|
[ タケヒコ狩り(後編) ]
此処数日、武彦は何かがおかしいと思っていた。勿論自分の頭痛のこともそうであるし、このタケヒコ狩り騒ぎもそうだ。ただ、眩しいほどの朝日が差し込む月刊アトラス編集部の一室、そのソファーで寝転がっていると、不意にそれを思い出す。
「そう言えば……零は、何処行ったんだ?」
依然痛む頭で考え出せば出すほど答えは出ず。もう考えることを投げ出してしまおうと思ったとき、唐突にドアを開き駆け込んできた三下忠雄に、眠る思考が停止した。
「く、くくっく…草間さん!」
頭に響くその声が煩いなと思いながら、忠雄が手に持った封筒を開け、どうやらその中身を読み上げ始めたので大人しく聞く事にした。どうやら内容は武彦宛の手紙だ。
「『草間武彦殿。妹さんは預かりました。返して欲しければ何をするべきか、分かるわね?期日は三日。それ以上掛かったら妹も貴方も、コソコソ嗅ぎ回っている人間の命も、この先のタケヒコ達の命すらなくしてあげる。』って! これはど、どうど…うすれば!? しかも数日前に投函されていたらしくて期限が明日なんですよ!! あ、と、少し覗いてきた事務所が凄い有様だったんですけどぉ……」
コレ自体は興信所のポストにひっそりと突っ込まれていたらしい。手紙に気づかなければ有無を言わさず皆を狩って行くつもりだったのだのか……そして手紙の最後にはどういう意図か、携帯電話の番号が書かれていた。恐らく、彼女のものだろう。
「――……よこせ」
武彦は忠雄の手の中からその手紙を奪い取ると、痛む頭を左右に振りながらも身を起こす。
「ここまで言われて俺一人、寝てるわけにもいかないからな……ったく、会議室借りるぞ」
「は、はひっ! い、今一応許可とってきますっ」
□□□
会議室に集まったのは、以前と同じく藤郷弓月、シュライン エマ、人造六面王 羅火、神納水晶の四人。
時刻は正午を少し回った頃。期日は丁度明日の正午になる。
「悪い。ただ、俺も出来る限りフォローするつもりだ。いつも任せっぱなしだしな」
そんな四人に武彦は短く言う。
今回関われば危険が及ぶ事は事前に伝えていた。故に、それを承知で四人は此処に来たと言うことだ。もっとも、この中には危険など感じていない者が若干二名居るが。
「やっとあちらさんから動きがあったワケだし、いいじゃん?」
頬杖をつき、しれっと水晶は言う。
「ちょっと犯人のお姉さん追い詰められてるっぽいけど……ここまで来たんだから、最後までお付き合いしますよっ」
「もう、今更そんな言葉はいいわよ。それよりも武彦さんの体調は大丈夫なの?」
「あぁ。ピークは達したしいつまでも動けないんじゃ、依頼だけ押し付けてる役立たず探偵だからな」
弓月とシュラインの言葉に苦笑いを浮かべた武彦は、四人を見てそう言った。
「ならわしから草間に頼み事があるんじゃがいいかの?」
そんな武彦に、すかさず羅火が言う。
「死人を連れて来い、ということみたいじゃからな。その鏡とやらの死んだ場所を探してはくれぬか? 死人を連れて来るアテ、があるでの」
「へぇ、要求聞くアテあるんだ?」
羅火の言葉に、隣に座る水晶は「なぁんだ」とポツリ漏らす。彼にしたら、犯人の要求を叶える事は不可能であり、それを聞くつもりなど無かった。
しかし武彦が答える前。シュラインが羅火に言う。
「それなら私でもいいかしら? 武彦さんには西の探偵さんについて調べてもらいたいのよ。彼にしか出来ないことだし、もしかしたらそっちからも情報が入る可能性は十分あるのだけど」
「分かるならどっちでも構わん。無理は承知じゃが出来るだけ早めに頼むの」
「分かった。でも西の探偵ってなんだ?」
なにやら話は纏まってきているようだが、突然シュラインに降られた『西の探偵』の単語に武彦は首を傾げた。
「犯人のお姉さんに殺されちゃった…西の探偵さんですよね?」
「おそらく、女に目当ての男は死んでおる、と伝えたのじゃろうな。鏡とやらは女の、昔の男なのじゃろ」
「そう、それが認められず暴走した可能性があるから。西探偵事務所でこの件や芸能関係、鏡氏の療養場所等の資料調査をお願いしたいの。本当は彼女、彼と話したいだけなんじゃないかって」
「あ、芸能関係なら私やりますよ? 彼が芸能界に入ってから最後までを調べようかな、って思ってたので」
シュラインの提案に挙手したのは隣に座る弓月だ。その言葉にシュラインは芸能関係は弓月に任せることにし、武彦には事務所のことと、療養場所等の調査を任せることにした。
「でもそれならさ……ホント、何言ってもつーよーしないじゃん。一度死んでるって言われても又他の奴に探し出せ、なんてさ」
「案外、死人でも全く構わんかもしれぬ。女が鏡と会えるならば、と考えればじゃがの。そうすれば、草間の所に辿り着いた理由にもなるじゃろう?」
羅火とシュラインの考えは、どうやらある程度一致しているらしい。
「おいおい、やっぱり俺んとこはそういう方面に有名になってんのか……」
さり気ない羅火の一言に、武彦は思わず頭を抱えた。世間的には武彦に頼めば幽霊の一人や二人は会えるとでも思っているのだろう。
「それに俺、零が大人しくしてると思えないんだケドさ、やっぱあの死霊で動けなくされてんのかな?」
「それは私も同感ね。相手の能力が上回りすぎてる、或いは何か他に理由があって、とか」
「なんかもう、零さんも犯人のお姉さんも心配だなぁ……」
「零はまぁいいとして、犯人まで心配するんだ?」
少し俯き加減で言った弓月に、水晶は物珍しそうに向かい合わせの彼女へと言葉だけを飛ばした。目、と言うか顔は合わせていない。
「心配ですよ。それに私、出来るなら――ううん、出来なくてもどうにかして犯人のお姉さんとお話してみたい。話したら、何か変わるかもしれないし」
「まぁ、好きにすればイイんじゃない? 俺も多分俺のしたいようにやるしね」
「でもホント……無事で居て欲しいわ、零ちゃん」
心痛を抱えそっと押し黙った二人に対し、この四人の中で戦闘要員と言えるべき羅火と水晶はどんどん話の先を行く。
「後、女を待って時間を稼ぐか、呼び出しおびき寄せるかは状況次第じゃの」
「呼び出すなら広い所がイイな。暴れても大丈夫そうなさ。後は、零も連れて来て貰った方が手間も省けるんじゃない?」
「――時間は無いけれど、これについてはギリギリまで保留にしておきましょう」
ただ、二人の言葉にシュラインもそっと口を挟んだ。
「私はちょっとコネを使って鏡氏の出身履歴だとか、犯人との接点、後は遺骨の場所を当たることにするわ。とはいえ、鏡氏本人を連れてくるなら最後は不要になるかもしれないけれど」
「これで大体話はまとまったか? 後は各自連絡を取ることにして、一旦――」
まとめかかる武彦は、自分宛の手紙を適当に折りたたむと席を立つが、羅火がそれを静止する。
「いや、ちといいかの? あの女、見たところ能力の制御は出来ぬようじゃ」
「あ、ソレ確かに言えてる」
実際犯人と戦った羅火と水晶はそれをよく知っている。
「強く強く憎んだ時に……死霊どもがその意に従い鏡を屠ったのじゃろうて」
「あら、それってもしかして直接手を下さないにしろ、彼女が鏡氏を殺したって事かしら?」
「わしが考える可能性の話じゃよ。まぁとにかく、問題は出くわしたら何が起きるか分からぬ事での」
言いながら羅火はいつの間にかその手に持っていた、パッと見は炎のようなオレンジ色を持つファイアーオパールにも似た石を武彦も含めた五人に配った。
「うわぁ、綺麗ですね。何ですか、これ?」
「これって、もしかして羅火の?」
弓月は手渡された石を部屋の灯りに翳し、水晶は石を片手に持ち何度か真上に投げ羅火を見る。
「まぁ、主にこの場では神納限定じゃろうが能力の増幅と、ぬしらには護符として役立つじゃろう」
最後にシュラインと弓月、そして武彦を見た。羅火が皆に配ったのは、彼が溜めておいた、彼自身の体表に出来た力の結晶である。
「助かるわ。犯人に遭遇しないに越したことは無いけれど、何が起こるか予測は不能だから」
「分かった、俺もありがたく貰っておく。もう他には無いな?」
そう、今度こそと武彦は椅子から立ち上がった。
時刻は丁度午後一時。誘き寄せるのならば時刻は早まるだろうが、タイムリミットまでは残り二十三時間…‥
□□□
武彦と共に白王社を後にし、大通りに出るとそれぞれの道に分かれようとした。が、そこでタクシーを捕まえようと右手を上げていた武彦は、不意にその手で頭を叩いた。まだ頭痛が残っているらしい。
「ってぇ……な。とは言え、早いところ行かなくちゃな」
「大丈夫? やっぱり一緒に――」
ブツブツ呟く武彦の背に、同行するべきか声をかけるが、振り返った武彦はそっとかぶりを振った。
「いや、俺一人で大丈夫だ。何かあっても逃げ延びれると思うしな。だからそっちは任せた」
そして再び手を上げる。そこに丁度タクシーが停車した。
「分かったわ。気をつけて、武彦さん」
乗り込む武彦にシュラインは最後、言葉をかけ。タクシーが出ると自らも調査のためにと、目的地を目指した。
「さてと、一つずつ調べていくしかないわね……」
言いながら取り出すアドレス帳。名前からどの道に詳しかったか思い返し、数回ページを捲った所で手を止めた。
「表沙汰にならない話も多分、大丈夫でしょ」
未だ目的地へ向かう足を止めることは無く、携帯電話を上手く左の耳と肩で挟み、空いた手で手帳とペンを持つ。
暫くのコールの後出た相手は、直接鏡と関係がある人物ではないが、芸能関係に様々な回路を持っている男だ。
鏡氏の事を切り出すと、男は「奴に付きっ切りのジャーナリストが居たな」と呟き、シュラインはその人物の連絡先を教えて貰った。
礼を告げ電話を切ると、すぐさま教えてもらった電話先へとコールする。暫しの呼び出し音の後出た声は女性で、若く思えた。明るくはっきりした声は事情も切り出しやすいというものだ。
鏡について知りたいことを告げると、彼女は質問に応じる事を告げてきた。
彼女は鏡死亡までは完全に理解していたようだが、『タケヒコ狩り』との関連性があるかもしれないと言うことは、今の今まで知らなかったらしく、事件の事について話すと疑問の声が返ってきた。
「鏡氏の出身履歴と、遺骨の場所、遺言等の情報があれば教えて欲しいのですが」
果たしてジャーナリストとは言え、遺骨に遺言までは分かるのだろうかと、半信半疑の問いだったが、答えはあっさりと返ってくる。
『最近知ったのですが遺言…というか、誰か宛に手紙があったみたいです。多分、彼の家にまだあるかと。家と言っても彼が亡くなったマンションでなく、長野の実家で。遺骨もそちらにあるかと。ただ、私が彼に付いていたのはもう一年ほど前のことで。ほとんどが最近人づてに聞きました』
その言葉を手帳に書き写しながら、シュラインはふと足を止める。
「誰か宛の手紙――そう、ですか。あの、彼の亡くなった先なんかは……」
直感的なものだが、今までの経験上こういうものは手がかりになる可能性が高いと思った。特に、後にこんな事件が起きているのだから。後にもう一つ筆問事項を増やすが、彼女はあっさりと答える。
『亡くなったのは都内のマンションです』
「彼、自分のマンションで亡くなったのですか?」
『療養先を抜け出して……どこかに行こうとしていたみたいで。マンションの、彼の自室に荷物が』
どうやら療養先とマンションは違うらしい。と言うことは…療養先はやはり入院先とでも言うべきか。
「療養先は分かるんですか?」
『都心に近いS大学病院です。何科かは分からなかったんですが』
そこまで分かれば十分だと、シュラインは更にペンを走らせる。
「後、は彼の身内…というか、彼の近くに居た芸能関係者のリスト貰えますか? 大勢居るようならこれから取りに伺いますが」
『それなら彼の最後のマネージャーが良いですよ。話つけておきますし。彼、もう芸能界から退いてるので今からでも会えるんじゃないでしょうか? 彼なら鏡の実家の住所も完全に分かるかと』
その後、元マネージャーとのやり取りは女とのやり取りより短いものではあったが。鏡が住んでいた、現在空き室であるマンションと実家の住所、埋葬地を教えて貰う事は出来た。そして最後に二つ――少しばかり気になる女性の話と、鏡の本当の死亡時期を語られる事となる。女性と言うのは縁という名の、鏡の婚約者だった人物の話。ただし、彼はまだマネージャーになって日も浅かったらしく、詳しいことは知らないと最後に言った。そして死亡時期は……今から二ヶ月前。
マネージャーと話をした喫茶店を出ると、シュラインはすぐさま羅火にメールを送った。内容は勿論鏡の死亡場所である都内マンション。遺骨の方はどうするべきか考えるが、鏡本人が羅火のアテで連れてこられるならば大丈夫だろうと考えを頭に巡らせていた時。
異様さ、とでも言うのだろうか。それに気づく。
今回中心となっている霊的存在に対して特別な力も無いが、辺りの雰囲気が明らかにそう言う雰囲気でおかしい事は確かだった。
「――こんにちは。しゅらいん、ちゃん」
名前を呼ばれ振り返る。そこには一人の女性が立っていた。一度も聞いたことの無い声。知っている人間ではない。シュラインよりもいくつか年上だろうか。女は笑みを浮かべていた。
「威彦は、見つかりました?」
彼女の口から出たタケヒコは、シュラインの中ですぐさま正しく変換される。
「…縁さん、ですね?」
シュラインの言葉に無表情となった彼女。同時に言葉も無くなった。それは多分肯定を意味する。
「彼の元マネージャーから色々お伺いしました」
「どうせ、しゅらいんちゃんも、彼は死んだで…片付けるのでしょ……」
その言葉と声色から、多分彼女は彼の死を理解していると思った。
「いえ、私は本当はあなた…ただ彼と話したいだけなんじゃっ――」
「――――そんなわけ、ないでしょう? 私は威彦を探しているのです……あの男を、あの嘘吐きを」
僅かな間の後、すぐさま否定される。言われ、胸が疼いた。違うことは分かっているが、同じ『タケヒコ』という響きにはどうも反応してしまう。
「それに私達は今、要求のために動いてるのにどうして邪魔するのかしら。タイムリミットは明日の筈よ?」
「だぁって退屈でぇ。一人一人回ってるの。しゅらいんちゃんが最後」
どうも口調もそうだがこの縁と言う女、声色が安定しないように思えた。
「あなたを救いたいと思うの……だってあなた、本当はもう此処に居るべき人じゃないから」
シュラインの言葉を聴いてか否か、縁はクスリと口の端に笑みを漏らす。
「何言ってるの? ゆつきちゃんはあっという間にやられちゃったけれど、しゅらいんちゃんはどこまで耐えられるか、ちょっと楽しみ」
「っ……!」
縁はシュラインに手を振った。小さく、優しく。最後の言葉を紡ぐ。
「ばいばい、しゅらいんちゃん」
声と同時、何を思うでもなく感じるでもなく。シュラインの目の前にはただ、深い闇が訪れた――…‥
□□□
次に目が覚めた時、なぜかシュラインはソファーに横たわっていた。
「……?」
確か縁に会い。幾つかの言葉を交わしたことまでは覚えている。けれど、途中からの記憶に靄がかかり思い出せない。
起き上がれば体には熱っぽさが残り、風邪でもひいたのかとも思う。
「気づいたみたいね。まだゆっくりしてていいのよ?」
「麗香、さん?」
その姿に、此処がアトラス編集部だと知る。麗香はソファーの背もたれ部分に腰掛け言った。
「桂が教えてくれたわ。女に襲われて倒れてるって。で、さんしたくんに頼んだの。大事に至らなかったみたいで良かった」
「どうも有難う。二人にも有難うと伝えておいてくださいね」
麗香は頷くと、立ち上がり言う。
「会議室にみんな集まってる。もっとも、藤郷さんも今はこの状態だけれど」
その視線の先を追うと、ソファーに横たわる弓月の姿。シュラインと同じく、しかし彼女よりも前に縁に襲われたらしい。
「彼女ももう少し休めば大丈夫なはずだから。隣で待ってると良いわ」
そう勧められ、シュラインは隣の会議室へと移動した。そこには羅火と水晶が座っている。事情は知っているのだろう。特に何を聞かれるでもなく、シュラインは席へと座った。
それから数十分後、コンコンとドアを叩く音からホンの少し間を置いて、最後に会議室に入ってきたのは弓月だ。
「遅れました、ごめんなさい!」
部屋に入るなり弓月は深々と頭を下げるが、皆それについて咎める事は無い。
「私も少し襲撃受けたから……事情はもう、大体皆分かってるわ。何より、お互い無事でよかったわね。それもこれも、コレのお陰なのだけど」
言いながらシュラインは、ポケットから石を取り出した。それは羅火が皆に配っていた物だ。
弓月も思わずポケットからそれを取り出し、改めてジッと石を見つめた。そして唐突に石を見ていた顔を上げ、真っ直ぐと羅火を見る。
「な、んじゃ?」
「どうもありがとうございます!」
そのあまりにも純粋すぎる行動に、思わず羅火は視線を逸らした。
「む。その程度なんぞ礼には及ばん…しかし神納は随分派手にやりおったの。あやつ血塗れじゃった」
「ってゆーか、あそこまで血ぃダラダラ流してまでさ、よくみんなをしゅーげきしに行ったよネ……」
呆れた根性とでも言うべきか。皆で襲撃された時間をまとめた結果、水晶、弓月、羅火、シュラインの順で女は襲撃に訪れたらしい。シュラインが軽症で済んでいたのは、石のお陰も有るが、女も相当ダメージを受けていたのだろう。
「それにしても、そろそろ武彦さんから連絡が入ればいいのだけど――」
シュラインがそう言うのと同時、携帯電話の着信音が鳴り響く。
「む、わしのじゃ」
電話に出ると、羅火は二三言葉を交わしすぐさま切り、皆を見た。
「鏡を連れて間も無くこっちに来るらしい。じゃが、そのまますぐに長野の大きな湖がある場所に飛べと……なんでも鏡の実家がどうと」
「長野、彼の実家のある場所ね。大きな湖なら諏訪湖、かしら?」
「今からって…どー行くワケ?」
既に特急は止まっているどころか電車が止まる時間だ。
「それなら桂を使うといいわ」
見れば、いつの間にかそこには麗香と桂が立っていた。
「ずっと犯人の方を追いかけていたのですが…回復に集中しているようで動かなくなったので、皆さんをお連れ出来ると思います」
そして桂は微笑む。
事の運びから、彼女は長野の地に呼び出すことに決まった。ただし、その連絡は恐らく武彦の役目であり、尚且つ朝一で長野まで来るようにと、シュラインはメールを飛ばす。
それが済むと会議室を出た。なるべくなら、その空間に穴が残っても差し支えの無い場所に移動する方が良い。
「というわけで、さんしたくんのロッカールームよ」
最終的に麗香が選び出したそこに、桂は躊躇いながらもポッカリと穴を開けた。その穴を抜ければもう長野らしい。
水晶、弓月の後にと続き。抜けたその先には、満面の星空が広がっていた。
□□□
出た先は、湖の湖畔近く。この辺りは高台ということもあり、更に水辺もあり風が少し冷たい。
此処に来てようやく合流したのは羅火の双子の弟である二階堂・裏社(にかいどう・うらやしろ)。羅火と共に穴から現れた。もっとも、彼は黒い狼の姿をしていて、羅火以外にはどうもぴんと来ないようだが。彼が鏡を連れてきたとなれば、持っている力は確かなのだろう。
裏社は丸呑みにしてきた鏡をようやくペッと吐き出すと、そこにぺったり座り込んだ。
「ええっと、初めまして」
裏社の口から出てきた鏡威彦――の霊は、丁寧に頭を下げると四人と一匹を見渡す。
「色々事情を話さなければとは思うのですが、一旦実家に戻って幾つか物を取ってきますので、少しだけ待ってください。申し訳ないですが二階堂さん、僕を連れてってくれますか? 流石にこの姿じゃ物を持てないので」
そんな鏡の申し出に、裏社は頷き立ち上がると、鏡を呑み込みあっという間に走り去っていってしまった。
あっさりと本人が捕まっていたのはいいが、まだ先へとは進めないようだ。
そんな中、シュラインの携帯電話がメールを受信し、その内容に一同は今自分達が潜り抜けてきた穴を振り返る。
「――悪い、遅れた」
結局武彦はその手にボロボロになったファイルを抱え、桂に連れられこの場に現れた。
「零を連れて此処に来いってのは言っておいた。相手は普通の方法で来るしか無いだろうから、今から高速飛ばしたってまだ数時間はかかる筈だ。所で四人揃ってんのにどうして何もして無いんだ?」
「どーしてって、やること無いんだよネ。鏡はどっか行っちゃったしもう一人とゆーか、一匹も一緒に行っちゃったし」
「折角だし、今の内に武彦さんが持ってきてくれた情報、教えてもらえるかしら?」
「大きな収穫、ありました?」
シュラインと弓月の言葉に、武彦は手にしていたファイルを広げる。
武彦の話によると、既に西の事務所は壊滅状態のまま放置されていた。かろうじて残っていたファイルから、何とか今回と関連のありそうな物を幾つか手に帰ってきたが、ファイルを読み進めていく限り大方の読みは合っているらしい。
「鏡威彦については全てが調べ上げられていて、その全てが犯人である依頼人に伝えられたと見ていい。多分、伝えた瞬間吹っ飛ばされでもしたんだろうな……その後の記録が無い」
「やはり。で、ファイルごと持って来たと言う事は、何か分かったんじゃろうな?」
「依頼人は橘縁、二十九歳。鏡威彦との関係は…幼馴染、ってのが本人の話らしい。依頼事項は勿論鏡の居場所調査」
「幼馴染?」
その言葉には全員が全員首を傾げる。そんな関係は誰の頭に微塵もなかった。
「しかもコレが一度目の依頼ってわけでは無いらしい。少し依頼を遡ると、女と同居していることも調べられているな。そして、最終的に伝えられたと思われる報告書がこれだな」
そう、一枚の紙を武彦はファイルから抜き取った。
東京に来てからどの住まいを持ち、人間関係や何年何月何日の何時何分に何処で死亡したか。その死亡理由までもが、そこには明確に書き示されている。が、それを見て一同は目を見張った。彼が死亡したのはつい二ヶ月前。まだ日が経っていなかったのだ。
それぞれが武彦の持つ資料に夢中になっている最中、不意に弓月は振り返り呟いた。
「…………おね、さん?」
「アレ、到着早いじゃん?」
やがて水晶、羅火、シュライン、武彦、桂が振り返ったそこには女、縁の姿がある。
「早い? どういう嫌味かしら…ようやく、此処に辿り着くまで酷く時間がかかったのに。おまけに約束の時間六時間オーバーだわ」
そう、怒りを露に縁は今この場に居る六人を見た。そんな彼女の言動に、桂は小さく皆に言う。
「多分空間だけじゃなくて、時間も少し先に進んでしまったのかもしれません。彼女と世間にとっての『今』は、ボク等にとっての『翌日』の夜六時になってる筈です」
「と言う事は、体力も全快してる可能性があるの。…鏡は一体何時帰ってくるんじゃ?」
要するに自分達にとってついさっきのことが、縁にとってはもう昨日の事と言うことだ。
「零ちゃんは、一緒じゃ無いの?」
「此処に、居るわよ」
そう、縁が左に一歩ずれると、後ろに零の姿があった。特に怪我も見当たらず、いつもと変わらぬ姿で彼女はそこに居る。
「零!」
「兄さん……あの、心配かけてごめんなさい」
「あのよーすだと、零が自分の意思で逃げなかったってのは、強ち嘘じゃないんだろーね……」
ポツリ言えば、隣の羅火は水晶を見る。
「何か、あるんじゃろうな。まぁ、わしもぬしも……今からは、死霊を相手にしてればいいじゃろ」
「まーね」
「えっえっ!? 二人ともお姉さんと戦うんですか?」
一歩前に出てすっかり戦闘態勢の二人に、弓月は思わず問う。とは言え、内心二人を止められないこと等分かりきっていた。
「相手もすっかりその気のようだから…私達は一歩下がってましょう」
シュラインの言葉に、弓月と桂は数歩下がる。だが、武彦はただ縁の方を見つめ動こうとしなかった。
やがて二、三、羅火と言葉を交わした武彦は苦笑いを浮かべ。そして一歩前へと踏み出す。
「零ちゃん、助けてきて。それに気をつけて、ね」
「分かってる、大丈夫だ」
シュラインの声に武彦は振り返らず、ただ返事だけを返した。同時に縁も零をそこに置いたまま、一歩前へと歩み寄り、その手を掲げる。
しかし、その動きを無謀にも止める少女の声。
「あのっ、お姉さん!」
「…あらゆつきちゃん、無事だったのね」
女は死霊を半分招きだしたところでその動きを止め、弓月と隣に居たシュラインを不思議そうに見る。
「しゅらいんちゃんも平気な顔してるし、今回何かがおかしいのよね……」
「あの、人を好きになることは素敵なことだけど、自分が傷ついたからって相手を傷つけていいはずないですよ!」
「傷ついた? 私は傷ついてなんかいないわよ。ただ……ただ、なんだったかしら? まぁ、この場に結局威彦は居ないし。予告どおりにするだけよ」
そして浮かべた笑みと同時、両掌をフッと上へ向ける。
「今回のは見える、のね。私達はもう少し、離れてましょう?」
「えっ、あ…はい」
幾ら羅火の石があるとは言え、何の抵抗も無い自分達には危険だと、シュラインは弓月の手を引き四人と死霊から遠ざかった。
やがて羅火と水晶が死霊達を相手に、湖畔に湖の上にと闘い始める。しかし死霊達の数はまるで無限のようで、尽きることは無い。縁はただ、羅火と水晶の様子を見つめながらその両手をあちらこちらへと向け、死霊を操っているように見えた。
そんな中、武彦が動き出す。死霊は全て二人へ向けられ、縁も今はそちらに夢中だ。いつの間にか、縁と零の距離も離れていた。絶好のチャンスと言える。
何かが起こるでは無いのかと思った。こんなにあっさり終わるわけが無いと。しかし、武彦の手は、その場に立ち尽くしていた零の手を取り、縁の目に留まる事もなくシュラインと弓月の元へと帰ってきた。
「零さん無事助けられましたね! これで後はお姉さんを……って思うんですけど」
「零ちゃん大丈夫だった? それよりもどうして逃げたりしなかったの?」
「お前、あの程度なら自分でなんとか出来そうだよな?」
三人がほぼ一斉に話しかける状態になり、零は一瞬困った表情を見せたが、かぶりを振ると三人を見て、まるで訴えかけるように言った。
「縁さんは、悪くないんです」
「え?」
「憑いてるのが悪いというか、とにかくあの人は助けてあげるべきだと思います。今の縁さんの行動は、彼女であって彼女で無い。本心からのものではないです」
「――やっぱり、そうなのね」
少し考えた後、シュラインは立ち上がり、こちらに向かってくる黒狼を見た。
裏社はまずその口に銜えていた物をぺっと吐き出す。
そして再び鏡を吐き出し「すみませんが後はその人から聞いてください」など、丁寧な言葉を残し羅火の元へ、一目散に走っていてしまった。
「こいつが鏡……威彦か」
「お騒がせしています、草間さん」
「一つは手紙と、もう一つは…この箱って、もしかして――指輪」
吐き出されたのは封筒と、小さな正方形の箱。その蓋を開け弓月は呟いた。確かにそこには光り輝くリングがある。プラチナリングにダイヤだろうか? 一瞬心奪われる光景だった。
「この指輪、結構高価そうだけど。この二つ、どうしても必要だったんですよね? やっぱり、縁さんは婚約者だったのですね?」
「口約束、でしたけどね。あの、僕に代わって彼女にその手紙を渡してくれませんか? あと、指輪も。話は僕がつけますから」
鏡は多分分かっている。彼女が今まで何をしてきたか、何を思い、どうしてこうなってしまったのかを。だからこそ、その目に宿る光は強く、シュラインと弓月は頷くと、シュラインは手紙を、弓月は指輪の箱を持ち縁の元へと歩いていった。
途中、何度か身動きが取れなくもなったが、二人に気づいた羅火が吐き出した炎が二人を除いた死霊たちを焼き尽くす。
やがてそんな羅火の行動に気づいた縁がシュラインと弓月を見た。同時、その表情が凍る。
「私達のというか鏡さんの話を聞いてください!」
「た、けひ…こ?」
動揺を帯びた声に、死霊達は一気に消え失せ。羅火に水晶、裏社達がこの事態を不思議に思い合流した。それと同時、シュラインと弓月は縁と向かい合う。
「お姉さんこれ、鏡さんからお姉さんにって」
「こちらはあなた宛の手紙よ」
二人の差し出すそれらを見て、女はゆっくりと二人との距離を縮めた。
「威彦、から? 私に?」
まずはシュラインから白い封筒を受け取り、その中身を読んだ。それは三枚にも及ぶ便箋に、少し歪んだ文字で書かれていた鏡からの手紙。手紙の正確な内容は誰も知らない。ただ、裏社だけは僅かに鏡から二人の事を聞かされていた。
三枚目を読み終えた縁は、ゆっくりと手紙を封筒へと戻し、弓月から正方形の箱を受け取り。その中身に、無表情のままただ涙を流す。
「五年で帰ってくるって、約束した。果たせなかったのは事実だよ。残ったのはこんな僕とキミへの手紙とリングだけ。でも、キミも約束を果たすこともなく、この手紙もリングも受け取ることなく――僕より先に、死んだ」
最も近くで二人のやり取りを見ていた弓月は思わず驚きを表情に出した。シュラインは、冷静に事の成り行きを見守っている。
「死…、私が? それは威彦でしょ? 私探偵に調べさせたの。五年で帰ってくる約束で東京に行ったあなたの行方を。近頃は連絡一つなくて心変わりしたのかと――」
「縁。キミは三年前に死んだ。ただ、キミはそれを自覚していない。他人に憑いてまで、キミであり続けている……」
「違う、そんなの違うわっ!?」
縁は必死でかぶりを振る。しかし鏡はやんわりと言葉を続けた。
「キミはこの数年、鏡を…ガラスを見た? キミは、その体は縁のものではないよ」
言われ、縁は目を瞑り首を横に振ってみせる。その様子に、一歩前に出た羅火が徐に炎を吐いた。勿論、彼女に向かい。
反射的に縁は一歩後ろへ後退するが、勿論それで避けられるでもない。しかし実際、シュラインも弓月も体験したが、羅火の炎は生命体には無効のものだ。
「熱っ…」
それが彼女の体から抜け出すと、辺りはシンと静まり返った。それは、今まで縁であった女性が倒れ、その中からもう一人の女性――正真正銘、橘縁が出てきた瞬間。
「何かに憑かれてたーじゃなくて、自分が憑いてたのか…」
一度彼女とやりあった時、違和感を覚えていた水晶の謎もようやく解けた。
「僕は本当に病だったのか、混乱したキミに殺されてしまったのか…本当は分からない。けれど、キミがこうして……彼女に憑いていたという事は何か意味が有ったのかもしれないね」
そう言い鏡は苦笑した。
「彼女って、鏡さんはこのお姉さん…知ってるんですか?」
「僕の、前のマネージャーだよ。行方不明になった。見つけて…彼女の中のキミに気づいていれば……」
「彼女は大丈夫なのかしら? 本来の彼女に戻ったとは言え少しおかしい気もするのよね」
シュラインの視線の先、縁の霊はぼんやりと夜空を眺めている。今までの彼女が嘘のように。
「僕たちは大丈夫なのでもう、お帰りください……縁を助けてくれてどうも、有難うございました。でもあの、そちらの方々に少し話があります。他の方は――どうか先に」
鏡はシュラインの問いに的確な答えは返さず、ただ裏社と羅火と水晶を指し、他の者は帰路へつくことを願う。その言い方には疑問が残るが、三人を残し皆はその場を離れ、やがて桂の開けた穴でこの場から消え去った。
そして結局、何があったのかは。三人の口から知らされることなどなかった。
□□□
――それから数日後
武彦の頭痛もすっかり治り、今回事件に関わった五人も強制的に、或いは義務、ボランティアと言った形で草間興信所の片づけを行っていた。ガラスのなくなった窓、その補強ダンボールさえなくなり、雨風に晒されていた事務所を綺麗にしたり、割れたガラス類の回収、ファイルの整理。
とは言え、面倒だとほとんど動かないのが一名。こういうものは向かんと言うのが一名。片付けてはいるが、微妙に動きが人の邪魔をしているのが一名と。アトラス編集部から応援が来たにも関わらず、全てが終わったのは夕方近くのことだ。
唐突の来客は、六人が休憩していた時現れた。それは縁――ではなく、彼女に憑かれていた鏡の元マネージャー。
結局彼女は後から戻った三人に連れてこられ病院送り以来、接触は図っていない。だが彼女は一人ずつ顔を見ながら名前を当てると、ニッコリ笑い巨大な菓子の詰め合わせ缶を六人の前に差し出した。
実は自分の意思でなかったとは言え、今まで起こっていたこと全てを覚えているらしい。普通ならば発狂しそうな状況だが、彼女は笑って「助けてくれてぇ、ありがとぉございましたぁ」と一礼しあっという間に消え去った。
ドアの閉まる音と同時、言いようの無い空気に五人は武彦を見る。
「あ? いや、元々無関係な人が一人、あぁして助かってるしめでたし…………なのか?」
必死で纏めようとしている武彦の言葉は最後、結局疑問に変わり、最早纏まる事は無い。
「皆さん、お茶が入りましたよ。あ、お菓子ですか? 丁度いいですね」
しかしそこに、タイミングよくお茶を持った零がキッチンから出てくると、武彦は早速缶を開け中身を配り始めた。
「折角貰ったんだ、食わなきゃ損だろ?」
ただその中にコロリと転がるリングを見つけた時、一同が固まった事は言うまでも無い…‥
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
[5649/ 藤郷・弓月 /女性/17歳/高校生]
[0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員]
[5130/ 二階堂・裏社 /男性/428歳/観光竜]
[1538/人造六面王・羅火/男性/428歳/何でも屋兼用心棒]
[3620/ 神納・水晶 /男性/24歳/フリーター]
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
この度は大変お待たせしました、亀ライターの李月です。最初に、今回誤字脱字こちらの勘違い思い違いなどありましたらどうぞご指摘ください。今回も情報の散らばり具合が凄いのと、結局引き出せた情報はそのまま結末で事実と合流状態。鏡の死亡時期は誤魔化されていたと言うのが正しく(タケヒコ狩り最中に原因は何であれ死んだと言うのは事務所的に隠蔽すべきと)結末は3つほどありましたが、その中の中間的な物に辿り着きました。縁に鏡にマネージャーの関係や目的等は宙ぶらりん状態ですが…多分三人にとってはそれぞれ望んだ終わり方ではあります。
最後までお付き合い有難うございました。
【シュライン エマさま】
いつも有難うございますと遅れてすみませんでした。勘違いと誤解と無自覚で全ては始まり。武彦と同じほどの情報収穫。捕まった零は、中身の彼女に気づき、最早人質と言う自覚なく彼女の相手をしてあげていたというどうでも良い裏設定が…。彼女が彼の死を認められず暴走、ただ話したいだけだったのは正解でした。
それでは又のご縁がありましたら…‥
李月蒼
|
|
|