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夕陽に煌く銀の光
くるみには、誰にも言えない秘密があった。
……秘密にしたかったわけではない。むしろ、言ってしまいたいことだ。
けれどどうやらアレはくるみにしか見えないらしく、以前、まだそれに気付いていなかった頃。口に出したらとても、怪訝な顔をされたのを覚えている。
両親はいつも海外を飛びまわっていて、滅多に家には帰ってこない。愛されていない、というわけではないと思う。
たまに帰ってくると、二人はくるみをとても可愛がってくれたし、誕生日やクリスマスにはいつだって、たくさんのプレゼントを贈ってくれた。
だけど。
ひとりは、淋しい。
家にはお手伝いさんがいるけれど、お母さんもお父さんもいない家はやっぱり寂しかったし、孤独を感じてならない広い家はあまり好きではなかった。
唯一、家が好きだと言えるのは。両親が家にいてくれる、ほんの少しの時間だけ。
けれどそのほんの少しの時間はくるみにとって嬉しいものであっても、寛げる時間ではなかった。
滅多に一緒にいられないからこそ、少しでもいい子に思われたくて。
笑って、甘えて。
だけど……アレのことは、言えない。
きっと変な子だと思われてしまう。
二人がもっと帰ってこなくなったりしたら……。
だから、言えない。
くるみは二人の前ではどうしても、いい子でいなくてはいけないのだ。
両親の前だけではない。両親の耳に入りそうな場所ではどこだって、いい子でいなければいけない。
昼でも夜でも、変わらずアレは、くるみの視界に入ってくる。
例えば、公園の片隅。ジャングルジムの上。じっと公園で遊ぶ子供たちを見つめているけれど、誰ひとり、その視線に気づく者はない。
例えば、学校の中。廊下の真ん中に立ち尽くしているのに、誰も気にしない、見えていない。くるみとだけ、目が合う。
例えば、道端。朝でも昼でも夕方でも。早足に街を歩く、忙しげな人たちは皆、アレに気付かず、アレのすぐ傍を通り抜けて行く。
例えば、家の中。夜は特にたくさんのアレが漂っていて、時に部屋の中まで侵入してきて、夜は特に恐い。
アレはどこにだっているのだ。
――……皆、わかっていない。そこにアレがいるのに……。
五体満足に人の形を保っていればまだよいが、そうでないものもたくさんいた。
あちこちから血を流していたり。手や足がとれていたり。首の上だけしかないアレもいた。
正体のわからないそれが恐くて。だけどどこにでもいるアレを避けて通ることは難しくて。
くるみは、いつでも怯えていた。
いつもおどおどとして内向的なくるみには、友達もできなかった。
だからくるみはいつだって、ひとりきりでそれに耐えなければいけなかったのだ。
私のことを分かってくれる人は誰もいない……。
どこまでも落ちていくような深い孤独の中で、くるみはひとり、縮こまっているしかなかったのだ。
* * *
学校も、くるみにとってはあまり気の向く場所ではなかった。
けれどいい子でいるためにはきちんと学校に行かねばならない。道すがらにいるアレに怯えながら、毎日、学校まで出掛けて行くのだ。
「今日から、クラスの仲間がひとり増えるぞ」
その日はいつもと少しだけ違っていて、朝のホームルームで、先生がそんなことを言い出した。
手招きされて入ってきた転校生は、とても、綺麗な子だった。
銀色の髪と、整った凛とした顔立ち。クールな雰囲気が、近寄り難さを感じさせる。
そしてその子は実際、くるみから見れば、ひどく遠い位置にいる子であった。
勉強ができて、運動もできる。それを威張ることもない。
皆に囲まれてもクールな態度を崩さず物静かで、同い年とは思えないくらいに落ちついていた。
その日の放課後、くるみは下校途中にある公園で、ひとりブランコに座っていた。
クラス中が転校生に沸いていて、そこに入って行けない自分が寂しくて。いつも以上に、孤独が浮き立つようで。
「…………」
帰っても家は静かで、余計に寂しくなるんだろう。
そう思ったら、家に帰るのも嫌だった。
それでも、いい子でいるためには、日暮れ前には帰らなければいけない。
気が進まないながらも、ノロノロと立ちあがったその時だった。
風もないのに、ブランコが揺れた。
もちろん、くるみが座っていなかった方のブランコだ。
ブランコが、揺れる。大きく。
風などでは説明のつかないくらい――大きく振れたブランコの鎖が、乾いた音を立てて切れた。
思わず周りに目をやるが、いつもはこの時間なら少しなりと人通りのあるはずの公園は、今はまったく人の気配がしなかった。
空気が硬く冷たく変わる。
アレと同じ、けど、違う。
いつも見かけるアレよりずっと大きくて、手が、鎌のようだった。
鎌が振り下ろされて、地面に落ちたブランコが真っ二つに叩き割られた。
「あ……あ……」
逃げなきゃ!!
アレはいつものアレと違う。
危険。
逃げないと、殺される!!!
わかっているのに足が動かない。
アレと、目が、合う。
ゆっくりと近づいて来たアレが、くるみの前で鎌を振り上げた――その、瞬間。
ピタリと、アレが動きを止めた。
硬くなっていた空気に流れが生まれる。やわらかな風が吹いたような気がして振り向くと、そこには転校生が立っていた。
「犬神さん……?」
そう。
そこに立っていたのは確かに、今日、転入して来た少女――犬神勇愛だ。
彼女の髪からぴょこんと覗く銀の耳。スカートの下に見える、銀の尻尾。
普通の人にはあり得ないもの。
「あっ!」
ふいに、勇愛の姿が掻き消えた。
ほとんど同時に、背後で鳴き声があがる。――アレが立っていた方向だ。
慌ててそちらに目をやると、勇愛がアレと戦っていた。
……不思議と、恐怖は感じなかった。
夕陽の中に映える銀色がとても綺麗で。
勇愛の何度目かの攻撃ののち、アレが消える。同時に、空気も戻る。
くるみはペタンとその場に座り込んで、ただただ、勇愛を見つめていた。いや、見惚れていた――と言う方が正確かもしれない。
「大丈夫? 怪我してない?」
勇愛が微笑みながら手を差し伸べてくれて、くるみは、何も言葉が思いつかなかった。
沈黙のままにその手に掴まる。頬が、熱かった。
夕陽の中だからまだ良いけれど、昼間だったらきっと、顔が赤くなっているのがすぐにわかってしまうだろう。
「一条さん?」
「あ……うん、うん」
コクコクと頷くだけのくるみに何を言うこともなく。勇愛はそのまま、くるみを家まで送ってくれた。
* * *
「あ!!」
その日の夜。
ベッドの中で、くるみはふいに思い出した。
「……お礼、言ってない……」
助けてもらったというのに、ありがとうも言っていなかったのだ。
夕陽の中の情景を思い出して、くるみはまた顔を赤くした。
「明日……お礼、言わなきゃ」
火照る顔を布団で鎮め、くるみは初めて。アレを気にすることなく眠りについた。
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