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<東京怪談ノベル(シングル)>


秋の夜長の皿屋敷

「いちまぁい…にまぁい…さんまぁい…よんまぁい…ごまぁい…」
 静まり返った屋敷の中に響き渡る不気味な声。
「今夜も…」
管理人の少女はふう、と溜息を吐いて、茶をすすった。ここ数日、夜になると聞えてくるこの、声。いや、誰の声か分かっているだけマシかも知れないが、声色にこもる怨念は、かの怪談をしのぐと思っている住人は自分だけではないだろうと、彼女は思う。声は、薔薇の間から聞えていた。一枚、二枚、と数え続け、最後に聞えてくるのはお決まりの台詞。
「いちまい足りない…」
 またか。管理人の少女は更なる深い溜息を吐いて、寝床にもぐりこんだ。このままでは、この屋敷の名を『あやかし荘』から、『皿屋敷』に変えねばならなくなる日は、そう遠くあるまい。

「足りぬ。やはり足りぬのじゃ…」
 他の住人たちが溜息と共に寝静まった後も、その声の主、本郷源(ほんごう・みなと)は眉間に皺を寄せつつ算盤を弾いていた。正の字で書き付けられた売り上げ表をにらみながら、ふうむ、と首を捻り、ちろり、と脇に置いた売上金の箱を見た。手を伸ばしかけて、いや、と首を振る。先に出した計算結果の下に、数え上げた紙幣硬貨の合計を書き、ささっと赤字で、千円不足、と書き加える。
「やはり、おかしい…」
 彼女の引くおでん屋台、蛸忠の売り上げ計算に、異常が生じ始めたのは五日ばかり前からだ。最初は勘定の細かな間違い、はたまた道に落としてしまったか、などと悩んだものだったが、どうやらそうでは無さそうだ。今夜は特別、気をつけていたし、千円札は飛ばないようにしっかり紙バサミに挟んであるのだから、落とす筈が無い。考えられる事は、唯一つ。
「…誰ぞ、くすねておるのじゃ」
 だが、誰が。営業中、源が屋台を離れる事は殆ど無い。どうしてもと言う時は、鍋や酒の棚には鍵をかけ、金はちゃんと身につけて行く。故にその機会があったのは、残念ながらその夜来た客に限られる。その中でも源の目を盗む事が出来るほどの人物は、決して多くはなかった。いや、ありていに言って一人しかいない。嬉璃だ。試しにこれまでの不足金とその夜の嬉璃の飲み代をつきあわせてみると、殆ど一致した。どうやら彼女は、自分の飲み代を売上金からこっそりくすねていたらしい。
「嬉璃殿…してはならぬ事を」
 眉間の皺を深くして呟いた源だったが、当然ながら証拠は無い。このまま問い詰めた所でのらりくらりとかわされて仕舞いになるだろう。どうせなら、お仕置きも含めて、嬉璃が自分から白状するよう、仕向けたいと思ったのだ。
「さて、どうした事か」
 顎に手を当てて考えこんでいた源は、ふとある事を思いついてにやり、と笑った。
「覚悟めされよ、嬉璃殿?」
 そして、次の晩。案の定売上金が足りないのを確認した源は、いつもと同じように、
「…いちまい足りない…」
 と恨めし気な声を出すと、すっくと立ち上がった。売上金を入れた箱は部屋の隅に置き、目薬を懐に入れ、小瓶を二つちゃぶ台に乗せた。一方には、赤く色をつけた水を、もう一方には、青く色をつけた水が入っている。最後の仕上げは、昼間適当な場所でつんでおいた、野草だ。小さな青い花をつけたその草花を、細身の一輪挿しに挿した。こみ上げる笑いを押し殺しつつ、向かったのは嬉璃の所だ。

「ど、どうしたのぢゃ、源!」
 嬉璃の顔を見たなり、うるうると目を潤ませた源に、嬉璃が驚いて声を上げる。
「ううっ、嬉璃殿…わしは大変な事を…」
「な、何をぢゃ!どうしたと言うのぢゃ!」
 慌てる嬉璃の手を取って、ここでは何だから、と薔薇の間へと引き込んだ。
「それで…一体何があったのぢゃ」
 大きな目をぱちくりさせる嬉璃に、源は、実は、と目を伏せながら話し出した。この所、売上金が合わずに困っていた事。どうやら、客の中にその犯人が居るらしい事。嬉璃はその話を素知らぬ顔で聞いていたが、やがて首を傾げた。
「で、それでどうして源が泣いておるのぢゃ」
 そう。そこが問題と言うか、肝心な所なのだ。よう聞いてくれた、と頷いて、源はおもむろに、一輪挿しの方を振り向いた。
「誰かがわしの知らぬ間に、飲み代をくすねておるなどと。…怒りのあまり、わしは我を忘れておったのじゃ。…いや、そのような言い訳、今更通らぬとは申せ」
 目を伏せる。
「じゃが、怒りで我を忘れたわしの前に、あの花があってのう。ほれ、最近ここの庭の片隅に咲いておったのをご存知か?嬉璃殿」
「い、いや。…それで」
「毒花なのじゃよ。花を煎じると、毒液が出来るのじゃ。ほれ、このような」
 青い小瓶を手にとって、嬉璃の目の前で振ってみせる。
「つ、作ったのか」
「そうじゃ。それを…今宵わしは、売上金に振り掛けておいたのじゃ。つり銭用の銭はほれ、巾着に別に持っておいての」
「…ほ、ほう…」
 嬉璃が顔をひきつらせる。やはりな、と源はこっそり溜息を吐いた。ここで動じず、愚かな、とでも言ったなら、犯人は彼女ではないと言う事にもなったのだが。
「そうまでしてはみたものの、盗人とは言え、人の命を奪うような真似をしてしもうた自分が、恐ろしゅうなったのじゃ。このままでは、盗人は朝を迎えるより早う死ぬじゃろう」
「朝を迎えるより早う…?」
 そっと湯呑みを彼女の前に押し出してから、おもむろに嬉璃の顔をじっと見る。
「そうじゃ。この毒は元々退魔師の間に伝わるものじゃから、あやかしも人も動物も、間違いのう、一夜のうちにあの世行きじゃ。喉は痛み顔は腫れあがり、それは苦しげな最期じゃそうな」
「あやかしも…か」
 青ざめた嬉璃に、源は生真面目に頷いた。
「そうじゃ。唯一、あの花の根を煎じた液が唯一の解毒となる。それが、これじゃよ」
 と、手にして見せたのは赤い液体を入れた小瓶だ。
「わしは売り上げを勘定した故、毒にも触れたのじゃが、すぐにこれを飲んでの、ほれ、この通りぴんぴんしておるじゃろ?」
「…そうぢゃの」
 嬉璃の瞳がじいっと小瓶を見詰める。源は笑いそうになるのを必死で堪えて、手を伸ばそうとする友人をたしなめた。
「ダメじゃよ、嬉璃殿。毒に触れても居らぬ者には、これもまた劇物。飲めば酷い事になるのじゃ」
源は小瓶を横において時計を見上げ、ふう、と溜息を吐いた。
「ああ、そろそろ解毒も間に合わぬようになる。辛いのう、嬉璃殿。この毒はあまり知られて居らぬ故、手が後ろに廻るような事は無いじゃろうが…盗人とは言え、命を奪う事になるとは…ああ、哀しいのう」
 よよよ、と目薬の涙を流しつつ、ちらり、と嬉璃の様子を窺うと、冷や汗をたらしながら何かを必死で考えているようだ。白状するなら今のうちなのだが、そう簡単に口を割るような彼女ではなかった。彼女はすっくと立ち上がると、
「よし、あい分かったのぢゃ!わしがその者を探してやるのぢゃ!」
 …まだそう言うか、と溜息を吐きつつ、調子を合わせる。
「じゃがなあ、嬉璃殿、時が無いのじゃ。盗人探しをしているような場合では…」
「わっ…わし…は…知っておるのぢゃ!盗人の家を知っておるのぢゃ!」
 それはそうだろう。自分なのだから。
「ならば、わしが直接届け…」
「いや、わしが行くのぢゃ!おんしを咎人にはせぬのぢゃ!」
 咎人は自分なのだが、嬉璃はあくまでエラソウである。どうやら罪を白状させるのは無理らしいとさとった源は、そうじゃの、と頷いて、
「ここは一つ、嬉璃殿にお助けいただこうかの。それでは、これを」
 と瓶を渡した次の瞬間、嬉璃の姿は消えていた。
「少々、辛いお仕置きじゃがの。最後まで白状せなんだ罰じゃ」
 源は溜息交じりに呟いて、それからくすっと笑みを漏らした。毒の話は無論、真っ赤な嘘。解毒薬と称したあの赤い水には、たっぷりと唐辛子のエキスが仕込んである。一気に飲めばただでは済むまい。案の定、その後すぐに耳をつんざく悲鳴が屋敷中を響き渡り、翌朝、口を真っ赤に腫らした嬉璃の姿が目撃された。源に見事にかつがれたと嬉璃が気づいたかどうかは定かではないが、以後、蛸忠の金が盗まれる事はなくなったという。

<終り>