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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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◇◆ 惑夢甘菓 ◆◇
「……また、あんたかい」
アンティークショップ・レンの主人は、店に入ってきた客を見るなり、露骨に顔を顰めた。
「ご挨拶ですね」
レンの反応に、客である青年は苦笑する。
「あんたの厄介ごとには飽き飽きしているのさ、新見」
ふん、とレンは鼻を鳴らす。
レンにとってはその反応は至極当然。彼が持ち込む品はどれも曰くあるものばかり、謎も呪術も厄介ものも大好物なレンではあっても、好い加減、うんざりするときもあるのだ。
「今日は、こんなものを持ってきました。実家の蔵で見つけたものです」
レンの不機嫌を黙殺し、仮面のように緩まない穏やかな笑みを浮かべた青年は、上着の内ポケットから小さなガラス瓶を出す。
駄菓子屋にある、色鮮やかな菓子が詰め込まれるに相応しい斜めに蓋が付いた瓶だ。そしてそのなかには、ころころと数粒、純粋に砂糖を煮詰めて作ったような透明な丸い粒が入っている。
飴玉のように、見える。縁日で売っているような、素朴で、丸い丸い飴。口に含めば素朴な甘みが、きっと広がるに違いない。
「……なんだい、それは」
「悪夢の素です」
思わず問い掛けたレンに、青年はこともなげに云う。ぎょっと、レンは伸ばしかけた指を止めた。
「悪夢?」
「ええ。食べると、甘い甘い悪夢を見てしまう菓子、だそうです。子供の頃、祖母に貰った覚えがあります。確かに、それを戯れに食べた夜、ひどい夢を見た」
「そんなものを孫に与えるなんて、なんて婆さまさ。どんな夢だったのやら。想像が付くような、付かぬような」
「そんなことは、内緒ですよ」
青年が、苦いような淡いような笑みを浮かべる。
「ただ、これを見ていて思い出したことがあります。夢を見た明くる日、祖母に恨み言を云ったら、彼女はこんなことを云っていました。悪夢を、悪夢でなくする方法がある。ある術を用いれば、この透明な玉は悪夢の素ではなく、柔らかくて優しい、もう二度と醒めたくなくなるような夢の塊になるのだ、と。そのときはただの戯言だと思ったのですが……」
青年の視線が、ガラス瓶に落とされる。更に云うならば、そこに収められた小さな甘いお菓子、に。
「夢のひとつでも、見たい心持ちってワケかい?」
レンの、意地悪い台詞。だが青年は平然としたもの。
「苦味のない甘さを含んだものならば、売り物になるでしょう?」
「要は、それを悪夢ではなく善き夢の素にしてみろ、と?」
ふふ、と笑った青年は応えない。
青年の憎たらしいほど落ち着き払った顔と、彼が携えるガラス瓶を見比べる。受けるべきか、受けないべきか。
迷う振りをして、溜め息を吐く。
勝手に心は、動いている。話を聞いてしまった時点で、答えは決まったようなもの。
「その、物騒な菓子。厄介ごとを含めて、このレンが買い取ってやるよ」
◇◆ ◇◆◇ ◆◇
「これが、その品ですか……」
猫足のテーブルの上に、レトロな硝子瓶。
その内側を覗き込みながら、高式透花は呟いた。
「そう。悪夢を見せる、物騒な菓子。食べてみるかい?」
煙管を咥えたレンが、意地悪く云う。ぶんぶんぶん、と頭がもげそうな勢いで、透花は首を横に振る。悪夢が怖いのではない。単純明快、砂糖の塊、甘くないはずのない代物がただただ、怖い。
いかにも砂糖菓子が似合う年齢の少女にも関わらず、高式透花は、甘いものがこの上なく苦手だった。
「ふん」
余りにも素直な振る舞いに、レンが鼻先でせせら笑う。
「夢のなかに入るにも、これが食べられないのならお話にならないよ」
ひょい、と身に纏うチャイナドレスと同じ、深紅に塗った爪で硝子瓶を摘み、レンはぽん、とそれを透花に向かって放り投げる。
「〜〜〜!」
慌てて両手で受け取った透花に、レンは、古びて埃に塗れたアンティークたちの向こう側、外へ繋がるドアを指差す。
「自分で試せないのなら、仕方ないね。悪夢の持ち主に会って、夢のかたちを確かめてきて貰おうか」
小瓶のなかで、ころん、と小さな飴玉が揺れる。
色のない透明さは、まるで、涙の滴のようだった。
住宅地の一角に、そのカフェはある。
古びた平屋の一軒家を改築した、レトロな雰囲気の店だ。
ただの喫茶店ではない。店の古びたドアを開ければそこには、テーブルよりも存在感がある書棚の波。新刊から古書の類に至るまで圧巻の蔵書量を誇るそこは、会話を愉しむのではなく、本を読むための店。ブックカフェだった。
店の性質上、テーブル席よりもカウンターが多い。分厚い飴色のカウンターの止まり木に浅く腰掛けて、透花は、カウンターのなかで立ち働く店主の新見の背中を見上げた。
「お待たせしました。レンさんのお店からいらっしゃったんですよね?」
オレンジティをカウンターの上に滑らせて、新見は穏やかな口調で云う。柔らかな印象。でも、手触りの好すぎるそれが薄っぺらな、表面だけの柔らかさのような気がして、透花はおどおどと上目遣いに彼を見た。
「ええ……悪夢を善き夢に変えるために、まず、夢のかたちを確かめろと……云われて来ました」
カウンターの上には、白いぽってりとした磁器のカップの他に、件の硝子瓶。
「そうですか。失礼ですが、高式さんはお幾つですか?」
「……え?」
唐突な質問に、透花はきょとん、と新見を見返す。真っ黒な髪に、真っ黒な眸。地味な顔立ちを更に助長するような、穏やかな笑み。
「ああ……丁度、妹と同じ年頃かな、と思いまして。変なことを訊いてしまいましたね」
透花の顔と硝子瓶を見比べて、新見は思案げな顔。
自分の分のカップをカウンターの脇から取り出してから、思い付いたようにエプロンを外し始めた。
「じゃあ、折角ですから、実践をして見ましょうか?」
「え?」
新見はいそいそとカウンターから出てきて、奥へ奥へと透花を促し始める。
「でも……お客様が……」
壁に向かって本を読む客が、店内にはまだ数人。大して、店員は新見ひとりしかいない。小さな店だからそれで手が回るのかも知れないが、そんな状態で店主が店を放っていって好いものだろうか。
「ああ、そんなこと」
透花の困惑を他所に、新見はにっこりと笑って、常連らしき客に声を投げた。
「ササゲさん、ササゲさん。ちょっと僕、奥にいますから。適当にやっていて下さいね」
ササゲさん、と呼ばれた三十路半ばの男性は、振り向きもせず片手を上げる。それが、了解の意なのだろうか。
「あの……」
「これで、大丈夫でしょう」
好い加減な台詞とともににっこり微笑まれて、透花は、書棚の奥にある扉に向かって、引き摺られていった。
何故、いまこんな場所にいるのか、正直、透花にはわからない。
「早速、眠らせて頂きます。レディの前で申し訳ない」
にこり、と笑った新見は、小さなベッドの上。
その傍らに置いた、古びたひとり掛けソファに座り、透花は首を傾げている。
そこは、店の奥。新見の生活空間であるらしい。他の人間の匂いは、しない。気ままな一人暮らし、と云った風情。
天井は意外と高く、こげ茶色に煤けた梁がむき出しになっている。渋い色合いのソファと、小さなベッド。それに、本が積み上げられたテーブル。それらが無秩序に点在する空間に、透花はうずうずしてしまう。うっすらと埃を被った部屋に、掃除洗濯炊事etc.を旨とする家政婦ごころを刺激されてしまう。
だが、いきなり『ほうきを貸して下さい!』と見ず知らずに近いひとに詰め寄るほど、透花は図々しくもひとなつこくもなかった。だから、黙り込む。
埃っぽい部屋の主は、透花のこころも知らず、手のひらに一粒、飴玉を転がす。
透明な、歪なかたちの飴玉。
食べるのではなく眺めるだけなら、小さな気泡をぷくぷく含んだ飴玉は、綺麗だと思う。
――甘いものが苦手になったのは、いつからだっただろうか。
「じゃあ、宜しくお願いします」
飴玉を口に放り込んで、新見が目を瞑る。
透花ははっとその手に触れて、同じように眸を、閉じた。
とろりとした溶けた砂糖菓子のなかを、泳いでいく。
新見の精神に侵入する感覚は、そんな感触だった。
とろとろと包み込まれ、底のない、甘ったるい蜂蜜色の沼のなかをゆうらり落ちていく。どこまでも、どこまでも。
そこは明るくも暗くもない、だからこその不安がある。
「……」
誰かの、声が聴こえる。
透花は、重い水のなかを泳ぐようにしながら、耳を清ませた。
『……兄さんは、あたしのことが嫌いなのね……』
あどけない少女の声。舌足らずなのにその声は強く、そして頑なだった。
声に合わせて、透花の身体を包み込む蜂蜜色の粘液が、どくり、と波打つ。
――違う。
重なるように響くのは、透花が知る声――夢の主である新見の声だ。だが穏やかさは剥ぎ取られ、ひりひりするような焦りと痛みを感じる。
――違う。
幾度も繰り返される言葉。だけど、それはひとかけらも相手には届かず、夢の狭間に飲み込まれていく。
少しずつ、足許から薄闇が差し込めてくる。まるで、薄黄色い色硝子で宵空を透かすよう。
――大切なのに。
『好いわ、別に兄さんなんてどうでも好い。この家だって、どうでも好い。全部、兄さんにあげる』
破れた衣を脱ぎ捨てるように吐き出されたのは、少し成長した少女の声。目を凝らせば、セーラー服を着た華奢な姿がほの見えた。
『それで、満足でしょう? あたしは二度と、兄さんの前には姿を現さない』
重なるごとに、冷たさが極まる。失われていくことが辛いと、夢の持ち主は叫ぶ。だがそれは届かない。
『さよなら、兄さん』
少女の姿が、唐突に消える。
きしん、と周囲が、ひび割れていく。砕けた隙間から零れ落ちるのは――闇。
――失いたくなかったのに。
新見の慟哭が響き渡る。透花もまた、それに揺らされる。
「……失いたいものなんて……」
透花の喉から、軋む声。
「失いたいものなんて、なにひとつ……なかったのに……」
透花の手から、ひとつずつ剥ぎ取られていく。
まずは、家族。
透花が、こんな能力を持ったせいで家族は死んだ。殺された。透花のせいで。
元凶である透花には、嘆く資格さえない。
流せなかった涙が、胸の底で凝る。澱む。
そして、普通の生活も消える。野良猫のように追われていく。逃げていく逃げていく。
なにひとつ、手のなかには残らない。
「……いや……」
透花はひとつ、頭を振る。弱々しく。
――透花。
ふっと、涙すら流せずに、ただ顔を被った透花の耳に、届いたのはあのひとの、声。
守ると、云った。手の内に引き入れてくれた。温かな場所を与えてくれた。
なによりも――大切なものを、与えてくれた。
ぎゅっと閉じていた目を開けて、透花は周囲を見回す。
いつの間にか足は、確かな地面を踏み締めていた。
そこは、夢の底。果てもなく暗く、何もない。手に触れられるものは、何も。
――さよなら。
取り返しの付かない過去が澱む、悪夢の果て。
「こんな寂しい場所は、嫌です……」
透花は呟く。そうして、そっと己の身体を両手で包み込む。じわりと、身体の内側からかたちない力が溢れてくる。
とろりとした悪夢の影が、溶けていく。
――さよなら。
繰り返される声も、溶けていく。
透花は疲れたように、双眸を閉じた。
はっと、目を開けたらそこは、ベッドの上。
「目が醒めた?」
寝台に横たわっていたはずの新見が、にっこりと笑ってカップを差し出す。なかは、クリーム色に闇を一滴垂らしたような色合いの、カフェオレ。
「……ありがとうございます」
「お砂糖は入れる?」
新見の言葉に、ぶんぶんと透花は首を横に振る。
「すみません……あの、ベッドをお借りしてしまって」
新見は柔らかな表情で、首を振る。
「ほら、あの飴玉、見てくれませんか?」
そうして差し出されたのは、件の硝子瓶。
「……あ……」
覗き込んで、透花は驚く。
透明だった中身は、全て薄紅に染まっていた。まるで血を薄めたような、淡い赤。
「食べてみませんか?」
「いいえ……私、甘いものが苦手で……」
「甘くは、ありませんよ」
新見は、どこか辛そうに目を細める。
促されるままに一粒、淡色の飴を取り出して、口に含む。舌のうえで転がして、透花は顔を顰めた。
「……苦い……」
飴は、まるで薬草でも煮染めたように、苦い味に変わっていた。
「悪夢が調和されて、こんな味になったのでしょうか」
新見の声に、曖昧に首を傾げる。
失ってしまったもの。手から、零れ落ちてしまったもの。
あれは、新見の悪夢であって、新見だけの悪夢ではない。透花も、同じ悪夢の根を、胸の底に仕舞っている。
悪夢を調和させて、最後に残ったもの。
それは多分――後悔の、苦味。
最後まで丁寧に味わって、透花はベッドを抜け出す。
外は、薄暮。壁に掛けた時計を見れば、すでに五時を回っていた。
「……そろそろ……お暇します」
おずおずと切り出して、新見の部屋を出る。
「また、店に来て下さいね。今度は、お客様として」
新見が微笑むのを背に、外へと駆け出す。
外は、少し寒かった。
まずは、買い物に行こう。温かなお皿を、用意しよう。ちょっと意地悪な、あのひとのために。
透花は、駆ける。
すでに失ってしまったものは、帰ってはこない。欠けてしまったものは、後悔だけを残して消える。
――だから。
いま、手に触れて、確かめられるものを、もう二度と放さない。できることなんてほとんど、なくたって。
――だから、消えないで。
夕暮れの、血の色に似た赤い日を振り仰いで誓ったそれは、透花の、願い。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 2347 / 高式・透花 / 女性 / 16歳 / 家政婦 】
【 NPC2001 / 新見・嵐 / 男性 / 29歳 / ブックカフェ店主 】
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■ ライター通信 ■
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初めまして、こんにちは。この度はご発注、ありがとうございました。ライターのカツラギカヤです。
悪夢と云うものは揺るがしがたい過去の後悔、と云うコンセプトで物語を描かせて頂きました。PCさまは失ったものが多い方のようにお見受けしたので、こんなかたちになりましたが如何でしょうか? PCさまのイメージを崩していなければ嬉しいです。
繰り返しになりますが、この度は本当に、ご発注ありがとうございました。また次回も、ご発注頂ければ幸いです。
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