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<東京怪談ノベル(シングル)>


必殺のチョンボ殺し



「まずいよ、まずいよ雛ちゃぁーん!」

 三日ぶりの見慣れた入り口、見慣れた階段、嗅ぎ慣れたむせる芳臭――いつも通りの雀荘の空気に、溜まりに溜まったカレーの皿でも洗うかな、と思ってバイト先のドアを開けた雪森雛太であったが、少しばかりいつもと状況は違うようだった。
 特別親しいわけでもないけれども、いつでも顔を見れる常連の姿が無い。
 あるのは、雇われのためにいるだけの店長のあたふたする姿と……いや、客は居る。夏だと言うのにコート姿だった。卓に腰掛けているが、その卓に足を投げ出していた。非常に行儀が悪い。
 やくざな場所ではあるが、このようなことをするような輩は雛太も初めて見た。
 渡世の礼儀と言うものを知らんのか……そう思いつつも、

「あいつ?」
「あいつだよぉ〜、もう、なんか強すぎて、ここ三日間、うちはあいつのせいで商売あがったりで――って、どこ行くの雛ちゃあん!」
「着替えないとダメでしょ」

 いつでもマイペースな男である。
 似合わな過ぎる蝶ネクタイを締めて戻ってきた頃には、新たな客もホールに姿を現していた。
 雛太の良く知る人物が、卓に足を乗せて鼻歌を歌っていた男に、啖呵を切っている。草間武彦だった。

「貴様――」

 何か言いかけたところで、草間は雛太に向き直る。まるで、このしなびた雀荘を見回すように身体を捩りながら、この場と同じようにしがない探偵がバイトに言った。
「こいつを、シメるぞ」

 なんでまた草間さんまで――そう雛太は思ったものだが、どうにせよやることは決まっているのだ。かくして卓は囲まれることとなった。



 東風戦、東一局は店長の親から始まった。
 自動卓であるから、何かしようにも、やることは限られる。そうそういかさまなど出来るわけでもないのだ。
 しかし、ヒラで打っても、恐ろしい程の引き込みで、他家を圧倒するのだという。まるで、神がかかっているかのように。自分で牌を自由に選んでいるかのようだと。
 よく分からない現象には何かとぶつかる雛太ではあるものの、こうしたよく分からない客というのは初めてだった。
 誰にも及びの付かない遊戯……それが麻雀だと思っているし、それが商売として成るのも、またその及びの付かなさが生み出す揺らぎによるものだと確信している。株のようなものだ。法則があれば、誰だって勝てる。
 だが、この謎多き下家は、そうした、牌に宿る神性のようなものとは無縁のところにいるように雛太には思えた――それは、冒涜にも近いような引き込みだった。
 ツキで済まされるような事態ではない。



 三順目でリーチ、即ヅモの3900。
 続いた草間の親も、同様にして流れた――同様の牌譜で。



 まるで遊びだった。
 だが、これは遊びではない。
 いかさまですらない。理不尽というものだった。
 理牌に望む。親で一向聴。しかし役が無い。南切り……相手に動きは無い。何か出来ようにも、敵の打牌まで操作出来るはずがないのだ。

「リーチです」

 確かに雛太は口にした。まだノーテンなのにも関わらず。
 そんな雛太に動じることなく、コート姿は山から牌を引き入れ、また、前局と同じように二萬切りでリーチをかけて来た。恐ろしいまでの現象。
 くしゃくしゃのゴールデン・バットを、右唇寄りに咥え、

「やれやれだなあ――」

 遅れて出したリーチ棒を場に投げつつ、だらりとその左手を腰の辺りに垂らしたその刹那である。

「それ、ロンです」

 雛太の牌が勢いよく倒れた。綺麗なタンヤオだった。
 コート姿の体が、大きく震えたのを見て、雛太は心中でくくく、と哂(わら)った。
 煙草を右口寄りに咥えたのは、索子の意。
 やれやれだなあとは、八牌の意。
 つまりは通しである。
 瞬間、垂らした手に、草間から送られた八索。あぶれていた牌――白が草間の手に渡る。
 一向聴は瞬時にして聴牌に化け、その和了牌は、コート姿の出した二萬。かくして親のダブリー一発で12000点!
 店員がいかさまなど、ご法度である。
 だが、望むべき局面に少しでも持って行きたかった。そのためには、少しだけでも、コート姿から多少の点棒を直取りしておくことが重要だった。
 相手は送りに気付いていない。つけいる隙は多いにあると雛太は確信した。



 さらに同様の二順目リーチは止められず、東風戦オーラス。
 話によれば、オーラス時に必ず、コート姿の男は一〇順目までに四暗刻小四嬉字一色のトリプル役満で、相手の息の根を止めるのだという。
 自分の居ない三日間に、なんてことしやがる――雛太は理牌しながら、自分の引き込んだ字牌が東しかないことに舌打ちした。
 さらには、一三不塔一歩手前のツキの悪さ。全ての運が相手に行っているのではないかというほどの酷さである。早上がりは望むべくもなかった。
 数順が過ぎても、自分はもとより、店長や草間の手もツモ切りが多い。一方で、コート姿は順調に牌を重ねている。捨て牌は美しいまでに、字牌を除いて満遍なく捨てられている。
 早い段階での三・七牌切りに加えての一・九牌切りなど、その最たるものだ。まるで字牌を吸引しているかのよう。
 コート姿から、西と北が捨てられる。あぶれて切られたのだ。
 自分が字牌を欲しいのは、相手の上がりを阻止するためではない。もっとえげつないことをするためのものだ。
 もう一つだけ字牌は欲しい――そう思う雛太だが、無情にも順は過ぎていく。
 コート姿のツモは目前と思われた九順目の北家。
 雛太が引き込んだのは――二筒。
 歯軋りしたところに……

「煙草もらうぜ」

 赤マルしか吸わないはずの草間が、自分の傍らにあったバットの箱を掴み、一本、火をつけて吸い上げた。

「こら、勝手に吸うな」

 雛太は即座にその箱を左手で取り上げる。

「まったく、油断も隙もありゃしないね」

 言いながら、右手でツモっていた二筒をそのまま切った。
 ――そして運命の一〇順目。

「……ツモだ」

 コート姿が、まるで予定していたかのように牌を倒す。

  東東南南南西西西北北北中中中

「ぎゃああーーーー!」

 店長が椅子から転げ落ちるも、その牌列は紛うこと無き――

「……ちょっと、これおかしくないですか」

 その神々しさに動じることなく、牌を数えるようになぞっていた雛太は、あっけらかんとして言う。

「いかさまをしているとでも?」

 自信たっぷりに言うコート姿。
 しているのだろうが、それが人知を越えた所業である以上、雛太にはそれを見破る術は無い。
 しかし――

「やっぱり一牌多いですね。親のチョンボなので4000オールよろしく」

 雛太が掌で挿した牌列は、

  東東東南南南西西西北北北中中中

 ……確かに一牌多い。というか、増えていた。
 コート姿が反射的に、雛太の牌列に手を出す。
 しかし、その牌数は正常であった。何もやましいことなど無い。

「さて、約束通り、出て行ってもらいますよ。そういう東風戦の約束ですからね」


  ◆ ◆ ◆


 実質ラストになるであろう九順目に、その鮮やかなトリックは行われた。雛太すらも自身で驚くほどに、それはリスキーな一連の流れだった。

「煙草もらうぜ」

 赤マルしか吸わないはずの草間が、自分の傍らにあったバットの箱を掴み、一本、火をつけて吸い上げた。

「こら、勝手に吸うな」

 雛太は即座にその箱を左手で取り上げる……この時点で、雛太の左手には牌が握られていた。
 草間から送られた、鬼の子の南である。
 この時点で草間は少牌、雛太は多牌――草間は牌列の端を指で隠し、そうと悟られぬようにバットを吸い、雛太も同じよう牌列を隠しながら煙草を吸い始めた。
 そして、コート姿のツモ上がりの際、見せられた手牌の単騎が東の対子であるのを確認し、もともと抱き込んでいた東を、牌列を見るフリをして頭に連結させたのである。
 草間が南を雛太に送り込んだのは、西と北が切れていることと、必ず四暗刻小四嬉字一色のトリプル役満で上がるという習性を利用した……つまりは、仮に相手の頭が南だった場合の保険に過ぎないと言えば、それだけではない。
 コート姿は雛太の手牌にも手を出したが、その数は正常である。一牌多かったのが正常に戻っただけだ。つまり、雛太が故意に増やしたなどという言葉を封殺する効果も兼ねていた。
 同じように、草間の手牌に指を伸ばそうにも、もう遅い。他家に上がられた際に牌列を見せる義務などない。彼の手牌は、コート姿のロンの際に、勢いよく捨牌や山の残骸に紛れてしまっていた。



 ――これぞ必殺のチョンボ殺し、かくて雀荘の危機は回避されたのであった。
 この後、草間の情報網を通じて、このコート姿の男が都内の雀荘に出入り出来なくなったことは、言うまでも無い。