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想いの果て、記憶の扉。
秋の空気も深く、全ての木々が赤い色に染められつつある京都。
頬を掠め取り、髪を擽る風は何度も彼の脳裏の扉を叩く。
封じ込まれているかのような、遠い記憶を呼び起こすかのように――。
「…………っ」
ずきん、と鈍い痛みが額に広がった。
京都で課せられた一日の仕事を無事に終え、孔志はふらりと観光兼ねての散歩に出ていた。
納まることのない額の痛みで、本来ならば観光どころではないのだが、ひっそり身を落ち着かせているのも何処となく勿体無いような――否、『行かなくてはならない』気がして。
「行かなくちゃならないってもな……」
何処へ行けと言うのか。
孔志は額に手をやりながらぽつりと言葉を漏らす。
風の導くままに足を運んでみても何処に行き着くかさえ見当も付かない。
一度足を止め、空を仰ぐ。
「…………」
頭上に広がる秋の空は、何処となく寂しい色合いに見えた。
そしてまた、現実に引き戻されるかのように額が熱く脈打つ。その度に孔志は眩暈を覚え、眉根を寄せる。
目に映る視界が歪むと、記憶さえも揺れて居心地が悪い。
「――――」
「……え?」
強すぎる太陽の光に、瞳を閉じかけた瞬間に孔志の耳に届いた音があった。
彼はそれを聞き逃さずに、辺りを見回す。
言葉、のような音。それは、人の声。聞き覚えのあるような、声音。
呼ばれて――そう、自分を呼んでいるかのような。
徐々に大きくなっていくかのようなその声音を追いかけるかのように、孔志は後ろを振り返る。
「……、……」
「巳影……!?」
孔志が振り返った先には、瞳を見開いたままで居る従姉妹の巳影の姿があった。彼の背に声を掛けようとしたいたところに、急に振り返った孔志に驚いたのだろう。
そして孔志本人も、目の前に居る巳影に驚きを隠せずにいた。
彼女は自分の店にいるはずで、京都に来るなどという連絡は一切貰ってもいない。だが彼女は今、目の前に居る。
「……お前、なんで……?」
「――本店の、店長さんが……お兄ちゃんの仕事を手伝ってくれって……」
そう答える巳影の言葉を遠くに感じながら、孔志の内心は酷く揺れていた。
正直、彼女にまともな言葉を投げかけられただけでもよしと言うほどに。
それは幾度となく夢で出会った陰と同じだった。
振り返り、最初に視界に飛び込んできた巳影の姿が、――に重なって見えたのだ。
「――――」
「……お兄ちゃん…?」
言葉を返すこともなく表情を固まらせた孔志に、巳影は小首をかしげた。
孔志の心は、ゆらゆらと揺れ動く。
巳影が、『誰』に重なったというのか。先走った己の感情に、ひっそりと問いかけるが答えはない。
ゆらゆら。
目の前に居るのは巳影。だが、脳裏が別の影を合わせようとする。その影が、泣いているかのような映像を孔志に見せ付ける。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
ふつ、と。
孔志の視界を妨げていた影が、そこで消えた。
巳影の言葉で、掻き消されたかのような感じだった。
「あ……、いや。そっか……お前まで京都に呼ばれちまったのか」
見る限りの巳影は、一筋の涙さえ零してはいない。心配そうな表情はしているが平素そのものだ。
孔志は誤魔化すのような言葉を吐きながら、彼女の問いに静かに答えて視線を外す。
「…………」
そんな彼を見て、巳影も視線を逸らした。そして小さく溜息を吐き、瞳を閉じる。その表情は明るいと言うには遠い色だった。
「まぁ……来ちまったもんは仕方ねぇな。お前こっちは修学旅行以来だろ? 適当に案内してやるよ」
「……うん」
孔志のそんな言葉に、巳影は遅れて返事をする。その声色にも気乗りした雰囲気は見受けられない。それでも歩みを進める彼女を横目でちらり、と確かめて孔志も自分の足を進めた。
額が疼くのは未だに治まらない。
無意識に額に手をやりながら、孔志は巳影をつれての京都観光を再開した。
孔志が巳影のためにと色づいた紅葉を見せようと、足を運んでいた高台寺からその界隈などの各名所を案内するが、彼女は始終浮かない表情のままだった。
知る限りの名所の説明を孔志がしてやっても、巳影の表情は晴れない。落ち込んだような彼女の態度に、孔志も苛立ちを隠せなくなってくる。
それでなくとも、頭痛が治まらずに不調が続いているというのに。
「……お前なぁ、そんなにイヤだったら来るなよ」
「…っ、来たくて来たんじゃない! 人の気も知らないで……!」
孔志が少しだけ口調を強めてそう言うと、巳影はきっ、と彼を睨みながら食って掛かってくる。
その勢いに孔志は、自分の口を閉じた。
巳影は本気で、京都の地を嫌っているようだった。
嫌っているというよりは何かに焦っているかのような、そんな雰囲気さえ感じられる。
孔志の視線から逃れているようにも見えて、彼は困惑した。
「巳影……?」
巳影は視線を落としたままで、返事がない。
そんな二人の間に、ゆらりとした風が割ってはいるかのように流れ込んできた。
その風に孔志は視線を囚われる。
目に見えているわけではないのに、風の流れに視線が引き付けられた。
「………………」
額がじわり、と疼きだす。
それと同時に、脈打つのは自分の鼓動。
急に訪れた胸騒ぎに孔志は辺りを見回す。
孔志と巳影、二人のほかにその場には人影すら見えなかった。
「お兄ちゃん……?」
僅かな孔志の変化に気がついたのか、巳影が顔を上げる。
彼女は困惑しているような孔志の表情を見て、軋む心根を落ち着かせようと胸に手を当てた。
「…………」
小さな口唇が震えながら、ゆっくりと動く。
彼女が漏らした『名』は目の前の従兄弟のものではなかった。
孔志にはその声音は届いたのだろうか。
巳影が零した言葉に、彼は視線を戻してくる。
「みか……」
孔志が巳影へと手を伸ばす。するとその瞬間に、足元から風が吹き上げるように舞い上がった。
――もう一度、伺います。よろしいですね?
ぐらり、と傾く思考――否、記憶。
呼び起こされる過去、自分を見上げる巳影の視線。重なる影と感情。
壮絶なまでの美しい満月。桜吹雪のように空を舞う雪。
全てがまるで、走馬灯のように――。
孔志の記憶は、そのまま物凄いスピードで遡っていった。
永きを往く来する記憶は眠っていた彼の過去。
「そう、か……」
徐に額を押さえた孔志は、小さくそう呟いた。
巳影はそんな孔志を見上げたまま、何も言ってはこない。
何度も夢で出会った『彼』。それが誰かも解らないまま、それでも彼を追っていた自分が確かに居た。
完全ではない、それでもじわじわと迫り来るもの。それが『過去の自分』。
「じゃ、此処は……そん時の……」
孔志の耳元を掠めた古き存在の声。
遠い過去の現実を受け止めたくなくて、禁術へと手を伸ばしてしまった。
もう一度。
ただ一度だけでもいいから、蘇って欲しかった存在の為に。
「お兄ちゃん……」
間を置いた巳影が、そっと腕を上げ額を押さえたままの孔志の手の甲へと指を持っていく。
それが合図で手を額から話し、表情を見せた孔志の瞳からは一筋の涙が零れ落ちる。
その涙が巳影の指先にぽたん、と落ちて滴を作る。
「…………!」
彼女の表情が、歪んだ。
歪みは見る間に哀しみへと変容を遂げ、巳影の瞳にはいっぱいの涙が溢れ出る。
孔志がその彼女を見て、慌てて自分の涙を掌で擦りあげた。
巳影は堪らず、顔を両手で覆い俯いてしまう。
小さく肩を震わせているのが確認できる。涙を止めることが出来ずにいるのだろう。
巳影はずっと、この瞬間を恐れていたのかもしれない。
孔志が今、記憶のかけらを取り戻すよりずっと以前に彼女は己の過去の記憶を脳裏で甦らせていた。
従兄妹同士という間柄で生を受けた二人。それは『どちら』が望んだ結果なのか。
強い思いを抱いたままで、ずっと眠り続けた思い。
巳影は孔志に申し訳ないという感情を抱えたままで、今まで彼の傍に居た。額の傷跡を見るたびに心で啼いた。
彼が思い出してしまったとき、自分はどうしたらいいのか。そして――拒絶されてしまうかもしれないという恐怖。
「……わたし、は……」
巳影は口を開いた。だが言葉は続けられなかった。
そんな彼女の頭に、孔志は黙って自分の掌を優しく乗せる。いつもの彼の温かさだ。
「んなに泣くなよ。俺が泣かしちまった――って、原因は俺なんだよな……」
孔志が小さくそう言う。
変わりのない彼の声音。
巳影は不器用ながらも自分の頭を撫でてくれている孔志を、ゆっくりと見上げた。
綺麗な涙が、彼女の頬を静かになぞる。
孔志の表情は、複雑さを含んではいたが巳影を拒絶するような色は何処にも見当たらない。
「……なぁ、俺……お前に話したいこと、色々ある。だから、さ…もう帰ろうぜ」
ぐいぐい、と少々荒っぽく巳影の頭を撫でながら、孔志はそう言った。
気づけばもう、太陽は西の空へと傾きつつある。
孔志が辺りを、もう一度見回した。そして一点に視線を止めてそこを見つめる。建物も何もない、更地。
二人が知らぬうちに観光ルートから一本外れた道へと迷い込んでいたらしい。
だがそれは、かつてその土地に居た人物が呼び寄せた結果だったのかもしれない。
遠い昔に、助けを求めた陰陽師。
確信は出来ないが、恐らくはこの場が『そう』なのだろうと。
孔志に習うかのように、巳影もその更地へと視線を送った。
冷たい風が、二人の頬を擽る。
橙に染まりつつある空。自然に生まれる二人の影。
その影に陽炎のように浮かんだもう一つの影は、過去の二人を映し出した姿だった。
-了-
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高台寺・孔志さま&橘・巳影さま
ライターの朱園です。
再びお二人にお会いできてとても嬉しかったです。
今回は孔志さんの記憶を多少なりとも呼び起こす…との事ですが
内容としてはいかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんでいただけましたら幸いに思います。
今回は有難うございました。
※誤字脱字がありました場合は、申し訳ありません。
朱園ハルヒ
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