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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


天下裏五剣 閑話之壱“斎主神天覧試合”

◆斎主神天覧試合◆

「いや、あんたが忙しいってのは、あたしも十分承知してるさ」
 いつも薄暗いアンティークショップ・レンの店内。
 果たして真面目に商売をする気があるのかないのか……店主たる碧摩・蓮は電話口に向かって何やら熱心に頼み込んでいる。
「……そこを何とか……ダメかねェ」
 だが、対する相手側の反応は芳しくない。商談、と言う訳ではないようだが……。
「……ふぅ」
 蓮は受話器を置いて溜息をひとつ。どうやら交渉は決裂したらしい。
 愛用の煙管に火をつけて、紫煙を燻らせながら、
「さて、どうしたもんかねぇ……」
 そう言って、雑然と物が置かれた卓上に目を落とす。
 そこには流麗な書体の文字で『斎主神天覧試合のおしらせ』と書かれた紙が一枚。
「こう言う肉体労働ってのは……」
 頭脳労働や術式なら何とかならなくも無いが、
「あたしの領分じゃあないんだよねぇ……」
 剣術・武術は全くの門外漢。はてさていったいどうしたものか……

◆組み合わせは如何に?◆

「まずは皆、予選ごくろうさん。まさか全員が通過できるとは思ってなかったけど、これで大分楽になったかねぇ」
 広大な神社の境内に設けられた天覧試合の会場。呼びかけに応じて集まってくれた4人の男女を前に、蓮はそう言って煙管を燻らせる。
「これでも一応は仙界の末席を汚す身なんでな。只人相手に負けやしねぇよ」
 ぶっきらぼうにそう答えるのは、止むに止まれぬ事情があって蓮の呼びかけに応じた尸解仙の夜崎・刀真(やざき・とうま)。
「予選って言うだけあって大した相手はいなかったよね♪ まぁ、俺の眼鏡にかなう様なヤツなんてそうそう居ないんだけどね」
 そう言って、くすくすと声を堪えて笑う壬生・灰司(みぶ・かいじ)。外見からは想像もつかないが、彼もまた蓮が求める天下裏五剣と同じく力ある剣、その化身である。
 天下裏五剣の一振りをこの眼で見てみたい。そんな理由で蓮の依頼に応じた灰司だったが、それは自分と同種の存在に焦がれる思いが心の何処かにあったからかもしれない。
「わたくしは……皆さんほど武芸に長じている訳では御座いませんが……奥様のお許しも頂いてますし、精一杯頑張らせていただきます」
 いそいそとティーセットの準備などしつつそう答えるのは、とある名家に仕える若きメイド長、篠原・美沙姫(ささはら・みさき)。
 神社にメイド服と言うその格好はこれ以上ないくらいにアンバランスなものだったが、誰もツッコまないのは『メイドの中のメイド』たる彼女の資質ゆえだろう。
「でも、本戦出場枠十二人のうち四人ってのは確かに俺たちにとって有利ですけど、本戦の組み合わせ次第では初戦で潰し合いになる可能性もありますよ」
「ま、そいつはまさに神のみぞ知る。あんた達のクジ運次第ってコトさねぇ」
 口元に手をあて心配そうにそう呟く櫻・紫桜(さくら・しおう)に、蓮は事も無げに言い返す。
「もし本戦でカチ合ったとしても、もちろん俺は手なんか抜かないよ?」
「勿論です。その時は正々堂々戦いましょう」
 ニヤリ、と笑う灰司に紫桜は真っ直ぐ視線を向けて言い返す。
 彼等とて別に戦闘狂と言う訳ではない。だが、その身に修めた武芸を存分に発揮し較べようと言う場で手を抜くのは、自分にも相手にとっても礼を失することとなる。
「やるからには俺も手は抜かない。こちとら生活がかかってるんでな」
 蓮からの報酬と今月の生活費。刀真がこの件に首を突っ込んだ理由の大半はそれだった。
「はいはい、意気込むのは結構だけど……ほら、もう組み合わせの抽選が始まってるみたいだよ。……美沙姫もお茶の準備は後でいいから、とりあえずクジを引いてきな」
「あ、はい。かしこまりました」
 見詰め合う三人の男衆と、その後ろでテキパキとお茶の準備を進める美沙姫を、蓮はそう言って送り出す。
 三々五々、踵を返して抽選会場へ向かう三人を見送りながら蓮は思う。
『何事も、なけりゃあ良いんだがねェ……』
 見上げる空は小春日和。何か良くないことが起こるような、そんな不穏な気配は露ほども感じられない。だが……
『天下裏五剣……か』
 天下裏五剣を巡る一連の事件。それを思うと気を楽にしてはいられない、と言うのが蓮の正直な気持ちだった。

†††

「蓮さん」
 そんな事を考えながら、抽選に向かった四人の帰りを待つ蓮に不意に声が掛けられる。
「……ん? ああ、わざわざ済まないね、こんな所にわざわざ足を運んでもらっちまって」
「いえ、構いませんよ。天下裏五剣、もし本当にこの神社に納められているのだとすれば、放って置く訳にもいきませんからね」
 声のした方を振り向くと、そこに居たのは蓮にとってはよく知った顔……と、言うわけでもないのだが、それが『彼』だということはその身に纏った雰囲気でなんとなく感じることが出来た。
「確か、叶くん……だったね。で、首尾はどうだい?」
「正直、あまり芳しくはありません。拝殿にある神体はどうやらレプリカのようで、本物はどこか別の場所に……おそらくは封印を施して管理しているのでしょう」
 尋ねる蓮に『叶』と呼ばれたその青年は視線を落としてそう答える。
 茶に染めた髪に眼鏡をかけ、知的な雰囲気を感じさせるその青年。手にした竹刀袋から出場者の一人であろう事は容易に知れた。
「そうかい、そいつはチョッとばかし厄介だね。もし見つけたとしても……」
「ええ、手にしてモノの真贋を確かめる……と言うのは難しいかもしれません」
 そうやって、その後も何事か話し込んでいた二人だったが、
「そうだ。あんた本戦には出るんだろう? 抽選番号はどうだったんだい?」
 蓮がそう言って話題を切り替えると、青年は懐から『七番』と書かれた小さな紙片を取り出して見せた。
「へぇ、七番ってコトは……シード枠じゃないか」
「日頃の行いの賜物……と、言いたいところなんですが、出場される皆さんには失礼かもしれませんが、今回私にとって試合は二の次。そんな私がシード枠なんて、なんだか申し訳ない気分ですよ」
 そう言って二人はさも可笑しげに笑い合う。まったく、世の中は侭ならない。
「……っと、他の皆さんが戻って来られたようですね。それじゃあ、私はこれで……」
 抽選会場の方から戻ってくる四人の姿を眼にして、青年は蓮に背を向けその場を去ろうとする。
「厄介な仕事頼んじまって申し訳ないけど……頼んだよ」
「もとより隠された物を探し出すのが本業ですからね、ご心配には及びません」
 その背に向かって言葉を向ける蓮に、背を向けたままでそう返す。
「私は、私の仕事をさせてもらいます」

†††

「あら、今の方は?」
 戻ってきた美沙姫がつい今まで蓮を何事か話し込んでいた叶の後姿にそんな疑問を口にする。
「ああ、なんでもない、ただの知り合いさ」
 別に隠す必要はなかったのだが蓮はそう言って美沙姫の質問をはぐらかす。なんとなく気が引けたが、まぁいいだろう。
「それよりあんた達。抽選の結果はどうだったんだい? まさか一回戦でみんなカチ合った……なんて事はないだろうね?」
 そう言ってクックッと意地の悪そうな笑みをこぼす蓮に対し、
「とりあえず一回戦でぶつかる事は無さそうです」
 紫桜がそう言って懐から番号の書かれた紙片を取り出し、皆もそれに続く。
 篠原・美沙姫『三番』
 夜崎・刀真『五番』
 櫻・紫桜『九番』
 壬生・灰司『十番』
「へぇ、上手い具合にバラけたね。それぞれがカチ合うとしても……準決勝からか」
 試合表とそれぞれの番号とを照らし合わせ蓮が感嘆の息を漏らす。
 叶の言葉を借りる訳ではないが、この結果には「日頃の行いの賜物」と言いたくなるというものだ。
「だが、身内同士でぶつかり合うことが無いとは言っても、それ以外にも出場者はいるんだ。そのなかに俺たちを圧倒する兵がいないとは限らんぞ」
「確かに、油断は出来ませんね……」
 刀真の言葉に頷く紫桜。
「ま、仮にそんなのが居たとしても、負ける気はないけどね、俺は♪」
 そんな二人とは対照的に灰司は嬉しそうにクスクスと笑う。
 バトルマニア、と言う訳ではないのだろうが、如何に長き年月を経て意思を持つに至ったとは言え、戦いを前にして気分を高揚させずにはいられぬのだろう。それは『剣』として生まれた者の性。
 一言で評してしまえば剣呑な、そんな雰囲気が辺りに立ち込める。
「さぁ皆様、お茶が入りました。試合が始まるまで余り時はありませんが、それまでごゆっくりお寛ぎになって下さい」
 だが、そんな美沙姫の声と同時にふわりと漂ってきた紅茶の香りが、剣呑な雰囲気に取って代わる。どうやら準備を進めていたお茶の支度が整ったらしい。
「それじゃあ、お言葉に甘えていただこうかね」
 そう言って、蓮はカップから立ち上る湯気を手で仰ぎ寄せ、香りを十分に楽しんでから口をつける。
「……うん、味も香りも申し分ないよ。流石だねェ」
「有難う御座います」
 蓮の言葉に頭を下げる美沙姫。
「焼き立てでなくて申し訳ないのですが……クッキーなども御座いますので、皆様ご遠慮なさらずにどうぞお召し上がり下さい」
 そんな美沙姫と蓮の様子に毒気を抜かれ、唖然とした様子でその光景を眺めていた紫桜が思う。
『この人、本当に戦えるのか?』
 予選では自分の事に精一杯で他の試合に気を回すことが出来なかった為に、紫桜は美沙姫の実力を知らない。
 紫桜も外見でその力量を判断するほど素人では無いとは言え、微笑を浮かべながら談笑に興じる美沙姫の様子からは、彼女がその身に武芸を修めた者とは思えなかった。
 しかし、紫桜はすぐにその考えを改めさせられる事となる。
「そろそろ試合が始まるな。一回戦は……」
 美沙姫の淹れた紅茶に舌鼓を鳴らしつつ、手にした試合表を広げて刀真が呟く。
「それでは、わたくし出番の様ですので行って参ります」
 その声に応えるように、未沙姫が一同に向かって頭を下げる。
「おー、頑張ってねー♪ ここでお茶飲みながら応援してるよー」
 踵を返して試合会場へと向かう美沙姫に、そう声を掛ける灰司。その隣で心配そうな顔を浮かべる紫桜。
 そんな紫桜の様子を見咎めた蓮が呟く。
「心配する必要はないさ。外見からは想像もつかないけど……あの娘、強いよ?」

◆一回戦・第一試合◆

「三番、篠原美沙姫。出ませい!」
「はい」
 己の名を呼ぶ行司の声に、にこやかな声で答えて前へ出る。
 神社の境内、その一角に設けられた天覧試合の会場。地面には白砂と玉砂利が敷き詰められ、さながら白洲のようである。
『相手の方は……あら、大きな殿方』
 対する相手は、女性としては身長が高い部類に入る美沙姫よりも頭ふたつ分は大きい。
『あら、困りましたわ』
 美沙姫が今回の天覧試合に出場するにあたって選んだ武器は棍だった。
 尺にして六尺(約180センチメートル)弱、美沙姫の身長とほぼ同じ。刀剣に勝るその長尺の間合いを利して相手を打つに優れた武器である。だが……
『楽に決めさせては、もらえなさそうですね……』
 相手の武器は美沙姫と同じ棒。だがその長さが尋常ではない。正確な長さは測ってみなければ分からないが、見たところ一丈(約300センチメートル)を遥かに超えている。修めた武芸はおそらく長槍の術。
 数ある槍術流派の中で如何なる流派に属する遣い手なのかは知れないが、それでも本戦まで勝ち残っているのだ。相当の手練であることは想像に難くない。
「始めッ!」
 相対した2人を交互に見やり、準備よしと見た行司が試合開始の掛け声を発する。
「女か……などと相手を侮るような愚かな事を俺は言わぬ。戦いの場にあっては男も女も無い」
 手にした長槍を中段に構え男が言う。
「ご立派な心構え、感服致します」
 答えて美沙姫も手にした棍を下段に構える。
 わきを締め棍先を地に向けたその構えは、美沙姫の纏うメイド服と相まってまるでモップか何かを構えているかのようにも見えたが、見る者に与える印象とは異なりその構えには一切の隙がない。
「ほぅ……」
 美沙姫のその構えに男が思わず感嘆の声を漏らす。
 彼女がその身に修めた武芸……と、言って良いかどうかは判らないが、それは彼女がメイドという職業の中で修めた警護術。主の傍に侍り仕える者が主を護る為の術。職業特性の延長上に発生した術理と言う点では警察の逮捕術に近しいものなのかもしれない。
 じゃり、と半身に構えた姿勢はそのままに男が一歩前に出る。
『…………』
 それに応じて未沙姫が一歩後ろに下がる。
 美沙姫の見立てでは敵の長槍の間合いまではまだ遠い。だが、刀などとは比べ物にならない長大な間合いを有する長柄武器の『延び』は想像を絶するものがある。
 美沙姫の操るメイド警護格闘術は、敵の攻撃を受け、躱し、或いは受け流し、そこから攻めに転じて敵の動きを封じる『守り』の型を基本とする。つまり狙う勝機は後の先。
『……間合いを読み違えれば、わたくしの負け』
 刀剣が相手であれば美沙姫の得物である棍の長尺を利して敵の攻撃を誘う事も出来たのだろうが、今回の相手は美沙姫の棍よりも遥かに長大な間合いを有する長槍の遣い手。
 慎重にならざるを得なかった。
「フンッ!」
 しかし、敵にはその慎重さを赦す気は無い様だ。
 美沙姫が後ろに下がると同時に更に一歩大きく踏み込み、呼気とともに一閃。
「……ッッ!」
 美沙姫の右手を狙った突きの一撃を、左足を軸に右足を退き身体を僅かに左に揺らして躱す。そして、敵の引き戻しに合わせて退いた右足を蹴り出し間合いを詰め、
「セイッ!」
 引き手の右を狙って繰り出す裏切上げの一撃。防御の動作がそのまま攻撃の予備動作に繋がる見事な攻防一致。
「甘いわ」
 しかし、まともに当たれば手にした武器を取り落とさずには居られまいその一撃も躱されたのでは用を成さない。
『釣られたッ!?』
 美沙姫の脳裏にひらめく言葉はまさにその通り。男の初撃は、美沙姫が初撃を躱して間合いを詰め、反撃してくるであろう事を読んだ上での一撃。見れば男の右手は何時の間にか逆手に持ち変えられている。
「もらったッ!」
 構えた長槍を反転させ、柄と石突の部分を袈裟懸けに振り下ろす。狙うは美沙姫の左肩、首筋鎖骨。
 その業は、戦場に於ける集団戦闘での術理を重んじる一般的な槍術とは一線を画す、多対多よりも一対一での決闘に重きを置いた柔軟かつ繊細な技術。流儀の名は種田流槍術。
 躱せる筈がない。男はその一撃に勝利を確信する。
―― ブンッ
 だが、振り下ろされたその一撃が男の手に伝える感覚は空を切るそれ。決して肉を打ち骨を穿つものではない。
「なんだと!?」
 男の顔が驚愕に歪む。そこに在るべきはずの相手の身体がそこに無い。当然といえば当然の反応と言えるだろう。
「申し訳ありません。これで、終わりです」
 美沙姫は振り上げた一撃の、その流れに逆らわず優雅ささえ感じさせる滑らかな運体を以って身体を右に流していた。
 通常の武芸であれば一撃に力を乗せる為に脚は地を噛み身体は硬直する。それをして敵の骨を砕き臓を潰すだけの、相手を殺傷せしめるだけの威力を棍に乗せるのだ。
 だが、美沙姫の操るメイド警護格闘術は相手を倒す術ではなく制する術。それほどの暴威は必要としない。故に硬直の瞬を狙った攻撃を躱す事が出来た。
「ガッ……」
 攻撃を躱され、無防備を晒した横腹に突き入れられた至近距離からの払い打ちが、男の肺から空気を強制的に吐き出させ意識を奪う。
「勝者、篠原美沙姫!」
 会場に響く行司の声と巻き起こる歓声。
「……ふぅ」
 そこでようやく美沙姫はホッと息をつく。
 決して易くは無かったが何とか一勝。

◆二回戦・第三試合◆

「七番、叶信夫。出ませい!」
「はい……」
 美沙姫をはじめ、刀真、紫桜、灰司。皆危なげなく一回戦を勝ち抜き試合もいよいよ中盤、二回戦・第三試合。
「九番、櫻紫桜。出ませい!」
「ハイッ!」
 行司の呼ぶ声に紫桜は凛とした声で答え、会場の中央へと進み出る。
「あら、相手の方は確か……蓮さんのお知り合いの方じゃありませんか?」
「ん、ああ、そうだったかね」
 紫桜の背後から、蓮にお茶を淹れながらそんな事を呟く美沙姫の声が聞こえる。
 茶髪に眼鏡を掛けたその姿は確かに試合の前に蓮と何事か話していたあの青年だ。だが、
『あの人は……どこかで……』
 それ以上に紫桜は、その青年と何処かで逢った事があるような、そんな奇妙な感覚を覚えていた。
「宜しくお願いします」
「よ、宜しくお願いします」
 対峙して、礼。考え事をしていた所為で礼が一瞬遅れた紫桜だったが、相手に倣い礼をする。
 一回戦はシード枠であったために、この叶信夫という青年がどの様な業を用いるのかは分からなかったが、手にした竹刀から察するに現代剣道の一派だろう。
「始めッ!」
 響く掛け声。青年の構えは現代剣道の基本の構えである青眼。剣先ゆらゆらと一定にさせず揺らしているのは攻撃の起点を相手に悟らせないため。
『隙がない……かなりの腕前だ』
 対する紫桜は無手。幼い頃より学んだ柔道と合気道、そして古武術が彼の業。
 手の内は拳を握らず僅かに開いた半拳。胴着に袴というその姿から相手も察しているとは思うが、紫桜の修めた武技に蹴りなどの打撃は殆どない。むしろ投げや寝技と言った組討術を紫桜は得手としていた。
『張り合ってみた所で所詮こちらは無手。間合いの利は敵にある。ならば初撃をどう躱すか、どう迎え撃つか……』
 半拳を開いて掌にする。半身に構えて両の掌を大きく縦に広げる天上天下の構え。

『見事な構えです。少年とは言え油断できる相手ではないようですね』
 小刻みに間合いを計りながら叶はそんな事を考える。
 眼前に立つ自分より一回りほども年若い少年。よほどの天稟を持って生まれたのか、それとも日々の修練の賜物か、その運体と構えには寸毫の隙も見当たらない。
『……っと、いけない、いけない』
 僅かに頭を振って昂ぶりそうになる心を落ち着ける。
 確かに心惹かれる相手ではあるけれど今日の目的は別にある。勝負に熱くなりそれを見失う訳にはいかなかった。
『とは言え、手を抜いてワザと負けるというのは彼に対して失礼なこと。ここはひとつ……』
 考えながら、更に間合いを一歩詰める。

『おかしい、どうして打って来ない……』
 如何に紫桜が『受け』の型を取っているとは言え、無手を相手に敵が後手に回る事などありえない。敵が何を考えているのか、紫桜は測りかねていた。
『それに、剣先から攻め気が感じられないのは何故だ? まさか戦う気がないのか?』
 誘いの意も込めて、右半身から左半身に身体を運び間合いを詰める。しかし、相手に攻めの気配はなく。何事か考え込んでいるかのように僅かに頭を振っている。
『……俺から攻めるか?』
 戦略上『受け』の型を取っているとは言っても攻め手が全く無い訳ではない。懐に入りさえすれば打・極・投のいずれも自在に操るだけの業は心得ている。
 敵が一歩間合いを詰める。紫桜もそれに倣って間合いを詰める。
「テヤァァァッ!」
 その時、敵が動いた。まるで紫桜の逡巡を見透かしていたかのようなタイミング。
 紫桜が一歩を踏み出し逆半身へと移行する一瞬の隙を縫う疾風のような踏み込み、そこから繰り出される見事なまでの天頭打ち。
『躱せない……ッ!』
 運体の間、この僅かな隙を捉えられては是非も無い。
 紫桜に残された道は木偶の様にこの一撃を受けて昏倒するか、或いは……
「フウゥゥゥッ!!」
 振り下ろされる竹刀を正面に見据え、紫桜は大きく息を吐く。その身に修めた古流の業。呼気とともに全身から気を集め、余さず右の掌へ。
 そして、天へと翳したその掌を振り下ろされる剣の軌道に重ねる。
 白刃取り……ではない。振り下ろされる白刃の太刀を見極め、刹那の瞬で両の掌で挟み込み敵の攻撃の一切を封じる。そんなものは只人の業ではない。
「ハアッ!!」
 呼気一閃。叶の天頭打ちは紫桜の左肩、その僅かに左の空を斬る。
 振り下ろされた竹刀が気を込めた右の掌に触れた瞬。紫桜はそれにまったく別の方向からの運動力を加え、同時に身体を内に引き込み受け流したのだ。そして、
「シッ!」
 敵の懐へと入り込んだ右肩と右腕に交差させた左の掌。敵の打ち込みの勢いをそのまま利用した交差法の当て身。
「……グウッ!」
 呻き声とともに手にした竹刀を取り落とし青年の身体が頽れる。そんな青年を見下ろしながら、
「……何故?」
 傍に控える行司にすら聞き取れないほどの小さな声ではあったが、紫桜はそれを問わずにはいられなかった。
『何故、激突の瞬に剣速を抑えたのか?』
 それが無ければ、おそらく青年の剣は紫桜の払い受けを圧し返し、全く逆の光景をこの場に呈していた事だろう。
「ふふ、さすがですね。この一撃は勝負に斟酌を加えた事の代償として、甘んじて受けましょう」
 見下ろす紫桜の困惑の表情に青年は僅かに微笑んでそう返す。その笑みと声に紫桜は見覚えがあった。
「しの……」
「シッ!」
 思わず名前を呼びそうになる紫桜を、口元に指を立てて制する。
 変装をして名前を偽り声色まで変えていたが、それは確かに以前にも蓮から受けた依頼で一緒になったことがある加藤・忍(かとう・しのぶ)に違いなかった。
「勝者、櫻紫桜!」
 行司の声が場に響き、叶と名を偽った忍がその場を去る。黙ってそれを見送る紫桜。
 その去り際、忍は声には出さず唇だけを動かして呟いた。
『また、いつか。次こそ本気で』

◆準決勝・第一試合◆

「セイッ、ヤッ、ハッ!!!」
 打ち、突き、払い。美沙姫の棍から繰り出される鮮やかな三段攻撃。
「そう、簡単には、当たらねぇよ」
 しかし、その攻撃は虚しく空を切るばかりで標的には掠りもしない。それどころか、相手は軽口を叩きながら躱す余裕すら見せている。
「ッッ……ハァ……」
 攻撃の手を止め、後に大きく飛び退いて再び間合いを取る。
「あんた、只人にしちゃあ大したもんだケド、まぁ相手が悪かったな」
 対する道服の男は腕を組み余裕の表情。首を左右に揺らして鳴らしながらそんな事を口にする。
 斎主神天覧試合、準決勝・第一試合。笹原美沙姫、対、夜崎刀真。
 試合は始まってから終始刀真のペースで進んでいた。

『どうして、こうも容易く、わたくしの攻撃が、躱されてしまうの?』
 得意とする下段の構えと刀真に向けた視線はそのままに、美沙姫は考えを巡らせる。
 一見すると十八歳ほどの、まだ僅かに幼ささえ感じさせる様な青年に、何故こうも悉く自分の攻撃が躱されるのか。
『構えは隙だらけ、特別に力が強い訳でも、眼を見張るほど素早い訳でもない……』
 なのに、当たらない。それは美沙姫が知る武の術理では説明の仕様が無かった。
 考えてみれば一回戦でも二回戦でもそうだった。
 一回戦では自分を遥かに上回る巨漢を相手に力でそれを圧倒し、二回戦では速さに勝る小太刀の遣い手の攻撃をすべて制してみせていた。
『いったい、どんな理屈なの?』
 隙と思った瞬間に必倒を期して打ち込んでも虚しく空を切るばかり。しかし、それが後の先を狙った抜き技や釣りの一手なのかと言えばそうではない。
 それは、まるで悪い夢でも見ている様な、そうでなければ狐に謀られているか様な……相手の望むように自分が踊らされている、そんな実に奇妙な感覚だった。

『さて、どうしたもんかな……』
 対する刀真もまた美沙姫の動きを見据えながら考え事をしていた。
 しかし、その考え事の内容は『どうすれば相手を倒せるか』ではなく、『どうすれば相手を傷付けずに勝利できるか』。
 仙道の末席に身を置く刀真がその身に修めた武術は、そもそも人間を相手に揮うものではない。『ヒトを超えた存在を討つ』べくして編み出された対人外の戦闘術にして殺し業。
 如何に勝負の場とは言え、それを只人である美沙姫に使う訳にはいかないのだ。
『でもなぁ、だからと言ってコッチも生活かかってるからよぉ』
 先月の家計簿は赤字だった。先々月も真っ赤だった。その前の月も……もちろん赤い。
 そんな夜崎家の家計に於ける末期的なエンゲル係数事情を少しでも改善する為には、今回の仕事を達成し蓮から受け取る報酬がなんとしても必要不可欠。
『負けるワケにゃあいかねぇんだよ』
 それは仙道にあるまじき、何とも所帯じみた決意だった。

『考えていても仕様がありませんね。相手はわたくしの理解の範疇を越えた何らかの技法で攻撃を躱している』
 美沙姫は構えを正して考えるのをやめた。
 答えの出ない問いにいくら時間を費やしたところで、この相手に勝つことは叶わない。ならば……
『眼に映る隙はすべて誘い。そう思って当たるより他に術はない』
 無論、彼女がその身に修めた異能の力を使えば勝利を得る事も可能かも知れない。だが、この天覧試合ではそれら異能の力は禁じられている。
 それを用いての勝利に価値を見出せるほど美沙姫は恥知らずではないし、なによりそのような勝利は彼女の主も望むまい。
『この篠原美沙姫、全力でいかせて頂きます!』
 構えた棍は変わらず下段。狙うは敵の足元。全霊を込めた『払い』の一撃を以って、相手を戦意諸共に刈り取る美沙姫の得手。
 美沙姫の修めたメイド警護格闘術がどの様に創始されたのかは定かではないが、敵の足元、特に臑部を狙った攻撃というのは、柳剛流をはじめ、実戦志向を色濃く残す諸流派に数多く見られる。
 臑打ちの技法。それは鎧具足を纏った相手に対する戦場介者は言うに及ばず、薙刀術では基本手のひとつとされている。
 堅牢な武具に守られておらず、相対したときに篭手よりも先に最も前面に出る脚部への打撃は実に有効かつ理に適った攻撃手段なのだ。
「そろそろ決めるか……」
 美沙姫の構えから、その覚悟と決意を悟った刀真がこの試合で初めて構えを取る。
 脚を大きく前後に開き僅かに重心を下げ、左拳を胸の前に、右の拳を大きく前に出して半身で構える。中国武術の体系のなかに多く見られる構え。
 しかしそれが臑打ちを狙う美沙姫にとって最も組し易い構えであることを刀真は知らない。
 一歩、また一歩とお互いに間合いを詰める。場の空気が徐々に緊張の度合いを増し…… そして、臨界を迎えた瞬間。
「セヤアアァァァッ!!!」
 美沙姫が一歩大きく踏み込むと同時に出足目掛けて払い打ちを繰り出す。
 踏み込みの機、運体の妙、そして打ち手の速さ。それら全てが相まって、その一撃は正に神速と呼ぶに相応しい。
『ッッ!?』
 だが、美沙姫の全霊を込めたその一撃すらも刀真は躱して……いや、繰り出した次の瞬には刀真の姿は既にそこには無かった。
『何処?』
 しかし、美沙姫は動じる事無くそれに応じる。臑打ちの一撃はまだ振りぬき終わってはいなかったが、身体に備わった全感覚を投入して刀真の姿と気配を探る。
「……そこですッ!!」
 背後から感じる僅かな気配。砂を踏む音も呼吸の音も無かったが、確かな気配をそこに感じ、美沙姫は臑打ちの勢いそのままに旋転し背後から近づく気配に向かって裏切上げの一撃を――

―― カーン……

 甲高い音が場内に響き、棒状の何かがドサリと砂地に落ちる音がその後につづく。
「それまでッ! 勝者、夜崎刀真」
 次いで、行司の声が高らかに勝者を宣言し試合が終わりを告げる。
「……わたくしの完敗、ですね」
 裏切上げに振り抜いた棍をスッと下して、美沙姫はそう言って微笑んで見せる。
「なに、只人にしちゃ大したもんだぜ、あんたも」
 口調はいつものぶっきらぼうなものだったが、それでも応じる刀真の口調には相手に対する敬意が感じられる。
 結局、最後の最後まで美沙姫の攻撃が刀真に至ることは無かった。
 刀真の業が一体なんだったのか、それを見切る事も出来なかったし、最後に繰り出した一撃で遂に棍も断ち折られた。
 それでも、美沙姫に悔いはない。全力を尽くして戦い、そして敗れたのだと、胸を張って主に報告できるだけの戦いをしたという自信がある。
「さて、それじゃあ戻ってお茶にしましょうか」
「あ〜、すまんが俺は……中国茶があればそれで頼む」

◆準決勝・第二試合◆

「九番、櫻紫桜、前へッ!」
「ハイッ!」
 行司の呼ぶ声に答えて櫻紫桜は前に出る。
「十番、壬生灰司、前へッ!」
「はいは〜い♪」
 灰司の軽薄な返事がそれに続く。
「おや、そのままの格好で行くのかい?」
 足取りも軽く会場の中央へ歩み出る灰司の背に、蓮が言葉を投げかける。
「ん〜、まぁ……紫桜は手を抜いて遊べるような相手じゃなさそうだし」
 背中越しに手をヒラヒラとさせて答える灰司。
 本戦に入ってからこれまでの二戦。灰司は相手に恵まれた事もあって、力を温存するために子供のような背格好に変化する、自称『省エネモード』で戦っていた。
 意思を持つとは言え『剣』と言う道具として、活動エネルギーに能力者(所持者)の体液を必要とする灰司は魔力が枯渇すると強制的な活動停止状態に陥るため、こういった気配りが必要だったのだ。
「チョッとだけ、本気でやるさ」
 そう言って、場の中央へ歩み出る。
「チョッとだけ……なんて、すぐに言えなくして上げますよ」
 対する紫桜は既に臨戦態勢。構えは忍と対した時と同じ天上天下。
「へぇ、そりゃ楽しみ♪」
 そんな紫桜の様子に灰司は嬉しそうに微笑みを返す。
「……始めッ!」
 そして、始めの号令が会場に響く。
「……この勝負、一瞬で決まるぞ」
 会場脇に設えられた選手控えのスペースで美沙姫に淹れてもらった烏龍茶をすすりつつ刀真が言葉を漏らす。
 美沙姫との勝負に勝利し決勝へと駒を進めた刀真としては、この準決勝・第二試合は見逃すわけにはいかない。何しろ、この勝負の勝者が決勝で刀真と覇を競う事になるのだから。
「あら、そうなんですか?」
「ああ、紫桜も灰司も修めた武芸の型がよく似ている。互いに相手のカウンターを狙うことを礎とする格闘術。勝負は一瞬、だがそこまでが長いぞ……」
 紅茶を手に勝負を見守る美沙姫の質問に刀真が答える。
 果たして、刀真の読みは当たっていた。
 互いに無手、そして互いに交差法の妙に重きを置き得手とする格闘術。どちらが仕掛け、どちらが迎え撃つのか。はたまた仕掛けたと見せての裏交差か。
 自然、互いに軽々に動く事は出来ず、思考の読み合いと騙し合い、間合いの取り合いと崩し合いが勝負の要となる。

『流石だ。本気になった灰司さんには全く隙がない……』
 紫桜の額から玉となった汗が頬を伝って滴り落ちる。
 一回戦、二回戦と灰司の試合を見ていた紫桜だったが、それらと今の灰司とでは比べ物にならなかった。
 『省エネモード』で戦っていたときは、その子供のような体格を利して場内を所狭しと動き回りながら相手を翻弄し、その隙を衝いて攻撃するというトリッキーなスタイルだった。
 だが今は違う。二本の脚はガッシリと地を噛み、それでいて上半身はゆらゆらと風を受け流す柳の様相。それに加えてその表情はいつもと変わらぬ微笑み。
『思考も手の内も全く読めない……ッ』
 焦るな、表情に出すな。そう自分に言い聞かせつつも時が経てば経つほど紫桜の中の焦りはその大きさを増してゆく。
『灰司さんのあの構えは……おそらく、攻撃を受け流すか躱すかしてから相手の急所に手刀を叩き込むタイプの型だ……』
 焦る心を落ち着けるため、紫桜はもう一度灰司の構えとそこから繰り出される攻手の狙いを確認する。
 上半身を柳の如く弛緩させ脱力させたあの状態から繰り出される手刀のスピードは、おそらく『視て』から避けることは不可能なほどに速いだろう。
 無用な力を込めていては、いざ技を繰り出すというときに身体が硬直し、或いは居竦み速度を損ない力も乗らない。これはほぼ全ての武道に通ずる基本だ。
『柳に向かって力で押しても意味は無い。けど……』
 互いにカウンターを狙う法とは言っても、実のところは紫桜に不利だ。
 敵は前の二戦でこちらの動きと手の内を見ているのに対して、こちらは今の状態の灰司の手の内を何一つとして知らない。
 どこから来るか分からない敵手に応じるよりも、自分から攻めるに利がある。紫桜はそう読んでいた。
『気を巡らせて威力・速力ともに増幅させた一撃なら、応じた柳を節から圧し折ることも可能になる』
 紫桜は間合いを詰めながら、相手に悟られぬよう細心の注意を払って全身に気を巡らせる。そして、忍の竹刀を払ったときと同様に掌の中央へ……。
『もし手を見破られれば、その時はその時』
 もし灰司が自分と同じように『力ある場』を視ることの出来る『眼』を持っていたとしたら……それを考え慎重に慎重を期して全身に巡らせた気を集める。そして、
『よし……ッ』
 気息充実。全ての準備は整った。
 紫桜はキッと視線に力を込めて灰司を睨む。狙うは回避が困難とされる胴部、脇腹。
『いくぞッ!!!』
 心中一喝。紫桜は心の内でそう叫び、勝負を決するための動きはじめた。

『相応の相手と対峙したときのこの緊張感……堪らないな』
 相手と自分との間でピーンと張り詰める空気の、迂闊に触れれば我が身を斬りかねないほどの緊張感。久しぶりに味わうその空気に灰司は酔っていた。
『真冬の空気のようにキーンと冷たいのに、逆に俺の中のアツいものを呼び起こさずにはおかない、斬れるように絡みつくこの空気……』
 対峙する少年に視線を送る。
『思ったとおりだ。タダの人間にしちゃイイ感じだよ、キミ』
 魔剣の性を刺激する久しぶりの好敵手。まだまだ可能性を秘めた、年端もいかぬ少年とは言え、手を抜いて相手をする訳にはいかない。
『良い師に恵まれたんだね……あの若さにしてあの隙のない構えはどうだい……』
 意思持つ剣としてこの世に生を受けて七百年あまり。これまで人・人外を問わず本当に多くの遣い手を目にしてきた。しかし、そのなかで己の身を捧げても良いと思った者が果たして何人いただろうか。それは決して多くはなかった。
『悪いケド手は抜かないよ……』
 しかし、いま灰司の目の前に佇む少年からはその可能性が感じられた。年若く技はまだ未熟なれど、秘めた天稟は灰司の魂を震わせるに十分な輝きを放っていた。
『へぇ、来るかい?』
 紫桜の視線が灰司を貫く。意思と決意を秘めた瞳が何よりも雄弁に紫桜がこれから成さんとする事を語っている。
 大地に根の如く両の脚を置き、身体は風に流れる柳の如く柔軟に。
 灰司の修めた徒手空拳の格闘術は俗に言う古武術に近い。相手の攻撃を受け流し、或いは利用して攻撃へと転じるカウンターの技法がその基本。故に灰司は紫桜が攻めて来るのを待っていた。
『ケド、それだけじゃあ面白くないよね♪』
 攻め気を見せ、徐々に間合いを詰めてくる紫桜に対して、灰司はゆらりと端から見れば無防備とも思えるふらついた足取りで大きく一歩前に出る。
「……!?」
 紫桜の瞳に僅かな困惑の色が浮かぶ。それほどまでに灰司の運体は隙だらけだった。これまでの隙の無さが嘘かと思うほどに。
『ふふふ、迷ってるみたいだね。でも、まだまだ甘〜い♪』
 そんな紫桜を視界の隅に収めながらも灰司の動きは続く。右に左にゆらゆらと、まるで蜃気楼や幻影を思わせるその足取りは先読みが全く効かない。
「アッ……」
 そこでようやく紫桜も気付く。
 一見して隙だらけにも見えるそれが、相手の間合いを狂わせ幻惑し虚を衝くことを目的とした歩法なのだということに。
「さて、どう出る?」
 紫桜と一定以上の距離を保ちながら歩法を止めず、灰司は小さくそう呟いて薄く笑った。
 この歩法、如何に天稟に恵まれようとも、紫桜がこれを見破るには少なく見積もってもあと十年はかかるだろう。しかし、
「……そこだッ!」
 視る者を幻惑する歩法に惑わされる事なく紫桜は一気に灰司との間合いを詰める。大きく踏み込んだそこは既に紫桜の拳打の範囲内。
『なッ!?』
 予想を超えた出来事に灰司の反応が一瞬遅れる。しかし、その一瞬はこの距離にあっては致命的な隙。回避行動は……間に合わない。
 紫桜を只の人と甘く見たのは灰司の油断だった。いや、紫桜が只人である事に変わりはないのだが、正確に言えば紫桜の『眼』を甘く見た。紫桜に備わった霊魂や物の怪などの『不可視の物』や方術や魔術を行使する際の『力ある場』を見通す『眼』。只人でありながら只人を遥かに超えた眼力を紫桜は備えていたのだ。
『マズイ……このままじゃ防御が……』
 灰司の懐ギリギリまで踏み込んでのカウンターを許さぬ短打の構え。更に、この間合いまで来てようやく気がつく。紫桜の掌から感じる気の脈動。
 身の危険に察知した無意識が魔力障壁によるオートガードを発現させようと動き出すが、灰司はそれを意思の力で捻じ伏せる。
「……グウッッッ!!!」
 左脇腹から全身を駆け抜ける激痛。それは人を相手にしては命すら奪いかねないほどの強撃。故に紫桜もこの技を用いる際には十分に相手を選んでいた。
 しかし、対する相手は七百年余を生きた魔剣の化身。渾身の気を込めた短打といえその意識を刈り取る事は叶わない。
「シッ!」
 激痛に耐え灰司が手を動かす。攻撃を加えた際に発生する一瞬の硬直を狙った頚部への手刀。
 必倒を期すべく踏み込みの勢いを利して体全体で当たる様に掌打を撃ち込んだ紫桜に、その手刀を躱す術はない。
 結果 ――
「勝者、壬生灰司!」
 行司が勝利者の名を告げた時その場に立っていたのは、掌打を受けた脇腹に手をあて、意識を失い足元に伏す紫桜を見つめる灰司の姿だった。

◆斎主神天覧試合・決勝◆

「やっぱりね……いちばん最初に会った時から、最後まで残るのは刀真……キミだと思ってたよ」
「ほぉ、そりゃどーも……と、礼のひとつも言ったほうが良いのかな」
 行司に名を呼ばれ場の中央へと歩み出る二人の青年。夜崎刀真と壬生灰司。
 蓮に依頼を受けた五人のうち四人が準決勝まで駒を進めたことで、その後は誰が勝っても蓮の思惑は達せられる。故に極端な話を言えば八百長で試合を終わらせる事も出来た。だが、誰一人としてそのような事は望まなかった。
「ったく、面倒な連中だねェ……」
 対峙する二人を控え席から見守る蓮。口ではそんな事を言ってはいるが、煙管を燻らせながら試合を見るその様子は実に楽しそうだ。
「けど、想像以上だよ。あれだけの手練を相手に……全くの無傷じゃないか」
 一回戦、二回戦、そして三回戦で美沙姫を相手にしたにも関わらず、刀真はいまだ無傷。
「そう言うあんたも殆ど無傷じゃないか……まぁ、その脇腹は痛そうだがね」
 人に化身し『人間』という属性の制約を受ける灰司だが、それでもその本質は剣。只の人間などとは比べ物にならないくらい頑丈だし、自己再生能力も備えている。しかし、準決勝と決勝との間にインターバルを挟んだとは言え、灰司が紫桜から受けたダメージはそんな短時間で癒えるものではなかった。
「なーに、この程度の傷はどーってことないさ。ケド、それを理由にして、刀真……俺とのこの試合で手ェ抜いたりしたりしないでくれよ」
 くすくす、と口元に手をあて笑う灰司の言葉に刀真の視線が険しさを増す。
「いつから、気付いてたんだ? うまく隠してたつもりなんだけどな……」
 そう言うと、刀真は道服の下から二振りの木剣を取り出す。それは刃長70センチ弱ほどの諸刃の大極剣。刀真愛用の双剣『穿陽・咬月』を模したもの。
「いつから……って、モチロン最初からさ。こー見えても俺は魔剣の化身だよ。剣と、剣を遣う者の気配を読み違える訳がないだろう」
 双剣を構える刀真の姿に灰司は満足そうに笑みを浮かべる。
 ただ剣と執って構えただけだと言うのに、二人の間を走る緊張がそれまでとは比べ物にならないくらいにその厚みを増す。
「あぁ……イイね、アンタ。俺がフリーなら、是非ご主人様にっておねだりしちゃうところだよ……きっと、血も美味しいんだろうねえ……」
 己の主となるに申し分ない程の強者を前にして、灰司は昂ぶる心を抑えきれぬようにそう呟く。くすくす、と鈴を転がすような笑いが期せずして口から漏れる。
「そいつは光栄……と、言いたいところだが残念だったな。俺はもうとっくに売約済みだ」
 双剣を十字に構えて深く腰を落とす。灰司もそれに倣って構えを取る。
 ……双侠準備は整った。
「始めッ!!」
 場内に響く行司の声に斎主神天覧試合、その決勝の幕が切って落とされた。

†††

 境内のほぼ全てが、いままさに行われている天覧試合の決勝の様子を固唾を呑んで見守っていた……その頃。
「まさか、こんな所に隠してあるとは……驚きですね」
 拝殿の奥。一般人の立ち入りが禁じられた禁域の更にその地下に、叶信夫こと加藤忍の姿があった。
 もし試合に出場した全員が敗れた場合の保険に、蓮は忍の腕を見込んで問題の御魂代を見つけ出し事の真偽を確かめて欲しいと頼んでいたのだった。
「こういった神域に忍び入るって言うのは些か気が引けますが……事が事です。神様も許してくれるでしょう」
 全く光の入らない真っ暗な廊下を、忍は慎重に進んでゆく。
 神社に神体として古くから伝わる御魂代。天下裏五剣のひとつと噂されるそれ。この廊下の先にそれが納められていると言う。そして……
「あれが……」
 長い廊下の突き当たり。厳重な封印の施された格子の向こうにそれはあった。
 抜き身を晒した刃長だけで七尺はあろうかと言う大太刀。更に長大な柄を加えればその全長は一丈を遥かに上回る。
 その姿は、果たして人間がこんなものを扱えるのか? そんな疑問を抱かずにはいられない。
「鬼真柄三本杉(おにまがら・さんぼんすぎ)……」
 その常軌を逸した太刀姿に忍は思わず息を飲む。
 事前に蓮から教えられたとおりのその姿。杉の木立を彷彿とさせる刃紋の長大な大太刀。しかし、その切れ味はかの『二念仏』に勝るとも劣らないと云う。天下裏五剣のひとつ『鬼真柄三本杉』
 全く光の差さぬ地下にあって、水に濡れたように薄く仄かに紅く輝く刀身は、見つめているだけで引き込まれそうになる。拝殿に納められているレプリカとは明らかに異なる輝き。
「間違いない。天下裏五剣のひとつ『鬼真柄三本杉』」
 手を伸ばしかけて、格子に触れる直前で手を止める。見るからに厳重そうな封印は、外部からの接触を物理的に遮断する力すら備える強力なもの。結界破りの技法を持たぬ忍には残念ながら手が出せない。
「……とりあえず、蓮さんに報告しておきましょうか……」
「いえ、その必要はありませんよ」
 唐突に、無人のはずの闇の中から忍の呟きに答える声がする。
「なッ……誰です!?」
 その声に忍は周囲の闇に目を凝らす。だが、闇の中には何者かの姿どころか気配すらしない。常人ならばいざ知らず、夜闇を見通す忍の目から逃れることなど出来はしない筈なのに……
「誰だって良いじゃないですか。貴方には関係の無いことですよ」
「グッ……」
 次の瞬間。忍の身体を痺れるような感覚が襲う。身体から一切の動きを奪われ木製の床に倒れ伏す。
「それじゃあ、ここまでの道案内ご苦労様です。お礼に命だけは助けて差し上げますよ」
 男とも女ともつかない声が響くなか、気を抜けば闇に落ちそうになる意識を振り絞り、鬼真柄の納められた格子の方に視線を向ける。
 その目に映ったのは、格子の先の壁に架けられた鬼真柄に今まさに手を掛けんとしている何者かの後姿。
『……バカな、いったいどうやって……』
 唇を言葉の形に動かして……そこで、限界。
 動きを失い四肢はピクリとも動かせず、ただ冷たい床の感触だけを感じながら、忍は意識を失った。

†††

「オオオオオッ!!」
 刀真の雄叫びとともに上空から投げ下ろされる木剣の群れ。
「当たらないよ!」
 しかし、灰司は迫り来るその第一刀を中空で掴み、唸りをあげて襲い来る木剣の群れを神速の剣捌きで叩き落す。
「チッ……」
 舌打ちをして着地。一瞬のロスも無く双剣を構えて地面を飛ぶように移動する。その先にあるのは薄く笑みを浮かべる灰司の姿。
 すれ違いざまに双剣を振るうも、本意を達する事無く空を斬る。繰り出した三斬一突、その全てを灰司は柳の如き体術を駆使して躱す。

「……すごい……」
 僅か十数メートル先で繰り広げられる戦闘、そのあまりの凄さに紫桜が息を飲む。
「あれが、人に可能な動きなのでしょうか……」
 美沙姫の口から言葉と同時に漏れる簡単の溜息。
 重力、慣性、その他諸々の物理的制約を無視するかのような刀真の動きと、それに応じる灰司の運体。それはとてもじゃないが人間業とは思えない。
 事実、二人はともに厳密に言えば『人間』ではない。だが、刀真にしても灰司にしてもその身体機能は普通の人間よりも多少上といった程度。刀真はもともと人間だし、灰司は人の形に化身することで人間と言う存在の範疇に縛られている。
 ならば何故、この二人に人を超えた動きが可能なのか。
 灰司は根本からして『人間』ではない。力ある者と契約しその血と魔力を体内に巡らせることで人の限界を超える強力な力を行使するという、人にはない『機能』を有している。そして、その『機能』は例え人に形に身を窶していても失われることはない。
 対して刀真は、仙界に身を置く者とは言え仙道としてはまだ年若く、不老とは言え不死ではない。仙術はからきし不得手で仙道としての技量は二流、位階は最低ランクの尸解仙。普通に考えれば人を超える動きなど出来るはずがない。
 しかし、刀真はその身に修めた業を以ってそれを可能とする。
 その原型は、三陰三陽十二経、総身あわせて六百五十七の経絡に気を巡らせることで、森羅万象の気運の流れと合一し、人の身をして超人の体捌きを可能とする中国武術の深奥、内家の功夫。
 人の身で神域の者と対峙することを前提とし、相手が己に勝る力を持つと認めた上でなお、それを討ち倒す為に編まれた我流の対人外戦闘術。

『さすがに、こっちの思い通りにゃ動いちゃくれねぇか……』
 双剣を構えて身を屈め、視線の先に灰司を捉え、刀真は考えを巡らせる。
『投器・暗器は既にタネ切れ。残った武器はこの双剣のみ……』
 手にした剣の重みを確かめ、口の端をわずかに歪ませる。
 我流の対人外戦闘術と、敵を誘導し戦局と相手とを己が思い描いた状況へと陥れる詐術にも似た戦術思考。それが刀真の業だった。だが、
『徹頭徹尾のカウンター狙い……厄介な相手だぜ』
 会場を縦横無尽に駆け回る刀真に対して、灰司は開始のその位置から殆ど動いていない。
 先手を取り場を支配するために、相手の虚を衝くために『線』の軌道を取らざるを得ない刀真に対して、灰司は『点』。ただ両者が交差したその時のみに狙いを定め反撃を加える。
 刀真にとってこれ以上やりにくい相手は無い、と言えた。
『これじゃあまるで、俺がアイツの手の上で踊ってるみたいじゃねぇか……ったく、みっともねぇ』
 左腕を血が伝い握った剣の柄を濡らす。先程の交差の瞬間に穿たれた指剣の傷。あのスピードで交錯する最中、これほど正確に急所を狙えるとは全くもって恐れ入る。
 そんな事を考えながら、刀真は気の流れを調節し二の腕に穿たれた傷の止血をする。道服の影に隠れて見えないが、これまでの打ち合いの中で刀真はかなりの傷をその身に負っていた。
『しょうがねぇ……あまり気は進まねぇけど……』
 敵が動かずこちらの手の内に乗ってこないと言うのなら、刀真が取るべき手はひとつ。巡る思考に終止符を打ち刀真は大きく息を吸う。
『あんたの土俵で、勝負してやるよッ!』
 運気調息。刀真は身体中に気を巡らせ、覚悟を決めて駆け出した。

『嗚呼、こんなにゾクゾクする相手は本当に久しぶりだ……』
 身体中を駆け抜ける恍惚感に灰司は思わず笑みを浮かべる。
 刀真が繰り出す攻撃は一度として灰司の身体に傷をつけてはいない。敵の攻撃を躱し、或いは受け流し、交錯の瞬に反撃する。
 一見すると戦局は灰司の圧倒的有利……に思えるがさにあらず。刀真の繰り出す一斬一突、そのすべてが紙一重。
 これまでの攻防で、運命の天秤が僅かにでも刀真の側に傾いていたのなら灰司はこの場に立ってはいない。刀真との打ち合いは、まさに薄氷を渡るようなものだった。
『さぁ、次はいったいどう動く?』
 視線の先で双剣を手に刀真が構える。一分の隙も見当たらないその構えが灰司の魔剣としての闘争心を刺激する。強者と相対する事に対する喜びが、左胸の、本来ならばありもしない灰司の心臓を高鳴らせる。
『刀真が隠し持った剣は六本、うち四本は先の投擲で使用済み。残るは手の内の二本のみ』
 高鳴る鼓動を抑え構える刀真に眼を向ける。
 先程までの迅雷の動きとは打って変わって、刀真はピクリとも動かない。まるで何かを待っているかのように。
『そうか……次の一撃で決めようって……そう言うコトか』
 刀真のその様子に一見してその意図を悟る。
 己の修めた定法で灰司に勝つのは困難と察し、敢えて灰司の手の内に身を晒し、そこから勝を得ようとする心算。
 次に刀真の手から繰り出される一撃は、恐らくこれまでで最高の威力と速度を備えた渾身の一刀になるだろう。それを思うと心の底から震えが来る。
『俺がマトモに動ける時間も残り少ない……決着をつけようってんなら……受けて立つよ』
 親指と小指と薬指を掌の内に折りたたみ、人差し指と中指をわずかに曲げて指剣を作る。狙うは刺突による急所の一点破壊。それは攻撃に伴う活動エネルギーを最小に抑える為の技だった。
 もともと剣と言う道具である灰司は、契約者の体液と魔力によってその活動を維持している。それらが枯渇すれば灰司は成す術もなく活動休止状態に追い込まれる。主が傍に居ればすぐに復活も出来ようが今は居ない。
 度重なる戦闘行為によって灰司の活動限界はすぐそこまで迫っていた。

「ハァッ!」
 呼気とともに刀真の身体が地を駆ける。
「……速いッ!」
 紫桜が思わず声を上げる。
 軽功術によって鋭さを極限まで磨かれたその速さはまさしく紫電。飛ぶが如く。
 一瞬にして灰司との間合いを詰め、両脇に低く構えた双剣を一閃。切上と裏切上の軌跡を描き灰司に向かって襲い掛かる。
「……ッッ!」
 左右下段から迫る二つの刃を身体を後方にずらして躱す。振り抜かれた双剣の軌跡が胸の前で十字を描く。
 本来ならばここで身体を返して踏み込み、反撃の指剣を呉れる……ハズなのだが、
「まだまだァ!!」
 低姿勢から全身の筋肉を伸ばすように繰り出された一撃の、その反動を利用して切上を放った右腕が唐竹の軌道を描いて舞い戻る。
「……クッ!!」
 木剣が空を切る風が灰司の鼻先数センチを掠め過ぎる。
 さらに引き戻された左腕が弓を引き第四射。踏み込みとともに繰り出される刺突が狙うのは、先の攻撃を身体を引いて躱した為に回避不能となった灰司の胸元。
『躱せない……ッ』
 上半身の運体のみでこの刺突を躱す事は出来ない。灰司は後ろ足を一歩引き、半身の構えで刺突を躱す。それでも躱しきれず胸元を吹き過ぎた木剣の鋒が灰司の右腕を浅く抉る。
 駆け抜ける痛みが生み出すコンマ数秒の隙。その僅かな隙に、刀真は刺突の勢いを利してその場で旋転。道服の裾が灰司の視界を遮った。
『もらったッ!』
 それはまさに絶好の勝機。刀真は回転の勢いをそのまま右手の剣に乗せ、逆袈裟に振り下す。狙いは半身に構えた灰司の首元。
―― ガシッ!
「まだだッ!!」
 しかし、その一刀をあろうことか灰司の左手が中空で掴み取る。如何に木剣とは言え、このスピード、しかも視界を奪われた状況で繰り出されるソレを正面から受け止めるなど信じられない。
 驚愕が刀真の顔に浮かぶ。最後と決めたこの打ち合いが始まってから初めて刀真に隙が生まれる。
『これで、終わりだッ!』
 灰司の目の前に晒された無防備な刀真の右脇腹。指剣を肝臓に衝き込み、それで試合は終了。
 灰司は脳裏に浮かんだ勝利のビジョンそのままに、残った右の指剣を刀真の脇腹目掛けて迅らせて、
―― ビュウゥ……
 そこで、有り得ない音を聴く。
 それは、剣が風を切る音によく似ていた。空を斬って哭く剣の声によく似ていた。
『……ッッ!?』
 灰司は見る。いま正に逆銅に繰り出されんとする刀真の左手。
『まさか、いままでの四斬一突、驚愕を浮かべて見せたその表情さえも、この一撃の為の仕込だったと……そう言うことかッ!?』
 相手が自分の手の内に乗ったと言う確信が灰司の心を緩ませた。刀真の仕組んだ詐術の陥穽が獲物を捉えた瞬間だった。
『間に合えッ!!!』
 刀真の脇腹へと迅らせていた右手を逆胴の迎撃に向かわせる。
 六連撃の六撃目。どんなに優れた遣い手であっても、そのスピード・パワーは落ちざるを得ない。それを捕らえる為に灰司の右手が迅る。
―― ガッ!
 そして、灰司の右手はギリギリのところで刀真の左手に追いついた。
『……やった……か』
 刀真が繰り出す渾身の連撃を防ぎきった。そう思い灰司が安堵した……次の瞬間!
「俺の勝ちだな」
 声とともに捕まえた右と左の木剣からフッと力が抜ける。
「なッ!?」
 両手から伝わるその感覚と声に気付いた時にはすべてが遅かった。
 刀真は既に踏み込みを終え、気を込めた掌打……俗に発勁と呼ばれる必殺の一打が、無防備を晒した灰司の胸に……
「ガ……ッ」
 全身の骨が一斉に軋むほどの衝撃が灰司を貫きその意識を奪う。その手に掴んだ双剣が地に落ちる。
「…………ふぅ」
 倒れ伏す灰司の姿を眺めながら刀真が溜息をつく。
「勝者、夜崎刀真ッ!!」
 行司の声を合図に、会場から歓声が巻き起こる。

 斎主神天覧試合。優勝、夜崎刀真。

◆エピローグ◆

「チョッと忍、しっかりしな」
「ん……あれ、蓮さん。どうして此処に……」
 自分の名を呼ぶ蓮の声に忍がゆっくりと目を開ける。
「どうして、じゃないよ。いったい何があったんだい? 裏五剣は……鬼真柄はどうしたんだい?」
 天下裏五剣。鬼真柄三本杉。蓮が口にしたその名前に忍の意識が覚醒する
「そうだッ! あいつは!?」
 叫ぶように身を起こし、鬼真柄の納められていた格子の先に眼を向ける。だが、そこには厳重に施されていた封印は既に無く、その先に納められていた筈の鬼真柄の姿が忽然と消えていた。
 天覧試合が刀真の優勝で幕を閉じ、神社の宮司達は口伝に従い刀真を御魂代である鬼真柄を安置している場所へと案内し……そこで、倒れ伏す忍と鬼真柄が消えていると言う事に気付いたのだった。
「くッ……やられた……」
 忍がドンと床を叩いて下唇を噛む。
「その様子から察すると、これをやったのはあんたじゃなさそうだな」
 壁に寄りかかり忍の様子を窺っていた刀真が壊された封印を指差しながらそう呟く。その問いに頷いて返す忍。
「え、なに? もしかして誰かに盗られちゃったとか、そーゆーこと?」
 事の成り行きをジッと見守っていた灰司も堪らず口を挟む。
「いったい、誰がそんな事を……」
 紫桜の脳裏にある男の姿が浮かぶ。今回と同じ天下裏五剣を巡る事件で出会った男の姿が。
「いや、鬼真柄を奪ったのは彼じゃない……男か女かも分からなかったが……ッッ」
 そんな紫桜の様子を察して忍がそう答える。いまだ全身に残る痺れるような感覚を堪えながら、ゆっくりと立ち上がる。
「か、加藤様。大丈夫ですか? あまりご無理はなさらない方が……」
 そう言って駆け寄ろうとする美沙姫を手で制し、小さく「大丈夫です」と言葉を返す。
「こいつは、ただの盗人ってワケじゃ無さそうだね……」
 焼き切られた封印の検分をしながら、蓮がポツリと呟いた。
 これほど強力な結界を破るほどの術者が関わっているという事実。それは「この事件がこれで終わりではない」と言う証左に他ならない。
「なんだか、イヤな予感がするねェ……」
「……そうですね」
 呟く蓮の言葉に、五人は頷かずにはいられなかった。
 

■□■ 登場人物 ■□■

整理番号:5453
 PC名 :櫻・紫桜(さくら・しおう)
 性別 :男性
 年齢 :15歳
 職業 :高校生

整理番号:5745
 PC名 :加藤・忍(かとう・しのぶ)
 性別 :男性
 年齢 :25歳
 職業 :泥棒

整理番号:4425
 PC名 :夜崎・刀真(やざき・とうま)
 性別 :男性
 年齢 :180歳
 職業 :尸解仙(フリーター?)

整理番号:3734
 PC名 :壬生・灰司(みぶ・かいじ)
 性別 :男性
 年齢 :720歳
 職業 :魔剣

整理番号:4607
 PC名 :篠原・美沙姫(ささはら・みさき)
 性別 :女性
 年齢 :22歳
 職業 :宮小路家メイド長/『使い人』


■□■ ライターあとがき ■□■

 注:この物語はフィクションであり実在する人物、物品、団体、施設等とは一切関係ありません。

 と、言うワケではじめまして、こんばんわ。或いはおはよう御座います、こんにちわ。
 この度は『天下裏五剣 閑話之壱“斎主神天覧試合”』への御参加、誠に有難う御座います。担当ライターのウメと申します。
 ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、題名にある『斎主神(いわいぬしのかみ)』は剣の神様として有名な『経津主神(ふつぬしのかみ)』の別名です。

 閑話などと題しつつも実はバリバリに本筋に絡む話でしたと言う不意打ちなお話。お楽しみいただけましたでしょうか?
 今回『も』規定文字数を大幅にオーバーしてお送りしましたが、皆様に楽しんで頂ければ幸いです。
 劇中、皆様から頂いたプレイングやキャラクターのデータとにらめっこしつつ、あーでもない、こーでもないと試合の展開を考えるのは実に楽しいものでした。
 高校生から、メイドさん、仙人まで個性的なメンバーでしたけど、実は最後の方まで誰が勝つかは私にも分かりませんでした。
 魔剣や仙人を叩きのめすメイドさんってのも面白いかな〜とか思ったんですが、結果はご覧の通り。無難と言えば無難な結果ですね。

 さて、次回のお話は、消えた『鬼真柄三本杉』に絡んだストーリーになると思いますが、現在構想中で発表時期は不明です。
 お話を面白いものにすべく資料集め等に奔走しておりますので、しばらくお待ち下さい。

 それでは、また何時の日かお会いできることを願って、有難う御座いました。