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■+ 初めてのクッキングライフ +■
そろそろ涼しいを通り越し、寒さを感じる季節になり始めた。
だがそれは彼にとって、別段苦になることではない。夏の暑さに辟易していたセレスティ・カーニンガムは、どちらかと言えば、この移り変わりを歓迎していたのである。
朝露を弾いて輝く百合を思わせる銀の髪、古よりの叡智を凝縮した様な青い瞳。
人ならざる絶佳な美貌を見せる彼は、その通り、実は人ではなかった。
その性は、母なる海より生まれ、そして陸に住まう王子をを恋い焦がれながらも泡と化した伝説を持つ、人魚であったのだ。
また彼の生まれは北方の地、アイルランドである。
彼の地は、古くから不可思議を多く内包する国であり、また大層厳しい冬を過ごさなければならないことは、誰でも知っているだろう。
そしてアイルランドと言えば、もう一つ──。
「そろそろ、ハロウィーンですねぇ」
まるで故郷を懐かしむ様に、セレスティは言った。
日本と言う地では、故であるアイルランドのそれより、どちらかと言えばアメリカンスタイルなものが広まっている。
カボチャをくりぬき、目鼻口をつけたランタンとして飾り、仮装した子供達が『Trick or treat!』と近所に襲撃してはお菓子などを貰うお祭りの方だ。まあ、子供達がお菓子を貰う為に近所を襲撃すると言うのは、今から四十年程前に始まったことで、家の周囲を徘徊し、人に取り憑いて悪障を成そうとする悪霊達を払う為に行われたことが起源となるそうだが。
アメリカのハロウィーンは、一八○○年代後半、新たな大地へと移り住んだアイルランドの人々が、故郷を懐かしんで始めたと言われている。
またイギリスであれば、『諸聖人の休日』とされる十一月一日に行われる『万聖節』がそれに当たる。尤も、イギリスなら、十一月五日のガイ・フォークス・ナイトの方が一般的で、ハロウィーンはこれに吸収された形と言えるだろう。
ハロウィーンの歴史は長い。
紀元前五世紀にまで遡るそれは、ケルト族が行う、秋の収穫を祝い悪霊を追い出す祭りであった。
十月の末を一年の終わりと考えた彼らには、新たな年と厳しい冬を迎える為にも、必要なことであったのだろう。
それがローマ人のブリテン島制圧に当たって、ローマの果実の女神であるポモナの祭りと融合し、『オール・ハロウズ』となり、『オール・ハロウズ・イヴ』と呼ばれ、現在の『ハロウィーン』へと変化したのだ。
今日あるハロウィーンは、ドルイド教とキリスト教の融合した祭りであると言える。
ちなみに『ジャック・オ・ランタン』は、髑髏の変化したものであるとも、『けちんぼジャック』と悪魔とのやりとりの結果、地獄にも天国にも行けなくなった彼が灯した明かりであるとも言われている。
アメリカでは、『ジャック・オ・ランタン』は、かぼちゃ提灯の代名詞であるが、アイルランドの人々にとっては、カブやポテトやビートにて作るものであった。
とまれ。
そんな経緯が脳裏を掠めたかどうかは定かではないが、セレスティはこの時期になると、やはりハロウィーンのことを思い出すのである。
故郷の香りと言うところだろうか。
「そうでございますねぇ……」
そしてそんな彼に答えるのは、セレスティの料理人、池田屋兎月(いけだや うづき)であった。
宙の濃紺にも思える髪に、同じく濃紺の瞳を持つ、まるで日本画に描かれる役者もかくやと思しき青年である。現在彼は、白いコック服に身を包み、セレスティの為にてーぃーブレイクのお茶を淹れていた。
白い指先は、彼が皿の九十九神であることを感じさせない程に滑らかな動きを見せている。
どうぞとばかりにテーブルへ置いたカップからは、柔らかな気持ちになる様な芳香が立ち上がっていた。
セレスティの指が、そのカップをなぞっているのを見た兎月は、どうしたのかとばかり、小首を傾げている。
「ねえ、兎月くん。ハロウィーン用の料理など、作ってはみませんか?」
そう兎月に問いかけると、彼はきょとんとした顔をしていた。ティーポットに伸ばした手も、そのままの位置で固まっている。今度小首を傾げたのは、セレスティであった。
もしかすると、ハロウィーン用の料理を作ったことはないのだろうかと思ったのだ。
元々彼は、洋風よりも和風のものが得意であることだし。
「あの、……兎月くん? どうか致しましたか?」
続けて『ハロウィーン料理はご存じないですか?』と付け加えようとしたセレスティだが、どうやら漸く我に返ったらしい兎月が、ぽつりと逆に問いかけてくる。
「主様。もしや主様も、一緒に作ろうと仰っているので?」
なんだそんなことで固まっていたのかと、セレスティは少しばかり可笑しくなった。
「ええ。兎月くんに教えて貰えば、きっと出来るかと」
兎月は暫しの沈黙に入るが、再度口を開いた時には、一層困惑顔であった。
「失礼ながら主様、主様にお聞きしたいことが御座いますれば……」
「何でしょう?」
戸惑いを見せる兎月に、微笑みで促した。
「主様は、料理と言うものをなさったことがおありなのでしょうか?」
再度セレスティは思う。
『何だ、そんなことか』と。
「いえ、全くありませんよ。今回が初めてです」
セレスティが自信満々胸を張って返した答えに、今度こそ、兎月は固まってしまった。
そう。
まるで彼の本性である、皿の様に──。
料理に関して、料理人は妥協と言う言葉とは険悪な仲となる。
そして控え目な質である兎月もまた同じ。
日頃は優しげな彼であっても、こと料理となれば拘りの固まりになるのだ。
「主様。まことに申し上げにくいことでありますれば……」
言葉を濁していても、兎月が持つ宙の瞳が雄弁に語っている。
『やり直し』
と。
ハロウィーンの料理を作ると言っても、流石に初挑戦で難しい料理を作ろうとは、いかなセレスティでも思ってはいなかった様である。
剛毅にして大胆で名を売るリンスター財閥総帥は、同時に繊細且つ気配りの利く人物でもあった。
ちなみに負けず嫌いであることも、可成り、いや大層有名な話である。
兎月が本気で困っていることを察したらしい総帥様は、少しばかり哀しげな顔──もっとも、何処までが本気か解らないところがセレスティらしいのだが──で、溜息を吐いた。
「ダメですねぇ……」
『はい』とは、思っていても口には出来ない言葉である。
兎月は、料理人としてのプライドと、セレスティへの忠誠心&思慕の念に、嘖まれてしまった。
ちなみにセレスティが作っているのは、クッキーである。
お菓子ならば何とかなるだろうと、二人共が思ったからだ。
甘いものには目がないことも、その理由の一旦だった。
ハロウィーンのお菓子は、幾種類もある。
『死人の指』と言われるショートブレッドクッキーや『墓石ビスケット』と呼ばれるアイシングにくるまれたそれ。他にもチーズプディングやアイリッシュ・バター・スコーンなども、ハロウィーンでは食される。
日頃から慣れ親しんだ家庭の味は、お祭り時にこそ、発揮されるのだ。
そしてセレスティは、『墓石ビスケット』を作りたいと言っていた。
ビスケットの部分をパンプキンクッキーにして、それをアイシングでくるみ、お馴染みである『R.I.P』の文字を入れるのだ。ちなみに『R.I.P』は、ラテン語で『Requiescat in pace』の略、つまり『安らかに眠れ』と言う意味だ。
悪霊を鎮める為に、そう言う言葉を刻んだのかも知れない。
「どうすれば、兎月くんの様に綺麗に出来るのでしょう」
頬に手をやり、ほぉと吐く溜息は、それを見慣れている兎月であっても、くらりと惑いそうになるくらいに悩ましい。
対する主の作ったクッキーは、確かに形は墓石だ。四角い形になっているのだから。
けれど、不思議なことに、アイシングがまだらになっているのである。
あまりみっとも宜しい風ではない気が、そう、あくまでも『気が』した。
普通に浸していれば、そんなことには成りはしないのだが。
恐らくは、初めて作るそれに愛着を持ちすぎたセレスティが、頻繁に弄り倒していたからであろうと、兎月は推測した。
再度セレスティを見て、微かに赤くなった頬を頭を振ることで何とか戻し、兎月は出来るだけ主を傷つけない様に、言葉を選んで答えた。
「主様、あまり気負い成されませぬ様……。料理は、食して頂く時のことを考えて作れば宜しいのではないでしょうか? 召し上がって頂く方の、楽しそうに、そして嬉しそうにしている顔を想像すれば、きっと上手く行くかと思いますれば……」
兎月も同じだ。
料理を作る時、主であるセレスティが喜んでくれること、満足してもらえることを想像して作っている。セレスティが満足してくれれば、兎月はそれだけで満ち足りた気持ちになる。
『美味しい』と言ってくれる時の表情を楽しみに作るのだと言っても、過言ではないのかもしれないのだ。
そんなことを考えながら作ると、楽しくなるし、気持ちも湧き立ち、集中力も増す。自然と美味しいものが出来上がるのだ。勿論、日々の精進や才能なども、大きく関係して来るのだが、別段コンテストに出る訳でもないから、今は大した問題ではないだろう。
「まあ、何でもすぐに出来てしまうとあっては、面白味もありませんし」
これくらいが丁度良いのかもしれないと、セレスティは小声で付け加えた。
それを聞いた兎月は、少しほっとしたのだ。
「では、元を作ることから、もう一度」
テーブルの上は、まるで夜会でも開かれるのかと思ってしまう程、豪華であった。
チキン・キッシュにバーベキュー・リブ、アイリッシュ・シチューにアイリッシュ・ブレイズとポトフ・パフ、ダブリン・コドル、シェーズ・パイと言ったハロウィーンに似合う料理が所狭しと並べられている。
勿論これは、兎月がハロウィーンの為にと作ったものだ。
初めて作るものもあったらしいが、どれもこれもが食欲をそそり、更に眼福にもなる数々であった。
流石はセレスティの料理人だ。
そう褒めると、少しばかりはにかんで『有難う御座います』と嬉しそうにそう言った。
そして。
「出来ました」
満面の笑みを乗せ、見る者を魅了する笑みを浮かべたセレスティは、頬に少しばかりアイシングを付けてそう言った。
彼の前にあるのは、初挑戦となった墓石クッキーを始め、クラウディ、パンプキン・プディング、カボチャの種のスナック、死人の指である。
どれもこれも、量が半端ではない。
しかもやたらと飾り付けが凝っているのだ。
墓石クッキーは、それこそ地面を思わせる様な下地の上に、バランス良く配置し、まるで墓所のミニチュアを見ている様で、死人の指は、わざわざラッピングを半ば解きかけた箱から、一本だけさり気なく覗いているものが、絶妙な隠し加減で置いてある。それを見つけた者は、間違いなく肝を冷やすだろう。
クラウディなどは、おもちゃ箱の様で、フルーツポンチが元だと思えない。勿論、その中にあるお楽しみグッズ……と言うか、一年を占うこととなる、おはじき、コイン、指輪は、本物を入れるよりもお菓子で形を作り、それを交換と言う形の方が楽しいだろうと、凝りに懲りまくっていた。
興味の湧くことに関しては、何事も全力で取り組む精神なのかもしれない。
今回の為にと様々な食材を揃えていたのだが、すっかりなくなってしまう程に作ったのは、一重に、熱中したセレスティが、兎月から色々と聞いたものを全て作ってしまったからだ。
「本当に沢山になりましたね……」
兎月が感心した様に言う。
量も多くなったのは、沢山あった方が見栄えも良かろうと思ってのこと。
「ええ、そうですねぇ。まあでも、この方が楽しくなってきませんか?」
「はい。主様」
では試食をと、一部取り分けておいた分を、二人して口にした。
ここで何故試食が後になったのかを、考えてはいけない。
セレスティが作るのに熱中していたからだなどとは、見ていて解っていても口にはしない兎月である。
また主を差し置いて、それを食すなどと言うことは、いくら一日教師である兎月であっても遠慮してしまったのだ。
見栄えは頗る宜しい。
気になるお味はと言うと──。
「……。主様、本当に初めてお作りで?」
パンプキン・プディングを食した兎月が、驚いた様に尋ねた。
「その言葉は、及第点を頂けたと思って宜しいのでしょうか?」
拘りの墓石クッキーを口にしていたセレスティも、その味に満足し、更に兎月からの言葉にそう返す。
「勿論でございますとも。こんなに暖かな気持ちになるお菓子を食べたのは、初めてで御座いますれば……」
大袈裟とも感じるその台詞に、クスリと笑いつつも、セレスティは大層満足であった。
墓石クッキーを作っている時には、どうなることかと思っていたのだ。
だが、一つ上手く行った途端、後のそれは勢いに乗ることが出来たかの様に上手く行った。
「兎月くんのアドバイスのお陰ですよ。……勿論、教え方もですけれど」
「主様、勿体のう御座います」
兎月はそう言うが、セレスティは本気でそう思っているのだ。
あの時兎月から、『食べる者の顔を想像すれば、きっと上手く行く』と言われ、セレスティは様々な人の顔を思い出し、彼、彼女らに食べて貰う顔を想像すると、自然と気持ちが落ち着いたのだ。
ただ『美味しい』と言ってもらうことが嬉しいのではない。
手ずから作ったものを食べてもらい、そして喜んで貰えることが嬉しいのだ。
今回そのことを身を持って知ったセレスティは、目の前にあるそれらを慈しみを含んだ瞳で見つつ呟いた。
「今度は、時期的にもクリスマスですかねぇ……」
背後にいた兎月の顔を、セレスティが見ることが適わなかったのは、幸か不幸か、それは暫しの時間を必要とするだろう。
Ende
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