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<東京怪談ノベル(シングル)>


屋根裏の功労者

 あやかし荘。
 昔懐かしいとまで言えそうな外観のこのアパートだが、密閉性が高いわけでもないのに何故か害虫・害獣の類がアパート内を騒がせる事は少ない。道行く人があやかし荘を横目に通り過ぎる時に思うような、夏場の黒い危険物の徘徊は全くと言って無かった。
 そして、『ソレ』が成りを潜めるようになる秋。
 今度は灰色だったり黒かったりする小動物が我が物顔に歩き回る季節――それでも、あやかし荘は平和だった。
 何故なら、今日もまた。
「…………」
 しゅぴっ!
 ちいっ! と小さな悲鳴を上げる鼠を易々と捕まえると、腰の袋へと仕舞う小柄な影が、屋根裏で静かに辺りの気配を探っていた。
 それは身体を折り、縮めているわけではない。階下からのごく僅かな光に照らされている姿を見れば、狭い屋根裏の中でも動くのにほとんど支障の無い身長の、まさしく子どもだったのだから。
 少年の名は、丹下虎蔵と言う。

 日課となっている鼠捕りを丁寧に行っているお陰で、下のあやかし荘にまで鼠の被害が出ずにいる。この事実は、実は住民のほとんどが知らずにいた。
 何故なら、少年は『影』だから。
 主人と思う者に仕え、命令が無ければ滅多に他の場所へ姿を現わす理由も無い。
 そして、虎蔵の住居は主人の部屋の真上にあたる天井裏――それでは、彼の存在すら知らない者がいてもおかしくはないのだろう。
 特異な能力を持つ者でもなければ、屋根裏で気配を殺し、音も無く天井を移動して鼠捕りに精を出す少年の事など。

 だが、今日は少々勝手が違った。

*****

 じり、じり、と目の前のそれから目を離さないようにしながら、間合いを取る虎蔵。
 何匹目の鼠を袋に仕舞った時だろうか。彼にとっては当然の事だが、主人のいる部屋の上での殺生は匂いや汚れが出るだろうと言う事でなるべくやらず、外へ持ち出した後で始末を付けていたのだが……。
 ぎぃっ!
 迫力のある声を上げて赤々と輝く目をぎろりと虎蔵へ向ける天井裏の鼠――人間で言えば、それはメンチを切った状態なのだろうか。
 指先から伸びた鋭利な爪を天井の木枠に引っ掛けて四肢に力を込めるその姿は、はっきりと虎蔵を敵と見なしていた。
 その、体長1メートルはあろうかと言う巨大な鼠は。
 ――さすがあやかし荘。誰にも気付かれずにそこまで成長するような鼠がいたとは。
 と、感心している場合ではない。
 毒液に見えなくも無い何か透明な液を鋭い歯からたらたらと流しながら、くっと鼠が一瞬沈む。
「!」
 ただそれだけで四肢のばねを使ったらしい。ぎりぎりの所で懐に飛び込んで来た鼠を避けた耳元で、がちん、と歯が噛み合わさる音が聞こえた。
「こやつ――早い」
 いくら小柄とは言え、常時四足で生きている鼠と違い、辺りに張り出した木や狭い天井に気を配らなければ動けない虎蔵にとって、その鼠は桁違いのスピードを見せ、翻弄するように右から左から飛び込んで来る。
 しかも、長年生きてきた知恵が付いたのだろうか、虎蔵の弱点のひとつである眼帯の側から盲点を突いて噛みに来るという周到さ。
 今までの修行は伊達ではない、と気配を読みつつかわし続けているのだが、敵もさるもの、虎蔵が一筋縄ではいかない相手と気付いたのだろう、無意識にか意図的にかフェイントと殺気を織り交ぜて攻撃を向けてくるようになった。
 そうなると、今度は足場と機動性で相手に負けている虎蔵に不利に働いてしまう。
 爪が頬を掠めそうになった事も一度や二度では無くなって来た。
「このままでは」
 ――自分の血で、主の部屋を汚してしまいかねない。
 それだけはさせるものか、と、虎蔵が、鼠が自分の死角へ入って来れないよう鼠の外側を、円を描くように動き始めた。
 相手との距離はあくまで一定を保ち、敵がどの位置に移動しても食らいつけるように。
 だんッ!
 鼠も負けてはいない。虎蔵の隙を伺い、いつでもその喉笛に噛み付けるよう赤い目を向けて、ばねの利いた四肢で何度も飛びかかって来た。
 ……問題は、虎蔵の持つ武器。苦無は小回りの利く良い武器ではあるのだが、下手に近づくと爪と牙の餌食になってしまう今は少し短すぎる。飛び掛ってきた時に無防備に見せる首や腹へダメージを与えるのがセオリー。とは言え、鼠も多少荒事の経験は積んでいるようで、そうそう隙は見せてくれない。
 そんな小康状態が続けば――不利なのはもちろん、虎蔵の方。
 これで何度目になるのか分からない攻撃を避けたと思った瞬間、最初よりもばねを利かせて飛び掛ってきた鼠の爪が、とっさに庇った腕の布を切り裂いていた。
「っ!」
 虎蔵の身体を足場に一気に喉笛へと牙を向ける鼠の腹へ、至近距離から肘と膝を繰り出して蹴り飛ばし、再び距離を取る。
 じくりと痛みを感じる腕は、もしかしたら爪が当たって少し傷ついているのかもしれない。
 次はまだ避けられる。その次も。
 だが――いつまでそれを続けられる?
 どんなに鍛えていても、どんなに厳しい修行を積んでいても、彼はまだ子どもなのだ。体力の限界はそう遠くない。
 それは、彼自身も良く分かっていた。
「――っ」
 喉の奥で素早く呼吸し、根性を据える。
 こうなれば、と手の得物をしっかと握り締めて、再び飛び掛ってこようとする巨大鼠へ目を向けた。
 ほぼ同時に天井を蹴る二つの影が交差し、
 バキィィィン!
 金属が砕け散る音が天井裏に鳴り響き、その少し後に、自重を支える力が無くなった巨大な鼠がどうと天井裏に落ちた。
 ぶわりと、天井に埃が舞う。

 その向こうで、肩で息をしながら虎蔵が口元に薄らと笑みを浮かべた。
 今まで修行の間、決して出す事が出来なかった技を、ようやく習得できた嬉しさで。
 その名は【念威衝】。
 得物の破壊と引き換えに、武器の破壊力を一気に高める、そんな技だった。

*****

 次の日。
 あやかし荘から出されたゴミの中に、ひときわ巨大で重い燃えるゴミがあった。そのあまりの重さと大きさに不審を抱いた収集人が、警官立会いの元でゴミ袋を開き――そして、絶句した。
 そこにあったのは、すでに事切れた巨大な鼠の死骸。半ば開いた口から見える前歯や、だらんと垂れている前足に伸びる爪の鋭さに、少しの間まじまじと見ていた収集人は何も言わず収集車の中に放り込み、警官は何も見なかった顔をしてその場を離れていった。

 虎蔵はもちろんそんな事を知らない。
 彼は、今日も天井裏以外の世界へ顔を出そうとする鼠たちを止めるために、せっせと狩り続けていた。


-了-