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<東京怪談ノベル(シングル)>


狭間の影で笑う者


 暗闇の中、俺の意識は緩やかなカーヴを描いているかのように、ゆっくりと目覚めていった。
 昔のテレビのように、電源を入れてからゆっくりと画像が見えてくる。そう言った感覚に酷似した、覚醒であった。
 俺の意識が戻ってきたのだ。
 うっすらとした意識の中、俺は今いる場所を確認する。否、俺のものとなる門屋・将太郎(かどや しょうたろう)の肉体が存在する場所を。
 白を基調とした、清潔な空間。つまりは、病院の一室のようだった。
(なるほど)
 俺は呟き、ふと自分に凭れかかって眠っている存在に気付いた。意識が鮮明になるほどに気付く、その存在の正体。
 門屋だった。
 俺は思わず笑う。いや、笑わずにはいられようか……!
 あれだけ頑なに俺を拒んでいた門屋だったのに、結局こうして俺が門屋を完全に支配したのだから。
(どうやら……俺の勝ちのようだな)
 眠っている門屋だが、聞こえてはいるはずだ。眠っているといっても、本当に根底の意識までが完全に眠ってしまった訳じゃないのだろうから。
(聞こえるか、声が。俺の声が、外の声が)
 俺は俺に凭れかかったまま眠っている門屋に、話し掛ける。門屋はぴくりとも顔を動かさなかったが、ちゃんと声が聞こえる事を俺は知っている。
 だからこそ話し掛けるのだ。
 勝利の余韻が、俺を酔わせる。それが更に俺を饒舌にさせる。
 俺たちの周りは、闇の世界だ。真っ暗で、何処までも沈んでいくかのような黒い、何も見受けられぬ世界。一筋の光すら存在を赦さないかのような、完璧なる闇。
 それでも、俺には分かっていた。一寸先も見えぬような闇の中、俺には分かるのだ。
 ここには、俺たちしかいないと。
 俺は自然と笑みが零れるのを止められなかった。勝ったという事実が、実感として俺の中に溢れていくからだ。
(ここには、俺たちしかいないからな)
 眠っている門屋から、返事は無い。
「……あぁ」
 誰かの声が聞こえた。外からだ。俺はその声の主を知っている。
 草間興信所の探偵、草間・武彦。
 門屋の身に何が起こったのかを知っている、唯一といっていい程の人物だ。
(……門屋、外の声が聞こえるぜ?)
 聞こえて来た草間の声に、俺は相変わらず眠りつづけている門屋に話し掛ける。
(お前と俺が入れ替わった経緯を、草間の奴が話そうとしているみたいだぜ)
 門屋の肉体を通じて聞こえる、外の声。それは草間だけではなく、他にも人間がいると事を示していた。だが、俺にはどうでもいい事だ。他に誰がいようと、そいつらは無視だ。
 今の俺にとって、経緯を話そうとする草間こそが一番重要なのだから。
「実は……」
 草間の声が聞こえる。俺は思わず笑みを浮かべ、再び門屋に話し掛ける。
(聞こえるだろう?心を閉ざしていても、聞こえる筈だ……と、始まったようだ)
 草間が、神妙に言葉を紡ぎ始めたのだ。俺は門屋に(聞こうぜ)と言ってから、耳を澄ました。
「新聖都学園で、苛めを苦に自殺しようとした生徒がいたんだ」
 熱心にお前が宥めた、生徒のことだぜ?門屋。
「その生徒を宥めているうちに、あいつは苛めを行っていた生徒の存在を知ったんだ」
 草間はそう言い、小さく溜息をついたようだった。
 ああ、懐かしいな?門屋。俺もちゃんと覚えているぜ。記念すべき、素晴らしい舞台の幕開けだったんだからな。
「あいつはそいつらと話し合いをしようとした。そしてその際に……事故が起きたんだ」
 草間の話を聞いている奴らは、はっと息を飲んだようだった。当然だ、その事件こそが今こうして俺と門屋が入れ替わる決定打を与えたのだから。
「調査を進めていくうちに、事の真相がわかった。門屋は、能力者だったんだ」
 門屋、聞いたか?草間の奴がああいう事を言っているぜ?いいのか?弁明しなくて。いや、俺は構わないぜ?尤も……お前にそうできるだけの力は、残されていないが。
 お前に出来るのは、そうやって眠りつづける事だけだからな。
「記憶を消し去るほどの、強力な力を持つ……」
 草間は、そこまで言って語尾を詰まらせた。俺は思わず笑う。
(確かにその通りだぜ、草間)
 俺は草間に話し掛ける。確かに、さっきの話は筋としては間違っていない。だが、あくまでもそれは筋としてだ。
 一つだけ、大きな間違いがある。
(記憶を消したのは、門屋じゃない)
 それははっきりさせておかねばならなかった。門屋には、そのような記憶消去の力などないからだ。
(それをやったのは、俺だ)
 相変わらず外では、草間と他の奴らが話していた。時折苦しそうに、辛そうに。
 そういったやり取りを聞いていると、俺の口元には自然と笑みが浮かんでくる。
 だって、そうだろう?あいつらはその出来事が最悪の事件として扱っているのかもしれないが、実際にそのように聞こえてくるが……俺にとっては、最高の瞬間を与えたものだったのだから。
 こうして俺に凭れかかったまま、眠っている門屋。あの事件が無ければ、お前だって眠る事はなかったのかもしれない。
 ほら、良かったじゃないか。お前にとっても、最高の出来事じゃないか!
 俺はくつくつと笑う。
 外でのやり取りは、俺にとっては喜劇にしか聞こえないからだ。どうすればいいのだろうかと迷っているだけで、答えなど出ないだろう会議。議題が議題だけに、結論など出る筈も無い。
(滑稽だな?門屋)
 声は聞こえている筈だ、と俺は再び話し掛ける。何も聞こえていないかのように眠っているが、ちゃんと聞こえているのを俺は知っているんだ。残念だったな?門屋。
 暗く深い闇の世界の中、俺たちはこうして二人きり、外の世界を嘲り笑いながら存在している。悲痛で愚かな討論を繰り返す外と、それを聞いて可笑しさに笑い続ける内。これだけ凄い対比のある現実は、どんな喜劇も真似は出来ない。
 眠る門屋、目覚めた俺。
 苦悩する外の世界、嘲笑する内の世界。
 一見対照的で、交わる事の無さそうな二つが、こうして同時に存在している。
(まだ、外ではお前について話し合いが続いてるぜ?門屋)
 それは、草間の奴を中心としたくだらない話し合いだった。
 どうすれば門屋を元のように戻せるかだとか、これからどうやっていく事が一番良いのか、等と言った事だ。
(そんな事、決まってるじゃないか)
 外の奴らには決めかねているかもしれないが、俺には着実に分かっていた。
 まず、門屋を元のように戻す事は不可能だ。
 俺がいるから。俺がこうしているから。俺がいる限り、門屋が前のように戻るという事はありえない。
 次に、どうやっていくのがいいかなんて、決まりきっていて寧ろつまらない。
(このまま、だよな?)
 眠る門屋と、覚醒した俺。このまま現状を突き進む事が、一番良いに決まっている。
 俺にとっても、門屋にとっても。
 外の奴らは、俺のそんな決定事項を知る事も無く、まだ話し合いを続けていた。
(とんだ茶番劇だな。……なぁ、門屋)
 俺はその話し合いの様子を聞きながら、笑った。その度に俺に凭れかかって眠り続ける門屋の存在を確かに感じ、更なる笑いがこみ上げてくる。
 俺はそれを押さえる事なくその衝動に身を委ねているのだ。外の世界がどれだけ苦悩に満ちているかは分からないが、こうしている内なる世界に溢れる滑稽さならば分かる。
 悩み、苦しんでいるのが延々と続いている外の様子に、俺は口元が綻ぶのを止めようともしなかったのだった。

<笑い声が狭間の影に響き渡り・了>