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黄泉路よりの訪問者
「……立藤か?」
問い掛け、足を止める。
視線の先に有るのは艶やかな着物を纏った女の後姿。否、その朱色の帯や頭にさした簪には心当たりがあった。
真言の言葉に、女はゆっくりとした所作で振り向いた。
「あれ、ぬし様でありんしたか」
立藤は真言の顔を確かめて安穏と微笑むと、「悪い時にお見えになりんしたねえ」と呟いた。
真言にとり、この場所は既に馴染みの場所であった。
気の善い魑魅が跋扈する、四つの大路が続く四つ辻。大路の果てには黄泉へと続く橋が有り、立藤の笑み同様に、安穏と穏やかな薄闇ばかりが広がっている世界。
――――然し、今はどうだろう。
広がっているはずの薄闇は何処にも無い。まるで昼日中の如くに明るさで充ちている。
……否。昼日中の陽光とは異なり、今、真言のその視界を埋めているのは、緋色で染まった望月が放つ月光の明るさだ。
どこか血流のそれを思わせるようなその禍とした光明に、真言は眉根を寄せて口をつぐむ。
「どうしたんだ、これは」
問うと、立藤はしばし躊躇を見せた後、ゆっくりと、言葉の一つ一つを選ぶように口を開けた。
「黄泉路の釜の蓋が開いてしまいんした」
「――釜の蓋だと?」
返された言葉に、再び問い掛けをする。
「ぬし様もご存知でいらっしゃいますやろが、この四つ辻より続く三つの橋は、其々彼岸へと通じる掛け橋となっていんす」
「ああ、それは知っている」
頷くと、立藤はやんわりと笑って眼を細めた。
「彼岸――黄泉の深奥に、現世に在りし時分に過分な咎を負いんした者の魂魄が封じられていると言われていんす」
眼を細め、真っ直ぐに真言の顔を見据え、立藤はさらに言葉を続ける。
「この四つ辻に在りては、月はあってはならぬ禁の象徴でありんす。……月が空を照らし時には、そういった咎人が戒めから逃れ、現世へと舞い戻り再び己が欲を晴らさんと這出て来るのでありんすよ」
「咎? ……ああ、罪の事か。……生人である以上、何の咎も負わずに存在していける者等、在りはしないだろう」
訊ねると、立藤は束の間表情を留めた後に、小さな鈴の音のようにからころと笑った。
「ええ、全く、その通りでありんす。ホホ、矢張りぬし様は面白い方でありんすね」
そう微笑む立藤を見遣り、真言は軽く頭を掻いて幽かに頬を緩める。
「―――良かった」
「……何がでありんしょう?」
真言の言葉に、立藤は笑みを浮かべつつ首を傾げた。
真言は立藤の笑みを見て僅かに視線を逸らし、吐き捨てるような口調で返した。
「……いや。……あんたの笑顔が、何時もと少し違っていたようだったから。……それが何時もの笑顔に戻ったようだったから」
言葉を返し、その視線を立藤へと戻す事なく、真言はそのまま再び月を見上げた。
「然し――――。その咎人とやらは、現世へと戻ろうとしているんだよな」
訊ねると、立藤は静かに首を動かした。
「その、何故、現世へと戻ろうとしているんだ? 断ち切れない未練なんかが遺されているからなんだろうか」
「釜の深奥に封じられるのは、とうに自我の失せた、気狂いじみた魂魄ばかりでありんす」
「じゃあ、例えば子を遺し死んだ母親の魂などは、その中には数えられはしないのか?」
「子を想う心は、其れは咎というものでありんすか」
「――――いや。……そうは思わない」
返した言葉を、立藤は意味ありげに微笑して、ゆったりと歩みを進めだした。
「想う心が強いあまり、想う相手を死に至らしめてしまったというのを、わっちは幾つか存じておりんす。それでも其の心は咎ではないと?」
問い返されたその言は、立藤が真言に向けた真っ直ぐな揺らぎない眼差しと相俟って、真言の心を深く射抜いた。
真言は、暫しの間躊躇して、それからゆっくりとかぶりを振る。
「――――俺には、解らない」
応え、立藤の眼差しを真っ直ぐに捉える。
立藤は真言の眼差しを見据え、艶然とした笑みをのせながら、ふうふと笑った。
「ほんに、ぬし様は面白い方でありんすね」
大路の上、其処彼処に、右往左往している妖怪達の姿が見える。
妖怪達は方々に逃げ惑いながら、時折思い出したように緋色の月を仰ぎ見ては小さな悲鳴をあげている。魑魅等はそうしながらも路脇にある家屋の中へと身を隠し、そうして、見る間に辺りはがらんと静まり返ってしまった。
立藤は止まる事なく歩みを進め、真言が立藤を見付けた大路から辻を越え真っ直ぐ突き抜けた路の端でようやくその足を止めた。
川の水は今にも氾濫しそうな勢いで流れている。その色味は黒々としていて、とてもではないが水底を覗き見る事は出来そうにない。
橋の向こうは矢張り暗い靄で覆われており、その向こうを覗き見る事は出来なそうだ。
「ぬし様は先刻、咎人が現世へと戻ろうとしているのは何故かと、そうお尋ねでありんしたね」
橋を前に、立藤はゆっくりと真言の方に顔を向ける。その表情は、妖美なまでの笑みで充たされていた。
「ああ。……もしも、その咎人とやらが何らかの手助けを求めているのなら、俺で出来る事ならば手を貸してやりたいと思う」
立藤の問い掛けに小さく頷く。同時に、荒れ狂う川の水の中から、黒々とした骨張った腕がぬうと姿を現した。
「では、その咎人が、現世へ遺した未練の故に現世へ舞い戻りたいと申したら、ぬし様はその手助けをされるのでありんすか」
再び問われ、真言はゆっくりとかぶりを振った。
「――――いや、それは、摂理を逸した行為だ。そうなる事で、現世に措いて理不尽な涙が流されるなら、」
「流されるなら?」
川岸を掴み取ったその腕は、それを飲み下さんと流れる川の水より這い出て、その全容を月の下へと現した。
藻の様にも見える髪。その下からは奇妙なまでに輝く眼光が覗いている。性別はさだかではない。否、もしかするとそういったものをも既に失ってしまった魂魄なのかもしれない。
黒々とした肌は、確認するまでもなく、粗い布地の目のようだ。骨と筋ばかりの全身に、腹部ばかりがぽこりと突き出している。
真言は、それを見とめ、ゆらりと双眸を緩め、睨みつけた。
それは得体の知れない言語を発しながらもずるりと歩き、やがて立藤のすぐ後ろまで近付いた。
立藤は、それに気付いているのか、或いは気付いていないのか――。艶然とした笑みを微塵も崩す事なく、只真っ直ぐに真言の顔を見据えている。
真言は立藤越しに咎人を見遣り、駆け出して、立藤の腕に指を掛けた。
咎人は悲鳴にも似た何かを叫び、その骨張った枝のような片腕を大きく振るい、立藤の身体を目掛けて爪をたてた。
リン、と音を立てたのは、立藤の髪に飾られた簪だった。簪は咎人の爪に引っ掛かって路の上に落ち、小さな音を辺り一面に響かせる。
真言は立藤の身体を引き寄せて抱きすくめ、落ちた簪を一瞥してから再び咎人を睨み遣る。
「――――あんたが現世に戻りたがっている、その理由を、俺は知りたかった。……心名残があるのなら、俺に手助けの一つでも出来ればと思っていたんだ」
一句一句、言い聞かせるように投げ掛ける。然し、咎人は真言の言葉になど耳を寄せる気配もない。唯ひたすらにその腕を振るい回し、わけの解らぬ言葉を発しているばかり。
腕の中で立藤が小さな笑みを零す。
「ぬし様は、真っ直ぐで、優しい方でありんすね」
「立藤、教えてくれないか。――こいつは、どうすれば釜の深奥に戻るんだ」
「簪を」
「――――?」
「簪を、川の底へと放り遣ってくださいまし」
「……いや、然し、それは」
咎人の咆哮が地を揺らす。緋色の月の周りに、薄く広がる雲の幾つかが集いだしていた。
「鈴を鳴らし、黄泉路の番人を呼び寄せるのでありんす」
「いや、然し、あんたの簪が」
告げようとした言葉を、立藤の手がさえぎった。
「わっちは、ぬし様から新しい簪を貰いたく思いんす」
白く、温かな手で顔を撫でられ、真言はふと驚き、口を噤む。
立藤は柔らかく笑むばかりで、それきり言葉を発しようとはしなかった。
咎人が再び腕を振るい上げる。その爪先が、緋色の月光を帯びて赤黒く光る。
真言は立藤の身体を離し、咎人のその腕の下をくぐり抜け、落ちていた簪を拾い上げてそれを川の中へと放り投げた。
同時に、広がっていた雲が月を覆い隠し、辺りは瞬時にして薄い闇の中へと放りこまれる。
鈴の音が小さく響いた。
次の時、真言は、川の濁流の中から伸びる数多の腕を見た。腕は咎人を確りと掴み捕え、次の瞬間には、咎人の姿は何処にも見当たらなくなっていた。
大路の上に、何時もと同じ、夜のしじまが訪れる。
広がっているのは緋色の月光ではなく、薄闇の黒一色きり。
流れる川の水音は静かなそれへと戻り、先刻までの事は最早嘘のようであった。
「……簪が」
静かな水音を漂わせ流れる川を眺め、真言はぽつりと呟いた。
立藤の零す笑みが柔らかな薄闇の中で広がっていく。
「約束でありんすよ」
立藤は微笑みながら、白く細い小指を差し出した。
「今度お逢いする時には、きっと新しい簪をくれなんし」
「――――いや、それはあんたが勝手に」
勝手につけた約束だろうと。そう続けかけた言葉を、真言は小さな溜め息と共に飲みこんだ。
「……安物しか買えないが、それでも構わないか」
返すと、立藤は大きく頷き、微笑んだ。
それは何時ものそれとは異なる、心の底から浮かぶ喜びを滲ませた、明るい笑顔だった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【4441 / 物部・真言 / 男性 / 24歳 / フリーアルバイター】
NPC:立藤
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■ ライター通信 ■
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いつもお世話様です。このたびもご発注、まことにありがとうございました!
メインシナリオの方の展開のひとつは、今回のノベル中には反映されていませんが、立藤との関係の変化みたいなのを
ちょこっとだけ、進めさせていただきました。
その、勝手に次の約束をしてしまい、申し訳ありません。
本当は真言さまの能力設定を使わせていただこうかとも思ったのですが…。ううむ。
もしもノベルの展開上、能力をこういう感じで使ってほしかった等のご要望などございましたら、
どうぞ遠慮なくお申しつけくださいませ。
それでは、またよろしければ立藤と遊んでやってくださいませ。
このたびは本当にありがとうございました。
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