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暮れ暮れの邂逅
いつもと変わりなく高柳月子(たかやなぎ・つきこ)は、小さな和菓子屋の勝手口からその店内に入った。
「おはようございます。何かお手伝いする事ありますか?」
そう挨拶しながら尋ねたが職人気質らしく口下手な主人はただ首を横に振る。それをフォローするように、その妻が月子に開店前に店の前の掃除を頼まれて月子は竹箒を抱えて店の表に向かった。
ざっと風が切りそろえられた髪と着物の袖を乱す。
和菓子屋は住宅街の中にあるが、少し道幅の広い通りに面しているため道路を挟んだ向かい側にポツリポツリと広葉樹が並んでいる。
秋も深まり色づいたその木々の葉が折からの風で1枚また1枚と途切れることなくはらはらと舞い、店の前は紅葉が絨毯のように路面を覆っていた。
それはそれで風情があるが、月子は言われたとおりそこらを箒で店の脇の1ヶ所に集め始めた。
半分も終わった頃だろうか、落ち葉が他の所よりも少し高く盛り上がっているところを掃くと落ち葉の下から木箱が現れた。
月子は掃く手を止めて竹箒を壁に立てかけると少し屈んでその箱を手に取った。
月子の両方の手のひらに載るくらいの大きさの木製の小箱だった。
縦に横にとひっくり返すと箱の底に小さなゼンマイが付いていた。
「オルゴール、みたいね」
底面以外の蓋と壁面四方には精巧な彫り細工がほどこされている。
道に捨てて言ったというには不釣合いな品であるのは月子の目で見ても明らかだった。
その彫り細工のがほどこされた蓋と壁面の境目に指をかけて月子は蓋を開こうとした。
だが、蓋は動かなかった。
もう一度、今度は隙間に親指の爪を引っ掛けて慎重に、だが力を込めてみたがやはり、びくともしない。
「鍵がかかってるのかしら?」
月子は箱に問いかけるように小さく首を傾げて再び検分してみたが、その鍵を外から外せそうな仕掛けはどうしても見つからなかった。
じっと、その箱を凝視すると何となくこの箱が『普通』ではない気配を帯びている事、そして何か不審な気配があることに気づいた。
それは月子の特異な能力故に察する事の出来た本当に幽かな物であったが。
なぜ、そんなものがこの店の前に置かれていたのか疑問は多々あったが、それ以上に月子は自分がこの箱に心惹かれているという事実もしっかり認識していた。
束の間思案していた月子を呼ぶ声が店の勝手口の辺りから聞こえた。
「すみません、今戻ります」
月子はその声にそう返すと、その木箱を着物の袂にそっと仕舞い込んだ。
―――保管するくらいなら、大丈夫よね。多分。
誰に聞かせるわけでもないいい訳じみた言葉を心の中で呟きながら足早に店の中に戻る。
月子がその場を後にした直後、強い木枯らしが店の前を吹きぬけた。
■■■■■
城ヶ崎由代(じょうがさき・ゆしろ)はある日、過去に在籍していた魔術教団がらみの情報筋からとある高名な魔術師が他界したと耳にした。
その魔術師はその実力においても高名であったがそれと同じくらいに少しばかり気狂いじみているという事でもその名を馳せていた魔術師であったので、由代がその時得たのは、その魔術師の訃報と同時に、自分の死期を察した魔術師が死の間際自らのオルゴールに喚起した性質の悪い魔を閉じ込めたのだというあまりよろしくない情報だった。
聞いてしまったからにはそのまま放って置くというのも寝覚めが悪い。
由代はしばらく椅子に座り頬杖を付いて何かを考え込んでいたかと思うと、徐に立ち上がった。
外を見ると窓から見える針葉樹の木立を強い風が大きく揺らしている。
少し厚手のコーデュロイのジャケット着込んで由代は街へと足を向けることにした。
何か、当てがあるわけではなかった。
ただ、その魔術師の性格から考えてそのオルゴールを敢えて人の密集する、何も知らないどこかの誰かが手にするであろう場所にやっただろうということは彼を知るものならば容易に想像できることだ。
街並みの街路樹と冷たい木枯らしに秋を感じながら歩いていた由代が不意に足を止めた。
「……」
何かが近付いていると、そう感じたからだ。
人の流れに逆らい、その場に立ちつくす。
前から後ろから来る何人かと方が触れ身体は揺らいだが、まるで魂だけがどこかに抜けてしまったかのように意識は微動だにしなかった。
ゆっくりと由代は街路樹の反対側に目をやった。
待ち行く人の中で1人、どこかぼんやりとしながら歩いている和服姿の若い女性が目に入った。
―――彼女だ。
見失わないように足早に、由代は彼女の進行方向へと進路を変える。
歩く速度は速めたが、慌てることなく由代は彼女の様子を細かに観察する。
ちょうど信号が赤になり街路樹の切れ目に立った彼女の手は確かに小さな箱を握り締めていた。
■■■■■
大通りから住宅街に入り公園の入り口に差し掛かったときだった。
「あの、すみません」
と、月子は後ろから声をかけられて振り向いた。
月子よりもひと回り、いやそれよりももう少し上だろうか壮齢の穏やかそうな顔立ちの男性が立っている。
その人は柔和な表情はそのままに小さく月子に会釈する。
それに釣られたようについ会釈した月子は、どこかで会った事のある人だろうかと少し訝しげな視線を返す。
「貴女の持っているその箱なんだが」
その人はそう言って月子の手を指し示した。
そうされて月子ははじめて、自分がその木箱をしっかりと握っている事に気づいた。
「え、あたし……」
いつの間にと思いながらも、あぁ、もしかして持ち主だろうかと心の隅で何故か少し離れがたく思いながら、
「この箱ですか?」
と彼にその箱に見せる。
「あぁ、やっぱり、その箱です。失礼ですがその箱をどこで?」
「その先にある和菓子屋の前に落ちていたんです」
月子はそういって公園の向こう側にある自分の職場である和菓子屋を指差した。
「そうですか。実は僕が探している物とよく似ているようなので少し拝見させていただいてもよろしいですか?」
落ち着いたバリトンの声でゆっくりと話すその言葉、その表情に嘘はないように思えて月子は小さく頷くとその箱を彼に差し出そうとした。
しかし、月子の腕は月子の石に逆らうようにピクリとも動かなかい。
それどころか、徐々に何かが月子の中を浸食していくようなぞわぞわした感触が体中を這いずり回る。
これはまるで、いつもの、そう憑依されるその状態に少し似ている。望むと望まざるとにかかわらないという点において、だ。
徐々に、見えない何かに支配され、拘束されていく。その一方で身の内の何かが暴走しそうな、そんな不思議な苦しさだ。
何とかそれに逆らおうと抗っていた月子だったが、ある瞬間、不意にその何かが和らいだ。
それは、目の前の彼が何か良く通るその声色で呟いたその時だった。
ぴんと張り詰めていた物が突然ぷつりと途切れたのを確かに感じた。
強張っていた腕から力が抜けて、自分の意志の通りにようやく身体が動く。
だが、強情なことに月子の指はまだその木箱から離れようとしなかった。
月子は困惑した表情のまま彼を見ると、彼は微笑を浮かべたまま心配することはない視線で語りかける。
彼の指はまるで魔法のようで、ゆっくりそして優しく1本ずつ月子の指と木箱を離してくれた。
そして、あれだけ開くことのなかった蓋が彼の手によってあっさりと開かれる。
「きゃっ」
ゆっくりと開かれた箱から、得体の知れない黒い物が飛び出した。
それが、時々霊的なものを見る月子ですらあったことのない禍禍しいものであることが判り、小さな悲鳴が口から漏れた。
それを見ても彼は表情を一向に変える事はない。
彼は宙に何か絵のような紋様のようなものを指先で綴る。
すると、その黒い何かはその紋様の中に吸い込まれるようにして、そして、姿を消した。
■■■■■
目の当たりにした光景に、月子は唖然としていた。
常識では測りきれない特異な事を経験したことがまるでなかったとは言わないが、それにしても、
「今のは一体……?」
こぼれ落ちた言葉にも彼は答えずにただ、
「大丈夫ですか?」
と、手を差し出してきた。
そういわれて初めて月子は自分がしゃがみこんでいた事に気付いた。
「すみません」
素直に手を借りた月子の目元にさっと朱がはしる。
月子に判ったのはあの箱が良い物ではなかったことと、この目の前の穏やかで紳士的な男性に自分が助けられたのであろうことだけだ。
「あの、ありがとうございました」
あたらめて礼を言う月子に、彼は、
「いえ。大事がなくて良かった」
とよく響く深い声音で答える。
「お礼にお茶でもいかがですか? いえ、もちろん迷惑でなければなんですけど」
何故か別れがたく、気が付けば月子はお礼と称してお茶に誘っていた。
「喜んで。綺麗なお嬢さんのお誘いを断るほど重要な用などないですからね」
それが、高柳月子と城ヶ崎由代の出会いだった。
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