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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


オールド・ニック


 デスクの上にのせられた一枚の葉書に目を落とし、碇・麗香はその眼差しを意味ありげに細めてみせる。
 葉書には宛名の記載も無く、差し出し人の記名も残されてはいない。時節柄の挨拶が記されているわけでもなし、それどころか認められた文字のひとつあるわけでもない。
「……さすがに、これだけじゃあ事件性は否めないわよねえ」
 溜め息がてら呟いて、その視線をちらりと前方に向けた。
 視線の先にあるのは、碇の視線に目を合わせまいとして挙動不審気味な動きをしている三下の姿。碇は真っ直ぐに三下を見とめると、頬づえをついた状態で言葉を投げ遣った。
「ねえ、さんしたくんはどう思う? これ、刑事事件かしら。それとも霊的な現象?」
 問われ、三下は一瞬にしてその顔色を蒼く染めた。
「ぼ、僕には解りませんよぅ」
 裏返りそうになる声をどうにか堪え、三下はぶんぶんとかぶりを振った。
「僕には解りませんじゃないのよ。この件がうちに持ち込まれた以上、その辺の判断をくだして、記事にするなり警察に回すなりするのが道理ってものでしょう」
 頬づえをついた姿勢のままで、碇は三下を睨みつける。三下はその視線から逃れようと目を泳がせてみたりしていたが、やがて諦めたようにうつむいて、メモ書きを碇のもとへと持っていった。

 初めに見つかったのは、都内の、とある学校に通う女生徒の死体だった。
 彼女はその夜、ごく普通に帰宅してごく普通に夕食を取り、いつものように入浴の時間を迎えたのだという。
 二時間ほど経ち、風呂から一向に出てくる気配のない娘を心配した母親が風呂場を覗きみてみると、浴槽の中、変わり果てた我が子の姿が浮いていた。
 それから一週間後、そのクラスメイトの女生徒が亡くなった。死因は”橋から落下しての水死”であったという。
 二人共に明朗な性格で、自殺といったものは考えられないのだと、多数の証言が寄せられた。
 そしてその三日後。アトラス編集部に一人の少女が姿を見せた。
 少女は亡くなった女生徒達の友人だと名乗り、件の葉書を差し出したのだ。
「次に殺されるのはわたしなんです」
 少女は泣き腫らした目でそう告げて、さらに懇願してみせた。「わたしを助けてください」と。

「亡くなった二人と、今回ここに来た彼女にある共通点は、まあ、結構いくつもあるのよね」
 三下が提出したメモ書きに目を通し、碇は溜め息がてらにそう呟く。
「同じ学校、同じクラス。仲のいい友達で……」
「あの、碇編集長ぅ」
「……なに?」
 三下がおどおどと口を挟む。
「あの方が言っていた”オールド・ニック”っていうのは何なんでしょう」
「オールド・ニック。擬人化した悪魔の呼称ね」
「悪魔の呼び名ですか。あ、あの、でも、あの方が云うには、やってた事自体はこっくりさんと同じものですよね」
 三下の言葉に碇は無言でうなずいた。

 ――そう。
 亡くなった二人の少女と、今回アトラス編集部に助けを求めて来た少女とを結ぶ大きな共通点は、実はあと二つほど存在している。
 一つ。三人は”オールド・ニック”と称した交霊の儀式を度々行い、占いめいた事をしていたのだ。
 一つ。亡くなった二人と少女には、それぞれ葉書が舞い込んでいる。
 それは葉書の四枠を黒い線で囲んだだけのもの。どこか喪中の葉書を思わせるそれは、それだけで不気味な空気を思わせる。

「どっちにしろ、改めて調べてきてちょうだい。そうね、何人か連れていくといいわ。どうせあなただけじゃ心配で任せておけないし」
 三下に目を向けてそう述べると、碇は編集部内を見渡した。

 編集部内では、シオン・レ・ハイがいつも通りに”原稿”の執筆にとりかかっていた。400字詰の原稿用紙は碇がシオンに与えたもので、彼はその上に鉛筆を走らせている。
「秋はさんま さんまはさかな さかなはうろこ うろこは雲 ああ秋ってすばらしい」
 ほくほく顔で相変わらずのポエムを綴る。原稿を綴る作業はいたって順調だった。
「これで原稿料をもらったら、にんじんを買ってこども動物園に行こう」
 口元を緩めて独り言を呟くと、シオンは原稿の続きをしたため始めた。
 ――――と。
「なあに、それ。それってオカルト雑記に載せる原稿なの? ヒヒヒ、おまえ、面白いものを書くのね」
 なんの前触れもなくそう声をかけたのは、レースとフリルをふんだんに使ったデザインのワンピースをまとった少女、ウラ・フレンツヒェンだった。
 シオンはウラの声に驚いて振り向くと、しかしウラのその言葉を褒め言葉ととったのか、嬉しそうに笑みを浮かべてうなずいた。

「ふうん。昔はエンジェルさんとか妖精さんとか云ったものだけど、今はオールド・ニックなんて名前でやってるのね」
 碇のデスク前でそう告げて思案したシュライン・エマは、デスクの上の葉書を見下ろして眉根を寄せた。
「……確かに、見ていても気分のよいものではないですね」
 シュラインの言葉に続けて口を開けたのは伏見夜刀。気分のよいものではないとは云いつつも、その口元には薄い笑みが滲んでいる。
 夜刀の言葉にうなずいて、碇はその葉書をふわりと持ち上げ、振った。
「もちろん消印なんていうのもないから、差し出し人が直接彼女達の手元に届けたということになるのよね」
 告げて、小さな溜め息をひとつ。
 その葉書を覗き込むようにしているのはマリオン・バーガンディだ。
「殺人予告か予約券みたいものなのですね」
 穏やかな声音で、どこか楽しげに微笑む。
「とりあえず、毎度の事で申し訳ないけど、さんしたくんに付き合ってあげてほしいの」
 マリオンの金色の眼差しを受け止めつつ、碇はデスクを囲む三人に一瞥する。
 その遣り取りを横目に見遣っていたウラがつかつかと碇に近寄ってふわりと首を傾げた。
「あたしも行くわ。なんだか面白そうな話じゃないの」
「そう? じゃあお願いするわ。人数は多いにこしたことはないものね」
 微笑みながらうなずく碇の名前を呼んだシオンは、完成した原稿を碇の前に差し出して得意げに胸を張った。
「自信作です!」
 自信有り気に頬を紅潮させるシオンを前に、碇はその原稿をちらりと流し見ただけで満面の笑みと共に頬づえをつく。
「シオンくんも皆と一緒に行って来てくれる?」
「え、なにがですか?」
 状況を飲みこめずに首を傾げるシオンに、碇は件の葉書をつきだした。
「現代の交霊術とそれにまつわる事件に関して調べてきてほしいのよ」

 件の学校。そこに足を運んだのはウラ、シュライン、マリオン、シオンの四人だった。
「その儀式、渦中の女の子達の間だけで流行ってたわけではないはずでしょう?」
 そう提案したシュラインに、他の三人も賛同したのだ。
 少女達はその学校の二年。碇から仕入れた情報によれば、儀式を行っていたのは、主に自分達の教室や空いている教室。つまりは学校の中で行うことが多かったらしい。
 四人がそれぞれに情報を聞き出し集めた結果をメモにまとめていたシュラインが、学生達で賑わう校庭を確かめながら視線をあげた。
「――私達が昔妖精さんなんかをやってたときも、やっぱり結構な規模で流行ってたものね」
 そう述べて息を吐くと、シュラインはもう一度メモに目を向けた。
 
 情報収集の結果分かった事はといえば、オールド・ニックなる儀は今回犠牲となった彼女達の間だけで行われていたものではなく、案外広範囲、なおかつ多くの学生達の間で行われていたものだという事だった。
「やり方としては、まず紙と鉛筆、あと十円を用意して――こっくりさんは鳥居でしたっけ? これは鳥居の代わりに五芒星を書くんですね」
「悪魔を喚起するための円陣は、書くのも案外面倒なものだものね」
 シオンの言葉にウラがクヒヒと笑ってそう続ける。
「呪いっていうのは案外法則にうるさいものだと思うですが、この儀式はどうだったんですかね?」
 シュラインのメモを覗きこみながながらマリオンが問うと、シュラインがすうと目をあげてマリオンを見遣った。
「オールド・ニックっていうのがこっくりさんなんかの同類だとしたら、これは呪いというよりは交霊、あるいは降霊――そういったものになるわよね」
「やっていた当の本人達は、そういう感覚もなかっただろうけれどもね」
 襟元にあしらわれたレースを指先でいじり、ウラがシュラインに続けて口を開けた。
「じゃあ、遊びみたいな感覚だったでしょうか?」
 ふわりと微笑みマリオンが首を傾げると、
「情報ですと、どちらかというと気楽に遊べる占いのようなものだったようですしね」
 シオンがそう返してうなずいた。
「こっくりさんは、呼び寄せた霊をきちんと帰さないと、リスクとして呪われるとかそういった逸話も抱えてるわよね」
「その辺がまたスリリングなのよ、あの子達には。遊びにもスリルがあった方が盛りあがるものね!」
 シュラインを見上げてウラがクヒヒと笑った。
 ウラの言葉にうなずくと、シュラインは続けてメモを読み上げる。
「事件の犠牲になったのは加藤直美さん、渋谷理子さん、そして藤田二葉さん。お風呂で亡くなったのは加藤さんで、河で亡くなったのは渋谷さん。アトラスに助けを求めたのは藤田さんね」
「私が生徒さん方から伺ってきたぶんだと、この三人は霊感が強いとかなんとか自負なさっていたそうなのです」
「あたしもそれを聞いたわ。特に藤田っていうのが”自分は悪魔や天使と話が出来る”んだとか言ってたらしいじゃないの」
 マリオンとウラがそれぞれにそう述べる。
「私は、オールド・ニックの流行り始めの発端が、亡くなった女生徒さん方と藤田さんだと伺ってきました」
 シオンがそう続けると、シュラインはふむと呟き、メモを閉じた。
「その発端でもある三人の内ふたりが立て続けに亡くなっているから、学校内でのこの儀式は必然的にタブー視されだしているみたいね。うっかり自分のところにも葉書が舞いこまないようにって、みんなびくびくしてる印象だわ」
「でも、もしもニックが霊だとか悪魔だとかしても、葉書を届けるなんて物理的なことをしたりするのかしら?」
 ウラが首を傾げてそう独りごちると、残る三人の視線がウラの顔に寄せられた。
「……そうなのよね。なにもわざわざそんな脅迫めいた事なんか、する必要もないものね」
「あの、それと、亡くなったおふたりはどちらも水に関わる事故で亡くなられているのですが、これってやっぱり気になりますよね」
 シオンがわずかに眉根を寄せる。
「ひとまず、残っている藤田さんのところに行ってみるです。夜刀さんや三下さんとも合流したいですし」
「そうね。その藤田とかいう女を水の近くに寄せないようにしなくちゃね」
 マリオンとウラはそれぞれにそう述べると、顔を合わせてうなずいた。


 夜刀は三下と共に藤田二葉の自宅へと足を運んでいた。
 藤田の家は団地であり、新しく開拓されつつあるのだという街並は見目に美しく整備されていた。
「あ、ここ、ここです」
 ポストのネームプレートを確認していた三下が、夜刀を手招いた。
 夜刀はといえば、碇から預かってきた件の葉書を片手に、団地の周辺をゆったりと見渡しては何やら小さくうなずいている。
「――どうしたんですかぁ?」
 夜刀の後ろに歩み寄ってきた三下が訊ねると、夜刀はふと穏やかに微笑んでかぶりを振った。
「……いいえ。少しこの辺の景観を眺めてみただけです」
 微笑む夜刀に、三下は安堵の色を浮かべて息を吐く。
「良かったぁ。もしかしたらこの周りを霊が囲んでいるとか、そんな事を言い出すんじゃないかと思ってましたぁ」
「……いえ、そういう事ではないですよ」
 笑い、きびすを返して建物の中へと踏み入る。
「あ、エレベーターはあれですね」
 夜刀の表情にほっとしたのか、幾分足取り軽く前を行く三下に、夜刀はその黄金色の眼をすうと細めて呟いた。
「……ただ、やはり少しばかり不穏な空気はあるんですよね……」
「え? どうしたんですかぁ?」
 エレベーターのボタンを押しながら振り向く三下に、夜刀はふと首を傾げて微笑んだ。
 ――――この葉書に残っている、残り香のような空気が、この建物を囲うように漂っている。
 それは、魔と呼ぶには確かに不安定なものではあるのだが、霊と呼ぶのもまた違和感を覚えるような、そんな空気だった。

 十階建ての五階に少女の住む部屋があった。
 平日とはいえ、午後の三時を過ぎている。時間帯としてはそろそろ子供達の帰宅も始まって、賑やかな声で充ちていく頃だと云えようか。
「藤田さんのお宅は、ご両親と二葉さんの三人暮らしだそうです。ご両親共にお勤めに出ていらっしゃるそうなので、多分、居るとしたらご本人様だけだと思うんですが」
 呼び鈴のボタンに指をかけ、三下がそう告げる。夜刀はただ静かにうなすいて、目の前の鉄製の扉を凝視した。
 呼び出しのベルが、一度、二度。部屋の中に鳴り響く。が、応答しようという動きはまるで感じられない。
「あれ、お留守なんでしょうか」
 呼び鈴から手を外し、三下が夜刀の顔を仰ぎ見た、――同時に。
「門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ」
 三下の位置を奪い、夜刀はそう口にしながら扉に指を舞わせた。描かれたのは不可視の円陣。視える者がそこにあれば、それが水星5のペンタクルであるのが分かっただろうか。
 ともかく、夜刀の静かなる所作と共に扉の鍵はがちゃりと音を立てて開き、夜刀は三下の制止も聞かず、部屋の中へと踏み入っていた。


「あら」
 夜刀を追って団地の敷地内に立ち入った四人を迎えたのは、晴れ渡った秋空の涼やかさとは裏腹の、どこかねっとりとした淀んだ風だった。
「クヒヒ、確かに感じるわ! ああ、でもこれは悪魔とは別の存在ね。悪魔だったらもっと派手にやらかしてるはずだもの」
 ステッキ代わりの日傘を片手に、ウラはそう云って肩をすくめた。
「別のもの? じゃあ、やっぱり霊的な?」
 シュラインはそう訊ねながらも足を進め、夜刀と三下が向かっているであろう――いや、もう既に着いているだろう藤原二葉の部屋がある棟を目指す。
「そうよ。随分と不安定そうだけど――これは、まあ、寄ってきてる霊が一体だけじゃあないっていう事だと思うわ」
 小さく笑いつつ、ウラは不意に小さなステップを踏んだ。と、束の間青白い電気が走って、宙を跳ねまわる。途端に一帯の空気が清浄化され、淀んでいた風が心地良いものへと姿を変えた。
「うわ、今ぱちって音がしましたよ! 空気が乾燥してるんでしょうか」
 スーツの袖を払いつつ周りを見渡しているシオンに、マリオンがかぶりを振って返した。
「今のはウラさんがなさった術のようです。この辺のこまごまとした気配を一掃されたみたいですよ」
「へえ、すごいんですね。大きな静電気かと思ってびっくりしました」
 感心して何度もうなずいているシオンに、ウラはクヒヒと笑って一瞥する。
「とにかく、急ぎましょう。霊の類いだとしたら、そこの神社でいただいてきたお神酒が少しは役にたつかもしれないし」
 どこか和やかな空気で言葉を交わしている三人を、シュラインの声がぴしゃりと諌めた。


 踏み入った部屋の中は、一見ごくありふれたような見目をしたものだった。
 台所にはテーブルと茶棚があり、割と小奇麗にされている。その奥にリビング、リビングの隣に和室。
 夜刀はむしろ慣れた部屋を歩くかのように迷いなく歩き進み、すぐにひとつのドアを前にした。
「やややや夜刀さぁん、マズいですよ、やっぱり」
 玄関先でまごつきながら夜刀を呼ぶ三下の声がしているが、夜刀は気にとめることなくそのドアノブに手をかける。
「……二葉さん……開けますよ」
 静かにそう述べてドアを押し開けた。

 開け放たれたドアから流れてきたのは、重々しい湿気を伴った、むうとした空気だった。

「三下くん、夜刀さんは?」
 玄関先でまごついている三下をシュラインの声が呼んだ。
「シュラインさぁん」
 情けない声でそう答えると、三下は部屋の中へと指を向ける。
「この中ですね?」
 シオンは三下の肩を軽く叩いてうなずき、脱いだ靴をきちんと整頓してから部屋の中を小走りに進んだ。
「……それにしても、随分と湿気の多い部屋ね」
 取り出したハンカチで口元を覆いながらシュラインが眉根を寄せる。
「それはそうだわ。だって今ここにいるのって、全部が水で死んだ霊ばっかりなんだもの」
 当たり前のようにそう返し、ウラもまた靴を脱ぐ。
「……」
 部屋の中へと消えていったウラを見送ってから、シュラインは黙したままでお神酒の瓶に指をかけた。
 黄金色のお神酒が一帯の空気を浄め、祓う。重々しく漂っていた空気が清浄されたのを知ると、シュラインもまた部屋の中へと立ち入った。
「ここに居ればきっと大丈夫なのです」
 まだ惑っている三下に、マリオンは穏やかな笑みを浮かべて首を傾げた。
「じゃあ、行ってくるですね」

 
 二葉の部屋は昼だというにも関わらず薄暗く、ねっとりと重い、気分の悪くなるような空気で充たされていた。
 薄暗く感じられるのは閉めきったカーテンのせいだろうか。空気が悪いのは、あるいは空気の入れ替えをしていないせいなのかもしれないが――。
「二葉さん?」
 夜刀の後ろから部屋を覗き見たシオンの目に、部屋の隅でうずくまり震えている少女の姿が映りこんだ。
 少女は名を呼ばれて一瞬顔を持ち上げはしたものの、再び大きく体を震わせてうずくまり、頭を抱えこんでしまった。
「あああ、あたしが悪いんじゃななななないわ! あた、あたしは本当に悪魔と話せるんだから!」
 抱えこんだ頭を大きく振り回し、少女はそう声を張り上げる。
 その周りを囲むように数多の影が飛びかっている。一際大きなふたつの影が、少女の声に反応して大きく揺らいだ。
「クヒヒ、でも今おまえを取り巻いてるのは悪魔でもなんでもない、ただの人間の霊だわ」
 ウラが引きつったように笑うと、それを止めるようにシュラインが足を踏み出した。その手から振り撒かれたお神酒が、部屋の中を少しばかり穏やかなものへと変えた。
「ねえ、ひとついいかしら。……オールド・ニックっていうのは、あなたが考え出したの?」
 問うと、少女はちらと顔をあげてシュラインを一瞥し、しばし思案した後に口を開けた。
「ネットで……。だって直美も理子もあたしが悪魔と話せるんだって信じないんだもの」
「だから分かり易いやり方を取ったですか?」
 訊ねたのはマリオンだった。少女は再び頭を抱えてうずくまり、小さく首を縦に動かした。
「はじめの内はただ面白くって……でも直美が」

 ねえ、これ、やっぱりなんかヤバくない?
 はじめにそう言い出したのは直美だった。オールド・ニックを始めてから、気のせいか視線を強く感じるようになったのだという。
 今まで一緒に面白いっていってたくせに。
 軽く腹をたてた二葉は、同じように腹をたてたという理子と共謀して、直美を脅かそうとした。
 喪中に見たてた葉書を直美のカバンにまぎれこませたのだ。
 結果、直美はひどく錯乱した。そしてその数日後、自宅の風呂で命を落としたのだった。
 
「そしたら今度は理子が……。あの子が、直美を脅したのは自分達だって告白しようって」
 そう告げて泣き崩れた少女に、夜刀が小さな溜め息を吐いた。
「……その結果、理子さんも亡くなってしまった」
 
 空気が大きく揺らぎ、震える。
 まとわりつくような空気はその場にある少女と五人の全身を撫でるように流れ、どこからか流れこんできた風が女の笑い声にも似た音を奏で始めた。
「ネットで調べたというその記事には、呼び出したものはきちんと帰さなくちゃいけないとか書いてなかったですか?」
 風の声に目を細ませてシオンが静かにそう問いた。
「……そこまでちゃんと見てなかったかも……」
 少女の答えが返された、その刹那。風の声が大きく唱和し始めた。
「帰してないのね?」
 部屋の中に立ち入り、少女を抱きすくめ、シュラインが溜め息を吐く。
「じゃあ、あたし達が帰してあげるわ」
 ウラがステップを踏んだ。「湿っぽいひとたち、雷はお好きかしら」
 部屋の中を青白い火花が飛んだ。元より湿気の多い部屋の中には、電撃は効果的なものとなったのだ。
 その火花が立ち消えるのと同時に、今度は夜刀が口を開ける。
「主は汝の右にありてその怒りの日に王などをうちたまえり」
 発しながら素早く指を動かし、宙に円陣を描く。円陣は熱を発して淀んでいる空気を焼き、打ち払った。
 二人のその動きは連動的ではあったが、ほんの一瞬の出来事でもあったため、シュラインに庇われた少女が顔をあげた時には、そこかしこに広がっていた腐臭まじりの空気はすっかり清らかなものへと戻っていたのだった。
「うーん。ごめんなさいです」
 穏やかなものへと変わった空気で充たされている部屋の中へ、マリオンがゆったりと足を踏み入れる。
「一応、また似たようなものが集まってきた時のために、ここに扉を繋げておくです」
 指差したのは少女の部屋の窓だった。
 マリオンはその窓をすらりと開けて外の空気を吸い込むと、ふいと腕を動かし、そこに不可視の扉を繋げた。
「これは、普通には視えないものですし、普通には害のないものなのです。さっきまで居たみたいなものだけが、ここに吸いこまれていくようになっているのです」
 にこやかにそう首を傾げるマリオンに、シオンが感心したようにうなずいた。
「それで、吸いこまれたものはどちらへ行くのです?」
 訊ねるが、マリオンはわずかに肩を竦めただけで、
「こことは違う場所なのです」
 そう返しただけだった。


「それじゃあ、この葉書とオールド・ニックは直接的な因果関係にはなかったって事ね」
 戻ってきた五人と三下を前に、碇は小さくうなずいて、シュラインのメモ書きに目を走らせる。
「結局はオールド・ニックなんて名前をつけられただけで、こっくりさんなんかと同じものだったのよね」
 シュラインが告げると、碇はふむと呟き、夜刀が持っている葉書に向けて一瞥した。
「殺人予告っていうよりも、単なる脅しのための道具だったです」
 碇の視線に気がついたマリオンが、残念そうに溜め息を落とす。
「……この葉書には、魔力等といった気配の残留がありませんでした。……感じられたのは酷い怯えと、わずかな悪意と、……大きな後悔の心」
 葉書を碇のデスクに戻しつつ、夜刀がそう述べて微笑んだ。
「見栄なんかもあったのでしょうね。自分は特別な存在なんだと信じたくなるのは、やっぱり彼女達くらいの年頃にはありがちな事かもしれないし」
 腕組みをして夜刀を見遣りつつそう告げたのはシュラインだった。夜刀はシュラインの視線をうけてうなずいた。
 そのやり取りを眺めていたウラが、クヒヒと笑って口を挟む。
「くだらない事だわ。世界の中心にいるのはこのあたしだけで充分なのよ」
 鼻先で笑いながら黒髪を指先でいじり遊ぶ。
 一同の視線がウラに注がれたところで、シオンが思い出したように手を叩いた。
「麗香さん、あのですね、お話があるんです」
 流れをまるで無視する形で割りこんできたシオンの言葉に、碇は少しばかり眼光を鋭くした。
 シオンは、しかし碇のその表情に屈する事もなく満面の笑みを浮かべ、続ける。
「原稿料をいただきたいのです。今日は久し振りにこども動物園に行こうかと思いまして」
「にんじんを買いたいの?」
「はい!」
 元気よくそううなずくシオンに、それまで幾分か堅いものとなっていた空気が一変、のどかなものへと変わった。
「――――はぁ……」
 緊張感のかけらもないシオンの表情に、碇の大きな溜め息がひとつ。
「でももう今日のこども動物園は営業終了だったと思いますよ」
 穏やかに微笑みながら壁掛けの時計を指差したのはマリオンだ。
 示された時計は確かに五時を過ぎている。
「そんな――――!」
 全身でショックを表しているシオンに、シュラインが笑みをこぼして言葉をかけた。
「プリンで良かったらご馳走するわよ。みんなも一緒にどうかしら」
「プリン――!? もしかして手作りですか!?」
「ええ、そう手間のかかるものでもないしね」
「あたしのにはクリームを山のようにかけてちょうだい」
「紅茶もつけてくださいです」
 シュラインの言葉に歓喜した面々を引き連れて、シュラインは碇に小さな笑みを向ける。
 碇はシュラインに向けて手を振ると、三下を呼びつけてメモ書きを手渡した。
「これを原稿にまとめてちょうだい。今日中に、急ぎでね」
 
 かくして、アトラス編集部にはいつも通りの喧騒が戻された。
 最後まで残っていた夜刀は、三下が唸りながら原稿にとりかかっているのを見遣った後に、シュライン達の後を追いかけた。
 
 暮れていく空は、鮮やかな紅色へとその色を変えていた。    

 


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3356 / シオン・レ・ハイ / 男性 / 42歳 / びんぼーにん+高校生?+α】
【3427 / ウラ・フレンツヒェン / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【4164 / マリオン・バーガンディ  / 男性 / 275歳 / 元キュレーター・研究者・研究所所長】
【5653 / 伏見・夜刀 / 男性 / 19歳 / 魔術師見習、兼、助手】


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■         ライター通信          ■
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この度はご発注くださいまして、まことにありがとうございました!
八月・九月と依頼窓を開けられず、久し振りの依頼となりましたので、なにやら新鮮な気持ちを味わいつつ(?)書かせていただきました。
今回のノベルはホラー調が強くなるだろうかと思っていましたが、書き上げてみれば、そのようなこともなく、軽めなものとなりました。
書き手としては楽しく書かせていただけたので、皆様にも少しでもお楽しみいただけていればと思います。

>シュライン・エマさま
いつもありがとうございます。今回はわたしとしては久し振りの依頼ノベルとなったのですが、いかがでしたでしょうか。
シュラインさまは場に応じたものをお持ちくださるので、毎回プレイングを確認させていただくたびに感心いたしております。お神酒の使い方、ご想像なさっていたものと同じものとなりましたでしょうか。

それでは、また機会がありましたら、お声などいただければと思いつつ。