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『ゆったりと、ゆっくりと。〜秋深し隣は何を食う人ぞ?〜』
『秋深し隣は何をする人ぞ』
古人が詠うように、秋というものは古くから人の心を駆り立てるものらしい。
食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、旅行の秋。
学校では文化祭やら体育祭やら行事が目白押しだし、街では至るところでさまざまなイベントが催されている。
俺は毎年不思議に思うのだが、なぜ日本人は秋になると物事を始めるんだろうな。
珈琲を飲みながら、ふと外を見れば、もうすっかり紅葉やら銀杏やらが色づいている。かけ声が聞こえて視線をおろすと、診療所の前をジャージ姿の学生が駆け抜けていく。なんとも元気のいいことだ。
「俺も何かしてみるかね」
いままで考えてもみなかったが、俺にとっての秋とはなんなんだろう。
診療所を開いてから運動をする機会がへったから、スポーツの秋とは縁遠い。臨床心理士として専門書を毎日読んでいるから読書の秋とも違う気がする。
「ってことは、やっぱ食欲の秋ってか」
秋は不思議だ。とにかく飯がうまい。山の幸や海の幸が獲れることもあるだろうが、なんせ不思議なほどにどんな飯でもうまく感じる。
まあ、俺もまだまだ心は成長期だから、飯がほしくなるのは当たり前なんだろうな。
今日の昼飯もコンビニの弁当だけじゃ足らなくて、患者がおすそ分けで持ってきた松茸ごはんまで平らげた。さらに、診療所の前を焼き芋屋が通りかかったので焼き芋を二本も喰った。
最近毎日三食きちんと取っている上に、一食二人前ぐらいは平気で食べている。
そこで心配になってくるのが体重だ。
心はまだまだ成長期だが、体は成長がすっかりとまっている。食べた分のカロリーは当然縦ではなく、横に伸びるわけだ。
なんとはなしに横っ腹を触ってみる。
「うっ。やばいな」
思ったよりも肉が掴めた。
まわりに誰もいないことを確認すると。
こっそり体重計を取り出して乗ってみる。
「なんてことだ」
とても他人には見せられない体重だ。夏に量ったときよりも遙かに増えている。鏡を見れば、横っ腹だけではなく、なんとなく顔まわりにも肉が付いている気がする。
飲み屋のお姉ちゃんたちにも、
『門屋さんってたくましいんですね』
なんてもてはやされていたのに、これ以上太ったら見向きもされなくなる。
「それはいかん。絶対にいかん!」
なんとかやせる努力をしなければ。デブの俺なんか自分自身が耐えられん。
俺は慌てて本棚に駆け込んだ。いろいろなダイエットのマニュアルを取り出してみる。以前過食症の患者の診療のためにダイエットの本を買っておいたものだ。
「ほう。世の中にはいろんなダイエットがあるもんだな」
読みなおすと、実にさまざまなダイエットの方法がある。けれど、どれも難しそうなものばかりだ。
プチ絶食ダイエットはリバウンドが怖いから初心者にはおすすめできない。リンゴダイエットも栄養が偏るために健康によくない。ビニールダイエットはサウナと同じ効果が得られるんだろうが、サウナの後にビールが飲みたくなる俺には意味がない。
「なんとか有効かつ初心者向けのダイエットはねえかな」
やはりカロリーを上手に消費することしかダイエットへの道はないだろう。
『ダイエットには有酸素運動が必要です。マラソンや水泳は全身を使う運動として有酸素運動として有効です。しかし、マラソンも水泳も大きくカロリーを消費しますが、カロリーを急に大きく消費するとリバウンドの危険がありますし、普段運動をしていない人が急に運動をすると怪我をする危険もあります』
俺はなるほどと思った。何事も急いては事をし損じるってことだろう。
『一番有効なダイエットはウォーキングです。ウォーキングを一日二十分から三十分すると、有酸素運動となってカロリーを効率よく消費することができます』
「これだ!」
俺は思わず快哉を叫んだ。一日二十分から三十分歩くだけなんて子供から年寄りまでできることだ。しかも、毎朝自宅のまわりを歩けばいいのだから、仕事の邪魔にもならない。これなら俺だって続けることができる。
「よし。明日からウォーキングを始めるぞ」
俺は仕事を自宅に終えると、さっそく秋の味覚を目の前に広げた。
目の前には松茸ごはんやら鍋やらが広げられている。ついでに、うまいものにはうまい酒が合うということで、高い酒も用意してある。明日からウォーキングをするのだから、もう体重を気にして食事をがまんする必要なんてない。
そして、明日はさわやかな朝の街並みを堪能しながら歩いていく。
食欲の秋とスポーツの秋を同時に堪能することができるなんて、なんて俺は頭がいいんだ。俺以上に秋を堪能することのできるやつがいるだろうか。いや、いないね。
「いただきます!」
俺はがまんできずに、目の前のごちそうにむしゃぶりついた。
「うめえ!」
松茸の香りといい、栗の甘さといい、秋刀魚の脂といい、すべてが最高だ。食べても食べても腹がいっぱいになることはなく、どんどん目の前の料理が消えていく。
こうして俺は深夜までかけて目の前の晩餐と酒を堪能したのだった。
翌朝、目覚まし時計がけたたましく俺を呼んだ。
「……もう朝かよ」
きのうは晩飯を深夜遅くまでかけて食べたところに、酒と焼酎を一升以上飲みまくった。さすがに飲み過ぎたらしく、頭ががんがん響く。寝付きがよかったのはよかったが、こんなはやく朝を迎えることになろうとは予想外だ。
「眠い。起きるのがめんどくさい」
顔だけ外に出すと、凍った朝の風が顔に吹きつけた。
「うわっ。さびぃ」
たまらずに布団をもう一度顔までかけた。
「あと五分。あと五分したら起きよう」
そうして俺はもう一度眠りに落ちていき、夢の中で早朝ウォーキングをめいっぱい楽しんだのだった。
冬に体重を量ったとき、絶叫をあげることも知らずに……。
***あとがき***
今回もご依頼していただきまして、まことにありがとうございました。
ご希望に沿った作品となっていれば幸いです。
では、今後とも引き続きよろしくお願い申し上げます。
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