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<東京怪談・PCゲームノベル>


黄泉路よりの訪問者


 紺地に開く花の名前はルリマツリ。
 秋の終わりを惜しむかのように、祭りの夜はその幕を閉じた。
 祭りの屋台で買ったものはと云えば、藍色の水の中を泳ぐ金魚が描かれた江戸風鈴。夏の名残、売れ残りなんだと云って、金魚売りのおやじが譲ってくれたものだ。
 小さな音を奏で響かせるそれを片手に、七重は歩んでいた足をぱたりと止めた。

 何時の間にか踏み込んでいたその場所は、今しがたまで居た見慣れた道の上とは異なる場であった。
 七重は眼前に広がったその風景を一望した後、振り向いて肩越しに後ろの方を確かめた。
 祭りからの帰路、曲がった角は視界の内には見当たらなくなっていた。代わりにあるのは、以前確かに足を運んだ記憶のある大路の姿であった。
 ……いや、でも、何だか妙な違和感を感じる……
 そう考えつつ見れば、其処彼処に妖怪の姿があるのが解る。彼等は、然し方々に散り散りになって逃げ回り、時に天を仰いで悲鳴をあげたりしている。
 七重は妖怪達のその動向を確かめ、自分もふいと天を仰ぎ見遣ってみた。そうして、心に浮かんだ違和感の理由に気がついたのだ。

 天には大きな満月が浮かんでいた。
 赤錆色のそれは気味悪いぐらいの光明を以って大路を照らしている。大路はその月光の下、まるで昼日中の如くに明るい。
 七重はその緋色の月を見上げて眉をしかめ、その月が纏っている奇妙な気配に意識を向けた。
 ――――月は、どこか禍とした空気を漂わせている。そも、その赤錆色の月光は、何故か噴き上げる血潮のそれを彷彿とさせた。
 妖怪達は方々に散り、大路の脇に点在している棟の中へと逃げ隠れていった。
 辺りには、しぃんと静まりかえった空間ばかりが残される。
「……そういえば、」
 そう呟くと、七重は周りを見渡してから足を進めた。
「立藤さんは……」
 その名前を口にしつつ、意識を大路の其処彼処へと寄せる。
 間も無く、探している相手の気配を見つけ、七重は足を留めて振り向いた。其処には、何時の間にやら現れていた、花魁姿の女が一人、立っていた。
「坊、久しゅう。――然し、また、悪い時に来んしたねえ」
 女はそう云って首を傾げ、紅をひいた口許に薄い笑みを滲ませた。
 七重は女の姿を見とめると、丁寧な所作で頭をさげる。
「お久し振りです、立藤さん。……悪い時というのは、どういう意味ですか?」
 挨拶ついでにそう訊ねると、立藤は浮かべたその笑みを崩す事なく言葉を告げた。
「この四つ辻に、月が姿を見せたのでありんす」
 告げられたその言葉に、七重は再び天を見上げて頷いた。
「……ええ。……その、失礼ながら、見ていてあまり気分の善いものではないですよね……」
 申し訳なさげにそう呟くと、立藤はふうふと笑って頷いた。
「その通りでありんすよ、坊。あれは、この四つ辻の上に、本来あってはならぬものなのでありんす」
 ふうふと笑いながら、七重と同じく天を仰ぐ。その漆黒の眼が月光を浴びて鈍い緋色へと染まっていた。
「あってはいけないもの、なのですか」
 七重がそう問うと、立藤は首を縦に動かし、視線を七重の顔へと向ける。
「坊。大路の端に架かる橋が何処へ繋がっているか、お分かりでありんすか」
「……いいえ。……その、もしかしたらと思う事はあるのですが……」
「前にお会いしんした時には、お教えせんままのお別れでしたもんなあ」
「……どこへ繋がっているのですか」
 立藤の応対に、七重は幽かに眉根を寄せる。
 立藤は七重のその表情を見遣り、僅かに悪戯めいた笑みを浮かべた。
「大路は皆で四つありんすが、一つは坊が住まう現世へと繋がるもの。ぬしはその橋を渡り、この四つ辻へ入って来るのでありんす」
 七重は立藤の言葉に、先ほど歩いてきた大路の向こうを確かめる。日中の如くに明るい視界が、確かに橋があるのを認めた。
「残る三つは、黄泉へと通じるもの。即ち、この四つ辻たる場所は、現世と黄泉とを結ぶ、いわば境界たる場所に当たるのでありんすえ」
「……ええ、分かります」
 小さく頷いて睫毛を伏せる。
 以前初めてこの地を訪れた時、七重は確かに、橋の一つの上に亡き母の影を見出したのだ。
 あれは確かに夢では無かった。願望が見せた幻かとも思ったが、立藤の言葉が真であるなら、――あれも、虚ろな幻ではなかったのかもしれない。
「黄泉路の深奥には、現世に在りし時、過分たる咎を犯した者の魂魄が封じられていると云いんす」
「咎……罪人という意味ですね。それは、俗にいう地獄のような場所をさしているのでしょうか」
「そうであるかもしれんせん。わっちは、詳しくを知りんせんが」
 そう首を傾げる立藤の口許、薄い笑みが浮かぶ。七重はそれを真っ直ぐに見遣り、問い掛けを続けた。
「……それと、今回のその”悪い時”というのとでは、どういった繋がりがあるんですか?」
 訊ねると、立藤は首を傾げつつ目を細ませた。
「月は、地獄の釜の蓋と通じているのでありんす。故に、月がこの地を照らし時には、咎人が地獄より這出て現れるのでありんす」
「――――這い出てくる……」
 呟き、月を仰ぐ。
 緋色の月はその赤錆色をますます色濃いものへと変えていた。鮮血の如くに見えるそれを確かめて、七重は急ぎ、立藤に問う。
「立藤さん。咎人はどこから現れるのか、分かりますか?」
 立藤は七重の言葉にしばし口を閉ざし、それから手にしていた扇をすいと持ち上げて月のある場所を示した。
「月は何処へありんすか」
「月は……」
 答えつつ、月のある場所を確かめる。月は、三つある橋の内、一つの上に鎮座していた。
「……まさか」
 呟くと、立藤は小さな笑みを洩らしつつ頷く。
「如何なさるおつもりでありんすか、坊」

 七重は、気持ち小走り気味に足を進め、月の下の橋を目指した。
 大路の上にあるのは、七重と立藤の二人きり。立藤の簪の鈴が、小さな音を響かせている。
「その咎人は、どうすれば地獄へと戻せるのですか」
 歩きながら立藤を見れば、立藤は艶然とした笑みを見せつつもゆったりと口を開いた。
「月が雲に隠れれば、蓋もまた自ずと閉じるようでありんすよ」
「……そうですか」
 頷き、足を止める。
 眼前すぐの場所に、以前にも見た橋が姿を見せていた。
 橋の下を流れる川は、見たところ、さほどには幅も広くはないようだ。が、その流れは酷く荒れ狂ったもので、色味は黒々として、底を窺い知る事は出来なそうだった。
 月の光は、今や、文字通り切断された動脈から噴き上がる鮮血の如く、赤黒くぬらりとした光を帯びていた。
 七重は濁流を見据え、口を噤む。
 
 濁流の中、浮き沈みする枯れ枝が姿を見せ出した。否、それは枯れ枝ではなく、骨と筋ばかりとなった人間の腕であった。
 数知れぬ数多のそれは、濁流に飲まれ、見る間にその数を減らしていく。悲鳴のような、怒号のような。狂乱に充ちた絶叫とも聞こえる水音が、濁流と共に流れ過ぎていく。
 七重は、ふとその目を細め、濁流の中の一点を見据えた。
 そこには、矢張り枯れ枝を模したような腕が一本突き出されていた。
 腕は確りと川岸を掴み、ぬうと伸びる柳の如く、濁流の内より這出て来る。

「……雲が月を隠すまで」
 呟き、静かに腕を伸ばす。
 やがてその全容を見せたそれは、枯れ木に似た化け物だった。
 藻のような髪の下、奇妙なまでに輝く二つの眼がこちらを覗き見ている。全身が枯れ枝のようであり、しかし腹部ばかりがぽこりと突き出しているのだ。
 口らしき穴からは聞き取れない言葉が発せられ、恨み言のように紡がれている。
「坊」
「僕がどうにかします」
 頷くと、七重は立藤の前に歩み出て、真っ直ぐに咎人を見据えた。
 咎人は何事か分からぬ言葉を発しながら腕を振るい、伸びた爪を刃のように振りまわしている。
 泥に塗れたその指先が、赤錆に照らされて気味の悪い色へと変容していた。
「――――あなたを、そこから出すわけにはいかないんです」
 呟き、七重は持ち上げた指の先端で咎人を真っ直ぐにさした。その刹那、咎人は押し潰されるような格好でその場に伏し、金属音に似た声音を張り上げた。
「あなたが生前どのような罪を犯したのか……僕には分かりません。……でも、これは確かな事だと、僕にも分かる」
 告げながら、咎人を睨み据える。
「僕には、あなたを裁いたり滅したりする権利は有りません。……だから、せめて、あなたがこれ以上その場を離れないよう、縛り付けておきます」
 咎人が張り上げる咆哮は月光を揺らし、空気を震わせた。
 濁流はその勢いを強め、川は今にも氾濫しそうな気配を漂わせ始めた。
 咎人は恨めし気に七重を見上げ、耳をもつんざくような咆哮をあげた。

 ひたり

 その咆哮を合図にしたのか、辺りに流れていた濁流の水音がぴたりと凪いだ。
 緋色の月光は途端にその姿を潜ませ、見る間に周囲を薄闇が取り巻いていく。
 一瞬にして暗くなった視界に、七重は僅かに目をしばたいた。同時、咎人は跳ねるように飛びあがり、鋭い爪先を振るって七重の首を目掛け、叫んだ。

「坊、最後までしゃんと気を張らねばなりんせんよ」
 立藤の声が耳を掠めた。
 七重はその声を耳にし、背筋を伸ばし、気を張り詰める。
 咎人の爪は七重の首を僅かに外れた。
 月がその全てを雲の陰に潜ませるのと同時に、濁流の中から数多の腕が伸び出でた。腕は咎人の身体を確りと掴み取ると、たちどころに濁流の底へと沈んでいった。


 穏やかなものへと変わった川の水の音が、薄闇の中に響き渡る。
 安穏とした風が七重の髪を揺らし、吹き渡る。
 何時もの風景に立ち戻った大路の上に、様子を見つつ、妖怪達が現れはじめた。

「坊、よう出来んしたね」
 その場に座りこんでしまった七重の頭を、立藤の手が優しく撫ぜた。
 七重は荒い呼吸を整えながら、立藤の顔を見上げ、幽かな笑みを浮かべて告げた。
「……あの、お願いが」
「なんなりと」
 見上げた立藤が浮かべていたその笑みは、酷く優しいものに見えて、七重は束の間躊躇する。が、意を決して息を飲みこみ、続きを述べた。
「……少し、休ませてもらってもいいでしょうか。……その、この四つ辻で」
 云いながら、僅かに視線を泳がせる。
 ……我が侭など、滅多に口にした試しがないのだ。
 だが立藤は意外にもあっさりと頷いて、七重の身体を抱き締めた。
「……わっちが、唄の一つでも唄ってあげんしょう」

 告げられたその言葉のやわらかさに、七重は安堵の息を吐き、ゆったりと睫毛を伏せた。
 立藤から聞える芳香が、七重の心を穏やかなものへと変えていく。
 
 薄闇の中、立藤の唄が流れ始めた。







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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2557 / 尾神・七重 / 男性 / 14歳 / 中学生】

NPC:立藤

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■         ライター通信          ■
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いつもお世話様です。この度はご発注、まことにありがとうございました!

立藤からすれば、七重さまは可愛い弟のような存在であるのかもしれません。
坊、と呼んでいるのは、決して七重さまを見下したものではなく、親しみをもったものであると受けていただけましたら幸いです。

四つ辻の空気が、七重さまの心を少しでも穏やかなものへと導いていけるならばと思いつつ、執筆させていただきました。
よろしければまた今後も四つ辻へとお出でくださいませ。

それでは、このノベルが少しでもお気に召していただければと願いつつ。