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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


 ◇◆ この夜が明けるまでに ◆◇


 それは月明かりさえ朧な、深い深い夜のことだった。
 時計の針が二本重なり、天辺を示す時刻。『仕事熱心』な興信所所長は珍しく、事務所で残業なぞを噛ましていた。
 すでに限界まで放り出していた報告書を片手に、眠気覚ましに煮詰まったコーヒーをカップに溢れんばかりに注いだところで、心臓に悪い音が鳴り響いた。
「はいはいはい勝手に入って頂いても構いませんよ〜!」
 とんとんとんとん、と重なるように、ドアが叩かれる。
「差し招いて貰わねば、立ち入ることは叶わぬ」
 ドアの向こうから囁かれたのは、そんな謎めいた台詞。
薄く開かれた扉からするり、と猫のように滑り込んできたのは幼い少女。漆黒の、レースがふんだんに使われたドレス姿、金髪碧眼のビスクドールのような子供だった。
「失礼する。ひとつ、願いがあって参った」
 セピア色の写真から抜け出したような、どこか古びた印象の絶世の美少女。
 彼女は前置きもそこそこに差し出したのは、彼女にそぐわない、古びた粗末な手ぬぐいだった。広げてみれば、茶色く乾いた染みが付いている。端には、薄紅で小花の染め抜き。だが、どちらも長い年月を重ねたかのように黄ばみ、色褪せてしまっていた。
「これを、持ち主に返したい。探してくれぬか? あいにく、眠りから醒めたばかりでこの場所には不案内でな」
 堅苦しい口調で、少女は云う。小さな唇は真っ白な肌に不似合いなほど鮮やかに、赤い。
「眠り、とはなんでしょうかね……?」
 訊かない方が好いと感じながらも口走ってしまうのは草間の悪いところか好いところか。少女の全身から発せられる陰気な雰囲気に嫌な予感を感じながら、ついつい訊ねてしまう。
 果たして、少女の回答は草間の予感を裏づけするもの。「もう、百年ほど眠ったか。眠りに着いたのは、まだこの地に欧州からの船が行き来するようになったばかりのころ。我は狩人に追われてこの地に辿り着き、この地に辿り着いてもまだ尚、追われた。深手を負ったこともある。そんな折にこの手ぬぐいの主は我を庇い、我の傷を手当てしてくれた。この手ぬぐいで血を止めてくれた。その者とはそこで別れたきり。我はその後深い眠りに着き、手ぬぐいは我の手元に残ったままじゃ」
 そう説明してから、懐かしそうに姿ばかりは幼い少女は、手にした手ぬぐいを見下ろす。
「……お幾つになられるんでしょうかね、アナタは」
 恐る恐る、草間は十歳かそこらにしか見えない少女に訊ねる。少女は、馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「なんの。まだ若輩ぞ。五百を幾つか超えたほどだからの」
 くっと吊り上った口許から、鋭い犬歯が覗く。
 それは、そう――ひとの喉元に喰い付いて、血を啜るのに適した牙だ。
「我の願い、叶えてくれるであろうな? 無論、礼はする」
 そう云って彼女が差し出したのは、古びた金貨。泥のこびり付いたもの。端が欠けたもの。いくつもいくつもの黄金の塊が、魔法のように彼女の手のひらから溢れ出す。
「我は、日のひかりに弱い。できることなら、今日、この夜が明けるまでに叶えて頂ければ有難いがな」
 ぱらぱらと、無数に零れる金のひかり。
 かちん、とそのひとつが草間の靴にぶつかったところで、草間は、思考を放棄した。
「……喜んで、お受けさせて頂きマス」
 口にした瞬間の後悔は、ともかくとして。

        ◆◇ ◆◇◆ ◇◆

「まず、あなたのお名前をお聞かせ願えませんか?」
 凛とした、どこか少年じみた明るい声で切り出したのは花東沖椛司。
 真夜中の興信所。普通なら眠りに着いているはずの深夜の呼び出しに、彼女は素早く応じてくれた。
 だがそれでも、眠気が勝るのかしきりに目を擦ったりあくびを噛み殺したりしている。その仕草もまた、女性ぽさよりも少年くさく、可愛らしい。
「そうですわね。まずは、自己紹介が基本かと」
 椛司とは真逆、海原みそのが、あどけない少女の形にそぐわない艶美な笑みを浮かべて云い添える。ゆらり、と揺れた髪が、窓の外の宵闇よりも尚、漆黒を映し艶めいていた。かと云って、艶っぽいばかりではない。小さなガラスの破片がひらひらと煌めくように、幼い仕草に清純な印象も閃く。不思議な魅力の少女だった。
「見事な好対照ね……」
 不貞腐れた顔の草間のデスクに、濃く落としたコーヒーを置いたシュラインが呟く。だがその呟きは草間の視線を僅かに持ち上げさせただけで、他の人間の耳には届かなかったようだ。
「名前……?」
 依頼人の蛾眉が、不愉快そうに跳ね上がる。
「下賎の者に名乗る名は持ち合わせておらぬ」
 吐き捨てて、ふん、と顎を上げる。愛らしい姿に不似合いな高慢な笑みが、深紅の唇を彩る。
 更に彼女がなにかを口走ろうとしたとき、心臓破りの呼び鈴が部屋に響き渡った。
「〜〜〜こんばんはあ〜〜〜〜」
 眠たくて眠たくて溜まらない。こんな時間に叩き起こした奴なんざぶん殴る。
 声を文字に再編成したらこんな文句が浮かび上がりました。そんな雰囲気の挨拶を呻きながら、梧北斗が姿を現す。
「……お前、来たのか?」
 あんまりな草間の台詞に、くわっと北斗が歯を剥く。
「こんな時間に携帯鳴らしておいて、なに云ってんだ!」
「いや……まあ」
 言葉を濁す草間に、くすりとシュラインが笑う。
『……こんな時間に何の用ですか……?』
 地獄の底から這い上がりかけの声で、しかも一〇年に一度耳にするか否かの丁寧語で北斗が云ったときから、草間は正直、北斗の出動を諦めていたのだ。
「いやいやいやいや」
「来てくれて助かるわ、本当に。ね、武彦さん」
 片目を瞑って、シュラインがにっこり笑う。その色っぽさに、北斗はしぶしぶ文句の矛を収めた。
「で……なんか険悪だな」
 ぐるり、と北斗は部屋を見渡す。
 どこ吹く風のみそのに、少し顔を顰めた椛司。そして、凶悪な表情をした依頼人の少女で目を留めて、北斗はぼそり、と呟く。
「ぶさいくな顔」
「なんだと?!」
 少女が噛み付く。「だって、すっげえブスな顔してるぜ」
「ブスなどではない! 我にはきちんとした名がある!」
 喚いたところで、少女ははっと、我に帰る。
 そこでしたり、と、椛司が駄目押しをした。僅かに悪戯っぽく、目が光る。
「あなたのお名前をお聞かせ願えませんか?」
 ふう、と少女が仕方なさそうに溜め息を吐く。
「昔は……セス、と呼ばれることもあったかな」


 かたん、かたん、と積み上げられる古い冊子の、山。
 どこかで見た埃じみた代物に、椛司が呟く。
「……それって……」
「そう。あのときの資料よ。住所録に、地図。集めておいて好かったわね。また使えてしまうもの」
 にっこりとシュラインが微笑み、椛司の傍ら、古びたソファの開いたスペースに身体を滑り込ませる。椛司は腰を退けるのをおさえおさえ、手近な一冊を取り上げた。
「どちらで、その方にお会いしたんですか?」
 独り掛けのソファを占領した、非協力的なセスに訊ねながら、椛司はどこかたどたどしく地図を辿り始める。
 それを横目に、適当に持ち出したパイプ椅子に逆に座り、背もたれに顎を預けた北斗は肩を竦めた。
『一〇〇年前の手拭いか……それにしてもこんな子供が五〇〇年も生きているとは……ホントココは魑魅魍魎あらゆるものが来んだな……』
「御方へのお土産話も、時として一般的なものも好いですわね……」
 ふわり、と空気のように、傍らに佇むみそのが、北斗の思考を遮るかのように薄く微笑み、呟く。
 その端正な横顔をまじまじと見詰め、北斗は大きく溜め息を吐いた。
「魑魅魍魎……」
 類はトモを呼ぶ、ってか。
 口のなかでもごもご呟いて、もう一度溜め息を吐く。
「それにしても、どうしてこの興信所に?」
 ふと、椛司がセスに訊ねる。
「そうね。ずっと眠っていたのなら、地理に不案内でしょうに」
 シュラインも問いを重ねる。シュラインがいれた甘いカフェオレのカップに顔を埋めながら、セスは目を細めた。
「匂いがした。あの者と同じ色の血の、残り香が」
 微かな、小さな声。僅かな甘さを含んだ音色。
 あどけない容姿に、初めて似合う声をセスは発した。
「……この辺、ですか?」
 唯一、かたちを崩していない河川を頼りに場所を辿って、椛司が指差したのは四角く切り取られた区画。細かく区切られた屋敷街の他の小間よりも、優に一〇倍ほどはある。
 とんとん、とシュラインは指先で地図を叩いた。
「大きなお屋敷ね」
「確か、黒い塀が四方をぐるりと囲んでいた。その塀に寄り掛かり、目にも彩な錦を纏ったあの女がいたのだ」
「はあ……女の方、だったんですね」
 椛司が呟く。
「確かに、手拭いは花模様。不思議な話じゃないけれど……一〇〇年前に夜歩きする女性なんて、随分、活動的なひとだったのね」
 現代の活動的な女性を体現しているようなシュラインが、云う。
 がたん、と音を立てて、北斗が腰掛けていた椅子から立ち上がった。
「場所がわかったんだろ? 時間もねえし早速行動に移そうぜ?」
 せかせかと、促す。実際、ずっと待つだけだった北斗は好い加減、待ち飽きていたのだ。
「そうね」
 シュラインたちもまた、軋むソファから腰を上げた。


 真夜中、街を歩くことなんて普段、ほとんどない。
 両親も、兄達も、そんなことを云い出したらきっと、必死で止めてくるだろう。そして、もうひとりも。
「気持好い」
 ぐん、と星がほとんど見えない宵闇を見上げて、初瀬日和は深呼吸をする。
 手には、バドのリード。忠実な飼い犬は、日和を守るナイトのように彼女の横にぴったりと着く。背後には、同じ学園に通う一学年下の友人がふたり。
 稀な夜歩きは、僅かな後ろめたさと、気分の高揚を感じた。
「初瀬先輩って、夜歩きなんてしなそうですよね」
 少しの嫌味を籠めて囁いたのは、新見透己。その頭を有無を云わさずに殴り飛ばしたのは、とある事件で知り合った透己の友人だ。
「とげとげとげとげ、意味なくしない! カルシウムが不足しているのか糖分が足りていないのか。取り合えずはヨーグルトとチョコレートなの!」
 ぶ〜るが〜りあ〜と唄い出す彼女と憮然とした透己の顔に、日和はくすくす笑う。別に、透己の言葉のとげを気にしたことはない。彼女のとげは云わば条件反射で、決して悪気がないことは日和にもわかっていた。
 だからこそ、透己の家でお泊まり会を、と云う誘いにバドともども乗ったのだ。
「夜の空気って、凄く気持好い。空気が澄んでいる。なのに、ひどく濃い」
 敢えて物言いを付けるのならばひとつだけ。ほんの少しの冷たさが、僅かに、ひとを恋しくさせる。
 でも、そこまで口に出したら透己になにを云われるかわからないので、日和はただ、バドの頭をそっと撫でた。察したバドがぺろり、と日和の手を舐める。
 夜の果てに、煌々とひかるコンビニエンスストアの明かり。そこに吸い込まれた後輩を見送って、日和はバドの横にちょこん、としゃがみこむ。温まった毛皮の匂いがする。
 そっと、目を瞑る。
 視界が闇に覆われれば境界が消え失せ、夜の空気が肌に染み込んでくるような心地が、した。
 ふっと、影が落ちた気がして、日和は目を開ける。
 気が付けば、バドが低く唸っている。
「そなたの匂いか……それとも、移り香か」
 気配なく、目の前に立つのは、アンティークなドレスを身に纏った、幼い少女。
「いや……そなたではないな」
 独り首を振って、そのまま囁きの行方を解き明かしはせず、立ち去ろうとする。
「待って……」
「あら、日和ちゃん?」
 呼び止めようとした日和の名を、聞き慣れた声が呼んだ。
「シュラインさん?」
「どうしたの? こんな真夜中に」
 夜遊びと縁がなさそうな彼女の姿に、シュラインが首を傾げる。
「こんばんは。私、透己さんたちと一緒で」
「ああ、あそこか」
 ひょい、と首を伸ばしてきたのは、北斗だ。コンビニエンスストアのなかで、透己が顔を顰めて奥に引っ込み、もうひとりが大袈裟に手を振る。
「眠り姫も元気そうだな」
 ぶっきらぼうに呟いて、うん、とひとつ頷いた彼に、日和はふんわりと微笑む。
「どうかされたんですか?」
 シュラインに北斗だけではなく、椛司も、みそのも揃っている。それに、アンティークドールが動き出したような少女。不可思議な事象の気配を感じ、日和は小首を傾げる。
「依頼人、よ。ひと探しなの」
 ざっと説明されたあらましに、日和は少しだけ、考え込む。ちらりと見た時計の針は、丁度長針短針ともに、Vの文字をすり抜けたところだった。
「あと、二時間弱……厳しいです」
 ふっと、視線を流せばまるで夜に取り残されたように佇む、依頼人の少女セスの姿。
『そなたではない』
 そう呟いた瞬間、彼女の端正な顔を横切った情は、ひどく日和の胸に突き刺さった。
 凝らせた寂しさ。絶望的な切なさ。そういうものを、見た気がする。
「シュラインさん。私もお手伝い、できませんか?」
 知らず、日和はそんな言葉を紡ぎ出していた。


 いかにも大人の女性な、シュライン・エマ。
 あどけなさと艶美さをアンバランスに混ぜ合わせたような美少女、海原みその。
 柔らかな印象の女子高生、初瀬日和。
 凛とした、どこか女くさくない女性、花東沖椛司。
 やややんちゃなごく普通の男子高校生に見える、梧北斗。
 そして、トドメに時代錯誤のレトロなドレスを纏った幼い少女、セス。
 どう見ても一緒に行動することが不自然な五人組が、静まり返った夜の街を歩く。
「一歩、繁華街から入るとこんなにも静かなのね……」
 潜めた声で、シュラインは呟く。
「そうですね。なんだか、こんな大人数で歩くのが悪い感じです」
 椛司が、こちらも遠慮がちに返す。
「水のなかを、歩いているようですわね。濃い空気が、身体に纏わり付きます」
 みそのが微笑む。日和が、少し前に思っていたことと、同じ。嬉しくなって、にっこりと笑い返す。
「なんだか……落ち付かねえ」
 どちらかと云えば静けさが苦手な北斗だけが、ぼそり、と居心地悪そうに呟いた。
「セス、さん」
 日和が、依頼人の名を呼ぶ。不機嫌そうに、セスが振り返る。
「本当に、逢えるのだろうか」
 唇を尖らせて、呟く。不安そうに、声は細く細く夜の空気を震わせて、消える。
「できるだけのことは」
 安請け合いは、できない。だけど、彼女を、命の恩人に逢わせてあげたい。自分だって、そういうひとがいたら探し出してお礼を云いたい。借りたものを返したい、と思うだろうから。
 そんな気持を込めて、応える。
「あの者は……特殊な血の女だったと、思う」
 ふっと、溜め息のような声で、セスは呟く。
「とても、好い香りの血だった。だからこそ、忘れることはできぬ」
「いざとなれば、力を使わせていただきますわ。礼をするも……殺すも、ご自由に」
 長い髪を夜気に遊ばせながら、うっそりとみそのが微笑む。
 横を摺り抜けて歩いていく背中を、心の芯を冷やされたような心地で日和は見送った。
 血の匂いのすることを当たり前のように呟くその様は日和には相容れず、だが、純粋で透徹している。綺麗だから、悪意ではないから、否定なんてできない。そんな風に思えた。
 まるで、夜の空気が凝ったようなみそのの髪が、ゆらり、揺れる。


 六人が辿り着いたのは、古びた大きなお屋敷の一角。
 セスが指差したのは、立派な構えが据えられた正面の門ではなく、小さな木戸が取り付けられた勝手口の傍だった。
「ここに、かの者がいた」
 そう呟いて、目を凝らす。まるで、そこにいるはずの誰かを、思い出すかのように。
「さて、どうすっかね」
 大きく伸びをして、北斗が云う。
 確かに、場所はここであっているらしい。だが、それ以上の手掛かりは、ここにはなさそうだ。
「この、お屋敷のひとだったのかしらね」
 シュラインの声が、夜の屋敷街の静まり切った空気を震わせる。
「この時間に、お尋ねするのもなんですよね……」
 ちろちろと屋敷を横目で見て、椛司は当惑顔。だが、制限時間は日の出まで、なのだ。家人が起き出すのを待っていたら、あっという間にゲームオーバーになる。
 そんな他の人間の焦りを他所に、みそのは、微笑を浮かべている。どこか、そういう焦燥と云う要素も面白いエッセンスとして眺めているような、超然とした笑みだった。
「セス、さん」
 俯くセスを慰めるように、日和がそっと近寄る。そのとき、前触れもなく勝手口の木戸が開いた。
 ぼさぼさの髪に洗い晒しのシャツ。そしてジーンズと云う屋敷の威容にそぐわない、ラフな格好の青年が、顔を覗かせた。
「なんの集会なわけ? こんな真夜中に」
 ぐるりとシュラインたちを見渡し、皮肉っぽくそう云い放つ。
 くん、と俯いていたセスの顔が、持ち上がる。ぎらぎらと、漆黒の双眸がぬめる。
「お前……?」
『誰かに、似ている?』
 一方、日和もまた彼に既視感を憶えていた。
 彼の容貌、彼の言葉。それがひどく心に引っ掛かって、日和は考え込む。
 それを他所に、青年はぐっと、木戸を大きく開いて見せた。
「うちに用事だって云うんなら、どーぞ。盗るものがあるんなら、勝手に持って行ってくれたって構わんよ」
 にっと笑うと、無機質な灰色の眸がひらりと、ひかった。


 ぺたぺたと、青年は裸足のまま、無造作に回廊を横切っていく。
 欄間の浮き文様に、鮮やかな襖絵。広い庭には名石と呼ばれるだろう代物や、枝振り見事な松が配されている。そこここに置かれた花器や掛け軸。金が掛かっているんだろうなあ、と云うのが屋敷に対する北斗の第一印象だった。
 目がちかちかするような豪華さに見飽きれば、次に目に付くのはその荒み具合。どれも手入れが充分に行き届いてはいるものの、そこに住まう者の熱が感じられない。生活の匂いがしないのだ。
「こちらは、あなたひとりで住んでいるんですか?」
 シュラインの問いに、くっと、青年が唇を歪める。
「当主は他所に住まいを構えている。俺だけ、管理人として残っているんだよ」
 いやいやながら、と付け足したそうに、青年は云う。
「家業も放りっぱなし。全く、ろくでもない当主だよ。だから、どっからでも盗っていって結構。いっそ、隅から隅まで持って行ってくれた方が楽だ」
 放り出すように嘯いて、小さく笑い声を上げる。
 その腕を、セスが掴んだ。
「お前……これを知らぬか? お前と、同じ血の匂いの女が、持っておった」
 彼女が突き出したのは、件の手拭い。不審げに眉を潜めながら、彼は受け取る。
「きったねえなあ。花……こりゃあ、桜かな。そう云えば、先々先代の花紋は、桜花だった気もするけど……そう云う話じゃねえよな……」
「カモン?」
 北斗が聞き返す。
「そう。持ち物に付ける自分の印って奴だな」
「ハンコみたいなもんかよ?」
「そうだな。で?」
「そう云う話だと思うわ。その方、ちなみにいつの生まれの方かしら」
「亡くなったのは、俺が生まれる前のことだけどな。いまでも親族集まりの話題に上る、闊達な女だったらしい」
 二十代前半と思しき青年の言葉に、シュラインは顎に手を当てて考え込む。
「年代があっていなくもない、ですね」
 椛司が云う。みそのは、興味深げにゆったりと、周囲を見渡している。日和は、そっとセスの様子を窺った。
 一〇〇年前の人物。生きているとは流石に考えてはいなかったが、死んでいる、と聞かされてすぐ納得できるか、否か。
「その方の、写真かなにかありますか?」
「写真?」
 青年は繰り返して、天井を見上げる。
「多分仏間に、一通りあると思うぜ。先代。先々、先々先。その他諸々」
 そうして通されたのは、広い和室。何畳か畳を数えるのも面倒になる広さ、天井の壁に幾枚も、褪せた白黒写真の遺影が並べられていた。
 ほとんどが、女性。どれもどちらかと云えば、平凡な顔立ちばかり。青年自身に少しばかり似ている。
 無心にそれらを見上げていたセスの目がふと、一点で止まった。
「桜花ばあ様。そいつが、先々先代」
 青年の説明は、セスの耳に入っていたのか。
「……久方ぶり、じゃのう……」
 掠れた声が、その深紅の唇から漏れる。
「やっと、借りを返しに来た。が、お前はそれを受け取ってはくれなんだな……」
 ひらり、とセスの眸から涙がひとつぶ、零れる。甲斐のない、鋭いばかりの牙がふっくりとした唇を噛み締める。
「優しくされたのも、気遣われたのも。この国に渡って、初めてのこと。化外の我に触れたのは、お前ひとりだったと云うのに」
 セスの白磁の肌を滑り、細い顎の先から、ぽつり、手元に落ちる。
 ぎゅっと両手で、握り込んだ、手拭に。
「あ……」
 涙に触れた先から、さらりと、手拭いが崩れ、さらさらと砂の山が崩れるように解けていく。
 その、空気に溶け込んだ一瞬。
 勝気な灰色の眸をした女が、セスの頬に指先を滑らせて、微笑む。
 ――ありがとう。待てなくて、すまなかったね。
 優しいような、柔らかいような、微かな囁きがセスの耳元を擽る。
 そんな幻想を見た、気がした。
「……」
 セスの唇が歪んで、堪え切れず子供のように、あどけない容姿に似合いの幼さで、ぽろぽろと泣き出す。
 だが。
 その唇がゆっくりと笑みのかたちを取るのを、その場の人間は見た、気がした。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】

【 1388 / 海原・みその / 女性 / 13歳 / 深淵の巫女 】

【 3524 / 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生 】

【 4816 / 花東沖・椛司 / 女性 / 27歳 / フリーター兼不思議系請負人 】

【 5698 / 梧・北斗 / 男性 / 17歳 / 退魔師兼高校生 】

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■         ライター通信          ■
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 この度はご発注、ありがとうございました。ライターのカツラギカヤです。
 吸血鬼話、如何でしたでしょうか。吸血鬼である意味が余りなかったかしら……と後悔しつつ、こんな話を作成させて頂きました。少しでも、愉しんで頂ければ幸いです。
 繰り返しになりますが、ご発注、ありがとうございました。次回も是非、宜しくお願いします。