コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<白銀の姫・PCクエストノベル>


女神たちの迷宮【ダンジョン3:ネヴァン】

ACT.0■PROLOGUE――創造主の遺産――

 ネヴァンが『その本』を見つけたのは、偶然だった。
 いや――もしかしたら本がネヴァンを呼んだのかも知れぬ。闘いを拒み、他の方法を探さんがため、『知恵の環』で過ごす時間が他の女神よりも多かったからこそ、巨大な螺旋の書庫の奥深くに埋もれたそれに、手を伸ばす機会があったのだから。
 
【アドベンチャーゲーム『白銀の姫』設定ノート ――浅葱孝太郎――】

 A5サイズのコピー用紙を製本機で綴じただけの、セピアに変色したその表紙を、ネヴァンは手のひらでそっと撫でる。
「創造主さまの……。これを読めば」
 何か打開策が見つかるかも知れない。不正終了を繰り返しながら、着実に滅びに向かおうとしているこの不毛な世界を、新しい地平に導く手がかりがきっと――
 胸を高鳴らせながら、最初の頁を開こうとした手は、しかし鋭い声に遮られた。
「よく見つけたな。その本を渡してもらおうか」
 螺旋階段をつかつかと登ってきたのは、ルチルア――いや、邪竜の巫女ゼルバーンだった。
 邪悪な笑みを浮かべて高慢に胸を反らし、ネヴァンに右手を突きつける。
「いやだよ……。渡さない。だってこの中には、書いてあるに違いないんだ……。みんなが傷つかないですむ、方法が……」
 本を抱きしめて、ネヴァンはしゃがみ込む。
「そんなものはない。不正終了によるデータ初期化以外に、この世界が救われる道はない」
「違う! だって今は……。勇者や冒険者がいてくれるもの。クロウ・クルーハだって、話し合えばきっとわかってくれるよ」
「馬鹿なことを。ここはゲームの世界だ。クロウ・クルーハが情を解することなどないし、勇者どもにとっては、戦闘もまた、ひとつの遊戯だ。……見ろ、この殺戮の記録を。『勇者』とは、『魔王』の、もうひとつの顔に過ぎない」
 退治されたモンスターたちのデータファイルが並ぶ一角を、ゼルバーンは指さす。
「そんなの……。ちがう……」
 弱々しく首を振るネヴァンに、邪竜の巫女は唇をゆがめ――さっと腕を振った。
「ならば確かめてみようか。『勇者』が、どれほどのものか」

『知恵の環』が反転し、螺旋の城へと姿を変える。
 塔を思わせる頂上には、鎖で縛られたいにしえの剣が突き刺さり、そして――
 本を抱えたネヴァンもまた、剣とともに鎖で拘束されていた。

「やはり、ダンジョンを発生させていたのはおぬしか、ゼルバーン! ネヴァンを離せ!」
 いち早く異変に気づいたのは、そのとき『知恵の環』で調べものをしていた人々であり、その中にはシヴァ一行も含まれていた。
 強制的に外に排出された彼らは、頂上を見上げて息を呑む。
「平和を望むあどけない女神に、何ということを。シヴァどの、剣をお貸しください」
 いつになく憤ったデュエラが、自分には呪いの剣であるはずの『陽光の聖女の剣』を手にした。
「しかしそれは、おぬしが持っては身の毒ぞ」
「はい。この剣は、闇に属する竜を討つためのもの。それゆえ、邪竜の巫女にも効果的なはず。――ネヴァンどの。只今お助けいたします」
「だめだよ!」
 ネヴァンの悲痛な声が響く。
「武器は、持ち込まないで。誰も……殺さないで。ゼルバーンもクロウ・クルーハも、他のモンスターたちも。……お願いだから」

ACT.1■The Tower of Babel

「まるで、ブリューゲルの『バベルの塔』ね」
 ダンジョン化した『知恵の輪』を仰ぎ見て、シュライン・エマはそんな感想を漏らした。
 巨大な塔のまわりを螺旋階段が巡っているさまは、確かに、ネーデルランドの画家が描いた旧約聖書創世記に登場する塔に似ていなくもない。
「人間の傲慢により築かれたバベル(混乱)の塔は、やがて神の裁きを受けました。ならば、裁かれるのはゼルバーンの方ですね。こちらが誰も傷つけずとも、ゼルバーンがネヴァン嬢を傷つけない保障は無いのですから」
『十字架の錫杖』をかざしてから、そっと石畳に置き、聖者さながらの静謐さでセレスティ・カーニンガムが言う。
 ステッキ代わりの錫杖を手放したあるじを支え、モーリス・ラジアルも頷いた。
「願わくば、浅葱さんの設定ノートも、ここの蔵書も、傷つけないで欲しいものです」
「いきなり外に放り出されましたが……。皆さん、お怪我はありませんか?」
 ブランシュが居合わせた面々を見回す。抱えた救急箱には、そこが定位置とばかりに、ミニサイズのアリス姿の石神月弥がちょこんと腰掛けている。お気に入りのうさリュックを背負い、外見年齢3歳をキュートに極める無限回復アイテムのつくも神は、小さな両手を力いっぱいに振っていた。
「だいじょぶ? かいふく、する?」
「ありがとうな。だが俺は平気だ。尻餅をついたくらいで、何ともない」
 武田隆之は、石畳に座り込んでいた。膝の上には、咄嗟に庇った魔法寫眞機も無事に乗っている。
 ブランシュからミネラルウォーター『サンペレグリノ』500mlペットボトルを渡されたが、すぐには飲まずにポケットにねじ込む。
「そうね。今のところは、かすり傷ひとつ負ってないわ。回復薬が必要になるとしたら、あの城に入ってからね」
 かろやかに飛翔して難を逃れていた羽柴遊那が、隆之のそばに降り立った。背に広がっていた羽は、ゆっくりとヴェールに戻っていく。
「自分の身が危ういのに戦闘を避けさせようなんて、ネヴァンちゃんは優しいのね。……けれど、何もしないのはいけないと思うけど」
「武器禁止、ねぇ。ったく、女ってのは無茶なお願いばかりをするもんだ」
 シュラインや遊那に聞こえぬよう、「女ってのは」の部分をトーンダウンさせ、隆之はぼやく。
「カメラは武器じゃないよな。弱いモンスターはこいつで対処できるが、強力なやつは誰かに頼むしかないか」
「誰も殺さないで――か。あの子らしいけどなア。気持ちは尊重するにしても、さすがにキツイっすね」
 藍原和馬は、背に差した刀『黒狼の魂』を鞘ごと抜いて入口階段の下に置いた。持っていかないつもりなのだ。
「今回は、少々辛いモノがあるわねえ。シヴァも私も、力技で押していくタイプだし。でも、ま、何とかなるでしょ。私に不可能はないわ……って言うか、諦めたらソコで負けだものね」
『蒼凰』を短剣サイズに収め、しかしそのまま携帯する嘉神しえるに、シヴァは目を見張る。
「おぬしは、剣を置いていかぬのか?」
「要は『武器』として使わなきゃいいんでしょ? これは、灯り代わりにしたり、補助アイテムとして活用したりするのよ」
「しえるさまの仰るとおりですわ。力とは、多面的なものですもの」
 ウェーブした長い栗色の髪が美しい火炎魔法使いサティ――それが赤星鈴人のアスガルドでの姿であることに、最近やっと皆は慣れつつあった――が、右手をすっと前方に向ける。
 燃えさかる炎の槍が何本も空中に浮かんだ。槍は次々に弧を描いてひとつの束になり、壮大な炎の矢の形を取る。そのまま一気に頂上を射るかと思われたが、矢は不意に、柔らかく翼を広げた火の鳥に変わる。
 幾度か空を旋回してから一直線に戻り、サティの肩に止まったときには、火の鳥はオレンジ色の小さなカナリアとなっていた。
「ゼルバーンは、勇者たちにはモンスターを倒す側面だけしかないと思っているようです。でも、火炎の力が向かう者全てを焼きつくす地獄の業火になることもあれば、暖や灯となり、何かを癒し照らすこともありますわ」
「そうですわね。たしかにわたくしたちは、強くなる為にモンスターを殺戮してまいりました。ですが勇者と魔王には、はっきりとした違いがございます。それは『平和を願う想い』ですわ」
 サティの肩でさえずるカナリアを見つめ、鹿沼デルフェスは微笑む。身につけている衣装は妖艶であるのに、その物腰がかえって優雅さを際だたせ、サティと並ぶとまるで貴族の令嬢姉妹のように見える。
「ふむ。いいことを言う。女神顔負けだ。これデルフェス、ゼルバーンに聞こえるようにもっと語るが良いぞ。ゼルバーン、我らが勇者の想いをしかと聞けーい!」
 ちゃっかり便乗したシヴァは、デルフェスのそばで声を張り上げる。それを受け、デルフェスも城の頂上を見やるのだった。
「たとえば世界平和のような、大きなことを申しているのではございません。身近な方の小さな平和――わたくしにとってはこちらのシヴァさまの平穏ですが、それを護りたいからこそ戦っているのです。勇者は、私利私欲では動かないものですわ」
 地上の声は届いているはずだが、ゼルバーンが動揺する気配はない。腕を組んで、見下ろしているだけだ。
「可愛くない女じゃのう。……おや?」
 シヴァの前を、大男がそっと横切っていく。本人は見つからぬように身を縮めているつもりらしいが、両手足の銀の枷からは黒霞がダダ漏れで、彼瀬蔵人ここにございと自己主張している。
 蔵人が知恵の環に来たのは、呪いや封印に関する本を漁るためと、モンスターを使役する職や邪竜の記述を探すためであって、決して騎士シヴァと化した弁天のパシリになるためではないのだ。しかし当然ながら、シヴァとしては突っ込まずにはいられない。
「これ! そこな死神! われをスルーしようとしても無駄じゃ。しえる、ちと、あのでっかい男に近寄ってみい」
「……何よ急に? あの人ってもしかして、高峰さんのダンジョンで兄貴と一緒だった彼瀬さんじゃ……」
 しえるが不承不承近づくと、天使の血脈の効果は絶大で、蔵人はまたもや重量を増した枷に引きずられて地にめり込んでしまった。
「うわぁぁぁ〜〜〜! あんまりですよぉ。あああ、こんなことなら事前に『縁』を探っておけば良かった。そしたら、べんて……シヴァさまと会わないで済んだのに」
「おぬし、他でもないネヴァンの勇者であろう? 大事な女神の窮地にそんなことでどうする」
 さらに駄目押しで、シヴァはデュエラから返された『陽光の聖女の剣』の切っ先で、ちくちくと蔵人の頭をつつく。
「聖剣はダメージ大きいんですから使わないでくださいよー。僕だってネヴァン様のために必死なんです」
「しかし、よくネヴァンが、おぬしのような物騒なほどデカい男に怯えずに勇者にしたものよ」
「……怯えられてます。っていうか、この図体のせいで、あの女神様はまともに顔を合わせてくれないんですよ」
 石畳の中に半身を埋めたまま、蔵人は顔だけを塔の上に向ける。
「ネヴァン様! 今助けに行きますからね。今度は隠れないでくださーい」
「まあ。お気の毒に。お気持ちはわかるようなわからないようなですが、取りあえずおつかまりになって」
 いきなり空中から出現した青い翼の美少女が、蔵人の腕に触れた。次の瞬間、蔵人の身体はすうと地から抜けて宙に浮き、すとんと石畳の上に降り立つことが出来た。
「ご親切にありがとうございます。ええと、あなたは、蛇之助さ……じゃなかった、ブランシュさんの妹さんですか……?」
 非の打ち所のない美少女であるが、よくよく見ればロングドレスの裾から白い蛇の尻尾を覗かせているので、蔵人はそう問うた。が、彼女は笑って首を横に振る。
「違いますわ。わたくし、メイリーン・ローレンスと申します。ネヴァンさまをお助けする一助になればと思い、至急、薬剤を作って参上しましたの」
 メイリーンは、ドレスのあちこちから山のような丸薬を取り出した。宙を飛びながら、一同に数個ずつ配っていく。
「今回は、マジに行かせていただきますわ。シュラインさま。遊那さま。しえるさま。こちら回復薬と逃走用の煙玉に閃光弾です」
「助かるわ。ダンジョンに入る前に、補充しようと思ってたの」
「無駄な戦闘を避けるためにも、逃走用アイテムは必需品ね」
「敵に遭遇しないに越したことはないけどね。どうもありがとう」
「煙玉なら俺も持ってきたけど……メイさん、それって、何かワザ凝らしてある?」
 隠しポケットから出した自分の煙玉と、メイリーン製のものを和馬は見比べる。
 色違いの丸薬を手のひらに順序よく並べ、メイリーンは微笑んだ。
「はい。この煙玉には、痺れ薬・弱体化薬・眠り薬等、状態変化をもたらす薬を仕込んであります。『絶対逃げ切れる魔法アイテム』というわけではありませんが、逃走成功率は通常のものよりアップしているはずです」
 和馬と隆之、サティとデルフェス、そして蔵人にもそれぞれ丸薬を渡してから、メイリーンは月弥とセレスティとモーリスには、別のものを差し出した。それはキャンディに似た形状で、甘い香りを放っている。
「おや……? これは以前『勇者の泉』ダンジョンでいただいたクッキーと同じ香りのような」
 小首を傾げるセレスティに、メイリーンはにっこりした。
「お馴染みの獣化薬ですわ」
「あの、何故、私たちだけにこれを?」
 モーリスはおそるおそるキャンディを受け取り、
「わーい。おいしそー♪」
 月弥は大喜びである。
「セレスティさまとモーリスさまと月弥さまの獣耳・獣尻尾が見た……いえ、もちろん、身体強化と感覚強化の為ですわっ! ご希望でしたら皆様にもお配りいたしますわよ、如何ですか、隆之さまも?」
「え? いや、俺はいい! キャンディなら間に合ってる。ほらここに」
 隆之は慌てて、自分のポケットを探った。手にかさりと、紛れもないキャンディの包み紙が触れる。
 それは以前、ルチルアからもらったものだった。いまは邪竜の巫女ゼルバーンに変化している彼女は、あの可愛らしい薬草売りの少女と同じキャラクターなのである。思わず包み紙を握りしめ、城の上に向かって叫ぶ。
「おーい、ルチルア! 迷惑は不味いシチューだけにしとけよ。こいつをくれたときのことを忘れたのか。おじさんはかなしいぞぉー!」
「えと、ダンナ。泣かせる台詞に水差して悪いんスけど、それたしか有料(150スター)だったんじゃ?」
 丸薬をあちこちにしまい込み、自前の補助系アイテムたる特殊網、その名も『雑魚モンスター一網打尽』の調整をしながら、和馬が呟いたとき。
「ドロシィちゃんも行くよっ!」
 プラチナブロンドの髪をなびかせ、エプロンドレスを翻し、そして『OZ』と書かれた分厚いファンタジーの本を抱えて、ドロシィ夢霧が走ってきた。
 後ろから付き従っているのは、彼女の使役するデーモン『オーバー・ザ・レインボゥ』と、大きな鞄を抱えた黒服・黒眼鏡の男ふたりである。
「これはドロシィさん。アンティークショップ・レンのダンジョンではお世話になりました。……そのかたがたは?」
 黒服の男たちを見て、ブランシュは首を捻る。ごく最近、ひょんなことで知り合った宮内庁所属の秘密公務員を連想させるコスチュームだったのである。
 しかしかれらは、公務員ではなかった。
「夢霧家の下僕だよ。ドロシィちゃんだけじゃ、荷物運べないもん。お茶でしょ、食器でしょ、いろんな食料でしょ、あと、掃除用具」
 ドロシィは、下僕たちの鞄の中身を説明する。

 ……他はともかく、何故にダンジョン突入に掃除用具が必要なのかを誰も問わないまま、ネヴァン救出隊は、バベルの塔もどきの螺旋階段を登ることになった。

ACT.2■武器不携帯クエスト

「ほれ行け、やれ行け、さっさと進めぃ!」
 先頭を命じた蔵人の背を、シヴァが『夢魔の扇』でばしばしと叩く。『陽光の聖女の剣』は、結局置いてきたので手持ちぶさたのあまり、扇をデュエラから借りたのである。
「どうして僕が一番先に行くんですか〜」
「モンスターと出くわしたらわれが危ないであろうが。良いか、しえるがマッピングしておるから、ちゃんと道を確かめながら最短距離を行くのだぞ。敵の接近はシュラインと遊那とメイリーンが教えてくれようし、雑魚であれば隆之が封印したり、モーリスが檻に閉じこめたり、和馬が囮になったりしてくれる。サティとデルフェスには敵の方が謝ってきそうじゃし、セレスティと月弥はモンスターを手なづけられよう。疲れたらドロシィに頼んで『OZ』でお茶。はっはっは、ばっちりじゃのう」
 もう攻略完了したかのように、ばさっと扇を開き、シヴァは左手で顔をあおぐ。
「ちょい待ち! さらっと仰いましたが、俺、囮っすか?」
 聞き逃さずに詰め寄る和馬にも、ぱたぱたと風が送られた。
「おぬしは頑丈じゃし敏捷じゃし、しかも忍者であろう? 囮役をせずして何とする」
「シヴァさま。囮でしたら、わたくしがまいりますわ」
 後方から、小型バイクのような乗り物が空を切ったかと思うと、先陣を追い抜いて止まった。『還襲鎖節刀・双石華』を預ける必要があったために、一同から少し遅れていたデルフェスである。
 デルフェスが操っているバイク似のマシンは、魔法の箒を思わせる形態だった。東京ダンジョンで入手したアイテム、魔法エネルギーで高速飛行する箒『ジェットブルーム』である。
「こんなこともあろうかと、前々から運転を練習してましたの。わたくしがより多くのモンスターを引きつければ、その分、皆さまの相手も減りますでしょう?」
「デルフェスちゃん、囮役はひとりじゃ危ないわ」
 私も行く、と言いかけた遊那が、ふとヴェールを見、息を吸い込んだ。その唇が、敵との遭遇を予言する。
「近づいてくるわ。アンデット系のモンスター……。すごく大きい……。あれはヴァンパイア・ドラゴンね。1……2……3体」
「強敵じゃないか。封印は無理だ。しかも、薬が効かない連中だぞ」
 魔法寫眞機を構えていた隆之が青ざめ、遊那も顔を曇らせる。
「幻覚を見せて精神操作するのも、ちょっと難しいかしら」
「檻を展開しましょう。同じ種族ですから、淋しくないようにまとめて閉じこめたいところですが、1体が限界です。どなたかご助力を」
 進み出たモーリスの隣で、和馬が罠の用意をする。
「おっしゃあ、まかせろ! とはいえ、この網は雑魚用なんだよな。やっぱり、ぎりぎり1体かな」 
「アンデットなら何とかなります。使役して正座でもさせましょう」
 蔵人が請け負い――そして。
 
 現れたヴァンパイア・ドラゴンは、恐竜を思わせるほどに巨大だった。血の色の鱗に、銃の形の舌。のっしのっしと歩く度に、床が崩れ落ちそうである。
 メイリーンが、首に付けた水晶球をフラッシュのように瞬かせた。目を眩ませて、モンスターたちが立ち止まる。
 次いで、翼で起した風に乗せ、粉状の痺れ薬を噴霧する。ヴァンパイア・ドラゴンは薬を無効果してしまう体質なのだが、それでも動きを鈍らせることはできたようだった。
 加えて遊那が、彼らにクロウ・クルーハの幻覚を見せる。突然現れた大ボスに、ヴァンパイア・ドラゴンたちは戸惑った。
 やがてモーリスが、1体を檻に閉じこめることに成功した。
 和馬は俊敏に壁から壁へ飛び移り、集中的に1体を翻弄して足もとを狂わせていた。目を回して横倒しになったところで、ばさりと網をかける。
「おすわり!」
 蔵人の命令に、最後の1体は一応、従った。骨格上かなり無理があるのに、素直に正座をしたのである。
 しかし。
 ……座っただけであった。銃の形の舌は激しく火を噴いて、一同を連射する。
「ええい! 気配りが足りーん! 命令はもっときめ細かにせぬか!」
 銃弾を避けながら、わたわたとシヴァが走り回る。その頭は、ぐいとしえるに押さえ込まれた。
「みんな、伏せて! サティさん、一緒に蒼い炎で壁を作って!」
「わかりました!」
 しえるは『蒼凰』を大きく一振りし、サティは両手を広げた。皆を包むように、蒼焔の壁ができる。
 鉛製の銃弾は次々に、蒼い炎に呑まれて溶解していった。
「……なるほど。炎というのは、紅色よりも蒼色のほうが高温ですからね。こういう使い方もできるのですね」
 セレスティが感心して頷く。
「うわ。すげぇ力。網が破れそうだ」
 捕らえられて大暴れするモンスターに、和馬は肩をすくめる。それまで救急箱の上でおとなしくしていた月弥が、シヴァを振り向いた。
「むかしのひと、すごいこといってた」
「んむ? どうした、月弥。何か策があるのかや?」
「さんじゅーろっけー、にげるがおっけー」
「今のうちに逃げろってコトね!」
 ブランシュの手を掴み、しえるがダッシュする。
「さあ、シヴァさま! さっさとケツ捲って逃げますわよっ!」
「これこれメイ、レディがそのように豪快なことを……おうわぁ!」
 シヴァはよろめいた。網の目越しに、またもや別の銃弾が飛んできたのである。
 その腰を抱え、メイリーンはすいと飛ぶ。
 一同はいっせいに、配布された煙玉と閃光弾を使って逃走経路を確保した。
 念のためにと、セレスティが霧を発生させる。銃弾の的にならぬよう、移動後の空間が白く覆われた。

 □□ □□

「これくらいで息切らさないでよ、たいして走ってないくせに」
 螺旋階段をふた回りして違う階層に到達し、ようやく人心地ついたところで、しえるは呆れ声を出した。
 全力疾走したブランシュさえしばらくしたら息が整ったのに、シヴァはまだぜいぜいと肩を上下させているのである。
「おぬ、し、は、パワ、フル、じゃの」
「鍛えてるもの。傷つかない為には、相応の努力が必要でしょ」
「素晴らしいですわ、しえるさま。もし私たちが誰も傷つけることなくネヴァンさまをお助けすることができたなら――ゼルバーンの想定を超えることを成し遂げたならば、それはただの救出劇ではなく、ゼルバーンの心を変える大きなきっかけになるかもしれませんわね」
 サティが頬を紅潮させる。額の汗をそっと拭い、しえるは頷いた。
「そう願いたいものだわ」
「はい! 皆で勇者の底力を見せてさしあげましょう!」
「ところ、で、夢霧家、の、下僕コンビ、どの。おぬしたち、の、あるじは、いずこ、じゃ?」
 黒服の男ふたりはこの大混乱にもめげず、整えた髪の毛ひとすじ乱すでもなく、きちんと鞄を抱えてついて来た。しかし肝心のドロシィは、ダンジョン突入後、しばらくして姿を消してしまっていた。今も、プラチナブロンドの聖クリスチナ学園中等部1年生は、視界には見あたらない。
「ドロシィさまは、他の仲間が一行の危機を救えるならば、ご自分は何もしないという主義でいらっしゃいまして」
「おそらく今は『OZ』でお茶などなさりながら、『立体映像を映す絵本』でこちらの様子を逐一チェックされていようかと」
 下僕たちはかしこまって答える。シュラインはつと頬に手を当てた。
「ゼルバーンは『白銀の姫』の世界のことは把握できてるでしょうけど、『OZ』は異世界だから予測外よね。いざとなったら、そちらからドロシィちゃんに干渉してもらうのもいいかも――あら」
 シュラインの手が、『妖精の花飾り』に滑る。敵の接近を捕捉したのだ。
「みなさま、次の試練のようですわ」
 メイリーンが緊張した声を出す。『勇者の泉』ダンジョンの時と同様に、首の水晶球をモニタ代わりにして、敵の位置が映し出されていた。
「この反応は……。とても強力なモンスターのように思えますわ。またヴァンパイア・ドラゴンでしょうか?」
 ジェットブルームをゆっくりと進ませながら、デルフェスが眉を寄せる。
「いいえ――これは、ブースト・ワイアームだわ。クロウ・クルーハの眷属で、ドラゴンの頭を持つ巨大な蛇――」
 遊那がヴェールで確認し、シュラインは天井を見上げる。敏感な聴覚が、床を滑る音を捉えたのだ。
 螺旋階段は城の外も内部をも巡っている。一同は今、ぽっかりと広い部屋を通過していた。ちょうど上階にあたる位置にブースト・ワイアームが1体いて、それは侵入者の道をふさぐため、階段を降りつつあるようだった。
「『主は降ってきて、人の子らが建てた塔のあるこの町を見て言われた。彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているからこのようなことをし始めたのだ』――バベルの塔を見た神は、ひとびとの言葉を違うものにして混乱させることにしたから、こんにち、世界には多種多様な言語があるそうだけれど」
 見回せば、部屋中にぎっしりと、この世界の情報を記載した蔵書が詰まっている。形は変わってもここは『知恵の環』には違いないのだ。
 シュラインが今回の事件に巻き込まれたのは、たまたまモンスターの言語を調べていた途中でのことだった。モンスターたちは上級・下級を問わずに独自の言葉を使い、互いの意思を確認しあっている。
 ゲーム世界のことであるから、それは既存の言語をベースにした法則に基づいており――ならば解することも可能であろうと、シュラインは常々思っていたのである。
「言葉が通じれば戦闘を避けられるし、交流できる場合もあるわよね」
「のうシュライン。交流のきっかけは『笑い』ではなかろうか。モンスターに落語のひとつも翻訳して聞かせてみるのはどうじゃ?」
 シヴァは思いつきで言っただけだが、シュラインは真面目に相づちを打った。
「ええ。それは私も考えてたの」
「けんぞくでへびなら、じゃのすけさんとおなじ。なかよし、なれる」
 突然、月弥が救急箱からぴょんと飛び降りた。スカートの裾を持ち上げて、とてたたたたっと階段を駆け上っていく。
「待ってください、月弥さん! 危ないですよー」
 後を追ってブランシュも走り出した。が、すぐに立ち止まる。
 すでにブースト・ワイアームは大きくとぐろを巻いて、階段を塞いでいた。その背には、金属で出来た翼があり、機関砲とミサイルが装備されている。
 いわば蛇型戦闘機のようなモンスターの尻尾にダイブし、月弥はしっかりとしがみつく。
「月弥さん! 離れて!」
「こわくないー。なかよしだも。ね?」
 一同は固唾を呑んで見守るしかなかった。下手に刺激して、翼に搭載されたエンジンが火を噴けば、小さなアリスは命を落としてしまう。
 しばらく、緊迫した時間が流れ――そして。
 どうやらモンスターの闘争心より、月弥の『なごみ』能力の方が勝っていたようだった。道を譲ってはくれなさそうだが、少なくとも攻撃してくる気配はない。
「vぶあー『うdhな、sykぁ。っじゃしゃ。brk』(訳:【えー、『幽霊の手持ちぶさたや枯れ柳』なんてぇ川柳がございますが、絵なんぞを見ましてもたいがい、柳の下に、幽霊は出てございます。あまり朝顔の下に出てるなんてのはお目にかかりません】」
 頃合いを見て、シュラインが落語を翻訳し、ブースト・ワイアームに語りはじめた。
 怪談噺『へっつい幽霊』である。

「『hysd……びのぁk? cy、ぁsjkんbjvぶうd、hな、hな……』(訳:【幽霊の玉子なんざ、あんまり聞かねぇな……こんなものが出やがったかい? ま、とにかくへっついを運んじまおうぜ、ワッショイ、ワッショイ……】」
 シュラインの落語は続く。その噺家ぶりは絶好調・名調子である。
「すごい芸だとは思うが、上手すぎて、笑うまえに和んでしまって、こう……」
 ふわぁ、と隆之が欠伸をしたのをきっかけに、一同は次々に目をとろんとさせた。

 ブースト・ワイアームも、徐々に翼がへたって閉じていき、とうとう首も尻尾もだらりと垂れてしまった。
 しがみついていた月弥も、やがて眠りこけて、ころんと床に落ちかける。
 すかさずブランシュがキャッチして救急箱の上に乗せ、目をこすりながら皆を促した。
「モンスターは熟睡しまふたから乗り越えて進めそうでふよ。大勢での午睡は後回しにしまひょう」

ACT.3■さらなる、武器不携帯クエスト

「はーあ。出来ればもう、モンスターには逢いたくないですねー! しえるさん、どこかにいい抜け道はないですかー?」
 螺旋階段を4巡りほどしたところで、またも先頭を歩かされていた蔵人が言う。大声を出しているのは、あまりしえるに近づくと床にめり込むため、遠くから伸び上がって話しかけているせいだ。
 ブースト・ワイアームをやり過ごしてからも、数多くのモンスターに遭遇したが、幸いにも対処可能な敵ばかりであった。
 蔵人が霊体化して壁に埋めた数3体、隆之が写真に封印した数5体、モーリスが檻に閉じこめた数@5×3件=15体(同種類ずつひとつの檻に同居させたのでこういう計算になる)、和馬が一網打尽にした数20体、そして、様子のおかしいモンスターに月弥が話しかけて、実は人間が変化したものであるらしいことを看破し、正気に戻らせた数6名である。
「どうして私に聞くのよ? ちゃんと進んでるじゃないの」
 目を閉じて、しえるは脳裏に描いた地図を検証する。シュラインとメイリーンと遊那から敵の位置捕捉をし、臨機応変に進路を変えていけば、強力モンスターとは最小限の遭遇で済みそうなのだ。
「せこせこした作業はじれったいのう。いつものようにどんと穴を開けて、ネヴァンのところへ直行できぬか?」
「こういう、いわば人生に似た地道な道行きもダンジョンRPGの醍醐味でしょ。それに今回は平和的解決優先だし、ここには蔵書もたくさんあるし、破壊活動は控えないと」
 シヴァをたしなめながら、次の道筋を決めようとしたとき。
 速度を落としたジェットブルームで蔵人を追い越すなり、デルフェスが歓声を上げた。

「皆さま。ここに扉がありますわ。頂上につながる抜け道のようです」

 見れば本棚の間に、唐突に大理石の扉があった。
 そして、真ん中には――大きな鍵穴。
「本当に、そんなおあつらえ向きなものがあるとは出来すぎじゃの。……おや? この鍵の形はどこかで見たことが」
 首を捻るシヴァに、それまで無言で同行していたデュエラが口を開いた。
「神聖都学園地下の、創造主の墓石にあった鍵穴と同じものです」
「ならば、『テウタテスの聖鍵』で開こうぞ。誰か、持っている者は――」
「はーい」
 しえるがさっと片手を上げる。
「はい。持ってるわ」
 シュラインも答える。
「私も持ってます」
 モーリスに支えられ、セレスティも進み出る。
「はっあーい。ドロシィちゃんも持ってるよー」
 いつの間に『OZ』から戻ってきたのやら、ドロシィも走り出て、ちゃっかり鍵を用意している。
「開けるねー?」
 言うが早いか、ドロシィは鍵を差し込んだ。
「待って! 罠よ!」
 ヴェール越しに遊那が叫んだときには、もう遅かった。
 音を立てて扉は開き、出現したものは。
 ある意味、ボスモンスターよりも――たちが悪かったのである。

「こいつらか……! 封印できなくもないが、数が多すぎるな」
 魔法寫眞機の照準を合わせながらも、隆之が後ずさりする。
 ――ファナティックドルイド。
 それは、クロウ・クルーハに仕える、狂信的なドルイド僧たちであった。血で汚れた衣服をまとい、フード付きのマントを目深に被った姿も禍々しい。
 人間であるのかモンスターの仲間なのか、今ひとつ不明瞭な謎の存在だが、戦闘能力が高いうえに強力な攻撃魔法を駆使するのだ。
 そんな連中が何十人も、ぞろぞろと扉から出てくる。武器無しでやり過ごすには、非常に厄介な相手だった。
「よぉし!」
 何かを思いついたらしく、シヴァがデュエラを振り返る。ずっと占有していた『夢魔の扇』を投げ渡した。
「『魅了』に挑戦じゃ。デュエラ、踊れ」
「……は?」
「意外そうな顔をするな。おぬし、踊り子であろう? 敵を魅了しての戦闘回避は王道のはず」
「…………しかし」
「照れるな! 照れたら負けだ! サティ、バックアップせい。炎の色をさまざまに変えて、スポットライト代わりに盛り上げるのじゃ」
「わかりましたわ!」

 □□ □□

 そんなこんなで、困惑するファナティックドルイドたちを前に、デュエラは必死に踊り続けたのだが。
「うぅ〜〜む。はじけ切れぬのう。色気不足はいたしかたないとしても、動きがぎくしゃくしておる」
 シヴァは顔をしかめ、こつこつと『雑魚モンスター一網打尽』を駆使していた和馬は、効率の悪さに悲鳴を上げていた。
「うわァ、また抜けられた! おぉーい、デュエラ。魅了できてねェぞ。もっとアダルトに踊れよ」
「……申し訳ありません。努力してはいるのですが」
「魅了、ですか」
 一同から少し離れて、壁に寄りかかっていたセレスティが、ぽつりと呟いた。
「やってみましょうか。モーリス」
「えっ? は、あの、でも」」
 驚くモーリスを面白そうに見て、手のひらに乗せたキャンディを指し示す。
「せっかくですから、メイリーンさんからいただいた獣化薬を使って、効果を高めましょう」
 言うなりセレスティは、キャンディをぽんと口に放り込んだ。
 キツネの耳と、ふさふさの尻尾が、リンスター財閥総帥を彩る。
「さ、モーリスも」
「は、い……」
 逆らいきれず、ぐっと目を閉じて、モーリスはキャンディを一気に飲み込んだ。
 忠実な庭師にも、すぐにふわふわの猫耳としなやかな尾が生えてきた。
 さらにセレスティは、小さなアリスにも声を掛けた。
「月弥さん」
「んー?」
「どうぞ、ご一緒に」
「はぁい」
 月弥から生えたのは、白いうさぎの耳と、ふわりと丸いうさぎの尻尾である。

 セレスティとモーリスと月弥は、3人並んでファナティックドルイドたちを凝視し――
 わずか30秒後。

 ドルイドたちは土気色の顔を真っ赤に変え、次々に折り重なって倒れたのであった。

 □□ □□

「見たか、デュエラ」
「はい……」
「あれが、魔性の魅力を持つ者の実力ぞ」
 シヴァに言われるまでもなく、圧倒的な効果の差に、デュエラはがっくりとうなだれている。
「私など、とても及びません……」
「修行が足りんな。このダンジョンをクリアしたら、しばらくモリガンのもとに身を寄せて、色気の何たるかを学んで来るが良い」

 □□ □□

「あの、セレスティ様。今のは本当に『魅了』だったのですか……?」
 罠こそ仕掛けられていたものの、扉の中には、実際に頂上に続く急な階段が隠されていた。
 一列になって登りながら、モーリスはセレスティに問う。
 効果があまりにも劇的すぎて、信じられないのである。
 自分のキツネ耳を撫で、セレスティはくすりと笑う。
「血液を操って気絶していただいたのです。正確にはどう呼ぶのかわかりませんが、『魅了』に分類してかまわないでしょう?」

ACT.4■EPILOGUE―― 女神と、女神ならざる者――

 バベルの塔に似た螺旋の城の頂上に、ようやく一同はたどりついた。
 現実と同様に季節・天候・時間変化のあるアスガルドは、現在午後5時。沈みかけた夕陽が、晴れ渡った秋空を茜色に染めている。
「ありがとう、みんな……。見てたよ、ずっと……」
 鎖で縛られたまま本を抱きしめて、ネヴァンが涙ぐんでいる。
 かたわらには、腕組みをして不敵に笑うゼルバーンが立つ。
「ふん。まあまあの出来だ。どうやら、モンスターを1体も殺さずにここまで来たようだな」
「御託は結構。もういいでしょう。さっさとネヴァンを解放しなさいよ」
「どうかネヴァンさまをお返しくださいませ」
 しえるとサティが歩み寄ろうとする。
「みんな。あのきれーなおねーさんとは目を合わすんじゃねェぞ。おい、ゼルバーン。ちっちゃい女神さまを返しやがれ」
 和馬が身構え、蔵人はゼルバーンの目をしっかと見つめて言った。
「ゼルバーンさん。あなたはそんな人ではないはずです。どうかあの美味しい薬草シチューを、もう一度食べさせてください!」
「……美味しい? 美味しいって言ったか今。聞き違いかな? っていうか、目ェ見るなっつーに」
「ま、味覚には個人差があるからな」
 クライマックスのこの時に、隆之は地に胡座をかき、何やら作業に没頭していた。魔法寫眞機に、現実世界から無理矢理持ち込んだ望遠レンズを取り付けているのだ。それは、ゼルバーンの次の行動と、ネヴァンの救出を考えてのことでもあった。
「おまえたち、良くやった。その知恵と勇気に免じて折れてやろう……と女神ならば言うところだが、生憎、私は女神ではない」
 邪竜の巫女が腕を振って空を切った途端、床にぴしりと亀裂が走った。
 みるみるうちに断層が広がる。勇者たちと囚われの女神の間は、黒い大河が横たわったかのように、大きく隔てられた。
「ゼルバーン。あなた、何者なの?」
 折からの強い風に吹かれ、乱れる髪を直しながらシュラインが言う。
「浅葱孝太郎さんが書いたその本の存在を、何故あなたが知っているのかしら。それは、女神でさえ偶然に頼って見つけるしかなかったものなんでしょう? 浅葱さん本人以外でそんな情報を知ってる……持っていると考えられるのは、そう、ゲームシステムだけよ」
 ゼルバーンは答えない。ほんの少し、口の端を歪めただけだ。
「あなたはデータ初期化だけが解決策だと仰ってますが、私にはそうは思えません。デバッグをしつつ外部からプログラム修正をし、制作者の浅葱さんにアクセスして貰えれば、問題なく正常化が可能になるのではないでしょうか。ずっと眠ってらした浅葱さんの封印は解かれました――つい先日に」
 いつもの穏やかな口調だが、セレスティの表情は厳しかった。隣で月弥も懸命に訴える。
「どっかのぷろぐらむ、いじる。そしたらなおる、ない? げーむなら、ばぐとりしたらなおる。できない?」
「……異界化したこのゲームそのものが、壮大なバグなのだ――見ろ、すでに世界は二重写しになっている」
 ゼルバーンは亀裂を指さす。黒い空間に見えたそこには、灯りがともり始めた摩天楼が映し出される。
 闇の深淵に浮かぶ街――東京の光景だった。

「黙れ! 異界とて住めば都じゃ! デルフェス、後ろに乗せておくれ。ネヴァンのもとまでランデブーだ!」
「喜んで」
 ジェットブルームに二人乗りし、デルフェスとシヴァは亀裂を飛び越える。
 彼らが到達する前に、すでに先客がネヴァンの足もとにしゃがみ込んでいた。
 ドロシィである。
「あのね、入口からここへは、ホントは『OZ』経由ですぐに来れたのね。でも、それだと自己鍛錬にならないし、楽しくないでしょ。あんまり楽をしてもいけないしね」
「そうだね。そう考えられるのって、とても偉いと思うよ」
 素直なネヴァンは感心して聞いている。ドロシィはいきなり、すうっと姿を消したかと思うと、またすぐに現れた。
 その瞬間――
 ゼルバーンの身体は、水浸しになった。
 ドロシィが『OZ』の泉の水を転移させ、浴びせたのである。黒服の下僕ふたりは、鞄から掃除用具を取り出し、ささっと床の清掃を始めた。
「……何を」
 絶句するゼルバーンに、ドロシィは言い放った。
「水じゃなくて、煮えたぎった溶岩を浴びせることもできるんだよ。でも、ネヴァンちゃんに免じてそれは許してあげる。そのかわり、ネヴァンちゃんを離して。もちろん、本と一緒にね」
「ゼルバーン」
 飛翔して移動してきた遊那が、ネヴァンの肩越しにゼルバーンと相対する。
「ここは引きなさい。私達はこの子を傷つけたくないの。力だけでは全てが解決しないことくらい、わかってるはずよ。あなたが、ただのプログラムではないのならなおのこと、その責任を忘れないで」
「……責任だと?」
 水に濡れ、頬に張りついた金髪の巻き毛を、ゼルバーンはうるさそうに払いのけた。その表情にほんの一瞬、ルチルアを思わせるあどけなさが戻る。
 

 □□ □□

「……そろそろ、いいかな?」
 射程距離のアップした魔法寫眞機を、隆之は亀裂の対岸に向けていた。照準は、ネヴァンとゼルバーンに合わせている。
「お願いします。私がゼルバーンをルチルア嬢に戻した瞬間を狙ってください。メイリーンさんも」
「おまかせください。私が触れている限り、たとえ城ごとであろうと、どこにでも瞬間移動できますわ。皆さまや蔵書を安全なところに移してみせましょう」
 モーリスは頷き、腰を落として標的を確認してから立ち上がった。
 
 いったん封印して、助け出すのだ。
 傷つきやすい、小さな女神と、
 笑顔の可愛い、薬草売りの少女を。
 
 □□ □□

(それにしても……。あの剣が気になりますね)
 セレスティは考える。いにしえの剣のことを。
 もともと『知恵の環』にあったことも、鎖で縛られていることも、このゲーム内で何らかの意味を持っているような気がする。
(浅葱さんの本を読めば何か――いえ、わからないかも知れませんね。タイトルから考えても、初期の設定集でしょうし)
 ぐらりと、足もとが揺れた。
 バベルの塔は姿を消し、豊かな蔵書で満ちた『知恵の環』に戻っていく――その、予兆であった。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0592/ドロシィ・夢霧(どろしぃ・むむ)/女/13/聖クリスチナ学園中等部学生(1年生)】
【1253/羽柴・遊那(はしば・ゆいな)/女/35/フォトアーティスト】
【1466/武田・隆之(たけだ・たかゆき)/男/35/カメラマン】
【1533/藍原・和馬(あいはら・かずま)/男/920/フリーター(何でも屋)】
【1883/セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)/男/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2181/鹿沼・デルフェス(かぬま・でるふぇす)/女/463/アンティークショップ・レンの店員】
【2199/赤星・鈴人(あかぼし・すずと/ 男/20/大学生】
【2269/石神・月弥(いしがみ・つきや)/無性/100/つくも神】
【2318/モーリス・ラジアル(もーりす・らじある)/527/男/ガードナー・医師・調和者】
【2617/嘉神・しえる(かがみ・しえる)/女/22/外国語教室講師】
【4287/メイリーン・ローレンス(めいりーん・ろーれんす)/女/999/子猫(?)】
【4321/彼瀬・蔵人(かのせ・くろうど))/男/28/合気道家・死神】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

こんにちは、神無月です。
白銀の姫内でのダンジョン巡りも、なんとか第3回目となりました。ご参加くださいまして、まことにありがとうございます。
今回は珍しくシリアスに……とか言っといて、私のことですからたぶんいつもと大差ない雰囲気になるだろうと思い、そして本当に思ったとおりでした(…)。
皆様のプレイングは、感動的だったり考えさせられたり楽しかったり、とてもバラエティに富んでいました。プレイングの面白さが少しでも伝わることを祈るばかりです。

延長中の『白銀の姫』ですが、こちらは終わらないゲームではないはず。期間内に収束できますよう、あと2回、新たなダンジョンを構築していきたいと思います。

□■シュライン・エマさま
落語ネタに大受けいたしました。考えてみれば、シュラインさまなら各種言語での一人芝居が出来るんですよね。……見たい(真顔)。

□■ドロシィ夢霧さま
ミッションノベルの時もそうだったのですが、ドロシィさまの登場シーンを書くときは、必ずといっていいほど、頭の中を「虹の彼方に」の曲が駆けめぐります。いやほんとに。さーむでーぃ♪(歌うな)

□■羽柴遊那さま
はっちゃけダンジョンに、またいらしてくださって嬉しゅうございます。相変わらず素敵なお姉さまに目が眩みそうです(ぽっ)

□■武田隆之さま
OH! 望遠レンズ付き魔法寫眞機! 盲点でございましたよ。何だかスナイパーを連想しますね(?)

□■藍原和馬さま
もう和馬さまと薬草シチューは未来永劫、切っても切れない仲のようでございます。あきらめて、末永くお付き合いください(嫌すぎ)。あと、網は何度も使える仕様なんです、きっと。

□■セレスティ・カーニンガムさま
すみません。いつもお世話になっている総帥さまを、またもやキツネ耳に。…………WRが見たかっ……いえ、何でもございません。

□■鹿沼デルフェスさま
ジェットブルームをご使用いただきましてありがとうございます。白銀コスチュームで乗りこなされるお姿を想像しながら書きましたが、お似合いです、すごく。

□■赤星鈴人@サティさま
攻撃的なイメージの炎を、武器以外のものに役立てたいと仰る優しさにトキメキです。炎のファンタジーマジック? などと密かに呟いた私をお許しください。

□■石神月弥さま
月弥さまのうさぎ耳(WR暴走)。これ以上どう可愛くなれるのか見当もつきませんが、今後もさらに魅力は増大するであろうことに100万スターです。どきどき。

□■モーリス・ラジアルさま
今回はモーリスさまもばっちり作中で猫耳に! ファナティックドルイドならずとも失神する魅了っぷりだと思いますよ、ええ。

□■嘉神しえるさま
ああっ! しえるさまがいらしたのにダンジョンがリフォームされてない! いや、ほら、今回は平和優先ですから。お疲れ様でございました〜。

□■メイリーン・ローレンスさま
素敵薬品を大量にありがとうございました。この度はメイさまに思い切り頼らせていただきました。いっそ、ブランシュの救急箱の中身もお願いしたいです(笑)。

□■彼瀬蔵人さま
高峰ダンジョンから、すっかり弁天のパシリがデフォルトになってしまいましたが、蔵人さまの人生(?)は今後どうなってしまうのでしょうか。引き返すなら今ですよ?(おめーが言うな)