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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


滅びゆく世界の双星


 バブルが残していった新開発地区。不景気になったいまでは誰からも忘れ去られ、ビルとマンションは建設途中のままうち捨てられている。憩いの場になるはずだった公園には、雑草が生い茂っていた。道を縁取る街路樹も、手入れがされることはなく、ぼうぼうと無秩序に枝を伸ばしている。
 ここには電気も通っておらず、街灯は眠ったままだ。好き好んでこの辺りを散策する者は少ない。せいぜい風変わりな写真家が、昼下がりに、廃墟の姿をフィルムに収めていくぐらいだ。
 ごく自然に、さも当然のように、この地は人間たちから忘れ去られ、いつからか、人間ではないものや、人間から追われたものたちが棲みつくようになっていた。
 街路樹の下で、異形たちは少ない餌や縄張りを奪い合う。ビルの屋上で遠吠えをする。見捨てられたコンクリートの建築物が、音を立てて崩れ去ることもある。静寂に包まれているはずの廃墟で音が上がっても、東京の人間たちは不思議とそれを訝ることがない。どこか遠くの通りで事故があったか、工事をしている音なのだと思うだけだ。
 まさか廃墟で、2頭の竜が暴れている音だとは思うまい。


 満月が中天から落ちていた。


 満月が喚んだか、この2頭の異形の竜を。
 2頭は4階建ての、いささか小ぢんまりとしたビルの屋上で、睨み合っている。
 一方は炎のように赤い竜だった。羅火という名前そのままに、彼は火の息をついている。たてがみめいた赤い髪を持つ頭のほかに、胸、膝、右腕にも、余分な頭がついていた。彼が動けば、ぢゃらり、と両の手首を繋ぐ鎖が鳴る。この赤い竜は、赤い手錠で両手を繋がれていた。
 もう一方は――これもまた、異形であった。しかし、赤い竜がひと目で『竜』とわかるのに対し、こちらの漆黒の竜は、一見するといびつなクリーチャーとしか思えない。どこか、蟲のようでもあった。脚がいくつもあり、背に負う翼は鴉のものと蝙蝠のもの。この竜は、自らを裏社と呼ばせ、羅火の双子の弟であると云っていた。
 この2頭が双子であると気づく者は、いないだろう。姿があまりにも違いすぎる。羅火には、無理矢理ねじ曲げられたいびつさがある。裏社には、ごく自然ないびつさがあった。
 睨み合っていた2頭が、がうあ、と吼えると、次の瞬間には組みついていた。お互いの鱗が、お互いの爪によって傷つくことはなかった。あぎとから漏れる火と瘴気も、彼らを苦しめることはない。組みついたというのに、低く唸り合っているだけで、2頭はその鋭い牙を使おうとはしなかった。
 羅火がここで暴れているのはいつものこと。裏社も、最近になってからここに現れ、なにかの憂さを晴らしているかのような振る舞いを見せることもあった。が――2頭がこうして対峙するのは初めてだ。廃墟の窓から、街路樹の陰から、ここに棲みつくものたちがそっと顔を出し、固唾を呑んで、2頭の戦いを見守っていた。
『兄貴!』
 黒い竜が目を爛々と光らせて、無邪気にそう叫んだ。
『パイルドライバー、っていうやつ、やってみてもいいかな!』
『おう、このハイカラなやつめ』
 がるるるる、と羅火が喉の奥で笑う。
『やれるものならやってみい!』
 黒い竜の戒めから、赤い竜は事も無げに逃れた。裏社がよろめき、ずどん、とコンクリートの床を踏みしめる。眼窩の奥の光を強いものにして、裏社は尾を使い、体勢を立て直した。しかし、すでに羅火は、裏社の背後に回っている。
 羅火の赤い太い腕が、裏社の胴体に巻きついた。咆哮を上げて、裏社は身をよじる。羅火は火の息をつきながら唸っただけで、びくともしなかった。
 ぐるる、と呻く黒い竜。
 牙を食いしばった彼は、二対の翼をばんと広げた。蝙蝠の翼についた爪が、偶然、羅火の目をかすめた。羅火の腕の力が、わずかに緩む――。
 ずどうん! どしいん! がらがらがら!

 この大音響でありながら、実は2頭は、戦っているわけではなかった。羅火が過去の記憶をなくしていても(いや、消えているわけではないのだが、思い出すことを彼の心が拒むのだ)、この双子は仲が良かった。こうして羅火が本来の竜の姿を取り戻す満月の夜は、怪獣映画さながらに、ひと気のない場所でプロレスごっこに興じるのだ。要するにこれは、ただの、獣のじゃれ合いである。

『四の字に固めてくれるぞ!』
『やってみろよ! どの脚をどう極めるつもりさ?!』
『ええい、脚の多いやつじゃ! 2本ばかりもいでくれるわ!』
『あっ、痛い痛い! 兄貴! 折れる折れる!』
『わしを脳天から落としておいて何を言うか!』
『あっ……兄貴、待った! 待てったら!』
『女々しいぞ! 覚悟せ――』

 雲さえ吹き飛びそうな轟音が、2頭の竜を飲みこんだ。竜のタッグが繰り出す技の応酬に耐えられず、2頭が屋上にいるビルが崩壊したのだ。破滅を呼んでいるような音だった。廃墟のいたるところで眠っていたカラスたちが目覚め、飛び去っていく。
 ビルの崩壊とその音は、ややしばらく続いた。瓦礫の山と化したビルが完全に沈黙しても、白い土埃はなかなかおさまらなかった。
 げふげふと咳きこみながら――瓦礫を乱暴にはねのけながら、まったく無傷の竜が2頭、土埃の中に立ち上がる。
『……まったく、俺は「待て」って言っただろ。そろそろまずいと思ったから』
『軟弱な建物じゃな! これでは地震にも耐えられぬわ!』
『ああ! でもやっぱり兄貴はすごいな! 俺がこれだけ投げ飛ばしても、どこも壊れないんだから』
『ぬしこそ、蟲のような脚のわりに折れる気配も見せなんだ。このくらい歯ごたえのある輩と戦り合いたいものじゃ』
 羅火のからからとした笑い声を受けながら、裏社は空を見た。
 見上げた漆黒の空に、自分たちが引き起こした土煙がのぼっていく。煙の向こう側に、ぼんやりとした、丸い月があった。だいぶ傾き、ビルの陰に沈もうとしている月が。
 星も月も、煙のせいで歪んで見える。
『……そろそろ帰ろうか、兄貴』
『おう、月が沈むか。あのあばら家に帰るとしよう』
『……そうじゃなくて……』
『うぬ?』
『……なんでもない。帰ろう』
 煙と埃の中、竜の姿がふと消えた。
 そして、いまだもうもうと立ちこめる土埃の中から、漆黒の毛並みの狼が飛び出す。まるで白煙を――漠然とした不安や迷いを、真っ二つにするかのような勢いで。
 その狼は、かなりの大きさだった。世界中のどこを探しても、これほど立派な体躯の狼を見つけ出すのは難しいだろう。
 狼は、背に奇妙な猫を負っていた。凄まじい勢いで走る狼の背に、猫はしっかりしがみついている。猫のふかふかとした毛並みには虎縞や豹紋があり、おまけに、背には一対の翼があった。
 この2匹の獣もまた、羅火と裏社の姿。この双子は、月のようなものだ。真なる姿はひとつであっても、見るとき・見る人・在る世界によって、さまざまに姿を変える。ときに崇められ、ときに恐れられる。夜の中にあっても、瞳は爛々と輝いている。
 そして月は、滅びることがない。


 ふたりが別れたのは、人間の時間を基準にすれば、気が遠くなるほど大昔のことであった。ふらりと別の世界へ旅立ってしまった兄を、弟はひたすら待ち続けた。少し出かけてくる、と言って出かけたのだから――喧嘩をしたわけではないのだから、すぐに帰ってくると思っていた。
 帰っては、こなかったのである。
 不死の竜さえも心配するほどの時が経ち、弟は兄を探して旅に出た。片割れを求める双子の縁が、弟を兄のもとへと導いたのだ。兄は、遠い別の世界で見つかった。
 見つかった、だけなのである。
 羅火は生まれた世界のことを思い出せず、裏社を弟として認めることが出来なかった。だから、もとの世界へ『帰る』という理屈がまだ飲み込めない。
 永遠に飲み込めないのかもしれない。
 運良くすべてを思い出すことが出来たとしても、きっとそれは、また気が遠くなるほどの時間を経たあとだ。

「それでもいいさ」
 と、裏社は微笑した。
「俺たちが年を取ることはないんだ。太陽と月が消えないうちに、思い出してほしいとこだけど」

「ぬしを弟と呼べるものか」
 と、羅火は唇を噛んだ。
「ぬしを思い出せもせぬわしに、その資格はない」

「それも、べつにいいさ」
 と、裏社はやはり笑う。
「血が繋がってるっていう事実は変わらない。好きなように呼べよ。俺はどんな風に呼ばれても、それを頭の中で『我が弟よ』に換えるから」

 『やっしー』でも『おい、そこの』でも『弟よ』でも『裏社』でもかまわない。そう冗談を言った裏社に、羅火は、
「『やっしー』は有り得ぬ」
 と真顔でかぶりを振った。
「『うらやしろ』から取り、『しろ』とでも呼ぶか」
「いいよ、それでも」
「……ぬしは、それでもわしの双子の弟か。わしは『らっこ』と呼ばれたとき、それはやめろと怒鳴ったものだが」
「なに言ってるんだ、兄貴だって昔はこういうこと全然気にしないたち――」


 はっ、と狼は駆けながら息を呑んだ。
 昔のことを持ち出してはならない。羅火は変えられてしまったのだ。癇癪持ちで、臆病で、頑固なたちになってしまった。裏社は、それを受け入れなければならない。
「……俺は気にしないんだ、そういうの。兄貴と違ってさ」
「……」
 漆黒であった空が、白々と明け始めている。
 獣たちの前に在る傾いたあばら家も、陽の光を浴びつつあった。
「しろ、ぬしは相変わらず宿無しか」
「まあね。でも、べつに野宿も嫌じゃないし」
「勝手に上がって勝手に休んでよいぞ」
「え、いいの? ありがとう」
 猫を背に乗せたまま、狼はあばら屋の庭にまわった。子汚い縁側に上がった狼は、背の猫を落とさぬように、ゆっくりと――身体を横たえた。
 ぺろりぺろりとあぎとのまわりを舐めて、大きなあくびをして――
 ああ、たのしかった、
 そんな充足感を抱きながら、双子は似ても似つかぬ姿で眠る。
 廃墟から逃げてきたカラスたちも、あの2頭のお騒がせ兄弟竜が、いまこの古い縁側で眠る獣だとは、気づかないだろう。
 けれども本能が、この獣の眠りを覚ますことなかれと警告するのか。
 やかましいはずのカラスたちが、一声も鳴かずにあばら屋のそばを去っていく。

 双子の眠りは、昼過ぎまで続いた。




<了>