう。では何がこの子供を動かしている。男の言葉、それもあるかもしれない。けれど痩せ衰えいまや人と呼ぶにも躊躇する枯木じみた姿の男がそうそう声を出し続ける訳も無い。ちらと競り合う間に視線を走らせる少年の片手。その指が食らうかと考える程に強く握る剣の柄。その先の白く濁った――おそらくは、腕であったもの。
(斬って、落とす)
 己の手にある限りは鋭さを隠す武器であるけれど、今はこの硬い金属ならぬ剣に、それにだけでいいから鋭さを。
 何度目かの至近距離での打ち合いから一転、これも何度目かの睨み合いに。
 どれだけ時間をかけたのか、考える余裕も無い。どれだけ打ち合い睨み合い競り合い斬り合い、そして自分はどれだけ男に呼びかけたのか。少年には、瞳を見てそこが空虚であるのを悟った時点で呼び掛けてはいない。
 けれど、けれどもう最後だ。
 紫桜の推測でしかないが少年の握るその剣こそが今少年を動かす一番のものではないかと、そう思う。
 乱さずにと戒める息を更に深く広く。腹に溜める。体幹から四肢へ、末梢から軸へ、息と気を巡らせて相手を見据えると刀のその先端を向けた。
 最後にしよう、と口中で転がした言葉はきっと聞こえていない。けれどそれでいい。
 脳裏で巡る槍の中のあの悲劇。最早躊躇う時は過ぎた。靄を抜けて向かい合ったその時が躊躇する最後の時だった。
 蹴りだした靴裏を土が滑る。道場とは異なる抵抗の上をそれでも変わらぬ動きで足を滑らせて刀を。
(斬っても、砕いても、どんな形でもいいから)
 尋常ならざる力と速度で向かってくる白い剣を鎖骨から頤へと切れたと錯覚する近さでかわしながら踏み込んで、刀を柄頭から手に打ち据える勢いのままに鍔元近くで濁った白いそれに疾らせた。
「……ごめん」
 槍を壊す時にも同じ事を思ったなと心の隅で苦く思う。
 紫桜の望みに応えて刀が白く不透明な少年の剣を砕き細かく地に落ちるのを、己こそが骨を潰されたように痛ましく紫桜は見た。
「あああぼう、ぼう、ぼう!」
 ――少年がくたりと膝をつき倒れるのと、砕けた剣であった腕が地に欠片を落とすのと、紫桜が眦を揺らすのと、そして男が声を上げて歩く事さえも覚束ぬその骨と皮ばかりの足を動かして近付くのと、どれが一番早かったのか。
 振り返る、少年を倒した形になる紫桜には目もくれず少年ばかりを見て動く痩せた姿。
 普段の紫桜であればけしてしない行為。けれど拳を強く握ると紫桜はその手を男へと放った。
 気付く前に地に転がる男。
 双子は何も言わないまま。
「力が」
 男を見下ろして落とす紫桜の声は低い。押し殺し、奥にある感情を隠している。隠し切れず洩れるものは多いけれど。
「力が無いからと、嘆く気持ちは分かる。分かるけど」
 男には今も力が無く、少年が戦った。
 けれどそんな事ではない。
 紫桜に力が無かった。槍の中のあの繰り返しから男も少年も救い出せず、ただ壊すしかなかった。他に術を見出せなかった。その感情は様々に渦巻いて、そしてその中に怒りだとか悲哀だとかそれから――嘆きだとか。確かにある。けれど、けれどそれでも。
「それでも、間違えてはいけないものがある。その筈です」
 立ち上がるだけの力は無いのか、言葉を聞いているのか、動かない男の面が見えない事が紫桜の胸底を重く掻き混ぜてもそれを晒す事をよしとしない。感情のままに男に当り散らしてもどうにもならないのだと、強く戒めて。
「あなたは、あの時に何をしたのか解っているんですか」
 我が子の避けられぬ死を嘆いていた男。子を害した獣へと復讐したいと望みその挙句に我が子を閉じ込めた男。
「自分の子供でしょう?それを犠牲にして……そんな復讐にどれだけの価値があると言うんですか」
 爪が食い込む程に強く握るのは、男を殴り飛ばした時のままの拳。
 皮膚の下が細かな痛みに悲鳴を上げる。けれどまるで気にならない。何よりも今痛むのは、きっと自分の感情なのだ。
 そうして、瞳を揺らして問いかける紫桜のその先に倒れ伏したままでいた男がゆらりと身体を起こした。
 乱れた髪の下にある瞳は眼球ばかりが目立ってぎらぎらと光を映す。
「けものが、坊を殺したんだ。復讐だ、坊の腕を治さないと」
 そのしわがれた声が溢れてそして突然に途切れたのは、と振り返って理由を知る。
 ぼう。
 男の繰り返すそれだけが奇妙にはっきりと耳に残った。
(居たのか……いや、思念なのか)
 気配は感じられず、霊に似た感覚が思念だろうとは思わせるけれど少年のその顔は父に訴えているよう。
 はたはたと焦点の合わない瞳から零れる涙。それを見る男の瞳が誘われるように揺れて、ついに一滴。

 緩慢に、それだけが特別なもののように、ただ一滴。

 男が髪の先から、指の先から、その落とした滴から、塵となり水となり地に潜る。
 ただ「ぼう」と繰り返す男に紫桜の言葉が伝わったのかは分からない。男は少年の涙に促され泣いてそして今、居なくなる。
 人の相すら失った男がその形を失くす、その最後の一瞬までじっと見て。
「――あの子は」
 振り返った先。
 ゆったりと空を見て目蓋を下ろすと子供は水となり地に溶けた。
 後には、ただ白い剣があるばかり。


** *** *


 何故剣だけが残ったのか、手を加えられた為に完全に一緒ではなかったからなのか。
 少年の居た場所に寂しく転がる白い一振り。
 それを拾い上げて見る紫桜に双子がそれぞれに微笑んだ。
「お疲れ様、助かったわ」
「……お疲れさん」
 はい、と小さく笑う。笑えただろうか。自信が無い。
 その肩をそれぞれが軽く労わるように叩いて紫桜の握る剣を見れば同時。
「お墓作れるかしら」
「墓でも作るか」
 ちょうど紫桜を挟む形で双子が互いを見て、それから互いの言葉に頷き一つ。
 そのままどの辺りがいいとか、陽が当たるとか、花があるとか、あれこれと話し出し、そんな二人の遣り取りを見ながら紫桜が振り返るのは男の居た場所だ。
 塵と水になった男。
 彼は、彼に、自分の声は届いていたのだろうか。
(――ごめん、二人とも)
 最後の最後まで、自分は無力だった。
 何一つ救えなかった。
 強く振り切るように目を閉じる。

 せめて二人が溶けたその場所で、穏やかであるようにと。

 そう願う。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5453/櫻紫桜/男性/15/高校生】

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■         ライター通信          ■
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・ラスト参加ありがとうございます。ライター珠洲です。
・設定も展開も終わりも何もかも暗い流れですがどうでしょうか。戦闘を殆どの場面として合間に台詞だなんだと入る形です。お話の中では紫桜様が「無力だ」という形なのですが実際これだけ動く方は無力じゃないですよね。決断して、槍を壊した以上少年と男も、とその考えはとても嬉しかったです。男と少年の終わり方は基本方向なのであっけなく。男への呼びかけを有難う御座いました。多分、溶けた先で言われた事考えてるんじゃないかなと思います。気持ちはちゃんと残った筈ですから。ともあれ一番暗い流れにご参加、感謝致します。