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<東京怪談ノベル(シングル)>


舞台裏の眼差し

 体育館に備え付けられているステージは意外と広い。赤いビロードのカーテンが両端に飾られ、スポットライトもなかなか大きい物を使用しているらしく夏軌・玲陽(なつき・れいや)の通うこの高校に初めて訪れた他校の生徒は自らの学び舎と比べ歓喜の声を上げ大々的に行われる今日の文化祭を大いに楽しもうと校門をくぐってやってくる。

「なぁ、夏軌はステージイベント何やんの?」
「俺? それは秘密ですッ! お楽しみにな」
 今日だけは学ぶ者として学校に通っている玲陽もそのクラスの生徒も自らの出し物や店に押しかけてくる他校やいつも世話になる教員の為に一つ、ホストになって校内を駆けずり回るのだ。
 勿論、自分達もそれを楽しむ為にやっているのだから気合だけは十分に入っていて、玲陽のクラスメイトは何かの仮装を身につけながら何故か未だに普段の動きやすい服とは逆に、過剰につけていると言ってもいいアクセサリーに瞬きをする。
「夏軌君アクロバティックダンスみたいなのするでしょ? アクセサリーいっぱいつけてると回ったとき綺麗なのよね」
 下手に体勢を崩してアクセサリーを踏むと危ないから難しいけど。と付け加えた女子生徒は彼女独特なのか、それとも何かを含んだかのような笑みを見せて舞台の再調整に出た。
「なんだ、ばれちゃってんのかよ…。 ま、そういう事だから見ててくれよ」
 同級生に笑いかけながらふと感じた違和感に視線は女子生徒の背中を追い、そしてこの舞台端から見える観客席を見て静かに口をつぐむ。
 先ほどまで話していた生徒が玲陽の物静かな雰囲気に不思議がるようにして顔を覗きこんでくるがそんな事はどうでも良く、耳はただ雑音となった他の音を受け付けずにただ今目に入った他校の人間を凝視している。

 玲陽が通った中学の同級生。そして遠くの高校に行った筈の生徒の制服が何故か瞳に焼き付いて視界を鮮やかな白に変えていった。

 真面目に詰襟まで締めてある制服を着込んだ少年はまるで金色に近い茶の髪を柔らかく廊下になびかせながら歩いている。
 紛れも無い玲陽の中学時代、今より明るい金茶の髪は地毛で寧ろ今の髪の方が自然に見える程周りからは浮いていて、同じようにその明るく真面目な性格すらも周囲に柵を作っているようなものだった。
(今日出た宿題…多すぎ。 ま、なんとかやってけるかな…明日も部活早いし無理は禁物ですね、っと)
 ホームルームで宿題の発表を聞いた後、下校するその直前に教科書を忘れた事に気付き、取りに向かう足取り。それは決して重くはなかったが軽くも無い。
「…っわ!」
 廊下ですれ違いざまに肩をぶつけられよろめき、鞄を落とす。それ程急いで歩いていたわけでもない自分にぶつかるのは多分わざとであろう、それに恨み言を言うより先に落ちた鞄を拾いに屈んだ玲陽にただ。
「おっ、と。 ごめんよ」
 嘲笑にも似た謝罪の言葉が見下すように返ってきてふと、手元が怒りに震える。
「気を…つけなよ」
 そう搾り出した声が精一杯だった。中学三年生、高校受験を控えた玲陽達に喧嘩などをする余裕など無く、してしまえば確実に将来に響いてしまうだろう。特に自分の場合この浮いた髪と何故か担任にまであまり良く見られていない事を知っていた事もあり尚更、事を大きくしたくはなかったのだ。

「おい、夏軌。 教科書忘れてったぞ」
「あ…」
 鞄を拾い終わりいざ教室へと顔を上げればその顔に直撃するかのように本が降って来て思わず情けない声を上げてしまう。
 それでも怒る事が許されないのはこの教科書を持ってきた人物が自らの担任だということだ。書道を担当するこの中年教師は何かにつけて普通と違う事が気に食わないらしい、彼の常識とやらに反した生徒は大抵内申書で大打撃を受けているらしかったし、普段遊んでばかりいる生徒ですらこの教師の目の前では飼い犬のように静かで媚を売っている。
「…すみません」
 ふと目を逸らしながら玲陽は教科書を受け取る。盛大に顔に当たった為まだ目の辺りが痛く涙を滲ませるが、かえってその態度が教員にとってお気に召したらしい、口の端を天に向けながら目下の少年の頭を痛い程なでながら。
「教科書を忘れては大変だ。 明日の宿題を忘れてしまうからな? この頭のように軽く宿題までふっとばなきゃなけりゃいいんだが?」
 下校時間の五月蝿い中だと言うのに誰も気に留めていないように見え、寧ろ金茶の髪を撫でているというより大きく掴みひっぱっているような手の動きに目の痛みも重なって玲陽の顔は引き攣っていた。
 担任という言葉はある意味鎖に近く、生まれ付きの金茶だというのに染めたと決め付けたこの教師は玲陽が自分の常識から外れた事が許せないようだった。何かにつけて触られる頭はいつも嫌と言う程髪を引っぱられる。
「忘れません。 えっと…教科書、ありがとうございました。 失礼します」
 屈辱も良い所だが我慢をするという事が当時の玲陽には染み付いていたらしい。振りほどくという言葉の一歩手前で教員から逃れると踵を返して玄関に向かおうとするが、突如。
「待ちなさい。 ついでだ、いいものがある」
 腕を、髪を掴まれた時よりも強く引かれ、仰け反るように教員に背中を向けたまま引き寄せられる玲陽は次に来た頭の冷たさに一瞬何をされたかすら理解できなかった。
「これで君の不真面目さが治るとは思わんが、まぁ多少黒く染めてみるのもいいんじゃないか?」
 染めるという言葉に少なからず強調を感じ、玲陽が教科書を持った手で額から零れ落ちるそれを見れば黒。墨汁のどろりとした嫌な感覚が次第に広がってくる。

「し、失礼しますっ!」
 駆け出した足音はまるで逃げているようだった。
 いや、逃げたのだろう。一瞬で目の前がまさに真っ黒になり玲陽は頭から墨汁を垂らしたまま玄関へ逃げ、そして帰路につく。
 周囲の好奇の目もあったが何より教員に絡まれた時耳に入る雑音のような嘲笑と、時折聞こえる助け損ねる声が非常に苛立たしかった。こんな事をされた事の無い者の楽しむ無責任な笑い声はどこか遠くに行けば良いと思い、助け損ねるくらいなら最初から助けようとすら思わなくてもいいと何度も呪うように思い続けた。
(俺、なんかしたっけかな…?)
 今は歩いているのか、家に着いているのかもわからない状態で玲陽の心に響いた自らの言葉は、怨念じみたものでも、泣き叫ぶ声でも無く、ただ淡々と今までのこの状況を整理した後の最後の言葉にも聞こえる。
 辺りには誰もおらず、一人だけ、自分の心の中で聞こえる今までの玲陽の声はこれからどう行動するか計算しつくしたかのように彼の身体をのっとり、そして出かけた涙すら引かせ、一度だけ、さも何も無かったかのように微笑むのだった。

 白く塗りつぶされた目の前の自分。それは高校で今文化祭を謳歌する方か、中学の頃ただ耐え、だが本当の明るさを知っていた方か。

(どっちでもないよな)
 舞台端でクラスメイトの玲陽を心配する声が耳に入り慌てて笑顔を作る。
「夏軌君大丈夫? 保健室いこっか?」
「んーん、ダイジョブ、だいじょーぶ。 ちょっとこれからするダンスのリズムとってただけだから。 ステージショーの準備続けてて」
 そう。と、何度か玲陽を振り返りながら去っていく友人達にもう一度微笑み返しまた観客席を見る。
 未だ昔の思い出を引き摺ったまま嘲笑していた生徒か、或いは助け損ねていた生徒か、そこまで判別する事は既に出来ない程麻痺した目で相手を凝視した。
 あれから教員は内申書の件で教育委員会に問題視され辞職、クラスメイト達も高校に上がるという事で玲陽はその醜悪な苦しみから逃れるように中学からは遠い、この学校を受験したのである。
「その染めた髪、もっと色薄かったら今日のダンスの時綺麗だったのにね」
「ん、そーか?」
 一瞬、びくりと心臓が動く。
 自分を心配してくれる友人達に感謝と自らの心を開いて接する事が出来ない事に謝罪の念を送りながら見送った目は先程ステージに行った女子生徒に向けられ過去を掘り出されるこの雰囲気を拒んでいた。
「まぁ、彼の話じゃ薄い色の髪も染めてるんじゃないかって噂もあったみたいだけど…ね?」
 じゃあ、と言って去っていく後姿を玲陽の目は追う事は無く。ただそういう事だったのかと自嘲に似た微笑を口に浮かべる。
 元同級生はこの高校に彼女が居たのだ。わざわざ遠い筈の場所に来る理由もそれで納得が行く、そして今その女子生徒が玲陽の過去を知っているように振舞ったのも。

「夏軌ー! そろそろ舞台できるぞ、準備しとけー!」
「ん、了解! お前らも楽しみにしとけよ!」
 暗く過ぎった過去を拭いとるようにかけられた今、現在のクラスメイトの声に玲陽の心も再び浮上し客席から見える苦い思い出を振り払うようにステージの方へ歩みを進める。
「頑張ってね! 楽しみにしてるっ!」
 途中、後に出場を控えている生徒が手を振り、それに答えながらスポットライトを浴びたその身体は今を必死に謳歌する高校生の夏軌玲陽そのものであり。
「今日は俺達のガッコに来てくれてありがとなっ! 存分に楽しんでいってくれ!」
 ざわざわと人の息遣いがそこかしこにひしめく会場、明るく響く音楽。それらは現在の玲陽がこの学校で感じている楽しさを表していて必ずこの文化祭を成功させてやろうという思いがこみ上げてくる。

 目の前に広がるのは無数の人だかり、近くにある過去の影と友達の顔。
(案外俺が一番酷い奴なのかもしれないな…)
 ふと微笑みに悲しみを乗せ、玲陽はステージに集中した。
 完全に拭いきれないとはいえ、友達だと思う生徒達にもまだ本心は言えない、言えるはずが無いと意地を張り続ける玲陽をのっとったままの黒い自分自身が憎い。それでも。

「最高のステージにするからな! お前らよーっく見とけよー!」
 楽しませるだけならばまだ自分にも出来ると、ダンスの後の司会をも務めた玲陽はそのトークで会場を沸かせ、最後まで笑顔を絶やすことは無かったのだ。
 二重に染まった明るい色をひた隠し、出来る事だけを、精一杯にしながら、玲陽は言葉を綴る。舞台に上がる自分に笑顔を、舞台裏に潜む陰にまだ心を縛られながら。


END