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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


凶兆を告ぐるもの

------<オープニング>--------------------------------------

 日が落ちるのが随分と早くなった。
 アスファルトに残る昼間の日差しの熱気が、時折立ち昇ってきて鼻先を撫でる。しかし町並を囲む山から吹いてくる風は、もうすっかり秋のそれだ。ひやりとしている。
 肩に背負った三脚をがちゃがちゃと鳴らしながら、男は辛うじて舗装されている田舎道を足早に歩いていた。
 刻々と、周囲は薄暗くなってゆく。早く車を停めた場所まで戻らなければ、じきに真っ暗になってしまだろう。そう、文字通り真っ暗になるのだ、何しろこのあたりには街灯もロクにない。
 本当はもっと明るいうちに帰るつもりだったのに、次々と良い被写体に出会ってしまったものだから、つい時間を忘れてしまった。
 男が首から下げているのは、大きな望遠レンズのついたカメラだった。中のフィルムには、今日一日の収穫がたっぷりと収められている。
 ゲラやヒタキ、それから鷹や鳶。人里と山地の境界であるこのあたりは、野鳥観察の隠れた名所だった。そして、夏から秋へと急速な移ろいを見せるこの季節は、夏鳥と冬鳥の両方の姿を見かけることのできる、とても良い季節だ。
 暗室で現像する楽しみを思い、男は一人含み笑う。うくく、とちょっと変態じみた声まで出してしまったので、男は慌てて周囲を見回した。
 誰かに聞きとがめられはしなかったかと思ってのことだ。刈り終えた田圃に人影が見えたのでぎくりとしたが、案山子が立っていただけだった。
 ほっとした後、微かな違和感を憶えて、男は足を止めた。
 自分の足音が止まると、しん、と静寂が広がった。人影どころか、虫の声一つしない。
 山からは冷たい風。
 その風に首筋の産毛を逆撫でられたような気がして、男は暗い山を振り仰いだ。
 夕焼けの橙色が、黒い稜線のふちに滲んでいる。なだらかな曲線を描くその頂点から、黒い影が千切れ落ちた。
 鴉か、とまず思った。しかしそれにしては大きく、あまりにも動きが歪(いびつ)だった。
 その黒いものは、よろめきながら辛うじて、風に逆らって飛んでいるように見えた。高度を下げたり上げたりを繰り返しなたら、こちらに近づいてくるようだ。
 目を凝らすと、複数の翼が見えた。なんだか、数羽で絡み合いながら飛んでいるかのような――。
 テレビで見たことのある、猛禽同士が空中で喧嘩をする様子に似ている気がした。
 男は慌しくレンズキャップを外し、カメラを上に向けた。光が足りないので上手くフィルムに収めることはできないだろうが、せめて見たい。
 苦労して照準をあわせ、そして男は目を見開いた。レンズのとらえたものは、予想とは違っていた。
 太く爪の鋭い脚は、まさしく梟(ふくろう)のものだった。羽ばたきながら絡み合い、傷つけあいながら飛ぶ翼。それが一体何対あるのかはわからなったが、その全てが一つの胴体についているということはわかった。
「いち……に……さん……?」
 震える唇で、男は数を数える。それは、胸部から生えた首の本数だ。
 九本までは確認できた。その先についた頭は丸く、大きな目が正面を向いてついている。梟の顔だ。
 思わず、何度もシャッターを切った。だんだんと、奇怪な鳥は男に近づいてくる。
 望遠レンズではとらえきれなくなり、男はカメラを胸元に放り出して、直に空を見上げた。
 急速に高度を落とした鳥から、ぱっ、と黒いものが散り落ちた。翼同士の争いで毟り取られた羽毛と、その合間に何か重たい質感のものが混じっている。
 頭上を過ぎって行く影を、男は仰ぎ、見送った。首は十本だと、その時に気付いた。数え損ねたのは、その先に頭がついていなかったからだ。てらてらと光る傷口――いや、あれはもう傷ではなく切り口だ――が、粘ついた雫をふり溢している。
 翼の巻き上げる風に、男は思わず目を閉じた。生暖かいものが頬に落ちた感触がした。
 目を開いた時には、薄暮の空だけが広がっている。
 荒い息が落ち着いてから、ゆっくりと、男は頬を拭った。夢ではなかった証拠に、指が赤黒く濡れた。
 

                +++


 オカルト専門誌、月刊アトラス。その編集部には、日本全国北から南、ありとあらゆる怪情報が集積する。
 もちろん、ガセあり、誇張あり。アトラスがマニアたちの間で記事の信憑性において一目置かれているのは、有象無象の情報の中から記事になりそうなものを極めて正確にピックアップする、碇・麗香(いかり・れいか)編集長の優れた嗅覚に拠るところが大きい。
 今日もまた、編集部に怪しい情報を持ち込んできた男が一人。編集室の片隅に設えられた応接机で、碇編集長はその男と向き合っている。
「……首無し鳥」
 呟いて、麗香はすぐに頭を振った。
「いや、首はあるのね。十本も」
「あるんですよ」
 真顔で頷いたのは、情報提供者である男、鳥井・真人(とりい・まこと)である。渡された名刺によると、職業はごく普通の会社員だ。そんな彼が、週末の趣味である野鳥観察に出かけた先で、奇怪な鳥を見たのだという。
 それが、今机の上に広げられている数枚の写真が、それだ。黒い影の塊にしか写っていないが、それが異様な形をしていることはわかる。
「頭がない首が一本だけあって、そこから血を垂らしながら飛び回るんです。翼も頭と同じくらいたくさんあるもんだから、すごく飛びにくそうなんですけど」
 ふむ、と麗香は鼻を鳴らした。真人の、写真を指さしながらの説明で、思い当たった節があるらしい。
「鬼車(きしゃ)の記述に似てるわね」
「きしゃ、ですか?」
「オニにクルマと書いて鬼車。九頭鳥(きゅうとうちょう)とも言うわ」
「…………そうか。あの鳥は鬼車って言うんですね」
「十番目の頭は、矢に射抜かれたとも、犬に食い千切られたとも言われ……」
 麗香が言い切る前に、だん、と机に両手を突いて、真人が身を乗り出した。
「可哀相ですよね!?」
「……はい?」
「だって、ずっと怪我してるってことですよ。可哀相です。捕獲して保護して、治療をしてあげるべきだと思います! 野鳥友の会会員としては!」
 真人は真顔だ。流石は野鳥マニアといったところか。彼にとっては怪鳥も鳥は鳥であるらしい。ちょっと特殊なセンスかもしれないが、一貫性はある。
 受け答える麗香の胆もすわっていた。
「そうですね。ご承知のように、ただの鳥ではありませんから確実にというわけにはいきませんが。当編集部による取材の結果、保護が可能なようでしたら、検討しましょう」
 そう、どうせ取材するなら捕まえるところまで行かなければ。例えばツチノコやネッシーのような、UMA探索のノリで行ったほうがウケが良いだろう。見出しは、『血を流す怪鳥』ってとこかしら。いいえ、『肉迫! 凶事をもたらす呪われし妖鳥』くらいじゃないとインパクトに欠けるわね。
 高速で考えを巡らせる碇麗香編集長の前に、お茶の入った湯飲みが置かれた。運んできたのは平編集員、三下・忠雄(みのした・ただお)だ。
「あら。いいタイミングで来たわね、さんしたくん。話は聞いていた?」
 微笑んだ、麗香の眼鏡がキラリと光る。お盆を抱えて、三下は竦みあがった。
「聞こえてました。あの、鬼車って、中国の古い怪物で、禍(わざわい)をもたらすっていうやつですよね!?」
「正解よ。アトラスの編集部員として、勉強してるようね。感心感心」
 麗香は鷹揚に頷いた。勿論、三下の言葉の裏に隠れているのは、そんな怖いのの取材は行きたくないです!という彼の主張だ。
 が、例によって、麗香には通じない。というか無視された。
「さんしたくん。取材に行ってきなさい」
 艶やかな唇から、無慈悲な司令が下される。
「鬼車、できれば捕まえていらっしゃいね」


------<出発進行>------------------------------


 その週末、白王社ビルの地下駐車場にはアトラス怪鳥探索隊(命名:碇麗香)が集合していた。編集長が各方面に呼びかけて集めた助っ人達である。
「大勢で行くんですね」
 三下と二人で行くつもりでいた真人は、助っ人たちを見て目を丸くしている。
「モノになりそうな記事には人手と取材費を惜しまないのが、ウチのポリシーなの」
 見送りに出てきた編集長様は、どこか誇らしげだ。
「報酬ははずむから、よろしくね!」
 探索隊の面々に向かって、麗香は言った。
「ま、協力はさせてもらうけどさ」
 アルバイト代に惹かれてやってきた芽代・武蔵(めじろ・むさし)は、今日の足として三下が用意した社用車のボンネットに凭れて伸びをしている。
「あの、あの、よ、よよよ、よろしくおねがいしますねぇええ!!」
 三下が、ものすごい勢いで武蔵の手を握った。妖怪とも関わりを持つ忍者な高校生を、怖がりの三下が頼りにするのは当然であろう。泣きそうというか既に泣いている三下を無下に振りほどくこともできず、武蔵は困ったような顔で、横一文字にバンソウコウを貼った鼻筋を掻いている。
「ほんっとに、さんしたくんときたらいつまで経っても頼りないんだから……。あ、そうだ。もちろん必要経費はうちから出すからね」
 溜息を吐いた麗香が、思い出したように付け加えた。さもありなん、社用車の荷台は、探索隊によって持ち寄られた荷物でぱんぱんになっている。
「興信所の備品から持ち出してきた物もあるんだけど。その他の道具に関しては、後で領収書を渡すわ。現地で調達することもあるかもしれないし」
 トランクの隙間にクッションを押し込みながら、シュライン・エマが言った。麗香の友人というツテで声のかかった彼女は、都内某興信所の事務員を勤めているだけあって、経費関連のやりとりについては慣れている。
 トランクに詰め込まれた道具類の中には、捕獲用のネットが見えた。どうも新品ではない雰囲気だが、そんなものがなぜ「興信所」の備品なのかは、この際深く考えない方が良いだろう……。
「これ、入ります?」
 シュラインの横から、落ち着いた大人の男の声がかかる。トランクの中を覗き込んだのは、一色・千鳥(いっしき・ちどり)。これ、と言って彼が差し出したのは、四角い大きな風呂敷包みだ。
「ええ、入るわよ。……あら。もしかしてお弁当?」
「はい」
 包みから覗く重箱の松模様を見て中身を言い当てたシュラインに、千鳥が頷く。真人が歓声を上げた。
「ああ! 有難いです。あのあたりには飲食店もコンビニも無いんですよ」
「ええ、そう伺ったので、お昼だけでもと思いまして。あ、これは、あるもので簡単に拵えただけですから。別段、経費を出していただく必要はないですよ」
 麗香を振り向いた千鳥に、シュラインが首を振った。
「駄目よ。一色さんが作ったんなら、『山海亭』のお弁当でしょう? きっちり領収書を切ってもらわなきゃ罰が当たるわ」
 山海亭とは、千鳥が営む小料理屋の屋号だ。シュラインはいつぞやの花見の席でその味を知っていたし、麗香にもその名に聞き覚えがあったらしい。
「締め切りさえ近くなければ、一緒に行くのに……っ!」
 記事だけ書いていれば良いという訳ではない、編集長という立場が恨めしい。悩ましげに唸っている麗香に、千鳥が歩み寄った。
「すみません。出発の前にお伺いしたいのですが、その――鳥を、捕獲してからどうなさるおつもりなのでしょう?」
「あ! それは俺も気になるんだけど」
 千鳥の言葉に、武蔵が同調する。
 軽く瞠目して、しかし麗香は笑って答えた。
「今のところなんとも言えないわ。『捕獲に成功』って記事が書けさえすれば良いから、さんしたくんとツーショットの写真くらい確保できれば、それだけでも文句はないし。人に害をなすものなら駆除した方が良いとも思ってるけど」
 そこまで言ってから、麗香は言葉を切り、そして続けた。
「ただ、頭を一つ失って血を流し続けるのが、『鬼車』の姿でしょう? ……いちオカルトマニアとして、興味はあるの」
「え。な、なんですか編集長? 興味って」
 初耳だったのか驚いた顔をしている三下に、麗香は答えない。自分で考えろということらしい。
「僕は、痛みを感じているのなら、例え怪物でも、治療してやりたいと思っています」
 おずおずと、真人が口を開くと、千鳥の問はそちらに向かった。
「では、敢えて言わせて頂きます。それがどういう結果を呼ぼうとも、責任を取る覚悟はおありですか?」
 千鳥の真剣な視線に射られ、真人は一瞬怯んだが、やがて深く頷く。
「わかりました。では私も、それなりの覚悟はして参りましょう」
 真人の目を見て、千鳥はゆっくりと息を吐いた。
「痛みを和らげてあげられたらって気持ちは共感できるわ。獣医さんに相談して、色々道具は揃えてあるから、頑張ってみましょう」
 シュラインがトランクを閉める音が響く。荷物の準備は終わったようだ。頭の上で腕を組んで黙って聞いていた武蔵が、ふと気がついた、という顔で言った。
「なあ。ところでこの車、俺ら全員乗れんのかな?」
 白王出版株式会社と横腹に書かれた車は、普通車だ。
「あと一人来るって言ってたよな? したら、どう頑張っても一人漏れるんじゃないか?」
 しーん、と静まった。交通手段はアトラスから、という連絡を回したのは三下である。車を用意したのも三下である。しかし、部下のミスに今の今まで気付かなかったのは麗香である。私としたことが、と敏腕編集長が呟き、スミマセンと三下がすくみ上がった時、エレベーターの扉が開いた。
 カツン。地下駐車場のコンクリート壁に響くのは、上質な靴が鳴らす足音と、杖を突く硬い音。
「申し訳ありません、遅くなってしまいました」
 歩み寄ってきた青年は、耳に心地の良い声で謝罪した。四人目の捜索隊メンバー、セレスティ・カーニンガムである。一礼する典雅な仕種にあわせ、水を細く紡いだような銀色の髪が揺れた。
「適当な容れ物を見繕うのに手間取ってしまって」
 フロックコートの内ポケットからセレスティが取り出したのは、真人が撮影した怪鳥の写真だった。写真の背景と比較して鳥のサイズを推定し、捕獲成功時のためのケージを用意して来たというのだが、彼は徒手だ。
「皆さんどうなさいました?」
 真人に写真を返しながら、セレスティが首を傾げる。
「セレスティさん! お車っ! お車でっ、いらっしゃいましたか!?」
「はい。外で待たせてありますが」
 泣き付いた三下に、微笑みと共に返事が返ってくる。地獄に仏ならぬ、財閥総帥様である。
 かくして、運転手つきの豪勢な車と、三下の運転する普通車とに分乗して、一行は目的地へと出発することになる。
 外に出れば、爽やかによく晴れた、いかにも秋を感じる朝だった。


------<遊山に非ず>------------------------------


 山間の町には、丁度昼ごろに到着した。
 適当な空地にレジャーシートを広げ、山の青と稲刈りを終えた田園風景の黄色とに囲まれて昼食を摂る――という、一見のどかな絵だが、交される会話の内容は作戦会議である。
「先ずは落とさなきゃ話になんないだろ。俺、攻撃はできるけど、問題は場所なんだよなー。ちょっと派手にやった拍子に、家とか壊すと不味いだろ。……いや弁当は美味いけど」
 栗おこわのおにぎりを頬張りながら、武蔵が言った。
「犬の吠え声で追い払った、っていうわよね。だとしたら、狙いの場所に誘導することは可能だと思うわ」
 サワラの西行焼きの身を割り箸でほぐしながら、シュラインが言う。
「火の光に弱いということですから、蝋燭などを灯して落ちてくるのを待つのも手だと思いますよ。……どうぞ」
 千鳥は自分でも食べつつ、手際良く給仕をしている。言いながら、魔法瓶からカップに注いだ澄し汁に毬麩を足して、セレスティに渡した。
「ああ、ありがとうございます。……では、夜までに棲処の見当をつけておいたほうが効率が良いでしょうね」
 カップに口をつけてから、セレスティは息を吐いた。
「さて、捕獲のほうはともかく、治療はどうでしょう。データベースで調べたところ、鬼車という鳥が生まれたとされる時代は非常に古い。首を落とされたのは古代中国の周時代のことだと言う説があります。つまり、血を流しながら現代まで生き続けているということになりますか。肉体を伴う生物であるかどうか、一寸判断がつきにくいですね」
「薬や治療が、無意味かもしれないということですか」
 ほうれん草の胡麻よごしを飲み込んで、真人が口を開いた。取材に加わるにあたり、少しは怪異への考え方を学んできたようだ。
 少し考える仕種の後、セレスティは首を縦に振った。
「捕えてみなければ何とも言えませんが」
「……俺は、意味があってもなくても、治療のほうは手伝わねえぞ。あんま、そういうのは良くないと思うぜ」
 言って、武蔵は揚げ春巻きにかじりついた。トロリと出てきた中身のキノコと春雨は、出汁の効いた和風の味だ。冷めても美味しい、絶妙の配合だ。
「何にせよ、このあたりに住んでいる人にも話を聞かなくちゃね。それに、事情も説明しなくちゃ。どのあたりに出没するのかも詳しくリサーチすべきだし……手分けしましょうか」
 ぱたりと、シュラインが使い終わった箸を紙皿の上に置いた。
「夜になったら、捕物よ」
「と、捕物、で、す、か……っ」
 シュラインの言葉に、三下が肩を縮め、松葉に刺さった銀杏を箸から取り落とした。
 

------<棲処>------------------------------


 千鳥とセレスティは真人と同行し、怪鳥の出現場所の確認を請け負うことになった。
 向かう先は、真人が先日鳥を目撃した場所である。足の弱いセレスティは車椅子を利用しており、段差の多い田舎道なので千鳥が度々補助している。
「飛び立ったのは、あのあたりからです」
 先導していた真人が山の裾に立ち、頂を指差した。
 見上げ、セレスティは目を細めた。光の強弱だけがわかる彼の目にも、晴れた空は殊更眩しい。
「この山には梟は多いのですか?」
「小型の猛禽なら。僕は行ったことが無いんですが、山の奥の方まで行けば営巣が確認できるらしいです」
 野鳥友の会会員と言うだけあって、真人の返答はよどみがなかった。
「ああ、確かに。鳥ばかりでなく栗鼠やネズミなんかの小動物も多いですし、小さいけれど豊かな山のようです。姿の通り梟に近い生活をしているとしたら、棲みやすいのでしょうね」
 二人と同様に山を仰ぎながら、千鳥は言った。
「え?」
 まるで見てきたようなことを言うので、真人が怪訝な表情で振り向いた。
「ああ。便利な目をお持ちなのですね」
「ええ、まあ。こういう時には役に立ちます」
 唇に笑みを乗せたセレスティに、千鳥は笑い返した。穏やかに細められた千鳥の金色の瞳は、千里眼だ。
「……何か、古い人工物がありますね」
 千鳥の目は、真人の指差したあたりの木立の中に朽ちかけた祠(ほこら)を見付けていた。破れた屋根の下に、苔むした石像が見える。
「お地蔵さん……ではないようです。道祖神でしょうか。鬼車と関係があるかどうかは分りませんが、このあたりには昔中国からいらした方が住んでいたのかもしれません」
「成る程」
 興味深げな表情で、セレスティは呟いた。
「人と一緒に、伝承とその対象も大陸から渡ってきたということでしょうか。それならば日本に中国の妖が居るというのも、納得行きますね」


------<キュウトウさん>------------------------------


 一方、三下と共に周辺住人への聞き込みをすることになったのは、シュラインと武蔵だ。
「また、あの鳥が飛んでいるのか」
 刈り終えた田で干した稲を取り込む作業をしていた男性に声をかけ、訪れた理由を告げるとそんな言葉が返ってきた。
「あ? ……また??」
「首と羽がたくさんある、気味悪い鳥でしょう? 昔っから、このあたりにゃ出るよ。うちの婆ちゃんは、キュウトウさんって呼んでたっけ」
 聞き返した武蔵に、横から聞いていた男性の妻らしき女性が答えた。
「キュウトウさん?」
「九頭鳥、から来ているんじゃないかしら。もう、鬼車だと思って間違いなさそうね」
 メモを取りながら首を傾げた三下に、シュラインが言った。
「俺らの爺さん婆さんの時代には、猟銃で撃ったりなんだりしてたらしいんだが、殺したと思ってもまたどこかから飛んでくるから、もう放っておこうってことになったって聞くよ。そうか、また飛んでるか……近々どっかで葬式が出るかもしれないな」
 よく乾いて藁の匂いのする稲束を軽トラックに乗せながら、男は眉を曇らせる。葬式、という言葉に反応して、三下が「ヒッ」と喉を鳴らした。
「あの鳥の血が屋根に落ちた家には不幸が来るって、ずいぶん怖がる人もいるけどね」
 三下のビビりぶりを見て、女が豪快に、からからと笑った。
「そりゃ、私も気味が悪いから、追い払ってくれるって言うんなら嬉しいよ。でも、まあ、あれは下駄の鼻緒が切れたの、黒猫が前を横切ったのって言うのと一緒だ。キュウトウさんが飛ぼうが飛ぶまいが、人生ずーっと不幸ナシなんてこと、有り得ないんだから」
「は、はあ……」
 恰幅の良い小母さんに背中を叩かれて、三下はそれでも不安そうな顔をしている。
 恐怖で頭が回らなくなってしまったらしい三下のかわりに、鬼車を捕獲して治療を試みてみるつもりだということをシュラインが手短に説明した。 
「ああ、夕方にはここも片付くし、うちの田圃なら使ってもらって構わないよ。あの案山子の立ってるとこから、あの木のとこまでがうちのだから」
 快く土地の使用を承諾し、男は指差しながらその範囲を示した。ちょっとした小学校の運動場くらいの広さはある。
「これだけ広ければ、不自由ないわね」
「うん、ばっちし」
 シュラインに視線をむけられて、武蔵が頷いた。


------<捕物>------------------------------


 薄暮の闇の中で、彼らは目を覚ました。
 体は一つでありながら、彼らの意志は一つではない。しかし、目指すもの、心地好いと感じるものは同じだった。
 新円に開いた瞳孔が、下界に――山の裾野に広がる人家の群れに向けられる。薄紺の夕闇の中で黒く見える屋根。その中の一つを、彼らは見詰めていた。そうだ、あそこが良い。
 てんでにばらばらに、翼を広げる。絡み合った翼が、和毛(にこげ)を飛び散らせる。
 蹴爪のついた足で枝を蹴り、飛び立った。
 欠けた首は熱い痛みを訴え続け、血潮を吹き出している。それでも、先を争うように、彼らは黒い屋根を目指していた。彼らの目には、その屋根の下から漏れ出てくる禍の気配が見えた。
 禍のある場所を、彼らは好んでいた。その上を飛んでいる間だけは、痛みを感じなくなるからだ。
 血と羽とを散らしながら、彼らはよろよろと無様に飛ぶ。もうすぐだ。そう、思った時だった。
 嫌な、嫌な音がした。耳障りに唸り、吠える。
 人間が、家に繋いで飼う――犬の声だった。驚いてそちらを見る。人影が見えた。男だ。手に何かを持って、掲げている。それが何なのか、確認する余裕も知恵も、彼らにはなかった。
 旋回し、そこから逃れた時、またそちらから犬の声がした。人影がある。今度は女だ。
 尚も人家の方向へ向かおうとするもの、逃げようとするもの、統率が取れず高度が落ちる。なんとか墜落を免れ、気がつけば人家の方向からは離れ、田畑の上を飛んでいた。
 いけない。再び旋回した時、昇ったばかりの白い月に黒い雲がかかるのが見えた。
 次の瞬間、突然我が身を襲った衝撃に、彼らは悲鳴を上げた。
 尾羽を掠めたのは、雷だ。青白い雷華を纏った黒雲から、一匹の獣が現れた。虎の体、蛇の尾。
 獣が、空中を駆けた。咆哮と稲妻が、彼らの身を竦ませる。
 逃れるために、高度を落とした。苅田の中に、人間――まだコドモだ――が立っている。射るような視線が、彼らを見上げてくる。雷を操る獣は、その指示に従っているようだった。ぱん、と手を鳴らし、コドモは複雑な形に印を握る。獣は首を巡らせ、彼らを追ってくるのを止めた。
 ――行ったぞ!
 コドモが何か声を上げる。遥か後方にそれを聞き、そして。
 地上に灯った小さな炎を、彼らは見た。人里によく灯る、青白い明りならば恐ろしくはない。しかし、小指の先ほどのその炎が発する光は、彼らの目には強烈にすぎた。
 急速に瞳孔が閉じる。が、間に合わない。
 目が眩んだ。平衡感が失せた。
 何が起こったのか全く理解できなかったが、墜落した体を何か柔らかいものが受け止めたことだけはわかった。
 血を飛び散らせながら闇雲に暴れる彼らに、藁を踏んで近付いてくる足音がある。眩んだ目に、杖を持った人影が見えた。
 杖は、彼らを打つことなく、地面に置かれた。
 ――大人しくなさい。
 言って、人影が膝をついた。白い手が傷口に触れた時、あふれ出る血を介して流れ込んできた力が、彼らの動きを制した。
 気がつくと、たくさんの人影に囲まれている。
 伸びてきた何本かの手が、傷口に何かを施しているのがわかった。こんなことは初めてだった。が、不快ではなかった。
 ――かわいそうに。
 誰かが言った。心地好かった。
 禍の予兆に身を浸すことよりも、ずっと。
 

------<凶兆を告ぐるもの>------------------------------

 すっかり日の暮れた田圃に、蝋燭と懐中電灯の明りが灯っている。
 その明りの中、アトラス怪鳥探索隊の面々が、四角いケージを囲んで立っていた。
「上手く行きましたね」
 セレスティが言って、鬼車の入ったケージに手をついた。プラスチック製のそれは、傷病した猛禽を保護するための専用のもので、わざわざ鬼車のサイズに合わせてセレスティが造らせたものだそうだ。
「あんなに走ったのは久し振りでしたよ」
 ふう、と息を吐いた千鳥の手には、小型のテープレコーダーがあった。中身のテープは、シュラインが犬の吠え声を録音してきたものだ。
「確かに。結構ハードだったわね」
 犬の声の再現で酷使した喉を撫でながら、シュラインも息を吐く。
「おーい!」
 あぜ道の向こうから、武蔵が手を振った。走って追いかけたり、忍術で鵺を呼び出したりという活動を終えたばかりだというのに、流石忍者な高校生、元気である。
「これ、さっさと片付けようぜー!」
 武蔵はもう片方の手で、シュラインが持ってきたネットの端を持ち上げている。落ちてきた鬼車を保護するために、田圃にネットとクッション材を張っていたのだ。
「……ねえ、そういえば、一人足りないんだけど?」
 ネットを抱えて戻ってきたシュラインが、周囲を見回しながら言った。
 足りない一人は、勿論というかなんというか、シュライン、千鳥と共に犬の声で鬼車を追う役だった三下だ。
「待機場所に行く前に転んで気絶していらしたので、車で寝かせていますよ」
 セレスティの応えに、お約束ねとシュラインは苦笑した。
 マットやクッションを抱えた武蔵たちも戻ってくる。
「さて。この後、鬼車はどうなさいますか?」
「ひとまずは、野鳥友の会で知り合った獣医さんに預かってもらう約束をしています。説明したときゼンゼン本気にしてなかったし、見せたらびっくりするでしょうけど」
 セレスティの問に、真人がそう答えた。
「そうですか。では、うちの車で、そちらまでお送りしましょう」
 よろしくおねがいします、と真人が頭を下げる。
「あんま、妖怪を人間の都合であれこれしすぎるのはよくないぜ。俺みたいに苦労するから」
 武蔵が言った。
「……心しておくよ。普通の鳥とは違うものだって、近くで見てよくわかったから」
 真人は頷き、ケージの中を覗き込んだ。そして声を上げた。
「えっ」
 光に弱い鬼車のために黒いメッシュの張られたケージの格子の中を、真人は角度を変えて何度も覗き込む。
「そんな!?」
 真人はケージの扉を開き、瞠目した。
「――いない!」
 中には、血痕と僅かな羽毛だけが残っていた。


                  +++


「そう。消えてしまったのね」
 翌日。
 三下の報告を受けた麗香は、あまり驚いた顔をしなかった。
 編集長のデスクから漏れ聞こえてくる会話を聞きながら、事件に関わった面々は応接机に集まっている。
「傷の治療で、怪異としての存在意義が消えてしまったということなのかしら」
 言って、シュラインは紅茶を一口含んだ。
「それは、僕が治療してやろうなんて思ったせいで、死んでしまったということになるんでしょうか。悪いことをしてしまったんでしょうか」
 真人は少々落ち込み気味だ。
「どうだろうな。なんれもかんれも、人間側の判断基準で見てちゃ駄目だぜ。あいつらは、俺らとは違う理に従って生きてるからな」
 茶菓子のクッキーを頬張りつつの科白で途中くぐもったが、武蔵の言葉は真剣であり、複雑だ。
「そうですね。良かったか悪かったか、私たちに判断することはできないでしょう――」
 ゆったりと紅茶の湯気をくゆらせながら、セレスティが言った。
「悔やむこともあるかもしれませんが、恥じる必要はないと思います。あなたが決意して、私たちが行なったことに対する結果なのですから」
 静かに言って、千鳥はカップをソーサーに戻した。
 編集長のデスクから聞こえてくる声は、段々笑いながら怒っている響きを帯び始めている。
「面白い記事には、なると思うわ。ただ、ただね、さんしたくん。どうして写真の一枚も撮っておかないの、か・し・らー? フラッシュなしで撮れる、良いカメラと良いフィルム、持って行ってた、わ・よ・ねー?」
 それは、肝心な時にずーっと気絶してたからです、とは言えず三下はデスクの前でガタブル震えている。
 凶兆を告げる鳥は消えてしまった。しかし、三下にとって一番の凶事は、今まさに訪れている真っ最中のようだ――。



                                          END.





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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま/26歳/女性/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883/セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)/725歳/男性/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【5579/芽代・武蔵(めじろ・むさし)/17歳/男性/忍者な高校生】
【4471/一色・千鳥(いっしき・ちどり)/26歳/男性/小料理屋主人】

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          ライター通信         
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はじめまして、もしくはいつもお世話になっております。
担当させて頂きました、ライターの階です。
期日ギリギリの納品、もうしわけありません。
怪我をしているもの、として存在しているのなら、それを治そうとしたらどうなるか。今回は、目的と結果が矛盾する、というのがテーマでした。
鬼車という妖怪について、ライターが勝手に発想した設定が多く用いられていることをお詫びします。禍をもたらすという鬼車の性質については、禍を嗅ぎ付けてやってくるので、人間にはまるでこの鳥が悪いことを連れてくるように感じる、という風に受け取っています。(その他、鬼車は夏の夜に出没する怪鳥、という点など色々と無視している部分もあります……)

>シュライン・エマさま
 物語の芯になる部分をプレイングに織り込んでくださっていたので、ドキっとしてしまいました。
 やられた!という感じです。
 興信所には謎の備品がたくさんありそうだな…と少し思ったので、道具の一部は興信所から持って来ていただきました(笑)。


「捕物」の部分は、鬼車の視点からの描写になっています。どんな思いで消えていったのかは、そこから読み取っていただけましたらと思います。
PCの皆さん、それぞれが、鬼車に対して違ったスタンスを持って下さっていて、OPを提示した者としては、とても楽しく書かせて頂けました。
読んでくださる皆様にも、楽しんで頂けますと幸いです。
では、ありがとうございました!
またの機会がありましたら、よろしくおねがいします。