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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


 ◇◆ 柩の泉 ◆◇


 こぽ、と小さな泡が、深紅の泉の底から浮き上がる。それは水面で弾け、緩い波紋を浮かび上がらせた。
 毒々しいほど赤い色の水は、徐々に徐々に水量を増し床に広がっていく。止め処もなく、少しずつ、少しずつ。
「一体、何事か……」
 レースの縁取りの付いた漆黒のドレスを身に纏った陶器人形のような美少女は、可愛らしく両腕を組み小首を傾げる。透けるような金髪に、鮮やかな碧の双眸。象牙の肌を持つ彼女の名はセス。長い長い眠りに醒めたばかりの頃にこの屋敷の主と知り合い、居候となった年若い――吸血鬼的な年齢感覚だが――吸血鬼だった。
 ――そう。
 深紅の泉が突如として現れたのは、屋内。セスが住まいと決め込んだ屋敷のなか。セスが寝床である柩を納めた座敷の中心だった。
 家主の好意から、セスの居室は古びた屋敷の最も奥まった場所にある。昼日中でも日のひかりは届かず、ただびとが生活するにはなかなか心地悪しき部屋。主はその部屋の由来をもごもごと誤魔化して語りはしなかったが、セスにとっては些少不吉な曰くがあったとしてものひかりの匂いがしない場所は有難い。口では悪態をつきながらも、内心満足片手にその場所に棲み付いた。
 がらんとして湿気を帯びた、暗い部屋。何もない部屋。
 セスの荷物として唯一運び込まれたのは、小さな柩だ。漆黒に塗り込められた、セスの寝台。そしていま、セスが携えた柩のなかからは不可思議な深紅の液体が溢れ、畳の床に染み込み、尚も広がり続けている。
「凪がきっと、怒るに違いあるまい」
 深紅に染まった畳をこするのは、水仕事ひとつしたことのないセスではなくこの屋敷の主の仕事。
 烈火の如く怒る家主の姿は、普段の振る舞いから想像に難くない。彼は、なかなか短気だ。
 面白いような、面倒なような。
 そうこうしているうちの柩の泉はセスの爪先まで漣んでくる。レースの靴下の爪先が、赤く染まる。汚れていく。穢れていく。
 ぴくり、とセスの片眉が跳ね上がった。
「どうにか、止めねばな……」
 セスのものではない屋敷はどうなっても構わないが、セスのお気に入りのドレスが台無しのは許しがたい。
「さて」
 呟いて、思案する。思い出したのは以前世話になった興信所の、頼りなさそうな所長の顔。
「まあ、いないよりはマシじゃろう」
 本人が聞いたらがっくり肩を落としそうな台詞を吐いて、セスは柩に背を向ける。
 覚えたばかりの電話のマニュアルを、口ずさみながら。

      ◇◆ ◇◆◇ ◆◇

「……なんだか……別世界だなあ……」
 草間興信所の、ドアを開けて。
 目に飛び込んできた光景になんだか圧されて、花東沖椛司は呟いた。
「あら、いらっしゃい椛司さん」
 ひらひら、と興信所の事務員であるシュライン・エマが手を振る。それに応ずるか否か、一瞬考える景色。
 アンティークの、それも目が飛び出そうなほど高価なビスクドールのような美少女と、彫像にして飾りたいほど端整な容貌をした美青年が、彼らに不似合いな小汚い事務所のなか、和やかムードでお茶を飲んでいる。
 どちらも、珍しいほどの美貌だ。つくりものめいた、精巧さ。
 ただ整った顔立ちと云うのであればシュラインも負けてはいない。だが、シュラインはエネルギーに満ちた、生身の美しさを持つ美女だ。
 向かい合うふたりは、違う。どちらかと云えば、流れる血も冷たそうな、どこか浮世離れした佳人たち。正直、なんとなくそれを眺めている自分自身の、置き場に困る。
「あの……こんにちは?」
 立ち竦む椛司の背後から、柔らかい少女の声がした。
 振り返ると、顔馴染みになった優しい印象の少女が、ふんわり微笑んでいる。
 ほっと、椛司は詰まった息を喉元から逃がした。
「ああ、日和さん」
「どうしたんですか? そんなところで」
 訊ねながら、初瀬日和はひょい、と椛司の肩越しに部屋を伺う。
 微かに目を細め、日和が呟いたのは椛司の期待通りの台詞だった。
「……なんだか、空気が違いますね……」
 ふたり、頷き合ったところで、件の異次元を作り上げているひとり――セレスティ・カーニンガムが気付く。
「どうしたんですか?」
 もうひとり――黒榊魅月姫は容姿のあどけなさに似合わぬ優雅な仕草で、ゆっくりと紅茶を愉しんでいる。
 セレスティの問い掛けに、椛司と日和は顔を見合わせ、曖昧な笑みを浮かべる。
 本人相手に、なんと云って好いのやら。
 そこに、助け舟を出したのはシュラインだった。
「わざわざ悪かったわね、椛司さん、日和ちゃん。入っていらっしゃい。説明するわ」
 ふたりの分も紅茶を運んできたシュラインが、ふたりを手招きする。
 呪縛が解かれたように大きく肩で息をして、椛司は日和を伴い部屋に足を踏み入れた。


 ゆるゆると、柩から溢れ出る赤い紅い泉。
 すでにそれは部屋を飲み込み、ひたひたと板張りの廊下まで漣を閃かせていた。薄暗い、屋敷の錆びた雰囲気が、不可思議な泉の不可思議さを助長する。
 そんな深紅の泉のほとりで、睨み合う美少女が、ふたり。
 片方は、漆黒の髪に深紅の眸の色彩のコントラストが印象的な美少女。もうひとりは金髪碧眼、正統派西洋系美少女。
 漆黒の髪の美少女――魅月姫は余裕のある、どこか愉しげですらある風情で佇み、金髪の美少女――セスは、天敵に遭い毛を逆立てた猫のように、警戒心を露わに魅月姫を睨んでいる。
「……ニセ少女対決ですね……」
「椛司さん、ちょっとそれは微妙な発言ね」
 双方、椛司の十倍二十倍、それ以上の齢を重ねた『少女』である。
 不穏な台詞をうっかり吐く椛司を、苦笑いでシュラインが諌めた。
 美少女の睨み合いは、セスの言葉で均衡が崩れる。
「深淵の魔女、殿か……」
「そう呼ばれることもありますわね。黒榊魅月姫と申します」
 ぴりぴりしたセスに、ゆったりと魅月姫は応える。
「この液体……血液のように見えますが、凝固もせず、血臭もしませんね」
 傍らではセレスティが膝を折り、泉に手を伸ばして冷静に分析する。
 セスが魅月姫から視線を引き剥がし、頷く。
「血ではないようだが……だが、だからと云ってなにとはわからぬ」
 首を振ったセスの肩を、ちょんちょん、と遠慮がちに日和が指で突付く。
「なんじゃ?」
 振り返ったセスの鼻先に差し出されたのは、真新しい紙袋だ。いぶかしむセスに、日和がにっこりと微笑む。
「あのこれ、靴下がこれ以上汚れるといけないので……よろしかったら新品のブーツです」
 がさがさと袋から取り出されたのは、黒に近い、焦げ茶色の編み上げブーツ。爪先に小さな型押しが施された、どこかレトロなデザインがセスのドレスにも似合っていた。
 どろりと深紅に染まったレースの靴下を見下ろし、はにかむ日和を見返す。セスは、どこか擽ったそうに礼を云って、ブーツに足を入れた。
「取り敢えずは、このままにしておくわけにはいきませんね」
「凪に……怒られてしまう」
 セレスティの言葉に、セスが頷く。
「では、少し細工をさせていただきましょう」
 すっと、セレスティがきちんと手入れの行き届いた指先を、泉に浸す。ひたり、と泉の侵食が止まった。そのまま、ずるずると水の淵は後退し、畳に濡れた痕跡を残してぴったりと柩に押し戻され固まってしまう。
 まるで、柩と云う型に嵌められた毒々しいゼリーのよう。
「取り敢えずは一纏めにしておきますので、部屋を調べましょう」
 セレスティはそう云って、湿り気を帯びた座敷に足を踏み入れる。
 魅月姫、セス、日和、シュラインと続いて入るが、椛司だけが躊躇したように、敷居の前で足を止めた。
「どうしたの?」
 シュラインが振り返る。
「いや……なんだか、嫌な予感がするんですよね……天敵の匂い、と云うか……」
 珍しく歯切れの悪い口調で、椛司が呟く。
「まあ……気のせいかなあ……」
 一度、頭を振ってから、椛司も続いて入る。
 ぐるりと見渡せば、窓のない構造に、愛想の欠片もない土の壁。入り口も襖ではなく、無骨な木の扉。
 足許の畳だけが辛うじて、部屋としての体裁を整えている、なんともつましい部屋だった。
「ここ、もしかして元々部屋じゃなかったんじゃないかしら?」
 染みの付いた天井を振り仰ぎながら、シュラインが云う。
「蔵とか、そういう感じもしますね。倉庫か」
 セレスティが同意する。
「どちらにしても、屋敷のことは、屋敷の主に訊くのが早いと思いますよ」
 セレスティはちらりと、セスを横目で見遣る。
 主にばれるのは御免だと、露骨に顔を顰めたセスに、シュラインが云い添えた。
「別に、全部話をするつもりはないわよ? セスさんが、内緒にしたいって云うのなら」
「この部屋のことをお訊きするだけなら大丈夫でしょう」
 外見年長者ふたりに諭され、セスはしぶしぶ頷く。
 ふたりが部屋を出て行った、そのあと。
 魅月姫とセス、日和、どこか居心地が悪そうな椛司が、柩を覗き込む。
 深紅を透かし、柩の底にはざらついた土の気配がある。闇に生きる生き物の苗床。吸血鬼の土壌である故郷の土だ。
 その土から染み出すように、泉は湧いている。覗き込むだけでは、これと云ってなにも探り出せない。
「もともとセスさんの柩にはそんな特技が……ありませんよね、ごめんなさい」
 こそりと呟いた日和に、セスが恐ろしい目を向ける。日和は首を竦めた。
 魅月姫は思案げに、紅の唇を細い指先でひと撫で。その指を下ろすままに、凝った水面に触れる。
「これは……?」
 弓張りに整った眉が、顰められる。
「どうですか?」
 椛司が、やや低い位置にある魅月姫の顔を伺う。それに応えず、すうっと視線を動かし、魅月姫が見詰めたのは薄く染まってしまった畳の一角。
「この下に、なにかがあります。この泉の、源が」
 するり、華奢な腕を持ち上げて、魅月姫はそこを指差した。


 しゃん、と鋭い音を立てて、床板ごと畳が切り裂かれた。すっぱり切り裂かれて、ばらばらと細切れになる。他愛もなく。
 椛司の能力――『真羽刃』。万物を切り裂き、また繋げる力。
「……あとで、ちゃんと戻しますから」
 ふう、と椛司は息を吐き出した。
「これで、床下が覗けそうですね」
 椛司が、己の斬り捨てた畳の残骸を軽く退かしながら、ぽっかりと空いた床下への穴を覗き込む。
「なにが出るんでしょうか」
 魅月姫はただ、薄く微笑みを返すのみ。
 そのまま腕を床下に突っ込み、手探りに探ること、数分。
 椛司が指が冷たい感触を引き寄せ、床下から引き摺り上げた。
「……え?」
 椛司が引き攣った声を上げたのは、無理のないこと。
 椛司の弱点を知る日和も、微妙な表情でその物体を見詰める。
「どうしたのです?」
 不思議そうな声で魅月姫が訊ね、セスもまた同じ顔。
 床下から引き摺りだした手には、硝子の瓶――埃と土に塗れて汚れた、ワインの瓶が握られていた。
 たぷん、と硝子の内側に満ちるアルコールが、硝子越しに揺れるのが見えた。


「元々、あの部屋は先代が収集したガラクタを集めた、蔵だったそうです」
 場所は変わって、再び草間興信所。
 薄汚れた古いワインの瓶を中央に、主から聞いてきた話をセレスティが繰り返すのを、シュライン、日和、魅月姫、椛司が拝聴するかたち。応接セットに付く一同から少し離れたデスクから、草間がその様子を眺めていた。
 そこに零が、人数分の紅茶を持って現れる。
 カップを手に、魅月姫が微かに、だがひどく嬉しそうに微笑んだ。
「先代は随分と物持ちが好いひとで、そのガラクタも多岐に渡っていたそうです。ハイカラなひとで舶来物も好んだそうですから、このワインも収集物のひとつかと」
 ――そんな倉庫みたいな場所しか、真っ暗なスペースがなかったんだけど……セス、気付いていたのか? 気を悪くしてやいなかったか?
 屋敷の主は、頭を掻きながらそんな風に語っていたもの。
「なにかの拍子に床下に落ちて、ずっとそのままだったのかしらね。……これ、飲めるのかしら?」
 現実的な発言をして、シュラインがワインを手に取る。
「どうなんでしょうね……」
 アルコールが天敵の椛司は、一番遠い場所で紅茶を啜っている。
「でも、このワインはずっと、誰にも知られずに床下で眠っていたのでしょう? どうして、いまになってこんなことになったのでしょうか」
 日和が、不思議そうに云う。
「柩を持ち込んだことが、セス嬢が現れたことが、発端ではあると思うのですが……」
 セレスティの、曖昧な応え。
 頭上を通過する幾つもの問いをひらり、と潜って、セスが、シュラインの手から古びたワインの瓶を受け取る。
 小さな、幼い手には不似合いな、無骨な瓶。茶けたラベルには牧歌的な風景が淡く描かれ、掠れがちな細かな字で出自が刻まれている。
 その文字を指先でなぞりながら、セスが、ふっと微笑んだ。無言で、横にいたセレスティの腕に瓶を押し付ける。まるで全て謎が解けて、興味が消え失せたように。
 セレスティがラベルの文字を、耳障りの好い声で読み上げる。
 欧州の片田舎で生まれた、古いワイン。
「もしかして……」
 シュラインが呟く。
「そう。これは我と同じ土地で生まれた葡萄酒。つまり、柩に納められたと同じ土から生まれた酒と云うことになる」
「それが……呼び合ったのでしょうか?」
 椛司の呟きに、セレスティが頷いた。
「このワイン、どうしましょうか」
「折角だから、飲んでしまいましょうか? ワインは、愉しまれるために生まれて来たんですもの。床下で眠っていたくないって思ったのよ」
 嫌に力強くシュラインが云い切る。くすりと、日和が笑った。
「なんだか、凄くわくわくしていませんか? シュラインさん」
「あら?」
「……私は、遠慮しておきます」
 シュラインとは対照的に、弱々しく片手を上げて、椛司はじりじり退却する。
「私も……遠慮しておいた方が好さそうです」
 少し残念そうに、外見と年齢が見合った未成年・日和も肩を竦める。
「私は、いただきましょう」
 逆にアルコールと縁のないあどけなさの魅月姫が云う。
 事務所には流石に、ワイングラスの備えはない。ガラスのコップやコーヒーカップ。あり合わせの器が各人に行き渡ったところで、ぽん、とコルクが抜かれる。
 溢れ出るのは、深紅の滴。
 あの泉と同じ、血に見紛うばかりの深い紅だ。
「……懐かしい、香りがする」
 こくり、と一口飲み込んで、セスが微かな声で、呟く。
「遠く、離れてきてしまったことじゃな……」
 細い肩、華奢な肢体に相応しい、か弱げな声。 ワインで赤い唇を湿らせた魅月姫が、ふっと顔を上げた。
「新しい場所にも、新しいなにかがあると思いますわ」
 ふっと滲むような笑みを、魅月姫は見せて囁いた。
「なにかを求めて、求め続ける。その過程がただの過程であるなんて、私は考えませんもの。あなたは、どうです? 遠く離れた場所に辿り着いた果て、なにひとつその手にないとおっしゃるの? ならば私がひとつ、あなたに差し上げられるものがありますわ」
 ――この深淵の魔女の庇護は、いかが?
 言葉を紡ぐ魅月姫の顔は、もはや生なき人形めいたものではなく、強い眸を持つ生き物のものだった。冷ややかな象牙の肌の下に、結晶化した力をぎゅっと抱え込んだ、極上に強い、綺麗な生物。
「勿体無い言葉じゃのう、真祖殿」
 魅月姫の言葉に、セスは、どこか痛々しいような笑みで、それでも、笑みのかたちに唇を綻ばせた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】

【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い 】

【 3524 / 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生 】

【 4682 / 黒榊・魅月姫 / 女性 / 999歳 / 吸血鬼(真祖)/深淵の魔女 】

【 4816 / 花東沖・椛司 / 女性 / 27歳 / フリーター兼不思議系請負人 】

【 NPC3268 / セス / 女性 / 512歳 / 居候吸血鬼 】


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□         ライター通信          ■
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この度はご発注、ありがとうございました。ライターのカツラギカヤです。
吸血鬼の柩から溢れる泉、と云うことで、今回は依頼を出させて頂きました。当初、私自身の頭のなかには血液のことしか想像になかったのですが、複数の方から『お酒』『ワイン』と云うお言葉を頂き、尚且つ、折角お酒の天敵様(すみません)がいらっしゃるのだから、と云うことで、こんなかたちのお話を描かせて頂きました。PCさまによっては、プレイングを十全に活かし切れていない面もあり、大変申し訳なく思います。ですが少しでも、PCさまの行動、会話などを愉しんで頂ければ幸いです。皆様のイメージに、合っていると好いのですが。
繰り返しになりますが、この度はご発注、真にありがとうございました。また次回お逢いできることを、愉しみにしております。