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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


歪んだ童話の壊し方


 出来ることならこれ以上悪くならないで欲しいのだが、残念ながら動き方によってはそれは叶わないのが現状だ。
 つまるところ、即座に何とかしなければ問題が山積みなのである。
「とにかく顔だけでも出して、ナハトに手出しさせないよう足止めはしてみる。何か、色々あった様だしな」
 時計と携帯を交互に見た狩人が席を立つ。
「俺が居ない間は何かあったらかなみに言ってくれ、俺に伝わるように細工はしてあるから」
 直接狩人の携帯と家の電話の両方に呼び出しが掛かってくるようになり、引き延ばしももうそろそろ限界だろうと判断してのことだ。
 あまり時間を与えるのも良くはない。
「俺は向こうの様子見に行っても良いか?」
 そう言って立ち上がったのはりょうに視線が集中はしたが、たじろぎはしない所を見るとそれが危険だとは解っているのだろう。
「今は俺触媒能力者じゃないから……ッてのは隠した方が良いとしてもだ。向こう、夜倉木が動かないらしいんだ。色々気になることもあ

るし」
「ナハトは?」
「あの場所には居ない。それに能力を渡したときに繋がりも切れてるから、俺は探せない」
 一拍間をおいてから、もう少しだけ付け足す。
「場所ははっきり解ってるから直ぐに飛べる。けど俺だけじゃ生きてる人は連れて行けないんだ。何か持って行く物とか、伝言とかあった

ら今のうちに頼む」
 時間は何時だって必要な時ほど足りないのだ。


 見えるのは暗い空。
 感じるのはたゆたう液体。
 無理矢理注ぎ込まれる情報が、ナハトにこれが何かを教え込んでいた。
 死者で作られた鎧は命ある物を力にする。
 これにとって生者は餌でしかないのだ。
 狩るための。
 喰らうための。
 死と生を踏みにじるために作られた兵器。
 その名はジャバウォック。

 意識はある。
 思考することも出来る。
 これは今、幾つかの不具合を起こしているらしい。
 不意を突き切れなかった事。
 何かの妨害。
 これの弱点も曝されている。
 伝えなければならない。
 だが、どうやって?
 知りうる知識は、伝えられなければ何も意味をなさないのだ。
 思考が歪む。
 たゆたう物に全てをゆだねてしまえと囁かれる。
 そうしてしまえたら、きっと楽になれるはずなのだ。
「………っ!」
 いつまで堪えられるだろうか?
 これらは逆に考えれば……意識がある事はきっとチャンスなのだ。
 今ナハトが手にしている、数少ないカード。
 少しでも優位に動けるよう、動かなければならない。
 使いどころを間違えないように今は体が動くままにしておく。
 時が来るまでは、命令通りに動こう。
 探さなければならない。
 見つけ出して……それから?
 流されそうになる思考を止め、意識を保つ事だけに集中する。
 抵抗し続け無ければならない。
 耳鳴りのように響く、ジャバウォックの詩の呪縛から。





 ■通路


 IO2本部。
 ざわつく通路から、悠也と北斗の二人が騒ぎに乗じて抜け出すのは容易なことだった。
 念のため来た時と違う通路から戻りつつ、簡単にどうするかを決めておく。
「良かったのか? 事情も説明しないで」
 連れて行こうとした職員等と、千里を連れ去った黒い水。
 職員は流石に気づいていないだろうが、それが何か調べられそうなサンプルは悠也がしっかりと手に入れている。
 考えずともうんざりするほどの追求を受けるだろう事は明白であるのだが……二人がそのごたごたを抜け出す口実にしたのもまた事実だ


 背後に気配を集中しながら問う北斗に、悠也がそれなら大丈夫と補足をしてくれる。
「結界はあの場にいた全員に張りましたが、皆さん驚いて動けないようですから」
「………驚いて?」
 口調こそのほほんとしているが、何かをこっそりとしたらしいとは朧気ながら理解できた。
 もっとも面倒なことが幾つか減ったのだから、それで良いかとも思う。
「少し立て込んでるようですから。今の出来事を代わりに伝えてもらって良いですか?」
「構わねぇけど、そっちはどうするんだ?」
「俺は他に用事が出来てしまいましたから」
「解った」
 時間がないのは確かだ。
 にこりと微笑む悠也に、頷き走り出す北斗。
「……さてと」
 後ろ姿が通路の角に消えるのを見送ってから、悠也が誰もいない通路で呼びかける。
「悠、也。お使いを頼みます」
『お使いですー♪』
『ゆうびんやさんです☆』
「『水』をお願いします」
 頼んだのは特製の聖水。
 普段なら効果が高すぎると使うことはないのだが、こんな時なのだから特別だ。
「羽澄さんに一つ渡してください」
『はーい!』
 澄んだ声に、元気の良い声がぴたりとそろって返された。
 これで大丈夫。
 後は……。
「急いだ方が良さそうですね」
 どうするかはもう決めて居た。
 すっと悠也の姿が薄れ、通路の白に溶け込んでいく。
 数秒後。
 そうして、その通路には誰もいなくなった。





 ■本部1


 本部内、狩人宅。
 幾重にも施された結界の中にいるのが一番安全なのだが、出なくてはならない状況なのだから仕方がない。
 携帯でディテクターに向こうの詳細を聞くが、あまり状況は良くないようだ。
「そっちはよろしく頼むな」
「待って」
 用があって呼び止めたシュラインの声と重なるように、何事だと思うほどに鳴らされたチャイムの音。
「北斗くんが戻ってきたみたい」
「一人で?」
「みたいだな、理由はまあわかるけど……ちょっと待っててくれ」
 とにかく急いでいる様だとかなみが扉を開くと、勢いよくなだれ込んでくる北斗。
 何があったのか見守る視線を受けつつ、説明しようとするが。
「いま……」
「通路でも色々あったんだろ、その事も含めて連絡がきたから行くところだったんだ」
「」何だ……知ってたのか」
 なんて早いとあっけにとられる北斗に、狩人が念押しで確認しておく。
「とは言っても実際に見た方が確かだろうからな、気づいたことがあったら言ってくれ」
 考えたのはほんの一瞬。
 堰を切ったように話したのは様子を見に行った先であったこと。
 騒ぎのあった病室で千里が能力の暴走。
 そこから戻る途中ディドルと操られた千里。
 呼び寄せた黒い水。
 一瞬でその大半は夢うつつであったかのように消え去りはしたが……。
「証拠は残ってる」
 差し出した掌にはディドルが持っていたシルバーアクセサリの十字架。
「これと黒い水は関係してると思う」
「なるほど……だとすれば今俺が持ってくのもまずいだろうな」
 このまま北斗が持っていると言うことで良さそうだ。
「そっちは? ごたついてる見てぇだけど」
「虚無に行った方も厄介なことになってるみたいでな。ちなみに兄の方にケガはないそうだが」
「……」
「じゃあ詳しくはかなみ達に聞いてくれ……っと、どうしたシュライン。途中で悪かったな」
 何かを言いかけていた途中だったと、シュラインの方へと振り返る。
「行く前に間に合えば良かったから。私も同席させてもらっても?」
 複雑な状況が入り組んでいそうだから同行しても大丈夫かと思ったりもしたのだが、その心配は直ぐに解消した。
「おお、大丈夫大丈夫」
 あっさりと返される答え。
「平気ならいいのだけど」
 こうなると付いていく事を予想していたか、何かあるのではと思えてしまう。
「まあ何だ、込み入った会話になるからな。聞いてる人間は多い方が良いし」
「なるほど……」
「準備は?」
「いまの内に……」
 聞き取れたのは僅かだったから、何であったか思い出すのに多少の時間はかかったがマザーグースに関わっていることが多いと気づけば

直ぐに解った。
 ボイスレコーダーに歌の一節を録音し、りょうに手渡す。
「今の歌は?」
「ジャバウォックの詩よ。この辺りもキーワードになってそうだから、これで足止めが出来るかも知れないと思って。幾つか気になった事

もここに書いておいたからよろしくね」
「解ったわ」
 メモを受け取った羽澄が、文字を目で追い頷く。
 対魂・生命食いに気をつけて欲しい等、きっちりとした字で書かれている。
「じゃあ、また後で」
「よろしくね」
「行ってらっしゃい」
 狩人とシュラインが部屋を後にし、今度はりょうに視線が集まった。
「俺も様子を見に行こうと思って」
「向こうの?」
 電話越しの会話とりょうが僅かな間だけ見たという向こうの様子を聞いた限り、あまり良い状況と言えないのは確かだが。
「ナハトも夜倉木もやばいみたいだしな」
「外に出て平気なの?」
「今なら結界も分けてもらってるし、気配も多少変わってるからバレはしないと思う。直ぐに戻ってくるから」
 ハタハタと手を振るりょうに、一つ気になったことを羽澄が問いかけてみる。
「りょうが触媒能力を持ってないって言うことを見抜かれてもまずいと思うけど」
「………」
 どうやらその事は頭の中から失念していたらしい。
 やっぱり何処か抜けていると羽澄がため息を付く。
「鈴は持ってるわよね」
「ここにあるぜ」
 ベルトにくくりつけた鈴をリンと鳴らす。
「そのまま持ってて。役に立つし、状況が解るから」
「もちろん」
「後は手に模様を描くというのは?」
「ああ、それは確かに」
 汐耶の意見に納得しつつ、差し出されたペンを受け取る。
 普段はっきりと見える物がないとまずい。
「で、どんな模様だったんだ?」
「確か写真に残ってたはずだけど……ころころ変わってたわよね」
 資料としてリリィが持ち出したのは背や腕を写した写真。
 どれも大なり小なり変化しているのか解る。
 使用した能力と共に変わるなら、多少違っても良いかもしれないが、全くでたらめなのもどうかとは思う。
「それっぽいので良いのか?」
「私がそう見えるように書きますから。今までとは違って属性の微調節が出来ませんから、気をつけてくださいね」
 首をかしげた北斗に、りょうが手に持っていたペンを取りつつメノウがさらさらと模様を描き始めた。
「それは……何となく解る」
「何となくで扱うのはやめてくださいと言ってるんです」
 はっきりと言い切られ、返す言葉もなく撃沈。
 模様を描く間、持って行ってもらう物をいまの内に用意しておく。
「他に誰か直ぐに飛べたりはできないの?」
「そうね、前家から興信所に直接行けたけど?」
 確かにメノウは前にも転移をしたことがある。
「残念ですが入れ替えた能力を戻すまでは制御していないとなりませんから、転移のように複雑な術は使えません」
「ダメか……」
 がくりと肩を落とす北斗、取り敢えず当初の予定通りで行くしかないだろう。
「向こうの状況で何か覚えていることは?」
「脇腹を爪で薙がれて、肋骨と内臓はいってたな。ああ、腕にもあたってた」
 左手で脇腹をさすりながら言うりょうに、口調とは裏腹にヒヤリとした物を感じないでもない。
「急がなくて良いの?」
「まだ生きてるし、応急処置はしてたみたいだ。手当に気をつけないと何か残るかも知れないけどな」
 今こうして仕度をしてられるのも、それを確信しているからのようだった。
「血が足りないかも知れませんから増血剤と包帯。後は聖水もあったら持って行った方が良いですね。あの黒い水が清められるかも知れま

せんし」
「直ぐに用意するわ」
「鞄もあった方が良いかも」
 かなみとリリィが手早く荷物をまとめ始める。
 家にあるのがさすがというか何というか。
「夜倉木さんが起きないというのが気になっていて、黒い水が関係してるのかも知れません」
「それも見て確認してくるから、他には?」
「こっち起きたことの伝言とかと、これも」
 懐から北斗が取り出したのは爆薬。
 物騒だが役に立つと思ってのことだ。
「兄貴のことよろしくな」
「もちろん」
 笑みを浮かべ、爆薬を受け取る。
「本当に気をつけてね」
「羽澄もありがとな」
 心配そうな羽澄にニッと笑い、新しい煙草に火を付けた。
「出来ました」
 模様を描き終えたメノウが手を離す。
 霊力を込めて描いた模様は前見たのと何ら変わりはないように見えた。
「ちょうど良かった。はい、鞄」
「じゃあ、行ってくる」
 鞄を受け取りひらひらと手を振ってから、すっとりょうは姿を消した。
 静になった部屋で、羽澄が耳を澄まし向こうの様子を確認している。
「……大丈夫みたい」
 顔を上げ、ホッとしたように続けた。
「それに、悠也君も向こうにいるわ」
「………」
 無言のまま顔を見合わせる。
 安堵や疑問符や納得と言った色々な感情が混在していたが……それはまあ些細なことだ。





 ■虚無0


 時は少しばかり遡る。
 窓もなにもない真っ暗な部屋に、くずおれるように現れる二人分の人影。
「あっ、ぐ……!」
 肘の先から切り落とされ、音を立てて流れ落ちる血を抑えて呻く。
「マスター」
 感情のない声でコールを呼び、タフィーが下から顔をのぞき込む。
「タフィー……明かりを」
「はい」
 遠ざかる頼りない足音が止まり、部屋の中に明かりがともる。
 タイルの貼り壁。
 前方の壁に均一に並んだ鉄製の大きな引き出し。
 小物がごちゃごちゃと並べられた作業台。
 そこはまるで死体安置所に居るのではと思ってしまうような場所だった。
「………机の引き出しから、手当てできる物を。これからはタフィーが右腕の代わりになるんだ」
「はい、マスター」
 銀細工の鎖を腕に巻き付け、傷口を銀色の固まりで覆い血を止め応急処置をすませる。
「血は少しでよかったんだ、切られる必要なんて無い」
「ごめんなさい、マスター」
「いや、それよりも……」
 同じくタフィーの傷も治療してから、端の引き出しへと向かう。
 重いそれを引き出すと中から大きな固まりと、どろりとした透明な液体が流れ落ちた。
 その中に手を突っ込み、首だろう箇所を掴んで引きずり出し怒鳴りつける。
「ディドル! 貴様の所為で!!!」
「ぅ……ああ……」
 干からびたミイラが呻くと、背後の引き出しが開きケラケラとふざけた笑い声が響く。
「ちょっとさー、それ以上やられると本気で死ぬんだけど」
「五月蠅い! お前の所為で計画はさんざんだ」
「俺の所為にするなよ」
「………どれほどのミスをしたと思ってる」
「さあ、それは別の俺がやったことだし。忘れたよ。腕がないのなら俺のを使う?」
「そんな干物なんて誰が居るか!」
 尚もからかう口調に、コールが首を掴む力を更に増やす。
「貴様……」
「何だよ、本気で死ぬから……それ」
 険悪なにらみ合いが続いたが、先に折れたのはディドルの方だった。
「悪かったって、一個は上手くいってるみたいだからさ」
 ざわりと空気が動く。
「ほら、アリスのお帰りだ」
「装甲型霊鬼兵、帰還します」
 ディドルとタフィーの声が合図であったかのように部屋の中央に闇が集まり、その中から姿を現したのは紛れもなく千里の姿だった。
「使える、だろ?」
「……タフィー、鎖を」
「はい、マスター」
 受け取った鎖を鳴らし、千里の目の前でコールは小声で囁きかける。
「おかえり、アリス」
「はい……」
 虚ろな目でコールを見上げた千里に、力を込めたながら左手をかざす。
「タフィー、歌え。ディドルは絶対に黙ってろ」
 鎖を握る手に力を込めタフィーの歌に乗せるようにはっきりと告げる。
「これから千里は夢を見るんだ、とても幸せな夢を」
 歯車は、静かに動き出そうとしていた。







 ■虚無1


 連絡を終え、携帯を閉じたディテクターが視線をあげる。
 なにも変わりはない。
 ナハトがここから飛び立ち、残ったのは魅月姫と啓斗とディテクターと負傷した夜倉木。
 一瞬目を離した隙に何が起きて居るか解らない状況であったから、こうしている今も僅かに目を離した瞬間に何が起きるか解らない。
 今はほんの少し落ち着いてるように見えたとしても、水面下で何が起きていないとも言いきれないのだ。
 そんな感情にとらわれそうになる思考を切り替え、まずは状況を立て直す事に専念する。
「様子は?」
「………まだ」
 青ざめた表情で啓斗が首を振り、意識が戻らないままの夜倉木を見おろした。
 応急手当はしたから重傷の段階でとどまっているが、出血もあるしあまり長い間このままにしておけない。
「よろしいでしょうか?」
 振り返り問いかけた魅月姫が、音もなく側へ立ち手にしたディドルの頭を差し出した。
 ゴーレム故だからだろう、条件を満たされない限りは今の状態は解除されないようである。
 頭だけ持っているというのはまた何とも言えないシュールな光景ではあったのだが、それはさておき。
「まともに話も出来ないようですし、位置も探し終えましたので先に行かせていただきます」
 ディテクターに頭部を渡し、ナハトが飛び立つ際に壊していった結界の穴を見上げる。
 辺りを覆っていた結界は本人が不在のため再生速度は遅い、それだけでなくナハトが触れた際にも何か影響を及ぼしたのだろう。
 空に向けて開いた穴はぐずぐずと再生と崩壊とを繰り返していた。
 力を喰らう属性があるのだとすれば、身に纏っているナハトも危険が及ぶ。
 気配が辿りづらかったのもそこに関係しているのだろう。
「行くって……」
 何かを言いかけたディテクターは、コールの腕を拾い上げ、闇の中にしまい込んだのを見て押し黙る。
「いや、心配は必要ないな」
 圧倒的な力を有しているのが魅月姫なのだ、今更心配もあった物ではない。
「解った、それも連絡しておく」
「それでは」
 チャリと手の中の鎖を揺らしたのを見て啓斗が顔を上げる。
「持って行くのか?」
「いけませんか」
 表情も口調もさして変化は見られないが、有無を言わさぬ物を感じさせた。
「……」
「替わりにどうぞ」
 ひょいとディテクターからディドルの頭部を受け取りとり、啓斗に渡す。
「………」
 切断部分からぱらぱらと砂を零す以外は血の気もなく、マネキンの頭にも見えるそれは、きょろきょろとせわしなく目を動かしていた。
 どうしろというのか?
 話を聞くなり調べるなりやることは浮かぶのだが、どうにもペースを乱されている感がぬぐえないらしい。
 緊迫した状況とは裏腹に、何とも言えない空気が漂うその最中。
「大丈夫ですか?」
 唐突に現れた気配に、視線が集まる。
「大変そうでしたので、様子を見に来ました」
 無言のまま見つめられたにもかかわらず、少し小首をかしげてから、ホッとするような表情で悠也は笑い帰す。
「助かる」
 簡潔なディテクターの言葉に頷いてから、夜倉木の様子を見たりとやるべき事を手早くこなしていく。
 その横で魅月姫が気配を感じさせない動きで距離をとる。
「それではお先に失礼します、何か解ったことがありましたらお渡ししますから」
「あっ」
 今度は呼び止めるまもなく魅月姫はふわりと体を空に浮かせ、ナハトの開けた穴から後を追っていった。
 気になるのは確かだが、今はそればかりにもかまけているわけにも行かない。
 何か解ったら知らせてもくれるだろう。
「手当はしてあるようですね」
「治療用にと渡されていたから」
 それを確認してから、悠也は改めて傷の具合を確認する。
 右腕と腹部を大きく走る爪痕。
 今は治療されて事なきを得ているが、残った傷や出血量等の痕跡を見る限り肋骨や内臓まで届いていたのは想像に難くない。
「この状態からならきちんと処置をすれば問題ないですよ」
「そうか……」
「治療をする前に一つだけ。場がこれではこのままでは色々と影響が出てしまいますから」
 これからの治療と周囲への影響を考え、絡んだ鎖のような結界を解除し逆の性質へと反転させる。
「流石だな……」
「今試しておきたかったこともありますから」
 祝詞を唱え終わった悠也が振り返る頃には、締め付けられるような圧迫感が消えホッと出来るような気配に包まれた。
「あちらも教会という場を利用してた様ですね」
 教会なのだからこれこそが正しい状態だったのだろう。
「直ぐに治療します」
 手当をしている間、啓斗はディドルの首に問いかけてみる事にした。
 何が聞けるか解らないが少ない情報からでも解ることはあるはず。
「おい、聞こえるか?」
「………」
「おい!」
 完全に無視を決め込もうとするディドルの頭を激しく上下左右に振る。
「うわっ、うわわわわ!!!」
「聞こえては居るみたいだな」
「そんな所だろう」
 ここまでは予想できることだ。
 今までの行動が酷かったとは言え、そんな簡単に喋るとも思えないが。
「聞かせてもらおう」
「流石にヒントはあげないよ、今も烈火のごとく怒っててマジで殺されかねないし」
 些細な言い回しにがふと気になって、ディテクターに頭部を渡し刀を突きつける。
「……」
「無理無理、むしろ都合が良いし」
 へらへらと笑うディドル。
 目の前にいるディドルに攻撃を与えてもダメージはない。
 向こうの様子はわかっている。
 こう考えてしまうのは気が引けるが、今目の前にいるディドルは切り離しが出来る一部でしかないと言うことだ。
 話させることは出来ない。
 だが向こうとは通じている。
 ならば……。
「本気で行かせてもらう。追いつめた相手がどういう奴だったか思い知ると良い」
 低い声に無邪気に返される笑み。
 止められなければ何時まで続くか解らないにらみ合いに終節を打ったのは、治療を終えた悠也だった。
「手当はすみましたよ」
「……」
「腹部も腕も治しましたが……」
 目を覚ます様子はない。
「何か変わったことはありましたか?」
「怪我をした直後は多少なりとも動ける様子だったから止めたぐらいで……」
「血が不足していることと、脈拍が少し弱い以外は普段と変わりない状態ですが。様子を見てみた方が良さそうですね」
 そこで問題になるのが意識のないままの夜倉木をどうするかだ。
「状況的にIO2の医療班を呼ぶのもな……」
 言葉を濁したディテクターの言うとおり、誰が聞き耳を立てているか解らない以上不用意に動けない。
「取り敢えず向こうに連絡を」
 ディテクターが携帯を取りだしかけのを悠也が静止する。
「その必要はなさそうです」
 視線を移した悠也につられた啓斗とディテクターにも、その理由が判明した。
「よう」
 荷物を抱えたりょうが片手をあげる。
「瞬間移動なら疲れるけど直ぐだから……って、もう治療終わってる?」
「……ん」
 りょうと夜倉木を交互に見比べ、啓斗はこくりと頷いた。
「しっかり調べた方が良いことには変わりませんが」
「なるほど……まあやる事はあるだろうけど。啓斗にはこれ」
 火薬を啓斗に渡してから夜倉木の側に座り込み、額やら頭に手を伸ばす。
「……?」
 不思議に思った啓斗が見ていると、パッと手を離す。
「ああ、怪我はもうほとんど大丈夫そうだな。いや、頭とか打ったかもとか思って」
「それは……大丈夫だった」
「そっか」
 ため息を付いてから手を離し、鞄から色々と取り出す。
「じゃあ……あと増血剤とか聖水とかも受け取ったから」
「聖水も試してみたほうがよさそうですね、お借りします」
 小瓶を受け取り、悠也は手慣れた様子で霊的方面からも処置を始める。
 人に、夜倉木に対してならこっちの聖水の方が良いと思えたのだ。
 少しずつふりかけ浄化を試みるが、それでも起きる様子のない事にしばし思考してからこう結論づける。
「何かかあるのかも知れません」
「……?」
「それはもっとしっかりと調べないと解りません。ですが今は治療したばかりですから、休んでいた方が良いとも思います」
「確かに……」
 夜倉木が目を覚ませば、何事もなかったように行動する様子は容易く目に浮かぶ。
 つまりは現状維持で行こうという事だ。
「そうだ」
 勝手に夜倉木のコートの内ポケットから取りだした携帯で連絡を取り始める。
「誰に連絡を?」
「直ぐに解る。まあ言わなくても夜倉木がこうなったなら、もうそろそろ来るはずだから」
「来るとは?」
 遠くから聞こえるエンジン音に、りょうはニッと笑ってからはっきりと言う。
「夜倉木家」
 それはまるで当然とでも言う様な表情だった。
 教会の外に止められた車に夜倉木と必要な物を抜き取った鞄を渡しながら、どうするかを話しておく。
「他にやることが出来たようだから先に行かせてもらう」
 ディテクターは指示を出されたらしく、このまま後を追うからと走り去っていった。
「俺もナハトさんが気になりますから」
「そうだな……」
「あ! ちょっと待った!」
 大きな声を出すりょうに何事かと振り返る。
「待った、待った!!!」
 走り出しかけた車を止め、運転手に真剣な口調で話しかけた。
「動くのはもう少し待って欲しい。こっちで方を付けたいから」
「……そう伝えておきます」
「……っ、俺も」
 今度こそと締まりかけた窓に向け、啓斗が語り掛けたのは決意を秘めた言葉。
「俺がこれからすることに異があるなら、起きて何か言ってみろ。じゃないと……俺は『道具』に戻るぞ」
 ウソでも脅しでもない本心からの言葉に、起きていたとしたらなんと返されたのだろうか?
 その答えは、今はまだ解らないままだ。
 口を閉じたままだった啓斗の頭をぽんっと撫でられる。
「きっと、すぐに起きる」
「ん……」
 顔を上げたりょうが悠也の方に真剣な表情で振り返った。
 なにか引っかかりを感じるのは、気のせいだろうか?
「俺も直ぐ合流するから、ナハトをよろしく頼む」
「りょうさんも無理は禁物ですよ」
「ああ、ありがとな」
 微笑む悠也に安心したように笑い、瞬きした次の瞬間にはもう姿を消していた。
 この場はひとまず落ち付いたが、やることはまだ残っている。
「さあ、そろそろ会いに行きましょうか」
 ナハトの件を解決する為、二人も急いで後を追う事にした。





 ■接触


 神聖都学園。
 禍々しい気配を纏い、まるで火矢のように落ちて行く。
 全身が総毛立つような感覚にただ事ではないと直ぐ察する。
 誰であるかはしかと両の目で見てしまった
「あれは……ナハト様」
 姿を見て、落ちていくまでのその刹那にすら力を増大させていく。
 まるで全てを喰らい尚、飢えを満たすために獲物を探している獣のようだ。
 只ならぬ状況だと撫子は校舎の方へ視線を移す。
 封印が解かれたのは感じ取れた。
 もうすぐヴィルトカッツェも出てくるだろうから、それを待って直ぐに追いかけたい。
 もう直ぐ戻ってくるとは解っていても、その間がとても長く感じる。
 一緒に行けば良かったかも知れないが、それでは落ちる方向を確認できなかっただろう。
 ほんの短い筈の時間がとても長く感じる。
「……」
 このままではいけないと目を閉じ心を落ち着ける為に深呼吸を一度。
 幸いにして時間はある。
 とにかく見たことを知らせよう。
 どの方角に向かっていたか、どんな状況であったか。
 遠く離れた場所へと移動していたが、撫子の力はナハトがどこにいるかをはっきりと追跡できている。
 短くそれらを告げた頃にヴィルトカッツェは戻ってきたことで、目的が成功したと告げその場から離れた。
「何かあったんですか?」
 首をかしげるヴィルトカッツェに、撫子が何を見たかを説明する。
「もう少しおつきあいいただいても構いませんか?」
「そう言うことでしたら勿論です」
「ありがとうございます」
 一人より二人の方がずっと良い。
 後は移動手段だが……。
「少々お待ちください」
 目を閉じ集中力を高め力をコントロールする。
 力をすべて解放した撫子は、神気を身に纏い背に三対の翼を背負った東洋の女神の姿へと変化していく。
「………」
 驚いたように目を見開いたままのヴィルトカッツェの手を取り、空へと誘う。
「さあ、参りましょう」
「……は、はいっ!」
 撫子が知っている少女の表情と変わらぬ事に微笑んでから、何時も通りで居られるのならその方が良いのだと嬉しくも思う。
 仕事であるからと言って、自分を押し殺し続けて良い筈がないのだ。
「ここからなら直ぐです」
「凄いですね……」
 視界に広がるのは東京の夜景と街並み。
 何も知らない人が沢山いて、自分たちはそれを出来る限り知らないままで終わらせたい。
 日常は日常であるべきなのだ。
 高く高く舞い上がり見つめるのは、強い印の気が集まる場所。
 全てを視る事が出来る撫子には、隠すことなど出来はしない。
 夜の闇の中で尚暗いその姿。
 身に纏う黒い液体は外套のように全身をつつみ、背からは大きな翼となって広がっている。
 腕のある部分から見えるのは、影が形をなしたかのような漆黒の鋭い爪。
 大きく口を開け、牙をむき出しにして獣が吼える。
 濃厚な死者の気配。
 鎖のように中心にいる者を捕らえる呪い。
 全てがジャバウォックであると告げている。
 だがそれは、童話の中に存在するとても強いドラゴンの名だ。
 その中心にいるのはそうではない。
「ナハト様」
 少し距離を取って降り立った撫子とヴィルトカッツェの方へと振り返る。
「………」
 二人の姿をぎらぎらした瞳が捕らえた。
「居ない、居ないんだ。感じられない」
 予想外にはっきりとした口調に逆に不安を募らせる。
「感じられない、とは?」
「解らない。りょうが……どこにいるか解らない。探しているのに」
「………」
 ぐっと言葉を飲み込む。
 心配なのは捕らわれかけている精神の方。
 無事なのだろうか?
 あれほどの陰の気に接触し、力を食われ続けて長くは持つとは思えない。
 本当なら直ぐにでも浄化できればいいのだが、強すぎる浄化はナハトにも危険が及ぶ。
「……!」
 何か手はないか……意識を研ぎ澄ました撫子が感じたのはすんだ鈴の音。
 ナハトを守るように張られた結界は内に入り込むのを押さえ、目的を果たすまでの間なら持たせることが出来そうだ。
「もう少しの間、耐えてください」
 息苦しそうなナハトに、はたして声は届いているのかどうか。
「今はまだ落ち着いてますから、様子を見た方が」
「出来ることならわたくしもそうしたいと……っ!」
 気配が変わる。
 何かが起きる前触れのように、押さえられた力が増幅したのだ。
「す、すまな……い」
 視線がしっかりと向けられる。
 せめぎ合う力。
 例え一時でもナハトの意識が勝ったというのならその次は……。
「いけない、無理をなさっては!」
「―――っ!!!」
 傾きかけた体が、瞬時に姿勢を低くしたまま攻撃態勢へと転じる。
「さがって!」
 初撃を何とかかわし、しっかりと間合いを取り撫子はヴィルトカッツェに向けどうするかを囁く。
「よろしくお願い致します」
「はいっ!」
 応援が来るまでこの場を持たせ、出来ることなら浄化陣を作り場を整えたい。
 はたして、どこまで出来るだろうか?
 この場に居ない者を呼ぶように吼えたその声は、まるで悲鳴のようだった。





 ■追跡

 わがままで横暴な上司を持つと苦労する。
「まったく……」
 急ぎの用事とやらでかかってきた電話は相変わらずの無理難題だった。
 がしがしと頭を引っかき回しながら仕度をすませ浅間……いや、今は違う名で呼ばれている最中である。
「相変わらず無茶な命令をよこすな」
『他にも応援をよこすから大丈夫だって』
 何が大丈夫なのかはさっぱり解らない。
 何処かへの移動中らしく、小走りに近い靴音が聞こえ、忙しいのだろうとは直ぐに察した。
「はいはい、仕事だからな」
『よろしく頼むぜ、ドランカー』
 本名ではなくコードネームで呼ばれるのがここでの決まりだ。
 理由は多々あるらしい。
 呪術的なことだとか、渡された手帳に個人情報を入力している為だとか。
 ドランカー……飲んだくれなんて名前も、自分にはこれでいいと納得してしたのは前の話だ。
 詰まるところ、そんな様な説明を受けた気がするが、結局は決まりだからで片付けてしまっているのが現状である。
「で、現在の状況は?」
 投げやりな浅間の口調に、かみ殺したような笑いと説明が返される。
 IO2での揉め事。
 身内のごたごた。
 虚無の境界の事。
 現時点で幾つかの事件が同時に起きているから、余計にややこしく感じたり複雑化してしまっているのだ。
『そんなわけでそっちに専念して欲しい訳だ』
「まあ上と揉めるよりはましなんでしょうが」
 色々と悩むよりも、一つのことに打ち込んでしまった方が楽だろう。
 そこでふと気になって尋ねてみる。
 楽なんてさせてくれるはずがないのが電話の向こうの相手だ。
「こっちに来るのは何人?」
『二人』
 言い切られた言葉に軽く頭痛がする。
『一人はディテクターで、もう一人は同じ忍者だ』
「………それって、戦力的に偏りがあるような」
『それが解ってるならまあ何とかしてくれ、臨機応変と経験で』
 おおざっぱな指示こそ、指示を出される方も出す方も、双方の腕が試されているのだとしか思えない。
「そうだ、合流地点は?」
『その事なんだが、今別の所にいるから先に行っててくれ』
「はあ!?」
 一人で行けなんて無茶もいいところだ。
『直ぐに来るだろうから、それまで見ててくれればいいから』
「それこそどうしろっていうんだ」
『演技で何とか』
 本当に嫌な上司だと深々と溜息を付く。
 やはり色々な意味でぎりぎりな仕事ばかりである。
「……ったく、早くしろといっといてくれよな」
『解った、じゃあよろしく』
 携帯を切り、ドランカーは指定された場所へと急いだ。
 教えられた場所を聞き、どうして自分が選ばれたのかをうっすらと知る。
 大学病院の地下に位置するのだという。
「……高校の教師なんだがなぁ」
 学校という独特な雰囲気に慣れているから、平気だとでも思ったのだろうか?
 少し考え、酔った振りでもして誰かに見つかったら『以前来たことがあって間違えた』とでも言えばいい。
 塀を越えてしまえば、学校というテリトリーの中は外からは意識されない場所なのだ。
 警報機のたぐいは別だが、そちらは適当に避けてしまうおう。
「……よっと」
 塀を越え、念のため見た目だけは一般人を装っておく。
 元々、表向きの職業は教師なのだが。
 建物の間をふらふらとした足取りで歩きながら気配を探り、奥まった建物の前で足を止めた。
「………」
 人の気配。
 直感的に建物の影に身を潜め、出てくる様子をうかがう。
 車に乗って移動しようとしている三人は、聞いていた特徴通りだった。
 タフィーという少女。
 ディドルという少年。
 最後に出てきたコールは、片腕がないのを上着で隠していた。
 間違えようもない。
「さて……どうするかな」
 三対一は流石に不利だし、隙もないのである。
 何通りか戦術を考えるも流石に不利である点はぬぐいきれない。
 そうこう考えている間に走り出した車に、結論づける。
「様子見だな」
 応援が来てから動けばいい。
 出てきた建物の位置と、これから後を追うとディテクターに連絡を入れ、ドランカーは車の追跡を始めた。





 ■組織


 呼び出された部屋に入るぎりぎりまで連絡しているのが狩人らしい。
「準備は?」
「不安だらけだわ」
 何を聞こうか?
 どんなふうに聞こうか?
 数え切れないぐらいの疑問がシュラインの頭を渦巻いているし、どれだけ出来るかも解らないまである。
「口に出して言えるなら大丈夫」
 ニッと笑い、狩人は扉を開けた。
 中には待合室のような部屋で、ソファーとテーブル。
 奥には大型テレビとその横に男の人が一人。
「お待ちしておりました」
「待たせて悪かったな」
「いいえ、お座りください」
 軽い会釈をし、狩人とシュラインが座るのを待ってからテレビを付ける。
「スケジュールの都合により、このような形を取らせていただきました」
 無機質と言うより、そうしようとしているような口調で説明をしてから扉の前へと下がる。
 テレビ画面に映されたのはスーツ姿の初老の男性。
 国籍はアメリカ辺りだろう。
 こんなに少ない人数で話していいのかと思ったが、大勢に囲まれるよりは気が楽だ。
「初めまして」
『いや……ああ』
「……?」
 礼をしかけたシュラインに男性は手を振りかけ、テーブルから上げた手を元の位置へと戻す。
『形だけの挨拶ならもううんざりしているので省略してもらおうと思ったが、そうではないようだ。失礼しました。初めまして、お嬢さん


「改めまして、シュライン・エマです」
「では俺も、ご存じだとは思いますがハンターこと盛岬狩人です。」
『もちろん、君のことは色々なところから耳に入ってくる』
 流暢な日本語に驚いたが、形だけのやりとりというのが狩人を見て頷きたくなるような気がした。
 二言、三言の会話でも腹の探り合いが始まっているのははっきりと解ったのだから。
『私も名乗りたい所だが、こちらもごたごたしまして。伏せさせていただいても?』
「はい、どうぞ」
 それでいいと狩人が頷いたのも束の間。直ぐに話を切り替えた。
『時間がないから本題に入らせていただこう。日本支部での虚無の境界との戦闘行為に君が関わっていると耳に入ってね』
「……その件についてなら、動くのはもう少し待って頂きたい」
『待って欲しいのは虚無の境界? ナハトに付いてか? それとも敷地内での戦闘行為について?』
 今起きている件で大きい物は知られているようだ。
 曖昧な言い方はそのためだったのだろうが、答える方も知られた所でそれを気にした様子もない。
「全てです」
『手を広げすぎると足下を掬われるとしても?』
「責任は俺が取ります」
『組織を辞めて責任を取ることはさせない、覚悟しておくといい』
 顔色一つ変え無いのは、ここまではどちらも予想していた事だったのだろう。
『順に話し合おうか、ナハトの件はどうする』
 率先して発言しなければ会話に入れない様だ。
「ナハトの件に関しては暫く様子を見て欲しいのは同じ意見です。いま過度に刺激するのは危険では無いでしょうか?」
『危険なのは同じでは? 何かあった場合、こちらも厄介な事になるのでね』
「知人以外の接触はより戦闘意識を高めてしまう可能性が強いですから」
『まだ意志があると?』
 口調に、うっすらとだが気づいてしまう。
 認められたと言っても、それは上辺だけの物や何かの意図があっての事でしかないのだ。
「対策を取るのはよく知っている方がやりやすいと思っています。試しに動いてからにしていただけないでしょうか?」
「必要な申請や手続きはこちらでします」
 これまでの狩人が取っていた一見おおざっぱな手段も、こういったやりとりを省略したいが故のことだろう。
『どんな結果になるのかは報告を待たせてもらうとしよう。だがこちらに何かを要求するからには誠意を見せてもらおうか?』
「なんでしょうか」
 僅かに、狩人の声のトーンが下がるのが解る。
『大したことではない、ハンター君と君の息子の研究プロジェクトの復帰をしてもらいたいだけだ』
 実験動物でも品定めするような視線で、よく言えた物だ。
「それは失敗したらと言うことですか?」
 出来るだけ穏和な声で尋ねる。
 確かめずには居られなかったのだ。
『そう取れたとしたら……』
 それより先を言う前に、狩人が続ける。
「この件にかまけてる余裕がある程、暇ではないはずだ。あまり一カ所に目を向けていると勘ぐられるのでは?」
『……あまりつつくな、と?』
「お気を悪くさせたら申し訳ありません」
『その件については、再度検討させてもらう』
 椅子の背もたれに寄りかかる音が、やけに大きく響いた。
 今のやりとりで解ったことは多い。
 現在も研究は続けたがっているようだし、そこに非人道的な行為も含まれている為に無理強いは出来ないのだ。
 だからこそ隙が出来るのを待っている状態なのだから、逆に言えばコール達との件が片付けば手も出しにくくなる。
「解決した場合も悪い結果にはならないはずです」
「ああ、そうだろう」
 例え表向きだとしても、頷かない訳にはいかない。
 ここは予測だったのだが……成功した場合も悪い方にはならないように動いているとそう思ったのだ。
 例えば現在ナハトを支配している物のデータも、取引材利用としては悪くない。
「だそうです。結果がよい物になるよう楽しみにしていてください」
『……期待しているよ』
 そこでテレビは小さなノイズを残して切れた。
「………」
「………」
 部屋を後にし、幾らかの距離を取った所でようやく息をつく。
「っ、はー……」
「疲れた……」
 ほぼ同時だったことにシュラインは思わず顔を上げる。
「ん? ああ、俺もあんな空気好きじゃないんだ」
「好きな人もいないと思うけれど」
「そうだろうな……まだ終わった訳じゃないし」
「そうね、色々用意し欲しい物も浮かんだりしてるし」
「直ぐに用意させる、どんなだ?」
 携帯を取りだし忙しそうに連絡を取り始めた。
 一瞬前に見せた疲労の色は、二人ともあっさりと切り替えてしまっている。
「ナハトの件で、聞いてて思ったのだけど生命を捕食するような物に大して対策が取れる物があったら借りたいと思ったの。」
「他には?」
「反射効果も考えて、それを更に反射させる物とかは? まだ残っていた場合や、治療するときに必要よね」
「なら早く届けないとだな」
 僅かな時間も惜しいと足早に通路を進んでいった。
 組織内での件がどうなるかは、ナハトの件と虚無の境界との事件の結果次第で落ち着きそうだ。





 ■本部


 りょうが様子を見に行った直ぐ後。
 入れ替わるように来たのは悠と也の二人だ。
「お届け物です♪」
「ハンコおねがいします☆」
 特別製なのだという聖水を受け取り、羽澄はどうぞとかなみから渡されたハンコに笑みを零す。
「ちょうどいいと思って」
「ありがとうございます。はい」
 ポンポンっと手に押されたハンコには『良くできました』の文字。
 はしゃぐ二人を見て和みつつ、これからどうするかを話し合う。
「私はりょうが戻ってきたら一緒にナハトの所へ行こうと思うの、往復で二度使ってるから、あまり無茶も出来ないと思うし」
 力を取っておこうというのなら、移動は別の手段でと言うことになる。
「じゃあ俺は虚無というか……あっちのほう調べてくるな、」
 直感というか、放置は出来ないと北斗が言い出したのも成り行きという物である。
「場所なら解るそうだから、狩人さんにも言っておくわね」
 直ぐに返事が返され、直ぐにでもいって欲しいと北斗は先に行くことになった。
「気をつけてね」
「もちろん、何か解ったら連絡よろしく」
 そして汐耶もどうするかは既に決めていたようで、持ってきてもらった資料に目を通し始めている。
「動けそうにありませんから、ここに残ってコントロールに努めたいと思います」
 現在汐耶が触媒能力を所持しているのだから、今動くのは危険だろう。
「りょうが戻ってきたら……ちょうどいいタイミングね」
 戻ってくるだろう気配を羽澄が察し、かなみが入り口を作り出す。
「おかえりなさい」
「ッ、疲れた……ただいま」
「向こうはどうでした?」
「ああ、取り敢えずやることはやったから……後はナハトだな」
 何とか息を整えたりょうに話を聞いてから羽澄とりょうの二人もナハトの元へと急ぐことにした。
「急に静になりましたね」
 汐耶とメノウ、かなみとリリィ。
 そしておやつを食べている最中の悠と也で6人。
 あれほど居た人数が今は大分減ってきている。
「直ぐにぎやかになりますよ、この資料もどうぞ」
「ありがとうございます」
 新しい資料に目を通しながら、汐耶がまとめようとしているのは触媒能力の制御に関しての調査結果。
「まだ解らないことが多いんですね」
「扱い方に関して聞いているのは、一番やりやすい方法は人によって違うので試してみるしかないそうです。ここなら結界の中ですから平

気ですよ」
 つまり扱い方に関してマニュアルは存在しないと言うことだ。
 そうなれば自然と近くにいる相手を見てまねるか、直感で扱うようになっていくのだろう。
「……メノウちゃんは扱い方を知ってたのよね」
「はい、私の時は術をアレンジして扱う延長線上として力を借りてました。模様を見たり触れながらだとどう扱えばいいのか解りますから


「確かに前ももう世を見て解析できたけど、それと同じと考えればいいのね?」
 やはり実際に試してみるのが一番のようだ。
 それならと試してみるものの、腕に描かれている模様が上手く読み取れない。
 力を意識すると思考がクリアすぎるほどになり、使うつもりのないことまで発動しずっしりと体が重く感じる。
 やはり最初から上手く行かないことは解っていたが、どうにも扱いにくい力だ。
「……?」
「外から扱うのと、本人が扱うのに差があるのかも知れません」
「自己流でやってみるしかないようね」
 もう一度と手の上の文字をなぞり、意識を集中させる。
 静まりかえった部屋の中、ぼそぼそと囁くような声が聞こえる。
「……?」
 周りを見渡すも、誰も喋っては居ない。
「―――………」
 違う。
 声は一人だ。
 それも………内側から直接語り掛けてくる。
「……!」
 誰かは直ぐに解った。
 触媒能力の影響だろうか?
 こんなにはっきりと声を聞くことになるとは思わなかったが、内側からも使い方は解るという。
 最初から一人で扱うのは困難な形態の能力であると言うこと。
 だから何か日常使っている物に当てはめて使ったり、誰かの力を借りたりするのだ。
 扱い方はこれで何とかなる。
「大丈夫ですか、お姉さん?」
 心配そうに様子を見ているメノウに大丈夫と微笑み返す。
「平気よ、使い方も解りそう」
 幾つかの行動を同時に行わなければならない分、バランスを取るのが難しそうだが、そこさえ気をつければ普段汐耶が封印の力を扱う延

長線上で操作できる。
「今は念のため封印をかけておきます」
 結界の中だとはいえ、あまり発動させて触媒能力を汐耶が持っていることをばれたら意味がない。
 空気に触れているようでやり頭等買ったが、小さな模様にまとめて見えない場所に移動させる。
「どう?」
「この状態なら余程集中して視ないと解りません」
「それなら何かあった時外に出でも平気そうね」
 理想は何もないことを願うばかりだが。





 ■移動


 ナハトの所へ羽澄とりょうが向かう途中。
 バイクで行こうと提案したのが羽澄で、運転すると言ったのがりょうだった。
 もう完全によるになっているというのに、暗く感じないのはどこに出もある明かりの所為だろう。
「急ぐから運転荒いけど、気をつけろよ」
「大丈夫。その道まっすぐ行くと通行止めになってるから右折した方がいいわ」
「了解」
 直ぐ先の曲がり角で信号が赤に切り替わる直前、更に速度を上げ十字路を走り抜けた。
 徐々に車の数が減り、明かりも少なくなってきた頃になってから気になっていたことを問いかける。
「りょう、聞こえる?」
「耳はいいほうだぜ」
 今までのやり取りよりも声のトーンを落としていたから、聞こえるかどうか気になったのもあるが……それだけではないのも確かだ。
 幾度か垣間見た気になる反応。
 何がや、どこがなんてはっきりと形にならない。
 只漠然とした曖昧な物が霧のように渦巻いている。
「どうした羽澄?」
 声をかけられ、沈黙していた時間が長かったのだと気づいた。
「……ねえ、りょう?」
 もしかしたら、本人すら自覚がない所で何か起きているかも知れない。
 焦りすぎているようだと思った。
 いつものようにハッキリと慌てるのではなく、ほんの少しだけ、考える情報量を超えてしまったかのような。
「さっき、能力が移動した時。何を思ったの?」
 以前ハンプティダンプティに関する事件の際にもあった事だが、その時に能力を奪われた状況とは違うのだ。
 無理矢理奪われたのでもなければ、疲労して考えられない状況でもない。
 今回は自分の意志で、色々考える余裕もあるのだから。
 幾らかの沈黙が暫く続いた後。
「そうだな……軽くなった。軽すぎて転びそう」
「力を渡したから?」
「それもあるし。ええと……街の雑踏の中にいたのが、突然静かな場所に移動したような気もする」
 抽象的な説明は相変わらずだか、何とか理解できる。
「いいのか悪いのか状況によって変わりそうね」
「そうなんだ。楽かもしれないし……なんか寂しい気もするってのは、前にも同じような事言ってたな」
 前は煙草を吸うのに、ライターと灰皿を持つのが面倒だと言っていた事を思い出す。
 だとしたら今持っていない力は、どうなのだろう。
「早く元の状況に戻りたい?」
「ああ、あれは本当なら俺の力だから。今はまあ……緊急事態だって事で」
 何時だってそうだ。
 揺らいでいるようにも思えるし、しっかりと決めてしまっている様にも思える。
「能力が戻ったら、やりたい事とかあるの?」
「少しだけな。今は必要だって解ったから」
「聞いても良い?」
「ずっとさ、助けてもらうばっかりだったから。俺はなにが出来るのかって考えてたんだ。でもいま。ナハトが呼んでるんだ、迎えに行か

ないと」
 本当にそう思っているのが解って、少し驚いた。
 これまでにIO2や虚無無の境界から、能力ばかりを見られていたのだから、そう感じてしまっていたのだろう。
 周りがよく見える分、自分の事ほど解らなくなってしまう物なのかも知れない。
「そうね、きっと待ってると思うわ」
 もっと早く解っていても良い事だと思っていた事だったから。
 不安や迷いを感じる事は誰にでもあるだろう。
 弱さと強さが入り交じった人の感情は、何時だって不安定だ。
 大切なのは、その時にどうするか。
 一つ一つ悩んで、その度に解決していけばいい。
「……能力があっても心配がなくなる様にしよう」
「そのためには事件は解決しなきゃな」
 潮風に混ざり、微かに力の余波が混じった気配も感じ取れる様になって来ている。
「ナハトも待ってるわ」
 目的の場所はもうすぐだ。





 ■ナハト

 なんて大きな闇。
 煌々と輝く灯台のように、闇を渡る魅月姫には明確に目的地が見えていた。
 手にした鎖に触れ力の流れを感じ取る。
 歌の旋律を形取った力を見て、教会で聞いた歌を思い出す。
 オリジナルではない以上、調べるのは容易かった。
 ジャバウォックの詩。
 ナハトに命令を出そうとしていたその時に、コール達が呼んでいた名前そのままだ。
 この鎖と歌が関係しているのだろう。
「………!」
 辿り着いたのは戦闘の只中だった。
 防戦メインで結界を張ろうとしている撫子と、どうにかしてその隙を作ろうとしているヴィルトカッツェ。
 だが今のナハトを相手にするのには、ヴィルトカッツェでは荷が重すぎるようだ。
 近づく事が出来ずに居た結果、余計にナハトを刺激してしまったらしい。
「いけないっ!」
「――っ!」
 彼女にとって背後から伸びた影は避けられる間合いではなかった。
「お手伝いします」
 闇が触れる寸前で間に割り込み、自らの作り足した闇で闇を相殺する。
「あ、ありがとうございます」
「下がっていてください」
 ヴィルトカッツェを撫子の元へ下がらせ、直ぐ側でナハトを見上げ囁きかけた。
 声は、届くだろうか?
「ナハト……」
 つばぜり合いでもしているかのような状況は、あまり長く保てない。
 無理矢理取らされたワーウルフの姿と、黒衣がナハトの力を削り取っている。
 だから、ほんの僅かだけ。
「私は言ったはずです『護る』と」
 身に纏う黒い水の中に手を沈め、直接ナハトに触れ中に入り込んだ闇を払う。
「ぐっ、あ!!!?」
 藻掻き苦しみながら魅月姫から勢いよく飛び退いた後には、泥のように変化した物が残された。
「苦しいでしょうが、量が多いので少しはがさせていただきました」
 手をぬぐい、撫子の元へきびすを返す。
「私にもお手伝いさせてください」
「ありがとうございます、少し大がかりな物でしたので」
「構いません」
「ですが、一つ問題があって。今のナハト様を止めておくにはもう少し手を借りたいと思っています……」
 視線を移したのは、これまでの戦闘で息の上がりかけているヴィルトカッツェと立ち上がっているナハト。
 撫子の目には、開いた部分を急速に回復しようと力が更に高まっているのが解った。
 周囲にある物すら喰らい初めて行く。
「人数なら直ぐに集まります」
 魅月姫の言葉通り、その場に気配が増え声がかけられる。
「ちょうど良いタイミングだったようですね」
「援護が必要なら俺も手伝う」
 悠也と啓斗も加わり、可能なことが増えたとしてもどうするかは自然と決まっていた。
 あれをナハトから引きはがす。
「さっきの鎖を借りても良いか?」
「……どうぞ」
 魅月姫からコールの持っていた鎖を受け取り、かざしながら告げる。
「下がれナハト!」
 言葉に従い距離を取るが、完全ではないらしく直ぐに自由を取り戻す。
「……っ!」
「そうだ、これ!」
 小型のボイスレコーダーをりょうが投げて渡す。
 即座にスイッチを入れ流れ出したのは、ジャバウォックの詩。
 もう一度と試すと今度は更に強い効果が得られた。
「使用回数は抑えてください」
「解った、行くぞ!」
「はいっ!」
 仕度をしている間、少しでも確実に距離を取れたらと啓斗が持っていた火薬を使ったのだが、予想外に効果があったのである。
「火も弱いようです」
 それでも人ならざる反射速度を相手にするには辛い物があったが、火を側に置いておけば攻撃されにくいと気づいてからはどうにか対応

できる様になり鎖を使うのも少ない回数で済んだ。
 間合いを取りながら攪乱している間に、徐々にスピードが落ちていることも気に掛かる。
「早くしないと……っ!」
「前!」
 知らせようとした啓斗が気配を察し大きく飛び退く。
 一瞬前まで立っていた箇所を黒翼が刃物の鋭さを持って切り裂いていた。
「まだ……大丈夫みたいだな」
 啓斗とヴィルトカッツェに注意を向けている間。
「少し場が乱れすぎていますね」
 教会で悠也が試していた、コール達が作った強固な結界を反転させた物を作り辺りを浄化する。
 段階を踏んだ方がナハトにとっては楽なはずだ。
 効果の高い浄化のようだったから、ナハトにこれ以上ダメージが及ばないようにこうした方が良いと思っての事。
 悠也が手に入れたサンプルを調べた結果、高い浄化能力と幾つかのキーワードがそろわなければ全てを取り去ることは出来ない。
 だがダメージを与えるだけであるのなら、少ない浄化で済んでしまうのだ。
 攻撃をするためだけの、特定の人間にナハトを殺させる道具。
 気づいてしまった。
 彼らは、りょうにナハトを殺させようとしていたのだと。
 夜倉木かナハトか……幾つも立てた計画の内、どれかが成功すれば良かったのだろう。
 こんな事を考えたコール達の礼は、後で必ず。
 だから今は、相手が悔しがる程にそれを覆して見せよう。
「これでやりやすくなった筈です」
「準備はどうですか?」
「お時間を頂けたお陰で万全です、参ります」
 結界を張るその間際。
「ちょっと待ったぁ!!!」
 大きなエンジン音と、それ意地様に大きな待ったの声と共に駆け込んできたのは紛れもなくりょうだった。
 急ブレーキをかけ停止するバイクから、羽澄が軽やかに着地する。
「良かった、まだ間に合ったみたいね」
 ヘルメットを外し、さらりと鮮やかな所為銀の髪をなびかせながら微笑んだ。
「それでは結界、張らせていただきます」
 今度こそ、撫子の作り上げた結界が辺りを覆い尽くしていく。
「浄化陣……」
 浄化の力が発動し、広範囲に高い浄化の力が作用し始めた。
 内からは外に出さない。
 外からは中に入る事も出来ない。
 どこまでも澄み切った空気は、外側から黒い水の力を浄化していく。
 一度に清めるのが危険であるのなら、少しずつ浄化すればいい。
 段階的に場は清められていたし、複雑に変化させるための時間も取れた。
 まだ終わってはいない以上は安心出来ない。
 本当の勝負は、ここからだ。
「もう大丈夫、下がってください!」
「……!」
 悠也の合図を受け、啓斗とヴィルトカッツェが全力で距離を取る。
「……りょ、う」
 獣の口がたどたどしく名を紡ぎ、狙いを定めたように走り一瞬で間合いを詰めてきた。
「りょうっ!」
「危ないっ!」
 爪が届くその寸前、見えない手に拘束されたかの様に動きを止める。
 特殊な形であれ、シュラインが懸念したように力が食われないか心配したのだが……直接触れていなければ大丈夫のようだ。
 その証拠に、羽澄が渡した鈴はなっていない。
「超能力も効くみたいだな、結構疲れるけど……」
「気づいていたんですか?」
「………そーじゃないかなとは思ってた」
 僅かに驚いたような表情を見せるが、直ぐに悠也は視線を戻す。
「そうはさせません」
「ああ、だから……助けてやってくれ」
 動きを止めている間に、ナハトの背後に回った悠也が手にした聖水を飲み、量の減った翼を取り込み部分を自らに同化させていく。
「……っ!」
 ほんの少し前に飲んでいた聖水と拒絶反応を起こし、落ち着くまで強い痛みを伴っていた。
「大丈夫、悠也君」
「はい、もう落ち着きました」
 これでかなりの量の黒い水は取れたわけだが、体内に入り込んだ物は別だ。
 混ざり合っている物は、分離するのには危険が伴う。
「がっ、あああああ!!!」
 激しく咳き込み、のたうち始める。
「これ以上はナハト様が持ちません」
「ちょっ、長く止めてられない!! ってか俺もやばい!!!」
「鎖は!? あれでコントロールしてたんだ」
「やむを得ません、もう一度だけ動きを止めます」
 動いて傷口を広げるよりはと魅月姫が手をかざしかけたのを悠也が静止した。
「意識を取り戻してからにしないと危険です」
「誰か押さえるの手伝ってくれ、試してみるから!」
「はい」
「わ、わかった」
「ナハト、もう少しだから」
 全員でかけより、これ以上動かないようにしっかりと押さえつける。
 触れる物の力を吸い取り始めるよりも、こちらが動く方がもっとずっと早い。
「息は止めろよ!」
 手足を押さえ付けたナハトの上にりょうが飛び乗り、右目のある場所へと掌を押しつけた。
「獣よ眠れ! HOLY NIGHT!」
「―――っ!!!」
 びくりと体を跳ねさせ、獣の姿から人の姿へと変わっていく。
「………っあ?」
 まだ虚ろながら、大分正気を取り戻してはいるようだ。
「戻す……方法。後は、頼む」
 力の使いすぎで倒れかけたりょうを受け止めながら羽澄が歌う。
 聖夜に……彼に向けて唄うのは、天使祝詞が一番ふさわしいと思った。
 力を乗せた優しい音が、煌めく欠片となって降りそそぎ、心身共に癒していく。
 次第に抵抗する力が弱まり、ナハトが正気を取り戻す。
「………ぅ」
「無理して喋らないで」
 外見上はさほど酷くないが、中はどうか解らなかった。
 血も吐いているし内蔵系も早く回復したいのだが……今は僅かしかできない。
「意識はありますね」
 目の前で悠也が動かす手に、微かにだが頷き返される。
「もう大丈夫みたいだな」
 ホッと息をつくのも束の間。
 最後の仕上げに取りかかり始める。
 幸いにして、全ての条件は揃っていた。
「コールが持っていた鎖と……」
「ジャバウォックの詩」
 いま居る場も、教会とは真逆の状態で整えられている。
 条件としては最高の状態だろう。
 完全に浄化できるのに、そう長い時間はかからなかった。
「完全に払いました」
「ナハト……? もう少しだけ頑張って!」
 ケガの具合を見て、ぞっとする。
 魔力や生命力がごっそりと削られているだけではない。
 内側から闇に浸食された箇所は人であったら、等に命を落としているだろうケガを負っていた。
「急いで治療を!」
「手伝います」
 羽澄、撫子、悠也。
 治癒が出来る者全員で回復を始める。
「ナハトの回復力なら……きっと治る」
 両目とも閉じたままのりょうに気づいた啓斗が首をかしげた。
「……?」
「力を使いすぎただけだから、直ぐに良くなる。それよりも……向こうは大丈夫なのか?」
「………あ」
「……え?」
 サアッと血の気が下がる。
 そう、同じ物を身に纏った者はもう一人いるのだ。





 ■虚無


 直ぐに集まれたのは、コール達が本部のある方面へと向かっていたからだ。
 ディテクターが運転する車に拾われ、後を追うこと暫し。
 おそらくは何かして、りょうの所に行くか誘き出そうとでもしているのだろう。
 どんな手を使おうとしてたかは疑問に思うが、この目で直接確かめてなんて事はして良いはずない。
 そうなってからでは遅すぎる。
「どうする?」
「出来るだけ様子を見たいが……」
 大きなトランクの方へとディテクターが視線を移す。
 厳重に封の張られた中には、ディドルの頭が入ったままだ。
 位置がこれでばれることはないが……あまり良い気分ではない。
 この件はこちらで対処しなければ、上がどんな荒っぽい手を使うか解らないのだ。
「最初に出て来るのが俺等だって解ってるって事か」
 溜息を一つ。
 どうやら、ここで対処しなければならなようだ。
「相手も三人だしな」
「嬉しくねぇな」
「とにかく行くぞ」
 線路沿いの通行量の少ない箇所まで来たところでアクセルを踏み込み、急加速させた車の勢いをそのままにコール達の車にぶつける。
「よっ!」
 反対側から身を乗り出したドランカーが手裏剣をタイヤに向け投げつけ動きをつめさせた。
 速度が弱まったその隙に前へと回り込み、動きを取れなくする。
「行こう!」
 始めてしまったからにはもう後戻りは出来ない。
 車内から素早く飛び出し迎え撃つ。
「ずいぶんと乱暴な手を……」
「人数少なくね?」
 それに対しゆっくりと扉を開きで出来るコールとディドル。
 タフィーは何かを言われたのか、未だに車の中だ。
「……」
 言葉を向ける気はない。
 いまは隙をうかがい、捕らえることに専念するのみ。
「黙りか? まあいい、これを見てもそうしてられるか?」
 手にした鎖を鳴らし、呪文を唱える。
「やばい……何か来る!」
 バサリ、と羽音。
 黒い大きな影が静にコール達の車の上へと着地した。
 黒い服に身を包み、背にはカラスのような翼を背負っている。
「……月見里」
 ぽつりとディテクターが呟く。名
 そう、精気のない瞳をしているが、目の前の少女は確かに本部で行方知れずになった筈の千里だが、コールは容易くそれを否定してしま

う。
「いまは、アリスだ。向こうにも回そうとしたが……こんな様子でね、手放せなかったんだよ」
「くそっ!」
 鎖の先の十字架を握り、口を開こうとするより前にディテクターが銃を向け引き金を引く。
「おおっと!」
 鋭く伸びたディドルのかぎ爪でそれを払ったと見るや、続けざまに数発。
 同時に北斗とドランカーもコールに斬りかかる。
「アリス!」
「駄目だ、離れろ!」
「……っ!」
 唐突にかかる静止に北斗は前に進みかけていた足を止め、横に飛ぶ。
 人並みはずれた速度だが袖には刃物を投げられたかのように切り裂かれていた。
「……羽、か」
 車の上から千里が見おろし、翼を大きく広げて見せる。
 威嚇や脅しではなく、羽一枚一枚すらも武器として扱えると言うことらしい。
「……厄介な」
 うかつに近寄れないとドランカーが呻きつつ、しっかりと間合いを計る。
「良い盾だとは思わないか?」
「悪趣味だな」
 先に千里を押さえなければ、直接コールを叩くことは出来ないようだ。
 前に立ちはだかった千里にコールが命ずる。
「やれ、アリス」
 短い一言は、戦いの始まる合図。
 羽ばたく翼から打ち出された羽が鋭い刃に変化し、体を掠めながら地面や壁へと突き刺さる。
 黒い水を材料に、千里本人の能力を混ぜて自在に変化させる為にうかつに近寄れない。
「ありゃ何なんだ!?」
「俺に言われても解るか! あれで操られてるって事ぐらいだ」
 深く催眠をかけられているためか、短く交わした会話程度には反応はない。
「そうだ!」
 どうしていまで気づかなかったのか?
 北斗は懐に入れていた鎖を取り出し強く握りしめる。
 千里がああなる直前、ディドルが使ったのがこの鎖なのだから同じ事が出来る可能性は高い。
 手にしたまま、声が届くように念じつつ思い切り叫ぶ。
「………っ! 月見里、何のためにここにいるんだ!」
「……!」
 帰ってきたのは微かな反応。
 小さくコールが舌打ちし新たに命令をとばす。
「耳を傾けるなアリス」
「……っ!」
 立て続けに鎖を使ったせいか、強く自らの体を抱いたまま動きを止める。
 例え能力は高くとも、人の体ではそれを支えることが出来ないのだ。
「……くそっ、わざわざボーダーラインを一足飛びに越えなくても良いだろうに」
「しゃあねぇな……」
 目を細め、ドランカーの青く変化した瞳が千里の姿をまっすぐに見据える。
「浄化なら効きそうだ、後は火と……他は気をつけろよ、食われる」
「解った!」
 別方向からぎりぎりまで距離を稼ぎ、同時に浄化を試みる。
 除霊や火気の力を使い水だけを幾らか払ったその瞬間。
「キャアアアアアアアアアアアアアア!!!」
 喉が裂けんばかりの悲鳴にゾッとして飛び退く。
「残念、しっかり同化させてある。水だけでも攻撃すればアリスにもダメージは行く」
「くそっ!!」
「楽しい見物だった」
 いやみったらしい笑みを浮かべ、車に乗り込み走り去っていく。
「まてっ!?」
「今はまずい!」
 追いかけたくとも、千里が車との間に立ち立ちはだかりそれを防ぐ。
 コールに苛立ちつつ、ドランカーは苦々しく呟いた。
「………方法なんて、一つだ」
 限界が近いのだろう、威力が次第に弱まってきたのは解っていたからこそ……思考を止め、足下を狙い投げた投具に空へと回避する千里


 その死角から現れた北斗が翼に刀を突き立て、凍り付かせていく。
「あ、ああ……!!」
 翼が重みに耐えきれずに落ち、音を立てて砕け散る。
「……くっ!」
「―――……っ!!!」
 悲鳴も上げずに目を見開く千里。
 身に纏った物は更に凍り付く範囲を増やしていくのに対し、黒い水は尚も動こうと藻掻いていたが直ぐに動かなくなった。
「悪いな」
 ドランカーが当て身を喰らわせ、意識を失い倒れた所を受け止める。
 息は辛うじてあるが、本格的な治療をしなければならないだろう。
 時間をかけて死なせてしまうよりは、賭になったとしてもこうするより他に選択肢など無かったのだ。
「………!」
 戻ってきたディテクターは驚く物の、直ぐに事情を察したらしい。
「直ぐに治療できるよう手配しておく」
「コールは?」
「本部の方へ向かったのはみたけど」
 早々は入れないとは思うが、確実に厄介な事になる。
 車に乗り込み、急いで本部へ向かおうとしたが……事態は予想外の方へと向かっていたのだ。
「待て……何かおかしい」
 少し先に、コールの乗っていた車が止まっている。
「………」
 エンジンも何もかもそのままの状態で、放置されたままだった。
 嫌な予感がぬぐいきれない。
「罠ではないようだ」
「……確かめよう」
 ディテクターに先に行ってもらい、北斗とドランカーが慎重に車に近づく。
 罠はないようだ。
 あの短時間でそうそう凝ったことが出来るとも思えない。
 覚悟を決め、窓から中をのぞき込み絶句する。
「…………っ!!!」
 中には只一人、コールが心臓を撃ち抜かれ死んでいた。





 ■発生


 本部内、狩人宅。
 携帯を切り、受話器を取り上げる。
「月見里嬢は緊急治療室に運ばれたそうだ」
 ぎりぎりで間に合ったのだと安堵しかけるが、喜べる状況でもない。
 僅かにためらったが、シュラインは意を決したように尋ねる。
「容態は?」
「……これから次第だな」
 本部の直ぐ側だったからもそうだが、タイミング良く魂喰らいに触れることの出来るアイテムを用意していたことも治療が早く行えた要

因の一つだ。
 黒い水の摘出方法も解っているのが不幸中の幸いだが、回復するにはかなりの時間を要するだろう。
「………夜倉木とナハトも動くことの出来ない状態。タフィーはいまも捜索中」
 ソファーに深く沈み込み、天井を見上げる事数秒。
 どうにも覇気がないようで、流石に落ち込んでいるのかも知れない。
 そんな狩人の頭をかなみがぽんぽんと撫でる。
「……はい?」
「元気なかったから」
 あっけにとられた狩人に、かなみが微笑み返す。
「元気でたみたいですー☆」
「よかったですねー♪」
「………あー、と、とにかくだ」
 明るい悠と也の言葉にわざとらしい咳払いを返してから、話を切り替える。
「コールは、間違いなく死んでたそうだ」
 再確認する狩人はいつもの通りに戻ったようだ。
 もう大丈夫そうだと汐耶が推論を口にする。
「撃ったのはタフィーだとすれば、コールは彼女の中に?」
「おそらく不利だと悟って撃たせたのかもしれません」
 ゾッとしない行動だが、おそらくメノウが当たりだろう。
 取り込まれるのでもなければ、そんな事する必要はないのだ。
「問題はその後どこに行ったかよね」
「とにかくみんなにも連絡をして……?」
 結局、タフィーの行方で行き詰まりかけたその時。
「………あ」
「―――なっ!」
 同時に声を上げた汐耶と狩人は耳を押さえ、揃って顔をしかめた。
「どうしたの!?」
 驚いてリリィが駆け寄ろうとするが、耳を澄まし何かを聞き取ろうとしているのだと解り足を止める。
「………泣いてる」
「まさか……タフィー?」
 何か解ったらしい二人に、シュラインが改めて問いかけた。
「一体、何が聞こえたの?」
 肉声ではない。
 聞こえたのは、汐耶と狩人だけ。
 だとすれば触媒能力が関係しているのだろうか?
「場所は新しく生まれた異界の中だ……無差別なんだと思う」
「会いたいって泣いてるんです。私だと解っていってる訳では無い様だけど……なんて、悲しい声」
 会いたいと強く願い、一人の少女を核に作られた新しい異界。
 それは、不可能を可能にする場所。





【続く】



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0164/斎・悠也/男性/21歳/大学生・バイトでホスト】
【0165/月見里・千里/女性/16歳/女子高校生】
【0328/天薙・撫子/女性/18歳/大学生(巫女)】
【0554/守崎・啓斗/男性/17歳/高校生(忍)】
【0568/守崎・北斗/男性/17歳/高校生(忍)】
【1282/光月・羽澄/女性/18歳/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1449/綾和泉・汐耶/女性/23歳/司書】
【4682/黒榊・魅月姫/女性/999歳/吸血鬼(真祖)/深淵の魔女】
【5772/芽代・浅間(ドランカー)/男性/34歳/忍者な高校教師】

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
文章は同一の物になってます。

今回も長くて、読んでいただけた方々にはお疲れ様です。
事件は一段落付いたり付かなかったり。
ナハトに驚いた方が多かった様で。
こっそり考えてたナハト救出条件(ジャバウォックの詩と鎖)
それが全部クリアできてたり、それ以上になってたりしてました。

次回、最終回。
よろしくおねがいします。