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<東京怪談ノベル(シングル)>


ゆったりと、ゆっくりと。

〜いつか見た景色〜

「ふぅ……」
 将太郎は手にしていた本を閉じ息を吐く。
 久しぶりに手に入った読み応えのある本に、ついつい時を忘れて没頭してしまった。
 窓の外に目を向ければ、秋晴れの空が広がる実に良い天気。
「……すこし、散歩でもするか……」
 呟いて、立ち上がる。本ばかり読んでいるのにも些か疲れた。
 こんな天気の良い日に家に閉じこもって読書も無いだろう。将太郎は気分転換を兼ねて外に出ることにした。
 秋とは言えにわかに冬の気配も感じられる季節。
 将太郎はクローゼットから袖の長いTシャツと薄手のジャケットを取り出し、着替えを済ませて家を出た。

 とりあえず将太郎が向かった先は、家から近い訳ではないが、そう遠い訳でもない。そんな散歩をするにはちょうど良い場所にある公園。
 公園の片隅に設えられたベンチに腰掛ける。すこし肌寒いような気がしたが、それでも秋の陽光が何とも言えず心地良い。
 こんな風に、何をするでもなくボーッとして、徒に時を過ごすのも悪くない。
―― ビュウゥ……
 そんな事を考えていた将太郎の前を、枯葉を撒いた木枯らしが吹き過ぎる。
「……もう、冬が近いな」
 街角の公園に満ちる晩秋の気配。
「まって、まってよー」
「やーだよー。くやしかったらココまでおいでー」
 不意に、公園を駆け回りブランコや滑り台などの遊具ではしゃぐ子供達の姿が将太郎の視界に入る。
 子供は風の子、とはよく言ったもの。肌寒さを感じさせる秋の空の下であっても子供達の元気は些かも衰えないのだから大したものだ。
「公園の外には出ちゃダメよー、危ないから」
「わかってるよー」
 子供達の母親と思しき女性達は、公園の一角に集まり井戸端会議に興じつつも我が子を案じる事を忘れない。
『これが……これが、何気ない普通の光景ってヤツなんだよなぁ……』
 ふと、将太郎は思う。自分にもあんな時間があったのだろうか……と。
「ふっ、こんな事を考えるなんて、まるで枯れた年寄りみたいだな……」
 ガラにもなくそんな事を考える自分に気がつき、将太郎は自嘲気味にそう呟いてベンチから立ち上がりその公園を後にした。

 公園を離れたは良いが、まだ家に帰るような気分ではない。将太郎はそのまましばらくブラブラと歩き回り、気が付けば近くの商店街へと足が向いていた。
「さぁ、今が一番おいしい旬の魚! 秋刀魚に鮭に鮃(ひらめ)に鰆(さわら)、一匹と言わず二匹でも三匹でも買ってってくんなせぇ!」
 威勢のよい掛け声で客を呼び込む魚屋のオヤジ。
「魚も良いけどウチだった負けちゃいないよ! おいしい旬の野菜に果物、ドーンと買ってってちょうだい!」
 負けじと声を張り上げる隣の八百屋のオバちゃん。
「お、ケンカ売ってんのかこの野郎!」
「あたしゃ野郎じゃないよ! このスットコドッコイ」
 腕捲りをしてにらみ合う魚屋と八百屋。通り過ぎる人々の口から漏れる笑い声。どこからか漂ってくる焼き鳥の良い匂い。
 いまのこの国では見ることも少なくなった、そんな失われつつある光景がそこにはあった。
『やっぱりな……今風の気取った場所よりも、こう言う人情味溢れる下町……って感じの方が俺の性に合ってる。そんな気がする』
 見ているだけで心が落ち着く、心が和む、そんな風景。
―― グウウウゥ……
 気が抜けたせいだろうか。腹を空かした胃袋が盛大に自己主張の声を上げる。
「そう言えば、昨夜から何も食ってなかったな……」
 本に没頭して食を忘れるとは、なんとも自分らしい。
 そんな事を考えながら、何かこの腹を黙らせるものはないかと商店街を見回していた将太郎の鼻が、肉屋から流れてくる香ばしい匂いキャッチする。
「へぇ、肉屋でコロッケとは……今日日めずらしいな」
 何をしているのか確かめようと思い……と言うか、匂いに釣られてその肉屋の店先を覗いてみると、そこでは恰幅のいいオヤジが自家製のコロッケを揚げていた。
「うまそうだな……」
「なんだったら、ひとつ食べてみるかい?」
 呟く将太郎に気付いたオヤジがそう言って揚げたてのコロッケを紙に包んで手渡す。
「いいんですか?」
 と、固辞する間もなく手渡されたそれを一口ほおばる。
 揚げたてのコロッケはもちろん熱かったが、カリッと揚がった衣にホクホクとしたジャガイモの食感、染み出る肉の旨味が生み出す味は、将太郎がこれまで食べたどのコロッケよりも美味く感じた。
「どうだい、美味いだろ?」
 その感想が知らずに顔に出ていたのか。将太郎の顔を眺めながら肉屋のオヤジはそう言って満足げな笑みを浮かべる。
 コロッケを口に含みながら将太郎は大きく首を縦に振る。
 そうしてコロッケを食べ終えた将太郎は、更に二個ほどコロッケを買ってその場を後にした。

 肉屋で買ったコロッケをほお張りながら、川沿いの土手を家に向かって歩く。
 沈む夕陽に照らされて川が、空が、世界のすべてがオレンジ色に染まる。鉄橋を渡る電車がパーンと汽笛を鳴らし通り過ぎる。
 そんな景色を眺めながら、将太郎ははたと気が付く。
 果たしてこの街に、あんな商店街はあっただろうか……と。
「…………」
 無言のまま、将太郎は来た道を振り返る。
 そこにあるのは、夕陽に照らされて物悲しくそびえる無機質なビルの群れ。いつもと変わらぬこの街の……東京の景色。
 威勢のいい声を上げる魚屋も、それに張り合う八百屋も、コロッケを売る肉屋も、いまはもう無い。
 それは、この街から消えゆく在りし日の風景。
 将太郎が幼い頃に……今はオトナとなったすべての人々が『いつか見た景色』。
「まったく、妙な話もあったもんだ……」
 言いながら将太郎はその歩みを再開する。
 困ったような、照れたような、そして何かを懐かしむような、そんな複雑な表情を浮かべながら将太郎は家路に着いた。

 了