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回想書籍
「私の過去、ですか・・・?・・・見ても気持ちのいいものじゃないと思いますけど・・・。」
朱鷺が嬉しげに捕まえたのは、崎咲・里美。少し困ったような笑みを浮かべて、手にしたカメラを軽く握り返す。それをちらりと見た紅は、ため息をついて朱鷺の回収にかかった。
「これが勝手に言っていることだ、気にしないでくれ。誰にも見せたくない過去はある、聞き分けなさい、朱鷺。」
朱鷺に言い聞かせつつ、軽くお詫び言葉を挟んだ。それでも納得のいかない朱鷺は、未練がましく未だに里美の腕を放さない。里美はその流れるような茶色の髪を、軽く揺らして今度は明るく笑った。
「出来上がったその本をくれるか、もしくは大切に保存しておいてくれるなら、構いませんよ?」
朱鷺の顔がぱっと明るくなる。反面、里美の笑顔は少し曇る。
「ただ・・・さっきも言いましたけど、本当に見ても気持ちいいものじゃないですからね?その辺の事は保障しないんで」
最後の最後まで忠告を促す里美は、慎重にボールペンを握った。未だ空白の書物に、里美の名が刻まれる。これまで純白であったその本に薄っすらと色がつくのを境に、ゆったりと里美の意識を飲み込んで言った。
◆◆◆◆◆
気がつくと、何処かの劇場のよう。
里美は客席の一番良く見える位置にぽつりと座っていた。他に観客はいない。
今となっては珍しい明治を思わせる劇場の造りに、里美は思わずカメラを構える。レンズ越しに真紅の幕を見ると、それは不快なブザー音と共にゆったり昇っていた。
始まるのか、里美は悟って少し心構えするように深く息を吸った。
幕開け。
舞台には、暖かい家庭の代表とも言える温和な両親、鮮やかな家、春風の音。
印象的なカメラが、広い舞台の中央を陣取る。
今、客席で里美が握るカメラと同じだ。
ただ、あるはずの傷と血は、舞台上のカメラには無かった。
「里美、ほら写真を撮ろう。」
父は新品同様のカメラを構え、舞台上の幼い里美へ向ける。
歳は未だ六つといったところで、その紅葉のような手でピースを作って見せた。
母は隣で彼女の肩を取り、優しく微笑む。
そんなやり取りが、舞台では繰り返される。時には母がカメラを構えもしたし、セルフタイマーなんてものを使ったりもした。里美以外のものへカメラが向いたこともあった。生まれた写真へ両親が文章をつけたりもした。新聞記者であった両親の記事を紙面で見ることは、何より喜びだ。幼いながら、里美は両親を深く誇りに感じていた。
それ故か、自分でもそれを手にしてみたかった。両親のようにカメラを構えて、レンズ越しの世界を覗いてみたい。
気がつくと舞台には里美しかいなくなり、幼い彼女はこれを好機と踏んだ。決まった棚に丁寧に安置されるそれを、里美はこっそり手にした。
体中に電撃が走るような、激しい感動がその小さな身体に占める。
そうだな、いつか、いつか両親のようにこのカメラで真実を求める記者になりたい。
私も、なりたい。
父のように、母のように、カメラを構え、レンズの向こうを見ようと試みる。
『駄目・・・!!』
客席の里美が思わず叫びそうになったが、時既に遅し。幼い里美は、カメラを手に収めきれず、誤って滑り落としてしまった。嫌な音がし、両親の大切なそれは無残に地面を転がった。
背筋が凍るような、血が凍て付くような嫌な感じ。
慌ててそれを拾い上げ、抱きしめてみる。
カメラの側面にはしっかりと傷が入っていた。
幸い壊れてはいないようだが、心はざっくりやられた気がした。
大切な両親の大切なそれを、私が傷付けてしまいました。
絵本の朗読のように、劇場へ響いた。まるで心の叫びをあらわすかのように。
両親は、里美を酷く咎めたりなどはしなかった。逆にそれが痛くも感じ、哀しくて仕方が無い。とはいえ、傷が治るはずもなく、里美にできることはこの哀しみを忘れないことしかなかった。
大切な物を傷付けてしまった哀しみは忘れない。
深く、心に誓った。
舞台は突然暗転し、闇の中舞台上で物が動く気配がした。
第2幕にでも移行する気であろうか。
客席の里美は座りなおし、闇の中で手にあるカメラの傷をさすった。
照明がつくと、先ほどよりやや物が変わっていた。
数年の時の流れを感じる。
現に幼かった里美は十程に成長しており、ぼんやりと中央に立っていた。
血の臭いがする。
客席にも伝わる舞台の臨場感。
過去の記憶にぴたりとマッチするその情景は、何度見ても気分が悪い。
両親は殺されてしまった。
理由に正当も何もあったものではない。
ただ、真実を追究し、それを記事として大衆へ提供してきた両親が邪魔である存在があったらしい。犯人はわからない。真実は、わからなくなってしまった。
中央に立つ里見は、ぼんやりと、彼らを見つめる。
その手に彼らの血がついたカメラを手にしつつ。
物言わぬ彼らを、ただ眺めるしかなかった。
華やかな舞台に色は無く、賑やかな劇場は静寂を催した。
孤独という名に相応しい。
舞台には里美しかいない。
客席にも里美しか、いない。
これが「孤独」だ。
しかしながら、里美は両親と違って生きており、生き延びるには現実と戦うしか無い訳で。孤独と戦うしかないわけで。孤独とは哀しいもので。
挫けそうになったことが無いなどと言えば嘘になる。舞台を行く里美は、その行く手をあらゆるものに邪魔される。孤独も哀しみも、そのひとつ。泣きたくて、声を押し殺して、何故自分だけなんてことも思ったかしら?両親の死骸はいつまでたっても目に焼き付いて離れないし、夜は長いばかりであるし。
それでも、ある日。
小さな手の中の存在に気づいた。
両親のカメラ。
そうだ、このカメラだけはどんな時も一緒であった。
両親との暖かな日々も、絶望の日も、孤独の日々も・・・。
このカメラは、里美の人生の真実を見てきた。思い出を見てきた。
このカメラは知っている。
里美の幼い頃からの夢。
真実を追究する、両親のような新聞記者。
自分の真実を見つけてやろう。
必ず、必ず犯人を捕まえてやろう。
深く、心に誓った。
深く、カメラに誓った。
また暗転だ。
突然照明が落とされ、闇の中で舞台の上に賑わいが静かに起こる。
第3幕、フィナーレへの移行と見えて舞台移動も慌しい。
照明が付いた。
今まで見ていた舞台は消えうせ、目の前一面のシートが広がっていた。
眩しいまでの光が自分に注がれ、はっとした。
自分は舞台の上にいる。
今まで客席にいたはずの里美は、いつのまにか舞台へと移動しており、中央でカメラを手に佇んでいた。
舞台の上には何も無い。
どちらにいくも自分次第ということなのだろうか。
困惑しつつも、こういうときのポジティブ思考!
手にしたカメラを構えて客席を覗く。
孤独も哀しみもすべて携え、それでも前を向くことで真実は手に入ると思う。それ程のリスクを負って得るから、真実に重みがでる。これまでの人生を使って得た性格、思考力、無駄にする手立ては無い。
これからの時間をどう過ごすかは自分次第だ。
今、改めて自分の過去を見直したことで、新たな一歩が踏み込めそうだ。
前へ進もうとする爽やかな気分に、ふっと笑みを零す。
軽く前を見据えると二人分の拍手が聞こえた。
今まで自分が座っていた客席に、仲の良い夫婦が。
それは、里美のよく見知った、里美の大切な・・・
「お父さん、お母さん!?」
声をかけたが、幕が再びゆったりとおりてくる。
両親の姿どころか、暗転の時よりも更に闇と化した。
幕
◆◆◆◆◆
気がつくと、埃っぽい元の書店。
唯一綺麗にされているソファの上に、里美は横たえられていた。
「大丈夫?」
里美の気がついたことを認めると、朱鷺はハンカチを持ち出して彼女へ差し出した。
里美の瞳には、小さな涙が光っていた。
「見て、さっきまで何もない本だったのに、こんなに素敵な本になったわ。」
涙を拭う里美の隣で、朱鷺は優しく微笑み言った。手にした本は、柔らかいパステルの色をした本だった。タイトル部分には、金の糸で里美の名前が筆記体で刺繍してある。
「未来の希望が詰まった本だから、こんな綺麗な色になったのね。」
朱鷺はにこりと微笑んで、本を里美に見せた。里美も涙の無い笑顔を見せる。
「この本はここに大切に保存しておくわ。あなたの原点、あなたの人生。読みたくなった時は、いつでもここに来て。過去はいつもあなたの力になる、変わらずにここにあるから、ね。」
本の上から里美の手を取り、言った。
「はい。」
里美は明るく返事を返した。
夕日は天窓からオレンジの光を差し入れ、二人の影を長くその本棚に掛けた。
パステルの本は、その後新聞を扱う本棚に並べられ、寒い本棚に温もりを与えている。
そうそう、紅のカウンターの上にもパステルな物が加えられました。
里美が撮った、紅と朱鷺の初めての夫婦水入らず写真。
パステルな写真たてに入れられて、今日も書店を明るくしているのです。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
PC
【2836/崎咲・里美 (さきざき・さとみ)/女/19歳/敏腕新聞記者】
NPC
【安倍 紅(あべ くれない)/男/23歳/星屑書店店長・小説案内人】
【安倍朱鷺(あべ とき)/女/22歳/星屑書店・店員&主婦】
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■ ライター通信 ■
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初めまして、今日和。ライターの峰村慎一郎です。
納品が遅くなってしまって申し訳ありません・・・;;
里美サンの過去をば色々と想像しつつ
幸せな家庭を想像しては泣きそうになってましたっ
頑張ってる彼女は素敵だと思います!
彼女の大切な過去を書く機会を私なんぞに与えて下さり有難う御座いました。
それではまたお会いできる日を祈りつつ・・・
本当に有難う御座いました。
峰村慎一郎
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