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<東京怪談ノベル(シングル)>


 □しろがねの幻影□
 
 
 暗い小道に灯りが点る。
 ひとつ、ふたつ、徐々にそれらは増えていき、やがて灯りは長い隊列を成して小道をねり歩き始める。小さなかぼちゃをくり抜いた手製のランタンをぶら下げているのは、小さな手。幾つものふっくらとした指が木の棒を揺らすたび、先にくくり付けられたランタンが揺れ、藍色の空間に光の軌跡を残していく。ろうそくの柔らかな光に照らされた小さな手の主たちは、魔女の帽子の下から、ミイラの包帯の中から、一様に輝く瞳をのぞかせていた。
 期待と興奮に満ち満ちた眼差しを背に受け、隊列を先導するひときわ大きな影があった。ほんの僅かに欠けた月の下、銀の毛がついた大きな手袋が時折きらきらと光を弾く他は、何ひとつ輝きを発するものをつけてはおらず、髪も衣服も全てが黒色で統一されている。
 ともすれば闇の中に沈んでいってしまいそうな黒の背を、子どもたちは灯りをかかげながら追っていく。
 そこには信頼の色だけがあった。
 
「ねーねー月人せんせー、こんどはおれたちの班があれ、いうんだよね?」 
 
 先頭を歩いていた活発そうな少年に服を引かれ、月人と呼ばれた長身の男は振り返る。
 
「ええ、そうです。今度の家はおじいさんとおばあさんの二人きりだそうですから、次の班のみんなも思いっきり元気な声で言って下さいね。きっとお二人も喜んで迎えてくれると思いますよ」 
「うんっ! えーと、『とりっくおあとれーらー』だっけ?」 
「トレーラーだとくるまじゃない。ねえせんせー、『とりっくおあとりーと!』だよね?」
 
 その後ろにいた少女がひょい、と頭をのぞかせて訂正すると、月人は微笑んで頷く。
 
「トレーラーも格好いいですが、この場合はTreatが正解ですね。……さて、着きましたよ」

 銀の狼を模した手袋でぽん、と少年少女の頭を撫でると、月人はあらかじめ決められた班の面々を前へと集める。狼男やフランケンなど、様々な扮装をした子どもたちがわくわくしながら自分を見上げてくるのを見て、月人は目を細めながら肉球つきの手袋を振り上げた。
 
「さあ、それじゃあ私が呼び鈴を押したらみんなで声をかけましょう。準備はいいですか?」
 
 子どもたちが頷く中、月人は脇によけて指先だけをそっと呼び鈴へと触れさせる。
 澄んだ、けれど人工的な鐘の音が鳴ると同時に、小さな口が一斉に開いた。
 
『Trick or Treat!』 
 
 
 
 
 
「ご苦労様です、叶先生」 
 
 教会の敷地へと足を踏み入れた月人が顔を上げると、ゆったりとした服に身を包んだ初老の女性が立っていた。
 老女性牧師はランタンを手に傍らを駆け抜けていく子どもたちへ「危ないからあまり急いではいけませんよ」と声をかけ、月人へと向き直る。
 
「子どもたち、とっても楽しかったみたいね。ほら、あんなにはしゃいで」
「普段行き慣れない家に行けたり、会えない人に会えたりしたからではないでしょうか。みんな近所の人の顔は知っていても、話をした事はなかったと思いますし。……こんな企画を立てて下さった町内会の方々に感謝、ですね」
「ええ、本当に。ひと昔前まではこの行事もとんと知れていなかったのにねえ。後で町内会長さんたちにお礼を言ってこなくちゃ」
「これでハロウィンがどんな祭りなのかを、みんなが知ってくれればいいんですが」

 その言葉に老女性牧師は小さく微笑む。
 
「そうね。それも大事だけれど、子どもたちが楽しんでくれればそれでいいようにも思えるわ。さあさ、叶先生。これからリンゴのゲームの用意をしなくちゃならないの、お手伝いよろしく頼みますね」
「分かりました。――――ああ、そうだ。かぼちゃ料理はどうなっていますか?」
「そちらは近所の奥様がたが腕をふるっている真っ最中よ。なんでも、外国のお料理ばっかりじゃつまらないから、年配の男の方向けに煮物とかおだんごとかも作っているらしいわ。ほら」
 
 教会付属の保育園から運び出した椅子やテーブル、それに加えて個々で持ち寄った大人用の椅子が雑然と並べられる中、次々に料理が運ばれてくるのが見える。三角巾をした様々な年齢の女性たちが大皿を手にやってくるたびに子どもらは群がり、男たちは手を叩いて出迎えていた。
 
 肌寒い季節にぴったりな暖かいかぼちゃスープの鍋のあとに、バスケットにてんこ盛りになった丸いかぼちゃパンが続く。種をアクセントに振りかけたパンは甘く香ばしい匂いを漂わせていた。
 次に和食組が使い込んだ鍋いっぱいのかぼちゃとひき肉の煮物を持ってきたかと思えば、かぼちゃと玉ねぎをマヨネーズなどであえたサラダが登場し、バーベキュー用具を持った男たちがその後を追いかけてくる。炭に火が点けられるのを月人たちは興味深そうに眺めていたが、遅れて出てきた女性が漬け込まれたスペアリブを持っているのを見て、合点がいったように頷いた。
 
「成る程、あれを焼く為にですか。はは、ずっとかぼちゃ料理が続いていましたから、ついにはあの上にかぼちゃを乗せて焼くのかと思いましたよ」
「ハロウィンと言うとついかぼちゃを連想してしまうけれど、そればかりっていうのも飽きてしまうでしょう? だからお肉やお野菜もいっぱい子どもたちに食べてもらおうって事になったのよ。近所のお店のご主人が張り切ってね、いい材料を提供してくれたりもして」
「ありがたいことです。きっと、今日はあの子たちにとっていい思い出に――――」
 
 住民たちと笑顔で食事をしている子どもたちを目を細めて見つめていた月人だったが、視界の端が霞んでいるのに気付いて言葉を切る。眼鏡が曇っているのかと確認するが、そうではない。
 
「どうしたの?」
 
 不思議そうな顔をして訊ねてくる女性牧師に「なんでもありません」と返し、月人は元通りの表情を作り上げたが、その一枚裏では獣の神経が何者かの到来を予感していた。
 霧はこの緑に包まれた教会の敷地内ではさして珍しいものではないが、今夜のように雲ひとつない晴れ渡った夜空の下で発生するとは考えにくい。
 そして黒髪に隠れた敏感な耳は、人には聞こえない鈍い足音を捉えていた。それが近づいてくるたびに霧もその白色を増してくるのを目の当たりにし、月人は確信する。どうやら歓迎できない客が、祭りの喧騒に惹かれてきてしまったようだった。
 こうしている間にも近づいてきている、招かれざる者を数え上げる。この敷地を包囲できるほどではないが、一斉にかかられては少々まずい事態になりかねない数だった。
 自分ひとりだけならばどうにでもなるが、今ここには大勢の人がいる。ならばこの身を餌にして一ヶ所へとおびき出し、林の奥で人知れず片付けてしまおうか――――。
 そんな事を考えていると、ひとりの少女が辺りを見回しながら歩いてくるのが見え、月人は屈みこみ声をかけた。
 
「どうしたんですか、何かなくし物でも?」
「ううん、ちがうの。あのね、ずっとさがしてるんだけど、見つからないの。ねえせんせー、せっかくいっぱいごちそうあるのに、食べにこないのっておかしいよね? あの子とってもくいしんぼなのに、どこにもいないの」
「それは――――」
 
 少女と割と仲が良い活発な少年の名を口にすると、少女は大きく頷いた。
 月人は腰を上げ辺りを見回したが、確かに料理を口にする園児の中にあの少年の姿はない。

「林の中に入っていってしまったんでしょうか……。ちょっと見てきます」
「せんせー、あたしも行く!」
「貴方はここにいて、みんなと一緒にお料理を食べながら待っていて下さい。大丈夫、すぐに戻ってきますから。……それでは女性牧師、お願いします」
「分かったわ、気をつけて」
「はい」

 少女は女性牧師の服の裾を握り、大きな背中が林の狭間に消えていくのをそわそわしながら見送っていた。
 そんな小さな肩を優しく叩き、女性牧師は言う。

「大丈夫ですよ、叶先生はすぐに戻ってきますから」
「でも、くらいんだよ? せんせーだってきっとひとりじゃこわいよ! ――――やっぱり、あたしも行くっ!!」
「あっ!」
 
 腕をすり抜けるようにして、少女は一目散に林へと駆ける。
 老体に鞭打ち追いかけようとした女性牧師だったが、それは漂ってきた白い霧によって阻まれてしまう。視界を僅かにふさぐ程度だったものは瞬く間に周囲を白色へと転じさせ、遠近感の消え失せた一色の世界へと陥れた。
 広がるのがあまりにも早すぎる霧の中、女性牧師は呆然とその場に立ち竦む。

「これは…………」

 繰り広げられる異常に、女性牧師は今日がどういう日なのかを思い出し、唇を引き結んだ。


 十月三十一日、万聖節の前夜祭――――通称、ハロウィン。
 この世に戻ってくる死者や魔物の魂を慰める、最初の日である。






「どこに行ってしまったんだ……」

 この林は昼間ならばさして深くは感じないが、夜という時間帯に加えこの濃霧。幼い子どもならば怯え震えていてもおかしくはないだろう。
 早く見つけなければ。そう思いながら再び草むらへと足を踏み出そうとした、その時だった。
 
 
『うーわ――――――――っ!!』 
 
 
 重なり合う二つの悲鳴が鼓膜を震わせ、同時に月人の足は声のした方向へと疾走を始めていた。
 しかし妙だ、そう彼は思う。少女が「いなくなった」と言っていたのはあの少年ひとりきりの筈だというのに、何故甲高い悲鳴は二つも聞こえたのか。

「まさか、他にも……?」

 やがて不意に視界が晴れたのに気付いて振り返れば、まるで壁が存在しているかのように、霧が一定の場所で留まっているのが見えた。
 これ幸いとばかりに速度を増し、茂みをかき分けていくと、やがて視界に入ってきたものは――――

「うわぁあああん、なにこれー。きもちわるいよー!」
「なくなよ! ……こっ、こわくなんかないんだからなっ! だからここから先に入ってくんなよっ? 入ってきたらばっきん、ひゃくおくまん円だからなっ?!」

 少しばかり開けた林の中、震えながら指で線を引いてみせる少年の前に、大きな影が立っていた。
 霧のない空から降り注ぐ月光が、でこぼこの巨大な頭に複雑な陰影を落としている。三角に切り取られた目の奥はただ黒く、大きく裂けた口もまた同様だった。背後には闇がわだかまり、その中からは幾つもの緑色に輝く目がのぞいている。

「なんでかぼちゃが歩いてるのー? いやだもうこっちこないでよー!」
「ふ、ふんっ! きっとこの中には人が入ってるんだぜ? おれしってるんだからな、ヒーローショーのかいじゅうの中に人が入ってるの! だからきっとこいつも人が入ってるにきまってる!」
「……ほんとう?」

 少年の後ろに隠れていた少女が、その言葉に恐る恐るといった風に前をうかがうと、かぼちゃ頭の怪人はゆらゆらと頭を揺らめかせながら、黒いローブに包まれた身体を一歩前へと進ませて言った。

「……あのよー、そこまで怖がられるとこっちとしてもどうすりゃいいのか分からないんだけど」

 飛び出しかけていた月人は、困惑しているかのような怪人の言葉につい足を止める。
 かぼちゃ怪人は再び泣き出した少女の声にうんざりしたかのように、ぽりぽりと頭のヘタをかきつつ真っ黒な腕を組んで唸っていた。

「まいったなあ。こっちは驚かすのが本業だけど、驚かしたら逃げてもらわなきゃ困るんだよなー。なあお二人さん、悪いけど次驚かしたら逃げてくんない? 俺もこの後いろいろ回らなくちゃなんないからさー。ハロウィンお化けも楽じゃねーよまったくよー」
「く、くるなよっ!!」

 しかし怪人の言葉はパニック状態の子どもたちに届いてはいないらしく、二人の少年少女はひたすらに足を震わせながら立ち尽くしている。
 影からそれを見つめていた月人は、かぼちゃお化けの意外にも人間くさい言動を逆に不審に思い、風に乗った匂いを嗅いでみたが、しかし匂いはここにいるべきではない者のそれだった。

「しかし随分と人間くさい魔物ですね……」

 月人のしみじみとした呟きに応えるように、かぼちゃは大きな頭を九十度に傾けた。どうやら首をかしげているつもりらしい。

「うーん、俺らまだまだ行くところあんのになー。さっさと逃げてくれねーと、お前さんがたもこっちの世界に引きずりこまなくちゃならなくなんのよ。まだ若い身空でそうはなりたくないだろ? というわけでそーら逃げろ、バー」
『うわぁあああああん!』

 しかし子どもたちは足がすくんでしまったらしく、ローブに包まれた両腕を広げて驚かすかぼちゃのお化けの前から動こうとはしない。
 その反応に、かぼちゃはとうとう諦めたように肩をすくめた。

「あーもうこりゃしょうがねーや、めんどくせーけど連れていこ。おーい、包帯の! このガキ二人連れて行くから手貸してくれ」
「おいら嫌ですよ、ガキのおもりなんか。それよりさっさと包帯まき直さないと……ああ、またほどけてら」
「いいからぶちぶち行ってないで早く……っ?!」

 真横を過ぎ去った強烈な風に、かぼちゃお化けは思わず息を詰まらせた。すぐ近くで包帯をまき直していた包帯男が小さく声をあげる。巻こうとしていた包帯が突風に煽られ、夜空に舞っていた。
 それを追うように視線を動かした怪人たちの前に、風が降り立つ。
 銀色の毛並みに、大人をひと回りほど大きくした体長のそれは、背中に二人の子どもを乗せながら金色の目でじっと怪人たちを見つめていた。

「あ……あれ?」
「おれたち…………」

 銀色の体毛の上で、子どもたちはきょろきょろと辺りを見回していたが、やがて自分たちが何かの生き物の上にいるのを知ると、再び叫び声をあげ始めた。

「わぁああん、こんどはなにー?!」
「わかんねーよ、おれにきくなよっ!」
『こらこら二人とも、喧嘩はいけませんよ』

 声ではなく、頭に直接響いてくるそれに二人は瞬きを繰り返すが、そんな様子を感じ取った銀色の獣――――月人は、心の中で静かに笑みながらもう一度言葉を飛ばす。
 
『怖がらないで、私は貴方たちの敵ではありません。そうですね……叶先生の友だち、とでもしておきましょうか』
「せんせーの?」
『そうです。さあ、先生がとても心配していますよ。早くみんなのところへ戻りましょう』
「え、だ、だけど、どうやってだよ?」
『私の背中にしっかりと掴まっていて下さい。――――行きますよ、振り落とされないで!』

 言うやいなや、月人は大きく身体をたわめ高く飛び上がる。このまま茂みへと飛び込んで怪人たちから逃れようという計算だった。
 が、しかしそうは問屋が卸さない。

「ちょーっと待ていっ!」
『!!』
 
 あと少しで茂みに到達しそうだった前足が包帯に絡め取られ、月人はバランスを崩しかけるが、背に子どもたちが乗っている事を思い出すと無理やりに体勢を整え、着地する。少し離れた場所で、包帯を生き物のように棚引かせている怪人とかぼちゃのお化けが並んでこちらを見ていた。
 かぼちゃが一歩踏み出す。
 
「おい飛び入り狼。驚かされもせずにさっさと逃げようなんざ、いい度胸してるな」
『…………? 貴方たちはこの子たちに逃げて欲しかったのではないのですか?』
「そいつらが逃げるのは別に構わねーさ、一度驚かしたんだし。だがな、貴様はまだ驚かしてもいねーってのに逃げようとしている。そいつはルール違反だ」
 
 かぼちゃの言葉を受けるようにして、包帯男が続ける。
 
「いったんおいらたちに出会ったら、必ず驚いて逃げてもらわなくちゃ困るって事でさ。大体おいらたちゃその為に、えっちらおっちらここまで来てるんだからなぁ」
「という事だ。分かったらさっさと驚いてしまえ! そらバー」
 
 かぼちゃが自信満々といった様子で両手を広げて驚かせポーズをとるが、しかし月人にとっては「面白いポーズですねえ」ぐらいのインパクトでしかなかったので、当然ながら驚ける筈もなく、辺りは一瞬沈黙に包まれる。
 
「……おいこら、なんで驚かねーんだよっ!」 
『いや、まあ……それじゃあ「うわー、びっくりしたー」とかでどうでしょうか……』
「何だそのいかにもわざとらしーい発音は! ええい、それじゃあ俺のとっておきを見せてやるぜ……びっくりしすぎておしっこちびっても知らねーからな! バー!」 
 
 しかし今度は何故か足を振り上げるオプションがついただけで、驚くというよりはむしろ笑いを誘うポーズと化している。それを証明するかのように、月人の背中に乗った子どもたちからも吹き出すような気配がした。
 
「兄さん、なんか笑われてまっせ」
「うるせっ!」 
  
 包帯男のツッコミに引っぱたきで答えると、かぼちゃお化けは眼窩の奥に火を点しながらゆらりと月人たちを見る。

「こうなったらそこの狼! てめーが驚くまでここから帰さねーかんなっ!」
『いや、私たちはそろそろ失礼したいんですが……』
「そっちの都合なんて関係あるかっ、狼一匹驚かせられないなんて、かぼちゃ一族の名折れもいいとこだ……ってこら、待てーっ!」

 話もそこそこにさっさと跳躍した月人を追うように、包帯男が腕から包帯を一直線に飛ばした。傷を覆う布とは思えないほどに硬質化したそれは、まるで槍のように下から月人たちを貫こうと襲いかかってくる。

『二人とも、しっかり掴まっていて下さい。少しばかり荒っぽい動きをします!』
「う、うんっ!」
「わかった!」
 
 銀の体毛を握り締める気配が伝わってくると、月人は金の瞳を見開いた。次から次へと襲い来る包帯を下の男の立ち位置から予測し、木々の枝葉を蹴り上げては逃れていく。
 
「かーっ、ちょこまかとよう動くなぁ……っ!」
 
 包帯男も負けじと不規則な動きに切り替えるが、月人の瞳は不規則の中に潜む規則を確実に読んでいた。疾走と跳躍を織り交ぜ、攻撃の全てを毛のひとすじにすら掠らせずに地面に降り立ち、再び高く高く夜空へと舞い上がる。
 
『そろそろお遊びは止めましょうか。私はこの子たちを一刻も早くみんなの下へと帰したいのでね。……子どもたちにふさわしいのは魔物蠢く月の夜ではなく、輝ける朝日だ』

 下界で再び攻撃態勢に入ろうとしていた包帯男のそれを凌駕する速度で月人は宙を蹴り、そして。
  
 
 オオ――――オオ――――――――ン! 
 
 
 狼は大気を震わせる雄叫びをあげながら銀の弾丸と化し、驚愕の表情を浮かべる二体の魔物へとまっさかさまに突っ込んでいく――――――――。
 
 

 
 

「……――――ん、――――さん。こんなところで眠っていると風邪を引きますよ」 
「う……ん……?」

 少女が目を開けると、そこは大空だった。その事実に驚いて何度か瞬きを繰り返していると、ようやく少女は自分が寝転がっていた為に、空しか見えなかったのだという事実に気付いた。 そして、自分を優しい目で見下ろしているのが『月人せんせー』だという事を知る。

「ねえ、せんせー」
「はい?」
 
 手を繋いで教会へと戻る途中、少女は意を決したように切り出した。
 
「あのね、朝からおもってたんだけどね、せんせーっておおかみさんのお友だち、いない?」
「狼、ですか? ……いいえ、残念ながら」 
「そっかあ……。あのね、今日の朝おうちで目がさめるまで、ずうっとゆめをみてたみたいなの。せんせーのお友だちだっていう、とってもきれいなおおかみさんのせなかにのって、かぼちゃのお化けやほうたいぐるぐるーってしてる人を、どっかーんってやっつけるゆめ」
「ふふ、それはまた楽しそうな夢でしたね」
「でもねっ、すっごくほんとうみたいだったの! おおかみさんの毛がわもふかふかしてたし、かぼちゃさんの『ばー』はへんだったし……あとね、あとねっ」
 
 しかし少女が更に言い募ろうとしたところで園舎の窓が開き、女性牧師が顔を出した。
 
「さあさあ、おやつの時間ですよ! みなさん、手を洗ってきて下さい!」
「もうそんな時間ですか。さあ、行きましょう。今日のおやつはいつものより、ほんのちょっと豪華らしいですよ?」
「あ……う、うん!」

 まだまだ言いたかった事はあるにせよ、一日の楽しみであるおやつの誘惑には勝てずに、少女は月人と一緒に手洗い場へと向かった。
 ほどなくそれを終えた二人が教室へと戻っていく途中、活発な少年が現れ、月人のもう片方の手をとる。しばらくなごやかに語りながら歩いていた三人だったが、会話はとある一室の前で足を止めた少女によってふと遮られた。

「……あれえ」

 女性牧師たちがせっせと用意しているのは、美味しそうな黄色いパイだった。きちんと園児たち全員に行き渡らせる為か、パイ皿はたくさん置いてあったが、少女はその中のひとつだけをただじっと見つめている。

「ああ、見つかってしまいましたね。あれが今日のおやつ、かぼちゃのパイです。いい材料ですし、皆さんが腕によりをかけてくれたそうですから、きっと美味しいですよ。……さあ、教室でおやつが来るのを待っていましょう」
「はーいっ! ほら、はやくいこうぜ!」
「う、うんっ!」 

 二人に促されて少女は再び歩き出したが、脳裏にはいつまでもひとつのかぼちゃパイの映像が残っていた。

「あれはほんとに、ゆめだったのかなあ……」





 かぼちゃのパイには、昨日行われたハロウィン祭りの名残のような装飾が様々に施されていた。
 砂糖菓子のお化けや骸骨を乗せたもの、パイ生地の余りでランタンを模したものなどの中で、こんがりと焼き上がったひとつのパイ皿の上にある飾りがひときわ目をひいていた。
 
「あら。これ、誰がやったの?」 
「叶先生みたいですよ。ふふ、かわいい飾り付けになっていますね」
 
 パイ生地で作ったらしい大きめのかぼちゃのランタンもどきの上に、同じ生地で作ったらしい細長い物体が、まるで包帯のように十重二十重にとかぼちゃへと巻き付いていた。



「――――全てはハロウィンが見せた一夜の夢。僅かに残る思い出はかぼちゃと一緒に食べてしまいましょうか」
「? せんせー、なにかいった?」

 月人はパイを切り分けながら微笑み、

「いいえ、なんでもありませんよ」

 
 そう、答えるのだった。






 END.