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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


目の前に現れた光の如き〜途惑いと憂いと

 母様に頼まれた葡萄酒を何処かに置き忘れて来るわ、お医者様への対応は満足に出来ないわ。
 わたくしはどうして肝心な時に駄目なのでしょう…。
 母様とお医者様のおかげで何とか彼を助けられはしましたが――わたくしは、怪我をした彼をただここに連れて来ただけでそれ以外は何も出来ていない。
 何度も何度も、後悔頻り。
 それでも、結局駄目な自分が居る。
 確りやらなければと思うのに、それが出来ない。
 何かして差し上げたいと思うのに、役に立つような事が何も出来ない。
 そんな自分が、出来そうなこと。

 …せめて、彼が目を覚ました時に温かい物でも召し上がって頂きましょう。

 そう思い立ち、昼食には少し早いかも知れない。時計を見、そうは思いながらも彼女――ラレーヌ・マグダラレナは宿の――つまりは自分の家でもあるそこの厨房でパンとシチューを用意した。
 彼の眠る部屋へと持って行こうと。



 そっと部屋に入る。まだ目を覚ました様子は無い――が、ラレーヌが部屋の中ベッドで眠る彼の姿を見た時、窓から差し込む陽の光がちょうど彼の顔に掛かっていた。これでは眩しそうな気がする。起こしてしまわないように。思いラレーヌは窓際に寄り、備え付けてある薄手のカーテンを閉めようと手を伸ばした。
 起こさないように静かに。そう思いながらの行動だったが――その時。
 部屋の中で微かに動く音を感じたか、はたまたラレーヌが思った通り眩しかったのか、ベッドに眠っていた彼がふと目を覚ました。そしてラレーヌの姿――つまりは今まさに陽射しを遮ろうとこの部屋のカーテンに手を掛けた見慣れぬ女性の姿――を見、少し驚いたような顔になる。…想定もしていなかった目の前の状況。つい今し方まで眠っていた彼は警戒から、平静を装いベッドから身を起こす。が、不意打ちの如き己が身の痛みにその途中で顔を顰めた。そして痛みの元を顧みる――腕には包帯が巻かれていた。恐る恐る指先で触れてみれば額にも包帯が巻かれている事に気が付いた。そもそも、自分の居るこの場所。宿らしき一室、そこのベッドで休んでいた――休む事が許されていた事実。
 それらの材料から理解する。
 途端、緊張が解け、身体から力が抜けた。
 警戒の必要など無かった。…これは、彼女が、私を。
「…貴方が…私の手当てをして下さったのですね」
「は、はいではなくえと、あの…わたくしはここまでお連れしただけでして何も出来なくて…手当てはわたくしではなくわたくしの母様と、あの、お医者様が…」
 と、取り敢えずこれ、宜しければどうぞお召し上がり下さいませ! とラレーヌはしどろもどろになる自分の言葉を途中から遮るように、運んで来たパンとシチュー皿の乗ったトレイを怪我人の彼へと差し出した。
「…」
 怪我人の彼の目に、微かに途惑いの色が浮かぶ。
 …それは、彼女の好意は有難いもの。細かい成り行きはわからずとも、何処かで行き倒れていたのだろう自分を助けてくれたのが彼女だと言う事だけはすぐわかる。それどころか、こんな食事まで。
 今のカーテンの件からしても、気遣われているのがわかる。…彼女の優しさや暖かさが感じられる。行きずりの見知らぬ人間にまで、そんな情けを向けられるような、清らかな。
 が。
 …他ならない自分が、それを受け取っていいのか?
 そう思う自分が居るのも事実。
 彼女の好意を素直に受け取れない自分が居る。許される事の無い罪人、それが自分。慈愛に満ちた清らかな乙女の傍に居ていい存在では無い。自分に関っては、自分に関らせてはならない――。
 ラレーヌに差し出された食事を手の仕草だけでそっと拒否し、怪我人の男はベッドから出、立ち上がろうとする。ラレーヌの側も、拒否されたそのまま途惑いつつも食事をサイドテーブルに置いた。直後、怪我人の男からは世話になったと、有難うと力無い声が発される。ラレーヌが見上げたそこ、怪我人の男はもう自分の足でベッドの傍らに立っていた。言葉は残したがラレーヌを見もしない。そしてそのまま部屋を出て行こうと歩き始めるが――意志に反しまだ一歩も進めていない彼のその足許が、ふらついた。
 体力の衰えが原因か、真っ当に歩けもしない。咄嗟に彼の間近に居たラレーヌはそれを支えようとした――が、この宿に彼を引き摺ってくる際には火事場の莫迦力の如く(…)何とかなったとは言え、怪我人の彼とラレーヌとでは単純に彼我の体格差、体重差がある。その上――まともに歩けない、力も入っていない成人男性を十五の少女が、それも咄嗟にとなれば、当然支え切れる訳が無い。
 …諸共に倒れ込んでしまう。
 が、これも咄嗟にうら若き少女に自分の体重を掛けてしまう事を避けるつもりだったか、怪我人の彼もただ倒れはしなかった。結果、ラレーヌをベッドの上に押し倒すような形になってしまう。…それは、咄嗟にラレーヌの頭の脇に手を突く事が出来、自分の体重がそのままラレーヌの身に掛かる事を避けられた…と言うだけの事な筈なのだが、双方の驚いたような視線が、ごく間近で絡んでしまった。
 そのくらい、近い距離。
 数瞬、止まる。
「………………すみません」
 言葉少なに謝罪して、怪我人の彼はラレーヌから離れた。
 ラレーヌは――突然の事に、まともに返せていたかどうかすらわからない。はぁ、とか、ああ、とか意味の無い言葉を発してしまったような気がする。
 それより何より、胸の鼓動が、どきどきと強く打っている。
 ラレーヌの方も何とかベッドから立ち上がると、今度は――今度ばかりは確り話さなければ、と出来る限り胸の高鳴りを抑えながら口を開いた。
 心臓が口から飛び出そうだと思っても、何とか我慢。
 …そう、今の事がなくたって、この方の怪我は。立ち上がっただけで、歩こうとしただけでふらつくような、そんな御身体ではどうしようもない。
 黙って出て行かせる訳には、行きません。
「あの…せめて、せめてその怪我が治るまでは…ここに居て下さいませ、お願い致します…そんな御身体ではまだ他の場所に行かれるのは御無理です…!」
「…」
 殆ど泣き声混じりの訴え。
 確かに、彼女の言う通りかもしれない。ただ、ここを出た――出られたとしても元々当ても何もない。先の事など考えてもいない。…何処かで野垂れ死ぬ、それを待っているのかもしれない。正直、今の自分の精神状態では――そうなるのが時間の問題だろう。
 このままここを去っても、それが、少し早まるだけ。
 が――今それを早めては彼女の好意を、彼女が私を助けた事それ自体を無駄にさせる事になりはしないか。それもまた新たな罪を重ねる事にも…なると言えば、言えるかもしれない。
 優しくされる価値など無い身とわかってはいる。
 …いるが。
 真っ直ぐな茶の瞳が怪我人の男を見上げている。縋るようにも見えた、瞳。
 …この好意を突っ撥ねては、純真なその瞳を、曇らせる事になりはしないか。
 …このまま去っては、その必要が無いのに彼女にこそ負い目を与えてしまう事になりはしないか。
 怪我人の男は一度ゆっくり瞼を伏せてから、わかりました、お言葉に甘える事にします、と呟くような途切れがちの声で告げる。そして、再びベッドへと戻る事にした。
 …まだ途惑いはある。あるが、言われた通りまともに動けない自分、と言う動かし難い事実もある。
 怪我人の彼がベッドに戻ったのを確認するなり、今度こそラレーヌの手でカーテンが閉められる。ベアリングの音が響いた。部屋に差し込む陽射しが和らぐ。
 そこで、ラレーヌが自己紹介を始めた。自分の名、シスター見習いである事を簡単に。それからここの場所。この宿は自分の家でしているのだから遠慮はしなくていいと言う事も付け加えた。
 受けて、怪我人の男もそこで初めて名乗る。…シェラン、シェラン・ギリアムと申します。何とか名乗りはしたが、それ以上は何も言えなかった。笑顔を作る余裕さえも無い。
 その事に、ラレーヌはまた心配げな顔をしてしまう。暗い表情の彼。気になってしまう。名前以外何も仰って下さらないと言う事は、訊かれたくないのだとも判断は付く。…何がシェラン様をそうさせているのでしょう? 気にはなっても、問い質す事は出来なかった。
 と、物問いたげに――それでも何も言わずに自分をただ見守っているラレーヌの気配を遮るよう、シェランは改めて、ラレーヌが運んできてくれたシチューに手を伸ばす。有難く頂戴します、と声だけは掛けたが殆ど心のこもっていない社交辞令。言っただけ。笑顔同様、こちらもまた余裕が無い。
 皿と匙を取り、それでシチューを口に運び始めはしたが――体力の衰えが理由かそれすらもあまり喉を通らないようだった。それでも何とか柔らかく煮込まれたそのシチューだけは平らげ、シェランは再びベッドに横になる。

 そして。

 独りにして欲しいと。
 消え入るような、それでいてきっぱりとした――拒絶、とも取れる硬い声がラレーヌに渡された。シェランとしてはこんな気まずい重い空気の中で彼女を傍に置いておく事は出来ない。…今の自分には彼女を気遣っている余裕がない。それに自分も自分で今――他人に傍に居てもらいたくない。
 言われ、ラレーヌはただ肯んじた。本当は彼を――シェランを独りにして置きたくないと思っても、彼の表情を見てしまった今のラレーヌに逆らえる筈が無かった。空いたシチューの皿と残されたパンを乗せたトレイを取り上げ、言われた通りにベッドの傍らから離れる。部屋を出る為――とは言え心配で、後ろ髪引かれるような思いでラレーヌはドアの前まで移動する。
 そしてドアの前、ドアをこれから開け、部屋から出ようというその直前。
 思わず、ベッドを振り返る。
 が――シェランの方は、ラレーヌの姿を見もしない。
 先程見た、暗く沈んでいた、顔。
 酷く、重いものを背負っているような。

 …いったい何が、あったのでしょう。

 ラレーヌはただ気懸かりで――心配で。
 それでも、何も言えはしない。
 結局何も声を掛けず黙ったまま表に出、静かに閉めた扉。その扉を背にその表、部屋の前で。
 …ただ、中に居るひとの事を思ってしまう。
 独りにしてくれと頼まれましたのに。
 それなのに。

 ラレーヌは暫くの間、その場から立ち去れずに、いた。

【了】