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<東京怪談ノベル(シングル)>


やさしい夢

 五番目に訪れたのは、叔父の家だった。陸誠司の父親は男三人の長男で、その一番下が誠司を引き取ろうと申し出たのだった。
「よろしくね、誠司くん」
事故の当時海外へ赴任していたのだという彼はまだ若く、おまけに童顔で、誠司の兄と言っても通りそうだった。人の良さそうな笑顔に、誠司はなんとなく首をすくめた。すると背後に立っていた母の遠縁からびくびくするなと言わんばかりに頭を小突かれた。見上げると、睨み返される。
「よろしくお願いします」
仕方なしに誠司は、これしか許されていない言葉を呟きぺこりと頭を下げる。挨拶もできないようだったらただじゃおかないと、その遠縁の男に脅されていたのだ。
「人見知りはあるんですが、いい子ですよ」
男は建前で笑った。本音は痩せさらばえた驢馬を花輪で飾り、偽りの華やかさで他人に売りつけようとする悪徳商人そのものであった。とにもかくにも好印象だけ与えておいて、引き取ってもらいたくてたまらないのだ。なにしろ、彼はまだなにも知らない。ただ誠司の両親が事故で亡くなったということだけ、どのようにして亡くなったかは知らされていない。
「顔を上げてごらん」
誠司は彼に促されたが、一度目は俯いたままだった。二度目も、動くことができなかった。三度目は声の代わりに大きな手がぽんと頭の上に乗った。茶色い柔らかな髪の毛を撫でまわすその手はとても温かかった。
 いけない、と誠司は思った。この人はいい人だ。とてもいい人だ。そんな人のところへ、自分が行くわけにはいかない、と思った。

 数ヶ月前、誠司は一家で飛行機事故に遭遇した。悲惨な事故で、生存者は誠司ただ一人。業火の中に呆然と佇んでいるところを、レスキュー隊に保護された。
「どうしてお前だけが助かったんだ」
二番目か、三番目かに預けられた家で面と向かって罵られたことがあった。そんなことは自分が聞きたいのだ、と誠司はぐしゃぐしゃに頬を濡らした。しかし死者二百四十六名、生存者一名という奇跡的な生還を無傷で果たしたのだから、薄気味悪く思われて当然であった。
 どこの家だっただろう。誠司と同じくらいの年の子供が刃物を持ち出してきて、これで腕を引っかいてみろと迫った。化け物じゃないならけがをするはずだ、と言うのだ。向こうは誠司が粘土でできているとでも信じていたのだろうか。無感情に血を流してやると、その子供は悲鳴を上げて逃げていった。 どこの家でも誠司は忌み嫌われる存在で、誠司自身も次第に慣れて岩のような感覚を胸に抱くようになっていた。
 それなのに、彼は優しかった。結婚したばかりだという彼の妻も、常に笑顔で誠司に接してきた。大きな部屋まで与えられて、誠司の戸惑いは増すばかりであった。
「ごめんなさい」
「すいません」
仕草一つのたびに、誠司は謝った。引き取ってくれた二人に迷惑をかけないようにしなければと部屋の隅にうずくまって震えていた。憎まれる以外に自分の存在価値があるだなんて、幼い誠司には信じられなかったのだ。
 せめて、いい人に報いるため自分もいい子にならなければ。誠司は家の手伝いに働いた。ある夜、寝る前のトイレに立った誠司は洗面所の電気が切れているのに気づいた。替えなければ、と思うのだが背が足りない。ならば報告しようと思い誠司は二人がいる居間へと向かった。
「・・・ああ、そうだよ、そう」
明るい光の漏れる扉の隙間から、彼の声が聞こえてきた。どうやら電話をしているらしい。邪魔をしないように、誠司は廊下にうずくまって話が終わるのを待った。

「だから兄さん、心配いらないって。あの子は手のかからない子供だ」
あの子、という響きが自分のことを指すのだと気づいた瞬間、誠司は両方の耳を手で塞いだ。だが、細い指の隙間から声は染み込んできた。
「うん・・・ああ、うん。わかってるよ、うん」
しばらく電話の声はあいづちばかり打っていた。どうやら、向こうの相手が彼にしつこい忠告を繰り返しているらしい。中には耳に優しくないことも含まれていたようだ。
「そんなに言わなくたっていいだろ。聞き飽きたよ」
彼は少し強い口調で電話を打ち切ろうとしたのだが、向こうはそれにつられてさらに大声になったらしい。受話器から遠く離れた誠司にまで、会話の内容が筒抜けになた。
「なにもお前らが、あんな子供を引き取る必要はないだろう!」
ぎゅ、と絞るように引きちぎるように、誠司は耳を抑える指に力を込めた。電話の声の言う通りだった、その声は誠司が恐れていたことの核心を突いた。
「事故のことなら知ってるよ。俺たちは、それでいいんだ」
だが彼は反論した、誠司の胸がどくんと高鳴る。ずっと昔に忘れてしまったはずの希望が蘇る。自分はここにいて許される存在なのだろうか。その夢に憧れる誠司の瞳には喜びの涙が浮かぶ。
「大事故で一人生き残って、あの子は居場所をなくしている」
この涙が悲しみに変わることを、一体誰が想像しただろう。
「だから都合がいいんだ」

 大きく目を見開いたせいで、涙が頬を伝った。爪をたてたせいで、耳の周りに血が滲んでいた。誠司はそのどちらにも無反応のまま、廊下にうずくまっていた。電話は非情に続いていた。
「俺たちは子供を作ってる暇なんてないんだ。あれくらい育った子供を引き取るほうが都合いい、あの子なら頭も悪くなさそうだしな」
なにより、と彼は言葉を続けた。
「拾ってやった捨て犬は、二度と捨てられないように必死でいい子になろうとする」
くすり、と笑い声がした。彼の妻が笑ったのだ、なんの悪気もなく本当に無邪気に。彼らには誠司が毛並のいい犬くらいにしか見えていなかったのだ。
 笑顔で胸倉を掴まれ、断崖へ吊るされている気分だった。息が苦しくてたまらない。
「ねえ、お父さん」
心の中で、父親の面影に呼びかける。お父さん、この世はあの世よりも不幸です。命を大切にしろとはよく言うけれど、僕にとっては死んでしまったほうが楽かもしれません。なぜなら、向こうには僕を愛してくれる人が二人もいます。
 パジャマ姿に裸足のままで、誠司はふらふらと外へさまよい出た。無意識に体が動いている、という感じだった。もうここにはいられないという言葉が誠司の体中、血管の中を駆け巡っていた。一歩進むたびに、刺を踏むような心地だった。
 そうして、どのくらい歩いただろう。歩き疲れ、思い疲れて憔悴した誠司は道端のガードレールにもたれかかった。すぐ先の交差点脇には、花束が手向けられていた。ああ、あそこに行けばいいのかと誠司はもう少しだけ歩き続けようとしたが、もう立ち上がることができなかった。
 真冬は過ぎていたがまだ春には程遠い季節、パジャマ一枚の誠司には血の凍るような外気であった。吐く息は白く、指先がかじかんできた。何人かの人が目の前を通り過ぎたが、誠司のいる場所は薄暗かったので誰も気づかなかった。
 気が遠くなりかけたとき、温かい手が誠司に触れた。

 その手は乱暴に、誠司の頬をつねり上げた。
「いっ・・・痛いよ、雫ちゃん」
「なにが痛いって?待ち合わせに来たらぐうぐう寝てるんだもの、こうやって起こすしかないでしょ」
今日はこの目の前の少女、瀬名雫の取材に付き合う約束をしていた。そのために喫茶店へ入ったのだが待ち合わせの時間までに少々早く、カウンターに頬杖をついているうちいつの間にか眠っていたらしい。
「早くしないと、相手が怒って帰っちゃうわよ」
「え?雫ちゃん、ひょっとして向こうの人とも待ち合わせしてるの?」
待ち合わせ時間に遅れるのは雫の得意技。初対面の人間とよくもまあそんな無謀をするものだと誠司はつねられた頬をさすりながらため息を吐く。と、雫がその誠司の顔を下からじっと覗きこんでいた。
「なに?」
「笑ってる」
「え?」
「寝てるときはすっごく苦しそうな顔してた。でも、今は笑ってるのね」
「・・・・・・うん」
誠司は夢の内容を思い出した。過去の実体験をそのままになぞる夢は、これまでに何度となく見ている。そのたび、目覚めるたびに誠司は思う。
「今の自分はなんて幸福なんだろう」
そんな当たり前に気づかせてくれる、辛いけれどもやさしい夢だった。
「ほら、行くよ」
早く早く、と雫がせかす。誠司は、過去をまったく気づかせない顔で笑い立ち上がる。