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<東京怪談ノベル(シングル)>


invisible


「…ちっ」
 小さな舌打ちが漏れた。同時に、目の前に群がろうとした異形の者どもが一瞬のうちに薙ぎ払われる。
「…全く」
 背後から、迫りくるものの気配は一切ない。それが、余計に物部琉斗を苛立たせる。

 背後からなくとも、前方から迫りくるものの気配は絶えることはない。いや、前方だけではなく、左右からも。
 何も知らぬ彼らからすれば、高々『人間』であるはずの琉斗は餌でしかない。だから、意味も分からないうちに己の存在を消されていく。
 そう、琉斗はその彼らを狩るはずの存在なのだ。それを生業とし、これからもそれは変わらない。
 本来ならば追う立場なのだ。しかし、今の彼は明らかに何かから逃げている。何故?
「…依頼人に嵌められましたか」
 冷静に聞こえる言葉には、しかしはっきりと苛立ちが含まれていた。

 凛と、手に持つ火威が鳴る。まるで、彼自身を未熟と言わんばかりに。





○発端
 始まりは、何時もどおりの仕事の斡旋にすぎなかった。
 魔を狩るものである以上、彼の元には仕事が入ってくるし、彼自身それをなんとも思わない。特に、今回のように身内からまわされてきた仕事なら尚のことである。
 特に断る理由もなく、軽い気持ち――と言ってはおかしいだろうが、特に何時もと変わらない仕事に彼は何の迷いもなく首を縦に振った。
「さて…」
 迷うことなく、彼は歩きはじめた。標的は、一匹の鬼――。



 幽霊やら怪奇現象の目撃・体験談は、あげだせば枚挙に暇がないほど溢れている。彼がやってきたのも、そんな噂が後を絶えない山奥の旧国道トンネルのすぐ近くだった。
 闇の中に、赤い瞳が煌いた。ざっと、遠慮もなく静かな森に琉斗は踏み込む。
 森は不気味はほどに静まり返っていた。森というのは、そこに住む生物たちの性質上、寧ろ夜の方が賑やかである。それが、一切ない。
「…まぁ、本能でしょうか」
 自然に生きるものほど、そういった本能は研ぎ澄まされている。彼らは、それを敏感に察知しているのだ。

 そんな自然のちょっとした変化を感じながら、琉斗は道なき道を進む。獣道をしばらく進めば、キィキィと小さな、しかしはっきり聞こえる耳障りな声が幽かに聞こえ始めた。
 本来ならばこんなところに住むはずのない小鬼の姿が、よく見てみれば溢れかえっていた。
「…瘴気にでも寄って来ましたか」
 琉斗は小さく溜息をついた。余計な仕事は増やしたくないというのが実際のところだ。
 そんな彼を、餌とでも思ったのか、背後から一匹飛び掛る。しかし、剥き出しの殺気は容易くそれを琉斗に知らせ、次の瞬間には鈍い光が煌き、小鬼は真っ二つとなりこの世から消えた。
「全く」
 そして、また一度小さく溜息をつき、琉斗は一気に駆け出した。

 疾風の如き速さで、ただ目前に迫るものだけを斬捨て、琉斗はさっさと目的地を目指す。瘴気に寄って来るものなどは、所詮小物に過ぎず、彼を止められるはずもなかった。
 奥へ行けば行くほど、感じる瘴気が濃くなっていくのが感じられる。先はまだ見えないが、琉斗は一旦その場で足を止めた。そして、その場で意識を集中させ、正気の出所を探る。
「……」
 目を開いた瞬間、彼の足はまた動いていた。

 その途中で、また不意に彼の足が止まる。彼の視線の先には、逃げ遅れたのか、ただ一匹で震えるイタチの姿があった。
 勿論、ただ震えているだけではないのは、その様子を見ればすぐに分かる。濃すぎる瘴気に中てられたのか、小さなその姿が不気味に蠕動していたのだ。
「……」
 琉斗は目を細め、手に持った火威を躊躇なく振り下ろした。その一撃で、小さく震えていたイタチだったものの動きが止まる。
「…出会わなければ…」
 その姿に何を見たのか、小さく声にならない言葉を呟いて、琉斗はそのイタチをそっと一撫でする。そして、また何もなかったように歩き始めた。



 いよいよ瘴気は尋常ではない濃さとなり、それが琉斗に目的のものが近いと知らせる。
 音がしない。何も聞こえない。ただ、湿った匂いだけが、森の木々の匂いと混ざり合って、なんともいえないものとなっていた。
 鬱蒼と茂り視界を邪魔するものを振り払い、琉斗はその場へ足を踏み入れた。
 ヌチャっと、湿ったものを踏みしめる音が不気味に響く。
「……」
 声もなく、油断もなく琉斗はその場を見渡す。そこは、どす黒い闇に包まれた沼だった。

 月の光は、木々と雲で隠れてしまい今はない。それでも、琉斗の目は闇の中を見渡していく。
 そして、彼は何かを感じた。
(…おかしい)
 ただ一言、その言葉だけを彼は内心呟いた。
 そう、何かがおかしいのだ。

 濃すぎる瘴気。そんなものがなくとも、この場に何かがいることだけは分かる。何かの気配が、確かにそこにはあった。
 しかし、一切その姿は見えない。単に何かの影に隠れていたりするのならば、その気配ですぐに察することが出来る。しかし、そうではないのだ。
 『感じるのに感じられない』
 そんな、矛盾した感覚を琉斗は味わっていた。

「……」
 背筋が凍りそうな感覚。一筋の汗が、琉斗の額を伝う。
 一切何も見えないのに、しかしはっきりと何かがいると感覚は教える。
 見えないものへの恐怖。人ならば誰しも持つそれも、訓練された琉斗ならば押し消すことが出来る。
 しかし、今味わっている感覚は、琉斗を内心焦らせていた。
 見えなければ、幾ら訓練しようとも、幾ら強かろうとも手が出せないのだから。

 しばらくの沈黙が続いた。一向に、標的の姿が見えることはない。
 そんな時、琉斗は左腕に違和感を覚える。
 何かが触れる、ぞっとするような感覚。そして、一瞬の後に激痛が琉斗の体を駆け巡る。
「ちぃっ!?」
 その瞬間を感じられなかった琉斗は、内心の焦りを隠しながらその場を離れる。そして、はっきりと見た。
 自分のいたその場が、瘴気に包まれていることを。
「…最悪、ですね」
 その事実に激しく動揺しながらも、琉斗は自分を必死に落ち着けようとする。
 未だ、その姿は一切見えない。しかしこうなった以上、早急に滅する必要がでてきた。
 凛と、小さく火威が鳴る。
「はっ!」
 一喝とともに、琉斗の持つ火威が、確かに気配を感じた方へと振るわれた。しかし、一切の手応えは感じられない。そして、またあのぞっとするような感覚が、琉斗を包み込む。
「…ッ!」
 本能が、琉斗の体を動かしていた。
 一息で5メートル以上を飛びきった琉斗は、そのまま駆け出した。

「鬼は鬼でも、完全な幽体の悪鬼か怨霊の何か、ですか…!」
 森を駆け抜けながら、琉斗は思わず毒づいた。それは、彼にとっては最悪の相手に等しい。
 琉斗の場合、受肉した相手ならば何の問題もなく滅することが出来ただろう。しかし、その反面完全なる幽体にはなす術がなかった。
 霊体と肉体には大きな隔たりがあり、だからこそ本来ならば適材適所で仕事が回されるのだ。だがしかし、今回の相手は琉斗にとってはどうしようもない。
 何も出来ない苛立ちを抱えたまま、しかし何も出来ぬまま死ぬわけにもいかず琉斗は駆ける。

 また、キィキィと小うるさい泣き声が聞こえる。まるで、何も出来ず逃げ帰る琉斗を馬鹿にするかのように。
 事実、それを見ていた小鬼たちは琉斗を侮り、そしてそのまま襲い掛かる。だが、受肉している小鬼たち如きでは琉斗を止められる道理もなく、ただ火威の錆へと変わっていくだけだった。
「…依頼人に嵌められましたか」
 呟きながら、ただ己を振るう琉斗に、また火威が小さく凛と鳴った。

 背後から迫ってくる気配はない。恐らく、あの沼にいたものはそのまま追ってきていないのだろう。
 その事実が、琉斗をまた苛立たせた。
「…くそっ」
 何も出来ない自分は、何時か見た光景を思い出させた――。





* * *



 琉斗の呟いた言葉は、まさに自分の状況を表していることに、しかし彼は気付いていなかった。

 本来ならば適材適所で仕事は斡旋される。仕事の失敗は、なんとしても避けなければならないのだから。
 しかし今回の一件は、明らかに琉斗とは相性が悪すぎる一件である。それはつまり、何らかの思惑が彼に働いているのだと考えるのが自然である。

 元々、琉斗は物部の人間ではない。あくまで物部に保護された存在であり、だから今は本来の名を名乗らず、物部を名乗っている。
 巨大な組織になればなるほど、人の意思は一枚岩ではない。それは、物部というものたちであっても変わりはなかった。寧ろ、混血の一族という複雑な成り立ちは、それを助長させているのかもしれない。
 明らかな悪意で狙われているのだ、琉斗は。
 しかし、駆けていく琉斗には、その意味を考えている暇はなかった。

 森を駆け抜けていく琉斗。それを、遥か彼方から見続ける赤い影があった。

 本当の意味を知る術は、まだ彼にはない――。





<END>