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石憑きの御子
暁も宵さえも混じ入った、世の理にまつろわぬ集落――。其処に一筋の、禍々しい燈が立ち上ったのは何時の事であったか。
人集りを掻き分け、其の発端を目にするべく先頭へと掻き出たササキビ・クミノ(ささきび・くみの)は、眼前に広がる凄惨な景色に言葉を失った。
――人であった、人あらざる者……――。
其処には石に憑かれた、少女とも少年とも今は識別出来得ぬ子供が一体と為り、地に低く呻きを轟かせて居る。
「ぁ…………」
クミノが声に為らぬ声を絞り出した頃と、其れは同時の時であっただろうか。
「これは、もう手遅れね……――」
同じくして人波を掻き分け目の前の『物』を直視した少女――夏炉が、ひくりと眉を寄せ。其の儘、何処か冷たい響きを帯びてぽつりと呟いた――。
* * *
「手遅れ……とは、如何言う事です?」
軈て人集りも夏炉に因り満遍無く散らされると、クミノが石と向き合う儘背を向ける彼女へと声を掛ける。
振り返るなり、然も邪魔者の様にクミノを一瞥した夏炉であったが。クミノの其の身に湛える、此の地に蔓延する障気とは似て非なる其れを認めると、一転面持ちを硬く引き締めた。
「……アンタ、此処の人間じゃ無いわね」
「――えぇ……」
自身さえ知り及ばぬ内に辿り着いた此の地で、況して現地の者に偽りで飾ってまで得る意味も有る筈が無く、クミノは静かに頷いた。
其の様を見届けると、夏炉が暫しの思案に暮れた後、緩慢に口を開く。
「別に、此方じゃ此の手の物憑きは珍しい物じゃないのよ。――寧ろ、問題が有るのは其の後」
「――……其の、後?」
「潜在する能力や資質と言った物が、互い均衡で無ければ――今の此の子の様に、不安定な存在と成り果て。……軈て、全てを喰い荒らすあやかしと為る」
夏炉の背中越しに示す其の石は、今尚苦悶の音を周囲へと撒き散らして居る。
其れは、石の怨念めいた訴えであるのか、子供の悲痛な叫びであるのか……。
思わず、クミノが石の眼前へと歩み、其の岩肌へ寄り触れようとした指の先。――不意に、クミノの視界が白く染まった。
――……ィ……――
声無き声が、クミノの脳髄に溶ける。
――ェリ、タイ……――
嗄れた老人の様な、稚拙な幼子の様な……。
其れさえも分からぬ、音。
けれど、とても切なる――切なる音だった。
――……帰りたい……――
「馬鹿っ……何してるの、アンタは――!!」
「――……っ!」
不意に腕に痛みが走り、クミノは開いて居た筈の瞳に本来在るべき視野を取り戻す。
気付けばクミノの腕は身体ごと、引かれる儘夏炉に因って石から遠ざけられ。当の夏炉は、クミノの腕を握り締め、険しく眉を潜めて居た。
「例えアンタが優れた能力者であったとしても、此方では勝手が違うわ。不完全な物憑きに触れて、身体に良い事有る訳無いでしょう?」
表面に繕われた高飛車な態度とは裏腹に、クミノを案じて居る事の分かる其の言葉は、不思議と嫌悪を感じさせず。又今の状況にも関わらず、クミノは改めて夏炉を見返した。
「……貴女は、此の子等を――壊す積もりですか?」
「何……?」
「私は、生存を一とします」
夏炉は、不意に発せられたクミノからの言葉に瞳を見開き、閉口した。
クミノは、自分が此処に居るのは、此の村絡みで何らかの事件が起こったからに違いない。――と考えた。異生の村は兎も角、生命に溢れる森は一番に忌避し立ち入らない筈の場所だからだ。
――若しかすると、此の憑き石を追って来たのかも、知れない。
ならば此の石は外部へ分かる形で、此処へと来訪した事になる。
石に意志が有る等とは、到底思える事では無いが――。
然う、そう言う石だから、此処に来たのだろう、と。
其の原因と意味は、クミノには分からない。
でも、今起こって居る事は、多分悲劇なのだ。
聴こえる筈の無い声は、恐らく夏炉さえも気付く事の無い言の葉。
共有出来る物が有ったから融合したのでは無いか、恐らくは、どちらもが望まぬ形で。
其の『別の領域』から来た石が異世界の脳髄で、『此方』の子供と共有出来たのは、属する世界への帰還と言う想い。
――クミノは、彼等の生存を強く願った。
彼等の望みが叶うなら良し、例え其れが潰えても、忘れて生きられるのなら其方を選択するのだと。
何処か何をも無関心に映える、其の立ち居振る舞いとは裏腹に。確かな意志を持ったクミノの訴えに、夏炉は暫しの対峙を以って――。そして、深々と溜息を吐いた。
「まぁ、アンタと『三人』で掛かれば……。何とか為るかも、分からないわね。ケド……――」
「最悪だわ」
* * *
「ほらっ、もっとしゃんと歩きなさいよ。好い加減だらしないわね、アンタは」
「何も、然う急く事はあるまい……。相も変わらず、忙しない……」
忌々しげに呟いた夏炉が、其の場を離れてから凡そ数時間。
漸くに姿を現した夏炉の後ろには、今正に起床した様な……。眠た気に瞼を擦る少女――帷が、呆れた面持ちで彼女へと連れ添って居た。
「ったく、何処ぞで惰眠貪って何様よ……。良いわね、さっさと始めるわよ!」
夏炉の声を合図に、帷が地面に朱墨で陣を連ね、石へと丁寧に札を貼り付ける。
其の傍らでは夏炉が、懐より刀の柄の様な物を取り出し。ぶつぶつと何事か呟き始めた。
「私は、何を?」
「――……何も」
自身だけが只其の場に立ち尽くして居る事に、クミノが多少遠慮勝ちに問えば。呟きの合間に、夏炉が小さく答える。
「貴女の存在が、重要なのよ」
夏炉の不可解な返答に眉を顰めるクミノを他所に。つ、と――。夏炉が存在の無い刃を撫ぜる様掌を滑らせれば、其処に炎を帯びた刀が現れた。
「――今から、此の石と子供の素体を、燈刀で分断する」
「……そんな事が?」
可能なのか――と、クミノが問おうとして。夏炉と帷の面持ちに宿る色から、元より無謀な賭けに及んで居るのだと言う事を悟り口を紡ぐ。
「アンタには、直に此の石と接して居て貰う必要があるわ」
「――分かりました」
熱、だとか、躊躇を考えるだけの思考の隙間は、クミノには無かった。
ただ、最善を尽くして、前を見据えて居るだけ……――。
脇で帷が錫杖を構え、描かれた陣が紅く燈る。
「……良いぞ、問題無い……――」
其の声に従い、クミノが夏炉に目配せすると、彼女は確りと頷いて。
其れを合図にゆっくりと石に手を触れ、夏炉の刀が振り下ろされた事を認めると。
――クミノの意識は、途絶えた。
* * *
ふと、覚醒し、クミノの瞼が開かれる。
気付けば、クミノは閑散とした空き地の隅に一人、何をするでも無く立ち尽くして。
――――白昼夢。
然う表現しても何等間違いの無い今の状況に、クミノは暫くの時を要し。軈て自身の存在する其処が、自宅から何駅か離れた場所に在る、小さな空き地である事を確認した。
「…………――」
僅かな戸惑いを身に滲ませ乍らも、辺りを見回して。
そして、瞳に留めた『何か』に何時しか頬を緩ませると、クミノは帰宅への道を辿る為、其の空き地を後にした。
クミノの去った、空き地の片隅で。寂れた守護石を壁に数を数える少年と、愛らしく散開する子供等の笑い声が、何時までも響き渡って居た……――。
【完】
■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
【1166 / ササキビ・クミノ (ささきび・くみの) / 女性 / 13歳 / 殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
【NPC / 夏炉 (かろ) / 女性 / 17歳 / 鬼火繰り(下し者)】
【NPC / 帷 (とばり) / 女性 / 14歳 / 狗憑きの退魔師(齎し者)】
■ライター通信■
ササキビ・クミノ 様
こんにちは、初めまして。ライターのちろと申します。
今回は「石憑きの御子」に御参加頂き有り難うございました。^^
答えの出し難い事柄に、強く前向きな道を見出したクミノ様の行動に強く感銘を受け乍らノベルを執筆させて頂きました。
異界の障気とクミノ様の障気、障壁につきましては、似て非なる、同種の中の更に異なる物。として位置付けさせて頂きましたが、如何でしたでしょうか?
機会がありましたら、其の時には又、異界の住人共々お付き合い頂ければ幸いです。
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