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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


『呪い』


 かつて三人の武将が居た。
 その三人はとある戦国武将と同盟の仲にあり、また家臣であった。
「良いのか、明智殿。本当に?」
 彼は言った。真っ青な顔で、泣きそうな目で。
「致し方あるまい。あのお方は天下を手中にするためについに手を出してはいけないモノにまで手を出そうとしている。秀吉殿、おぬしだって忘れてはおるまい。我らが火を放った村々を、城を。斬り殺してきた者たちを。しかしそれは戦じゃ。天下覇道を夢見て刀を振るう者たちの生き様じゃ。だがあの方が手を出すのは、悪しき力。我らが比叡山延暦寺より奪取した力。平家の怨霊。あれを使って、後に展開されるのは、虐殺じゃ。それはもはや戦ではない。故に我らが、わしとお主とでやらねばならぬのじゃ。織田信長を討ち、奴が怨霊を使うのを阻止せねば」
「わかっておる。わかっておるのじゃ、明智殿。しかし親方様はわしをここまでにしてくれた恩人じゃ。その方を手にかけるなど、わしは」
「違う。違うぞ、秀吉殿。もはや信長殿はこの世にはおらぬ。あれは魔に心を喰らわれた躯じゃ。だからこそ信長殿を救わねばならん。わしもあの方とは色々とあったが、しかしあの方の漢について行こうと思った。だがもはやあの方はこの世にあってはならぬ存在じゃ。だからこそわしらはやらねばならん」


 それはかつてあった世界をかけた戦いであった。
 人と闇との。
 人は織田信長を討ち、怨霊を封じた。
 明智光秀は天海となり徳川家康と共にあり、そして豊臣秀吉は織田信長亡き後に天下を治めることになるのだが、しかしこの三人の子孫もまたその怨霊に手を出そうとし、その都度に人によって企みを邪魔され、歴史の表舞台より名を消す事になる。
 それが呪いなのだろう。



 そう、平家の怨霊。
 平家の呪い。
 それをかけて行われてきた人と闇の戦いはその後も幾度とあり、そうしてこの平成の世でもそれは行われるのだ。



 手繰り寄せられる糸は縁の糸。
 人ならざるモノの手によって運命の糸が繰られるは、果たして人の存続を願うが故か、それとも………


 糸は手繰り寄せられるのだ。
 縁の糸が………
 ――――――――――「三下君」
「は、はい、編集長、なんでしょうか?」
 びくびくと三下がしているのはきっと編集長、碇麗香が言い出す事が自分にとって災厄な事である事をわかっているからであろう。
 そしてそれを彼女も隠そうとはせずに甘やかに微笑んで、クールな声を紡ぎ出す。
「至急この事件を調べ、解決し、そのレポートを作ってください」
「へ? えっと、あの………」
「読めば分かるわ」
 それは碇麗香宛に届いたメールであった。
 その文面にはやはり三下にとっては非常に怖すぎる物が書かれていた。


 要約するとこうだ。
 彼女の知り合いのテレビ局ディレクターが平家の隠し財宝を奪った戦国武将が隠したという財宝を見つけ出す番組を企画し、それの撮影に入ったのだが、しかしその撮影中に遊女の霊が現れ、悲劇が始まった、と。次々に番組スタッフが自殺したり、事故死したりしだしたのだ。
 その財宝伝説にはこのような情報があった。
 工夫のために武将は百人の遊女を連れて来て、そして財宝が隠し終わると共にその遊女達を工夫と共に皆殺しにしたのだと。
 また財宝を隠した場所にはひとりの少女が人柱として、埋められたのだとか。
 そのディレクターが麗香に頼んできたのは、なんとしてもこの遊女の呪いを解いて欲しい、と。



「あ、あの、そうは言われても、どうすればいいんですか?」
 三下は実に情けない声を出す。
「さあ?」
 麗香は肩を竦めた。
「ただ遊女の霊は見られたらしいけど、カメラに映った人身御供の少女らしき幽霊はそれが初めてなのだとか。そこら辺にあるのかもね」




 我らは許さない。
 我らは許さない。
 人間を。
 故に皆殺しにしてやる。
 そのためにも人身御供のあの少女、あれを遊女どもを使って闇に染めるのだ。そうすれば【黄泉】の方が仰られる通りに、我らは世界に復讐できる力を得られる。


 我らが平家の恨み、忘れたとは、言わせぬぞ………。


 

 ―――――――――――――――――――――――――『呪い』



【一】


「見ざる」
 くすくすと笑いながら。
「言わざる」
 素っ気無い棒読み。
「聞かざるでし♪」
 ノリノリで。
 ここは日光市にある日光東照宮。その地所にある神厩舎。
「はぁー。どうしてもやらなくっちゃ、ダメだったの今の?」
 肩の髪を後ろに払いながら綾瀬まあやは溜息混じりに言った。
 一見小さな虫のようなスノードロップの花の妖精は嬉しそうにこくこくと頷いた。
「ダメでし。ダメでし。ここに来たらこれをやらないとダメなんでし。それが礼儀なんでしよ、ここに祭られている徳川家康さんへの」
 右手の人差し指一本立てて妙に神妙な顔で訳知り顔で言うその妖精をまあやは半眼で見据えた。
 その彼女の肩にぽんと手を置いて、セレスティ・カーニンガムがにこりと微笑む。
「まあ、まあや嬢、ここは彼女の気の済むようにしてあげようじゃありませんか」
 そう穏やかに微笑むセレスティにまあやは溜息を吐いた。
「どこでこういう事を覚えてくるんでしょうね? たまにこの子、なんだか変な間違った知識を自信満々に披露するから」
「ええ、本当に、どこで覚えてくるんでしょうね」
 どこかセレスティは悪戯っぽく微笑んだ。
 周りの観光客の女性がこちらをちらちらと見ながらくすくすと笑い、人によってはシャメを撮る女性も居る。
 まあやはそんな周りの女性たちを見て、それから悪戯っぽくセレスティに目配せする。
「大モテですね、セレスティさん」
 セレスティは肩を竦めた。
「ここへは古きを訊ね、偲び、愛でるために来るのですがね」
「最近は裏歴史がブームで、それ目当てのミーちゃん、ハーちゃん的な感じで来る人も多いみたいですよ? それにほら、考古学が絡んだミステリードラマなんかもブームですし」
 ああ、なるほど、と、セレスティは顎を手で触りながら限りなく視力の弱い瞳を神厩舎へと向ける。
「裏歴史というのなら、こんなのはまあや嬢はご存知ですか?」
 心地良いセレスティの声で語られようとしている知識にまあやは興味深そうに微笑む。
 それを気配で察してセレスティも語り出す。豊富な知識を内蔵する引き出しから取り出してきた知識を、軽やかに詩でも読むかのように。
「この日光東照宮は先ほどスノーが言っていたように表向きには徳川家康を祭神としていますが、実は祭っているのは南公坊天海としている説があります」
「天海? それって確か家光の名前を決めた…」
「そう。家康の家、光秀の光り」
 にこりと笑うセレスティにまあやはぱんと手を叩く。
「でも明智光秀って、織田信長に謀反を起こして、豊臣秀吉に討たれたのでは?」
「正確的には農民に討ち取られたという事です。ですがね、これは今も歴史学者たちの間で議論が行われているのですが、光秀は堺の商人たちに操られて、謀反を起こしたとか、徳川家康と密約を交わして謀反が行われたと言われているんです。そして私が今口にしている明智光秀=南公坊天海説は彼が家康と密約を交わしている説に基づいているんです。ちなみにですがね、三大将軍徳川家光は徳川家康とお福の方、春日の局との間に出来た子どもだと言われています」
「まあ、それは本当なのですか?」
「ええ。家光の母と言われているお江は信長の妹、お市の方の娘ですが、お福はその彼女の叔父の仇の娘となるのです。光秀の甥の娘であり、そして家が滅亡してからは比叡山で隠れていた光秀の養女として育てられていますから、そんな彼女に自分の息子をお江が任せるとは思えません。そこで家康が実父で、お福が実母であるという説が起こるのですよ。故に三大将軍の座も聡明であった次男ではなく、愚息と罵られていた長男の家光へと行った。それもまた家康の明智光秀への礼であったというのです」
「では徳川家には明智家の血も流れていた、と?」
「そういう事です。ここの見ざる、言わざる、聞かざるはね、その秘密の事を見ない、言わない、聞かない、と言っているという説もあるんです」
 風が吹き、周りの木々がまるで海の波のような音を奏でた。
 樹海、とはよく言ったものかもしれない。
「すごいですね。面白いです」
 顔にかかる髪を掻きあげながらまあやはセレスティに微笑む。
 それから悪戯っぽく言う。
「だけど何だか澱み無くそれを語っているセレスティさんを見ていると、まるで実はそれを近くで見ていたような気がしました」
 そう言うとセレスティはくすりと微笑んでいた。
「見ていましたよ」
「「え?」」
 まあやとスノードロップは大きく目を見開いて、そんな二人を見て、セレスティはくすりと笑った。
 それから肩を竦めて、細めた瞳をそこへと向ける。
 その瞳は氷を削って作り上げたかのような凍えるような冷たさに満ちていた。
 いつの間にか周りに旅行客が居なくなっていたのも、今彼が見つめる先に居る者の魔力故かもしれない。
「キミなら隠された歴史の真実、私よりも上手く語れるのでしょうかね? 出てきたらいかがですか、妖の者よ?」
 空気がびりびりと震えた。
 そして彼らの前に一匹の猫が現れる。
「そういえばこの日光東照宮には眠り猫が居ましたね」
 鼻を鳴らすセレスティに猫は頷いた。
「私はこの日光東照宮の守り人であり、そして封印の管理者でもあります。平時は眠りながら封印への念を送り続け、その封印を破ろうとする者が現れれば、それと戦う役目をおっております」
「封印?」
 セレスティがわずかにその形の良い眉根を寄せた。
「何ですか、それは?」
「封印とは怨霊でございます。その怨霊は三人の戦国武将たちによって封じられましたが、その血を流す子孫たちはことごとくその封じられた怨霊に手を出そうとし、そして歴史の表舞台より降りたのです」
 ふん、とセレスティが鼻を鳴らしたのは、聡明な彼ならばそのうちの二人がここでこの猫が現れた事でわかったからだ。
 どうやらこの日光東照宮は言い伝えられている歴史とも、密かに語り継がれてきた裏歴史とも違う歴史があるようだ。
「それでこの私に何の用なのですか?」
 セレスティは冷ややかに訊いてやった。わざとわかっていて。
「はい、どうかあなた様にあの封じられた怨霊をこの世から消滅させてやって欲しいのです。もはや私にはその怨霊を封じている少女の魂を守る事はで来ません。今封印を攻撃している悪霊の力は私の力を完全に超えております。ですからどうか、いえ、少女を…否、私の娘をお守りください」
 娘、そう口にしたそれの声は震えていた。その存在が消え去ろうとしている今、父親へと戻ったのだ。
 それがセレスティの心の琴線に触れる。
 人を愛する事で知った、人の情。守れたモノもあったが、守れなかったモノもあった。この世の全てを救おうなどと大それた事は想わない。ただ―――
「良いでしょう。私の力がどこまで通じるかは知りませんが、キミの娘、私ができる限り守ってあげましょう。だから安心して逝きなさい」
 そう言われた瞬間に猫は目を細めて微笑み、そうして消えた。
 それと同時にセレスティたちの中にその封印の場所が流れ込んでくる。
「成仏したんでしか?」
 そのスノードロップの質問にセレスティはただ微笑んだだけだった。
「どうやら本当に彼はギリギリの力しか持ってはいなかったようです。そして守り手を失ったそれは、きっとここからは簡単に転がり落ちていくでしょう、闇のしじまへと」
 わずかに憂いの表情を浮かべるセレスティにまあやが微笑む。
「でも転がる石もやがては止まります」
「そうですね」
 まるで当然のように頷くセレスティ。いや、彼ならばきっと、止められる。
「さてと、では、参りましょうか? 封印の地へとね」
 一陣の強い風が周りの木々を揺らし、まるで悲鳴のような騒がしく不気味な音色を奏でさせ、そしてその後は余韻すらも感じられぬほどに世界は黙り込んでしまった。まるで息を潜めるように。
 果たして世界が怖れるのは、何なのであろうか………



【二】


 深い闇の中に居た。
 冷たい水の底に居た。
 想うのは恨みばかり。
 命を助けられたその恩を忘れ、牙を剥いた源頼朝とその弟、義経。
 奴らだけは許せぬ。
 五体を引き千切り、それを犬に喰わせ、魂は微塵と引き千切って、闇の中に捨てる。もしもこやつらが女であれば、数十人の男に一斉に嬲らせて、発狂死させてやるのに。
 深き闇、冷たい水の底で考えるのはそんな事ばかり。
 平家の恨みは忘れぬ。
 忘れぬぞ、源氏の者どもよ。



 彼女は平家の姫、蔦子。
 その黒髪は流れるように美しく、瞳は高い教養をうかがわせ、色白の美しい娘。
 誰もが彼女に恋をし、彼女は詩を歌い、平和に暮らしていたのだ。たくさんの平家の者たちに囲まれて、大切にされて。
 その箱庭を奪ったのは源頼朝、義経であった。
 命を救われたのに―――
 それが許せない。
 多くの悲しみが彼女を鬼とした。
 鬼となって、ただ暗い水の底で二人を恨んでいた。
 その彼女の前に現れたのだ、黄泉の者が。
 そして蔦子に教えてくれた。復讐の方法。
 源義経が使い、多くの平家の者を皆殺しにしたその呪法を。
 それさえ使えば、彼女はこの世界を滅ぼせるのだ。
 だから彼女は人間どもを扱い、結界を壊させ、そして遊女らの魂を手中に収めて、その遊女の霊どもに、人柱の少女の魂を闇に染めさせる。
 だが、あと少し。あと少しという所で、何者かがこちらへと向かってきている。
 何者だ?
 何者がここへとやって来る。
 私の邪魔をせんと?
 邪魔?
 邪魔などさせるものか?
 邪魔をしようとする者は全て皆殺しだ。
 我らが平家の恨み、見せつけてくれようぞ。



【三】


 リンスター財閥総帥セレスティ・カーニンガム所有のリムジンは元来、運転手ではなく、その後部座席に座る者を守るために最高峰の技術が導入されているリムジンのさらにその上を行く技術が施されており、噂では戦車の砲弾すらも耐えうると言われている。
 そしてそんなリムジンを運転する運転手は無論、免許を取って以来無事故無違反のゴールド免許優良ドライバーであるのだが、その彼の運転するリムジンが急ブレーキで止まった。かすかに彼の悲鳴が聞こえた。
「す、すみません。セレスティ様」
 運転手はそう言い、それから慌てて運転席から降りていく。その時に聞こえたのは、
「ひゃ、ひゃぁー、誰か助けてぇー」
 と、どこかで聞いたような悲鳴が聞こえてきて、何やら運転手がトリップしている誰かを必死に宥める声が続いて聞こえてくる。セレスティはわずかに肩を竦めながら苦笑を浮かべた。
「流石、と言いますか。本当によくもまー」
 まあやも肩を竦めて、スノードロップはおそらくは何も考えないまま、ほえほえと笑っている。
「でも流石、という事で彼がここに居るのだとしたら、彼がここに来たその理由というのも気になりますね」
「そうですね。それではそろそろと私も彼を宥めに行くとしましょうか」
「運転手さんも何だか不憫ですしね」
 外から聞こえてくる彼の声はいよいよと意味不明の物へと変わっていっている。それを何とか宥めようとしている運転手の声もほとほと困りきっているような声だ。
 セレスティは苦笑してリムジンから降りると、エキセントリックな声に何やら険呑な空気が満ちているその場に穏やかに声を発した。
「三下君。そろそろと落ち着いてくれませんか? 私の運転手もそろそろと疲れてしまう」
 もう疲れております、そんな顔で見てくる運転手の足下で頭を両手で抱え込んで震えていた三下が顔を上げて、穏やかに微笑むセレスティと目をあわせた。
 途端に三下はまるで地獄で仏にでも逢ったかのような顔をして、それからまたようやく母親に見つけてもらえた迷子の子どものように大声で泣き出した。
 セレスティはそんな彼にくすくすと笑い、それから彼をおそらくはパニックに陥れたのだろう、三下の肩に絡み付いている手のように見える蔦を取ってやった。
「大丈夫、三下さん? はい、お水」
「ま、まあやさん。すみません。ありがとうございます」
 おいおいと泣きながら三下は受け取ったペットボトルの水を半分ほど飲み干した。
 それで三下は随分と気を落ち着かせたようだ。
 ほっと一息つく三下にセレスティはにこりと穏やかに微笑みながら、知性派である彼らしく、上手に会話のリードをしながら要領を得ない三下から何故に彼がここに居るのか、そしてどのような情報を持っているのかを聞き出した。
 全てを聞き終えたセレスティは顎に手をやりながらふむと頷く。
 それから爽やかに三下の口にした財宝でどんなお菓子を買うか嬉しそうに三下に語るスノードロップはあえて他とっていて、三下に説明した。
「今回のそのディレクターたちが掘り当てようとした財宝の事ですが、それは財宝ではありません。私たちはそこに封じられている怨霊、徳川家康と明智光秀、彼らが封じたそれを滅するためにここへと来たのですからね」
 大きく三下の口が開いた。
「お、おおおおお怨霊ですってぇ」
「ええ、三下君。その通りです」
 とても良い笑みで頷くセレスティ。
「時が経つにつれて事実が歪曲されるのはよくある事です」
 しかし三下はそこで何の啓示を受けたのか、突然ににぱりと微笑む。
「で、でも財宝伝説が間違いなら、開けちゃならない財宝の封印なら、それは祟らぬ神に触るなで、触らない方が良いから、だからこの取材も中止ですよね? ね、セレスティさんもそう想いますよね?」
 まるで地獄の血の海の中で天に向かって蜘蛛の糸を懇願するような必死さでそう言う三下にセレスティは哀れみを込めて優雅に微笑んだ。
「触らぬ神に祟り無し、とは確かに言いますね。ですがあえてそれに触って取材するのがキミの仕事であり、そして私も残念ながらそれをどうにかするためにここに来た訳ですしね。だからキミにも協力していただきますよ、三下君。それに碇女史にも話を聞きたいですから、その過程できっとキミには新たな命が下ると思いますよ、どの道ね」
「そ、そんな………」「でし…」
 ショックを受けて余計に泣き出す三下の右肩でスノードロップも泣き出した。もらい泣き?
「どうしましたか、スノー?」
「だってだってだって、見つけた財宝、金銀ざくざく、ここ掘れ、わんわんで美味しいお菓子を一杯買う予定だったんでしぃ〜」
 わんわんと泣き出すスノードロップにセレスティは苦笑する。
「あんたは最初からセレスティさんと一緒にいたでしょうが。わからないものかしら、話の流れで」
 目を半眼にするまあやにセレスティは微笑んで、それからスノードロップにポケットから取り出した飴を渡す。絵に掻いた餅よりも、目の前にある餅。満面の笑みで飴玉を舐めているスノードロップを両の手の平の上に乗せて、セレスティは静かに語り出す。
「日光東照宮で私に助けを求めた封印の番人であるあの猫。あれを番人にしたのは徳川家康と明智光秀です。猫は怨霊と行っていました。その怨霊を彼らは封じた。それが時が経つにつれて財宝伝説へと変わってしまった。まあ、財宝が今回のように情報として残っている場合はそれは偽の情報か、既に財宝は奪われてしまっている事が多いです」
「でも、無理ないかもしれませんね。この資料に書かれている記録を見れば、よくテレビなどでやっている財宝の伝説と類似していますから」
「ええ。どちらも同じ、人目から隠す、という事ですからね、まあや嬢。人柱、それはその者の命を奪う事によって、それを代価として、守りたいモノに力を与える呪法です。そしておそらくはこの人柱があの猫の娘なのでしょう。ですがまあ、本当に人柱などナンセンスなものですよ。人柱を捧げ、埋める様に指示した者にとってはその財宝などは役に立たない物であるというのに。それに財宝がどの様に大事な物であろうとも、人柱の為に命を奪う事はエゴでしかなく、その時点でその財宝は価値の無いモノへと変わってしまうと私は考えます。まあ、価値観は人それぞれですけどね」
 両の手の平の上で飴玉を口の中に頬張りながら顔だけは難しそうな表情をしているスノードロップに、セレスティは優しく微笑み、そうして彼女も嬉しそうに微笑んだ。
 まあやは小さく溜息をつき、それから小首を傾げる。さらりと揺れた前髪の下で紫暗の瞳は冷たく細められた。
「でもこのテレビ局スタッフは遊女の霊たちに襲われて、そしてあの猫も封印を破ろうとしている者たちが居ると言っていました。それは同じ存在なのでしょうか、セレスティさん?」
 セレスティは静かに瞼を閉じる。
 周りの木々がそれに呼応するかのように静かな小枝が揺れる音を奏でた。
 野鳥が一羽、羽ばたく音を奏でて飛んでいく。
「さあ、それはどうでしょうね。私には判断しかねます。そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない」
「まさか遊女を操る何か黒幕のようなモノがいると?」
 びしぃ、っと空気に亀裂が走ったかのような緊張感が辺りに立ち込める。濃密に。
「気になるのですよ。遊女たち、と、悪霊、という言葉がね。遊女たちならば、あの猫も悪霊たち、と言うのではないのですか?」
 言葉遊び、という訳ではない。
 セレスティが口にする言葉は重たく暗い現実を指し示している。どうやらこの事件、裏で糸を引く者が居るようだ。
「私たちがまずやる事は猫の娘の保護、そういう事になるのでしょうね」
 なるほど、と、まあやとスノードロップは頷いた。
 そしてそれまでただしゃくりを上げていただけの三下がさらに情けない声を出す。
「あの、セレスティさん。もちろん、その私たち、という中には僕は入ってませんよね? ね???」
 しかしこれにただセレスティは極上の美しい笑みを浮かべるのみで、そしてまあやは肩を竦めながら溜息混じりにそれを口にする。
「セレスティさんがそうじゃない、と言っても、あちらさん側がどう思うか? と、言う事が重要だと思うのだけど、三下さん」
「ほへ?」
 三下が目を丸くする。
 それからなにやら思考するように瞼を閉じていたセレスティの顔を助けを求めるように見るのだ。
「あの、セレスティさん?」
「見ているのですよ、敵が。日光東照宮からずっとね」
「敵?」
 さも情けない声を出す三下に、セレスティは教えてやった。
「どうやら敵は水辺の魔物らしいですね。だから私の感覚にも引っかかった。しかもどうやら敵は強力な魔物のようです。これは心してかからねばならないようです」
 セレスティがそう口にした次の瞬間、まるでそれを実証するかのように一陣の風が強く吹き、そうして皆の顔を逆さの遊女の顔が覗き込んだ。
「ぎゃぁぁぁ―――」
 三下の絶叫が響き渡る。
 スノードロップは両耳を押さえながらセレスティのスーツの上着の内側へと非難した。
 転瞬、セレスティは指を鳴らし、そして大気中の水分子が凝縮して出来上がった水球が彼の周りを舞い飛ぶ。
 まあやは小首を傾げて笑う。
「どうしますか? 薙ぎ払いますか、全て?」
 不敵に微笑むまあやに、セレスティはおだやかに笑う。
「いえ。それでは遊女たちを殺した者と同じ行為をする事になります。そうと知っていてそれをやる事は自らを貶める行為だと想いませんか、まあや嬢?」
 周りで口汚い呪詛を吐きながら自分たちを見つめる遊女らを細めた瞳で見据え、まあやは肩を竦める。
「それはセレスティさんの優しさですよ。思春期の少女のような潔癖さにも見えて、でもそれは紛れも無くあなたの優しさ。あたしは、優しくは無いから」
 静かに鼻を鳴らしながら肩を竦めたセレスティは指を鳴らす。
「いえ、まあや嬢、キミも充分に優しいですよ」
 軽やかにセレスティは右手を振るい、そして水珠はまるで生あるモノかのように遊女たちの霊へと襲い掛かる。
 だがそれは遊女を滅すべき物ではない。追い払う物で、そしてそこに………
「三下さん、危ない!」
 ―――まあやの絶叫があがった。
 鉄壁の防御を誇るセレスティの水珠が織り成す円運動の中に入っていれば、三下へと襲い掛かる遊女らの攻撃は全て排斥されていたはずだったのだ。
 しかし恐怖にパニックになった三下にそんな認識力を期待するのは無理だった。
 彼は周りから襲いかかろうとする遊女らから逃げ出そうとする気持ちでいっぱいいっぱいだったのだから。
 そしてセレスティはそれを気配で察し、自らの水珠で彼を傷つけてしまわないよう鉄壁の防御、円運動によって構成されるその結界の隙間を作ってしまう。
 それを見逃すと思うか?
 遠き場所。深き水の中からセレスティを見るそいつはにたりと唇の片端を吊り上げて笑う。唇の隙間から見えたお歯黒が塗られた歯。
 ぞくりとセレスティの肌を悪寒が走ったのはそいつの視線ゆえか、それとも肉薄する遊女の持つ刀がゆえか。
 もしもセレスティだけだったならばそれは余裕でかわせる。
 しかし彼は上着の内側に隠れている者の温もりをその肌に感じている。


 ―――弱くなりましたね、セレスティ・カーニンガム。
 いつか倒した、昔を知る敵に言われた言葉。
 人を愛した自分に。


「しかし私はそんな自分を気にいっている」
 セレスティは穏やかに微笑みながら両手で温もりをそっと包み込み、守る。
 そしてがら空きとなった彼の上半身、心臓を貫いた遊女の短刀に、彼は自分の体温が一気に熱くなるのを感じた。
 せりあがった血液の味が口の中一杯に広がって、吐き出してしまう。
「くそぉー」
 まあやの絶叫が上がり、そして攻撃的音階で奏でられる音色が辺りに居る遊女らに向かって放たれるが、しかしそれは遊女らを追い払うためだけのモノ。
 泣きながらまあやはそれを無意識でやっていて、
 それを見てセレスティは父のように優しく微笑む。スノードロップを水で包んで、逃がしながら。
 三下はその場に腰を抜かして、口から大量の血塊を迸らせるセレスティを呆然と見ていたが、ふいに、
「うぉぉぉぉぉぉぉ――――――」
 と、大声を上げて立ち上がったかと思えば、彼はセレスティを両腕で抱え上げて走り出すのだ。
 遊女たちの居ない方向、深い森の奥へと向かって。
 しかしそれこそが何者かの罠などとは知る由も無く………



【四】


 静まり返る森にすすり泣きが響き渡る。
 自分の身の不幸を嘆き悲しむその哀しげな声を聞いているだけで、気分は重くなり、暗鬱なる感情の深淵に沈み込んでいきそうになる。
 果たしてその嘆き悲しむ声の主にはどのような不幸が起こったのか? しかしそのすすり泣きにはそのように想う感情が偽善でしかないような事を思わされる。それほどまでにその声は悲しみに満ちているのだ。
 そのすすり泣きが響く森の中を三下はセレスティの血でべっとりと身を濡らしながら進んでいた。
 彼の顔は蒼白だった。そして後悔しきっていた。
「ぅぅん」
「セ、セレスティさん、気をしっかり。お願いします。死なないで。ごめんなさい。僕のせいですみません」
 泣きながら言う彼にセレスティはくすりと微笑む。
「大丈夫。死にませんよ。楽しみな事があるんですから。秘密の庭。そこに咲く花。それを一緒に見る事。死ねると思いますか?」
 優しく語るセレスティに三下も力の無い笑い声を零す。
「いいなー、セレスティさん。僕も彼女が欲しいですよ」
 そう三下が言えば、周りの遊女たちが私たちがなってあげましょうか? などと笑う。
「うるっさい」
 三下は泣きながら叫んだ。
 そういうやり取りをしながら三下は遊女たちに動かされる。
 導かれる。
 その謀略のままに。
 くすくすと笑う遊女たち。
 セレスティは体力温存のために瞼を閉じる。そうすれば瞼の裏に見た映像は何なのだろうか?
 それは彼女らの恨みか?
 それとも願いだろうか?
 滝の上に作られた舞台で、工夫らのために集められた遊女たちは艶やかな舞いを踊っていた。
 だがその舞いを踊っている最中に彼女らは舞台へと繋がる縄を刀で斬る武士を見、そして舞台は落ちて、遊女たちは滝へと呑まれて死んだのだ。
 それが事実。
 そして今も尚遊女らは悲しんでいる。その魂を繋ぐ闇の鎖、それを持つのは誰だ?


 闇の向こうで笑うお歯黒を塗った女をセレスティは見たような気がした。暗く深い、冷たい水の底で。



「セ、セレスティさん………」
 震える声が耳朶を打ち、セレスティは見えぬ目でそこを見た。
 涼やかな空気は水の匂いを含んでいて、そして確かに聞こえるのは滝の音だった。
 三下はセレスティを背負ったまま森の奥へとさらに走り、そして滝を見つけた。
「そんな、だって地図には滝なんかどこにもありませんでしたよ」
「結界です。結界で隠されていたんです。そしてそこに怨霊が封じられている」
 咳き込むセレスティを三下は木陰に下ろした。
「でもこんな場所に来てしまってこれからどうするんですか、セレスティさん」
 頭を両手で三下は抱え込んで身体を丸めた。
 頼みのセレスティがこの様子ではもはやどうしようも無いではないか? ただの、しかも怖がりの自分に何ができる?
 ―――いや、だからセレスティがこうなってしまったのではないか………
 三下は鼻水を啜って、まるで心の奥底から自分を信じてくれていたかのように穏やかに微笑むセレスティに頷いた。
「私をあの滝へと連れて行ってください」
 三下は驚いたように両目を見開いたが、しかしすぐに頷いた。
「わかりました」
 セレスティを両腕で抱え上げて、そして滝へと行こうとし、
 だが、滝壷を三下が目に映した瞬間、そこに彼は深い水の淵から自分を見る女の顔を見た。お歯黒を塗った歯を見せて笑う女は、自分を見て、
「―――ぁあ。セレステ、ィさん、助けて…」
 どさりとセレスティを落とした三下は、自分を見上げるセレスティににやりとほくそ笑んだ。
 その顔は到底彼には浮かべられるとは思えない深い闇に塗れた笑みを浮かべている。
「待っていた、この時を。肉体は当の昔に腐り果てた。だから人間どもの心の隙に付け込んで結界を壊すまでには至った。しかしあの邪魔な猫がその妨害をし、そして一時はダメかと思ったけど、この男が手に入った。これで我らが平家の怨霊を復活させる事ができる」
「平家の怨霊? キミは平家の亡霊か?」
「ああ、そうだよ。織田信長に源義経が使っていた呪法を使わせて怨霊を作らせて、そうしてこの国を闇に堕とそうとした。しかしそれをあの邪魔臭い三人が邪魔をし、だけどそれでも私は時を待ち、その三人の子孫すらも使って機会を待った。ずっとずっと待ってきてた。そうしてようやっと来た機会だ。おまえの事、殺したら、次は怨霊を復活させるよ」
「させると思いますか?」
「今のお前に何かができるとは思えないね」
 にたりと口だけで笑う。次いでセレスティの左胸に突き刺さる短刀、それが奇声をあげて、小鬼となり、鋭い牙を剥き出しにしてセレスティの傷口の血で湿った肉を喰らい出したではないか。
 セレスティは声にならぬ声をあげて、その小鬼を手で掴もうとするが、しかし身体の自由が利かない。これは毒か? 小鬼はセレスティを喰らうだけではなく、その傷口から毒を混入しているのだ。もはや、絶体絶命。セレスティに勝機は無い………
 もがき苦しむセレスティの目の前で三下は滝へと向かい、そして滝が逆流する。それは竜が如く三下に襲い掛かるが、右手の一振りでの一閃によって竜は砕け散り、そうしてその滝に隠れていた竪穴の中にある神社が姿を現した。
 三下がその神社へと入っていく。
 それを見送る事しかできないセレスティは最後の力を振り絞った。
 血液は圧倒的に少ない。流しすぎたからだ。
 しかしその血を再度自分に輸血する事が可能であれば? 毒に汚れた血は捨てて。
 そしてそれは果たして彼に可能なのか?
 セレスティは笑う。だが決してそれは………
「悪いが私はまだ死ね無いのでね」
 呟きと共に彼の左胸の傷口から大量の血液が迸った。それは同時に鋭き血刀となって彼の血に湿った身体を貪っていた小鬼を微塵にする。
 そしてこれまで彼が流してきた血が、まるでアメーバかのように蠢いてセレスティの傷口へと集結して、そうしてそれは傷の中に染みこんでいくのだ。さらには傷口を乾いた血が蓋をする。
 セレスティは小さく口許だけで微笑んだ。顔色も悪く、憔悴しきった彼の顔はしかし、それでもとても美しかったのだ。
 ふらふらになりながらもセレスティは立ち上がり、そして神社へと向かう。
 そこにあった光景は、セレスティの予想を遥かに越えていた。
 神社の社の中にあったそれは巨大な氷で、そしてその氷の中に居る巫女姿の少女の腹は大きく膨れ上がっている。
 みるみる溶けていく氷。
 その氷を溶かしているのはあの遊女たちだ。
 セレスティはしかし、そこまで来るのが限界だった。大量の血液を流し、そして大量の血液を輸血したその虚脱感はセレスティといえどもそれがもたらすダメージは大きすぎるのだ。
 薄くなる氷。
 三下に取り憑くそれは邪悪にほくそ笑み、その薄くなった氷を素手でぶち割った。それが彼女が彼を欲した理由。生きている人間しかそれはできないからだ。そうして彼は貧血を起こした少女かのようにその場に倒れ、氷は砕け散った。
 ならばそれは当然の如く起こるのだ。それは転瞬、少女の子宮の内側から腹を突き破って、そうして現れ出る。
 血と羊水に濡れた赤ん坊は急速的に成長していく。
 髪は伸び、細胞分裂は繰り返されて、そしてそれ…否、美しいその少年はセレスティを見下ろすのだ。
「あなたは何者です?」
 少年は口の周りの血を舌で舐めて、それから笑う。
「平家の蔦子姫。その蔦子がついにこの呪法によって作り上げられた身体を手に入れたのだ」
「それは何です? 源義経が使ったと言いますが、それは………」
 そいつはにやりと笑う。
「武蔵坊弁慶。あれは人ではない。鞍馬の山で冥道へと堕ちた義経が作り上げた呪法兵器よ。鬼の子と人の子とを混合し作り上げた化け物。私が信長に作らせたこれをあの三人は霊力の高い巫女の腹の中に封じて、そして浄化しようとしていたらしいが、しかしそれも無駄な徒労に終った。私がこうしてこれを己が肉体としたのだからな。そう、そうしてこの世界を私がこの肉体を使い、闇に堕とす」
「愚かな」
 遊女たちの霊が蔦子の身体に絡みつき、そしてそれはやがて鎧へと変化する。数十人もの女の恨めしげな顔が浮かぶ血のように紅い鎧にだ。
 それを鋭い目で睨むセレスティ。しかしその彼に蔦子は暗鬱に笑う。彼女にはわかっている。セレスティがもはや立っているだけで限界だという事が。そのダメージが大きすぎる。大気中の水分子を凝縮しての武器化などはもはやできない。
 そしてここには蔦子の結界がはってあり、外から水を呼び寄せる事も不可能だ。よってセレスティには戦う手は無い。
 睨む目の鋭さこそがもはやセレスティの手詰まりの証なのだ。
「実はね、お前の事は【黄泉】の方から聞いていたんだよ。おまえの首を持っていけば私の【黄泉】の中での立場もよりいっそう良くなるというもの。だから死んでおくれ、セレスティ・カーニンガム」
 立つだけしか出来ないセレスティに対して蔦子は腰に下げた刀を抜き放ち、そして踊りかかった。
 そう、立つ事が精一杯の、大気中の水分子を凝縮させて武器化できぬ彼に。
 だがそのセレスティが口許に微笑を浮かべる。
 蔦子が抜き放った凶刃がセレスティの美しい銀髪に触れんとした今まさにその時にしかし何か鋭いモノが肉体を突き貫いたかのような湿った音が上がった。
 刀を手から落とし、大きく見開かれる蔦子の血走った目にセレスティは満足気に微笑んだ。口の端から再度、赤い血の一滴を垂らしながら。
「まさかその身体でこのような事に及ぶとは、ぜれずでぃぃー」
「だから私は先に口にした。あなたに殺されるつもりは毛頭無い、とね」
 言い切る彼にしかし今度は蔦子が笑う。
 セレスティの左胸の傷口から生えた真紅の刃にその身体を串刺しにされながらも両手を伸ばし、その細い指をセレスティの首にかけて。
「だがこれ如きでこの鬼の身体が滅びるものかぁ。これで今度こそお前の終り………何を笑う? この期に及んで?」
 笑うセレスティに蔦子は呆けたような表情となった。
「今です、三下君」
 そしてその首が次の瞬間に転がり落ちる。真っ黒な闇のような血を首の断面から天井まで噴き上げさせて。
 果たして後頭部から床に落下した彼女は見ただろうか? 水の刃を横薙ぎに振るったまま固まる三下の青ざめた顔を。
 床に転がる空のペットボトルを。
 最後にセレスティの顔を見たのは観察者にもわかった。
 そう、セレスティがその身を傷つけてまで放った血液を凝固させて作り上げた真紅の刃は蔦子を殺すためにあったのではない。蔦子の動きを止めるためにあり、そして動きを止めた蔦子を、彼女が完全に忘れ去っていた三下に殺させるためにあったのだ。大気中の水分子を武器化する力も、外から水を呼び寄せる力ももはや無かったが、それでも己の血液操作と、そして三下が持っていた水を武器化させるぐらいはセレスティにもできた。
「キミの敗因は三下君を過小評価しすぎたことですよ。ねえ、三下君」
 微笑みかけるセレスティに三下も不器用な笑みを浮かべ、そして彼は慌てて前のめりに倒れるセレスティを抱きとめた。
「セレスティさん」
「大丈夫。大丈夫ですよ、三下君。残り最後の力で血液を凝固させて傷口もふさぎました。あとはここを去るだけです」
「はい。で、でも…あの、セレスティさん、これ」
 気味悪そうに自分がセレスティのアイコンタクトで出来上がった剣をその手にして振るい、倒した蔦子の身体を見て三下は震える。
「これはこのままにしておいていいんですか?」
「大丈夫。もう直に…」そう言うが早いか、蔦子の魔性の肉体が灰となって消えた。そしてその瞬間に遊女らの魂もまた天へと昇っていくのだ。それを見届けたセレスティの意識もそこで限界だった。
 ふと意識が途切れ、そしてその闇の中に落ちていく意識の片隅でまあやたちの声を聞いたような気がした。
 そしてもうひとつ、あの猫の声。
 ―――セレスティ様、ありがとうございました。



【ラスト】


 そこはリンスター財閥所有のプライベートビーチであった。
 誰も居ない美しい砂浜に打ち寄せる波。
 その波に乗り、海をたゆたう影が一つ。
 それは一糸纏わぬ姿で海に浸るセレスティであった。
 その緻密な彫刻かのような美しい顔にはもはや疲労の色は一片も無かった。左胸の傷痕も完全に消えている。
 そしてその彼の横に浮かぶ船の上には草間武彦が乗っていた。
「三下も意外とやるじゃないか」
「おや、キミは知らなかったのですか? 私は知っていましたよ。彼は本当は勇気ある青年だとね」
 波に揺れる船の上で武彦は肩を竦め、口にくわえた煙草に火をつける。
「それでその人柱にされていた少女も救えたのか?」
「ええ。彼女は手術後の経過も良好で、退院後は彼女の子孫がやっている神社で働く事になるそうです」
「そうか。それは良かったな」
「ええ。今回の事で心残りがあるのだとすればそれはあの猫を救ってやれなかったという事ぐらいですかね」
「だがその心はおまえに救われたさ。娘を助けてもらえた事でな」
 素っ気無い口調で口にされた武彦のその言葉にセレスティも微笑み、そして暗雲に覆われた夜空を見る。
「どうやら私たちが預かり知らぬ場所で何かが動いているようです。【黄泉】、蔦子はそう口にしていました」
「ふん。厄介な事この上ないな。別に俺は正義の味方でも無いというのに」
「でもやるのでしょう?」
「やるしかないのさ」
「ええ、やるしかありません。だから私もやりますよ。私と私の仲間に敵対するのであれば、一切の容赦はしない。黄泉を、潰します」
 その言葉に月は安心したかのように雲の隙間から姿を現し、そうしてセレスティを照らした。
 そう、黄泉が彼の大切なモノを壊そうとするのであれば、その時は容赦はしない。
 ただ、今はその時のためにも、そう、今だけは冷たく心地良い海の水に身を休めるためにセレスティは身を漬すのであった。
 美しい白波の音色を奏でる海でセレスティはただ静かに波にたゆたう。
 優しい慈愛に満ちた月の光りに照らされながら。


 ― Fin ―




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】


【NPC / 三下忠雄】


【NPC / 綾瀬まあや】


【NPC / スノードロップ】


【NPC / 草間武彦】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、セレスティ・カーニンガムさま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回はご依頼、ありがとうございました。


 いかがでしたか、今回のノベルは?
 セレスティさんのプレイングを読んだ時にふわりと今回の設定が浮かんできて、夢中で書きました。
 しかも今回は最大のセレスティさんのピンチもあったりして。
 三下の水のペットボトルの小道具や、セレスティさんの身を削った凝固させた血の攻撃など、そういう描写を書いていて非常に楽しかったです。^^
 やはり頭脳プレーでセレスティさんを超えられる敵はそうそうは居ませんよね。^^
 セレスティさんの能力を使ったバトル、そしてそれをさらに最大限の武器にまで昇華させる知能の高さは本当に大好きです。^^
 ちなみに裏歴史などについては、授業で教えられる内容とは随分と違いますが、明智光秀=天海とか、家光は家康とお福の子、というのは結構有名なお話だったりするかもしれませんね。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。