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<東京怪談ノベル(シングル)>


黒き神の腕――クロキカミノカイナ――

『生きたいか?』
 そう尋ね“それ”は腕を差し伸べた。闇色のその腕をつかみ彼は、過去と、人としての命を捨てた。希望と、内に宿るか弱き“闇”を護りそして魔を打ち滅ぼすために――。
 
 
 
 



 目覚めた時、彼は森の中にいた。深い闇と夜風に身を包まれて。
「…………?」
 どうしてこんな所に。その理由がわからず彼は無言で、辺りを見て僅かに眉を顰めた。
「森……村はずれの…………何故だ? 今日は……の婚礼の式のはず…………」
 そう呟きクラウレス・フィアートは、自分がなにか忘れていることに気付いた。
「……そうあいつも随分と、女らしくなったものだと感心を………………っ!」
 嬉しそうに自分に駆けよってきた黒い髪の幼なじみの少女。その笑顔を思い出し同時に彼は、“その事実”を思い出し息を飲んだ。
「そう……だ…………」
 きつくきつく手を握り、クラウレスは、顔を硬くこわばらせた。真紅の目を怒りと哀しみに染め、彼はじっと闇を見つめ手を握る。
「行かなくては……」
 昏い闇に手を伸ばし、クラウレスはそう小さく呟いた。ゆっくりと開いた指へと闇が、まるで寄り集うように凝ってゆく。
「剣……いや、楔だ。鋭く硬い…………決して抜けぬ楔で『奴ら』を捕らえ、この鎖に繋いで消し滅ぼそう……」
 手の中へ生じる楔を腕に絡められた闇の鎖へと繋ぐ。そして彼は無言のまま立ち上がり、封印の祭壇へと向かっていった。
 
 
 
『森の奥、禁域の洞窟にひっそりと築かれ隠された部屋。そこにはかつて村を滅ぼさんとした深き闇と巨大な魔が封じらる――』
 古の頃から伝わるそれは、聖なる騎士と守人の物語。
 魔を封じその身を枷とし闇を深き深き眠りにつかせし騎士と、祭壇を築いてその封印をより確かなものへとした守人。彼らは同じ母に宿りし対の肉体を持つ兄弟だった。
 共に生まれ共に育ち共に死す。それが彼らに課された運命なのか。二人は命と引き換えるようにそれを作り上げて息絶えていったという。
 大理石で作られた祭壇の床面に鮮やかな緋色で描かれた呪印。それは闇を鎮め魔を閉じ込める強大な力を持つ魔法陣。
『……彼らは魔を封じる礎となり、その御魂を聖なる石へと宿す。石は部屋を支える柱となりて、祭壇の封印を護り続ける――』
 そして彼らの血脈は『管理者』の一族という名を冠するようになる。『管理者』は封印を護り村の平穏を支える守護の一族。
『彼らの血が継がれ一族に対の子が産まれる限り封は護られる……』
 その言い伝え通りかの一族は、『管理者』の双子を配し続けた。『管理者』は長じてのち封印の洞窟へ足を運ぶ。そして始祖から継がれし力で闇と魔を鎮めて封を護ると言われている。
『封印を護る為の“管理者”と、それを守る数人と騎士と従者。禁域の洞窟への立ち入りは、彼ら以外の誰にも許されない。封じた魔を刺激しない為そこは、決して侵されざる禁域とする――』



「……ここが…………」
 祭壇を前にしクラウレスは、深い絶望から声をなくした。昏い闇・黒い霧に包まれたその場所はもはや封魔の場所でなく、邪悪に支配された完全な闇、暗黒の社と化していたのだ。
「…………」
 ひとかけらの光も差さぬ闇の中でなお感じる黒い影。それはどこか人にも似た醜悪な、血に飢えた獣の瞳をした『魔』。
『……ククッ。生キノビタカ、オロカナモノダ。人間ナゾノ内ニ隠レルトハ…………ソノヨウナ脆イ器デハトテモ、此処カラ生キテ出ルコトハカナワヌゾ……』
 それは嘲りながら彼を見下ろし、不愉快な低い声でささやいた。澱んだ目が真紅の瞳を捕らえ、黒い腕がゆっくり闇へ伸ばされる。
「…………」
 指先から腕が闇に溶けてゆき、どす黒い霧へと姿を変えた。それを見つめクラウレスは右腕を無言のまま動かし鎖を振るう。
――ヒュンッ……
 風を切り鎖が舞い、霧となった魔を捕らえ包み込む。楔が魔の中心へ突き立てられ、霧は闇の中へと霧散してゆく。
「…………」
 あまりにも容易い勝利に彼は、訝しげな様子で眉をしかめた。
(……この程度の魔ごときがあれほどの災厄を村へともたらしたのか?)
「おかしい……」
 これはなにか裏があると、クラウレスは身構えつつ歩き出す。ゆっくりと祭壇へと近づいて、その端に足をかけたその瞬間――。
『――――――――ッ!!』
 声なき歓喜の雄叫びを、クラウレスは確かに耳にした。
「…………っ!!」
 そして突如崩壊して砕け飛ぶ祭壇の床から吹き出す『霧』に、クラウレスの全身は一瞬で、絡めとられ内へと呑まれていった。
 
 
 その『霧』からどのように逃れたのか、クラウレスはよく覚えていなかった。ただ、最初は先程同様に『鎖』を使いそれを倒そうとした。
 だが、それはそれまでとは比較にもならないほど手強く進化していた。いや、というよりは先程までが本来の姿でなかったと言うべきか。
 『鎖』は『霧』に触れた途端に溶解し、力ごと吸収され奪われた。次に出した魔剣もまた同様に、『霧』に溶けてその一部に変えられた。
 そして長い戦いの末にやっと、それを倒し『霧』から抜け出したとき、クラウレスはもはや立っていることさえできないくらいに疲労しきっていた。
「はぁっ……はぁっ…………」
 おそらくは能力を一度に使い過ぎた反動だろう。全身はまるで鉛のように重くて、心臓は荒々しく波打っていた。
「はぁっ……はぁっ…………」
 瓦礫と化した祭壇に、膝をついてクラウレスは喘いでいた。ぜいぜいと乱れる息が苦しげに、紫がかった唇から吐き出された。
「はぁっ……はぁ…………くぅっ!!」
 不意に細く小さな手が背後から、クラウレスの首へと伸び巻きついてきた。
「なっ……!? うっ……くっ…………」
 弱々しい力ながらもその指は、彼の喉にしっかりとくい込んでいた。クラウレスは息苦しさと動悸から、眼裏に激しい光の明滅を見た。
「くっ……ぅ…………」
 両手を首へと伸ばし、喉を絞める小さな手を引き剥がす。そしてつかんだ手首を引き寄せ肘を、無防備な相手の鳩尾に打つ。
「うっ……!」
 微かな呻きを漏らし、幼子がすぐ傍へとくずおれる。その身体を引き起こしクラウレスは、血の気のない小さな頬に手で触れた。
「…………いや、大丈夫だ……なにもない。きっと、混乱をしていたんだな……」
 クラウレスは安堵のため息をつき、腕の中の幼子の髪を梳いた。そして、ここにいるはずの双子の対、『管理者』の片割れを目で探した。
「…………呼吸は、しているな……」
 壁際にもう一人同じ顔の幼子が横たわり眠っていた。息をしている以上は『生きて』いるし、今のところ魔の干渉の気配はない。
(大丈夫。きっと、大丈夫だ……)
 クラウレスは重い身体を強引に、気力だけで支えて立ち上がった。
「…………くっ……」
 双子を両肩に抱えるように乗せて、洞窟の出口へと向かい歩く。長い長い夜が明け外の世界は、淡い暁の色に染まっていた。
「これで…………良かったのか?」
 廃墟と化した昨日までの故郷を見つめ呟く。彼らはまだ半ば以上『人』だった。冷たい肌、呼吸(いき)をしない身体でも、紛れもなく彼らは『人』だったのに――。
「……いや、いいんだ」
 他に道はなかったと、クラウレスは自分自身の心に言い聞かせるようにそう呟いた。
 
 
 
 双子を教会の寝台へ寝かせると、クラウレスは家へと向かい歩いた。途中過ぎる家々の静かさに、彼の心は自然と重くなる。
「………………」
 幾分足早気味にクラウレスは村を進み家へ着いた。しかしなぜかそこには彼の所属する騎士団の一軍が待っていた。
「…………!?」
「……いたぞっ!!」
 あっという間に、彼は包囲されて束縛された。
(…………何故?)
 そう問うことも許されずにクラウレスは仲間たちに捕縛され、何重もの封印の術をかけた狭い牢の中へと押し入れられた。
 

 
「クラウレス、私はお前がそんな『大罪』を犯すだなどと思わなかった。お前は立派な騎士の心を持った正しきものであると信じていた。だが……」
 拘束されたクラウレスにそう言って、騎士団長は苦しげに眉を寄せた。
「お前が禁域へ入るのを見た直後、複数の魔が封を解かれ散っていった。そしてしばらくしお前のは両肩に、気絶させた『管理者』を抱え外に出てきた。そして……」
 意識の戻った双子はそろって彼を「邪悪な魔の下僕だ」と断言した。それによって疑惑は確信となり、騎士団は彼を“処分”することを決めた。
「残念だ。お前ならば良い騎士になれるだろうと期待していたのにな…………」
 そう哀しげに呟き騎士団長は、クラウレスに死刑の宣告をした。そして、クラウレスは微動だにせず、無言でただ彼の言葉を聞いていた。
「本当に残念だよ、クラウレス。お前という仲間を失ったのは……」
 明日の正午、処刑を執行すると言い残し騎士団長は去っていった。クラウレスはなお動かずただじっと、夕闇の迫る世界を見つめていた。
 
 
 
 “それ”がクラウレスを訪れたのは、まだ夜明けには遠い丑三つの時。彼は、眠りもせずまだなお闇に塗り染められた世界を見つめていた。
『騎士よ……』
 “それ”は彼の心に直に、澄んだ低いその声を届けてきた。
『騎士よ、若き騎士よ。生きたいか? その身体と生命を守りたいか?』
 その言葉に自嘲の微笑を浮かべ、クラウレスはゆっくりかぶりを振った。
(守る? 何のために? 私は最早、生きる価値など持たない存在だ……)
 『管理者』はクラウレスを“魔の下僕”と言った。騎士団は彼を“処分”すると決定した。そしてなにより魔を逃がした自分を、彼自身が許すことができなかった。
(私は皆を救えず魔が封印を解かれ逃げる事にも気づけずにいた。あの時あの魔に捕らわれ他の魔を、逃した私が死ぬのは当然のこと……)
『そうか……ではお前は見捨てるのだな。この国も、その内に宿る“闇”も……』
(…………!?)
『この国はともかくお前の中の“闇”だけは救ってやりたかったが…………もう一度だけ聞こう。本当によいか? お前は死ぬ事を望んでいるか?』
 今度はすぐに返事を返せなかった。国を、罪なき者を守るために、戦わずに自分は死んでよいのか。「消えたくない」と叫んでいたあの“闇”を、道連れにしてしまってよいのか。
『生きたいか?』
 そう尋ね“それ”は黒い、闇の腕を彼の前に差し伸べた。ほんの少しためらいだが結局は、クラウレスはその腕をつかみ言った。
「生きたい……」
 そして彼はすべての過去を捨てて、愛用の剣を残して旅立った。
 夜明け前最後に見た故郷は、哀しいほど静かで美しかった。