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はれときどきあめくもり?
(……似てる?)
ベッドに寝そべったジェイド・グリーン青年が、何気なく鞄から取り出したのは、一冊の写真集だった。
その表紙には真夏の明るい日差しの下、はじけるようなボディを押し込んだようなきわどい水着姿の少女がいる。その溢れんばかりの胸元に似合わない、あどけない清楚な顔立ちの少女、しかしその小悪魔的な唇と表情で浮かべるサインは、まるでジェイドに何かを訴えているかのようだった。
ジェイドは思わずぎこちない笑みを返す。
この写真集、バイト先の友人が押し付けるように彼に貸してくれたものであった。
(絶対、似てるって!)
週末にジェイドが出かけていたのを、その友人は偶然見かけたらしい。
そして彼の傍らにいた、清楚で可愛らしい美少女を評して、この写真集を貸してくれたのである。
「……」
ジェイドは恐る恐る表紙をめくってみる。
少女の顔のアップが広がっていた。
眩しいほどの笑顔。無邪気そうな笑顔が可愛らしく思える。
「……」
ちょっと似てるかもしれない。こんな笑顔をするときが時々ある。
あれはいつだったろう……。
ジェイドは思い巡らす。……大切な少女の笑顔と写真の彼女の笑顔を重ねる。
(……そっくりとまではいかないけれど、確かに少し……)
そう思いながら、さらにページをめくる。するといきなりそこには、せくしぃな太股を見下ろすような素晴らしいアングルの写真が広がっていて。
「!!」
ジェイド・グリーン。21歳。健康的な男子である。
彼はぐっと息を飲み、ゆっくりと次のページをめくった。
高遠・弓弦(たかとう・ゆづる)は、廊下を急いでいた。否、急ぐような気持ちで、廊下を進み、階段を登っている。
透き通るような色白の肌に赤い瞳の少女である。彼女が色素が極端に薄い体質であることが多分に影響した容姿である。しかしそれらの外見的特徴は、彼女においてはけして敵にはならない。儚さと清楚な雰囲気を持つ美少女という評価にはけして間違いはなかった。
弓弦が急ぐ原因は、その両手に乗せられた皿にある。
買ったばかりのお菓子の本。
挑戦してみた、初めての種類のケーキ。それが皿の上に鎮座していた。
美味しく焼きあがったかどうか、最初に味見してもらいたい。
大好きな人の部屋の前に立ち、弓弦は小さく息を吸い込んで、ゆっくりノックした。
コン、コン。
「ジェイドさん……いる?」
「!!!!」
部屋の中のジェイドは、ベッドの上で飛び上がる程驚いた。
武者震いのような大きな震えがきて、本当に5cmくらい飛び上がったんじゃないかっていう衝撃だ。
彼がその時、開いていたページには、ほどけた水着の紐からあふれだしそうな乳房を両手で押し隠し、美少女は少し恥ずかしげに視線を逸らしている……そんなシーンが広がっていたのだから。
コン、コン。
「ジェイドさん?」
おかしいなぁ。お部屋にいらっしゃると思っていたのに。
弓弦はドアの前でこくびをかしげる。
「あ……あっ、ハイ!」
やっと出せた声はどこか上ずっていた。
『あの……どうかされましたか?』
ドアの向こうからは心配そうな声。
「い!いえ、なんでも!! はい、どうぞ!!」
飛び上がった心拍数を落ち着かせながら、ジェイドは漸く、ドアまで辿りついたのだった。
(なにかおかしい……)
弓弦は漸く部屋に招かれ、部屋の主を見つめた時、微かな異変を見逃さなかった。
「わー、いい匂いだね。もしかしてお菓子を焼いたの?」
(なんだろう、この白々さ……)
「ええ……」
と答えながらも、不審が先について仕方が無い。
大好きなジェイドを、初めて疑ってしまっている自分の気持ちにも戸惑いながら、弓弦はじっと相手を見上げていた。
その視線が、
(わー!さっきのモデルさんに少し似て……うわー!)
とかえって、ジェイドを戸惑わせていることに気づくわけもなく。
「なんだか……頬が赤いですよ?」
「えっ、いや、そんなっ」
「……もしかして風邪?」
弓弦の細くて白い指がジェイドの額に触れようとする。思わず後ずさるジェイド。
「だ、大丈夫だよ!」
「え、でも……」
不審すぎる表情と行動。不思議に思わないわけがない。
つい彼の部屋を見回してしまう。一冊の本がベッドの上にあるのが見えた。
「?」
「あ!あっ!これは!!」
ジェイドがさらに翻った声を出し、ベッドに駆けつけようとする。
とはいえそこまで広い部屋ではない。彼がすぐにベッドに腰掛、その身の後ろに写真集を隠そうとも、それが水着美少女の写真集だなんてことは弓弦にははっきりとわかった。
「……!!」
弓弦の細い体に、その心臓に、電気が走る。
「……あ、だから……これは……」
言い訳がましそうなジェイドの声。困ったような表情。
何故だろう。弓弦の中に猛烈なエネルギーが沸き溢れてきた。
そのエネルギーは、いつもなら少しでも側にいる時間を伸ばしたいと思う彼から、まるでばねがはじけるように背を向けて、自分の部屋に駆け込むという行動を弓弦に選択させたのである。
「……!!弓弦ちゃんーーーーー!!!」
悲鳴のような彼の声を背に聞きながら。
+++++++
「弓弦ちゃん、……ああ、どうしたらいいんだ」
部屋の前でジェイドが困ってる様子なのが伝わってくる。
(知らない! ジェイドさんなんて……)
あんな写真集を見てたりするんだ……。
鏡に映る自分の薄くて細い体を恨めしく見つめ、弓弦はお気に入りのクッションを抱きしめ、それに顔を埋める。
(やっぱり男の人って……ぼんきゅっぼん!な人が大好きなのかしら)
そういえば学校のお友達でスタイルのいい少女が、何人も彼氏がいるのよ、と自慢していたという噂話を思い出す。
ジェイドさんは違うと思っていたのに。
ううん、違うと思っていると、私がそう思い込んでいただけなのかもしれない。
(……もしかしたら、ジェイドさん、本当は私のことなんて……)
涙まで滲んでしまって、もうどうしよう。
弓弦は部屋で一人どん底まで落ち込んでいたのだった。
「弓弦ちゃん! 弓弦ちゃんってば!」
耳をすませて聞こえてきた、すすり泣きの声。
【写真集を見ていた→ばれた→弓弦ちゃんを泣かせてしまった】
この展開の理由がジェイドにはとても難しい方程式のようにも思える。
なんて女の子は繊細なのだろう。いやしかし、あの弓弦ちゃんだからそれも当然か。
ジェイドは瞼を閉じ、一つ息を吸い込む。
自分までパニックを起こしていたらどうしようもない。
これは誤解なのだから。
「弓弦ちゃん……よく聞いて」
ドアの外側から、ジェイドはゆっくり呼びかけた。
「……あの写真集は、借りただけなんだ。バイト先の友達から。あのモデルの子が、弓弦ちゃんに似てるって言われてね」
「!」
扉の前の弓弦は顔を上げる。
「だから……少しだけ見ていただけだよ。本当にそれ以上の意味はないよ、ごめんね」
「……ジェイドさん」
弓弦は立ち上がる。
「本当だよ……」
「本当……? 私みたいな……」
(……こんなに薄い体でも、ちゃんと好き?)
呟きかけた言葉はもう一度溢れてきた涙によってかすれてしまった。
「何を言ってるの? 開けるよ?」
こうなれば強行突破である。
ジェイドは力任せに扉を開いた。驚いた弓弦が身を翻す、その背中を後ろから優しく抱きとめる。
「……一体何を想像したんだい?……ごめんね、本当に何も意味はないんだ。心配させてごめん」
「……ジェイドさん」
今までとても不安だったことが、氷がみるみるとけていくように暖かいもので流されていく。ジェイドの表情を見たくなり、弓弦は身をずらす。
ジェイドは振り返った弓弦に優しい微笑みを浮かべ、そして綺麗な白銀の髪を指にとって、そっとキスをしたのだった。
「……お許しいただけましたか? お姫様」
「……はい……ジェイドさん」
小さな声で頷き、弓弦はやっと素直に微笑むことができた。
(ジェイドさんを好きになってよかった……)
ジェイドもまた、この美しい少女の微笑みに新たな愛情を小さく自覚した。
(弓弦ちゃんでもこんな風に怒ることがあるんだ……気をつけなきゃ)
何故だろう。少しだけ心の距離が近づいた気がする。
二人は暫く、黙って見つめあう。
互いの熱が恋しく思う一瞬があった。……けれど。
「……あっ」
弓弦は、テーブルの上に置いてあったシフォンケーキを思い出し、その皿を取りに身を翻す。
そして振り返り、美しい笑顔で彼を見上げて言うのだった。
「これ、初めて作ってみたケーキなんです。美味しいかどうか分かりませんけど、良かったら一緒に食べませんか?」
「……勿論、喜んで」
ジェイドもまた微笑みを浮かべて、大きくうなずく。
「それじゃ……紅茶を入れてきます」
「お手伝いするよ」
「はいっ!」
そして二人は仲良く、階段を下りていったのだった。
はれのちくもりあめ のちにおひさま。
雨降ったら地固まる っていうよね♪
<了>
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