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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


『名前のない絵』


 炎。古来より人は火を崇め奉り、火の神を崇拝してきた。
 火は人に様様な物をもたらし、もたらしたのだから。
 しかし同時に人は火を何よりも恐れてきた。
 それは人から全てを奪うのだから。
 ――――命も、財産も。そして世界でさえも。



 ――――――――――――――――――『名前のない絵』



【10月24日】


 アイルランドに本拠地を置くリンスター財閥。その総帥たるセレスティ・カーニンガム様に仕えるのが私の仕事。
 朝の一仕事は屋敷に有る庭の手入れ、水やりから始まる。
 主のために咲く花々のその心はきっと主のために庭を整備する私と一緒。
 花は奏者。己が美しさを最大限に身で現す。美しく咲き誇り、良い香りをたゆらせて。
 私は指揮者。主のために一輪一輪のその美しさを計算して、その花が有る庭の最大限の美を究極にまで昇華させる。
 庭とはオーケストラ。私はその指揮者。
 美しく咲き誇りながらも、その美が調和を乱すのならば、手折らねばならない。
 薔薇の茎を指を添え、花切りバサミでその花を切る。
 手の平に落ちた花の重みは命の重み。
 だけどまだ、それは完全には潰えた訳ではない。
 花篭に摘んだ花を持って、私は屋敷の裏戸から入って、調理場の隣に有る部屋で薔薇の棘取りに入る。茎の切り口の少し上を指で強く持ち、そしてそこから一気に指を花へと茎を持ったまま走らせる。
「うわぁー、モーリスさん、すごい。そんな風にして薔薇の棘って取るんですね」
 そう笑うのは私の手を覗き込んできたメイドの少女。
「やってみますか?」
 花篭から一輪の薔薇を手にとって、それを彼女に渡す。
 薔薇を手渡す時に触れた指先。彼女の頬はりんごのように赤くなる。
「茎に指をあてて、それからこうやって上に指を一気に走らせる」
 彼女の後ろにまわり、手を添えて、すっと上に押し上げる。
「痛ぃ」
「すみません。大丈夫ですか?」
「あ、いえ、すみません。モーリスさん。大丈夫です」
 棘を刺した指をもう片方の手で隠す彼女に私は手を差し出す。彼女は上目遣いで私を見、私はその手を手にとって、血の珠が浮かんだ彼女の人差し指に唇をあてた。
 びくりと身体を震わせる彼女の愛らしさに私はつい微笑んでしまう。
 部屋の棚に置いてある救急箱からバンドエイドを手に取り、それを彼女の指に巻いた。
「あ、あの、モーリスさん、ごめんなさい。迷惑をかけてしまって」
 顔を真っ赤にして謝る彼女に私は微笑み、そして彼女の髪に花篭の中で一番綺麗に咲く薔薇を飾った。
 彼女の真っ赤な顔がとても愛らしかった。
 まるでその初心な生娘かのような愛らしい彼女に競うかのように花瓶に埋けた花たちは美しく咲き誇る。きっと主はそんな美しい花たちをとても喜んで愛でてくれるのだろう。
 しかしその紅薔薇たちを持って主人の下へと行けば、私を出迎えたのはとても憂鬱げなため息であった。
 そして同僚であるマリオン・バーガンディに訥々と残念がる愚痴を零されるその声は、しかし同時に私にはとても悪戯好きの悪戯っ子が思い浮かんだとても楽しい悪戯の案を詠うように楽しげに囁くようにも聞こえて、その主人、セレスティ様の姿に私はまたか、と想ってしまうのだ。
「さてさて、今回は一体どのようなお戯れを、なさりますのか、あなたは」
 私の視線の先でマリオンもセレスティ様の計算道理の態度を見せているようで、微笑まれた主人の顔に、私は小さく肩を竦めた。



 +++


 美術品に限らず物の価値はやはり人それぞれで、その思い入れによって価値も変わってしまいます。
 たとえば有名な画家と無名の画家が描いた絵画。それがオークションにかけられればその値段はもうスタート時から変わってしまっている。
 だけどもしもその画家の名前を隠して、ただ二人の絵を並べてアンケートを取れば、無名の画家の方がより多くの人を感動させられる絵を描いていた、という事も有るのです。
 もちろん、売れる、という事は絶対で、それだけ多くの人がその絵に価値を見出しているという事ですが、それでもその価値もまたそれを審査する人たちの価値である、という事を忘れてはいけないと想うんです。
 つまりこの世に存在する創造物。それは全てが平等に価値があるのだと、私は想うのです。価値観は千差万別。そしてただひとりでも感動させる事が出来るのなら、それは本当に見事な芸術品なのだから。
 そしてきっと画家たちもまたそれを望んでいる。
「おはよう、マリオン」
 早朝の空気を吸いに外に出てきて、窓から客間に飾られていた絵を見ていた私に声がかけられる。
 私はそちらを振りかえって、声の主に微笑んだ。
「モーリス。おはようございます。うわぁー、綺麗な薔薇ですね」
 彼の花篭の中には薔薇園で摘んできたばかりの薔薇が入っていた。
「ああ。とても綺麗だろう。なんなら一輪、あげようか?」
「ええ、では一輪。でも…」
「でも?」
 さらりと揺れたモーリスの前髪。その髪の奥にある瞳が悪戯っぽく細められる。
「あとで何かを要求したりしませんよね?」
 モーリスは肩を竦めた。そして花篭から薔薇を一輪出して、それを私の髪へと飾る。
「では今日のマリオンの三時のおやつを一品もらおうかな?」
「あっ、ひどい!」
 おどけたような声で抗議をするとモーリスはやはり意地悪そうに微笑んで、私は肩を竦め、それでそれぞれ用事がある方に別れた。
 きっとモーリスは屋敷の裏にまわって裏戸から屋敷に入り、調理場の横で薔薇の花の棘取りをするのだろう。
 私は、主人、セレスティさまに朝のご挨拶を。きっともうあの方も朝食を済ませて、執務室にお戻りのはずだから。



 コンコン、と執務室の扉をノックをし、それから私は扉を開けて執務室に入り、セレスティさまにお辞儀をする。
「おはようございます、セレスティさま」
「ええ、おはよう、マリオン」
 私がおや、と想ったのは、しかしパソコンのデスクトップ画面から私に視線を移し、そう言うセレスティさまの表情がどこか物憂げであったから。
 何か嫌な夢でも見られたのだろうか?
 セレスティさまのカップは空で、私は部屋の隅に置かれているカートの上にあるポットに手を伸ばす。
 恭しくセレスティさまのティーカップを手に取り、それにポットの紅茶を注いで、またセレスティさまの前に置いた。
 とても良い香りの紅茶だ。
 だけどまたため息。
「あの、セレスティさま。いかがいたしましたか? 先ほどからため息をお吐きになられておりますが」
 セレスティさまは微苦笑を浮かべながらわずかに肩をお竦めになられた。
 それからまた深くため息をお吐きになられる。
 がちゃりと扉が開いたのは花瓶に活けた先ほどの薔薇を持ってモーリスがやって来たからだ。
「絵が、燃えてしまったのです」
「絵、ですか?」
 私が小首を傾げると、セレスティさまは頷かれた。
「はい。とても好きだった絵画だったのですが。本当に残念です。火事で、焼失してしまったそうで。本当にとても温かで綺麗な絵だったのですが………」
 心が震えた。
 セレスティさまがお愛しになった絵画とは果たしてどのような絵だったのだろうか? 興味を持たないわけが無い。
「それは本当にさぞかし綺麗な絵だったのでしょうね。セレスティさま」
 視界の端でなぜかモーリスが肩を竦めたけど、今はそれどころじゃない。
「この日本は湿気もあり絵画などの美術品の保存が難しいですが、でもそれはまだ何とか補修ができます。しかし火事で焼失してしまったらもう二度と戻らない」
「ええ、本当に哀しい事です。今はまだ瞼の裏にその絵が焼き付いていますが、でもそれもまた時と共に薄らいで、いつか失われてしまうのでしょう。だから本当に私はそれが悲しい。そしてマリオン、できればその絵をキミに見せてあげたかった。モーリス。キミにも」
 セレスティさまは私を見、そして私とは反対側、セレスティさまの左の方に立たれているモーリスを見て、どことなくお寂しそうに微笑まれる。
 そう、セレスティさまが愛した絵画はもうこの世のどこにも無いのだ。それをこの方は心から残念がり、寂しがっておられる。それは心の穴となって、胸を痛ませるのだろう。
 私は心からその心に開いた穴を埋めてさしあげたいと想った。
「それに誰よりも彼もまた、悔やんでいるでしょうね」
 ぽつり、と、呟かれる。
「彼? その絵のオーナーですか、セレスティ様?」
 モーリスが訊く。
 そしてセレスティさまはその彼、とやらのお名前を口にした。
「元の、ですが。彼は仕事の資金繰りに困り、それで屋敷を売ってしまい、その屋敷を買った方が、火事にしてしまった、と。契約には屋敷、屋敷の中身の物全て、とあったそうです」
「それは、またお気の毒に」
 私は本気でそれを言ったのだが、訊いた本人のモーリスは顎に手を当てて何かを考えているようだった。
「本当なら私が、買っても良かったのですがね、その屋敷を。ですがその時私は仕事でこの日本を離れていて、彼とは連絡がし合えない状況になっており、すぐにお金を必要としていた彼は屋敷を売ってしまったという事です」
 そしてセレスティさまはまた大きくため息を吐かれた。
 私はああ、と想う。
「セレスティさまは絵画が永遠に失われた事はもちろん、その元の持ち主様の事も想われておられるのですね。きっと心を痛めていると」
 本当になんとお優しいお方なのだろう。
 私がそう言うと、セレスティさまは微笑まれる。
「ですがもう後の祭ですが。この世から失われた物はもう取り戻せません」



 確かに失われた物はもう取り戻せないけど、でもそれを失わないようにする事はできるはずなのです。
 そう、私の力を使えば。


 セレスティさまがそれほどまでに想う絵画ならば私も見てみたいですし、何よりもセレスティさまの喜ぶお顔を見たい。


 主人の心と、絵画を助け出す、そのために使う力。それは正しいと私は想うから。



「セレスティさま。どうでしょうか? 私の能力で過去へと行き、その絵画をすくいだすというのは?」



 +++


「やはり言った」
 マリオンの言葉にそう、口の中だけで呟くと、セレスティ様が私を見て、微笑みになられる。やはり、計算尽くのようだ。
 そして私は肩を竦めて、
「私もお手伝いしましょう」
 と、申し出た。
 正直、絵画などには興味は無いが、しかし大切な主人と同僚を危険な目に遭わせるわけにはいかない。ただ、
「ですが少し調べてみたい事もあるので、お時間をいただけませんでしょうか、セレスティ様?」
 そう、どうやらその火事とやらは、何か裏がありそうなのだから。
「はい、モーリス」
 セレスティ様は美しく微笑まれた。



 +++


 やはりモーリスもまた疑問を持ったようだ。
 私もネットでたまたまこの記事に行きついて、それを見た時、この火事を不信に想ったのだから。
 そう。だからひょっとしたら屋敷の売買に関してもまた何か裏があるのかもしれない。
 私はそれに思い至ったからマリオンに絵の事を話し、彼から時を戻り、絵を助けようと言う様に道を作った。もちろん、それもまたモーリスにはお見通しのようであったが。
 ただの普通の火事で絵が燃えてしまったのなら、それは哀しい。それでもまだ運が悪かったのだ、と諦めがつくのかもしれない。元の持ち主、彼は。
 しかしそれが放火であったのなら、彼は………。
 そして私はそれを許さない。
 だから私は動く事にした。もちろん本気で絵を救いたいから。そしてくだらない欲のために絵が燃やされるのが、納得がいかないから。許せないから。
 さてと、だから屋敷の火事、それの裏にある策略、そういうのはモーリスに任せておいて間違いは無いでしょう。
 だから私は、絵画を買う、というのよりも、彼がその絵画を、売らなくとも良いように、そういう方向で動きましょう。
「あのセレスティさま」
「はい」
 私がマリオンに視線を向けると、私の前に紅茶と、彼が北海道まで行って買ってきたポテトグラタンパンを置いて、小首を傾げたマリオンは口を開いた。
「それでその件の絵とはどのような絵だったのですか?」
「それは、見てからのお楽しみです。ですがとても立派な心優しく愛しい絵ですよ」



 そう。それは彼が母親から貰った絵。
 母の愛が込められている絵なのだから。



 彼の母は妾だった。彼の父親は画廊の経営もしていて、その関係で父親と母親は出逢い、不倫であったが、彼が産まれた。正妻は子どもを産めない身体で、それで彼は生後すぐに本当の母親から引き離されたという事。そしてその時に母親が彼に絵を持たせたのだと。
「哀しいお話ですね」
「はい。でも彼は二人の母親の愛情を確かに感じていたと言っていましたよ。しかし向こうの言いなりで結んだ契約によってその絵すらも奪われて、火事で焼失してしまった。悲劇というのであればそちらですね」
「はい」
 うつむくマリオンに私は微笑む。
「でもキミがこの世界に居てくれるその奇跡で、この悲劇も回避できる。私はキミを部下に持てた事を誇りに想い、そしてその運命に感謝します」
 その言葉にマリオンは顔を上げ、そして花が咲きほころぶような笑みを浮かべた。



【9月18日】


 時を渡るその能力。
 マリオンは過去へと道を繋ぎ、そしてその道を通って、過去へと渡る事が出来る。
 今回はそれに私たちも同行する。
 過去へと渡り、主人、セレスティ・カーニンガム様が愛した絵画を救い出すために。
 私としては別に過去へと戻ってまで絵画を救い出すのもどうかと想うが、しかし二人は大切だから、窮地に陥らないように。
 そう、今回の火事騒ぎ、それはただの不注意でも、事故でも無く、放火であるのだから。ならばそれを邪魔しようとする主人と同僚は必ず彼らの敵意の的とされる事になるのだから。
 主人と同僚に牙を剥く、毒虫ならば、彼らがそれに気づく前に私がそれを排除する。そう、生きている事を後悔させてやるのもいいかもしれませんね。なんせ私の大切な主人の胸を痛ませたのですから。
「9月18日。件の日です。この日に元の絵のオーナーは火事にしてしまった人に屋敷を売ってしまった。それでどのように動くのですか、セレスティさま?」
 マリオンが小首を傾げる。
 セレスティ様はふむと口元に手を当てて目を細められた。
「彼が金策に走り出すのは今日の夜からです。ですからその前に彼に会い、私がお金を用意いたしましょう。そのためのお金は未来から持ってきましたからね」
 私が持つスーツケースの中には充分すぎるぐらいの金額が入っている。しかしきっと事態は金銭で済む話では無い。
 さて、と、ならば私は無粋な毒虫が主人の視界に入らぬようにそれを排除するといたしましょう。
「マリオン。このスーツケースを頼めるかな?」



 +++


「マリオン。このスーツケースを頼めるかな?」
 くすりと笑いながら肩を竦めたモーリスはとても重いスーツケースを私に差し出した。
 ―――決まって彼がこういう笑い方をする時は酷く意地悪な事を考えている時だ。
 私も肩を竦めて、そのスーツケースを両手で受け取るけれども、私には少し重い。
 そんな私を見てモーリスはまたくすりと意地悪く笑う。
「マリオンはもう少し体力をつけた方が良いですね」
 …………この言いぐさ。
 つい眼が半目になってしまう。
「モーリス。私にこのスーツケースを持たせて、それであなたは?」
「ええ。絵画の元のオーナーへの買い付けのお供はマリオン、君に任せます。私はこの地方の名物の温泉饅頭の買い付けに」
 この地方の名物の温泉饅頭?
「モーリス。あなた、甘い物がお好きでしたっけ?」
「いえ。私が食べたいわけではなく」
「私が好きなのですよ、マリオン」
「セレスティさま」
 セレスティさまがこの地方の温泉饅頭をお好き、って初めて聞いたような。でもご本人のお口でそう言われているのだから………
 でもそれでも全てが終わってからで良いのでは?
「モーリス、すみませんが頼めますか? こちらは私とマリオンだけで事が足りますので。お願いしますよ」
「はい。セレスティ様。買ってまいります」
 モーリスはにこりと微笑んで身を翻した。
「マリオン。それでは私たちも」
「はい」
 穏やかに微笑まれながら件の元オーナーがいらっしゃる方を向いてそう仰られるセレスティさまに私も頷く。心を引き締めて。
 モーリスがいないのなら、彼の分まで私がしっかりとしてセレスティさまを守らなければいけないのだから。
 そう、私の大事な主人を。



 +++


「あぁ、どうしてこんな事になってしまったんだ」
 彼は嘆き苦しみながら両手で頭を抱えた。
 由緒正しき乳白色の温泉を売り物とした老舗旅館。それが彼が先祖から代代引き継いできたものだった。
 しかしある日突然それは起こったのだ。
 乳白色で有名だった温泉が、透明となってしまった。
 彼には訳がわからなかった。
 そして戸惑ってしまった。
 狼狽してしまった。
 往々にして人とはそういう時には正しい判断力は無くなり、そうして彼は温泉に入浴材を入れてしまったのだ。
 それでごまかそうとした。だがそれが、マスコミによって報道されてしまった。一体誰がそれをマスコミにリークしたのか?
 彼は従業員を問い詰めた。
 そして怪しいと想う者を疑心暗鬼に囚われ、解雇し、それに従業員が反感を持って、それは客へのサービスに表れ、客足が遠のく一方であったこの旅館にさらに大きなダメージを与えた。
 そして客足は完全に遠のき、春に本館の改装工事をしたこの旅館の主たる彼に銀行は融資した金額の全額返済を申し入れてきたのだ。
 当然の如くそんな資金など無く、彼は先祖から受け継いできた旅館のホールで苦しんでいた。
 電話のコール音が彼以外には誰も居ない暗く寒いホール内に響き、彼は疲れきった顔を上げて、そちらを見、小さな声で「うぅ」とうめいた。
 銀行からの催促だろうか?
 それともマスコミの取材の電話か?
 電話のコール音が鳴る度に彼の心は磨耗していく。
 心が追い詰められていくのだ。
 だからこそこの電話は彼から屋敷(その中の物全て)を買い取る交渉の電話で、そして彼は深く考えもせずにそれに飛びつくわけだが、これは彼にとっては天の助けではなかった。
 そう、悪魔の誘惑であったのだ。
 そしてその悪魔の甘く囁く誘い文句かのようなコール音が鳴り響く中で、しかし旅館の玄関の扉が開き、
「久しぶりですね」
 日の逆光を浴びて微笑むその彼は、知己であるセレスティ・カーニンガムだった。



 +++


 電話に出る気配は無く、彼は受話器を置いた。
 そして舌打ちをした後に、脂ぎった顔を右手で撫でる。
「これは追いこみすぎたかな?」
 と、いってもそう言う彼の顔には悪びれた様子は無い。ただ実験用のメダカの扱い方が乱暴で実験をする前に死なせてしまった小学生のような、そんなどうでも良さげな顔だ。
 彼はポケットの中に手を突っ込む。ジャラ、と手に感じたのは車のキーの感触だ。
「直々に訪ねるか」
 ひとり面倒臭そうにぼやきながら彼が玄関へと向かうと、そこに人影が見えて、彼は訝しげに眉根を寄せた。
「誰だい?」
 玄関の向こうに向かって言う。
 すると返事があった。
「私だよ」
 そう言う声は彼がよく知る地元の代議士だった。そう、彼の仲間の。



 +++


 確かにこの人間たちは現段階ではセレスティ様に対して何ら脅威のある存在でも無く、あの方に何かをしたわけでもない。そう、現段階では。
 しかし彼らは未来において、セレスティ様が愛した絵画を焼く事になる。そしてこのままこの人間を旅館へと向かわせれば、必ずやセレスティ様に対して何かをするだろう。
 だから私はここへ来た。
 私のその能力はリライトと呼ばれる。自身の姿を他者へと変身させる事のできる能力。その力を使い、私は今、未来において屋敷に放火する事になる男の前に立っている。彼の仲間であり、そして既に破滅させてきた地元の代議士の姿へと変身して。
「そう、その罪は万死に値するのですよ。愚かな人間よ」
 がちゃりと開いた玄関の扉。古だぬきのような容姿をしたその男に私は微笑みをくれてやる。
「どうしたのですか、先生?」
「ああ、実は例の件について話があってね」
「はい。実は私もその事でこれからあの例の旅館に行くところです」
 例の旅館。
 この代議士は今度の自分の選挙の際に役に立つ事を条件にこの男に情報を流した。旅館の経営者の屋敷がある場所が高速道路の予定地に入る事。
 そうすれば屋敷のある土地の持ち主には多額の金額が払われる。
 屋敷に放火したのも、その屋敷自体が古く、文化財として指定される話もあったからだ。だが燃えてしまえばそれはもうしょうがなく、高速道路を何の気兼ねも無くこの場所に持ってこられる。
 さらには実は私たちが元居た時間の未来においては旅館すらもこの古だぬきのような男の手に、地元代議士の手によって入る事になっていたらしい。
 本当に愛おしいぐらいに小ざかしい人間たちだ。そう、だからこそ庭の調和を乱す花を手折るように何の躊躇いも無く私は、彼らを殺せる。
 現時点ではこの二人しか知らぬ事。
 故に私はそれを使い、計算し尽くした話術でその彼らしか知らぬ事を彼らに喋らせて、超小型カメラで撮った映像と小型マイクで録音したそれらをノートパソコンでメールに添付して、マスコミ各社に送ることで彼らを社会的に抹殺するのだ。
 高速道路の計画が代議士から彼に漏れていた事。
 重要な文化財となる屋敷を彼らが私利私欲のために燃やそうとしている事。
 そして実は旅館の温泉に入浴材が入れられていた事がマスコミに知れ渡る事になったのも彼らがそれを流したからだ、という事。
 マスコミが好きそうな、そういう悪。彼らは公然と叩ける悪を何時だって必要としているのだから。
 私は彼にそれを喋らせる。蜘蛛の巣に引っかかった餌を蜘蛛がさらに吐く糸で絡めるように。
「ええ、先生。計画は順調ですよ。銀行も先生の力で動き、あの男を存分に追い詰めているようです。いひひひひひ」



 +++


「セレスティ様。どうしてあなたがここに? あなたは海外へと仕事で。だから私は悩んで………」
 うめくようにそう言うと、彼はその場に土下座した。
「すみません。セレスティ様。どうか私を助けてください。お金が必要なのです。この旅館を守るために」
「はい」
 土下座する彼を私は冷ややかに見据える。
「今度の事でキミも色々と勉強したのでは? 見せ掛けだけではダメだと。そして人を想う気持ち。従業員を疑いたくなる気持ちもわかりますが、キミは彼らの言葉をちゃんと聞きましたか?」
「それは………」
「聞いていないのでしょう? 今回の事はその全ての授業料、そういう事です。そして私の条件とはまさにそこなのです」
「え?」
「この旅館はキミだけで運営されていたのではない。多くの従業員たちが居たからこそまわっていたのです。彼らが居るから来ていたお客も居るのでしょう?」
 私が視線を移した先を彼も見る。そこにはサンキューカード(客があらためて宿泊していた時にお世話になった従業員に出してくれる葉書き)がある。
「はい」
「ですから私がお金を出すのはキミと、その従業員たちが居るこの旅館にです。できますか?」
 彼は何かを言いかけて、しかし口を閉じ、それから数秒躊躇ってからようやく言葉を紡ぐ。
「しかしもう彼らは、私にはついてはきてくれないでしょう」
 私はマリオンの名前を静かに口にする。
「マリオン」
「はい、セレスティさま」
 マリオンは恭しく頷き、そして玄関の扉を開いた。
 そこから旅館に入ってきたのは辞めたはずの従業員たちだった。
 彼は大きく目を見開き、私を見、私が頷くと、彼は従業員たちに頭を下げた。
「すまなかった、皆。戻ってきてくれ」
「若!」
 そして従業員たちは彼を取り囲み、マリオンは私の顔を見、その視線に私も瞳をマリオンに向けて、微笑んだ。
「さて、それでは契約といきましょう。この旅館の部屋の一室を我がリンスター財閥が買い取ります。その資金ならびに、その管理費を前金でキミに支払いましょう。マリオン」
「はい、セレスティさま」
 マリオンは彼にスーツケースを差し出し、そしてそれを開いた。



 +++


 旅館の電話が鳴ったのはセレスティさまと彼とが契約を交わした後だった。
 その電話をとった彼の顔色が見る見る青くなり、そして彼はその場に腰が抜けて座り込んでしまう。
「どうしましたか?」
 セレスティさまがそう問うと、彼は感情の無い声で言った。
「屋敷が、火事で、半焼したと…」
 私は想わず目を見開き、そしてセレスティさまを見た。
「とにかく屋敷へと行きましょう」
 セレスティさまはただ、そう言われた。



【ラスト】


 買い取った旅館の部屋は由緒正しきこの旅館でも最高級の部屋で、離れとなっていて、専用の庭もある。
 そしてその部屋に今日は泊まることになった私たちの囲む机の上に半分焼けてしまった絵がある。
 彼の奥さんがその絵を救い出してくれたのだ。そうでなければ完全に焼失してしまっていた。
「何でこんな事に…。せっかく旅館が何とかなるというのに」
 彼は頭を抱え込んでいる。
 私はその絵へと触れた。そうすればその絵に込められた彼の母親の想いが読み取れるのだ。
 そう、この絵が彼にとって本当に価値あるものだとするのであれば………
「マリオン」
「はい。セレスティさま」
「キミならばこの絵を助けられるはずです」
「はい」
 マリオンはこくりと頷き、そしてその半分焼けてしまった絵に対して、彼の能力を発動する。
 そう、マリオンは………
「この絵自体も確かにあなたにはお母様の形見であると想います。でも本当にあなたにとって価値あるものだとすれば、それは、これのはずです」
 ――――絵の中からそこに存在する物を入手する事ができる。絵は半分焼けてしまっていたが、しかし焼け残ったその半分にあった彼の母親の自画像は無事であったのだ。
 そう。絵の中にはもうひとつの絵が描きこまれているのだ。そしてその名前の無い絵に描きこまれているのは彼の母親の自画像なのだ。
 自分の子どもに忘れられたくない、せめて自分の写し身だけでも愛する我が子の傍に居られるように、との母親の愛。
「これは…一体………」
 彼は大きく口を開き驚くが、しかし蘇った母親の自画像を前に喜びの涙を流し続けた。
 そして机の上に置かれたその絵画に、私たちも感嘆のため息を零すのだ。
「これがセレスティさまが愛される絵なのですね」
「ええ、マリオン。そうですよ。とても優しく、そして温かい絵でしょう?」
「はい、セレスティさま。本当に素晴らしい絵だと想います」
「本当に良い絵ですね、セレスティ様。マリオン」
「ええ。モーリス。ありがとう」
「モーリスにもそう言ってもらえるのだから、本当にこの絵、助けられて良かったですね。過去へとやって来て良かった」
 にこりと嬉しそうに笑うマリオンに絵の持ち主は不思議そうに小首を傾げるが、しかし私たち三人はこの名前の無い絵、彼の優しく微笑む母親の自画像に微笑みあった。
 そう、マリオンの言うようにこの絵を救えた誇りと安堵感を胸に感じながら。



【END】



 ++ライターより++


 こんにちは、セレスティ・カーニンガムさま。
 こんにちは、モーリス・ラジアルさま。
 こんにちは、マリオン・バーガンディさま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回はご依頼ありがとうございました。^^


 このお三人そろった形で書かせていただくのは初めてで、とても楽しく書けました!
 いつかこのお三人でお話を書けたらなー、とずっと想っていたので、嬉しいです。^^
 そしてまたプレイングが面白くって。^^
 大幅な+ネタはしなかったのですが、姑息なあくどい人間ネタと絵画についてのちょっとした設定を付けさせていただいたのですが、いかがでしたか?^^
 三人のそれぞれの視点で見られるこのお話。それぞれにはこのお話がどのように映り、何を考えて、そして具体的にはどのように動くのか?
 それを考えるのがとても楽しかったです。^^
 お気に召していただけていましたら本当に幸いです。


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。