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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


【ロスト・キングダム】天狗笑ノ巻


■汽笛一声

「8時22分発、東北新幹線『やまびこ』45号、盛岡行は、20番線よりの発車となります。ご乗車のお客様はお急ぎ下さい――」
 アナウンスが告げる。
 ごう、と、青白い炎のような霊気が、青年の背後に立ち上り、鎧武者の姿をとった。
『翔馬どの、お急ぎめされよ。まもなく発車でござるよ!』
「ちょ、ちょっと待ってくれ、俺、まだ駅弁買ってな……」
『そのようなもの車内販売で買えばよいでござる。さあ、さあ!』
「だぁあ、スサノオ! おまえ、背後霊のくせに本体をひっぱるなぁあああ」
『失敬な! 拙者は背後霊などではないでござる!!』
 鎧武者にひきずられていく青年――むろんそれは村雲翔馬だ――をキオスクの店員があぜんとして見送る。
 やがて、上野駅のホームに、警笛が鳴り響いた。
 それはいやがうえにも、聞くものの心を旅の空へと誘わずにはおかない。

 それは数日前のこと。
「そうか、じゃあ例の父娘は、おまえの実家のほうで預かってくれることになったんだな」
 草間武彦の声が安堵の色を帯びた。
「実家というか、まあ、村のほうで、ほとぼりが冷めるまで、ってコトで。それで、今度の連休に、俺が連れて行こうとは思ってるんスけど……」
「なにか問題があるのか」
 草間は、翔馬がどこか浮かない顔なのを鋭く見てとる。
「い、いや、別に……」
『翔馬どのは、御館様に顔を合わせたくないのでござろう』
「う、うるさいな。いちいちつっこむな!」
「村雲の実家は東北のほうなんだろ? 移動中に襲われたりしないか?」
「そうスね……それはちょっと心配かもしれないッス」
「念のため、人を呼ぶか。どうせ乗りかかった舟だしな」
 苦笑まじりに、電話に手をかける草間。
 かくして、草間の呼び掛けに応じて集まった一行は、翔馬とともに、東北へと向かうことになったのである。
 その目的は、このところ東京を騒がせている山中の異人『風羅(フウラ)族』より離反した、須藤父娘を、翔馬の故郷である東北某所の《隠れ里》へと送り届けることだ。
「せっかくですし、里を満喫していってほしいッス。どうせ日帰りじゃ行けませんしね。なんにもないところッスけど、この季節、風景と食べ物は自慢できます。温泉もあるんスよ」
 あるいは、翔馬のそんな言葉に、惹かれたものも少なくなかった。

 ともかく、旅のはじまり、であった。


「秋の東北大周遊、か! いいねぇ」
 車内販売のビールを、はやくも1缶開けながら、桐藤隼が言った。
「鳴子峡あたり紅葉がよさそうだもんな。他にも見どころ満載だぞ。中尊寺、十和田湖畔に奥入瀬渓流……松島湾でウミネコの餌付け体験とかできるらしいし」
「そんなところにはいかないッスよ」
 勢いに押され気味の翔馬。
「わーってるよ。切符、新花巻までだもんな。さしづめ、遠野あたりかね」
「……はは、隠れ里っていっても、どうせ、みなさんにはバレちゃいますよね。秘密にしておいてくださいッスよ」
「やっぱり、見たことのないような奇妙な動植物でいっぱいなのでしょうか」
 目をきらきらさせて、マリオン・バーガンディが問う。
「え……、いや、そういうわけじゃ」
「隠れ里の方は、みなさん背後霊をお持ちなのですか」
 日頃から好奇心は旺盛なマリオンであるけれど、今回はひときわ、翔馬の故郷の村に興味津々であるらしかった。
「そりゃまあ、《神霊使い》の村ッスからね」
 上京した当初は、「東京では誰も《神霊》を連れていないのか」などとトンチンカンなことをのたまっていた翔馬だが、数カ月生活するうちに、だいぶ常識を吸収したようだ。
「じゃあ、翔馬さんのご家族も背後霊をお持ちなのです」
「家族……。いや、まあ……そう……ッスね」
「そういえば」
 光月羽澄が駅弁の包みを解きながら(用意よく、翔馬のぶんも彼女が買っておいてくれていた)口を開いた。
「スサノオさんの言ってた御館様っていうのは、翔馬さんのお父さまかおじいさまかしら」
「……」
 黙り込む翔馬の肩のあたりに、ぬう、と鎧武者が頭部をのぞかせる。
『いかにも御館様は翔馬どののお祖父さまでござる。里の長老で……拙者も御館様にこしらえて頂いたでござる』
「おっ、出てきたな、鎧! 一度、おまえとゆっくり話したかったんだぜ」
 嬉しそうな隼に、食い入るように兜を観察しているマリオン。
「……翔馬さん、うかない顔ね。もしかして……」
「その、おじいさまが苦手なのですか?」
 羽澄が濁した言葉を、マリオンはずばりと斬り込む。
「翔馬さんがそんなにおそれる方ってどんな方なのでしょうねぇ」
「……じぃちゃんは――そりゃ恐ろしいッスよ。子どものとき、イタズラしたの怒られて、縛られて木の枝に吊るされたんスから! 村でいちばん高い木のてっぺんあたりの枝にッスよ! 死ぬかと思った!」
 そう言った翔馬の顔が、まさしくイタズラを見つかった子どものようだったので、一同は思わず笑ってしまう。
「それにしても、美佳さんたち……本当に無事でよかった」
 羽澄が、通路を挟んで反対側のボックス席にいる、父娘を見て言った。
「ご迷惑をおかけします」
 須藤美佳――山に棲む謎の異人・風羅(フウラ)族のために、子どもの取り替えなどの斡旋を行わされていた産院の娘は、翔馬に向かって頭を下げる。
「そ、そんな、とんでもないッスよ。あの……本当になんっっっっっっにもない田舎なんで、びっくりしないでくださいね」
「ねえ、村雲くん、一応、手土産にお菓子持ってきてるんだけど」
 時刻表から顔をあげて、須藤父娘の対面に坐っていたシュライン・エマが口を開いた。
「羊羹でよかったかしら。おじいさまの好みでなかったら……、新花巻で乗り換えるときになにか別のもの――」
「ああ、もう、シュラインさん! 気を使わないでくださいよ〜」
「でも、私たちまでご厄介になるのだし、ご挨拶はきちんとしないとね」
「泊ってもらうのはやむなくなので、このあいだのホテルとは違うんスから……、リラックスしてください、ほら、和馬さんみたいに」
 シュラインの隣の窓際の席では、藍原和馬が、眠りこけていているのだった。

 新幹線を降りたあとは、在来線に乗り換え、さらに列車に揺られる。
 しだいに、車窓にうつる風景は、都会から下町へ、そして家屋の数もまばらになってゆく。
 一度は風羅族に狙われたことのある父娘である。一行は、護衛の役目を負っていたから、シュラインと羽澄は決して父娘から目を離さないようにしていたし、和馬も、たとえ眠っていたとしても異状があればすぐに目覚めて対処できたはずだった。マリオンと隼は――少なくとも傍目にはそんな自覚があるのかどうかはわからなかったが……、ともあれ、当初はそんな感じだった面々も、窓の外がいつのまにか、のどかな秋の田園風景になるころには、すっかり緊張を解いているのだった。
「まだなのか……着く頃には日が暮れちまうんじゃないのか」
 隼が言ったのも無理はない。東京を出て、はたして何時間経ち、いくつの交通機関を乗り継いだだろうか。今、一行がいるのは単線の、ひとつしか車両がない私鉄の電車の中だった。乗客はかれらしかいなかった。
「こんなに長いあいだ、いろんな乗り物に乗ったのははじめてなのです」
 マリオンが言ったが、これは不平というよりは、それが楽しくて仕方ないという感じであった。
「たまにはこういう移動も面白いのです」
 その電車を降りたら、日に一本しかないバスに乗り、さらに最後のバス停から山道を歩くのだという。旅程を聞いて、隼は頭を抱えた。

■天狗の里

「天狗……?」
 山道の先頭を行く翔馬が、ふりかえった。
「ああ。前に言ってたろ。浅草に行ったときだっけか。《神霊使い》の村は天狗の里だって。あんときぁ、まさか、実際に行けることになるとは思わなかったけどね」
 和馬が、いつもの黒スーツに、小さなカバンをひとつ提げただけの格好で、山道をものともせずに歩きながら言った。
「あー、そうッスねぇ。本物の天狗ってわけじゃないんスよ。ただ、他の里の人たちには……やっぱり、特別な人たちだと思われてたから、そんなふうに」
「つまり異能者だ。天狗ってのは山の神サマと関係あるよな。そいつぁ、要するに……」
「和馬さんが言いたいのは……俺たちの村が、例の風羅族と関係があるんじゃないかってことッスね」
「ただの思いつきだぜ?」
「実のところ、やつらのことを、俺はよく知らないんです。でも、じいちゃんは、あいつらが動き出すのを知ってたみたいだった。だから俺を東京に行かせたみたいだし。気になるなら、和馬さんがあとで――」
「――しっ」
 和馬が、唇に人さし指をあてた。
 そして立ち止まる。
 シュラインと目を見交わした。彼女が頷く。
 羽澄が、さっと、須藤父娘を守るような位置に立った。
 隼とマリオンが、そんな仲間の様子から異変を察知して、あたりを見回すが、視覚によってとらえられるものは何もない。そのかわり――

 呵々々々々々々々々――

「やつらか!」
「似てるけど、すこし違うみたい」
 身構える和馬に、シュラインが囁いた。
「ええ、大丈夫です」
 翔馬が笑った。
(わはははははははははははははははは)
 呵々大笑、とはこのことか。
 耳を聾せんばかりの笑い声が、山道に響いた。
 道の両側は鬱蒼とした雑木林である。笑い声は、その中から響いてきていた。だが奇妙なことに、笑い声はひとりのものなのに、音は全方位から聞こえてくるのだ。
「天狗笑い」
 ぽつり、と、シュラインが言った。
「え? テングワライ? そう言ったのですか?」
 マリオンが、その耳なれぬ言葉を聞き返した。
「おー、知ってるぞ! 山ん中で、どこからともなく聞こえてくる、誰のものかわからない笑い声のことだな!」
 と、隼。
「あそこ!」
 羽澄が指したのは、高い梢だ。そこにいたのは、まさしく。
「天狗……!?」
 袈裟に篠懸(すずかけ)、手には錫杖、頭には頭巾(ときん)……いわゆる、山伏の格好をしたものが、枝の上に立っていた。
 その顔は真っ赤で、鼻は長く。
 まぎれもない天狗である。それは、たん、と枝を蹴ると、梢から飛来するように、真直ぐに翔馬を目指して降下してきた。
「スサノオッ!」
『承知』
 翔馬の声に応じて、青白い炎をまとった鎧武者が、彼の盾になるように姿をあらわした。だが、驚くべきことは次の瞬間に起こった。
「何!」
「鎧が!」
 和馬と隼が同時に叫ぶ。スサノオを迎え撃つように、天狗の身体からも、かッと炎が迸り、それが別の鎧武者の姿をとったのだ。
『ッ!』
 スサノオの剣が、相手の振り降ろした刃を受け止めた。両者は霊体であるはずなのに、金属のぶつかりあう音が響く。そして、その間隙を縫って、天狗の手にした錫杖が、鋭く繰り出された。
「わ――っ」
 ぴたり、と、喉元寸前で静止する錫杖。
「未熟ものめ」
 天狗が言った。
「町に出て体がなまったのか。ええ?」
 天狗は、顎に手をかけ……赤い顔の天狗の面を取り去る。
 壮年の男の顔があらわれた。
「ようこそ、村雲の《隠れ里》へ。歓迎いたします」
 一同に向き直り、男は頭を下げた。
「私は村雲龍馬。不肖の息子が、お世話になっております」

「やっぱり背後霊をお持ちなのです。すごいのです」
 マリオンは瞳をきらきらさせて、翔馬に先んじて、一行を先導しはじめた彼の父・龍馬の後ろ姿をデジカメに収めた。
「さっきのが親父の《神霊》で『カグツチ』ッス。……ほんとに乱暴なんだから」
「面白ぇな。あとで、『カグツチ』にも紹介してくれよな。スサノオよりも、古い時代の甲冑に似た雰囲気だったな。スサノオはせいぜい中世――鎌倉より前ってことはないけど、さっきのは、一瞬見ただけだが、平安時代の武官の装束に似た部分もあった」
 隼は、とにかく「鎧」に興味があるようだった。
「はあ。まあ、そのへんは、カタチだけですからねェ。どうせ本物の鎧じゃないし。あ、それと、カグツチは簡単な受け答えはしますけど、スサノオみたいな会話はできません。こいつは特別だから」
「そうなのか」
「ほとんどの《神霊器》は声も出さないッスよ」
 そんな会話をしているうちに、ようやく、目的地についたようだった。
「わあ、見て」
 羽澄の声がはなやぐ。
 そこは、山間の盆地に、ひっそりと広がる小さな集落だった。
 山道を抜けてきた一行は、高台から、ゆるやかな斜面に田畑がしつらえられ、茅葺き屋根の家々が点在する、その山里を一望することができた。
 羽澄の目をまずとらえたのは、その山里の背景になっている、山の端の木々が、紅葉している様だった。まるで「秋」というもの、そのものを一枚の絵画にすれば、こんな眺めになったかもしれない。
 坂を下ってゆくと、途中の田畑で農作業をしている人々が、手を止めて、翔馬の父に挨拶をする。どうやら、彼はこの山里でそれなりに立場のある人物であるようだ。やがて、それを証明するかのように、ひときわ大きな屋根の、屋敷にたどりつく。
 塀で囲われ、門のある、屋敷だった。
 つくりは古めかしく、現代の東京に住む面々には時代劇のセットのように見えたけれども、どうやら現役で人が住んでいるらしい。
「どうぞ、お客人はくつろいでください。翔馬、ご案内を。……そちらのお二人は、あとで、お住まいにお連れします」
 村雲龍馬という男が告げた。
 須藤父娘は、空家になっている家を一軒、あてがわれることになるらしい。

「うお、囲炉裏だぞ!」
 部屋に通されるなり、隼が言った。
「なんていうか……雰囲気あるよな。こんな暮らしが、日本にもまだ残ってたんだなァ」
「うー、さすがに疲れたな。こんな山奥とは……。やっこさん連中も山に棲んでるってのに、ここは大丈夫なのか? 住人が、例の鎧使いだからか」
 どっかりと、畳の上に腰を降ろし、足をほぐしながら、和馬が訊ねる。
「たぶん、入ってこれないんだわ」
 答えたのは羽澄だった。
「え?」
「翔馬さんとお父さんが案内してくれたから、ここまで入ってこられたの。あの天狗笑いの森のあたり……かなり強力な結界が敷かれていたわ。破ろうと思えば破れたかしら……うーん、ちょっと大変だったかも」
「そんなに? 音の反響のしかたが変だなとは思っていたのだけど」
 考え込む羽澄に、シュラインが訊く。
「案内がないと、普通の人なら、何も気づかずに元の道に戻ってしまったと思う。たぶん、もうずっと何年も……いいえ、もしかしたら何百年も、そうやって守られてきた里なのよ」
「まさに《隠れ里》――というわけね。不思議な場所……」
「あのー、すいません」
 障子を開けて、翔馬が顔を出す。
「じいちゃんなんだけど……、なんか、ちょっと出掛けちゃってるんスよ。晩飯までには戻るから、それまで、ゆっくりしててください」
「探検したいのです!」
 待っていたとばかりに、マリオンが叫んだ。
「いろいろ見せてほしいです」
 笑いながら、他の面々も頷く。
 そう、これは旅なのだ。

■秋風に誘われて

「なに! そんなものどうしたんだ!?」
 隼が目を丸くしたのは、マリオンがマウンテンバイクに乗ろうとしていたからだ。
「翔馬のか?」
「自分のです。持ってきたのですよ?」
「持って……って」
 隼はマリオンが、ごく小さなポシェットのようなカバンしか持っていなかったのを知っている。泊まりの旅行だというのにどうするつもりなのかと思っていたのだ。
「デジカメがあれば便利なのです。たくさん写真が入りますから」
「???」
 マリオンの言葉の意味を測りかねて、首をかしげる。そんな隼にはお構いなしにマリオンは、
「ちょっと走ってくるのです!」
 と言って、猛烈な勢いでマウンテンバイクを漕ぎ出すのだった。
「……元気だな……若者は……」
 呆れたように見送るが、マリオンが実際は何年生きているか知ったらどう思うだろうか。

 紅葉は、ちょうど見頃だった。
 燃える枝を見上げながら、和馬は木々のトンネルを抜けてそぞろ歩く。
 このままどこかへ誘い込まれてしまいそうだった。
 はらり――、と、色づいた葉っぱが一枚、和馬のスーツの肩に落ちてくる。
 それをつまみあげて、しばし、眺めたあと、和馬は胸ポケットから取り出した手帳にそっと挟んだ。ついでに、帰ってからのバイトの予定をチェックする。時間があったら、この葉っぱをあいつに見せに行ってやろう。
 ふと、ふりかえった和馬は、ゆるやかに起伏する野原の道を、羽澄の銀の髪が行き過ぎるのを見た。声をかけようかとも思ったが、あえてそのまま見送る。
 秋の山里は、静かに、それぞれが味わえばいいのだ。

 深呼吸すると、清浄な空気が身にしみわたる気がする。
 真っ赤な彼岸花の、あやしい花が秋風に揺れている傍を通り過ぎ、歩いてゆくと、さらさらと小川の流れる沢に出る。
 そっとかがんで、せせらぎに目をこらせば、ときおり魚影が行き交う。
 さらには――
「あ。わさび」
 どうやら自生しているらしい。
 本当に、手付かずの自然と、人々の素朴な暮らしとが、ここでは文字通り地続きなのだ。
 普段は都会に暮らし、IT時代の申し子としてデジタルの世界を駆け回る羽澄だ。こうして、自然にひたるひとときは、いつもと違った刺激を彼女に与えてくれる。
 さわさわと、木の葉をゆする風の音と、渓流の流れる音に、思わず歌をそえたくなった。
 でも今は遠慮しておこう――と、羽澄は思う。
 この調和は、このままでも充分美しい。

「結構なお土産いただきまして」
 シュラインが縁側で一息ついていると、割烹着姿の女性が声をかけてきた。年齢や背格好からして、龍馬の夫人……つまり翔馬の母であろうと、彼女は推測する。
「とんでもないです。お口に合えばいいんですけど。……今度のことは、一方的に巻き込んでしまったような格好になって……。須藤さんたちにとっては、結果としてはよかったと思うんですけど、なんだか、ここの静かでのどかな様子を見ていたら、私――」
「気にせんでええです。この里は、もともと、よそからはぐれたり、逃げて来たりしたもんが集まってできたんです」
「え。そうなんですか? それは、たとえば落人部落みたいな」
「そうじゃねぇ。おじぃちゃんが詳しいからあとで聞くとええけど……どこまで言ったんだか」
「あの……御勝手の支度中だったのじゃありません?」
 シュラインは、彼女の格好を見て言った。
「よかったら、お手伝いしますけれど」
「とんでもないです。お客人にそんなことさせたら叱られますで。……かといって、見るもんもないとこですけどねぇ」
「でも、ご迷惑じゃなければ……こちらのお料理とか、教えてもらえたら嬉しいな、って」
 シュラインにそんなことを言われて、夫人はまんざらでもないようだ。
「そう? そしたら、まあ、汚いところですけどねぇ」
 そう言って、彼女を台所へいざなうのだった。

「ご興味がおありですかな」
 龍馬が声を掛けたとき、隼は、屋敷の奥まったところへ続く廊下に、並んで飾られている甲冑をしげしげと眺めているところだった。
「いい鎧ですな。もしかして、これがあの――」
「《神霊器》ですか。そうですな、モデルといえば、そうかもしれません」
 龍馬は山伏の装束はすでに解き、くつろいだ着流しである。
「ははあ」
「いいものをお見せしましょう。本来は、部外者の方をご案内することはないのですが」
 廊下を先立ってあるき、どこか牢を思わせる重い格子戸を開けた。
「……」
 二間続きの日本間だったが、奥の間はしめ縄が渡されて封じられている。
 その向こうに、甲冑が床机に坐っていた。
「新しい《神霊器》をつくっています」
「え!」
「見えませんが、結界の向こうには無数の霊がおり、あの鎧に、とり憑いた状態になっています。いや、とり憑かされたというべきか。古来、日本人は強い力を持った霊を神に祀り上げて災いを避けてきました」
「御霊信仰ですな。菅原道真が天満宮に祀られたように」
「左様。《神霊器》も同じ原理です」
「ここでは皆が……《神霊》を連れているって」
「翔馬がそう? それは言い過ぎですが、村雲の本家――うちでは里を守る必要がありますからな。スサノオは、翔馬に継がせるまでは、わたしが駆っていたのですよ」
 なんとも不思議な話であった。
 隼は、しめ縄の向こうに鎮座する甲冑を見つめた。しかし面当てのうつろな眼窩には、何も見い出すことはできなかった。

 デジカメがとらえたのは、たわわに実った柿の木の枝。
 マリオンは満足げに微笑んだ。
 やはり、自分が来ることにして正解だった。ここは研究所や屋敷にいては見られないものがたくさんある。ちょっと原始的な方法で移動したので時間はかかってしまったけれど、一度来たなら、この場所を憶えておけば、次回からはドア・トゥ・ドアだ。
 柿の木の下には、石仏がうずくまっている。それにもカメラを向けていると、道の向こうからは農作業の帰りらしい老人が歩いてくる。
「こんにちはなのです」
「……おだぐさまは」
 たぶん、見知らぬ人間がやってくることはない場所なのだろう。老人は驚いたようだった。
「村雲翔馬さんのお宅に泊めてもらっているのですよ」
「あンれ。お客人かね。御館のぼっちゃま帰ってきなすってるだか」
「おじいさんも、背後霊をお持ちなのですか。そうなら見せてもらいたいのです」
「ああ、わしも、若い頃は《神霊》使うとったがなぁ。こン歳になると、あれぁ腰にくるでの」
「そうなのですか?」
 そのときだった。
 地響きのような音。柿の木が揺れて、熟し切った実のひとつが、ぼたり、と地面に落ちた。
「こりゃいかん、御館様のお通りじゃ」
「え?」
 ごう――、と、木の葉が舞った。
 ぶらん、とマリオンの目の前で揺れているのは……熊、だった。大きな熊が一頭、逆さ吊りになっている。
 吊り下げているのは、あやしい霊気に包まれた鎧武者。そしてそれを従えているのは、眼光鋭いひとりの老人だった。

■山里の夜

「それじゃ……俺たちのために熊を……獲りに……」
 ちょっと複雑な表情で、和馬は目の前でぐつぐつと煮え始めているぼたん鍋を見た。
 上座にでんと腰を降ろした老人――彼こそ、翔馬の祖父であり、この里をとり仕切っているという人物であった。熊をひきずって帰るなり、彼は急に緊張して畏まった孫を、おのれの《心霊器》で殴りつけ、5メートルほどふっとばした。
「ふぬけた顔をしておる」
 というのが彼の弁であった。
「何のために東京へ行かせたと思っておるのじゃ」
「……じい……ちゃん……」
「遠路はるばるよくぞいらした。わしは村雲天龍と申します」
 そして、夜もふけたころ、囲炉裏では熊鍋が煮え、翔馬の母の心づくしの料理が並んだ。シュラインは素朴な郷土料理のつくり方をいろいろ伝授してもらい、こっそり(?)秘伝の漬け物もわけてもらったらしい。
 席には、一行と翔馬の家族のほか、須藤父娘も加わった。
「天龍翁の《心霊器》はまた、不思議な意匠ですな」
 隼は、翔馬がふっとばされるときに見た、老人の《心霊器》について訊ねた。それは3対6本の腕を持つ、異形の甲冑だったからだ。
「『オロチ』は腕力だけなら里で最強の《心霊器》ッスよ。あー、いて」
「なに、わしも歳で、ずいぶん腕が鈍りましたわい。そのわしの攻撃を避けれぬとは、若いくせにだらしのない」
「…………」
 翔馬は憮然として、熊鍋をつついた。
「あの――。おうかがいしたいことがあるんです」
 シュラインが、おもむろに話を切り出した。
「『風羅族』のことなんですけど」
 声を落して言ったつもりだったが、その名が出たとたん、場にしんとした空気が流れた。須藤美佳は羽澄と話していたが(この頃になって、ようやく、笑顔も出るようになっていた)、はっとシュラインに顔を向ける。
「……翔馬の話では、予想よりも激しく動きだした様子じゃの」
「かれらの行動を予測されていたのですね」
「なに、兆しはもう何年も前からなのです。10年くらいになりますかな」
「お父さん」
 美佳が、父を促した。須藤医師が頷く。
「その頃……急に《アズケ》の数が増えたことが」
「アズケ、っていうのは、山の――風羅族の子どもを町で育てさせることね。トリカエじゃなくアズケだけが増えたの? どうしてかしら」
 羽澄の問いには、父娘はかぶりを振った。
「山の真意は、逐一、末端のトケコミにまで伝えられるとは限らないの。その後、徐々にトリカエの数も増えたようだけど」
「しかし、あのときは突然、アズケだけが急増しました。10年から7年くらい前です」
「なにかが起こったんだわ」
 シュラインが考え込む表情を見せた。
「かれらが、連綿と山に棲み続けてきた……そのことを、むやみに暴き立てたりする必要はないと思うの。ただ、急に、私たちに対して攻撃的になったのは理由があるはず。私たちの側に、かれらの禁忌にふれたり、法を破ったりしたということが、あったのかもしれないわ」
「目には目を、ってか? わからんでもないけど、しかしなァ」
 和馬が、熊肉を咀嚼しながら言う。
「かれらの兵士は《ツチグモ》っていうでしょ。もともと土蜘蛛っていうのは、大和朝廷が土着の民族を侮蔑して呼んだ名だという説があるの。《ツチグモ》の育成の仕方も、イスラム帝国がキリスト教圏の子どもたちをさらって暗殺者に育てたっていう話を連想させるし……どうも、今回の件は、『民族問題』の匂いがするのよ。簡単なことじゃないわ」
「……われわれは、風羅とは似て非なるもの」
 うたうように、老人は言った。
「われらは遠い昔に、里から離れ、あるいは追われて、山にすがるようにして生きるようになったものの血筋。……だが風羅は、もとより山で生まれ、山に生きていたものたちじゃ」
「それでも、里の人たちと共存してたんじゃ?」
 羽澄が言った。
「然り。じゃが、長い歴史の中では、山と里とのあいだに争いも起こったのです。山には里を恨んでいるものも、当然、おることでしょう」
「そういった……いわば、急進派が動き出したということでしょうか」
「そういうことじゃろう。きっかけはあったにせよ、な。この10年のあいだ、風羅は常に里に敵対的じゃった」
「この時期に翔馬さんを東京に向かわせたのは何故なんです」
「……堤防は蟻の穴から崩れるといいますな」
「はい?」
「小さな穴が開いたからじゃ。いや、決して小さくはないのでしょうな。ひとりの人間の命が失われたのじゃから」
「それは……」
「故人のためには、あるいは、話さぬほうがよいのかもしれん。いい若者だったのじゃが……」
 沈痛な面持ちで、老人は首を振った。

「厄介そうだなァ、ったく」
 言いながら、和馬は、湯の中で思い切り、足を伸ばした。
 この里には温泉が出る。翔馬の家では、温泉を引き、露天風呂にしているということだったので、食事の後、さっそく入らせてもらっているのである。
「まあ、でも、そのおかげで、俺は上京できたんスけどね」
 と翔馬。
「翔馬は、いつかはこの家を継ぐのか」
 隼の問いに、彼は頷く。
「そうでしょうねー。あー、かったるいなァ」
『翔馬殿ー! なんという不届きな発言でござるか!』
 ざぶん、と温泉の湯を割って、スサノオが出現した。
「おわあ、スサノオ、おまえ、どっから出てくんだ!」
「お、なんだよ鎧! やっと出てきたなー。せっかくだから一杯やろうぜー。おい、翔馬、名産のいい地酒は、当然あるんだろうな?」
「おっ。いいねー。温泉に紅葉に酒。かー、最高だねぇ」
『翔馬殿! 翔馬殿には、この村雲の家の次期ご当主として、まだまだ学んでもらわねばならぬことが、それはもうてんこ盛りにございますと、拙者が日々申しておるでござる! それが、言うに事欠いて、かったるいとは嘆かわしい! 翔馬殿のお父上は、翔馬殿の歳にはもっとこう――』
「うるさい、スサノオ、背後霊のくせに説教すんなー!!」

「……なんか盛り上がってるみたいね、お風呂」
 露天風呂のほうから漏れてくる喧騒に、羽澄が耳を傾ける。
「まだ開かないかな。やっぱり先に入っちゃったほうがよかったかしら」
 露天風呂といっても、あくまで個人宅の風呂なので、男女で分かれているわけではない。なので、男性陣を先に入らせたのだが。
「いいお湯だったのです」
 と、一足先に出てきたらしいマリオンだ。
「まだかかりそうだった? 後の人たち」
「……? さあ、わからないのです。何をしてるんですかー?」
 羽澄とシュラインが、畳の上になにやら広げているのを見て、マリオンが覗き込んでくる。
「文献や記録を見せてもらっていたの。でも、まだまだあるらしくて、ちょっと調べ切れないわね」
 シュラインがちょっと残念そうに言った。
「これは……アルバムなのですね」
「そうなの。翔馬さんの赤ちゃんの頃とかの写真があるのよ」
 羽澄が見せようとしたが、それよりはやく――
「あ。これ……」
 マリオンが、一枚の写真を指さす。
「この人、大河原博士なのです」
「え? ……それって」
 色あせた、古い写真だ。
 場所はこの里のどこかだろう。中折れ帽子に、ステッキを持った壮年の男性。そして彼につづく、一組の男女。女性は、金髪の白人で、相当な美人だ。男性は、細面の背の高い青年だった。
「河南教授の先生なのです。今は山の人たちと一緒にいます」
「その写真……昔、東京の大学からここを調査に来た人たちがいたって聞いたけど……」
 シュラインは、まじまじと写真を見つめた。
「ねえ。この……先生の脇にいる男の人、どこかで見た気がしない?」
「え? あ、そういえば……。でも誰だろう。思い出せないわ」
 羽澄とシュラインは首を傾げたが、答は出ないようだった。

 *

 山の上に、ぽっかりと月が昇る。
 秋の夜は虫のすだく声とともに、更けてゆく。
 いかに東京を遠く離れたとはいえ、同じ現代の日本にこのような場所があったとは。
 それはまさしく、『異界』の風景そのものであったかもしれない。

(了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1282/光月・羽澄/女/18歳/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1533/藍原・和馬/男/920歳/フリーター(何でも屋)】
【4164/マリオン・バーガンディ/男/275歳/元キュレーター・研究者・研究所所長】
【4836/桐藤・隼/男/31歳/警視庁捜査一課の刑事】

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■         ライター通信          ■
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お待たせいたしました。
『【ロスト・キングダム】天狗笑ノ巻』をお届けします。
えー、これはサブシナリオということで、秋の旅情ノベルのつもりだったんですけど、なんだかいろいろ書いてしまいましたね。

村雲翔馬は公式NPCなのですが、今回いろいろ書いた設定はすべてリッキー2号独自の追加設定です。考え出すと止まらない……。

>シュライン・エマさま
そんなわけで興信所の冷蔵庫には村雲の隠れ里名産の漬け物が。こういう依頼って、きっとギャラ出てないと思うので(ほんと、どうやって回ってるのか謎だな興信所……)せめてもの報酬ということで。

>光月・羽澄さま
翔馬くんのお弁当を買っておいてくださってありがとうございます(笑)。細かいネタがうれしいです。例の能力は今回も発動しませんでした。場所が場所なんで。次回こそ(笑)。

>藍原・和馬さま
紅葉の葉を! なんかおしゃれなプレイングにはっとしました。温泉のぞきネタはぜひ入れたかったのですが、今回のメンバーだとしゃれにならないため割愛(笑)。

>マリオン・バーガンディさま
はるばるの電車の旅は、マリオンさまには滅多にないご経験だったはず。もう次回からはスグですけどね。きっといろいろなものを写真に撮られたことと思います。

>桐藤・隼さま
せっかくなので、村雲家の奥の間を特別拝観(笑)していただきましたよ。温泉では、きっと、スサノオと語り明かされた……のでしょうか? 人間だけがのぼせちゃうからなあ。

それでは、機会がありましたら、今後ともおつきあいいただければさいわいです。
ご参加ありがとうございました。