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<東京怪談・PCゲームノベル>


江戸艇 〜舞台裏〜



 ■Opening■

 時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇−江戸。
 彼らの行く先はわからない。
 彼らの目的もわからない。
 彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
 だが、彼らは時間を越え、空間をも越え放浪する。

 その艇内に広がるのは江戸の町。
 第一階層−江戸城と第二階層−城下町。
 まるでかつて実在した江戸の町をまるごとくりぬいたような、活気に満ちた空間が広がっていた。





 ■Welcome to Edo■

 恐らくここにいる事に自分は何の疑問を持つ必要もないのだ。
 何故なら、それを考える事はここでは最も無意味だと思われるからである。
 楓兵衛は町人長屋と思しきその部屋で、半ば途方に暮れていた。だが、こんな事は初めてではない。この時代劇の中にいるような景観も、そしてこれがテレビのセットなどではない事も。
 兵衛はその部屋の片隅にちょこんと正座していた。
 目の前では病中と思しい老人が継ぎ接ぎだらけの薄っぺらいせんべい布団の中でごほごほと咳をしている。その枕元ではひとりの若い娘が甲斐甲斐しく世話をやいていた。
「すまないなぁ。おっかぁが生きててくれていたら……」
 しゃがれた声で老人は呟くと再び咳き込んだ。その背を優しく撫でてやりながら娘が明るい笑顔を作る。
「おとっつぁん。それは言わない約束よ」
 典型的な貧乏人の構図である。
 正に絵に描いたような光景であった。
「健気でござる……」
 兵衛は独りごちて立ち上がった。何か理由があってここにいるのだろうとは思うが、今、自分がこの親子にしてやれる事が、残念ながら彼には思いつかなかったのである。言葉だけの励ましも、同情も、彼らには煩わしいだけに違いない。
 そうして扉に向かいかけたところで、突然彼が扉に手を伸ばすより早く、扉は荒々しく開け放たれた。
「今日という今日は借金を返してもらいますよ」
 これまた絵に描いたような借金取りが三和土から目を吊り上げて親子を睨み上げた。
「あ…あの……」
 娘が困惑げに後退る。
「すまねぇ、ひさぎの旦那、もう少し待ってくれんか」
 老人が言った。
「そう言って何日待ってやったと思ってんだ。こっちも慈善事業で金貸してるわけじゃないんでな」
 そう言って草履のまま畳の部屋にずかずかと上がりこむと娘の傍に膝をつき、ひさぎの旦那と呼ばれた借金取りの男は娘の顎を掴み上げた。
「これなら充分いけるだろう」
 にたにたと下卑た笑いが口の端にのぼっている。その顔から娘の行く末など容易に窺い知れるだろう。
「借金の代わりにこの娘を……」
 それは殆ど条件反射のようだった。娘の腕を掴んで立ち上がり娘を引きずっていこうとするひさぎに兵衛は咄嗟にその手首を掴んでいた。
「待つでござる!」
「何だとぉ?」
 ひさぎが兵衛を睨みつけた。
「ガキはすっこんでろ!」
 そう言ってひさぎが兵衛の手を振り払おうとした瞬間、ひさぎの方がそこにストンと尻餅を付いていた。半ば呆気に取られたように兵衛を見上げている。まるで狐にでもつままれたような顔付きだ。
 兵衛はひさぎに手を振り払おうとされた瞬間、自分の手をひさぎに向けて小さく返し、ひさぎの足を軽く払っただけであった。初歩的な崩し技であったが、ひさぎは一瞬の出来事に何が起こったのかさっぱりわからない。
「1日待ってもらうでござる。拙者が用立てるでござるよ」
「で…でも……」
 兵衛の言葉に娘が驚いた。
 安心させるような笑みを零せるほど気の利いた真似は出来なかったが、兵衛は娘を振り返ると、ゆっくり一つ頷いた。
「大丈夫でござる」
「あの……あなたは?」
「通りすがりの者でござるよ」
「どうしてうちの中にいたのでしょう?」
「…………」


 *****


 とはいえ用立てるとは言ったものの、十両などという大金、一日で稼ぐには無理がある。そうして彼が訪れたのは賭場だった。丁半博打である。確率はいつだって5分と5分。いや、厳密には丁・半の確率は1/2ではない。偶数である『丁』の方が若干高いのだ。
 それはさておき博打はあまり得意ではない兵衛だったが、得意な小学生というのもあれだろう。今日はビギナーズ・ラックも加勢したのか、事のほか順調な滑り出しであった。
 次に勝てば借金完済。
 彼は全額をそれに賭けた。
「半!」
 それを受けて賽振りの男が言い放つ。
「丁半、駒揃いました」
 客の顔を一人一人確認して、ゆっくり男は壷を開いた。
「四・六の丁!」
「…………」


 *****


「借金が増えてしまったでござる……」
 兵衛は賭場の前でぼんやりと呟いた。
 空を仰ぐ。
 夕暮れ時、一羽の烏がアホーと鳴きながら茜空に向けて飛んでいった。
「…………」
 兵衛は歩き出す。秋から冬へと向かう風が冷たく吹き抜けていった。自分はともかく、あの貧乏親子はこれからの冬をどうやって乗り切るのであろう。
 川端から小石を投げる。
 アキアカネが驚いたようにススキ穂から飛び立った。
 やがて暮れ六つの鐘が遠くから聞こえてくる。
「やはり、拙者にはこれしかないでござる」
 兵衛は決心したように顔を上げて歩き出した。


 ――草木も眠る丑三つ時。
 誰もが寝静まった頃を待ち、夜陰に紛れて兵衛はその店の前に立っていた。
 『両替商 桝谷』
 あの親子が金を借りた店である。ちなみに兵衛が博打で借金したのもここである。
 彼は店の裏手にまわると地を蹴り塀を乗り越えた。音もなく庭先に降り立つ。
 月明かりがもたらす仄かな明かりだけを頼りに兵衛は庭先を進んだ。
「どこでござろう……」
 屋敷は予想以上に広かった。余程悪どい稼ぎ方をしているのか。
 夜の冷え込みに絶えられなかったのか、一人の男がはばかりに縁側に出てくるのが見えた。
 兵衛は素早く男に近づくと足払いをかける。
 男が庭の方へもんどりうつのに、声をあげられぬよう口を押さえた。
「…………」
 屋敷はしんと静まりかえっていた。
 兵衛は匕首の刃を男の首筋にあてがいながら声を潜めて言った。
「静かにするでござるよ」
 男が血相を変えたまま頷くのに、兵衛は尋ねる。
「証文と金子はどこにあるでござるか」
 そうしてゆっくり口を押さえる手を離した。
「あ……おた……おたすけ……」
 質問とは別の余計な声を発した男の喉笛を匕首の刃がかすめる。
「ひっ……」
 男は喉の奥で悲鳴をあげた。
「どこでござる?」
「だ……旦那様の部屋の床の間の引き出しに」
「その部屋はどこでござるか」
「廊下をまっすぐに。そこを左におれて突き当たりの右の部屋でございます」
「偽りないでござろうな」
「はっ…はい!」
「助かったでござる」
 兵衛は言ったがはやいか匕首を鞘に仕舞って男の鳩尾を突いた。気を失った男を庭影に隠して男の言った通りの部屋を目指す。
 床の間の引き出しから証文を探した。漢字ばかりな上に草書体は字が崩れ、更に旧字体なども含まれているのだろう、兵衛が読むには少々難であった。咄嗟にどれがあの親子のものなのかわからない。とはいえ、どれも皆、あの親子と似たような境遇のものばかりに思えて、兵衛はそれを全部懐に仕舞いこんだ。
 ついでに小判を一束(十両)拝借したのは、あの親子がこの冬を暖かく乗り切れるようにと思ったからである。
 兵衛はそうして店を出た。


 *****


 町木戸が開くのは朝六つである。
 まだ朝霧の残る中、兵衛はその町人長屋へ訪れた。
 扉を叩こうとしてやめた。
 まだ眠っているかも知れぬのだ。起こすのも申し分けない。
 戸をわずかに開けて、夜中かけて探した親子の証文に小判を包んでそっと投げ込んだ。
「これでよいでござる」
 礼を言われるような事は何もしていない。むしろ、盗みなどと汚れた金である。会って突っ返されても面倒だ。きっと何も言わずに去るのが良いに違いない。
 そんな事を思いながらその町人長屋に背を向けた時だった。
 彼らの朝は早い。日の出と共に1日が始まるのだ。戸の間から投げ入れられたそれに気づいたのだろう、朝の支度を始めていた娘がそれを拾って外へ出てきた。
「兵衛さん」
 娘が呼ぶのに兵衛は反射的に立ち止まる。
「あの……これは……」
「何も言わずに取っておくでござる」
 兵衛は娘を振り返らずにそれだけ言って歩き出した。
「ありがとうございます……」
 娘の声が背を叩いた。
 自分の顔に血が昇ってくる。
 兵衛は真っ赤にテレながら、その町人長屋を後にした。
 この町木戸を超えたら、またいつもの東京に帰っているのだろうか。
 朝日にしては眩しいすぎる光が彼に降り注いだ。





 ■大団円■





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3940/楓・兵衛/男/6/小学生 兵法師】


異界−江戸艇
【NPC/江戸屋・椛/女/20/若い女役】
【NPC/江戸屋・楸/男/48/恰幅のいい男役】
【NPC/江戸屋・杜/男/88/長老役】


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■         ライター通信          ■
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 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
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