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■流星がみえる■
「もうすぐ、流星群が見える日が近づいてきてますね!」
「そうだな」
うきうきしたような妹の言葉に、愛しさを隠せず微笑みながら、草間武彦が「そういやあ、去年なんかは流星群が見られる日なのに、仕事で逃しちまったんだっけ」と改めて思い返しながら、「近づく流星群」という新聞の見出しを見下ろしていた、夜のことだ。
「あのう」
いきなり第三者の声がして、零が悲鳴を上げた。武彦はさすがに悲鳴を上げはしないが、身構えてしまう。
「だ、誰だ!」
「すみません、幽霊なんで勝手に入ってきちゃいました」
「ゆ……!?」
自分の背中に隠れる零を護るように両手を広げつつ、武彦は眉をひそめて興信所内を見渡す。
狭かったから、すぐに「彼」は見つかった。
いつの間にか───ソファの横に、遠慮がちに立っている。
見たところ、しがない30台のサラリーマンといったスーツ姿の男だった。美青年というわけではないが、人の好さがにじみ出るような好印象を与えてきた。
「ええと、あんた今、自分のことを幽霊って? まさか依頼しに来たんじゃないだろうな」
恐る恐る尋ねる、武彦。
「実はそうなんです」
お困りになるとは思ったんですがここしか思い当たらなくて、と、生前からこの興信所の噂は聞いていたから、と言う幽霊男。
よく見ればその姿は半分ほど、透けている。
「面倒だから、早めに事情を言ってくれ」
そして出来るならば、とっとと出て行ってくれ。
その言葉は出さずに、武彦。
あと少し日がたてば、零と楽しみにしていた流星群が見られるのだ。その楽しみを少しでも殺がれたくはない。
事情が許すならば、厄介払いでもしてしまおう、とこのとき武彦は考えていたほどだ。
「用件は、簡単というか、あんまり説明に時間はとらないのですけど───実は、ぼくの後を追って、妻が自殺してしまって……そのせいで、地獄にいってしまいまして、どうにかして妻を地獄から、ぼくのいた天国に住処をうつしてほしいんです」
「あー、お断り。悪いな、そういうことは霊媒師に頼む」
「どこの霊媒師さんも、聞いてくれるどころか、ぼくの姿を見ただけでコワがって逃げちゃうんですよ」
この辺の霊媒師さんしか当たれませんし、と、幽霊にも行動範囲があるのだろう、一度天国にいった身でもあるから、と彼は言う。
「ったく、ここらの霊媒師はインチキが多いからな」
一応、名前を聞いておく。
矢川純生(やがわ・すみお)と名乗った彼は、真剣な瞳で続ける。零もその内容に、いつの間にか武彦の背中から出て、身を乗り出して聞いている。
やばい。
これはやばい雰囲気だぞ。
「特別クリスチャンではなかったので自殺しても地獄に行くはずはない、と天国の主は仰るのですが、ぼく達、結婚する時に誓いを立ててるんです、個人的に、自分達ふたりだけの約束、誓いとして」
それは、「何があっても自ら命を断たないこと」。
遺したほうも、遺されたほうもつらいし、神様は信じていなくとも、彼らは来世というものは信じた、愛し愛されるがゆえに。
だからこそ、来世でも一緒になれるという、自殺さえしなければ来世でも一緒になれるという伝説を信じ、その誓いを立てた。
「本当に愛し合っている夫婦のたてた誓いというのは、何よりも強いらしいんです。だから彼女は、亜夢(あむ)は───地獄におとされたんです。地獄というものは、ぼくは一度自分で助けに行こうとしましたが───ものすごい闇の力が働いていて、空間に入るだけでも身体中が痛いんです。ぼくは天国の住人だから、尚更だったと思うんですが……彼女はぼくのことすら忘れて、氷の家で、氷の食べ物を食べて、氷の飲み物を飲んで、暮らしているんです。そんな彼女が、ぼくには耐えられなくて……」
どうにか、笑顔に戻ってほしくて。
そして、「死の世界の掟」にある意味縛られない、「生の世界」での草間興信所のことを思い出したのだ、という。
「分かりました!」
とん、と零が自分の胸を叩く。
あ───やっぱり。
武彦は、そんな表情をして、思わず片手で顔を覆った。
「わたしが責任をもって、協力者さんを募って、努力してみます!」
「ありがとうございます!」
零は、こういう依頼に───弱い。ついこの前も、こんな感じの依頼で零が引き受けたことを、武彦はまだ新鮮に思い出せる。
「それで、わたし達を霊界とでもいうんでしょうか、そちらに送り込める方法はあるんですか?」
零の問いに、純生は頷く。
「ぼくはどうやら善行をしてきたらしいから、天国の住人の中でもそれなりの力はあるんです。地獄においては、殆ど功を奏しませんでしたけれど……ええと、こんな感じで手をかざすと、今は人が集まっていないからしませんが、空間を霊界と繋げて、うまく彼女のいる場所の近くに送り込むことができるはずです」
「分かったけどなあ、あんまり期待はしないでくれよ?」
分かっています、と武彦の言葉に純生は哀愁を感じさせる微笑みを見せた。
流星群が見られる明後日の夜までには片付けたいぞ、畜生。いや、意地でも片付けてやる。
そんな思いを込めて、武彦は仲間達に連絡を取るために、動き始めた。
■蜘蛛糸を編む女■
「この唐変木が! たいがいにしやがれ!」
突然のように鼓膜を殴りつけてきた声に、人よりも耳のよいシュライン・エマは台所で、思わず作っていた鍋焼きうどんの鍋をひっくり返しそうになった。
「なんなの? 一体なんの騒ぎ?」
同じく、台所で彼女の手伝いをしていた由良・皐月(ゆら・さつき)が、眉をしかめ、声のしてきたほう───ソファのある、純生が立っているほうを振り返る。
「言いたいことがあるって言って人払いしたけど、加藤さん……だっけ。第一印象は穏やかだったのに、本当は熱い人だったんだね」
武彦が、現実逃避のために新聞にのめりこむようにしていた傍らから、自分も興味深そうな記事を見つけては読んでいた菊坂・静(きっさか・しずか)が、怒鳴り声に湯飲みをひっくり返したらしい武彦に頼まれたらしく、その湯飲みを差し出してきながら、「それで人払いだったんだ」と内心納得する。
「あの者の言いたいことも分かる。大方、草間や純生に話を聞いている時には私達の手前、我慢をしていたのであろう」
ひとりゆったりと台所の壁に背をくっつけていた空狐・焔樹(くうこ・えんじゅ)が、「鍋が噴きそうだぞ」と冷静に注意を付け足す。
実際、いつもは表面穏やかな加藤・忍(かとう・しのぶ)がここまで声を荒げるのは、珍しい。彼は驚いて目を見開く純生に、胸倉を掴み上げたくなる衝動を堪えていた。
「僕は天国行きました。彼女は約束破って地獄行きました、だ? ふざけるな! 彼女は遠い来世で会うよりも、すぐにでもあんたのそばに行きたかったんだ。地獄がどうだか知らねえが、彼女があんたを忘れ氷の家に住み、氷の物を飲み食いするなら、お前も一緒に苦しみやがれ、彼女のため、自分のため、そのそばに」
地獄に妻を迎えに行った詩人は、地獄の番犬も、王も恐れなかった。そう忍が言ったところで、つと、焔樹が壁から離れ、二人のほうへ歩み寄った。
「加藤の言うことも正しいかもしれぬの」
はらはらする台所組、そして草間を見やり、純生を見据えてわざとのようにくちもとに笑みを浮かべる。
「自刃とは愚かな事よの。天命に背き自ら命を絶った者には宗派の違いはあれど煉獄に落とされるは必至。氷の世界……最下層一歩手前の永久凍土か……難儀なことよ。そこから連れ帰り天へ送れというのか。
───そうして考えると、なんと都合のいい女子と言わざるを得ぬが……?」
「そんな……それは違います! 都合のいいことを頼んでいるのは、この僕です! 加藤さんに言われたことは、全部的を射ています。僕も亜夢と一緒に苦しむ覚悟で皆さんと一緒に行きます!」
本当に愛し合っている者は、自分よりも愛する相手を悪く言われるほうがつらい。
純生もまた、例外ではなかった。
焔樹は、ふ、と微笑み、
「……だ、そうじゃ。この男も自ら望んで天国に行ったわけでもあるまいから、この辺で怒りをおさめては」
と、忍を見た。
やられた、という顔をしていた彼は、ふうっと目を閉じて息を吐き、少しだけ、人のいる前で怒鳴り声を上げてしまった自分を心の中でいましめた。
「……そうですね、すみません。こんな夜中に声を荒げてしまい、申し訳ありませんでした」
台所組にも、草間やその傍らに立つ零も含めて、忍は頭を下げる。だがこれで、純生にも相当の覚悟がある、ということは分かった。
(彼女を自分で再び取り戻す、そばで一緒に苦しみを分かち合うというなら協力しましょう)
その思いをこめてもう一度、純生を見る。純生のほうも分かったように、うなずいた。
「いいかしら?」
ソファの前のテーブルに、出来立ての鍋焼きうどんを置いて、シュラインは二人を交互に見比べている。
「さっきお尋ねした、お二人でよく口にした飲食物や愛用品、唄、口癖───それらを確認して作ったものが、この鍋焼きうどんだけども、味見は出来ないでしょうから、香りで判断していただけないかしら。よく鍋焼きうどんを、寒くなってくるとあちこちのお店で食べたり、亜夢さんの手作りのものを食べたそうだから、純生さんの満足のいくものであれば大丈夫だと思うの」
「あ───これは、いい香りですね! きっと亜夢も喜びます」
ぱっと顔を輝かせて、純生は微笑んだ。
「愛用品は結婚指輪が一番っていう話だったけれど。流石に、遺品は一緒に焼かれちゃったか骨壷に入れられちゃっただろうし、無理かなあ。他に約束してたこととかってないの?」
今日はシュラインのかわりにお茶を人数分淹れた皐月が、依頼内容を聞いたときに内心、
(本当に愛し合っているから耐えられなくて自殺して、それで地獄なんて神様も融通効かないわね)
と思ったことは、未だ口にしていない。いや、声を大にして言いたかったのは確かなのだが、それを言うことでもしや純生に何か天罰でも下ったら大変だと彼女なりに思ったからだった。
「約束していたこと……ですか。老人になるまで傍をはなれないでいようね、とか。クリスマスには家でゆっくり過ごそうね、とか……」
そんな小さな約束なら、たくさんあるのだ。純生が挙げ連ねていると、「約束かぁ」と、今までげんなりと新聞を読むともなしに広げていた武彦が、「流星群、零と約束してんだよなぁ」と、ぽつりとぼやいた。
はっとしたように、純生が彼を見る。
「あっ、そういえば、亜夢が一度、流星群を一度も見たことがないって言っていたことがあって、じゃあ今度流星群が見える日が来たら絶対に二人で見ようねって約束したことがありました!」
「それ、使えないかな?」
すかさず、静が窺う。
「使えると思うわ」
うなずく、シュライン。
「段取りとしては───全員で地獄に行き、亜夢さんに出来れば純生さんの記憶を取り戻していただき、流星群を純生さんと見せる───シュラインさんが言っていた通りに、亜夢さんに『自分を許せないから地獄にいる、ということもあるかもしれない』心があるならば、これで天に運ぶことも可能かもしれませんね」
ありがたくお茶をいただきながら、改めてソファに腰かけ、忍がまとめる。実際、事情を聞いてから少しの話し合いは、していたので出来た段取りである。
「問題はまだあると思う。凍土が女を拘束している、ということじゃ」
焔樹が、純生を見つめる。
「お主の愛する女がシュラインの言うとおりであっても、それ以外に凍土に拘束されていることも確かであろう。で、あれば私の焔で一時的にその縛を解き、力ずくで引っ張り出そう。シュライン、加藤、由良、菊坂には連れ行くのをお願いしたい。私は獄卒共を足止めしよう。だが地獄へ堕ちた者を何の代償もなしに上へ送ることなど叶わぬ。ただ可能性があるとすれば、お主が身代わりとなって堕ちるかだ。主の御心に添う為には自己犠牲が必要であろうよ」
魂の半分が死神である静は、特に異論は唱えない。彼は最初の時点で、全員を案内する必要があるならばその役をすることが決まっていた。
「自己犠牲って、どこまでも融通が効かないのねえ、神様とか主とか」
つい口にしてしまう、皐月である。
その言葉に「確かに」と頷いてしまいそうだった自分を可笑しく思い、くちもとに笑みを佩きながら焔樹は続ける。
「それで巧くいけばどちらも上へ行くことが出来る。しかし、失敗すればおぬしが地下へ女が上へ行くだけだ。常世と現世の境まで女を連れてくる事はできるが……そこから先はおぬしの覚悟次第だ。
……と私は思うが、案外私達のやりようによっては、主達の出方も変わってくるやもしれぬしの」
心持ち前に傾けていた身体を、彼女は戻す。
「亜夢のためなら」
純生は、真剣な面持ちで「自己犠牲」を受諾した。
「準備は万端だよな?」
念を押して、ようやく武彦は新聞を置いて立ち上がる。
「早く亜夢さんとやらを天に住まわせてやって、戻ってこよう。零と約束してるんだ」
こきこきと首を鳴らす武彦だったが、「地獄への境目の入り口」を開けようとしていた純生が、
「あ、すみません。この穴で移動できるの、僕を入れて一度に6人が限界なんです」
と言う。
「それなら二度目に」
「仮に僕だけ残って二度目に移動、ということにしても、一度使ったら次に使えるまでに何時間かかかりますし」
「シュ───仲間達だけをそんな物騒なところに行かせられるか!」
一瞬、「シュラインだけを」と言いかけたのを呑み込んだ武彦に、からかいや恨めしげな視線が集まる。
「いいわ。心配しなくて大丈夫よ。子供じゃないんだし、武彦さんは安心して待っていて」
わたわたする武彦に、苦笑するシュラインである。
「皆さん、お気をつけて行ってきて下さい。無事に帰ってきてください。わたしも行けたらよかったのに───」
武彦に、「お前は絶対に行くな、俺が行く」と頑としてとめられた零は、心底申し訳ないといった顔だ。
「大丈夫よ」
「安心していてください」
「まあ、任せときなさいって」
「心配は無用じゃ」
「ありがとう、待っててね」
シュライン、忍、皐月、焔樹、静にそう言われ、零はこくんと涙目でうなずく。
「では、」
さっと純生の手が動き、ごうごうと真っ暗な空間の穴が、開いた。
「行きましょう!」
◇
からり、からり、からり………
小さな傷跡でいっぱいの細い指が、糸を編んでゆく。
編んださきから紡がれてゆくのは、高い高い天井に、自分の住処が早くできはしないかと待ち受けている、黒い蜘蛛たちのもと。
<わたし なにを・しているの・かしら>
うつろな瞳で、うつろにおもう。
だが、そんな気持ちもすぐに───閉ざされてしまう。
<さむ・い>
手を、止めることは出来ない。
手を止めたら、すぐに真上の蜘蛛たちに刺されてしまう。
からり、からり………
糸を編む音は、
やまない。
◇
「こんな、」
純生は、亜夢の氷の家の窓の外から中を覗き込んで、呆然とした。
「亜夢は前にぼくが来たとき、こんなことはしていなかった」
ここに来るまで自分が「闇」にあたって苦しんでいたことも、今は頭にないようだ。
「ふむ」
焔樹は、辺りに視線を走らせる。獄卒たちはいるが、特に自分達に注意を払ってはいない。存外簡単に、ここに来ることが出来たのも、「こいつらに何も出来るものか」と思っているからなのだろう。
「この前、ひとりで純生さんが亜夢さんを連れにきたっていう話だったよね」
静が、考える。
「その咎が、亜夢さんにもいってしまった───とかは、考えられないかな?」
「そんな馬鹿なことってあるわけ!?」
腹立たしさを露にする皐月に、
「案外、そうかもしれないわ」
と、やり切れぬため息で応じたのは、シュラインである。
「一応、開きましたよ。一度全員で、行きましょうか?」
義賊というだけのことはある。亜夢の氷の家をカチャリと開いた忍が尋ねてくる。
皐月も鍵開け能力はあったのだが、ここは本職に譲った。
「私は万が一に備え、ここで見張っておこう」
と言う焔樹を残し、全員が中に入る。
───氷の家、というだけあって、べらぼうに寒い。
「……純生さん、あなた一度、境目にでも戻っていたほうがいいわ」
彼の異変に気づいたのは、彼の心音が異様に早くなったことに気づいた、耳の良いシュラインだった。
「い、え、大丈夫です」
「そうは言っても、手なんてもう爛れてきているわ」
「大丈夫です」
シュラインと純生のやり取りに気づいた静が、やわらかく微笑む。
「いざって時には、純生さんにちからを貸してもらいに呼ぶから」
「だいじょ───」
トン、
軽い音がして、純生が前に倒れこんだ。凍った床に頭を打ち付ける前に、手刀を首に打ち込んだ張本人である忍が抱きかかえる。
「地獄───『死の世界』に来たから、私達でも純生さんに触れる身体になってるってわけか」
感心したように、皐月。
「すみません、焔樹さん。純生さんを境目まで連れて行ってくれませんか」
忍に頼まれた焔樹は、ほう、と意味深な視線を投げかけてきた。忍は、苦笑する。
「意地悪なお人ですね」
「悪く思うな、性分じゃ」
くすっとひとつ笑い、焔樹は純生を受け取って、とん、とつま先で地を蹴った。
見届けて、再度、忍は氷の家に入る。
からり、からりと。
亜夢は、自分の家に入ってきた4人の人間にも気づかぬ模様。
かわりとばかりに気づいたのは、───
ぽとり、
ちいさな乾いた音に、何気なく4人が自分の肩の辺りを見た瞬間、
悲鳴を上げることも、払いのける隙も与えず。
黒い蜘蛛のみせる夢の中に、いた。
■毒夢の中で■
からり、からり、からり………
その音で、シュラインは我に返る。
はっとして肩を見る───おちてきていたはずの、「番人」であった黒い蜘蛛たちは、いなくなっていた。
「ここは───」
かわりに。
周囲の風景が、一変していた。
そこは、小さな小さな、一軒家。
新しいはずの幸せに満ちた中で選ばれたはずの家具は、けれど、無残に床に放り出され、陶器類は割られていた。
まるで、泥棒にでも入られたかのように。
羽根布団の中身はすべて引っ張り出され、時折ふわふわと羽根が宙に舞うのは、
───その布団の中で、熱に浮かされたような瞳の亜夢が、意味もなく、鞠を放るように羽根を取っては投げ、取っては投げしているからだった。
これは、夢の中なのだろうか。亜夢の見ている、死しても見ている、死ぬ前の記憶だろうか。
見れば大事そうに、羽根を放る右手とは逆の左手に、結婚式の写真が握られている。
───来訪の軌跡も、ない。
恐らくは、心の病になってしまった彼女を、彼女の友人達は敬遠したのだろう。
(止める人が、本当にいなかったのね……気の毒に)
心底、シュラインは胸を痛めた。
長い間病気、というものであれば、身内の不幸はある程度覚悟はできると思う。だが、ぽん、と大切な人が亡くなると心の病気にかかり突発的に自分でもわからないことをしてしまうものだと、色々話を耳にもしている。
彼女もそうなのでは、と思っていたが───ここまでとは。
自分だって、武彦や零が、と想像しようとするだけで胸が痛い。実際「そうなって」しまったら、その比ではないだろう、とも思う。
知らず、シュラインは足を前に進めていた。
「こんにちは。亜夢さん」
亜夢の手は、止まらない。シュラインが目の前にいることにも、気づいていないようだ。
シュラインは構わず、持っていたままの、包みをひらく。あったまったままの鍋焼きうどんのいい香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。
つと、亜夢の手が初めて、止まった。
「ひとくち、食べませんか? おなか、すいているでしょう」
痩せこけた、亜夢の頬。手。首。寝ても、いないのだろう。目の下には、くっきりと痛々しいまでのくまが出来ている。
「、……」
なにか、いった。
聞き取れはしなかったけれども、喋ってくれたこと自体が嬉しく、シュラインはただ、うなずいた。
「一緒に、食べましょ?」
やさしく言い、包みの中に入れてきた箸をとり、うどんを具と共にしっかりそれで掴み、亜夢のくちもとへ持っていく。
「わたしの、せいで。純生さん」
今度は、はっきりと聞こえた。ぽろぽろと、涙が痩せこけた頬を伝い落ちる。シュラインはかぶりを振った。
「違うのよ。あなたは淋しくて、心の病なだけ。自分を許せないなら、それでも構わない。構わないから、大切な人の哀しみを和らげることや、安らぎを与えることを第一に考えてみない?」
「わたし、が……そんなこと、できる……?」
「もちろん」
シュラインは、箸を進める。亜夢は、小さく口を開いた。
かち、
「!」
亜夢の口に触れた瞬間、シュラインの持っていた箸ごと、料理は凍り付いた。
景色が再び、急変していく。
「いとを あまなくちゃ」
そうか、今までのことは、
亜夢の、ゆめ。
氷のこの家で、亜夢が見る、悪夢───。
■流星がみえる■
獄卒たちがこちらを気にし始めた───
その焔樹の言葉を聴いたとたん、毒夢から目覚めた4人は急いでそれぞれ動き始めた。
急いではいいけれども、せいてはならない。
それは、誰もが分かっていた。
シュラインは、何度やっても氷と化してしまう鍋焼きうどんを亜夢の膝の上におき、暖炉を探し、それらしきところに、隣に置いてあった氷柱のさがった薪をくべはじめる。
忍は亜夢の、閉ざされた心を、読心術でなんとか見出せないかと彼女の前に座りこみ。
皐月は、亜夢の手から、糸と編み機をはがそうと必死になり。
静は純生のことを思い出させようと、純生から聞いていた思い出を言って聞かせたり。
「この薪、くべてもいっそう寒くなるだけだわ。
心と記憶も一見凍えたようにみえても、芯まで冷えてはいないと思うのに───」
もう一歩のところで、「どうにもできない」。
「抱きかかえてでも連れてってやる」
皐月が亜夢の身体をどうにかしてかつごうとするが、亜夢のほうがいやがる。
「純生さんのこと、思い出してさえくれれば、純生さんだけのちからで連れ出せる、とも思うんだけど……」
静が、そんなため息にも似たつぶやきを漏らした、ときである。
「亜夢」
かたり、と焔樹の制止を振り切り、駆け込んできた───服もあちらこちらがちぎれ、そこからのぞいた皮膚は闇のちからで焼け爛れた、純生が。
「あ、───」
そこで、ひゅう、と純生の喉から声がうしなわれた。
「愚か者が。あれほどあの場所から動くなと言い置いたのに」
焔樹が連れ出そうとするが、純生はちからづよく振り払う。───人間とは、これほどに強い生き物だったか? 焔樹は少しだけ、目を瞠った。
「加藤さん」
シュラインが、純生をじっと見つめながら、仲間を呼ぶ。
「読心術、出来るのよね? 私に純生さんの、亜夢さんへの気持ちを教えてちょうだい」
「分かりました」
返答は、早く、短かった。
彼にはシュラインのやろうとしていることの全てが分かっていたわけではなかったが、時間がないことは熟知の上。
少しでも、可能性があるのならば。
しかし、純生はかたまってしまったように動かない。
足が、踏み出そうとしたまま震えているだけだ。
「動きも封じられたの?」
ちょっと管理人に一言言いたいんだけど、と、皐月は焔樹が止めなければ外に出ていたところだった。
「……そうだ……」
静が、つぶやくように全員をひとりひとり、見つめた。
「僕の体を純生さんに貸して、それで亜夢さんに触れたらどうかな? 確かに無茶な事だし僕も純生さんも苦しいと思うけど、試してみる価値はあると思うよ?」
「人のぬくもりが助けになるなら、純生さんのぬくもりが一番、かもね」
皐月が真っ先に同意する。
「獄卒たちの動き───私達が亜夢殿を連れてここを出られる時間を考えると、あと5分といったところか───」
焔樹が、慎重に獄卒たちとの距離をはかる。
「ぃ、……」
純生が何か、静に向けて訴えてくる。忍が、「読んだ」。
「『いいのですか?』と聞いています」
「もちろんです、早く。時間がないよ、純生さん」
「純生さんの『からだ』も、いつまでもつか分からないわ、急ぎましょう」
シュラインの言葉を、最後に。
引き金は、引かれた。
純生のからだが、くたりと崩れ落ち───うっすらとした透明の光が、静のからだの中に入り込んだ。
だが、それでも。
声は、戻らなく。
静の中に入った純生は、亜夢の元へすがるように駆け寄って───その、傷だらけの手を、つかんだ。優しく、優しく。
「『亜夢、ぼくだよ。純生だ。ぼくが分からないのかい? まだ、記憶は戻らないのかい?』───」
シュラインの口は、まだ動かない。じっと、「キィ・ワード」を待っている。
<純生さん、落ち着いて。大丈夫、間に合うよ>
からだを貸した静の思念が、伝わったのか。
純生は、そっと亜夢の手をにぎりなおし。
そのまま、だきしめた。
「『亜夢。きみに、あいたい』」
忍のその言葉をきいたとたん、シュラインは亜夢の耳元にくちもとをよせ、純生の声で。
言った。
───亜夢。きみに、
───あいたい───
ぽとり、
亜夢の手から、糸を編んでいた機械がおちる。
「すみ お さん」
たどたどしく、歯の根のあわない、寒さで紫色になったそのくちびるで、愛する者の、会いたかった者の名を、つぶやいた。
「限界じゃ。ゆくぞ」
焔樹がそう号をかけるのと、静のからだが限界になるのとは、奇しくも同時だった。
弾かれたように静のからだは崩れ、純生もまた、倒れた自分の身体に戻る。
「行くわよ! 焔樹さん、お願い!」
シュラインは、静を抱き上げ。
皐月は、亜夢の手をとって導き。
忍は、純生をかつぎ。
焔樹がしんがりになり、崩れ落ちてゆく亜夢の住処だった氷の家をあとに、追ってくる獄卒たちに少しだけ力を使い、追い払った。
◇
境目につくまで、来たときの何倍も長く感じられた。
いつの間にか境目をすぎ、地上まできてしまっていたようで───そこはどこかの美しい湖畔で、星空が真上にあった。
「だいぶ傷を負ったようだが───これだけの犠牲を払ったのであれば、地獄にとっては取るに足らない黒い蜘蛛(番人)の住処を編むたったひとりの女。そうしつこくは、追ってくるまい。恐らくは、天の主に受け入れられるならば……共に天へとゆくことができるであろう」
純生の傷のぐあいをみていた焔樹が、そう言って姿勢を戻す。
「あれ」
シュラインの肩に寄りかからせてもらっていた静が、仰向いていたので、自然、「それ」に気がついた。
「ねえ───もしかして、地獄にいる間。地上で、もっと長い時間経っていたり、するのかな」
「どうして?」
不思議そうに尋ねる、皐月。
そして静の視線の先を見やった忍が、ああ、とくちもとに笑みを佩いた。
「なるほど。確かに、時間が経ったようですね。ほら、」
あれを見てください───。
忍の指差した先を、残りの全員が、追う。
そこには。
ひとつ、ふたつ。
みっつ、よっつ、いつつと。
流星が、流れ始めていた。
「すみおさん、流星───流星がみえる」
ようやっと、その瞳に色をきざした亜夢が。
そう言って、ただただ、涙を流していた。
◇
どれくらい、時間が経っただろうか。
唐突に、シュラインの携帯が鳴り、出てみると武彦だった。
どれくらい時間が経ったと思ってるんだ、どれだけ心配したと思ってるんだ───そんな武彦の言葉が泣き声まじりな気がして、シュラインは愛しく思いつつ、うけこたえる。
「うん、───ごめんなさい。あのね、今、湖畔にいるの。みんなで。そう。ねえ、流星をみてるの。武彦さんも、こない?」
どうやら東京とはだいぶ離れた場所だったようで、空を飛んで焔樹が迎えに行き、武彦と零とを連れてきた。無論、草間兄妹は車で、空飛ぶ焔樹を目印に急いでやってきたのだが。
「わあ、本当。みんなが心配で、全然気づかなかったけれど、本当にきれいな流星ですね!」
零が、目をきらきらさせながら笑う。
「ああ───無事で、よかった」
全員の無事な姿を見て、ようやく一息ついた苦労性の武彦は、そう言ってシュラインの隣に腰を下ろし、天を見上げた。
「ん」
夜目のきく忍の、その不審そうな声が、静かだった空間に響き渡る。
「どうしたの」
皐月の問いに、「いや、何か───星のひとつが大きくなってきたような気がしまして」と、指差す。
「え?」
「まさか、隕石ではあるまいの」
「焔樹さん、それ面白すぎるよ」
シュラインに焔樹、静がそれぞれ言いながら、「それ」を見る。
忍でなくとも、「それ」は見えていた───或いは、純生にかかわった人間、のみにかもしれない。
ぐんぐん近づいてきているように見えた星は、ひとつの光だった。
わっと純生と亜夢とを、ひとくくりにして、近づいてきた速度はウソだったかのように、やんわりと包み込む。
みるみるうちに、純生と亜夢の傷が、消えてゆく。
「あ───これは」
純生に、声が戻った。
これは、ぼくが天に召されたときと同じ光です───
亜夢は、天を住処とし、来世まで純生と住まうことをゆるされたのだ。
「ありがとう───」
純生と亜夢が声をそろえて、そう言った。
そして、手を振ったり声をかけたりしている間に。
光は、すうっと高度をあげ、二人は天へと昇って行った。
◇
こんこん、とノックの音がしたときには、武彦は病室に入ってきていた。
「見舞いにきたぞー」
「静さん、おはよう。傷の具合はどう?」
「ふむ、都内の病院にしては落ち着いた、いいところじゃの」
「おふくろの味、五品! 持って来たからね、栄養つけてさっさと退院するのよ?」
「星の形をしたクッキー、だそうです。近くのケーキ屋で売っていたもので」
間延びしたように言う武彦に、あたたかい飲み物の入ったポットを持ったシュライン、焔樹、包みを持った皐月と忍が次々に入ってきた。
ここが個室でよかったと思いつつ、笑ってしまう、静である。
「もう、傷のあともほとんどのこってないよ。でもありがとう」
そしてそこからは歓談になり、流星の話になり。
「来年は流星群の日、皆で集まらない? お酒が好きな人は星見酒、なんていいかもしれないわよ?」
シュラインが、そんなことを言う。
たちまち賛成の声が上がり、改めてひとりひとり、
あの日、天へと召されていった一組の愛し愛する夫婦のことを、おもうのだった。
《完》
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ (しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
5745/加藤・忍 (かとう・しのぶ)/男性/25歳/泥棒
5696/由良・皐月 (ゆら・さつき)/女性/24歳/家事手伝
3484/空狐・焔樹 (くうこ・えんじゅ)/女性/999歳/空狐
5566/菊坂・静 (きっさか・しずか)/男性/15歳/高校生/「気狂い屋」
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、東圭真喜愛(とうこ まきと)です。
今回、ライターとしてこの物語を書かせていただきました。また、ゆっくりと自分のペースで(皆様に御迷惑のかからない程度に)活動をしていこうと思いますので、長い目で見てやってくださると嬉しいです。また、仕事状況や近況等たまにBBS等に書いたりしていますので、OMC用のHPがこちらからリンクされてもいますので、お暇がありましたら一度覗いてやってくださいねv大したものがあるわけでもないのですが;(笑)
さて今回ですが、以前、毎年のように流星群が肉眼で見える日をチェックしていたことを思い出し、こんなものを書いてみました。OPによって皆さんの反応や行動が違うので、内心とても興味深く書かせて頂きました。
また、今回は「■毒夢の中で■」が個別となっております。全員分見なくては物語が分からない、というわけではありませんが、お暇なときにでも是非、他の方の個別部分もご覧いただければ、と思いますv
■シュライン・エマ様:いつもご参加、有り難うございますv 自分を許せない部分、というところに着目してきてくださって、嬉しかったです。鍋焼きうどんがーっと内心もったいなく思っておりましたが、次がありましたなら、是非料理の腕をまた奮ってください。純生の声で「会いたい」と言ってくださるとのことで、ノベルにも幅が広がり、感謝しております。
■加藤・忍様:初のご参加、有り難うございますv 最初から情熱的なプレイングでしたので正直驚きつつ、こういう意見を述べてくださる方もいるんだな、と嬉しく書かせて頂きました。また、色々と能力も使わせて頂きましたが、読心術を重宝させて頂きまして、本当にノベルにふくらみが出て、感謝しております。ほか、口調や言動など、ここはこう、ということなどありましたら遠慮なく仰ってくださいね。今後の参考に致します。
■由良・皐月様:続けてのご参加、有り難うございますv 今回、皐月さんにしてはとても優しい口調だな、きっと根は優しいPCさんなんだな、と分かるようなプレイングでしたので、ノベル内でもそれを反映するようにしてみましたが───実際、如何でしたでしょうか。やはり最後は「おふくろの味」でしめさせて頂きましたが、はきはきと前向きに明るく進む、けれど険のない部分も垣間見えた、新しい皐月さんを発見した気が致します。
■空狐・焔樹様:初のご参加、有り難うございますv 第三者を呼ぶところ等、気分的に「殿」とか使わせて頂いてしまいましたが、ここはこうだよ、というところなどありましたら他の部分でも遠慮なく仰ってくださいね。今後の参考に致します。それにしても氷の家、と書いただけで永久凍土、ときたのには「ああ、お詳しいなあ」と感心致しました。獄卒とのやりあいを少し書きたかったのも確かですが、流れ的にはあの程度のほうがいいかな、と。如何でしたでしょうか?
■菊坂・静様:続けてのご参加、有り難うございますv 今回、個別の部分でけっこう深めに「魂の半分が死神」の部分に触れてしまっておりますが、これは違うよ、とかこれはこうだよ、とかありましたら是非、仰ってくださいね。今後の参考に致します。実際、死神の部分がうずいた描写等は完全に東圭が、静さんの設定を見て感じたことのみで書かせて頂きましたので……。純生に身体を貸す、という提案でノベルがとてもいいものになったこと、感謝しております。その後、少しだけ入院となったラストでしたが、これもあり得ない、ということなどありましたら仰ってくださいね。
「夢」と「命」、そして「愛情」はわたしの全ての作品のテーマと言っても過言ではありません。今回はその全てを入れ込むことが出来て、本当にライター冥利に尽きます。本当にありがとうございます。愛する者に先立たれる言いようのない哀しみ、苦しみ、誰に言っても分かってもらえない心情からくる「自殺」、そしてその後の世界。ある意味、「こんなご都合主義はあり得ない」と言われそうな作品でしたが、「だからこそあり得る話」だと思って書いていました。
なにはともあれ、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
これからも魂を込めて頑張って書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します<(_ _)>
それでは☆
2005/10/21 Makito Touko
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