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<東京怪談ノベル(シングル)>


廻り往く時へ


 あれから幾年月が経っただろう?
 桐姫は、遠い空を眺めて思う。
 手の中には、白い塊。
 かつて、大切な人だったもの。
 二度とかえってこないもの。
 あの日。この人の死を知った日。
 山を襲った力は今は、瘴気となって残っていた。
 周囲を漂う濃い瘴気は、ここに近づこうとする者を退けてくれる。
 普段の桐姫にとって、それは、ありがたいことだった。
 語らぬ彼との二人の時間は、かけがえのないものだったから。
 言葉が返ってこないことを知っていて、それでも桐姫は話しかける。
 彼に。
 ……ふいに、桐姫は山のふもとに目を向けた。
 二人きり。
 かえってこない返事を待って、それでも、話しているだけで良い。
 彼は、笑みながら、桐姫の言葉を聞いていてくれるから。
 だけど。
 時折ふいに、思い出すのだ。
 彼はもう、桐姫の声すら聞いていないことを。
 その原因が誰にあったのかを。
 うつろな瞳から涙が落ちる。
 落ちた滴が手の中の白い何かに落ちる。
――これは、なんだったっけ?
 もう、思い出せない。
 あの人がいない。
 在るのはその事実だけ。
 涙に濡れた顔のまま、桐姫は村へと降りる。
 帰ってこない彼を想い。彼を殺した人間たちに、力を振るう。
 けれど桐姫は途中で気がつくのだ。
 こんなことをしても彼は喜ばない。
 そうして桐姫は、山の住処に帰っていく。
 そうして桐姫は、見つけるのだ。
 彼であったもの。
 彼がここにいることを。


 続く、循環。
 変わらない、終わらない、流れ。



 けれどいつだって、時は停滞を許さない。
 どんなに長く続く平穏も、いつかは終わりを告げるのだ。
「何の用や」
 視線は手元に向けたまま。桐姫は、呟く。
「貴方を倒しに」
 かえってきたのは予想通りの返答だった。
「何人目になるんやろうなぁ」
 手の中の白い塊をそっと地面に置いて、桐姫はゆらりとその場に立ち上がった。
 空気が、変わる。
 桐姫のまとう空気が周囲の空気までもを変えていく。
「あんたらが――っ!!」
 彼を、殺した。
 告げようとした言葉は最後まで告げられることはなかった。
 二人でいれば、幸せなのに。
 幸せなのに。
 思い出してしまったら、止められない。
 目の前にいる男を無視して、桐姫は村の方へと飛び出した。



* * *


 どれくらいの時間が経っただろうか。
 周囲の景色はすっかり変わってしまっていた。
 持つ限りの全ての術を出して、応戦した。
 けれど桐姫の目の前には、まだ、誰かが立っている。
 影は、ふたつ。
 人間と、獣と。
 異質の存在であるはずなのに、心を通い合わせているように見える二人。
 過去の自分を見ているような気がした。
 あの頃は知らなかった。自分が、人間とはあまりにも異質すぎるものであったことを。
 けれどそれでも、心を通い合わせることのできる相手がいた。
「これで終わりや!!」
 だがその相手ももういない。
 放った妖気は、長年の負の心を――破滅への衝動が凝縮されたかのようなものだった。
 ここら一帯を覆い、過去に村ひとつを滅ぼした瘴気とはまったく比べ物にもならない。
「殺生風!!!」
 風が、舞う。
 死を運ぶ風が当たりを吹き荒れ、大地と大気を殺していく。
 これを避ける術などないだろう。
 そう思ったのは事実。
 けれど。
「……わかってたんよ」
 背後に現れた、気配。
 本当は最初から、わかっていた。
 自分よりも、相手の力が勝っていたことは。
 だから桐姫は村に向かった。大切な思い出が残る住処を、戦闘で破壊しないために。
「本当は、最初から、無駄だって――」
 最後まで言うことはできずに、膝が崩れ落ちる。
 倒れ伏した桐姫の背は、血に染まっていた。
 浮かぶのは、過去の日々。
 現実の中でこんなふうにあの人のことを思い返すのは久しぶり――いや、初めてだったかもしれない。
 ずっとずっと、死を、認められずにいたから。
 自分が終わると思った瞬間になって初めて、受け入れられたような気がした。

 ポツリポツリと。

 誰に聞かせるでもなく、桐姫は語る。
 幸せだった日々。
 幸せが壊れた瞬間。
「うちは……あの人の墓を作ってくれれば、それだけで……最初から、この世に未練はないんや」
 独りではないことを知ってしまって、寂しさを知って。
 そののちに、また、独りになってしまった。
 寂しさにもう、耐えられなかった。
 だから、壊れるしかなかった。
「貴方は死を望んでいる……罰として、生きることにしてもらいます」
「なんでや?」
 手も足も、指先すらも。
 動かなかった。
 必死に動かした視線も、声の主を視界に捕らえることはできなかった。
「封印言うんは、いつか解けるもんや」
 問いに答えはなかった。
 静かな笑み声だけが、微かに聞こえる。
「せやなあ……次、この世に出たら。そん時は、また、あんな時間が欲しいわあ」
 いつか、いつか。
 遠い未来。
 この世に舞い戻る日がきたら。
 その時はまた、平和で楽しい毎日を。
 願い、桐姫は長い安息の眠りへと身を委ねた。