コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


さくら、さく



(日々は変わらないわ……)
 ぼんやりとそう思っていた守永透子は小さく、誰にも気づかれないように溜息をついた。
 窓の外の景色をこっそり眺める。
 季節は巡っていくのだろうが、透子が毎日やることは変わらない。
 高校を卒業すると、また違うのだろうが。それでもまだ高校生なのだから、そんな先のことを思案していても仕方がない。
(こうして老いて……ぽっくり逝けるのも幸せなのかしらね……。まあ波がないだけいいかもしれないけれど)
 休憩時間にワイドショーのニュースを話題にのぼらせるクラスメートたちの会話を思い出した。
 世間はああやって目立つ事件を取り上げるが、ああいうことは身近にあると解説者たちは言う。
 本当にそうだろうか? 自分とは、ひどく……遠く、無縁のことのように思う。
 自分は激動の中にいない。常に穏やかな水面に浮いているようなものだ。
(……私って、なんなんだろうな……)
 その答えは、結局ないのかもしれない。



 当たり前の日。当たり前のこと。いつもと変わらない日だったはずだ。
 学校へ行って、授業を受けて、窓から景色を眺めて、昼食を食べて……。
 ほら。なに一つ変わらない。
 ただ一つだけ違っていたのは、掃除当番の代わりを頼まれたことくらいだ。
「…………」
 遅くなったなと鞄を片手に、校舎を出ようとした時だった。ひらりと、透子の前に桜の花びらが一つ舞い降りたのだ。
「さくら……?」
 桜の咲く季節は過ぎたと思ったのだが。
 首を少しだけ傾げ、透子は小さく唸る。
 ひらり、ひらり。
 風にのって飛んでくる花びらは、足もとに落ちると雪のように融けてしまう。
「……なに、これ……」
 不審そうに見る透子は右を向く。そちらから花びらがきているのだ。
 とりあえず気にはなるので行ってみることにした。なにかを期待していたのかもしれないが、それでもやはり、季節はずれの……または遅咲きの桜だったというだけで終わるかもしれない。
 学校の裏側まで歩いていく透子はふと足を止める。
 学校の裏手には桜の木などない。
(……勘違い……? 白昼夢?)
 寝不足だったのだろうかと少しだけ考えてしまうものの、いつも睡眠は十分にとっているのでそれはありえなかった。
 足を進めてから、ぎくっとしたように透子は歩みを止めた。
 うずくまって泣いている子供がいる。
「…………」
 迷い込んできたのだろうか。まあそこまでならいい。
 透子は視線をさ迷わせる。
(ど、どうして身体が半透明なのかしら……)
 まさかと思うが……。いや、そんなことは……。
 透子の気配に気づいて少年は顔をあげる。目が合ってしまったことに透子は少し驚いた。
 途端に、少年はすすり泣きから盛大に泣き声をあげ始めたのである。
「あ! え、えっと……あの」
 慌てて駆け寄って手を差し伸べるものの、スカッ、と通り抜けてしまう。
(スカッ……?)
 半笑いになりかける透子は己の手を見てから、少年に視線を向けた。
 半透明で、通り抜けてしまうということは結論は一つしかない。
(ウワサの幽霊というやつかしら……)
 透子は小さく目を見開いて、妙な感動を覚えた。クラスメートたちが今の透子の顔を見たら驚くだろう。年相応の表情だったのだから。
 透子の血筋は特殊なのだが、そういった怪奇的なことに遭遇したのは今回が初めてなのである。
 なんというか……嬉しくなってしまった。
 今まで、役にも立たないものだとか、時代遅れだとか思っていたものだが……。
(あるのね……幽霊とか、そういうもの……)
 感心している場合じゃないとハッとして、透子は話し掛けた。
「あの、大丈夫ですか?」
「う?」
 小学生くらいの男の子は鼻水をすすり上げ、真っ赤になった鼻と目でこちらを見てくる。幽霊も泣くんだ、と変なことを思ってしまった。
「うあー! ママーッ!」
「ひえっ」
 透子は思わず耳を塞ぐ。
 さらに強烈な泣き声に透子は耳がじーんとしてしまった。
「あの……ママを探しているんですか?」
 ためらいがちに尋ねると、少年はぐっと泣くのを堪える。ただ、かなり顔がクシャクシャだったが。
「ママぁ……」
 あ、また泣きそう。
 そう思った透子は屈んで目を合わせる。
「大丈夫ですよ。ママは……」
 ママは?
 そうだ。どうしてこの子は一人なんだろう。
 ひとり。
(……ひとり、か)
 透子は小さく微笑んで頭のところを撫でた。もちろん触れはしなかったが。
「ママを探しましょう。だから泣かないで」
 少年はごしごしと瞼を擦り、勢いよく頷く。



(きっと、桜が鍵よね)
 桜に関することを思い出して、透子がやって来たのは学校からそれほど離れていない空き地だった。
 夜な夜な女がなにか探して桜の木の周辺を徘徊しているという噂が透子の学校でも有名だったのだ。
 空き地はかなり寂れていた。
「…………」
 だが、そこには誰も居ない。
 おかしい。ここしか思いつかなかったのだが……。
(どうしよう……)
 困ってしまう透子だったが、横にいた少年が駆け出した。
「ママぁ!」
 刹那。
 ぶわっと桜に花が咲き乱れたのだ。
 驚いて木を見上げる透子は、それから視線をさげた。少年を抱きしめている着物姿の女がいる。
 少年は透子のほうを指差しなにかを女に耳打ちする。そして二人は微笑んで―――――。



 ハッとして透子は目を覚ました。
 しばらく呆然としていたが、天井を見てから気づく。ここは自分の部屋だ。畳の香りもしているし、間違いない。
「私……? 空き地にいたはずじゃ……」
 障子越しに洩れてくる光を見て、今が朝なのだと気づいた。

 透子はあの空き地から家に帰っていたらしい。目覚めるまでの間の記憶がない。
 不思議になりながらいつものように登校する透子は、校門をくぐってから目を見開いた。
 桜の、見事な花がどこからか運ばれてひらひらと学校の敷地すべてに舞っていたのだ。
 騒ぎにはなっていない。だから。
(これは、私にしか見えていない……?)
 でも、とても……!
(綺麗……!)
 微笑む透子には、楽しそうなあの親子の笑い声が聞こえた気がした。
 いつもと同じ道のはずなのに。どうして。
(違う)
 いつもと違う。
 ああそうか。
 思い出した。

 息子を連れて来ていただいてありがとうございました。お礼は、なにがよろしいでしょうか?

 そうだ。訊かれた。だから透子は慌てて首を横に振ったのだ。
 お礼が欲しくてやったわけじゃない。ひとりぼっちが可哀想だったからだ。
 深々と頭をさげた女は微笑する。

 では、明日の朝に見事な桜をご覧になるというのはどうでしょうか?

 え? と透子は疑問符を浮かべた。
 女は近づいてきて手をかざす。

 類い稀な力をお持ちのお嬢さん。その能力を、我が身と同じく『開花』させてごらんなさい――――。
 きっとそこには、あなたの求めていた……少しだけ今と違うものが手に入ることでしょう。
 だから眠りなさい。
 あなたの奥底に眠る力を、花とともに開くために。
 ゆっくりと、ゆっくりと…………。

 透子は軽い足取りで校舎への道を歩いた。
 そうだ。
 いつもと同じものなんてない。常に変わっていくものなのだから。
 そしてこれが――――。
(私の……変革の一つ)
 花開いたその道は、どのようになるのか透子にはわからない。今までのほうが良かったと思うかもしれない。
 けれどそれは今はまだわからず。
 だからこそ透子は今を踏み出していた。桜舞う、その中を――――!