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<東京怪談ノベル(シングル)>


夜に哭く


 血塗られているかのように赤く染まった弓張月が、研磨された名刀の切先の如くにぼうやりと光る。
 
 人の立ち入らぬ、深い森の内であった。否。人足どころか、獣ですらも容易には近付かぬ、深く昏い森と喩えるが相応しいのかもしれない。
 広がる木立ちは立ち並ぶ墓石の様に佇み、風が吹けば骨と皮ばかりのその腕がぬらぬらと謳うが如くに揺らぐのだった。
 運悪く禁忌を破り立ち入ってしまった獣や鳥の屍が、墓石の根元にごろりと転がり、恨めし気に天を睨みつけている。
 ――今、その無念の名残を、敢え無く踏み壊して疾る者が居る。
 闇夜を劈き響き渡るは、気狂いじみた嬌声。風も無いその中を往くその影は、見ればふたつほど確かめられた。

 ざわざわざわ
 風は凪いでいるというのに、森を埋め尽す骨ばった樹林はその腕を大きくしならせている。
 紅い月が落とすその陰の下、ふたつの影は時に恋人同士が睦言を語り合うが如くに顔を寄せ、そして時には舞い跳ねるが如くに遠く離れを繰り返している。
 影の主は、一つは混沌とした泥水の底を思わせるような姿をしていた。
 乱立する木立ちに絡みつくようにうねる無数の腕は、切断されたすぐ傍から新たに産声をあげるのだ。身形の定まらぬその風貌は、さながら森を往く軟体動物の様である。
 対するは、すらりと伸びた体躯を持った青年。透けるような白い肌に漆黒色の洋装を纏っている。相対する異形の鬼を見遣るその眼差しは、鋭く揺らぎながらも細く笑みすら滲ませている。
 細められたその眼差しは、漆黒の天空に張りつく真紅色の月の如くに血色を漂わせていた。
 ざわと森の墓石が揺らぐ。
 青年が纏う漆黒色の外套が、ざわと揺らぐ森の空気に大きく揺れた。
 鬼は青年の血色の眼から逃れるが如く、その身をすうと闇に融けこませて失せた。
 ――しかし、青年は躊躇う事なく歩みを進め、森の内の混沌へと身を投じる。
 闇に乗じて青年の首を縊ろうと揺らぐ痩せ細った樹の枝は、空気が擦れる如くに疾った青年の手刀によって両断された。
 やんわりと微笑む双つの眼が、木立ちによって隠匿された森の果てを確と見定める。その刹那、青年の足は迷路のように捩れた森の中を抜け、なんの前触れもなしに現れた廃村の中へと踏みこんだ。

 森の中より一変したその景観に、青年は知らず眼を細める。 
 嘗て――果たしてどれほど前の時代だろうか。嘗ては人の息吹のあった土地なのであろうと思われるその景観は、今では跡形もなく失せている。旧い時代を思わせるむ棟は腐敗して崩れ落ち、永い歳月を風雨の中でさらされ続けてきたのだろう。苔と、ともすれば森の一部であるとも窺える程に、草花が其処彼処に根を張り巡らせている。
 青年はその草花をじわりと踏みにじって歩みを進め、ツと漆黒の天を仰ぎ見た。
 あるのはやはりぬらりと血を纏った薄い月ばかり。村を流れる風はどこか生温くさえ感じられる。
 青年はふと息を吐いて睫毛を伏せた。
 ――頬を、薄刃にも似た気配が撫でて往く。
 青年は、その気が何という名で呼ばれているのかを知っている。
 身震いさえ招き起こす、その心地良い感情を。
 
 伏せていた睫毛をゆらりと開き、自分を見ている視線のその主を真っ直ぐに見遣る。
 廃村の中央には広場があるのが見えた。――恐らくは、怪しげな儀式か何かでもしていたのだろう。漂う空気は常人であれば気が触れそうなほどに禍々しい。青年は、彼にとってはこの上なく心地良いその空気を吸い込んで、広場の真ん中に立っている異形の鬼に笑みを向けた。
 鬼は青年の微笑を確かめ、怒号を響かせた。
 地鳴りの様な雄叫びに、青年はやはり柔らかな笑みを滲ませる。
 ――――ああ、俺は、この気を何と呼ぶのかを知っている。
 

 青年は、名を美土路アキラと云う。美土路という性は、彼が文字通りの死神であると示している。殊、魔に属する人外なる者であれば、中にはその名を耳にしただけで腰を抜かす者も決して少なくはない。否、中にはその名を冠する男の到来を知った時点で、己の命を自ら絶る者も、確かに居ると聞く。
 また、それとは逆に、彼を屠り、己の地位を高めんとする者もある。しかしそうした血気盛んなる者共は、そのいずれもがその消息を絶っている。
 美土路の名を冠した若く美しい天才に近寄ってはならない。彼の男はその余りある才をもち、全ての魔を打ち消すだろう。
 魔に属する者共は、実しやかにそう語り合う。
 ――あの、薄気味の悪い血色の眼は、我等の同胞の腸をことごとく啜り食らっている証なのだ、と。

 
 アキラに殺戮技巧を叩きこんだのは、白髪混じりの初老の男だった。
 まさに生まれついての天才であったアキラは、男が教える技巧の全てを、水を得た砂の如くに吸収していった。否、それは吸収するだけに及ばず、それを我流に研磨し、我が物として身につけていたのだ。
 少年であった頃のアキラは、鞘を知らぬ抜き身の刃だった。出会う敵はことごとく粉砕し、アキラの後ろには魔の眷属の屍ばかりが山と積み上がっていったのだ。
 ああ、自分は最強なのだ、と。少年ながらそう思い、自分にはもう師など要らぬと、男の首に手を伸ばした事も、一度や二度ではない。
 そのアキラに、男はある時こう告げた。
 呪いを口にするのは容易い事だ。心は言葉として伝えれば、それが事実であるかのように聞こえてしまう。おまえの気迫は正直すぎる。貪欲で底のない泥沼のようだ。おまえは確かに天才だ。しかしそれゆえに愚鈍でもある。
 少年は男のその言葉に怒り狂い、全身から殺気を漲らせて男に刃を向けた。
 だが男はそれをただせせら笑うばかりで、一向に態度を変えようとはしなかった。
 その天分を極めたいと願うなら、この心得をその頭に刻みこめ。決して忘れず、ゆめそれを怠るなかれ――――と。


 脳裏を掠めた少年時代のその記憶に、青年はふと眼差しを細めて息を吐く。
 今、目の前にある鬼が纏うその気迫は、それはアキラに向けた殺意という心。
 ――――しかし
 アキラは鬼が放つそれを全身に浴びながら、心地良さげに笑みを浮かべる。
 ――――ああ、こういう殺意は、俺にはむしろ心地いい
 じりと歩みを進める。対し、鬼はアキラの歩と共にじりと歩みを退かせていく。
 生温い風が村を囲う森の木々を撫でて走る。ざあざあと唄うその声に、アキラは、知らず笑みを零していた。
「――――ッハ!」
 笑い声とも掛け声とも取れる息を吐き、アキラはその表情を変貌させた。
 天に架かる月は厚い雲に覆われ、地は照らす灯りのひとつさえ失った。
 次の瞬間、鬼は、アキラのその眼が天にあった月の様相を浮かべていたのを知った。
 血煙が宙に舞う。ざあざあと唄っていた森の木立ちは途端に凪ぎ、辺りには耳の痛くなるような静寂が訪れる。
 鬼の顔のその前には、人間とは思えぬ程に美しい青年の顔があった。鬼の眼を覗きこみ、青年の眼が愉悦を浮かべた。
 アキラは、一息で鬼との間合いを詰めていたのだ。互いの息がかかる程の距離で、アキラの腕が鬼の心臓を貫通していた。
 鬼は、最後に青年の、氷像の如くに冷たく美しいその造形を見遣り、――――にまりと不気味な笑みを浮かべた。
 阿呆め、貴様はもはやここまで
 鬼の口がそう言葉を紡ぎ、途切れた。

 再び流れ出した風が、アキラの外套を大きく揺らす。
 ざあざあと唄うその声は、村の其処彼処から現れた無数の鬼共の嬌声へとすりかわり、アキラを取り囲んでいた。
 周りを囲う異形の群れを確かめて、アキラはつと笑みを浮かべる。
 ――――ああ、なるほど。
 アキラが鬼を追い詰めたのではなく、鬼がアキラを招き入れたのだ。――この、異形ばかりが巣食う呪われた廃墟の真ん中へ。
 ざあざあと風が流れ、唄う。否。森をかき撫でるのは、それは風ではなく、異形共が放つ数多の殺意という名の心。解き放たれた数知れぬ呪われた感情が、その表情を隠そうともせずにアキラの全身を包みこんでいるのだ。
 それを知り、アキラはしばし口を閉ざした。

 少年であった頃、男はアキラにこう教えた。

「生涯に抱く殺意は、たった一つでいい」
 つまり、殺意は垂れ流すものではなく、刹那、刃と姿を変えて放てばいい。
 呟き、じりと足を進める。その両手には呪物と化した対のトンファーが握られている。
 風が唄い、アキラを囲む。
 アキラは月ひとつ浮かんでいない夜空を仰ぎ、こみあげてくる笑みを辺り一面に響かせた。
「――――さぁ、楽しいパーティーにしようぜ。心ゆくまで踊らせてくれ!」
 放ち、眼を開ける。
 歓喜の声を張り上げるアキラのその顔には、恍惚とした狂喜の笑みばかりがあった。
 

―― 了 ――