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<東京怪談・PCゲームノベル>


『幻想風華伝 ― 夢の章 ― 曼珠沙華の咲く川原』


 曼珠沙華の花を見た。
 それは真っ白に咲き誇る花で、
 まるでひまわりが真っ直ぐに恋い焦がれるように太陽へと背筋を伸ばしている姿を想像させるようにぴんと茎を伸ばしていた。
 その姿はとても気高く、そしてどこか俯き加減の花は恥かしげのようにも見えて。
 その花からイメージしたのは白無垢の花嫁衣裳を着た女性だった。
 もしもこの花が夢を見ているのなら、それはどんな夢なのだろうか、お寺の庭の隅で咲いていたその白い曼珠沙華の花を見つめながら私はそればかりを考えていた。



 ―――――――――――――――『幻想風華伝 ― 夢の章 ― 曼珠沙華の咲く川原』


【T】


 夏休み明けの実力テストも終わって、学校は一年で最大のイベントである学園祭の色一色に染まった。
 私のクラスも出し物の歌声喫茶の準備で盛り上がっている。男子が看板とかの大工仕事。女子は裁縫仕事担当だ。
 昨夜は遅くまで自分のエプロンと出席番号でペアとなっている男子のエプロンに刺繍をしていたから少し寝不足。
 だから今日はちょっと遅起き。10時13分。いつもなら本を読んでいる時間か、なずなのお散歩の時間。
「三文、逃しちゃったかな?」
 私は肩を竦めてベッドから立ち上がった。でもその甲斐あって刺繍の作業は終わったのだ。あとはペアの男子、桜庭君が気にいってくれるかどうかだけ。それが今の最大の気がかり。少し気が重い。
「気にいってくれるといいんだけど」
 自分では上手くできたつもり。やっぱり心を込めたのだから、喜んでもらえると嬉しい。
 机の上の鏡に映る私の顔はまだ眠そう。寝癖のついた髪を指で梳きながら鏡の隣の手帳を開く。蒼の蛍光ペンで今日の日付の欄に書かれている予定は、デート(と書いて、お買い物と読む)♪
 私は嬉しそうにその文字を書いた友人の冬月ひなたの事を思い出す。美術部の彼女は何でも今度の展覧会のために大きな絵を描くそうで、そのためのアクリル絵の具の補充のショッピングに付き合わされる事になったのだ。
 彼女の描く絵はいつも動物の絵で、それは本当に今にも動き出しそうなほどに精密でリアルで、私は彼女の絵を見るたびに舌を巻くものだ。
 だから私はそんな彼女を友人にもてた事に誇りを持ち、そしてちょっぴりと絵がある彼女が羨ましい。私には何があるだろう?
 青い空を見て、ちょっぴりと沈んでしまう。だけどそんな私の感情の匂いを嗅ぎつけたのか、庭でなずながわんわんと吠えた。
 私はそれに少しびっくりとして、それから笑ってしまう。
 確かに私にはまだ何があるのかわからないけど、でもその隙間はなずなや、家族、友人が埋めてくれて、それが幸せ。そしてそれが私が前に歩いていくための力となるの。立ち止まった時にそっと聴こえてくる優しさのメロディー。
 私はそれに合わせて歌う様に勇気を振り絞って前に歩き出す。
 鏡に映る私の顔の頬を一滴の涙がつぅーっと伝うけれども、それはそのままにしておいた。
 だってそれは嬉しい涙だから。
 窓を開ければ秋の香りのする風。それが素肌に心地良くって。
「わんわんわんわん」
 私の姿を庭から見つけたなずなの鳴き声が1オクターブ上がる。
「璃生ぉー、起きてるのぉー。起きてるならなずなを散歩に連れて行ってあげてちょうだぁーい」
 リビングの方からお母さんの声。土曜日の午前中に衛星放送で放送されている韓国ドラマは今は何よりものお母さんの楽しみ。邪魔はされたくない?
 思わず苦笑が浮かぶ。
「はーい」
 部屋の扉を開けて私はお母さんに返事をした。



【U】


 なずなのリードをしかっりと持って、お散歩に出発。
 彼女の尻尾はメトロノームのようにリズミカルに左右に揺れている。お散歩大好きな彼女にとってみればもう暑さも大分ひいて、とても涼しくなったこの初秋は過ごしやすいのだろう。お散歩日和。
「なんといっても運動の秋だしね。お嬢さん」
「わん」
 住宅街の道。そこを歩いているのは私たちだけだけど、周りの家々には人の気配がする。
 漏れて来るテレビやコンポの音色。
 人の匂いと街並みは絶妙に溶け込んでいて、そして私はそれが好き。
 昼間の朗らかなこういう空気も好きだけど、夕方の夕食を作る音、テレビの音、生活音、そういう人の香りと街が溶け込んでいる光景もまた好きで、だから私は夕方の散歩を好んでやる。
 歩いていると、向こう側からやって来たのは焼き芋屋さんだった。魅惑の文句を心地良いリズムでスピーカーから流している。
「美味しくって熱々のお芋だって、なずな。食べたい?」
「わん♪」
 私は本当はダイエット中なんだけど、なずなが食べたいというのならしょうがない。買ってあげよう。
 秋とは食欲の秋でもあるのだし。
「ね、なずな」
「わん♪」
 ゆっくりと走っていた焼き芋屋さんの車を手を振って呼び止めて、焼き芋六本を買った。まずは私となずなで一本ずつ。それで家に帰ってお母さんと二本ずつ食べる予定。兄と弟、お父さんには秘密。
「いい、なずな。あくまでも私はダイエット中なんだからね。なずなとお母さんのために買ってあげるんだからね? 私の負けじゃなく」
「わん♪」
「よし、いい子」
 熱々の紙袋を代金と引き換えに受け取る。手に移ってくる温もりに顔が綻んでしまい、その私の顔を見ながらおじさんがウインクする。
「ちなみにお嬢さん、かわいいから一本おまけしておいたからね」
 思わず顔が紅くなってしまった。
 くすっと笑う私になずなもわん、と一声吠えた。
 熱々のお芋。
 冷めないうちに美味しく食べたい。
 でもせっかくのお芋。綺麗な風景を見て食べたいじゃない?
 だから私は小走りに走って、その隣をなずなも並んで走って、一緒に川原まで行った。
 近所の川原。紅い曼珠沙華が群れをなして咲いている場所。
 吹く風にざぁーっと川の水面に波紋が浮かんで、そしてその音に重なって大量の曼珠沙華が揺れる。ワルツを踊るように。
 私は川原に降りて、曼珠沙華の園を歩いた。風に揺れて踊る花と語らうように。
 曼珠沙華の緋の色はとても綺麗だけど、どこか先入観のせいか見ていて心寂しくなるような時がある。
 この紅い花たちはどのような夢を見ているのだろうか?
 何を語りあっているのだろう?
 そしてどんな物語を持っているのだろうか?
 咲く花の一輪一輪が持つ物語。それが一つに集まって織り成される壮大なオペラはきっととても雄大な物で、心奪われてしまうのだろう。
 私は曼珠沙華の花の園で深呼吸をして、それを想像しようと試みる。



 紅い紅い、花の園で、その花たちが語り合う物語に耳を傾けて………



「わん」
 足下で大音量で発せられたなずなの吠える声。次いで右手がすごい勢いで引っ張られたのはなずなが走り出したから。私は思わずバランスを崩してリードを手放してしまう。
 なずなは嬉しそうに吠えて、紅い園を跳ね回る。赤とんぼを追いかけて。
 私はその光景に微笑ましい物を感じたり、なずなが曼珠沙華の花を折ってしまわないか慌てたり。
 緋の色の中で彼女の白はとても目立った。
 揺れる尻尾の振れはなずなのご機嫌が最高潮に達している事を教えてくれている。
「あ〜ぁ、でもお花が。とんぼが」
 私は曼珠沙華の花を折ってしまわないように気をつけながらなずなを追いかけた。
「なずな。はい。はい。ストップ。ストップ。お花もとんぼもかわいそうでしょう。めっ」
 なずなのリードをようやく掴んで引っ張って、彼女を止める。私は私の顔を見上げる彼女に右手の人差し指一本を立てて注意する。
「女の子はエレガントに! ね」
「わん」
 本当にわかっているのかしら?
 私はくすくすと笑ってしまう。
 そしてそれに合わせるかのようにお腹の虫が盛大に自己主張した。
 ぐぅ〜。
「わん」
「あっ、こら、なずな! もぉ〜う」
 だけどなずなの興味はもう別の事に移っていて、そして彼女はというと鼻先を私が手にぶら下げているお芋が入った紙袋にくっつけていた。
「運動の秋に、食事の秋。あなたは秋を満喫しているようね、なずな」
「わん」
「はいはい。じゃあ、食べましょうか?」
「わん」
 私は曼珠沙華の園に腰を下ろして、その私の隣になずなもちょこんと座る。
 紙袋を開くと、まだ温かいお芋のいい匂いが広がった。
「おや、これは良い匂いだ。お嬢さん、もしもよろしければ私にもお芋をくれないかい?」
 ふいに聞こえてきたのは見知らぬ人の声。細身の人で、帽子を取ってその人は慇懃無礼にお辞儀をした。さらりと白のおかっぱの髪が揺れる。
「えっと………」
 その人はにこりと無邪気に笑った。
「もちろんタダでとは言いませんよ、お嬢さん。お代は私の身体で払いましょう」
「なに、さらりとセクハラ発言しているのよ、このばか兎」
「………へ?」
 思わず小首を傾げてしまう。
 さらに目の前のおかっぱさんは慌てふためいた。
「な、ななななな何を言い出すんだい、紫陽花の君よ? 私はそういう意味で発言したのではなく、曼珠沙華の物語の世界に連れて行ってあげるよ、という意味でだね?」
「あら、それだってセクハラ発言よ。可憐な乙女をナンパする上等文句ではなくってそれは?」
「う〜〜〜」
 まるで苦虫をたくさん噛み潰したかのような顔。
 私は思わず笑ってしまう。
「えっと………」私は後ろを振り返った。そこには日傘をさした綺麗な女の子が立っていた。その紫の瞳が悪戯っぽく輝いている。
 ………こういう勘は鋭い方だと想うの。
「あの、もしもよろしかったら、ご一緒にお二人も焼き芋、食べませんか? 美味しいですよ、きっと。まだ熱々です♪」
 私は二人を誘う。
 女の子の方は分からないけど、きっとおかっぱさんはこの娘の事が好き。
「ありがとう」
 女の子はにこりと微笑み、
「ありがたく頂戴するよ」
 おかっぱさんももらってくれた。
「あの、私は笹川璃生と言います」
「あたしは十六夜。人はあたしのうつろぎな性格ゆえに紫陽花の君、と呼ぶわ。それでそっちのがばか兎」
「う・と」と、おかっぱさんは紫陽花の君に言って、それから私に微笑んだ。「兎渡と申します」
「はい。紫陽花の君に兎渡さんですね。はじめまして」
「はじめまして」
「ええ、はじめまして。璃生」
 日傘をくるくると回す紫陽花の君に、兎渡さんは小首を傾げる。
「しかし紫陽花の君よ、どうしてキミはここに?」
 そしたら彼女はとても意地悪そうに微笑む。
「あら、あたしはたまたま偶然ここを通りがかって、そして哀れなばか兎にナンパされそうになっていた仔猫ちゃんを救っただけよ?」
 紫陽花の君はにこりと微笑んで、私の頬にキスをした。私は苦笑を浮かべるばかり。
 三人と一匹で並んで焼き芋を食べる。
 残り三本。何となく持って帰るよりもここで皆で一緒に食べた方がいいかな? って、想ったの。
 だからそう言おうと想ったら、兎渡さんがおもむろに立ち上がった。
「さてと確かに見知らぬ者同士で物語の世界に行くのも躊躇する事柄だ。でもだからといって何のお礼もせずに済ませるには私のささやかなプライドが許さない。だからあなたのお友達にもご同行してもらおう。誰か一緒に曼珠沙華の花の世界に行きたい人は居るかな、璃生さん?」
 お花の物語、そう訊かれれば思い浮かべてしまう人は居る。
「白さんとスノードロップの妖精のスノーちゃんです」
 そしたら兎渡さんが少し嫌そうな顔をした。
「ふむ。紫陽花の君よ、やっぱりキミ、よからぬ事を考えていたね?」
「うん。あたしと友達になるんだ、って言った子が居てね、その子を困らせてあげようと想って来たのだけど、やっぱりやめたって。だってこの子の心、とても気持ちが良いし、あたしが手を下さずとも、やがて激しい運命が二人を襲う。未来において。だからこの二人の絆に手を出すのはやめようと想っただけ。何よりもあたしがこの子を気に入った。そういう事」
 ウインクする紫陽花の君。兎渡さんは溜息を吐いて、それから指を鳴らした。
 次いで兎渡さんの後ろに現れたのは白さんにスノーちゃん、それから知らない女の子。
「ほわぁ、璃生さんでしぃー」と私に抱きついて、それからめざとく焼き芋を見つけて、涎が大洪水のスノーちゃん。
「相変わらず花よりも団子ね」
「ひぇ。紫陽花の君でしぃ〜」
 スノーちゃんはそう言って私のカーデガンの裏に隠れてしまった。
「お久しぶりです、璃生さん」
「こんにちは、白さん」
「はい」
 それから私は白さんの後ろに居る全身黒づくめの少女に視線を向ける。でもなんとなくわかっていた。
「あの、ひょっとして綾瀬まあやさんですか?」
「ん? ええ」
 まあやさんはこくりと頷く。私はまじまじと彼女をあらためて見てしまう。とてもスノーちゃんに聞いているぴぃーで、ぴぃーの、ぴぃーな女の子には見えない。
「ん?」
 さらに小首を傾げるまあやさんに私は慌てて紙袋を差し出した。
「えっと、焼き芋。食べませんか?」
「食べるでしぃー♪」
 カーデガンの内側から聞こえてきたスノーちゃんの声に私とまあやさんは顔を見合わせて、そして笑ってしまった。
「でも何でまあやまで呼ぶわけ、ばか兎?」
 刺々しい声。紫陽花の君の声。
「キミが変な事をしないように」
「しているのは冥府と白亜だわ。ふぅー。給食費が無くなる度に疑われるヤンキーってこういう気分なのね。はいはい、あー、そうですよぉーだ。給食費が無くなったらヤンキ―のせいだわ」
 あっかんべーをして、それから指をぱちんと鳴らして、
 そうして気づけば私は緋の空間に居た。
 どこまでも続く曼珠沙華の花の園に。
 その私の耳にそっと吐息がかかる。
 声が、耳のすぐそこで紡がれる。
 それは詩だった。
 とても美しい玉響。
 そして風も無いのに波のように曼珠沙華は揺れて、その音に私の心は緋の色に染め上げられた。



【V】


 気づけば私は曼珠沙華の花の園に居た。
 いいえ、そこは元居た場所ではなく、もっと懐かしい匂いがするどこか遠くの地。
 貧相な着物を着た子どもたちは真っ白な狐の子を棒切れを持って追いかけている。
「わん」
 私の手が引っ張られた。手首に巻いておいたリードは解けて、なずなはそちらの方へと走っていく。
「わんわんわん」
 なずなは仔狐は無視して、その仔狐を追い掛け回していた子たちの方こそに吠えた。
「わんわんわん」
「わぁー、逃げろォー」
 子どもらは逃げ出して、そして最後に残った子どもは私を見てこう言った。
「それは悪戯狐じゃー」
 悪戯狐、そう呼ばれた雪のように白く美しいその狐は私の方をただ一瞥して、走り去っていった。


 その雪のように白い狐の姿が私に何かを思い出させそうになったけど、でも私はそれが何だったのか思い出せない。


「勇気のある犬ね」
「うん。なずなは優しいの」
 私は紫陽花の君に微笑んだ。
 彼女も笑う。
「ここは?」
「曼珠沙華の花の世界。あなたの心に一番に刻み付けられているね」


 私の心に一番刻み付けられている、曼珠沙華の物語。


「あの真っ白な狐は悪戯狐。村の者にはそう想われている」
 紫陽花の君はそう舞台のナレーションのように囁いて、そして世界の光景が変わる。



 +++


「くそぉ。くそぉ。くそぉ。薬草はどこよ? どこにあるのよ、薬草はぁ?」
 山奥の中。その女の人は必死になって何かを探していた。
 真っ白な長い髪の女の子。とても美しいその顔にはだけど必死の形相を浮かべていて、引き摺る左足からはおびただしい血が流れていた。
 探しているのはその怪我のための薬草だろうか?
「あ、あの、私も探します」
 私はそう言うが、しかし次の瞬間彼女は私の方を向かないまま、
「邪魔よ。あなたぁ」
 ヒステリックな声で叫んだ。
 でも私も負けない。その場にしゃがみ込んで、周りの草を見た。
「あの、薬草って、どんな外見をしているのですか?」
 今度は彼女は私を見た。
 とても冷たい目で彼女は私を見るけど、でも私は彼女に微笑んだ。
「わん」
 吠えるなずな。
 彼女はわずかに両目を見開いた。
 そして、
「私のじゃないわ。お婆さんのための薬草。外見は…」
 彼女は早口に私を横目で見ながら薬草の外見を説明してくれて、私はそれに頷いた。
「ありがとう。それを探しているのね。探してみせるから」
 しかし二人と一匹でそれを探しても、見つける事は叶わない。
 もしもここに白さんやスノーちゃんが居たら、そしたら少しは状況は変わっていたのかもしれない。でも………
「無いモノ強請りをしたって………」
 きゅっと私は下唇を噛みしめた。
 なずなが鼻先を私の頬に寄せる。
「ありがとう、なずな」


 私もいるよ、璃生。
 だから諦めないで。



 諦めないで―――



 ―――それは遠く未来から聞こえた声。
 運命の糸は繋がっているから、だから聞こえた声。



 笹川璃生。
 未だ本人は知らずとも、その心には輝く命の源、可能性が眠っている。
 頑なに蕾を閉じて、花咲く時を夢見て、今は眠っている、力。



「聞こえたよ、あなたの声」
 ―――いつも私が困っていると、励ましてくれる声。
 その声を聞くと私はいつも独りじゃないんだ、って想えるの。
 そしてだから私は立ち上がれる。
 差し出してくれる手があるから。



 心の中の私。
 見える手を、握る。
 ―――頑なに蕾を閉じている花は、わずかにその身を開いて…………


『璃生。真っ直ぐよ。そこから五歩前に』
 聞こえた声。
 私は五歩前に行く。


『今度は左に十歩進むのだ、璃生よ』
 左を向いて十歩。


『そう。それで右斜め前に見える木の根元、そこを見てごらん』
 私はそちらに視線を向ける。


「ありました。ありましたよ、薬草」
 私は大声で叫んだ。
 そして薬草を摘んで彼女の下へと走っていく。
「あの、大丈夫ですか? 薬草、ありました」
 彼女は私を見て、その視線をすぐにそらした。
「………すまない。その、悪いが私はそれを持ってはいけない。だからおまえが持っていってくれないか?」
「いいけど、でもあなたの足の手当てもしなくっちゃ。私、あなたをおぶっていくから」
「いや、いい。私はいいからそれを早く総一郎に持っていってくれ。早くばあさまに」
 私は戸惑う。
 その私の心を見透かしたように彼女は笑った。とても冷たく、酷薄に。
「私はあなたに前に救われた白狐だ。故あって総一郎の母親に薬草を授けたい。だが私はこの足だ。だからあなたが行っておくれ」
 彼女は白狐となって、そしてその場から消え去った。



 +++


 私は薬草を胸に森の中を走り、村に出た。
 そして彼女に教えられた家を目指して走り抜ける。
「あった」
 私は息切れをしながら家の戸口を叩いた。
「あの、薬草。薬草を持ってきました。おばあさんの薬草を持ってきたんです」
 どんどんと手が痛いぐらいに叩いた。
「あんた、薬草って、それ本当に」
 後ろから茫然とした魂が篭っていない声がした。
 振り返ると男の人が真っ青な顔をして立っていた。
 そして片手で顔を覆った。
「ありがとう。ありがとう。何処の人とも知らぬお方よ。だけど遅かった。ほんの少し遅かった。母は死んで、今医者を送ったばかりのところなんだ」
「へ?」
 私はその場に座り込んでしまった。
 頬が熱い。涙が流れているのが自分でもわかって、私は慌てて涙を止めようとしたけど、でもとめどなく溢れる涙を止める事はできなかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 私は謝り続け、そしてその人はありがとうと呟き続けた。
 遠くで狐の鳴き声が聞こえた。



【W】


 それは悪戯狐の仕業。
 総一郎はガキ大将だった。
 幼い頃から白の悪戯狐を追いかけていた。
 総一郎と白狐は犬猿の仲。
 総一郎は白狐を捕まえるために様々な仕掛けを仕掛けて、白狐はそれを嘲笑い、畑を荒らす。
 だがある秋の日、白狐は罠にかかった。
 それを見た総一郎の母親は白狐を哀れに思ったのか、白狐を逃がしてやった。
 そしてその次の瞬間に母親は胸を押さえて、その場に倒れた。
 村の者達は口々に白狐がその妖力で呪いをかけて殺したのだと噂しあった。
 総一郎も口にした。絶対に母親を殺した白狐を許さないと。



 そう紫陽花の君のナレーションが頭の中に響く。
 人々は知らない。
 真実を。持病だったのだ、きっと。
 ただ運が悪かったとしか言いようが無い。
 そして彼女は確かに救おうとしていた。
「でもそれはしょうがない事なのよ、璃生。例えばあなたがここで知っている星占いの知識とかを口にしただけでもあなたは魔女として狩られるわ。どんなに理不尽に思えても、此処ではこれが全て」
「これからどうなるの、紫陽花の君?」
「物語は起承転結。結に向かっていく。璃生」



 +++


 村の入り口に私は立っていた。
「わんわん」
 早朝の朝もやの中、前方に向かってなずなが吠えた。
 びくりと誰かが息を飲む気配がして、そしてその誰かが私の前に姿を現した。真っ白な長い髪の美しい少女。
「やあ」
「璃生。笹川璃生と言うの」
「私は…悪戯狐だ。他に名は無い」
 彼女は苦笑した。
「もったいない」
 私も苦笑する。せっかくかわいいのに。
 だから私は下唇に右手の人差し指を当てて考える。
 真っ白で、可憐な花のような少女。狐を連想させるような名前ではなく、花を連想させるような名前………
「鈴菜、という名前はいかがかしら?」
 私が小首を傾げると、彼女は両目を細めて微笑んだ。
「良い名だね。この悪戯狐にはもったいない名だ。だからお礼にあなたにこれをあげる。どんぐりで作った首飾り」
 彼女は私の首にどんぐりの首飾りをかけてくれた。
 そして狐となって悪戯っぽく尻尾を振ってかけていく。姿が見えなくなって、そうして声だけがかけられる。
「私と出会った事は内緒だよ、璃生」
 私は苦笑を浮かべて、それから村を見た。
 朝もやはいつの間にか晴れていて、人の気配があって、私は総一郎さんの家へと向かった。
 そこにはたくさんの人だかり。
「わんわん」
 なずなが吠えて、それで人垣が割れて、総一郎さんがほやっと笑う。
「やあ、璃生さん。おはよう」
「おはようございます」
 満面の笑みを浮かべる総一郎さんの足下にはまだ生きている魚やそれに山菜、マツタケまであった。
「ああ、ずっとうちの前に色んな物が置かれていくようになったんだ。どこの誰だか知らないけど、本当にありがたい事だよ」
「なんで総一郎の家だけなのか不思議なんだけどな」
「決まってるさ。総一郎はこうやって皆にわけてくれるからだよ。神様からの贈り物さ」
 私は知っている。この贈り物を届けているのが誰なのか。
 それはあの白狐。鈴菜だ。
 だけど私がそれを言ってしまったら、きっとこの皆の幸せは終わりを告げるのだろう。雪女のように。鶴の恩返しのように。
 でも………
「鈴菜。私にはあなたが置いてけぼりにされているようで、心が痛い」
 


 ―――でもそれが物語。
 だからそれが嫌で物語を壊している娘をあたしは知っているよ?



「紫陽花の君。あなたは何をしたいの?」
「知ってもらいたいのよ。この物語の結末を」



 聞こえてきたのは馬のいななき。蹄の音。
 村の中を駆け抜けてきたのは一頭の馬。手綱を握っているのは侍だった。
 侍は総一郎さんたちが持っている山菜や魚などをじろりと見たがそれには触れずに、懐から出した巻物に書かれた事を口上しだした。
 城のお殿様が白狐の狩りをご所望で、村人に明日お殿様たちが山に入るまで白狐に手を出さないように命令する文面だった。
 私は眩暈を覚えた。
 だけど総一郎さんをはじめとする村の人たちが浮かべた表情の理由は私と違う。それにも私は悲しみを覚えた。でも鈴菜の事を言わなかったのは、彼女はそれを望まないから。
 私はその場を後にした。



 +++


「わんわん」
 なずなが吠える。
 道に染み付いた鈴菜の匂いを辿って歩いてはまた私を振り返って、そしてまた歩き出す。
 深い森の中。鬱蒼と生い茂る木々。鳥の羽ばたきがとても不気味で足が竦むのだけど、でも私は鈴菜を逃がしてやりたいその一心で歩く。
「おや、これは珍しいのが来た。璃生」
「鈴菜」
 白狐は崖を器用に駆け下りて私の前に舞い降りた。
 そしてその身を美しい少女のモノへと変える。
「何を涙を浮かべている、璃生?」
「大変なの。大変なの、鈴菜。城の人間があなたを狩るって。明日。だから逃げて」
 私は彼女にすがりついた。
 鈴菜は驚いたように両目を見開くのだけど、でもその後に私に微笑んだ。
「ありがとう、優しい璃生。だけど私は逃げる訳にはいかないのさ」
「鈴菜」、そう言おうとして私は言葉を飲み込んだ。
 鈴菜の透き通るような白い髪に縁取られた顔に浮かんでいる表情はとても寂しげで、哀しげで、だけどどこか背筋を伸ばして太陽に向かって咲く向日葵のように凛としていて。
 私はその彼女の表情にようやくそれを思い出す。


 寺の庭の隅で見た白の曼珠沙華の花の姿………


 そして私は白狐の姿と戻った彼女が見ている方を見る。
 そこには総一郎さんが居て、彼は銃を構えていた。
「これはどういう事だ、璃生さん。あなたはぁッ」
「待って、総一郎さん。この子は、この狐は」


 けたましい銃声の音。
 私の声は掻き消される。


「黙れ。俺はその白狐が人から狐へと戻るのを見た。そしてそいつは俺の母を殺したんだ。生かしておけるものか!」
 叫ぶ彼に鈴菜はだけどくっくっくっと声を立てて笑った。
「馬鹿な総一郎。私を殺せばおまえの村は馬鹿殿によって滅ぼされるだろうよ。それでもいいのかい?」
「そんな事はおまえに言われるまでも無い。だからおまえがこの山から逃げぬように俺が見張っていてやる」
「ならば夜明けまで見張っているといいさ」
 睨み合う鈴菜と総一郎さん。私は眩暈を覚えずにはいられなかった。どうして、どうしてこんな事に………
 私は叫ぼうとした。叫んで真実を伝えようとした。
 でも私の声は………
 ―――声が出ない………
 すずなぁっ。
 私は鈴菜を見た。鈴菜は口を開けてにやりと笑う。私はだからもう、何も言えなかった。



 そして総一郎さんはそのまま鈴菜を見張り続け、山は朝を迎えた。
「行け、化け狐」
 総一郎さんはずっと鈴菜に向けていた銃口をそらした。
 鈴菜は口だけで笑い、きびすを返して立ち去ろうとした。
「いや、待て、化け狐」
 足を止める鈴菜。
「どうしておまえは逃げなかった。おまえなら俺が銃を向けていようが逃げれたはずだ。俺の前からも、これから来る奴らからも。おまえは何を考えている?」
「………おまえさまにはわからぬよ」
 それから鈴菜は私となずなに頭を下げて、走り去った。



 どうしてこうなってしまうのだろう?
 山には鈴菜を狩りに来た殿様たちが入って、夕暮れ頃になってふいに山から何羽もの野鳥が哀しげな鳴き声をあげて飛びだった。
 ああ、鈴菜は打たれたのだ、私はそう想い、事実私は声を出せるようになっていた。
「鈴菜」
 私は山を見ながら着物の胸元をぎゅっと掴んだ。なずなは私を励ましてくれるように足に身を摺り寄せてきた。
 総一郎さんは無言だ。無言で私と共にずっと朝から山の麓に居た。
 紅い紅い、曼珠沙華の花が咲き乱れるここに。



 そしてその音は聞こえる。
 しずしずと静にこちらにやってくる嫁入り行列。衣擦れの音。
 着物を着た狐は二本足で立って、提灯の明かりで先を照らす。
 輿に乗っているのは白無垢姿の綺麗な少女。白狐。鈴菜。
「すずなぁ」
 私は口を両手で覆って、泣いた。
 輿は総一郎さんの前で止まって、そうして綺麗な花嫁は総一郎さんの足下で三つ指をついた。
 顔だけをあげて、綺麗に微笑む。
「おまえさまを愛しておったのだよ、総一郎」
 とても幸せそうに微笑んで、そして鈴菜は消えた。
 ただ総一郎さんの足下には白の曼珠沙華の花が綺麗に咲き綻んでいた。
「総一郎さん」
「………」
「あなたの家の前に毎日魚や山菜を置いていっていたのは鈴菜だったんです」
 総一郎さんはとても驚いた表情をし、そしてぼろぼろと涙を零した。
 白の曼珠沙華の花はただ風に揺れていた。




「あなただったのね」
 気づけば私はあのお寺の庭の隅に居た。
 そこでひっそりと咲いている白の曼珠沙華。
 白無垢姿の鈴菜のように白い、花。
「とても哀しい夢」
「そうだね。とても哀しい夢」
 紫陽花の君が笑う。
 私はその彼女に微笑む。
「人魚姫、私ね、このお話を初めて聞いたときに哀しくって泣いてしまったの。とても哀しくって、王子様も魔女も大嫌いで、人魚姫の事ばかり考えて、泣いていた」
「うん」
「でもね、ある日お母さんが言ったの。璃生も恋をすれば、人魚姫が泡となって消えていく時に考えていた事がわかるよって」
「それでわかったの?」
「うん。泡となって消えていく人魚姫。恋をするまでは泣いていたのだと想った。でも違う。人魚姫は恋する王子様の幸せだけを祈り、その恋心に、恋する人を守れた事を誇って消えていった。好きだからこそ」
「うん」
「鈴菜もそれは一緒なんだよね」
「そうだね」


 怖い夢を見た。
 でも怖い夢を見ている最中に手が温かくなって、それはお母さんの夢に変わって、
 目を醒ましたら私の手を握りながら優しくお母さんが微笑んでくれていた。


 私はただこの白の曼珠沙華の花の夢が優しいモノになるようにそっと花に手を触れる。
 いつの間にか大きな扉があって、その扉の前に蜻蛉のような少女が居て、そして私の前に祈りが文字となって記されて、そうしてそれが蝶となって、白の曼珠沙華の花の中に消えていった。



 それは物語を変える祈り。



【ラスト】


 風が私の素肌を撫でる。
 秋の匂いを孕む風が。
「璃生さん、どうしたんでしか?」
 私の顔の前でスノーちゃんが小首を傾げている。
 私は川原に居た。紅い曼珠沙華が咲き乱れる川原に。
「ううん、何でもないよ、スノーちゃん」
 それはうたかたの夢。
 私にとっては長い時間だったけど、でも他の人にはうたかた。
 ただ………
「まあ、これは焼き芋代という事で目を瞑りましょう」
 兎渡さんにはわかってしまったよう。
 私はくすりと微笑んで兎渡さんに頭を下げて、兎渡さんは苦笑を浮かべた。
「あ、こら、鈴菜ちゃん」
 ふいに小さな女の子がやってきて、そして私の足下に咲く白の曼珠沙華の花を指差して嬉しそうに微笑んだ。
「綺麗だね、お姉ちゃん。まるで花嫁さんみたいだよ、このお花」
「そうだね」
 なずなに舐められてくすぐったそうに笑う女の子。
 私は鈴菜ちゃんのお母さんに頭を下げて、それから私はまあやさんを見る。
「あの、まあやさん、一曲、弾いて貰えますか?」
 彼女は優しく微笑んで頷く。
「何がよろしくって?」
「何でも」
 そして彼女がヴァイオリンで奏でる音色はとても綺麗で、優しくって温かい曲。まるで子守り歌のように。
 私はその曲に合わせて唄を歌う。
 私の足下に咲く白の曼珠沙華の花の唄を。
 鈴菜ちゃんと一緒に手を繋ぎながら。
 白の曼珠沙華の花はとても心地よさそうに風に揺れていた。


 ― Fin ―
 



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【2549 / 笹川・璃生 / 女性 / 16歳 / 高校生】


【NPC / 紫陽花の君】


【NPC / 兎渡】


【NPC / 白】


【NPC / スノードロップ】


【NPC / 綾瀬まあや】


【NPC / 白亜】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、笹川璃生さま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回はご依頼ありがとうございました。


 曼珠沙華と聞けば、私は狐を連想してしまいます。これは住んでいる土地のせいかと。(^^
 今回のノベルに出てきた紅い曼珠沙華の花が咲き綻ぶ川原というのがこちらにはありまして、つい先日にも新聞に載っていました。
 とても綺麗なのですよ。
 白の曼珠沙華の花も時折見るのですが、それもすごく綺麗で、いいな、と想います。
 花嫁姿のよう、というのは璃生さんの感覚を想像しながら白の曼珠沙華の花を見たら、そう感じられました。^^


 緋と蒼。
 この二色の色はとても好きです。
 映像で、どこかの蒼が満ちた洞窟を見た時、そして紅い紅葉が大量に舞い落ちているのを見た時、とても感動した事を覚えています。
 紅い曼珠沙華。そんな事を思い出しながら描写しました。


 璃生さんが白亜の能力を使って書き換えた物語。きっとその中では白狐の鈴菜はとても幸せに総一郎と生きているのだと想います。^^


 今回のノベル、PLさまにお気に召していただけましたら幸いです。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。