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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


散歩は熱く、そして速く

「よーし、行くか」
 待っていた犬たち、猫たちに一声かけて、久住良平(くずみ・りょうへい)は歩き出した。河川敷はすぐそこだ。引き綱は一応持っているものの、犬たちは自然に彼を囲むようにして歩き、猫たちはその後ろから、それぞれのペースを保ちつつ追ってくる。犬三頭、猫二匹の大所帯だ。歩き始めた途端に、ざっと川風が吹き付けて、良平は思わずぶるっと身を震わせた。
「さっすがに寒くなってきたなあ」
呟くと、すぐ横を歩いていた一頭がこちらを見上げた。ゴールデンレトリーバーの雄だがかなりの老齢らしく、ゴールデンと言うよりシルバーと言った方が近い毛並みは、張りが無くぱさぱさしていた。元の飼い主と別れた理由は、背中の大きなハゲにあるのか、それとも別の何かなのかは、知らない。おっとりとした性格だが、まだ若い他の二頭も彼には一目置いているらしく、久住家の動物たちのまとめ役のような役割を担っていた。
「お前も寒い?」
聞いた良平に、彼が大丈夫、と言いたげに大きな尻尾を振る。傾きかけた陽の中、皆を引き連れて土手を登ろうとしたその時、良平は土手の小道に、見覚えのある人影を見つけたのだ。
「氷川さん?…」
 半ば呟くように言ったのが聞えたのだろうか。氷川笑也(ひかわ・しょうや)はぴくりと顔をこちらへ向けた。片頬に日が当たり、黒い髪がオレンジがかって輝いて見える。じっと良平を見たその表情には寸分の変わりも無く、見ようによっては『しまった』と後悔しているように見えなくも無かったが、そんな事を気にする良平ではない。やっぱり、と叫ぶと、すぐに駆け寄った。
「めっずらしいなあ〜。近くで用事ですか?」
 笑也がこくり、と頷く。
「俺んち、このすぐ近くで…これからこいつらの散歩に行く所だったんです」
 良平がそう言うより前から、笑也の視線は良平の足元に注がれていた。犬三頭に猫二匹の大所帯は、やはり珍しいのだろう。猫たちも追いついていて、近くをうろうろ歩き回っている。三毛と黒の、どちらも雌だ。
「前に言いましたっけ、俺、捨て犬とか猫とかつい連れてきちまって」
 と笑うと、笑也はちらりと彼を見て、すぐに視線を戻した。無愛想で無表情な彼だが、実は動物が好きなのだ。何も言わない笑也の代わりに、猫二匹が良平の足元に擦り寄った。見た所、笑也は急いではいないらしい。それならば、と良平はにっと笑って、
「これから帰るんすよね?俺、先の橋んとこまで行きますから、一緒に…」
 散歩して行きません?と、言おうとしたのだが。
「…氷川…さん?」
 大好きな先輩は、小さな影と対峙している真っ最中だった。相手は良平の連れていた犬のうちの一頭。柴の雑種だ。雑種ではあるものの、柴の血が濃く現れていて、氷川家では柴とか柴太郎とか呼ばれていた。じっとにらみ合うように向き合った一人と一匹を見て、良平は正直、珍しいな、と思った。確かに人見知りの激しい犬ではあるのだが、それだけにいつもならば良平の後ろに廻って知らん振りをするのが、今日に限っては最前線に立ちはだかって睨みをきかせるつもりらしい。笑也も笑也で、犬相手に一歩も退かず、じっと彼を見下ろしている。奇妙な緊張感が辺りに漂いつつあるのにも、気づいていないらしい。通りかかる人も、不思議そうに笑也と柴を見比べている。
「えー…と」
 何と言ったら良いものか。だが引き綱を引っ張ってもどうしても、柴は全く動こうとせず、良平は溜息を吐いて、笑也の方に声をかけた。
「とりあえず、歩きません?帰り道…っすよね?」
 ようやく我に返ったらしい笑也が微かに頷き、歩き出す。すると柴もまた、負けじと歩き出した。その様子を見て、私も、と柴の少し前に飛び出したのは、黒猫だ。スリムな体格の彼女は、好奇心旺盛で猫にしては警戒心が少ない。金色の目をらんらんと輝かせ、時折ちらりちらりと笑也たちを振り向いている。こうなると歩きにくいのは、良平たちだ。何しろ柴と笑也はじっと見詰め合ったままずんずんと歩き、ペースも何もあったものではない。特に老犬であるレトリーバーはきつそうだ。溜まりかねた良平は、笑也に声をかけた。
「氷川さんっ!…あの、こいつの綱、持ってみます?」
 立ち止まって振り向いた顔は、明らかに『何故』と言っている。分かってないのね、と溜息を吐きつつも、良平はうーん、と考えて、
「こいつ、どうやら氷川さんの事、気に入ったみたいだからさ」
 と、下手くそな嘘を吐いてみた。…そんな筈はない、と怒られるだろうか、と思ったが、意外にも笑也は素直に手を差し出してきた。
「あ…ありがとうございます…」
 さすが隠れ動物好き。と心の中で付け加えたが、勿論何も言わずに柴の引き綱を渡した。抗いはしないが、どう見ても、柴は笑也に懐いている訳ではない。人一倍、いや、犬一倍人見知りの激しい彼の心を開くのは、良平でもかなり大変だったのだ。吠え付くよりもいきなり噛み付く、と言う困ったタイプで、良平自身、何度か噛まれている事もあり、冷や冷やものではあったがのだが、彼は笑也を睨みつけつつもそういう様子は見えない。何と言うか…ライバルを見つけた、そんな様子だ。笑也の方はと言えば、相変わらずの無表情で何を考えているのかは分からない。だが、渡された綱をぐっと握り締めているのが見て取れた。緊張からなのか、それとも喜んでいるのか。
「あの橋の所で待っててくれれば…」
 と言った声を聞いていたのかいないのか。さっさと歩き出した笑也に負けじと、柴も歩調を速める。黒猫は当然ながら彼らについて楽しそうに駆け出し、三毛が面倒くさそうにその後に続いて行った。この二匹は案外と仲が良いのだ。知らぬ人が見れば、猫同伴の楽しいお散歩風景かも知れないが…。人と犬の間には、目に見えぬ火花が散っていた。柴が歩調を速めれば、笑也もまた負けじと早歩きになり、そうすると柴もまたててっと半ば駆けるように歩く。要するに、お互いに相手が先に行くのが何となく嫌なのだ。どうして、と聞いても多分返答は帰ってこないだろうが。
「…勝負だな、ありゃ」
 呟く良平に、レトリーバーが尻尾で賛成の意を表す。まだ若い茶の雑種(これもまた耳が少々垂れている以外は、柴の血を受け継いでいるように見えるのだが)は、早足の柴達が羨ましいのか、早く行こうよと綱を引っ張った。
「あ、悪い悪い」
 彼らに少しでも追いつかねば、といつもより少し早めのペースで歩き出す。と言っても、老犬であるレトリーバーを連れているから、走る訳にも行かない。はやる若犬を宥めつつ、笑也達の跡を追った。一人と一匹は時折互いにちら、と視線を交わしつつ、早足、と言うより小走りと言うべきじゃなかろうか、と言うペースでずんずんと進んでいく。良平たちがいつも渡る橋のたもとまではあっと言う間だった。
「…早っ」
 唖然としつつも、良平は少し、慌てた。いつもの散歩コースならば、橋を渡って反対側の河川敷に降り、引き返すように歩いて家の方に戻り、もう一本の橋を渡って帰ってくるのだ。氷川家に帰る笑也とは、橋のたもとで別れる事になる。柴がうまい事、立ち止まってくれるのでは無いかと期待した良平だったが、やはりそう上手くは行かなかった。柴は当然のように橋を渡り始め、笑也もまた、足を早めて共に橋を渡り始めたからだ。
「うわ、全行程行くつもりだよ、あの人たち」
 呟いた良平に、レトリーバーが、らしいね、と尻尾を振り、茶色が、早く行こうよ、と小さく吠えた。二人の小競り合いを見るのに飽きたのだろうか。猫二匹がたもとで立ち止まってこちらを振り向いている。良平は仕方ないな、と溜息を吐いて歩調を速めた。レトリーバーも状況が分かっているからだろう。文句を言わずについてくる。茶色に至っては大喜びだ。良平たちが追いついてくるのを見て、猫たちもゆっくり橋を渡り始める。彼らにはすぐに合流し、渡り終えた頃には猫二匹、犬二頭となった良平一行だったが、ずっと先を行っていた笑也たちに追いついたのは、最初に笑也と鉢合わせた土手だった。良平たちが来るのがもう少し遅ければ、この負けず嫌い(?)な犬と人間は、河川敷第二周目に突入していたに違いないと、良平は思った。
「…あ、ありがとうございます!」
 礼を言うと、笑也は首を振って、良平の手に引き綱を返した。その様子はどことなく名残惜しそうで、良平は思わず笑みを漏らしたが、何も言わずに受け取った。その間も、柴はじっと笑也を見詰めていた。ライバルを見詰める視線だ。それを正面から見詰め返す笑也に苦笑しつつ、
「結局、全部付き合わせちまいましたね、散歩。帰る所だったのに、すみません」
と謝ると、笑也はまた、首を振った。一応、彼も楽しんだ、と言う事なのだろう。良平ほっとしつつ、ポケットを探った。
「これ、俺からのお礼です。俺が人に食べ物をあげる、なんて珍しいんですよ?」
 と勿体をつけて、笑也の手に乗せたのは…。のど飴だった。しかも、かぼちゃ味。見つけた時はまさかと思ったのだが、いつか笑也に見せたくて、金欠にもかかわらず買ったものだ。
「秋限定!今しか食べられないっすよ。味はちょっと微妙っすけど」
 良平が言うと、笑也はああ、と言うように目を細め、しかし溜息を吐いて首を振り、自分のポケットに手を伸ばして、似たような小さな包みを良平の手に落とした。同じくのど飴だ。『のど飴 柿味』勿論、秋限定だ。
「あの、これって…」
 ダメ出しって事ですか、と良平が聞くより早く、笑也が小さな声でぽつりと言った。
「果物」
「かぼちゃは、果物ではない、って…事…?」
 そして、のど飴は果物味でないとダメだという事なのか。その問いには答えぬまま、夕暮れの中去っていく笑也の背中を呆然と見送る良平の横で、柴(雑種だが)は、静かに、かつ精悍な眼差しでライバルを見送っていた。

<終り>