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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Good morning.

 緩やかな夜明けと共に目を覚まして、モーリス・ラジアルがふと思い立ったことは恋人であるアドニス・キャロルの元を訪ねてみようというそれだった。何か特別な理由があったわけではない。ただ目覚めた刹那に思い立ったことがそれであったというだけのことだ。予め連絡を入れるようなことはしなかった。驚かせようという心積もりがなかったわけでもなかったが、それ以上にモーリスが目覚めた時刻が連絡を入れるには早すぎる時刻であったからだ。
 早朝の空気はひどく澄んで、秋も深まりつつあるなかにあるせいでしんと冷えた白い靄に視界が滲んだ。そのなかを緩慢に車を走らせ、辿りついたその先はいまだ深い眠りのなかにあるような静かな気配に包まれていた。まだ多くが眠りのなかにある時刻なのだから当然のことではあったが、モーリスはひどく心が弾むような心地がした。
 妙に冴えた思考が足取りを軽くして、口端に笑みが浮かんでいるような気さえする。それは偏に彼の胸の内にささいな悪戯心が芽生えていたせいであったが、彼がそれを自覚し引き返すようなことはなかった。相手は他の誰でもない恋人である。そして恋人であるアドニスが予想外のモーリスの訪れを不快に思うことはないであろうことをモーリスはよく判っていた。
 今、モーリスの前で無防備な寝顔を見せていることがそれを証明している。
 アドニスは誰彼構わず無防備な姿を見せるようなことはしない。たとえ眠っていたのだとしても、今すぐ傍にいる者がモーリスではなく他の誰かであったならすぐさま目を覚まし警戒したことだろう。そして一定の距離を、決して自身の領域に他者を踏み込ませまいと明瞭な線引きをして、確かな隔たりを突きつけて見せた筈だ。
 だが今モーリスの前にあるアドニスはそうするどころか、目覚める気配さえも見せることはない。緩やかに繰り返される寝息が刻むリズムだけが室内に静かに響いている。部屋の片隅に置かれた椅子をベッドサイドに引き寄せた物音にさえ硬く閉ざされた目蓋が震えることはなかった。
どれほどの穏やかな夢を見ているのだろうかと僅か興味を惹かれつつ、モーリスはそっと手を伸ばし軽く閉ざされた唇を指先でそっとなぞった。乾きかさつくその形をゆったりとなぞってもアドニスが目覚める気配を見せることはない。無防備な姿はモーリスを嬉しくさせ、それと同時に確かな悪戯心を自覚させた。
 多少積極的な面を見せることはあっても、アドニスが遊び慣れているわけではないことをモーリスは日々のなかでそれとなく感じていた。モーリスからのささやかなアプローチ一つ、言葉一つに見せるアドニスの反応は時にひどく幼く、そして同時にひどく一途であることを伝えるには十分すぎた。時折こぼされる抱く不安を告げる言葉、垣間見る独占欲、そうしたものがひどく愛おしく感ぜられることがある。
 本当によく整った顔立ちをしている、そう改めて思いながらその顔にかかる銀色の髪を指で梳いて、モーリスは静かにかきあげた。露になる面は本当に穏やかな寝顔で、この眠りはきっと幸福なものだと思うと同時に僅かな嫉妬心のようなものを抱く自分をモーリスは知る。
 一体どんな夢がこんな穏やかな表情をアドニスにさせるのか、それを知ることができないもどかしさが眠りの淵から引き上げてしまいたいような衝動を与える。どんな夢を見ているのかと問うことはおろか、それを共有することもできないというもどかしさが奇妙な疎外感のようなものを連れてくるのだから不思議なものだった。穏やかな眠りに嫉妬しているかのような自分を殺すようにして、モーリスは柔らかな微笑をその面に浮かべ、目の前に無防備にさらされる寝顔にそっと唇を寄せた。
 初めは額に、次いで頬に、そして唇へと口づけてようやくその固く閉ざしていた目蓋を押し上げたアドニスにすぐ傍でモーリスは朝の挨拶を告げた。
「おはようございます、キャロル」
 しかし完全に目覚めていないのか、アドニスは一度開いた目蓋を再び下ろす気配を見せた。きっと今、すぐ傍で朝の挨拶を告げた者が誰なのかも判っていないのだろう。返される言葉もなく、再び穏やかな眠りの淵に戻ろうとするアドニスに些か苛立ちのようなものを覚えて、モーリスは緊張という言葉など初めから知らないのではないかというほどに柔らかなアドニスの頬に掌を添えて再度口づけた。
 そうされてみてようやく自身の身に起こった出来事を理解できたのか、アドニスは僅かに苛立ちを滲ませてすぐ傍にあるモーリスに向けてぼんやりとした声で挨拶を綴った。そして常より温かな手を伸ばすと、今しがた自身の頬に触れていたモーリスの手を掴み、抱き込むような格好でベッドに引き込んだ。そしてそのまま柔らかく抱き締め、ひどく無防備な声でモーリスの耳元で言葉を綴る。
「一緒に眠ろう……」
 低く、どこかぼんやりとした声が紡ぐその誘いはひどく誘惑的なもので、躰を包む腕の温かさもまだ同様であったがモーリスは、
「今は朝ですからね」
とどこか素っ気無さを滲ませて常識的な言葉を返した。しかし自らその腕のなかから抜け出すような様子は見せず、しばらくの間そのなかにある穏やかさに身を浸していた。アドニスの腕のなかという限られた空間にしかない温もりと安らぎが抵抗を許さなかった。ここにいればアドニスを無防備にさせた何かが判るかもしれないと思ったせいかもしれない。同じ夢、同じ眠りを共有することは決してできないにしても、すぐ傍で同じ温もり、同じ空間を共有することができればその一端に触れることくらいはできるかもしれないという期待が密やかに生じる。
「どうしてこんな時間に……?」
 いまだ眠気を払いきれない声が問う。
 モーリスはそれに答えずただぼんやりと狭い空間にのみ許された温かさに身を任せていた。
「連絡をくれたら良かったのに」
 ぽつりぽつりと紡がれる言葉は常よりも飾られることなく響き、ひどく心地良いものである。
「たまにはこういうのもいいでしょう?」
 モーリスが答えるとアドニスが笑うのが気配で判った。そしてモーリスを抱き締める腕に力がこもり、僅かな間を置いて時刻を問う声が響いた。時間を確かめればもう少したてば丁度朝食の時間に相応しく、抱き締める腕の力が緩むタイミングを見計らってモーリスは躰を起こし、未だ枕に片頬を埋めるような格好でぼんやりとするアドニスに云う。
「外に出て一緒に朝食でもどうですか?」
 答えは柔らかな笑顔だった。
 窓からは既に眩しいくらいの朝陽が射し込んで、モーリスが車を走らせていた頃にかかっていた靄はすっかり晴れている。今日の快晴を約束するかのように窓の向こうに垣間見える空は青く、そこには雲一つ見当たらない。
「今日は良い天気ですよ」
 微笑と共に云うモーリスの言葉にようやくアドニスは躰を起こし、甘えるように背後から腕をまわすと静かにはっきりとした声で、おはよう、と云った。その一言でモーリスは夢や眠りに抱いた感情が些末なものだと思えるのだから不思議だった。