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黄泉路よりの訪問者
一歩、二歩。歩み、足を留める。
今、眼前に広がっている風景は、クミノの記憶の片隅にも無い場所だった。
クミノが今立っているのは、旧い都を彷彿とさせるような大路の上。道幅は――目算した限りでは20メートル程といったところであろうか。舗装も成されてはおらず、其処彼処には石が顔を覗かせている。
車通りは――ないようだ。そも、大路の上にはタイヤの軌跡一つさえも残されてはいない。
再び歩みを進める。一歩、二歩。歩きつつ見渡せば、時代劇やらでみうけられるような鄙びた家屋がぽつぽつと点在しているのが見える。路脇には柳やら松やらの木が、矢張りぽつぽつと点在し、揺れていた。
果たして、何処をどう歩んできたものであっただろうか。
何時の間にやら入りこんでいたらしいこの場所は、東京の街並のそれとは明らかに逸した場所である。
――――しかし、それにしても気になるのは
歩みつつ周りを見遣る。
先刻から擦れ違う顔ぶれは、そのどれもが人間とは異なるものだった。妖怪、というものであるのだろうか。彼等は口々に何やら言葉を交わし、右往左往し、転げ回るかの如くに方々散り散りになっていく。見れば彼等は例の鄙びた家屋の中へと逃げ入っていくようだった。
「月だ、月だ、月が出おったァァ!」
中にはそのように喚きながら逃げ惑う妖怪も居る。
――――月? 月がどうかしたのか
思い、空を見上げた。
空には緋色に染まった望月が姿を見せている。辺りは昼日中の如くに明るく照らされ、伸びる影はどれも一様に同じ方角へと向いていた。
月を仰ぎ眺めた後に視線をゆっくりと降ろす。
と、クミノのすぐ前に、女が一人立っていた。
艶やかな色柄の着物に朱の帯を巻いている。結い上げた黒髪には簪が数本。その肌は緋色の月光の元にあっても尚、白々とした艶を覗かせていた。
女はゆっくりとした所作でクミノを見とめ、艶然とした笑みを浮かべながら口を開けた。
「ぬし様とは、お初の御目文字でありんすね」
紡がれた声音は鈴のふる音色を思わせる。が、クミノは僅かにも動じず、この女の顔を真っ直ぐに見据えた。
「あなたは」
問うと、女はしゃなりと首を傾げて微笑み、返す事なく空を見上げた。
「常日頃であるならば、ゆるりとした散策をお薦めしているところではありんすが――。ぬし様はどうにも、悪い時に此方へとおいでなさいんした」
「先刻擦れ違った妖怪共も、逃げ惑うが如くに散っていった。悪い時というのは果たして何を示唆しているのか」
女の対応に、気分を害する事もせず、クミノは再び女に問うた。女はゆっくりとクミノを見遣り、微笑みはそのままに、閉ざしていた口を動かした。
「黄泉路の深奥の釜の蓋が開いてしまいんす」
「黄泉路?」
女の言葉をそのまま訊ね返して、クミノは漆黒の眼差しをゆったりと細め、女を見遣る。
女は小さく首を振り、緋色の望月を見上げて言葉を続けた。
「今は彼の月の光明がこの地の景観を明るく照らしだしてありんすが、日頃であればこの地はぼうやりとした薄い闇で覆われ、景観等ままならぬ場所なのでありんすよ」
クミノは女の言葉にふむと頷き、続きを待った。
「ぬし様は現世の地より此方へ迷い込まれて来んしたのですが、大路の上を歩んで来んしたはずでありんすね」
「うむ、その通り。私は大路を歩み進めて来た」
「ぬし様が歩んで来んした大路は、他に三つばかり同じような大路へと繋がっていんす」
「うむ、それも然り。光明によって其々大路の端まで見渡せるようだ」
「大路は皆で四つ。その内の一つが、ぬし様が来んした大路でありんす。その大路は現世へと通じている橋と繋がっていんす」
「橋」
頷くと、女は暫し口を休めて首を傾げる。
「ならば残る三つは何処へ通じているのか」
訊ねると、女は躊躇する事もなく返して寄越した。
「残る三つは何れも彼岸……黄泉へと通じる橋と繋がっていんす」
眼を細め、小さな笑みを滲ませている女の言に、クミノは暫し口を噤み、大路のつきあたりに目を向けた。
日中の如くに明るい天の下、大路のつきあたりはクミノが立っている場からでも充分に見通せた。
確かに、大路は全部で四つ在る。クミノが立っているその場からさほどに離れていない場所に、その四つの大路が交わる場所があるのが見える。
「あれは辻と云うものでありんす」
クミノは女の言葉に小さく頷き、辻に向けて足を進めた。
辻を過ぎ、クミノが初めに立っていた大路から真っ直ぐの路を歩き進む。
月は向かう大路の上にあり、影はクミノの真っ直ぐ後ろに伸びていた。
「幾つか訊ねたい」
歩きつつ、横に居る女に言葉をかける。
「黄泉路の釜の蓋が開く事で、何か問題でも起こるのか」
「黄泉路の深奥には咎人の魂魄が封じられてあると言われておりんす」
「咎? 罪人という事か。その咎人は何をしたのだ」
「一口には言い知れぬ事でありんす」
「……そうか。それで、その咎人と釜の蓋が開くという事と、どのような繋がりが存在しているのだ」
訊ね、女の顔を見る。
大路はその端を見せ始め、辺りには水の流れる音が響き始めた。
橋は木造で、緩やかな山の型を描いている。その下にはさほど幅広くはない川が流れていた。
「この大路には、本来月というものはあってはならぬものでありんす。月がこの大路を照らす時には、黄泉路の釜の蓋も開きんす。その深奥の咎人が、現世に舞い戻らんとして這出て来るのでありんすえ」
女は橋を前にして足を留め、ゆっくりとした所作でクミノを見遣る。
クミノはその視線を受け、同じように足を留めた。
「なるほど、然り」
返し、真っ直ぐに川を見る。川は黒々とした色をたたえ、渦巻き流れる濁流だった。
「なれば、私がこの世界に迷い込んだ――否、呼ばれたと考えるのが筋であろうか。その理由は、その問題にこそ関わるのだろうな」
女の顔を横目に見遣り、告げる。
女はクミノの顔を眺め、首を傾げて微笑んだ。
「申し遅れんした。わっちは立藤といいんす」
「――――私はササキビクミノだ」
返し、目を細ませる。
川の濁流の中に、浮き沈みする数多の枝のような腕が見えた。
ぬらりとしたそれは黒く鈍く光る枯れ枝のようで、沈み、見る間に失せていく。
だが然し、その内にあって唯一つ、確りと岸を掴み取った腕があった。それはクミノが見守る中で確かに全貌を見せ始め、やがて泥を被ったようなそれが川を登り身を現した。
それは文字通りに骨と筋ばかりの身体で、黒い枯れ枝のようだった。藻のように張りつく髪の下からは奇妙に光る眼光が覗き、こちらを見遣っている。
「立藤。あれを現世へと遣る事で、どういった問題が生じるのか」
「さて。わっちには解りんせんが――――とかくも、一度死した者が生者の世に戻りしは、それは摂理に反したものでありんしょう」
立藤はそう返して艶然と笑う。
咎人はその腹ばかりがぽっこりと突き出していた。聞き取れぬ言葉で何事かを発し、その枝のような腕を振り上げてこちらへ寄ってくる。その爪先が緋色の月光を浴びて赤黒く輝いた。
「……摂理に反する、か」
頷くと、クミノは軽く目をしばたいた。刹那、咎人はクミノが行使した障気によってその動きを封じられ、その場に押し潰されるが如くに伏した。
「なれば、やはりこれは黄泉の深奥に戻すが道理であるのだろうな」
小さく頷いて、クミノは再び目をしばかたせた。
その所作と同時に、咎人は咆哮を響かせながら濁流の中へと押し戻される。それを迎えるように現れた数多の腕が咎人を掴み取り、そのまま川は大きな渦の向こうへと飲み下されていった。
「黄泉路の番人が迎えに来んしたようでありんすね」
そう述べる立藤に、クミノは首を縦に動かしてみせた。
濁流は咎人を飲み下すのと同時にその姿を一変させた。
天にあった緋色の月は満ち始めた雲の奥に姿を潜ませ、大路の上には薄い暗闇が広がり出した。
川の流れは穏やかなものとなり、安穏とした闇の中でゆるゆるとした水音を響かせ始める。
「この橋の向こうは、死者が住まう世界なのだな」
訊ねつつ、薄闇に包まれた橋の向こうを確かめる。
「死者が生者の世界に戻るのが摂理に反したものであるならば、生者が死者の世に渡る事もまた、摂理に反したものなのだろうな」
呟くようにそう述べる。
立藤は言葉を返す事なく頷いて、同じように橋の向こうに目を遣っている。
橋の向こうには靄のような闇が広がり、その奥を覗き見る事は出来そうにはない。
クミノはそれきり口を噤み、黙したままでその闇の向こうを真っ直ぐに見る。
響いているのは、ただ、穏やかに流れる川の水音ばかり。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1166 / ササキビ・クミノ / 女性 / 13歳 / 殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
NPC:立藤
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■ ライター通信 ■
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初めまして。このたびはご発注、まことにありがとうございました!
NPCですが、プレイングを拝読した限り、立藤を選択するのが適切であるだろうかと判断させていただきました。
もしも他のNPCの方をお好みであった場合には、その旨、お申し付けくださいませ。
また、口調なども、設定と異なるといった点がございましたら、お気軽にお申しつけください。
クミノさまには刹那的な印象を持ちました。そういったイメージを投影させる事が出来ればと思いつつ執筆させていただきました。
少しでもお気に召していただけていれば幸いです。
それでは、またよろしければお声などいただければと思います。
このたびは本当にありがとうございました(礼)
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