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<東京怪談ノベル(シングル)>


ゆったりと、ゆっくりと。― そらのくに ―


 我知らず溜息がこぼれた。門屋将太郎の目に映るのは室内をいっぱいに埋め尽くす書物の数々だ。場所は彼の自宅にある書庫。そこはある程度の秩序を保って整理整頓されてはいたけれど、しかしそれがきちんとジャンルごとに分類されているのかといったらそうではない。そうすることは不可能なのだ。
 ある一定の冊数に達した時、さすがにそろそろきちんと片付けなければ後にどこにどの本があるのか判らなくなると思い分類を開始したのだったがジャンルの散漫さに我ながら途方に暮れたことを覚えている。結局どうするべきかと考え抜いた末、臨床心理士という職業柄読むことが多い心理テキスト系を含む心理関係の書物のみを選び出し、それ以外の書物は著者名でもって五十音順に並べるという手段に落ち着いてなんとか書庫の秩序を保っていられる。
 門屋自身本を読むことが好きだという自覚はある。しかしこのジャンルの散漫さを思えば、好きだというそれよりも書痴というものに近いのではないかと思うことも度々だった。
 だが、そうした自覚を持ったところでやめられるものでもない。書籍はジャンルを問わず増え続けている。今も窓に向かうような格好で設えられたデスクの上に積み上げられたままの未整理の書物の山は僅かな振動で崩れそうなほどの高さを築き始めていた。我が事ながら苦笑する以外にできず、ゆったりとした速度でデスクに歩み寄り折角の休日だが仕様がないとでもいう風にして門屋は山を築く書物を数冊手に取った。
 どのみち何れ片付けなければいけない時が来るのだ。今やるか先送りにするかそれだけの違いでしかない。門屋はそう自身に云い聞かせて、著者名を確かめつつ一冊一冊収まるべき書架を探し出して収めていった。
 一体どれほどの時間そうした自身の書庫を歩き回っていたことだろうか。デスクにうずたかく積み上げられていた書物が最後の一冊となり、それを書架の適当な場所に収めて一息つこうかと何気なく書庫を見回すと不意に門屋の視線を捉える一画が目に映る。そしてジャンルごとに分類したのは何も心理関係の書物ばかりではなかったということを思い出した。
 もう久しく増えることを忘れているかのようなジャンルの本。幼い時分には常に傍にあったその本を、門屋は今も捨てることができずに所蔵し続けていた。今となっては滅多に開くこともないのだが、何故だか身近にないと落ち着かない。ジャンルごとに分けているといってもその一冊だけなのだから果たしてそれを分類したと呼んでいいのかどうかは定かではなかったが、ハードカバーや文庫本、専門書の類とは明らかにサイズの異なるそれは恰もそこが居場所なのであるかのようにして書架の一画に落ち着いていた。
 僅かに飛び出した背表紙。
 絵本と呼ばれる書物。
 それに誘われるようにして門屋はそちらへと爪先を向け、幼い頃当然のようにそうしていたように直に床に腰を下ろすと、絵本を膝に載せるようにして表紙を開いた。
 絵本のタイトルは『空の国』というシンプルなもので、内容はおぼろげではあったがまだ微かに門屋の脳裏に残されている。齢一桁、五歳の記憶が完全なものかといったらそうではないだろうけれど、しかしそこに偽りが含まれているとは思えない。
 澄み渡る青色の空の下にある空の国。そこに住まう人々の暮らしは空の国を統治する王様によって平和に保たれていた。確かそのような内容であった筈だ。子ども向けの単純な言葉で紡がれる物語は、単純であるからこそ忘れるにも忘れることができず今もまだ微かに脳裏に焼き付いて離れない。
 幼い日を懐かしむようにしてページを繰りながら、門屋は何よりこの絵本を好んでいた幼い自分を思い出す。その証明であるかのように絵本の表紙の角は丸くなり、ページを繰る時の癖がついてそこだけが僅かに柔らかくなっている。
 紙面はまるで晴れ渡る夏の日の空のように澄んだ青色に染まり、やんわりとした線で空の国に住まう人々の暮らしが穏やかなものとして描かれている。誰もが笑顔で、その国を統治する王様もまたひどく穏やかな笑顔である。青すぎるほどの澄んだ空の下に住まう人々はまるで不幸という言葉を知らないかのようにして、ひどく穏やかな表情をしてそこに在った。添えられた文は短く、一ページに二、三行ほどしかない。しかしそれでもきちんとそこに描かれた情景を余すことなく伝えているのだから不思議だった。読み進めていくうちに絵本の世界に吸い込まれていくかのような錯覚に陥る。そして門屋は繰り返しこの絵本を開いていたあの日の自分も同じ心地でこの絵本を手にしていたことを思い出した。
 この絵本が大好きだった。まるで自分も空の上いるかのような心地になることができた。それは幼いながらに抱いた初めての空への憧憬だったのかもしれないと今だから思うことができる。
 空に行きたかった。
 幼い頃はずっと空ばかりを見ていた。空を見る自分の手にはいつも『空の国』と題された絵本があり、どんなに必死に手を伸ばしてもあまりに高すぎ届くことのない空を哀しく思う度にそれを開いては自分を慰めた。
 そうした幼い日々の行為が何を意味するのかは、臨床心理士になった今でも理解することはできない。ただ漠然と、突然目覚めた能力への恐れがそうさせていたのではないかと思うばかりである。人の心が判る、伝えようとする意思を持たないものが直接目を見るというそれだけのことで判ってしまう、それはひどく怖ろしいことであった。
 人が秘める多くは総てが美しいわけではない。醜く歪み、時にそれを垣間見た罪悪感に苛まれるようなものさえあった。知らずにいられたら良かったと、後悔することのほうが多かったようにも思える。常に不安ばかりを抱えて幼い日々を過ごしていたような気がするのはきっとそうした負の記憶がまだ払拭しきることができずにどこかに焼き付き、こびり付くようにして残っているからだろう。
 
 ひとびとはそれはそれはへいわにくらしていたのでした。
 青い空のしたで、えがおとともにくらしていたのでした。
 それはずっとずっとかわらないのでした。

 最後の一ページ記された文章を前に、門屋はふっと笑みがこぼれるのを自覚する。覚えている。このフレーズは忘れたことはなかった。どこで覚えたものかは判然とせずとも、ひどく落ち込むその時やわけもなく胸が塞ぐその時に必ず思い出すフレーズ。たった三行の文章は五歳の幼い時分からずっと記憶に焼き付き、今も忘れられずに記憶にあった。
 癒されていたのだ。
 空に行きたいと願いながら果たされない夢を抱いて過ごした幼い自分は、青い空の下で笑顔と共に暮らしている人々が、たとえ絵本のなかであっても存在するという事実に癒され、慰められて生きていた。幼いながらに知った心の癒し方があったからこそ、今もここで息をし続けていることができる。助けを求める人に手を差し伸べ、声を聞き、援助することができている。
 最後の一ページ、記憶に焼き付くフレーズがあるそのページは澄み切った青空の下にある平和で慎ましやかな空の国の姿。人々の笑顔は描かれてはおらず、しかしそこが平和だと、笑顔を忘れることなく生きていくことができる場所であるということを伝えるには十分すぎる雰囲気を持つ絵だった。
 ふと門屋はそこから視線を上げて、窓の向こうに広がる空をその目に映した。
 空だけは変わらずにそこに在った。
 晴れ渡り、澄み切った青空がただそれだけのものとして眩しいほどの色彩と共にそこにあって門屋は誰へともなくありがとう、とそう伝えたいような柔らかな衝動を覚えたのだった。
 そこに空が澄んだ青色のままに存在する限り、ゆったりとゆっくりとやさしさを忘れずに生きていくことができるだろうと思えるのだった。