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【雪達の話し声】
暖かな室内には、芳醇な珈琲の香りが漂っている。
暁は目の前に置かれた真っ白なカップを、そっと口元に運んだ。
甘い甘い・・・ココア。
何となく入った喫茶店。
珈琲の香りが充満するそこで、暁はココアを飲んでいた。
珈琲を飲みたい気分ではなかった。
甘い物が飲みたかった。
甘くて、温かい物。
外はとても寒かったから・・・。
薄いガラス越しに感じる外の冷たさ。
曇ったガラスがこちらとあちらを無常にも切り離す。
暁はじっと外を見つめた。
空は厚い雲で覆われて、表情がうかがえない。
今にも雨が降ってきそうだった。
ハラリ・・・
ふっと、何かが目の前をよぎった気がした。
ほんの小さなもの・・・真っ白な・・・。
ハラリ・・・ハラリ・・・
それは止め処もなく上空から落ちてきた。
蛍のように儚い輝きで、蝶のように華麗に舞う。
それは真っ白な雪だった。
「あ・・・雪・・・。」
小さく呟いた。
あまりにも小さなその呟きは、暁の耳にさえも聞こえてこなかった。
すっと立ち上がり、会計をすませると、木の扉を押し開けた。
鈴の音が軽快に鳴り響き、去って行く暁を見送る。
外は凍てつくような寒さだった。
雪が降っているのだ、当然と言えば当然だ。
暁はそのまま、フラフラと歩いていった。
何処かへ引き寄せられるように、フラフラと・・・雪の中へ・・。
その後姿を、喫茶店の木の扉が優しく見つめていた。
□■□
ハラリハラリと舞う雪は、まるで小さな蝶々のようだった。
頼りなげに揺れる雪は、まるで小さな蛍の光のようだった。
冷たい北風は、まるで暁を酷く責めているかのようだった。
「あれ?暁じゃねぇか。どうしたんだ?こんな所で?」
ふっと、馴染み深い声が暁の足を止めた。
振り返る・・・そこには、おなじみの顔。
「あれ?冬弥ちゃんじゃん。どうしたの?こんな所で?」
「おい、なんだ?新種のイヤガラセか?今さっき、俺が言ったのとまったく同じ事を返してくんじゃねぇ!」
「え・・?あ、ごめん。全然聞いてなかった。」
あっけらかんと言う暁に、冬弥は体の全ての空気を外に排出した。
「んで、どーしたんだ?こんな所まで。っつーかお前、歩いてきた時の顔がやばかったぞ!なんつーか、話しかけちゃいけない感じの・・・。」
「雪に誘われた・・・?」
「誘われた?って、俺にきくな!っつーか、なんで雪なんかに誘われるんだよ。」
「だって、綺麗じゃん。」
「そうか〜?ゴミが空から降ってきてるみたいだとかって、前に誰かさんは言ってたな〜。」
その誰かさんとは、口に出さずとも決まっている・・・。
「あ〜、なんか、言いそうだね〜。」
「だろ?っつーか、あいつの場合文句が多いんだよ。寒いだの、転ぶだの、道が汚くなるだの・・・。」
「でも、綺麗じゃんね〜?」
「まぁ・・・降ってる間はな。こんだけ積もりゃ、明日は大変だなぁ・・・。」
冬弥はそう言うと、下を見つめた。
真っ白に覆われた道・・・そして、その上に更に舞い落ちる雪。
空からはまだ、いくつもいくつも小さな白い光が落ちてきている。
雪が全てを染め上げる。
両脇に並んだ家の屋根、塀、植えられた木。
直ぐ右手にある公園では、小さなブランコまでもが雪を乗せて止まっている。
全てが染まる。
真っ白に・・・。
そしてその白はやがて・・・変わってゆく、別の色に・・・。
暁は1つ、頭を振った。
この先を思い出さないように、そっと心の奥底に押し込める。
暁はその場にしゃがみこんだ。
「・・・おい、暁・・・??」
様子のおかしい暁に気付いた冬弥がその華奢な肩に手をかけ、心配そうに顔を覗き込もうとしたその時・・・。
「とりゃっ!」
威勢の良い掛け声と、右手に持った白い物。
それは真っ直ぐに冬弥の顔にぶつかって砕けた。
「ブハッ・・・!冬弥ちゃん、変な顔ー!!」
ケタケタと笑う暁の無邪気な声・・・。
いや、冬弥の耳には悪魔の笑いよりも禍々しく聞こえていた。
「こぉぉぉんのぉぉぉ〜〜〜〜!!!」
冬弥はそう言うと、素早く雪をかき集め、暁に向かって投げた。
あまりにも素早い動きに、一瞬だけ暁の判断が鈍る。
グシャっと、濡れた音。
そして感じる、冷たいモノ・・・。
目の前は真っ白だった。
「お返しだっ!」
「やったね冬弥ちゃんっ!」
暁はさっさと顔を拭うと、しゃがみこんだ。
素早く雪の玉を作り、冬弥に向けて投げる。
冬弥が避ける。
直ぐに、再び雪玉を投げる。
「ちょっ・・・おい、こらっ・・・!」
「ここで逢ったが百年目!神妙にお縄につけっ!」
「おい・・・ちょっ・・・なに言ってんだ・・・ってぇ・・・ちょっ・・・。」
「鬼は外っ!福は内っ!鬼は外っ!」
「てめぇっ!豆まきじゃ・・・くっそ、ほら、お返しだっ!」
「あっ!やったなぁっ!?」
暁と冬弥がじゃれあいながら公園へと入って行く。
そこは真っ白なフィールドだった。
走りながら雪玉を作り、相手に投げる。
そして隠れては、現れて・・・。
真っ白だった公園が、段々と表情を変えてゆく。
足跡がつく。
沢山、あらゆる所に・・・。
暁は冬弥の視界から消えると、そっと木の上に上った。
そして声を潜める・・・。
「あれ?お〜い暁!?おい、どこにいるんだ〜?」
冬弥がすたすたと、こちら側に歩いてくる。
暁は心の中でカウントしていた。
3・・・2・・・1・・・
ドシャッ
クリーンヒットだった!
木の上から、冬弥の頭の上にこれでもかと言うほど雪を落とす。
「・・・てっめぇ〜〜〜!!!」
「ごめんってばー!メンゴメンゴー☆」
「ぜってぇぇ〜〜〜許さねぇっ!おら、さっさと降りて来いやぁっ!」
「はいはい、ワカリマシタってば、降りるから、そーせかさないでよっ!」
「おら!さっさとしろさっさと!」
ガンガンと、下から冬弥が木を蹴る。
「あ〜、そんな事しちゃうと・・・。」
ズルンと、暁の右手が滑った。
ヤバイと思うまもなく、木から滑り落ち・・・冬弥の真上に落ちる。
「ったたたたた・・・。」
「いってぇ・・・ってか、怪我ないか!?」
「怪我はないよ。ったく、本当に冬弥ちゃんはせっかちさんだなぁ〜。」
「てめぇが上から雪なんて落とすからだろーがよーっ!ったく、ほら、無傷だったらさっさとどけっ!」
「はいはい、ワカリマシタヨー。」
暁はほんの少しだけおどけると、冬弥の上から降りた。
パサパサと、服についた雪を落とす。
「ったく、なんで雪合戦なんだよ。」
「ん〜?なんとなく?それじゃぁ、かまくらでも作る?」
「メンドイだろ〜が。」
「んじゃ、雪兎☆」
「・・・雪だるまとか言えね〜のかよ。」
「言えない。んじゃ、レッツメイキーング♪」
「言えないって、あっさり言うな・・・。」
■□■
公園の真ん中にしゃがみこみ、黙々と2人は雪の塊相手に奮闘していた。
それははたから見たら明らかに怪しい二人組みだった・・・。
「ね〜、冬弥ちゃん、出来た?」
「もう少しって所だな。」
「なんかさぁ、これってちょっと地味だよね〜。」
「言い出した本人が何を言う・・・。」
「はぁ〜。なんか、ちょっと俺、飽きちゃった。」
暁はそう言うと、空を仰ぎ見た。
相変わらず、空からは白い雪がハラリハラリと落ちてきている。
「お前、雪・・・好きなのか?」
「なんで?」
「いや、なんとなく・・・。こんだけ雪で遊ぶやつも珍しいなと。」
「ん〜・・・好きだよ?」
暁はニッコリと微笑んだ。
それは、自分でもどちらだか分からないほどに曖昧な笑顔だった。
「こうして雪遊びも出来るし♪」
「まぁな、あんだけ遊びゃぁな。」
「全てを、真っ白に覆い隠してくれる・・・。」
冬弥の手がピタリと止まった。
真剣な眼差しが、暁の瞳を真正面から捉える。
「だから・・・好きだよ。」
冬弥の唇が微かに動き・・・閉じられた。
何かを言いかけてやめた風だった。
けれども暁は、そこに触れなかった。
もしもそれが暁の心の奥底に触れるモノだったならば・・・。
・・・きっとそうだったのであろう。それでなければ、冬弥は言葉を発していたに違いないのだから・・・。
静かな時。
雪が降っている時独特の音が、辺りに響く。
しんと静まり返った場所だからこそ聞こえる、雪達の話し声・・・。
最初に言葉を紡いだのは冬弥の方だった。
「お前には、覆い隠したいものがあるのか?雪の白さで、見えないほどに・・・。」
今現在、雪の下に埋もれて見えなくなってしまっている全ての物事のように。
「・・・違うよ。覆い隠してしまいたくなんてなかった。でも、そうするより他には・・・どうする事も出来なかったから。」
だから、願ってしまうのだ。
雪が全てのものを甘く柔らかく覆い隠しているのと同じように、様々なもの全ても、真っ白に覆い尽くしてくれたならばと。
けれど暁は知っていた。
雪の行方を。
雪は、いずれ溶けて消え去ってしまう。
どこか遠くへ・・・暁の知らないもとへと、還ってしまう。
それを知っていて、それでも・・・願ってしまうのは・・・。
「ほら、出来た。」
冬弥がぽんと、暁の手に真っ白な冷たいものを置いた。
それは雪兎だった。
可愛らしい形をした・・・。
「って、冬弥ちゃん、超上手じゃない!?」
「俺の手先の器用さを甘く見んなよっ?」
「う〜わ〜!なんか、意外すぎてかなりビックリ!?超凄いねっ!」
素直に感心する暁の横顔に、冬弥はほんの少しだけ哀しい笑顔を向けた。
それを見ているのは、雪、ただ1人・・・。
「さてと、寒いし腹も減ったし・・・帰るか。」
「え〜、もう〜?」
「暁・・今日時間あるのか?」
「ん?あるけど?」
「うちで晩飯食ってかねぇか?今日は確か・・・シチューだったな。」
「え!?本当!?行っていーの?わぁい☆俺、シチュー大好き!」
「今の時間だと、帰ってちょっとしたら直ぐに飯になるな。ほら、じゃぁ行くぞ。」
「うん。・・・雪、明日も降ってるかな?」
「さぁな。」
冬弥はそう言うと、歩き出した。
雪兎片手に、その後を追う。
真っ白な小さな命は、暁の腕の中で無垢な愛らしさをたたえている。
暁はそっと、その固い頭を撫ぜると空を仰いだ。
止む事を知らない雪が、冷たく舞い落ちる。
ハラリ、ハラリと・・・。
蛍のような儚い光で、蝶のように華麗に舞い落ちる。
そっと目を瞑った。
――全ては、虚構なのかもしれない。
だけど、今は・・・この、優しい時に身を任せていたい。
小さく微笑むと、暁は雪に覆われた町を見つめた。
その耳には、雪達のおしゃべりが儚く響いていた・・・。
〈END〉
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