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秋の一会
カーテンを開くとそこには澄んだ青空が広がっていた。
朝まで雨が残るでしょうと告げていた天気予報はどうやら良い意味で外れたようだ。
十月に入ってからは、まさしく秋の長雨というように、雨模様の日々が続き、太陽が顔を覗かせる日の方が少なかった。久々の晴天の休日に、高遠弓弦は微笑みを浮かべる。
雨が降る度、風に残る夏の匂いは消えていき、今朝はといえば、毛布の中から出ることを躊躇わせる程、空気は冷えている。
弓弦はカーディガンを羽織り、窓越しに外の景色へと視線を注いだ。
雨上がりの朝のせいか、いつも以上に窓の外の景色が美しく見える。
鰯雲をたなびかせた空。
徐々に明度を増していく陽光。
照らし出される古色めいた色に染まる草木たち。
目に映る景色に弓弦は目を細める。気づけば、秋が来ていた。
朝食の席で散歩に行きませんかと誘った弓弦に、ジェイド・グリーンは注がれた紅茶に口を付けながら考え込むように眉を寄せた。自分の傍らに立つ少女の頭の先からつま先までを視線でひと撫でし、小さく溜息をつく。
「ジェイドさん?」
「弓弦ちゃんはすぐ体調を崩すから。家で温かくしてた方がいいんじゃないかな?」
今日は冷え込んでいるし、と告げると、弓弦がやっぱりといった風情で肩を竦める。
「お姉さんと同じことを言うんですね、ジェイドさんも」
週末だというのに仕事に出かけた弓弦の姉も、目の前にいる彼も、時折弓弦を幼い子供のように扱う。弓弦は二人のその心遣いに感謝すると共に、ほんの少しではあるが不満も覚えてしまう。このくらい平気なのに、と。
大丈夫ですよと口を開きかけ、その拍子に、くしゅん、と可愛らしいクシャミが弓弦の唇から漏れた。タイミングの悪さに、弓弦は恥ずかしそうに目元を赤く染め、身を包むカシミヤのストールを抱きしめる。
「ほら」
我が意を得たりといった顔をするジェイドに、大丈夫ですよ本当に、と弓弦は照れるように微笑みを浮かべ告げる。
「それなら温かくしていきます。夕飯のお買い物のついでに、ちょっと遠回りをしてという感じならいいでしょう?」
「どうしてそんなに熱心なんだい?」
いぶかるジェイドに、弓弦は、ふふ。と含み笑いをしてみせる。
「弓弦ちゃん?」
意味深長な笑みにジェイドの困惑も深くなる。
「それはあとでのお楽しみです」
首を傾げるジェイドの疑問に答えることなく、弓弦はその面に満面の笑みを浮かべるのだった。
弓弦は身体が弱い。
昔よりはだいぶ丈夫になったとは聞くが、それでも季節の変わり目のちょっとした気温の寒暖で、ベッドの住人と化してしまう。長く寝込むことはないものの、やはり寝込んだ後の数日は、辛そうな顔を見せる。
無茶をさせるなよと苦言を呈する彼女の姉に反発しながらも、か弱い彼女に無理はさせたくないという気持ちは、言われるまでもなくジェイドの中にある。
柔らかな陽射しが地上に降り注いでいる。
結局、ジェイドは弓弦の誘いを断りきることはできず、そこまで言うのなら陽が高いうちにと早めの昼食をすませた後、部屋を出た。
南中した太陽は空気を暖め、時折頬を撫でる風も快い。
ジェイドの隣を歩く弓弦は、ただ歩いているだけだというのにとても嬉しそうに顔を綻ばせている。
そんな自分の顔もだいぶ締まりがないに違いないとジェイドは思う。
こんな風に穏やかに誰かと共に歩ける日が来るとは、彼女たちに出会うまで思ってもみなかった。
弓弦に導かれるままに、川沿いの遊歩道を歩く。
まだ柔らかな緑色をしたままの街路樹が道の上に淡い陰を落としている。
その一方で昨夜の風雨のせいだろうか、散ってしまった紅葉半ばの葉が、地面を半ば覆い、騒然とした彩りをコンクリートの上に加えていた。
周囲に視線をやれば、軒先から顔を覗かせる紅葉(もみじ)は、先端からゆっくりと蒼から黄、黄から橙、橙から朱へとその身を変え、銀杏の木も同様に紅葉の兆しを見せていた。
駐車場の片隅では黄色いコスモスが風に揺れている。
「秋だね」
自分を取り巻くのどかで何故か懐かしみを覚える景色に目を細めたジェイドに、弓弦はふふと小さく笑い声を漏らす。
「これから本格的な秋が来ますよ。……それでですね」
今見た景色を覚えていてくださいね、と弓弦は言葉を続ける。
「この辺りは、紅葉が綺麗なんですって。お姉さんが教えてくれたんです。黄色く、赤く、それは美しい秋の景色が見られるそうですよ。今はまだその準備段階ですけれど」
ジェイドの傍らの少女は、今のこの景色を知っていたら、紅葉した時にきっともっと感動できるんじゃないかなと思うんです、と言葉を重ねた。
「移り変わる日本の秋の美しさをジェイドさんに見せてあげたいなと思ったんです」
「弓弦ちゃん……」
感謝の言葉を告げようとしたジェイドの声を弓弦の声が遮る。
「ジェイドさん、見て下さい」
彼女が指さす先には、いくつもの花の蕾を携えた茂みがあった。
まだ多くの蕾が固く閉ざされている中、一輪だけ白い花を咲かせている。
「あれは……?」
「芙蓉というんです」
「フヨウ……」
薄い花びらを広げるその花の前に二人は佇む。
「ハイビスカスに少し似ているね」
「ええ、確か同じ科目になるんです。……芙蓉は一日花といって朝咲いて夜には萎んでしまうんですよ」
そう告げて弓弦はその白い花へと視線を注ぐ。ジェイドもまたそれに倣った。
今日しか見ることができなかった花。明日には別の蕾が花を咲かせるかもしれないが、この花の咲き誇る姿を見ることは今日しかできなかった。
「「良かった」」
二人の呟きが重なる。そのことに二人は顔を見合わせると、くすぐったそうに笑いあった。
「散歩に出て良かったな、って思ったんです。この子に会うことが出来た」
「うん、花が咲いてる姿を見られて良かった。弓弦ちゃんがこの花に気づいてくれて良かったよ。俺一人だったらきっと気づかなかった」
「ジェイドさんも私一人だけだったら気づかなかったものに気づかせてくれてます。今までの二倍、物が見えている感じです」
有り難うと言葉を紡ぐ弓弦をジェイドは目元に優しげな光を湛えて見つめる。
「……こちらこそ有り難う」
「これからも色々二人で見ていきましょうね。一人よもずっと色んなものを見たり、知ることが出来ますよ、きっと」
笑いかける弓弦に、ジェイドは一瞬目を見開くが、次の瞬間には目の前の少女を愛しげに見つめ返した。
「うん、そうだね、よろしく」
そうして弓弦の笑顔に応えるようにジェイドも笑顔を浮かべたのだった。
END
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